出現方法は正樹と凪の義理近親相姦End(前スレ802氏参照)の過程で  
徹底的に織機の好感度を下げる訳だけど、唯一公園デート  
(『揺らぐ距離』の選択肢なしVer.)をこなしていると、織機が交配実験に  
のめり込むシーンがこちらに差し替わるみたいです。  
 
シーンタイトルは 『blanket』 です。  
 
 
 
 いつもの任務が唯一の救いだった。  
男達に拘束され夜の街を歩く。向かう先は陵辱の宴。  
何かに没頭していないと、立つ事すら叶わない自分がいた。  
 
 
 
 
 指定先のマンションが遠く小雨で煙って見える。  
時折下卑た言葉をかけられながら歩いていると、不意にクラクションが鳴り銀の車が  
静かに近付いて停車した。男達が怪訝な表情で身構えると、果たして呆気なくドアが開き  
運転手が姿を現した。  
 上品なスーツに身を包む壮齢の男。その威風堂々とした佇まいは、見覚えがあった。  
 
「ぁんだぁ? テメェ何か用かよ」  
「ああ、そこの女に任務がある」  
「何言って――――」  
「コードP861GT3。お前達はポイント157で新しい指示があるまで待機だ」  
「ちょっと待てや。何訳わかんねーこと」  
「――――了解しました」  
 
 なおも噛み付こうとする男を端末のひとりが手刀で意識を刈り取り、残る全員は  
任務を告げる男に恭しく頭を下げた。  
それらを一瞥し、男が私に手を差し伸べる。私はふらふらと車に向かい男を見た。  
 何故この男がここにいるのか、任務を告げにきたのか、まるで判らない。  
私を「実験」する筈だった男達が去っていく。  
その足音が完全に消えた後、男はおどけるように話しかけてきた。  
 
「タクシーのご用命は如何かな?」  
「………………」  
「……悪いようには、しない」  
「………………」  
 
 どうでもいい。新たな任務というのなら、早く連れて行けばいいのに。  
全てが億劫でその場で佇んでいると、男は私の腕を掴んで強引に車へと押し込んだ。  
 
 少し固めのシートは私を無言で受け止める。  
スピーカーからは痛みを切々と訴えるトランペットとベース。  
そして微かに匂う、シガレットの香り。  
 運転席に男が乗り込み静かなエンジンの咆哮をひとつ、銀の檻は滑らかに走り出した。  
 
 振動がないのに周りの景色が冗談のような速さで流れていく。  
光が差し、消えて、窓ガラスに自分の顔が映る。  
何もない空っぽの器。「私」という形は、こんなものだったのかとぼんやりと思う。  
鏡で自分の姿を確認する事を覚えたのは、何時だったか。  
まだ日の浅い過去が、どうしようもなく遠い。  
 私は変わってしまったのだろうか? そして元の自分に戻る事が嫌なんだろうか。  
……いや、それは気のせい。ただの感傷でしかないのかもしれない。  
 
「煙草、いいか」  
「………………」  
「少し窓を開けるぞ」  
 
 僅かに両側の窓が開き、風が髪をなびかせる。  
かちりとライターの音。暗い車内に灯りがともり、紫煙が一筋流れた。  
風を切る音に、スピーカーからの女性の囁くような歌声が混ざる。  
 
――“I love him …… But only on my own.”  
 
 ただ、不快だった。  
 
 
 車は小高い丘の瀟洒なマンションに辿り着いた。  
男に案内され部屋に入ると、冗談のような広さと眺望が視界一杯に映る。  
奥へと向かえばキッチンにバスルームに寝室にと、それらを含めた広さを考えると  
建物1フロア全てを専有しているようだった。  
 男はバスルームで簡単に洗面をした後、私を寝室へと連れていく。  
今回の任務とは男との「実験」なのか。だが、この男は確か――――  
 
 振り出した雨は何時しか強くなっている。  
窓を打つ音がぼたぼたと乾いた室内に響いていった。  
 
「……もう遅い。寝ろ」  
「………………」  
 
 男はベッドに腰掛けては、ばさりと倒れ込んだ。  
振動が身体を微かに傾げさせ、そしてすぐに元に戻る。  
身体を捻り見やれば、無機質な視線とぶつかった。  
 何も映さない。何も擁していない眼差し。  
虚ろなそれは、まるで鏡に映る自分のようだった。  
 
 互いの息遣いさえ雨音にかき消される。何もする事がない。男も何もしない。  
行き逢う視線は程なくして男の方から閉じられた。  
 
 雨だれがうるさい。  
心を僅かに引っ掻いて、夜が終わりを告げていく。  
 
 
 弱々しい朝日がカーテンから漏れる時分に、男はゆっくりと目を覚ました。  
無造作に髪を掻きやり、枕元の時計を確認する。  
 
「……寝なかったのか?」  
「………………」  
「まぁいい。俺はすぐ出るから」  
 
 男は起き上がるとクローゼットを開け、着替えを掴み部屋を出て行った。  
残されたのは僅かに乱れたシーツと温もりだけ。  
白々と部屋を染める朝日の、そのわざとらしい清潔さに何故か苛立ちを覚え  
私はベッドに伏せ目を閉じた。  
 遠くでドライヤー音がする。  
水道を捻る音、何かを置く音、そして揺らぎない足音。  
それが徐々に近付き部屋の前で止まった。  
 
「帰りは遅くなる。出て行くなりこのまま居るなり好きにしろ。……だがまぁ、  
 暇なら飯でも作っておいてくれ」  
「………………」  
 
 こん、とドアにノックをひとつ打ち、男は部屋から遠ざかっていく。  
ドアが重い音を立て閉まった途端、完全な無音になり自分の呼吸が耳についた。  
 
 私はこれから、どうすればいいのだろう。  
男は好きにしろと言った。暇ならば飯を用意しろとも。  
 身体が重たく沈み、意識を削っていく。  
何もしたくない。何も考えたくない。――だがそう思う事すら、きっとおこがましい。  
私は自分の呼吸をぼんやりと数え、ベッドの上で沈黙した。  
 
 何時になったら、楽になれるのだろう。  
 
 
 
 どの位時間が経ったのか、気付けば部屋は既に深い闇に沈んでいた。   
身体が熱く、頭がはっきりしない。それでも何とか起き上がり、やたらと広い  
リビングと隣接するキッチンへと壁に手を付きながら歩いていく。  
業務用の大きな冷蔵庫を開ければ、色とりどりの野菜と数種類の酒が  
無造作に突っ込んであった。  
 
 何を作ればいいのか。  
調理と言えば電子レンジで暖めるのがせいぜい、包丁すら握った事のない事実が  
私を更に困惑させる。取り敢えず目に付いた野菜をカウンターへ取り出し並べたところで  
強い眩暈に襲われた。  
吐き気を催すそれに目を開けられず、その場にうずくまる。  
 
 気持ちが悪い。  
胃が痙攣するように蠢くが、中に何も入ってないせいか吐き出すことは出来ず  
ただ苦しいだけ。膝を付き床へ横たえて我慢していると、玄関の方からドアの  
音が響いた。  
規則正しい足音がこちらへと近付いてくる。  
 
「居るのか……? っ、おい!」  
 
 男は倒れた私を見るなり慌てて駆け寄り抱き上げた。  
額に手が当てられ、男の眉間に皴が寄る。  
そしてその手は私の膝裏へとまわされ、そのままソファへと運ばれた。  
ソファの革の臭いが、今は辛い。  
顔を背けるように身動ぎすると、男は心配そうな声で問いかけてきた。  
 
「熱があるみたいだな。……具合はどうだ? 何か食べられそうか?」  
「………………」  
 微かに首を横に振ると、男は腕組みをして気難しい顔のまま視線をキッチンへと走らせた。  
 
「その様子だと、朝から何も食べてないみたいだな」  
「………………」  
「ちょっと待ってろ。何か作るから」  
 そう言い残すと男は無造作にジャケットを脱ぎ、袖を捲りながらキッチンへ向かった。  
 
 カウンターに並べられた野菜達を一瞥し、半分冷蔵庫へしまっては新たに  
別のものを取り出す。  
棚から鍋が取り出され、水が入れられる。米を砥ぐ音、野菜を切る音、  
全てが手順良くこなされていく。  
 そんな見かけによらない男の一面に驚きながらも、何処か居心地が悪かった。  
食事を作れと命令した男が自分で、あまつさえ私の分すら作っている。  
私はまるで任務を果たせていない。  
その事を責めない男の思惑が知れず、不安になった。  
 
 そんな気持ちも知らずに、男は淡々と料理を続けている。  
程なくして辺りにはふんわりと米の炊けた匂いが漂った。  
相変わらず吐き気は治まらないが、その温かい香りに身を起こすと  
男が出来上がった料理をトレイで運んできた。  
 
 梅紫蘇を乗せた冷奴にほうれん草の胡麻和え、玉子と三葉の吸い物にそして七分粥。  
ちゃんとした料理が整然と並ぶ様は、何かの冗談、もしくは皮肉に思えた。  
 
「どうだ、これなら食べられそうか?」    
「………………」  
 
 頷く前に男は箸を持ち、豆腐を摘んで私に差し出す。  
促されるまま口を開ければ放り込まれ、口中に紫蘇の香りが広がった。  
美味しい、と思う。喉を通る感触が清しく、もう一口と視線で催促をした。  
 
「……まるで、親鳥にでもなった気分だな」  
「………………?」  
「まあ、それも悪くない。こっちのお浸しはどうだ?」  
「………………」  
 
 男は可笑しそうに面を崩しながら、かいがいしく食事の世話をする。  
やがてあらかた食べ終わると、私を抱き上げ寝室へと連れて行った。  
クローゼットを探り私に男物のYシャツを投げ、そして男は片付けに部屋を後にした。  
 判らない。男の目的も、思考も、まるでちぐはぐで私を混乱させる。  
取り敢えず服を全て脱ぎ、男のシャツに腕を通した所で男が戻ってきた。  
 
「洗濯物はこれだけか? 洗っておくから早く寝ろ」  
「…………何故?」  
「何がだ? ……ああ、余計な事は考えるな。とにかく寝て、早く治せ」  
「………………」  
 
 散らばる洋服を小脇に抱え、男は私の肩を軽く押した。  
ふらりと倒れる身体をベッドが優しく受け止め、その上から毛布を掛けられた。  
男の手が私の額に触れ、顔にかかる髪を梳いていく。  
 
「……医者に連れてく訳にもいかんしな……こんな事位しか出来ないが……」  
「………………」  
 
 伺うように、癒すように撫ぜる指の感触は、悪くない。  
私はその指に身を委ね、静かに目を閉じた。  
 取り敢えず、何もしなくてもいいらしい。  
男の意図は相変わらず判らないが、今はこのまま身体を休めたい。  
明日になれば、きっと幾らかマシになるだろう。  
   
 問いたい事も、言うべき事も、全てそのままに2日目の夜が更けていく。  
 
 
 
 
――“ありがとう――って言えばいいのかな”  
――“……別に”  
――“そのっ、助けてもらって何だけど……”  
――“…………?”  
――“……もうこんな危ない事、するなよ”  
 
 今は聞く事の出来ない声が、夢の中で残酷なまでにはっきりと響いた。  
 
 
 
 汗が纏わり付いて気持ちが悪い。  
重たい頭をもたげ周りを見渡すと、まだ薄闇に包まれていた。  
身体ひとつ離れた向こうに、男が安らかな寝息を立てて眠っている。  
この無駄に広いベッドのおかげか、今この瞬間まで男が  
隣にいる事に気付かなかった。  
 
「……起きたのか?」  
「っ………………」  
 
 寝ていた筈の男が、その瞳を閉じたまま話しかけてくる。  
その問いかけを振り切り部屋を出ると、ひやりとした空気が肌を包んだ。  
身体はふらつくが、昨夜よりは幾分いい。キッチンへと向かい水を一杯あおると  
纏わり付いただるさが少し和らいだ。   
 コップを置く音が、無機質に響く。ぼんやりと窓に近付きカーテンを捲ると、  
夜明け前の静かな光景が視界に映った。  
   
 昼間の眩しい喧騒はなく、夜のきらめく灯りもなく。  
街は今この一刻、死に絶えていた。  
 虚無的なそれが、初めて身近に感じられる。  
何をするでもなく唯一光る衝突防止灯を、私はいつまでも眺めていた。   
 
 朱に染まっていく空の中で、その橙の光が、消える。  
 
 
 男は昨日と同様に外出し、夜遅くに帰宅した。  
私は促されるまま食事を取り、風呂に入り、そして床に就いた。  
男の真意が判らないのは、もう慣れた。だが、する事がない空白の時間が辛い。  
余計な事ばかり考えそうで。後に戻れない、致命的な何かに気付いてしまいそうで。  
いっそこの身を弄られる方が、どれだけ楽になれるだろう。  
 男は何も語らない。私も、何も求めない。  
 
 微かに差し込む月光に感傷を抱きながら、3日目の夜が更けていく。  
 
 
 
 男の手が緩やかに頭を撫でる。  
「行ってくる」とそれだけ告げては遠のき、部屋を出て行った。  
その指に、声に、何故だか泣きたくなる。  
全然似ていないのに、彼のそれと重ねてしまう。  
 
 身体は完全に回復した。もう、ここにいる理由もない。  
それでも出て行かないのは、動きたくないのは、任務がないせいか。  
それとも…………考えたくない。そんなもの、私は欲していない。  
はっきりと形を現しつつあるものに目を逸らし、私は何時までもベッドの中で惰眠を貪った。  
 
 
 どれ位経っただろうか。黄昏に染まる部屋で、携帯が鳴った。  
 
「…………はい」  
「……よう。任務を投げていいご身分だなァ?」  
「今は、別の任務に就いています」  
「そんな訳あるかッ! さっさと持ち場に戻れ!」  
「………………」  
「んー? 随分と反抗的だなァ。……お前が来ないなら、例の小僧、徹底的にいじるぞ」  
「――――――っ!」  
「いいんだな? まぁ“死神”のあぶり出しに少しは役に立つだろうよ」  
「…………戻ります」  
「最初からそう言え。クソが」  
 
 電話は一方的に切られ、辺りはまた痛い程に静かになった。  
やはり、男の行動は任務に則ったものではなかった。では何故こんな事を?  
そんな事をぼんやりと思いながらバスルームへと向かった。  
身体を洗って、洗濯してある服を身に着けて、そしてあのマンションへ戻る――――  
 
「何でもないこれは任務。何でもないこれは任務。何でもないこれは任務。  
 何でもないこれは任務。何でもないこれは任務。何でもないこれは任務。  
 何でもないこれは任務。何でもないこれは任務。何でもない――――」  
 
 暖かな筈のシャワーを浴びても、私の指は何時までも震えていた。  
 
 
 どこか遠く、音がする。  
私には関係ない。  
 
「風呂に入ってるのか?」  
私には関係ない。  
 
「……? おい?」  
私には関係ない。あるのは任務、ただひとつ。  
 
「おい!? 大丈夫かっ!?」  
 男の声に焦りが帯びる。やや躊躇いの間を置き、バスルームのドアが開かれた。  
籠もった湯気が部屋へと逃げる。冷たい空気が肌を嬲り、私は全身を震わせた。  
 
「何時から入ってた!? のぼせたのか!?」  
「………………」  
 気だるく男の腕を払うと身体が傾ぎ、バスタブに背中を打ち付けた。  
衝撃ではっと息が短く漏れる。男がすかさず掬い上げようとしたが、私は再度払い退けた。  
 
「……任務に戻ります」  
「連絡が入ったのか? ……ああ、部屋に携帯が投げ出してあったな」  
「………………」  
「戻れるのか? その体たらくで」  
「……あなたには、関係ない」  
「…………ほぉー、ご立派だな」  
 
 男は無理やり私を抱え込み、自身が濡れるのも厭わず寝室へと向かった。  
らしくなく荒ぶる足音が私の身体を責める。  
ドアが乱暴に開かれては勢い良くベッドへ放り出され、そこで初めて男の顔を見た。  
 苛立ちや嗜虐の中に潜む何か。その眼差しが暗い部屋で微かに光る。  
男がネクタイに指をかけ、面倒臭そうに引き抜く。小さな筈の衣擦れが、  
何故だかとても大きく耳に響いた。  
 
「……自分が今、どんな顔をしてるか判るか?」  
「………………」  
「気に入らんな。何もかも」  
 ネクタイを握る手が、止まる。  
 
「どうせ俺の姿なんぞ見てないんだろう? ……なら、見るな」  
 
 男の手が緩慢に伸びて、私の頭にネクタイを巻く。  
シュっと軽い衣擦れを残し、呆気なく視界が塞がれた。  
冷たい手が離れていく。男の気配が部屋を出て行くのを感じ、私は微かに顔を背けた。  
 
 今まで、判らない事ばかりだった。  
私をここへ連れてきた事。食事を与え、看病をした事。そして、何も語らない事。  
だから今更、何があっても驚きはしない。  
私には男を理解する事が出来ない。ただそれだけ、なのに。  
 あの眼差しが、この戒めが、私の心をざわめかせる。  
 
 ドアの音がする。静かな足音に混ざるのはグラスの氷か。  
涼やかな音は傍のテーブルに置かれ、ぱちりと間接照明のスイッチが耳に届いた。  
 
「……あまり不味くなる酒ってのは、飲みたくないんだがな」  
 
 ベッドの端が僅かに沈み、男の存在が妙に露わになる。  
どうでもいい。どうでもいいのに、危険を覚える。  
身体は重く、動くのもままならない。  
逃げなくては。そんな心に浮かんだ言葉を確かめる間もなく、男のグラスが鳴った。  
 
「……つい最近の話だが」  
 男は言葉を切り、グラスに口付け間を取った。  
 
「……公園でデートしてる恋人達を見たよ」  
 何を、言い出すの。  
 
「緊張しきって話す少年に、真摯な表情で聞き入る少女だった」  
 だから。  
 
「実にぎこちなく、初々しくて……」  
 何を。  
 
「……とても微笑ましい、光景だったよ」  
 今更――――っ!  
 
「……確か……谷口正樹、だったか」  
「――――っ! …………」  
「あの少年は、どうした?」  
「………………」  
「何があったかは知らんが、お前には彼が必要だろう?」  
 
 どうしてこの男は、そんな戯言を垂れ流すのか。  
知らず握り締めたシーツが軋む。どうすれば男を黙らせる事が出来る?  
 そんな私を嘲笑うかのように、グラスが冷ややかに鳴った。  
 
「……憐れ、だな」  
「――――――っ」  
「どんなに空っぽで悲壮的なツラをしてるか、自分だけが判ってない」  
「――――――」  
「あの少年に、見限られたか」  
「…………違う」  
「どう思おうと勝手だが、傍から見たらそれは事実だろう?」  
「違うっ…………」  
 
 彼に出会って、高揚を知った。彼に出会って、夜の長さを知った。  
 彼の声で、自分の名前を好きになった。そして、彼を求めて――――  
   
「いい加減認めろ。任務と口にしながらその醜態は何なんだ。  
 この様を少年が見たら、何と言うかな?」  
「ちがっ…………」  
「――――なぁ、“織機”」  
「――――――っ!!」  
 
 瞼が熱い。込み上げるのは、余りにも短かった日々への追憶。  
それは拒絶されて、自ら断ち切ってしまった、戻らない絆。  
 男の手が頭を探り、ネクタイを外す。  
だけど関係ない。私の視界は既に歪みきって、男の顔すらまともに見えなかった。  
 
「……少しは素直になれたか……?」  
 
 唇が近付き頬に口付け、指が柔らかく髪を梳いていく。  
静かに、暖かなものが流れ込んでくる。脳裏に蘇るのは、彼の言葉。  
 
 
――“その……名前を聞いてもいいかな?”  
――“織機、か。綺麗な名前だね”  
 
 名前など記号に過ぎないのに。  
 
「……彼が、好きだったんだろう?」  
 彼の言葉で、特別になった。彼が、特別だった。  
 
「彼を想った事を、後悔しているか?」  
 僅かな日々だったけれども、私にはかけがえのないものだった。  
 
「たとえ壊れてしまった繋がりでも、それは、意味があったんだ」  
 あの高揚が。この痛みが。  
 
「だから、泣け。そして、誇れ」  
 消してしまう事など出来ない。空っぽな私の、唯一存在する「もの」だから――!  
 
「…………彼が、すき。今も」  
「それでいい」  
 言葉に乗せた想いが、急速に私の中に染み渡った。  
 
 強すぎる衝動に自分という殻が壊れてしまいそうになる。  
とにかく何かに縋りたかった。私は腕を伸ばし、男の肩へと必死にしがみ付いた。  
力を込めた指の中で、シャツが軋む。男の息遣い、鼓動、そして温もりが  
確かな形となって私を包んだ。  
 唇が頬を離れ、嗚咽を漏らす口を塞ぐ。  
ゆっくりと労わるように動く舌。ざらつきを擦り合わせる度に唾液と想いが込み上げる。  
溢れたものは男の、私の喉へと流れていった。  
シガレットが微かに香る。その苦味でさえも、甘く暖かかった。  
 
 口付けを貪るままに、男の指が肩を滑りやわらかく抱きしめる。  
くちゃと淫靡な音だけが部屋に響く。変わらず歪む視界は、瞼を閉じて遮断した。  
 今はただ、この狂おしいまでの想いと口付けに溺れていたい。  
溢れる唾液を男が舌ごと掻き寄せる。こくりと飲み干され、今度は男の唾液を私の方へ。  
繰り返される緩やかな唾液と感傷の交換。  
苦しくはない。気持ち良くもない。ただ、とても切ないだけ。  
 
 男の指が肩を離れベッドが僅かに軋む。鎖骨をなぞり脇をすり抜け胸に辿り着く。  
薄い膨らみを手のひらで包み込み、柔らかく熱を伝えては探られた。  
いっそじれったいまでの優しい感触に、また涙が込み上げる。  
しがみ付く腕へ更に力を入れると、男は僅かに身動ぎをした。  
舌が、唇が放される。男は伝う唾液と涙を丁寧に拭っていく。何度舐め取ろうと、  
新たに溢れ出すそれは果てがない。  
 けれど、男は何も言わない。私も、何も言えない。  
唇は胸の頂きを含み吸い上げてはその武骨な手で包み、切ない疼きを残して  
また頬に唇へと戻った。  
 
 
 彼が、好きだった。  
凍りついた想いは、男に引き出され涙で溶かされ身体から溢れ出た。  
今も鮮やかに残る彼の欠片が、甘く胸を引っ掻いていく。  
 それが、私の全て。それはなんて切なく、尊いものなんだろう――――。  
 
 男は緩やかに執拗に愛撫を続ける。  
涙の跡を、胸を、腕を、肩を、脚を。身体中を癒すように、隈なく触れていく。  
それはまるで、陽だまりの中で包まる毛布のようで。  
暖かくて、優しくて、何時までもたゆたっていたくなる。  
 知らず漏れる吐息は嗚咽か、喘ぎか。男の身体に、高められて満たされていった。  
 
 すっかり溶かされた身体は更なる刺激を求めて私を駆り立てる。  
我慢できずにそっと瞼を上げれば、片脚を持ち上げくるぶしから徐々に上へと  
唇を辿る男と目が合った。  
僅かに乱れた前髪が男の面に艶を添える。ちろりと舐める舌の赤さが、私の官能を  
押し上げた。  
 視線が絡み合う。それが、言葉より雄弁に想いを語る。  
 
 男は太腿を丹念に舐めた後、潤むそこへ指を伸ばした。  
直接背筋に響く刺激に身体が跳ねる。  
今までに何度となく繰り返されてきた行為。なのに、これは初めて感じる感覚。  
逃げたくて、もっと欲しくて、訳の判らない混沌に落とされる。  
男の指は変わらず優しく、だが残酷に私の中心を暴いていく。  
潤む縁をなぞり、粘液を指に纏わせては時折突起に触れる。  
触れる度に突起を徐々に露わにさせ、それが熱を帯びる空気に嬲られた。  
 
 私は壊れたように身体を震わせ、シーツをちぎれる程に握り締めるだけ。  
太腿は男の肩に掛けられ、その瞬間泣き濡れるそこが開き淫靡な音を響かせた。  
呼吸が、熱い。思わず脚に力を込めると、促されるように男がそこへと口付けた。  
いっそう高い水音が耳に届く。跳ねた身体は男にしっかりと捕らえられ、  
逃げる事は出来ない。  
 舌が突起を探るように弄る。先を尖らせて突いては軽く吸い、唾液を塗りつけるよう  
舐め潰す。  
指は縁から中心へと差し込まれ、ゆるりと内を掻きまわし欲望を外へと吐き出させていった。  
 
 その私の痛みを、迷いを、男は躊躇なく喰らう。  
何時まで続くのか――溢れた粘液が太腿を伝いシーツに熱い染みを作っていく。  
 何か、欲しい。この判らない焦燥から救ってくれる何かを。  
男の髪に指を絡め、催促と拒絶をでたらめに込める。  
判らない。判らないけれど、止めないで。助けて――。  
 三度、男と視線が合う。  
 
「――欲しいか……“織機”……?」  
「――――――っ!」  
 
 もう何も、語るべき言葉などない。  
男は私に激しい口付けをし、躊躇なく熱い凶器を身体に突き立てた。  
 
 舌に感じるのは私の欲望。身体を貫くのは容赦のない救済。  
私は男の背中に爪を立て、その全てを享受した。  
密着する身体からは互いの鼓動が喧しく響き、纏わり付く汗が部屋の空気を  
更に爛熟させた。  
男が腰を揺らし上辺を穿つ。内壁を抉る刺激に思わず嬌声が口内に漏れた。  
二度、三度、四度。深く突き刺したまま揺さぶり、舌は私を追い立てる。  
はしたなく漏れる体液は既に快感しか連れてこない。  
それが、なお切ない。求めたものが本当に欲しいものではないのに、  
どうしてこんなにも優しく無情に心地良いのか。  
 
 どうしようもなくひとりだ。これ以上ない位満たされている、孤独だ。  
甘やかな痛みは全身を侵食し、懲りなく涙を溢れさせる。  
程なくして舌が解かれ、か細い糸が薄闇で光った。  
 
「……苦しいか?」  
「…………いいえ」  
 指がゆっくりと胸を辿り腰へ添えられる。  
 
「俺は、正直辛いよ。……昔の自分を見てるようで、な」  
 男の面に浮かぶのは自嘲か、憐憫か、悲痛か。  
僅かに歪んだ笑顔が、何故だか悲しい。  
震える手で頬へと触れれば、男は指に柔らかく口付けを落とした。  
 
 急に引き離されては強く打ち付けられる。  
ぐじゅぐじゅと淫らな水音を上げて、男は激しく抽迭を始めた。  
 
 穿つ度に角度を変え強さを変え、全てを叩き付ける男自身。  
その激しい動きに私は全身を揺さぶられ、ベッドは悩ましい軋みを上げる。  
引き抜いては内壁を掻き、突き立てては突起を潰し最奥を蹂躙する。  
幾度も打たれ徐々に奥が痙攣し、開いていく感覚があった。  
身体中が悲鳴を上げている。内が男を離さないとばかりに収縮する。  
男は私の両脚を大きく広げては肩に掛け、体重をかけるようにと更に深く打ち付ける。  
 互いの粘液でてらてらと光る侵入者を、貪欲に喰らう私の中心。  
そんな結合部分が余さず眼下に入り、堪えようのない羞恥を連れてくる。  
 
 苦しくて伸ばした腕は、男の腕で呆気なくベッドに縫い付けられた。  
指が強く絡み合う。その手を離したくなくて、男も離さなくて、ただ深みへと。  
こんな感覚は知らなかった。こんな想いは知らなかった。  
 もしかしたら私は、知ってしまうのが怖くて心を凍りつかせていたのかもしれない。  
 
 唇が、彼の人の名前を形作る。  
その叫びごと男は唇で奪い、限界まで突き立てた。  
最奥が男の切先を受け止め、咥え込むように痙攣する。  
 その刹那、私は抗えない官能の濁流に飲み込まれ墜ちていった。  
 
 
 遠くで、彼の声を聞いた。  
そんな事はあり得ないのに――ぼんやりと中空を眺めていると、男が繋がりを抜き  
私の脚を降ろした。  
急に訪れた空白に一瞬うろたえ、腕を伸ばしかけては拳を握りベッドに打ち付けた。  
 男は何も言わず屈み、柔らかく抱きしめる。  
乱れに乱れた呼吸が完全に収まるのを待って、私はゆっくりと男を引き離した。  
 
「……もう、大丈夫。…………時間だわ」  
「……そうか」  
 
 ふらつく身体で起き上がり、クローゼットの洋服を身に着ける。  
忘れてはいない。男に庇護された今だからこそ、より一層自身の枷を認識している。  
 それでもいい。覚悟は既に成された。  
この想いに、私という存在に、ほんの僅かでも価値があるという事を、  
男が与えたこの4日間が教えてくれた。  
 服を全て身に着け振り返ると、気だるくヘッドボードに寄りかかる男が視界に入った。  
 
「……何故私を連れてきたの?」  
「さてね、ただの気まぐれだ。意味はない」  
「意味のない事に、こんな危険を冒したというの?」  
「ああ。だがたまには、意味のない事に意味を求めてもいいだろう?」  
「……あなた、本当に馬鹿だわ」  
「それは、お前に言われたくないな」  
 
 何が可笑しいのか、男はくっくっと肩を震わせて笑う。  
そしてひとしきり笑いテーブルのグラスで喉を潤しては、まっすぐに私を射抜いた。  
 
「……俺なら、何とかしてやれるかもしれないぞ」  
「要らないわ。……でも、出来るなら最後にひとつ」  
「何だ」  
「彼の、安全を」  
「承知した」  
 
 もう何も憂う事はない。私はドアノブに手を伸ばし男に暇を告げた。  
 
「……ありがとう。……それじゃ」  
「どう致しまして」  
 
 願わくば、彼が何時までも笑顔でいられる事を。  
これで、滑稽で優しく暖かかったお話はおしまい。  
 
 私は部屋を出て、彼への想いを胸に己が檻へと戻っていった。  
 

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