女の子は、いろいろと難しいのだ。  
濱田聖子はドレッサールームでひとり、仁王立ちして思う。  
 
 スリム・シェイプが指定したホテル――そのとびっきりさにチェックインしてからずっと、浮き足立ったままだ。  
それなのに、あいつは。部屋をぐるりと見回して「ふーん」と言うだけ。  
今だって、調べ物するから先に風呂に入ってこい、と邪魔者のようにバスルームへ追いやられたのだ。  
 
 結城玲治。あの男、本当に、まったくもって、わかってない。  
 
 アメニティグッズがずらりと並ぶ光景はまさに圧巻で、眺めているだけでもぼぉっとしてくる。  
隅に置かれた揃いのタオルにバスローブ。ワッフル生地のそれは、洗剤のCMに出てきそうな程ふわふわだ。  
 ふと、今までろくでもない男達と入った、しょぼいホテルを思い出す。  
・・・あー、虚しくなってきたな・・・。比べちゃダメだ。  
 
 気を取り直してグッズを物色する。バスバブルは4種類。  
憧れの泡風呂!とくれば、ここは定番の薔薇で決めたいけれど。  
誰かさんにブツブツ文句言われるのが目に見えてる。ここは大人しく、グリーンティで手を打つか。  
 
 綺麗なラッピングをほどくと、ふわりと漂ういいにおい。  
勢いよくお湯を落とすと、冗談のように泡が膨れ上がった。  
 
「もしかして・・・やっちゃうのかなぁ・・・・・・」  
 
 力なく呟いた声は、流れる水音にかき消された。  
 
 
 
 正直かなり、意識している。もし「そーゆーこと」になるんなら、それでも構わない。  
むしろ、どこか期待してる自分がいる。  
 
 なのに。強張る身体は、不安のせいか。  
意味もなくきょろきょろしてから服を脱ぐと、姿見に映る貧相な自分。  
 よく言えば、スリム。でもその細さも、体中に散るアザも、愛されなかった過去を、残酷に突きつける。  
 
 今夜あいつと寝たとして。この関係が、何か別のいびつなものへと変わってしまわないだろうか。  
それだけは、嫌だ。  
   
 大きく溜息を吐き出す。どっちにしろ、やらなきゃいけない事が、山程あるのだ。  
グリーンティのシリーズを全部掴み、バスルームへ。  
そして一心不乱に身体を洗う。はっきり言って、泡立ちが悪い。  
 
・・・今まで敢えて気にしないようにしてきたけど。  
最近ばたばたしてて、けっこう汚れていたかも。それに、このムダ毛・・・。 
必死にあちこち剃刀をあてる。  
 
 何で、こんな素敵なバスルームで、こんなアホな事してるのあたし?  
 
 それもこれも、みんなあいつが悪いんだ!違うけど!  
あまりの情けなさに、ちょっと涙ぐみつつシャワーを浴びた。  
 
 
 一通り終わってつるぴかの身体になる。  
そう、これが本来のスタンダートなあたしなのよ。うん。さっきまでのアホみたいな作業は、 
頭の中で削除済みだ。  
 
 気合を入れてバスタブに沈むと、香り高い泡は盛大にこぼれた。  
試しにシャボン玉を、ひとつふたつ飛ばしてみる。  
 たしか昔見た映画女優は、ご機嫌に自慢のバディを磨き上げて相手の男を誘っていた。  
「あなたも、一緒にどうぞ」と。妖艶に、可愛らしく。  
   
 なるほど。こんな状況なら彼女のようにやってみたくもなる、というもの。  
たとえ胸元が頼りなくても、そこはご愛嬌だ。いいじゃん、いっそ、歌でも歌っちゃうぞ。  
 
「あーい、ぅおなびー、らっばっゆー♪」  
 歌詞も音程もデタラメ。でも気分はモンローでいい感じ。  
だんだん興が乗ってきて、脚を蹴り上げたりもしてみる。飛び散る泡。いいにおい。何も考えるな。  
 
 フルコーラス歌いきった後、舞い上がった泡が、ぱちんと弾けた。  
 
――綺麗になった。たっぷりと浸かって堪能した。  
じゃあ、次は「あなたもどうぞ」か・・・・・・?逃げたい。でも、逃げられる場所なんて、ない。  
   
 無理やり覚悟を決めて、あたしはバスタブからあがった。  
 
 
 
 ここで大きな問題がひとつ。何を、どこまで着るか、だ。  
 
 バスタオル一丁では、やる気満々みたいで恥ずかしい。  
かといって今までの服をまた全部着るのも、自意識過剰だし、第一汚い。  
(これはすぐにでも洗わなきゃダメだろう)  
 パジャマを買っておくんだった・・・!と悔やんでも遅い。  
 
 仕方なしにバスローブに腕を通す。結局下はショーツだけ。  
・・・こんなに悩ましい格好なのに、全然悩ましくないのは、なんでだ。   
まあこれなら、あいつも変な気を起こさないだろう。自分で言ってて虚しいけど。  
 
 ドアノブに手をかけて、深呼吸。自然に、さりげなく。  
 
「あー気持ちよかった!お待たせ。次、入ってきていーよー」  
勢いよくドアを開け、陽気に声をかけた。  
 視界に映るは、クイーンサイズのご立派なベッド。  
 
 
 そこで、あの男は、寝くたれていた。  
 
 どうみても完全に眠ってる。  
うつ伏せに、崩れるように眠る姿はまさに「正体なくす」といった風情だ。  
カーナビのスイッチも入りっぱなしで、更に脱力感が襲ってくる。  
 本当に、こいつは!何なんだ、もう!  
 
 全てがバカバカしくなって、おざなりにカーナビを切る。そのままあいつの隣に、どさっとダイブした。  
 
 
 
 やっぱりゴーストは違う。  
今は寝てるけど、起きてたってきっと、涼しげな顔で普通に風呂に入っていくのだ。 
こっちの動揺も知らないで。  
 その様子が想像できて、思わず苦笑がこぼれた。  
 
 何だかちょっと悔しい。あのすまし顔を、見返してやりたいなあ、と思う。  
 
 さらさらの髪へ指を伸ばすと、意外に長い睫毛が誘うように影を落としていた。  
それに吸い寄せられるように、まぶたにキスをひとつ。  
   
 あ、と自分のしたことに驚いて固まる。  
寝込みを襲ってどうするよ、あたし。何やってんだ。そのまま身動きできないでいると、ふと気づく違和感。  
   
 心なしか、こいつの頬が、赤い。さらによく見ると、睫毛も震えている。  
 
・・・もしかして、もしかすると。動揺してたのはあたしだけじゃなかった、ってことだろうか。  
だとしたら、ちょっとだけ見返してやれた事になるのかな?  
 ますます熱を帯びる頬。本当に、なんて可愛いんだ。  
 
「おやすみ・・・・・・また明日、ね」  
 
 色づく頬にキスをして、あたしはふわふわと眠りについた。 

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