「ねぇ、おたく――それ、本気なの?」
肉感的な唇が、珍しく困惑の形に歪む。
だが、一方でどこか状況を楽しんでいる様に見えるのは、
さすがに“姫”と呼ばれる女、姫倉麻貴である。
「もちろん、本気ですよ。流石に、自分の家が経営する病院で、
男を取り合った相手が死んだら、少しは困りますよね」
「ほんと、血を掃除するのだって大変なのよ」
「でしょう? だから、流くんを私に下さい」
「っ――とに、困っちゃったな」
麻貴は対峙する少女を改めて眺めた。
子犬のように愛らしい。
日頃の竹田千愛は、まさにそう言う少女だった。
だが、今は違う。
どじで愛くるしいかりそめの人格は消え失せ、
替わりに己の狂気さえ冷徹に見晴るかす理性が顔を見せている。
そして今、千愛は切れ味の良さそうなカッターを手に、己の頸動脈の上に当てて、
「流くんを諦めてください。そうでなければ、ここで死にます」
と言っているのだ。
さっきまであれほど居た、櫻井流人の“彼女たち”は、千愛の狂気に当てられて消え失せた。
面白い見物だ、と麻貴は思った。
だが、麻貴には、彼女たちほど簡単に引けない理由があった。
麻貴のお腹には、流人の子供が居るのだった。
多分、子供のことを言えば、少しは優位に立てるんだろう。
だが、これは女と女の勝負なのだ。
子供を持ち出すのは、何かが違う。麻貴にはそう思えた。
なら、自分にはこの女に対抗できる何がある?
――無い!
彼女には、あまりに背負う物が多すぎた。
姫倉という家。当主の責任。
そして、何よりも、あの忌々しい祖父に対しての意地。
これでは、勝負をするには、あまりにも不利ではないか。
くそっ、まただ!
この少女もまた、生も死も雄々しく耐える、縛られぬ魂の持ち主なのだ。
そして私は、自由な魂が紡ぐ物語で、ただの傍観者として振る舞う他なく、
主役として生きることは望めないのか。
深いため息。
麻貴は俯いて自嘲的に笑い、そしてその笑いは、徐々に大きくなり、狂気すら孕んでいった。
「――っハァッハァッ、ああ、おかしい。
ねえ、その櫻井流人って、ろくでなしよ。人間のくずよ。まあ、多分知っていると思うけど」
「ええ、もちろん知っています。その上、お金にもだらしなくって、多分将来性もないでしょうね」
「判ったわ。その人間のクズ、おたくにあげる」
「ありがとうございます」
「でも条件があるわ。――その手で、そのクズをもう一度刺して。できる?」
「よろこんで」
千愛が、初めて笑った。