いつものように結果報告に赴くと、重厚な扉の向こうで雨宮美津子は書類にサインをしていた。
大きなマホガニーの机は年季の入った艶があり、足元の絨毯は気持ちが悪い程柔らかい。
いろんな意味で距離を感じる部屋だな、と思っていた。
「あら、早かったのね?」
「そうでもないだろ。最後にちょっとてこずった」
彼女はちら、とこちらに目を向けると、視線を書類に戻し万年筆を走らせた。
そのまま僕は、取りあえずの終了報告をする。
声は全て壁に吸い込まれた。完全防音されている為だが、何だか無性に虚しくなる。
報告が終わると、彼女は万年筆をかたんと置いた。
「ご苦労様」
「それとは別に、聞きたい事があるんだが」
「件の"ブギーポップ"については、まだ新しい情報はないわよ」
「それじゃない。・・・あんた今度の晩餐会に出席するだろう」
「それがどうかしたの?」
「何を、企んでる?」
彼女はにっこりと魅惑的に微笑んだ。
そう。学校で招待リストを見た時に、一瞬とはいえ激しく動揺した。
そして教師の「彼女からリクエストを頂いてる」の言葉で決定的だ。
何かない、訳がない。胡散臭すぎる。
「何をって、私はただ美味しいキンキが食べたくなっただけよ」
「本気で言ってんのか、それ」
「それに蒼衣くんの腕も、見てみたかったしね」
「いい加減にしろ。そんな冗談を聞きに来たんじゃない」
彼女は大きく溜息をつくと、椅子から立ち上がり僕の方へと歩いてくる。
そして机にもたれ書類を3葉ほど掴んだ。
「理由はこの書類に書いてあるわ」
面倒くさそうにひらひらさせた後、足元にばら撒いた。
「知りたければ、拾いなさいな」
「・・・・・・ああ」
仕方なしに屈んで書類を拾う。1葉、2葉。
そして最後へ手を伸ばした瞬間、肩に鈍い痛みが走った。
すらりと伸びる、バックシームのストッキングに包まれた脚。
華奢なヒールが遠慮なく肩に食い込んでくる。
「私って信用ないのね・・・残念だわ」
見上げると、嬲るような眼差しとぶつかった。
動けない。心の中で何かが激しく警鐘を鳴らす。
彼女は机にもたれたまま脚を滑らせ、ゆっくりと顎を蹴り上げた。
「怯えなくても大丈夫よ。・・・でもその顔、そそるわね」
パンプスは顎から胸へ、そしてTシャツを引っ掛け軽く捲くる。
「それにしても暑いわぁ。ちょっと服を脱ぎたくなったでしょう?」
「・・・・・・」
がっ、と腹に思いっきり蹴りが入った。
「暑い、わよね。ん?」
優しく囁かれる言葉。腹を抉る脚。
先程から感じる背中への圧力は、発動された"エアー・バッグ"のせいか。
怖い。生殺与奪の権を握られる、恐怖。
「・・・暑いので、脱がせて下さい」
「そうね。仕方ないから脱いでもいいわよ」
脚はそのままで、溜息を吐きつつ嘯く彼女。
「・・・脚を、退けてもらえませんか」
「ん?ああ、気にしなくていいわ。どうぞ続けて?」
身体の震えを感じたのか、彼女は更に綻ぶように笑う。
逃げ場のない僕は、Tシャツに手をかけた。
纏わりつくTシャツを引き抜くと、あらわになる上半身。腹には変わらず、彼女の脚が刺さったままだ。
「案外、いい身体してるのね」
彼女が指をつい、と振ると、脱ぎ捨てた服が後方のソファへ飛んでいった。
そして、脚がまた顎を蹴り上げる。
「それだけじゃ、まだ暑いでしょう。構わないから下も全部どうぞ?」
いや、大いに僕が構う。
それでもさっさと立てと言わんばかりの、顎へ食い込むパンプスに逆らうことは出来ない。
背中の圧力が、それを許してはくれない。
のろのろと立ち上がり、デニムの金具に触れる。そこでようやく彼女の脚から開放された。
しかし、逃げられない事に変わりがない。むしろ更に追い詰められた。
ファスナーを降ろす。デニムを腰までずらし、しばし躊躇する。
本当に脱がなければいけないんだろうか。そもそも何故、こんな目に遭わなくちゃならないんだ?
ぶつかり合う、互いの視線。
「・・・苛々するわね。脱げないなら手伝うわよ」
彼女はそう宣告すると、ヒールをトランクスに引っ掛け、そのままデニムと一緒に踏み落とした。
「ぅあああっ!!」
ヒールが思いっきり僕のものに当たり、あまりの痛さに悶絶する。
しゃがみ込んだまま動けずにいると、彼女の脚が引き抜かれた。
そして聞こえる、衣擦れの音。
「蒼衣くんだけ脱がせるのも、可哀想だし?」
ゆっくりと仕立てのいいジャケットを肩から落とす。そしてスカートも脱ぐと、椅子へと投げかけた。
現れたのは、楓の刺繍が鮮やかなビスチェ。
揃いのショーツにガーターベルト。ガーターは凶悪な美脚を包むバックシームストッキングを吊っている。
何処にも隙のない、完成された美しさ。
うなじをかきあげると、髪からこぼれる彼女の香り。高雅、そして投げやりな程、華やか。
彼女の脚が伸びてくる。跪く僕の肩にのせ、ヒールの刻印をひとつ。
甘やかな痛みが思考を全て奪っていく。
無条件降伏―――そんな言葉がぼんやりと頭に浮かんだ。
見えざる"空気の手"によって責め立てられる。
背中を覆っていたそれは、小さく軽くなって肌を辿っていく。首筋から胸へ、腹から反応してる僕のものへ。
「さっきは痛い思いをさせたから、ほんのお詫びね」
肩に置く脚はそのままで、彼女は悪戯っぽく微笑む。
リングのようになって根元へ滑らせたり。握り込むように圧を変えて包み込んだり。
多彩な刺激を生む、彼女の本当の腕はただ長い髪を梳かすだけ。
あまりの気持ち良さに、変な汗が背中を伝う。
その様子を敏感に感じ取り、彼女はパンプスを僕のものへと滑らせた。
爪先でやわやわと、嬲るように袋に触れる。
"エアー・バッグ"は更に速度を増し、きつく上下にしごいていく。
「――――ぁああっ!」
彼女の脚が僕のを抉った瞬間、押し寄せる激痛と快感に耐え切れなくなって全てをぶちまける。
その降伏の証は丸く固まって中空を漂い、掬いきれなかったものだけが彼女の足首を汚していた。
何も、考えることが出来ない。
体中に染み入る疲労感で、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「少し汚れたわね・・・綺麗にして」
僕の目の前に、突き出される脚。その白濁した証を丁寧に丁寧に舐め取った。
口に広がる青臭い苦み。そして、一層濃厚になる彼女の香り
「・・・何の香水を使ってるんだ?」
「あら。淑女の舞台裏を暴くような事、聞いちゃ駄目よ」
「・・・それ位は、教えてくれてもいいだろう」
綺麗になった脚を力なく開放すると、彼女の腕がふわりと首にまわされた。
そして、頬に口付けをひとつ。
「・・・・・・"JOY"よ」
耳元をくすぐる秘密の言葉。そしてソファから僕の服を取ると、どさっと膝に積み上げた。
僕はそれらに、気だるく手を伸ばす。
彼女はジャケットだけ肩に羽織り、椅子に深く腰掛けた。
「いい事なんて何もない世界だもの。せめて香りくらい、"歓喜"に包まれていたいじゃない・・・?」
ゆっくりと脚を組み替え、嫣然と微笑む。
それが、彼女を見た最後だった。
雨宮美津子が、消えた。
彼女の妹からそう冷たく告げられて、僕は気持ちを整理出来ないでいた。
あのとき力ずくで黙らされた問いが、再び頭をよぎる。
彼女はきっと、何か企てていた。その結果がこれだろうか。
隣には雨宮世津子が無言で車を走らせている。
負傷した織機たちを送った後で、車中には2人と重みのある沈黙。
彼女がシフトチェンジする際に、ふと漂う香りに気づいた。
消えた彼女のものと同様に、高雅な。だがしめやかで、どこか悼むような感傷を秘めた香り。
「あんた、何か香水つけてるか?」
「ええ、少し。きついかしら」
「いや、ただ気になっただけだ。・・・何て銘柄だ?」
信号が赤に変わる。車中にウインカーの音が響いた。
「・・・"Mitsouko"・・・」
「・・・・・・そうか」
「あのひとは、どこで迷子になっているのかしらね・・・」
香りは、人の記憶と想いを縛る。囚われたのは、僕か、彼女か。
信号が青に変わり、彼女は溜息を吐きながらハンドルを切った。