あの時話した「彼」が一体何だったのか、未だによく判っていない。  
でもそれでいいと、僕は思っている。  
 
 
 
 
 
 最近頭を悩ませる事ばかりが続いている。  
バイト先の会社の席で、竹田啓司は深々と溜息を吐いた。  
 
「おう、少年。シケた顔してんな」  
 両手に一杯の見本帳を抱えて、隣の席の社員が歩いてくる。  
よっこらしょ、と重そうなファイルを机にばらまき、彼は椅子に座ってこちらへと話しかけてきた。  
 
「清水さん……」  
「あー、そういえばこの間の、どうなった?」  
「この間? ああ、コンテストの件は社長の許可が下りたんで手続きしました。  
 昨日仕様書もらったんで確認して……」  
「そっちじゃない。コンテストのは聞いてるよ。そっちじゃなくて、アレだ」  
「あれ?」  
「先週渡しただろ。納品されてきてた、見本のあ・れ」  
「見本って……、――っ!」  
   
   
 この会社では顧客からデザインの注文を請負っている。  
扱うジャンルは多岐にわたり、お菓子の包装から大きなものではデパートの総合広告など、  
とにかく受注できるならなんでもこなす。  
そのせいか、プレゼンに使用する試作品やら完成品の見本やら会社には常にモノが溢れ、  
事務室の隣はそれ専用の物置部屋になっている。  
 そこに問題のブツが納品されてきたのは、確か十日前のこと。  
珍しく社員全員が揃い賑やかにそれを囲んでいた。  
 
「お疲れ様です。……それ、何ですか?」  
「おぉ、いい所にきた。これ、この間清水が受けたヤツが出来上がったんだよ」  
 そういって差し出されるのは、手のひらサイズの小さな箱。  
深い茶色に差し色の青が効いた、高級チョコレートのような意匠に思わず見入った。  
 
「わぁ……いいですね。色もだけど、この質感も。これ紙、奮発しましたね」  
「だろー? 向こうもそれの単価でもめたけど、出来上がり見たら  
 やっぱりこれで良かったって納得してくれてさ」  
   
 製作者の清水さんは嬉しそうに、我が子を見るような表情でそれを手に語る。  
「で、せっかくだからみんな使ってみてくれよ。中身も先方が社運をかけて開発しました〜なんて  
 言ってて、とにかくすっげーらしいぜ?」  
「どう『すっげー』んだよ?」  
「いやあ、それは使ってからのお楽しみってことで」  
「っていうかよくある『脅威の薄さ!』とかじゃねーの?」  
「でもまぁ、これは女性に人気が出そうだな」  
 
 清水さんが納品物を配る中、みんな口々にはやしながら受け取っていく。  
最後に僕へそれが渡されようとした時、社長が横から手を出した。  
 
「待った。竹田少年はまずいだろ」  
「ええー? 社長、イマドキの高校生にはむしろ必要でしょうー」  
「竹田少年がイマドキな奴に見えるか?」  
「でも確か彼女がいるんですよ。なぁ?」  
 いきなり話を振られて、思わずびくっとなる。  
というよりどうして彼女の話になるのかが、判らない。何でだ?  
 
「えっと、その。……まあ、いますけど」  
 どもりながらそれだけ言うと、社長はへぇ、と目を見開き、他の社員はにやにやと  
何だか居心地の悪い笑みを浮かべた。  
 
「と、いう訳で〜進呈っ! 何ならこの機会に一箱といわずガッツリ持ってくか?」  
「あ、ありがとうございます……?」  
 嬉々として箱をいくつも突きつけてくる清水さん。  
その迫力に負けて受け取ってはみたものの、僕はいまいち要領が得なかった。  
そもそもこれは何なんだ?  
 怪訝な顔で首を傾げていると、見かねた社長が僕の手から箱を一つ残し、  
他の全部を取り上げた。  
 
「……竹田少年。そもそもそれが何だか、判ってるか?」  
「いえ……。お菓子、ですか?」  
「やっぱり判ってなかったのか。……あのなぁ、それは」  
「セーフセックスの強い味方、コンドームです!」  
 
 続く清水さんの言葉にぶっ、と吹き出した。コ、コンドームって、あのコンドームだよな!?  
 かっと頭に血が上って手の中の箱を凝視する。そんな僕の様子に、みんなが弾けたように笑い出した。  
「いいな、その青い反応! さすが竹田少年!」  
「おい、いたいけな少年をからかうんじゃない」  
「とにかく渾身の、自信作だからな! しっかり使ってカノジョからも感想を聞いてこいよ?」  
「まぁまずは練習からだな。取りあえず持って帰って自分で付けてみなって」  
「〜〜〜〜っ!」  
「楽しみにしてるからなぁ〜」  
 
 
 
 ……そんなやり取りがあった事を、せっかく忘れていたのに、思い出してしまった。  
 
「で、あれからどうよ? もう他の奴らからは感想きたぞ」  
「どう――って言われても……」  
「なんだぁ、まだなのか? 少年ダメだなー。そういうのは男の方からちゃんとしないと、だぞ」  
「――っ、そういう問題じゃ、ないですよっ!」  
「しーみず――、少年で遊んでないではよ見積り出せよ〜」  
「ういっス。……それじゃまたな」  
 
 前の方から社長の助けが入って、ようやく清水さんは自分の席に向き直った。  
 
 ああもう、顔が熱い。  
清水さんをはじめこの会社の雰囲気は気に入っているけれど、  
今この話題は勘弁して欲しかった。  
 
 ただでさえそういう事が気になる年頃なのに、コレを使いたい相手は  
最近よく判らない事態になっている。  
 デートをすっぽかして奇妙なコスプレしたり、男のような人格(?)で接してきたり。  
僕の事をからかっているのか、はたまた遠まわしの絶縁の提示なのかと思えば、  
彼女(もしくは彼?)と一緒にいる時は、割といい感じがしないでもないような……。  
 
 そんな複雑な気持ちのまま、実は今、僕の鞄の中には開封済みの箱が、  
そして制服の右ポケットには切り離したブツがひとつ、入っていたりする。  
……笑いたければ、笑っていい。ご丁寧に忠告通り装着練習もこなして、もういつでも  
どこでもスタンバイOKな状況が、本当に自分でも馬鹿だなと思う。  
 
 でもいつあるかもしれない「その時」のために、これを家に置いてくるという選択は  
どうしても取れなくて。  
 
「はぁ……」  
「たくさん悩め、少年」  
 
 もんもんとしながら顔を上げれば、窓の外より夕陽が眩く差し込んでくる。  
今日も特に変わりなく平和に、バイトの時間が過ぎていった。  
 
 

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