ドアノブの冷たさが不在の長さを知らしめる。
与えられただけ、そんな部屋に感慨などありはしないが、今は無事帰り着いて安堵した。
家具などない澱んだ空気が充満する部屋で、崩れるように座り込む。
身体がままならないと感じたのは何時からだろう。
繰り返される任務にはとうに慣れ、どんな陵辱や暴力でも受け入れた。
そのことで何か思うことなどない。この部屋と同じ、「ただ在るだけ」
何時か自身の身体に宿るまで、そんな時はきっと来ないだろうと思いつつも
無意味な任務は潰えるまで続く。
続けられる、と思っていたのに。
彼を見つけたのは、取るに足らない偶然のひとつ。任務の性質上、数は多い方が好ましい。
闇雲に依頼するのも効果はあまり芳しくなく、ただ苦労せずに接点が持てた、条件が揃った、それだけのこと。
それなのに、繋いだ手が暖かかった。
照れた顔、心配する顔、真剣な顔。そして、心地いい柔らかな声。
彼に呼ばれて、初めて自分の名前の響きが好きになった。
誰と違う訳ではないのに、その事実に心がざわめいた。
身体が熱くてくらくらする。
耐え切れずカーディガンを脱ぎ捨てると、薄いブラウスから熱が逃げて楽になった。
ほう、と息を吐き混乱する思考を停止させる。
横になろうと寝袋を出し床に触れた刹那、またあの刺激が走った。
何、どうして。
背筋を駆ける甘い感覚に、先程の彼の腕を思い出す。
何も言わずに走り去ったのに、必死で自分を探していた。
見つかった時の激しい呼吸と額に浮かんだ汗、そして安心しきった笑顔。
あれがどれ程嬉しくて私を狂わせたか、きっと彼は知らない。
純粋に、求められていた。
幾度も身体を求められてきて、そんなものは今更特筆すべきことではないのに。
何故私、乱れているの……?
纏わりつくブラウスに手をかけボタンを探る。
息苦しくて指が上手く動かない。震える手でもどかしく外していくと、かちんと小さな音が床に響いた。
前を見やれば飛び散ったボタンがひとつ。
千切ってしまったか、とぼんやりと思った。
ボタンへ手を伸ばしかけて姿勢が崩れる。
前のめりに倒れる身体を、冷たい床が受け止めた。
「――――ぁぁあっ」
胸を押し潰す感触に思わず声が上がる。
冷たくて堅くて、まるで彼の胸のように――頭を過ぎる喩えにびくりと身体が跳ねた。
もし、彼が触れるなら。あの優しい声で名前を呼ばれて、少し骨張った手がゆっくりと脱がし――
力の入らない手でブラウスを身体から引き抜く。冷えた空気が背中を撫で、肌を粟立たせた。
腕に絡まるブラウスはそのままに、手を差し入れ下着に触れる。
柔らかな感触の中央にしっかりと主張する頂き。その硬さを手のひらで確かめた。
この手は小さすぎて、求める手との差異がどうしようもなく切ない。
あの時私の頭を押さえ付けた手。抗えない、抗いたくない彼の手を思い出しながら両手で強く握り締めた。
潰れる胸に、甘やかな痛みが走る。
もっと彼を感じていたい。
握り締めた手のひらをずらせば、その動きに合わせて乳首が擦れた。
さらに硬くなり敏感な反応を返すそれに息を荒げながら、跡が付く程強く揉みしだく。
もどかしい。こんなでは足りない。
もっと強く、もっと確かに――喘いだ口元からははしたなく唾液が溢れてくる。
あの時のようにいない彼に向けて舌を伸ばし、溜まった熱を吐き出した。
口の端に零れかけるそれに指を差し入れると、微かに塩辛く感じる。
指と舌を絡ませて虚しいキスを貪るうちに、妙に視界が揺らいでいるのに気が付いた。
ああ私、泣いていたのか。
唾液塗れの指で頬に触れると、乾いた幾筋の軌跡に新たな涙が落ちていった。
どうして涙が込み上げるのか、心が痛いと感じるのか――考えたくない。
濡れてべたつく手で下着を乱暴にずり上げる。
膨らみが直接床に潰されて、求めていたのに近い刺激を得た。
「んぅく……はぁっ…………ぁあっ」
堪えようとしても漏れてしまう喘ぎ。
その媚びた甘さに耳を塞ぎたくて、震える身体を這いずり寝袋に倒れ込んだ。
フードの部分に顔を埋め呼吸を整える。
そんなささやかな試みも、起立する頂きがファスナーの刃に触れた途端無になった。
「――ゃぁああっ」
口を吐いて出るのは淫らな叫び。身体はまだまだ貪欲に求めている。
濡れた手を胸へ伸ばしつつ、もう片方の手で唇を嬲り押さえた。
濡れた所から感覚が剥き出しになっていく。
握り締めた後色付く頂きを摘むと、今まで達したことのない刺激が貫いた。
苦しくて熱い。何時もなら痛みしか感じない行為が、どうして切ない程に痺れるのだろう。
脳裏を過ぎるのは彼の眼差し。そして、耳に残る甘い囁き。
――そりゃ心配するさ!
――……うん。……大丈夫、だよ。
「―――、――――っ」
舌が意思とは関係なく蠢き指と戯れる。
この指は、彼の舌。仮初で滑稽でも構わない。
暗い部屋の中で水音と喘ぎだけが充満していく。
充分にキスを貪りきつく吸い上げた後、滴る指をもう片方の胸へと滑らせた。
背筋に走る強烈な快感で身体中が強張る。
登りつめるような感覚に眩暈を覚えながら、私は両の胸を掻き抱いて痙攣した。
身体がだらしなく弛緩する。鼓動が激しく打ち肩を上下させた。
腕を放そうと身悶えた瞬間、くちゃと湿った音が響く。片膝を立てればなお明確に耳に届いた。
自分で弄ってただけなのに、濡れている。
脈動に合わせて伸縮するそこへ、ゆっくりと手を伸ばした。
スカートを捲くり下着の上から触れると、張り付いて更なる熱を放っている。
「あっ……なに……?」
下着の縁をなぞると粘り付くものの他に、もっと水に近いもので濡れていた。
何だろうこれは。力が入るあまり、失禁でもしてしまったのだろうか?
指で押し付ける度下着の奥の襞がひくついている。
さっきの感覚といい、私何処か変だ。
彼のことを思うだけで、身体が勝手に反応し乱れてる。
これ以上はいけない気がする。その先を知ってしまったら、きっと「私」であることに耐えられない。
判らないくせに、何故か確信出来た。
それでも意を決して、下着を剥ぎ取り指を滑らせる。
「ん――――っ!」
つんと主張する芽から鋭い刺激が走り、咄嗟にフードを噛んで漏れる悲鳴を抑えた。
膝が見苦しく震える。そのまま波が収まるまで身体を固まらせた。
知らない。こんな感覚、こんな身体私じゃない。
今まで幾度も触れ舐められ、果ては道具を使って弄られたりもしたが、強い刺激を感じるだけで
こうまで甘い痺れは初めてだ。
もう一度、指を動かす。芽は更に官能を伝え、襞が蠢いた。
全て彼のせいならば、直接彼に触られたらどうなってしまうのだろう。
こんな偽物の指でなく、冷たいだけの床でなく。
欲しい、と頭の中で蕩けた声がする。
仮初とはいえ、私は知ってしまった。いや、知り始めている。
常に課せられている「任務」、その本質の一面に。
指が執拗に突起を弾き自らを追い立てる。
何度も擦るうちに、その下からさらりとしながらも少しべたつく液が漏れてきた。
これが下着を濡らしたものか。
正体は判らないが、欲望の証だと本能が告げていた。
手のひらで擦りつつ指を襞からぬかるむ内へ差し入れる。
白い糸引く粘液を纏い、簡単に吸い込まれていった。
胸で、耳で聞くよりもなお脈動を感じる。指を2本に増やし上部をなぞると、複雑に変化する内壁が圧迫した。
侵入者に絡み、そして拒絶する。
この刺激は求めていたもの。だが本当に受け入れるべきものは――欲しているのは。
彼が欲しい。彼でないと、嫌だ。
漏れ出た本心に、また涙が溢れフードに落ちた。
振り切るように指を掻きまわし、性急に快楽へと溺れさせる。
「――――――――っ!!」
追い詰めた瞬間、勢い良く出た何かを手のひらに受けて私は完全に力尽きた。
身体の疼きが遠のいていくのを感じる。
後に残るは淫らに乱れた衣服と寝袋、そして体液塗れの滑稽で惨めな身体。
動く気力すら湧かず、ただ反射で荒い呼吸を繰り返す。
顔にかかる髪もそのままに、ぼんやりと部屋の隅の電話を見つめた。
――また、何処かに誘ってもいいかな?
彼の言葉に縋ってしまいそうな自分がいる。
彼に会うのも、抱かれて精を受けるのも、全て任務。
判っている。判っている振りをしている。
認めてしまえばきっと辛くなるだろう。だからこそ私は、全力で否定する。
彼は、特別なんかじゃない。
例え身体が綻ぶように快感を知り、心が痛い程に求めていたとしても。
ああでも――自分を偽れそうに、ない。
自分の愚かさに思わず笑いが込み上げた。
出来ようが出来まいが、日々は流れこれからも任務は繰り返される。
だからせめて今だけは、想いを吐露するのを許して欲しい。
「もう一度、逢いたい―――……」
呟いた言葉は、誰にも届かずに消えていく。
そして打ち消すように、電話の着信音が部屋に響いた。
「――――はい」
「任務だ。用意しろ」