「舞花と一緒にお買い物に行ってきます。帰りは夕方になります―――母」
日曜日の朝、ゆっくり起きて来たぼくは、そう書かれたメモをテーブルの上に発見した。
そ、そんなっ!どうしよう……。
正直、この状況は予想していなかった。
なぜなら実は今日、琴吹さんを家に招待していたからだ。と言っても、それはただ単に一緒に宿題をしようって話になったからであって、別に深い意味があったわけじゃない。
それに、彼女をお母さんに紹介したかったっていうのもある。学校でぼくに友達ができるのが、お母さんにはとても嬉しいことのようだから。
以前、芥川君が訪ねて来てくれた事はあったけど、あのときはいろいろあってちょっとピリピリした空気で、とても和やかに紹介すると言うわけにはいかなかったし。
まあ、琴吹さんを友達≠ニ言ってよいのかは、まだ迷ってしまうところなのだけれど。
それなのに、今日に限って家族が誰もいないだなんて。これじゃまるで、その……下心丸出しみたいじゃないか!
恥ずかしがらずに、お母さんたちには、昨日の晩にでもあらかじめ言っておけばよかった。後悔先に立たずだ。
メモ用紙には、さっきの文章の隣に「ご飯は昨日のカレーを温めてね。あと、冷蔵庫にプリンがあります」と書いてある。時計を見ると、9時をちょっと過ぎたあたり。
琴吹さんとは1時に約束しているので、まだ時間はある。どうするにせよ、とりあえずご飯を食べてから考えることにしよう。
「ごめんね、実は今日、家に誰もいなくなっちゃってさ」
と、カレーを食べながら、何度か携帯で琴吹さんに連絡しようかとも思ったけど。
でも、そんなことをわざわざ言うのもなんだか気まずいし、それを理由に「また今度」っていうのも……。それにたぶん琴吹さんのことだから
「そ、そっか……。じゃ、じゃあしかたないよね……べ、別に井上の家に行かなくても学校で会えるし!」
なんて感じで答えて、そしてそう言いながらも、とても悲しむんじゃないかな。そう考えるくらいには想われているって、自惚れていてもいいよね。
携帯を手に取る度にそんなことを考えて、結局、かけることはしなかった。
食後に、念のためシャワーを浴びることにする。一応、家に人を招いているわけだし、身だしなみは大切だよね。
そうだとも。
もちろん。
変なことを期待しているわけじゃ、ないぞ。
…………。
だけど、そんな自らへの言い訳をあざ笑うかのように、体は、素直と言えばあまりに素直な反応を示していた。
パジャマの前が、これ以上ないほどの勢いで押し上げられている。
し、しかたないじゃないか! こう見えても、ぼくだって年頃の健康な男子なんだから……。そういうことに、興味
がないわけがない。
もちろん、誰に対してもっていうわけじゃない。ぼくは流人君じゃない。あんなふうにはなろうと思っても無理だし、なりたいとも思わない。相手が琴吹さんだからこそ、その……いけないことも考えてしまうのだ。
その証拠に、遠子先輩とは、麻貴先輩の別荘で褥まで共にしたというのに、全然そんな気にはならなかったもの。
まあ、あの時は遠子先輩があまりにも無邪気と言うか、無防備だったというのもあるけど。状況も、いろいろとそ
れどころじゃなかったし。
でも――絶対そんなことはないだろうけど、でも――もしあの時、遠子先輩がぼくを誘惑してきてたとしたら、ど
うだろう?
ちょっと想像してみる。そういや遠子先輩、いいにおいだったな……。
…………。
…………!
なんてことだ……今のぼくは、あの幼児体型にまで欲情してしまうのか!?
なにか、ものすごい罪悪感を感じてしまった……。
と、ともかく、この状態はまずい。早くシャワーを浴びて、琴吹さんが来る前になんとか落ち着かせなければ。
シャツが汗でじっとりと湿っていることに、脱いでみて初めて気付いた。今日はたいして暑いわけでもないのに。
そんなに興奮してしまっているのだろうか。ぼくはいつからこんな淫らな人間になってしまったんだろう……。
下を見ると、さらに動かしがたい証拠を突きつけられる。かつてないほど自己主張するぼく自身によって、下着が目一杯引き伸ばされ、溢れ出した雫が、その部分の布地をはしたなく染めあげている。
しかもひくっひくっ、と不随意に跳ね上がり、恥ずかしいシミをさらに広げていく。
ゴムを引っ張って布地をソコから離すと、ニチャッ、という濁った水音とともに、剥けるようになって間もない先端との間に橋がかかる。そのままパジャマのズボンと下着を一緒に下ろして、足を引き抜く。
脱いだ下着をあらためて見てみると、まるでお漏らしをしたように濡れている。
うわぁ……こんなになっちゃった下着を、お母さんに見られるわけにはいかない。シャワーを浴びるついでに、自分で洗っちゃおう。
それにしても、女の子も、その……『そういう気分』になると濡れるって聞くけど、こんな感じなのかな。
こ、琴吹さんも、やっぱりこんな風になったりするんだろうか……?彼女も、ひ、一人エッチとか、するのかな……?
「はぅっ……!」
思い浮かべたのがいけなかった。腰が無意識にカクカクと動いてしまい、跳ね上がったモノが、下腹をぺちぺちと叩く。
ああ、もう限界……!
ぼくは脱衣所から浴室に飛び込み、床に座り込むと、自身を掴み、激しく擦りあげた。
足指には力が入り、ぎゅっと丸まっている。上半身はのけぞり、後ろの壁にもたれかかる。
「……琴吹さん!……琴吹さん!……」
うわ言のように彼女の名前を繰り返しながら、絶頂を求める。
想像の中で、下着姿の彼女が上ずった声でぼくの名前を呼びながら、下着のクロッチ部分を指でなぞる。
「……井上ぇ!……井上ぇ!……」
彼女の指に、布を浸透した体液がしたたり、そのまま床まで糸を引く。
ぼくの指に、恥汁が絡み、ジュチュジュチュと淫靡な音を立てる。
ひくつきが断続的になり、ぼくに終わりが近いことを知らせる。快楽の命ずるまま、ぼくはさらに激しく自らを責め立てる。足がピンッと伸び、おしりがキュッっとすぼまる。
もう……もう……だめぇ……。
「うあぁぁ、ああぁぁっ……!!」
びゅるるるるっ……びゅるっ……びゅっびゅっ……。
腰を突き上げ、何度もしゃくりあげながら、ドロドロの劣情を浴室にぶちまける。
二度、三度と、大量に吐き出しながらも、搾り出すような指の動きを止められない。
力が抜けたぼくは、そのまま床に横たわり、荒い息をしながら、しばらく呆けたように動かなかった。
どれくらいそうしていただろう。
少しずつ、ぼくを蝕んでいた劣情の波が引いていくのを感じる。
それにあわせて、脱力感からも徐々に解放されていく。
ぼくはよろよろと体を起こし、シャワーの栓を開いて、白濁した残滓を洗い流した。
そのまま体を――ついでに汚れてしまった下着を洗う。
その間も、ぼくの頭の中は琴吹さんでいっぱいだった。
だけど、それはさっきまでのような淫らな妄想ではなく、恥ずかしくて怒鳴ってしまったり、照れ隠しに怒ったりといった、可愛らしい姿。
ただ素直になれないだけなんだって解ってからは、彼女のそういう態度を、とてもいとおしく思えるようになった。
それは……そう、庇護欲と言ってもいいかもしれない。彼女を守るために、ぼくに出来ることなら何でもしたいと思う。
臣君との約束もあるけど、それだけじゃない。今のぼくの、琴吹さんに対する偽らざる気持ちだ。
でも、こんなこと言ったら、琴吹さんはやっぱり顔を真っ赤にして、怒ったように悪態をついちゃうんだろうなぁ。
それを想像したら、なんだか微笑ましくて、ちょっと嬉しくて、幸せな気分になる。
と同時に、さっきまでの自分の行動を思い出して、ひどく情けなくなった。
琴吹さん、こんなぼくでごめんなさい……ぼくも頑張るから……。
体を拭いて服を着た後、部屋の窓を開けて換気をしてから、暖房のスイッチを入れる。
室内の整理は昨日の内に済ませてある。
体は念入りに洗ったし、歯も丁寧に磨いた。
あとは、琴吹さんが来るのを待つだけだ。
時計を見ると、短い針は「11」と「12」の間、長い針は「2」をやや過ぎたあたり。
あと2時間弱か……ああ、なんだかすごく緊張してきた!
じっとしてられなくなったぼくは、なんとなく窓の外をのぞいてみた。
……あれ?
あの、バッグを提げて家の前の道をうろうろしてる女の子……。
あれってもしかして……。
ぼくは、窓を開けて名前を呼んだ。
「琴吹さん!」
すると琴吹さんは、びくっとしたようにこっちを見てかたまる。
「い、井上っ……!」
みるみるうちに顔が真っ赤になっていくのが、遠目にもわかる。
現実の琴吹さんは、ぼくの妄想の中よりも、はるかに可愛いかった。
「今、玄関開けるから!ちょっと待ってて」
ぼくは急いで玄関に行き、ドアを開け、琴吹さんを招き入れた。
紺色のコート、白いセーターとおそろいの白いプリーツスカートという格好が良く似合ってる。
グレーのハイソックスも、ポイント高い。
「いらっしゃい、琴吹さん。ずいぶん早かったね」
「べ、別にっ!ちょっと家を出る時間を間違えただけよっ!」
にらみつけるような目付きでそう言う琴吹さんは、どう見ても怒っているようにしか見えない。
でも、彼女の本当の気持ちを知った今は、そんな態度でさえ妙にこそばったくて、つい顔が緩んでしまう。
「ちょ、ちょっと、なに笑ってんのっ!女の子の顔見て笑うなんて、最低っ!」
「ご、ごめんね。とにかく上がってよ」
「あ、う、うん……おっ、おじゃましますっ!」
靴を脱いだ琴吹さんは、妙な勢いをつけて家に上がる。
それから、もじもじと組んだ両手をくねらせて言う。
「そっ、そだっ、あのっ、おかっ……えっと、おっ、おばさんにっ、ご挨拶しなきゃ!」
……うわ、いきなりきたか。
「あの、あのさ、それなんだけど」
ぼくは、鼻の頭をかきながら説明する。
「なんか、みんな出かけちゃったみたいでさ。今は家に誰もいないんだ」
「そうなんだ…………えっっ!?」
一瞬きょとんとした後、みるみるうちに顔がこわばっていく琴吹さん。
ぎゅっと眉が寄り、唇もかすかに震えている。
「じゃっ、じゃあ、ふふ二人っきりってことっ!?……う、うそ、や……だ、なにそれっ!……なに、それ……」
うーん、もしかして、これは本当に怒らせてしまったのかな?
それは、そうだよね……わざとではないにしても、騙したみたいになっちゃったんだから。
ただ、体目当てで小細工を弄した、などと思われるのだけは、なんとしても避けたかった。
ぼくの、琴吹さんに対する気持ちを、誤解されたくない。
「ごめん、あの、こんなつもりじゃなかったんだけど、その……」
必死で弁解する。
「朝起きたら、ぼくだけしかいなくって……本当は、琴吹さんをちゃんと家族に紹介したかったんだけど」
「えっ……紹介、してくれるつもりだったの……?ちゃんとって、せ、正式に?」
「あたりまえだよ」
「そ、そっか……そっか……。そ、そうよねっ!誰もいない家に呼び出すなんて、そんな度胸、井上にはないもんねっ!」
なんか、よくわからないけどわかってくれたみたいだ。よかった。
それにしても琴吹さん、なにげにひどいことを言う。まあ事実だから反論できないんだけど。
「でも、それならそうと一言連絡くれてもいいのに……。そ、その……………………とか…………んだから…………」
「え?ごめん、よく聞こえなかった」
「だっだからっっ!女の子にはそれなりに準備が必要だって言ってるのよっっ!……なっ何度も言わせないでよっ!馬鹿っっ!」
ああ、なるほど。
「そっか、それもそうだよね。あまり知らない人と会うのって緊張するもんね。ぼくしかいないってわかってるなら、気を使う必要もなかったもんね」
そう言ったら、琴吹さんはギンッ、と音がしそうなくらいの勢いでぼくをにらみつけた。
「……い、井上って、本当、鈍感っ!最っ低っっ!」
ええっ!?なんか、ぼく、変なこと言った……?
「とにかくさっ!廊下で立ち話もなんだからっ!」
と、ぼくはごまかすように、自室のドアを開けた。
琴吹さんは、中を見渡して
「……これが井上の部屋……ふ、ふーん、意外と片付いてるんだ」
そりゃ、昨晩必死で整理しましたから。
テーブルの前に用意しておいたクッションを勧めると、琴吹さんはコートを脱ぎ、そこに座った。
ぼくも、おそろいのクッションを出して、その向かいに座る。
「あの、これ」
琴吹さんが、持って来たバッグから、花柄のランチクロスで包まれたお弁当箱を取り出した。
クロスをほどいてフタを開けると、中にはハートに型抜きしたカラフルなお菓子。
「あたし、マシュマロ作ってきたんだ」
「へえ、ありがとう。いただきます」
ぼくは一つつまんで口に運んだ。
「ん……これは、さくらんぼ味かな?こっちはレモン味だね。うん、思ったより甘さも控えめで、すごく美味しいよ」
「かっ、勘違いしないでよねっ!べつに井上の好みに合わせたわけじゃ」
「違うの?」
「そっ、それは……」
琴吹さんは顔を斜めにそらせて、拗ねたように言った。
「そんなの、い、言わなくてもわかってよ……」
「う、うん……ごめん……」
「井上、さっきからあやまってばっかり」
「ご、ごめ……いやその……」
うん、本当はわかってるよ。でも、琴吹さんの口からはっきり言って欲しかったんだ。
ぼくのためにマシュマロを作ってきてくれたんだって。ぼくの好みの味にしてくれたんだって。
琴吹さんこそ、わかってくれてもいいのに……もう。
「……違わないよ」
えっ?
「い、今、なんて……?」
「だからっっ!ち、違うのって聞くから、違わないって言ったのよっっ!ああ、もおっ!」
琴吹さんは居住まいを正すと、
「いっ、井上のことを想いながら、井上の喜ぶ顔を考えながら、井上の好みの味に作りましたっっ!これでいいっっ?!」
「……ありがとう。すごく、うれしい」
うれしさと、そして恥ずかしさのあまり、のたうち回って身悶えてしまいそうなくらい。
ああ、そうか、男が思わず女の子を抱きしめてしまう衝動って、これなんだろうな。
理性とテーブルに阻まれて、行動に移すことは出来ないんだけど。
いや、違う、ぼくが臆病なだけか。
――そして、二人とも沈黙。
気まずいと言うわけではないけれど、なんだか変に気恥ずかしい……どうしよう。
ああ、そうだ、そもそも今日は宿題をやろうって話だったじゃないか。
「ええっと、じゃ、じゃあ、とりあえず数学から始めよっかっ!」
ぼくは立ち上がり、机の上のカバンをつかんで、教科書を取り出そうとした。
が、あせるあまり足をもつれさせて、盛大に転んでしまう。
カバンの中身が、床に飛び出した。
「きゃあっっ!……い、井上っ!大丈夫っ!?」
「あいたたた……うん、だいじょう……」
ぶ、と言おうとして、全然大丈夫じゃないことに気付く。
散乱した教科書やノートに混ざって、今絶対にこの場に出してはいけないものが、ばら撒かれてしまってた。
それは…………遠子先輩の写真。
いつだったか写真部の板垣くんから買って麻貴先輩に提供した、その残りのやつだ。
しまった!カバンの中に入れっぱなしにしてたのを、すっかり忘れていた!
板垣君の顧客は、基本的に「そういう目的」のために買う男子がメインだ。
なので、多くの写真は、アングルとか構図とかが、なんというかその……かなり「実用的」になっている。
こんなものを琴吹さんに見られるわけには……って、もう遅いですね。どうもすみません。
琴吹さんは、その内の一枚を両手でつかんで、ぶるぶると体を震わせていた。
「井上、これ、なに」
地の底から這い上がってきたような声で問い詰めてくる。
以前、森さんが琴吹さんの携帯を使って勝手にぼく宛にメールを送ったのを知った時よりも、さらに低い。
「な、なにって、その……遠子先輩が売れ残って晒し者にされるのが哀れだったんで、写真部からまとめ買いしたんだ」
……だめだ!こんな説明、例え事実だとしても説得力無さ過ぎるよ……。
「…………なんだ、そっか」
ほら、琴吹さんも全然信じてくれな…………え?
「遠子先輩、美人だから人気あるもんね。こういう写真もいっぱい売れるんでしょ?」
……信じてくれたんだ?
いや、売れるって言うか、売れなさそうだから買い占めたわけだけど。微妙に誤解されてる気がする。
「それにしても、写真部こんなの売ってるんだ。まったくしょうがないわねー」
などと言いつつ、散らばった写真を拾い集めて、テーブルの上にまとめて置いた。
それからおもむろにお弁当箱とカバンとコートをつかんで立ち上がった。
「ごめん、帰る」
「えっ!ちょ、ちょっと待ってよっ!」
部屋を飛び出そうとした琴吹さんの手を必死でつかまえて、引き止める。
「馬鹿っ!馬鹿っっ!はっ、離してよっっ!」
「離さないよっ!琴吹さん、絶対誤解してるよっ!」
「誤解っ!?何がよっ!どう誤解するって言うのよっっ!」
そう叫ぶと、琴吹さんは力が抜けたようにへたりこんで、両手で顔をおおった。
「……だ、だって、遠子先輩じゃ、か、かなわないじゃないっ!と、遠子先輩と一緒にいる井上は……すごく、自然なんだもん……!
あ、朝倉さんの時は、絶対負けるもんかって思ったっ!
だって、井上がもっと傷つくって思ったからっっ!だから、絶対井上は渡さないってっっ!
でもっ……でも、遠子先輩がライバルじゃ…………あたしなんかじゃ…………勝てっこ、ないじゃない…………!」
「琴吹さん」
ぼくは、後ろから琴吹さんの肩をやさしくつかんだ。
「泣いているの?」
「泣いてなんか、ないわよ……っ!」
そんなこと、涙声で言われても説得力ないよ。
「で、でも残念ねっ!遠子先輩にはもう、遠恋の彼氏がいるんだからっ!い、井上の、片想いなんだからっ!
片想いの辛さを、思い知ればいいじゃないっ!馬鹿っ!……馬鹿っっ!さっさと離してよっっ!」
「離さないよ」
ぼくは再び言う。
「琴吹さん、やっぱり誤解してる。
遠子先輩は、もちろん好きだよ。いろいろ問題はあるけど、いい先輩だし。世話にもなってるし。
でも、今のぼくが一番守りたいって思うのは、一番抱きしめたいって思うのは、遠子先輩じゃない。
もちろん、美羽でもないし、竹田さんでもない」
この先を聞き漏らさないで欲しかったので、つかんだ肩を引き寄せて、琴吹さんの耳元でささやいた。
「ぼくが一番好きなのは、琴吹さんだよ」
「んぅっ…………う、嘘つかないでよ……」
「本当だよ」
「じゃ、じゃあ、あ、あの写真は、な、何なのよ……っ!」
「さっき説明した通りだよ。信じられないかもしれないけど……だけど、信じてほしい」
「そんな言い方……ずるい……馬鹿……」
ずるい。そうかもしれない。我ながらムシのいいことを言っているような気もする。
……もう、仕方ない。
「琴吹さん、これを見て」
ぼくはそう言って立ち上がり、机の引き出しから、A4サイズの封筒を取り出した。
そして中身を琴吹さんの前に並べる。
「…………えっ?こ、これ、あたしっ!?」
「うん」
それは、さまざまなアングルで撮影された、琴吹さんの写真。
スク水で準備運動をしている姿やら、体操服の胸を揺らして走る姿やら……。
「も、もしかして、あたしの写真も、その、買ったの……?」
「うん、買った。っていうか、買い占めた」
「買い占め!?」
「うん。ネガごと。だって、他の人には琴吹さんのこういう姿を、変な目で見られたくないし。
まあ、ぼく自身はこの写真はいつも使ってるんだけど」
あ、しまった、思わず自白してしまった。
「んなっ、なっ、なっ、つ、使うって…………ばっ、ばばば馬鹿じゃないのっっ!?」
「だ、だって……す、好きなんだからしかたないじゃないか……!
もう、琴吹さんこそ、なんでぼくの気持ちをわかってくれないのっ?!
意地っ張りで、優しくて、可愛くて、こんなぼくを好きになってくれて、自分が傷付いてでもぼくのことを救おうとしてくれて……。
そんな女の子を、好きにならないわけ、ないじゃないか!
こんなに好きにさせて、せ、責任とってよねっ!」
「ちょ、井上……それは女の子のセリフでしょっ!そっ、そういうことは、あたしに言わせなさいよね……」
「ごめん……。でも、わかってよ、ぼくの気持ち……。本当に好きなのは、誰かってこと……」
「う、ま、まあ、信じてあげても、いいわよ……」
よかった……わかってくれたみたい。
その言い方も、琴吹さんらしくて、なんだか嬉しい。
でも、あんまり意地っ張りだと、ちょっと意地悪してみたくなる。
「信じるって、何を信じてくれたの?誤解したくないから、ちゃんと言って欲しい。ねえ、ぼくが好きなのは、誰?」
「そ、それは、だから……そのう………………あ、あたし……」
「じゃあ、琴吹さんが好きなのは、誰?」
「あう……い、井上……」
「続けて言ってみて」
「…………い、井上は、あたしが好きで、あたしは、井上が……好き」
「うん」
「もう、馬鹿……」
お互い顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。
ぼくも琴吹さんも、笑いながら涙を流していた。
ああ、幸せでも涙って出るんだな。
そして、甘酸っぱい空気の中、ぼくたちは自然に唇を重ねた。
初めてのキスは、マシュマロの味がした。
(続く)