《最強と憂鬱な金曜日》  
 
それは某総合百貨店の、軽食コーナーでの会話であった。  
「あんたと一緒に食事だなんてね、我が人生でもワースト2に入る食事風景だわ」  
ある昼下がり。昼食時間をやや過ぎた時間帯ということもあって、周りの人はそれほど多くはない。  
「随分な言われ様だが、ちなみにワースト1の食事風景ってのはなんだ?」  
薄紫色の人民服を纏った少年が、どうでも良さそうに問いかけた。  
彼は小柄で童顔だが、目付きは鋭く、手足は長くスマートな体型をしているので、少年と言い切れない  
雰囲気を纏っていた。彼は自分をリィ舞阪と名乗っているが、基本的に知り合いからは『フォルテッシモ(ff)』  
とコードネームで呼ばれることの方が多い。  
彼は統和機構と呼ばれる世界を支配し管理しているシステムに所属し、その中でも最強の戦闘能力と偏屈な  
性格で畏怖されているMPLSである。  
テーブルの向こうで優雅にアフターヌーンティーをしていた少女が答える。  
「彼氏とレトルトのシチュー食べてたら、拳銃片手に押し掛けられた時かしら」  
彼女もまた『レイン・オン・フライディ』というコードネームを持つMPLSであり、  
九連内朱巳という名を持っているが、ffはそう呼んだことは一度もない。  
「はっ、随分と刺激的な食事じゃねぇか。楽しそうだな」  
ffは胸元のエジプト十字架を弄りながら刃物のような笑みを浮かべた。  
「それにしても彼氏?お前に彼氏なんぞいたとはな。どんな悪趣味なやつだ、その男は」  
「あら、この朱巳さんの魅力がわかないとは、相変わらずガキよね、あんたって」  
この二人は決して仲良しというわけではない。こうして同じテーブルについているのが不思議なくらいの関係なのだ。  
だが、敵対しているというわけではないし、反目し合っているというわけでもない。少なくともレインの方はそうなのだが、  
ただ、最強と呼ばれるこの男が苦手とする数少ない相手がこの少女なのである。それはこの少女がffを恐れていない  
ことに起因する。敵対する者はもとより、気に入らなければ機構に所属する者であろうと躊躇なく殺してしまうことで知ら  
れるffだが、レインはそのことを知りつつもffを恐れない。恐れないどころか、挑発的な態度を崩さない。殺される相手と  
してはffに殺されようと他の者に殺されようと大差ないという態度なのだ。力の強弱を均一化するが故に、己こそが最強  
というffにとって果てしなく理解できない、やりにくい相手なのだ。  
『どうせ殺されるなら、意地だけは張って死のう』というスタンスの持ち主である彼女が、ffと行動を共にしているのには、  
明確な理由がある。統和機構からレインに下された、正式な任務なのだ。話は二時間ほど前に遡る。  
 
「なんでお前がここにいるんだよ、レイン」  
ffが定宿の一つとしている高級ホテルのスイートルーム。スイートの名に恥じない内装の部屋。  
埋もれそうなくらい柔らかなソファーに、彼女は座っていた。即ち、レイン・オン・フライディという自分の苦手な相手が。  
「私の任務なのよ、悪く思わないで」  
こっちが厭そうな顔を隠さないことが、逆に彼女にとっては愉快らしく、にやにやと笑っている。部屋に侵入すること  
自体は簡単である。ここは機構の息が掛かっているのだ。ホテルの者に話を通しておけばいいだけだ。実際、レインも  
そうしてここへやってきたのだろう。だが。  
「任務だと?ならどうして俺のところへ来る?」  
問題はそっちの方だ。  
「あんた、今任務振られてないんでしょ。簡単に言えば、暇なあんたのお目付け役として私が来たってわけよ」  
「監視の任務かよ」  
これは別に驚くべきことではない。ffはその圧倒的な力があるが故、システムに危険視されながらも、本来刈り取られる  
べきMPLSでありながら、生存が許されている存在なのだ。  
MPLSとは、システムが「世界の敵」と呼ぶ特殊能力の保持者の通称である。  
システムは基本的にMPLSを「世界の敵」として処分するか、システム内に引き込んで監視するか、どちらかのスタンスを  
取っている。ffに監視が付くのはこれが初めてではない。自分が極めて微妙な立場――有体に言えば味方扱いされてい  
ないのも、ffは自覚している。だが、だからと言って、この少女に四六時中監視されるのは苦痛である。つまり精神的に疲れ  
るのだ。だが、前途の理由でこの少女に対して苦手意識はあっても、殺す気には何故かなれないffなのである。どうしたも  
のかと考えているうちに、諦めの気配が胸中を漂う。  
確かに当面こなすべき任務はない。しかし、個人的にやるべきことはある。  
それは『リィ舞阪のカーメン』を探すこと。日本に来たのも、オキシジェンという男を探し、話を訊くためである。  
どうにも中枢(アクシズ)の代替わりの件に煽りを受けて情報が錯綜している。ここで中枢と何らかの関わりのあるらしいレインと  
会えたのは、僥倖と考えるべきだろう。無理やり自分を納得させる。自分の推測が正しければ、オキシジェンもまた中枢の関係者  
である可能性がある。  
「まあいい、お前はお前の任務をこなせ」  
「初めからそのつもりよ」  
「時にレイン、オキシジェンって男が今何処に居るかわかるか。連絡が取りたいんだが」  
「知らないわ。つーか、少し前に初めて顔合わせたばっかりの相手のことなんて、把握してるわけないじゃない」  
望みはあっさりと潰えた。予測の範囲内ではあるが。  
 
以上の経緯を経て、フォルテッシモことリィ舞阪が、レイン・オン・フライディこと九連内朱巳と同じテーブルに付き、  
遅めにして軽めの昼食を摂っているわけである。  
ルームサービスを頼むか、ホテル内のレストランに行くという選択肢もあったが、敢えてffはそれを選ばなかった。  
ffは焦っていなかった。もしかしたら向こうから接触をしてくるかもしれない。彼は三日間だけホテルでそれを待つ  
ことにした。己に忠誠を誓った下僕であるモータル・ジムにもそう伝えてある。  
「わかりたくもねーよ、お前の魅力なんざ」  
ガキ扱いされたことに関してはスルーした。その程度のことを気にしていたら、この女と会話が成立しない。  
「そうやって拗ねるのがガキの証拠だってのよ」  
あからさまに挑発的だが無視しようと自分を戒める。相手のペースにのってはいけない。  
 
「で、これからどうするの?」  
支払いを済ませて店を出る。ぶらぶらと当てもなく歩くffの背中にレインが問う。  
監視の任務がある以上こちらの行動に目を光らせるのは当然だが、予定を尋  
ねるのはいいのだろうか。そんなことを思う。  
「適当に時間潰してから戻るから、お前はホテルで待機してろ」  
「それじゃ任務が果たせなくなるけど」  
「ちゃんとホテルには戻るから、別に構わんだろうが」  
「私も一緒に連れて行きなさい。そちらの行動には干渉しないから」  
もう充分干渉してると思うが、という言葉は飲み込む。  
束の間思案する。この女に付きまとわれるのは御免蒙りたい。  
結論。逃げるか。  
次の瞬間、彼は跳躍する。その際、前後の空気抵抗を『空間を切り裂く能力』  
で切り裂き、ロケットの如く地上から自身の身体を発射したのだ。  
 
 
突然、ポンという音がしたと思ったらffの姿が消えていた。音より速く飛び出した  
ので消される間もなかったのだが、レインの知る由もない。  
ただ、これがあの男の能力の仕業だということは推察できた。  
「やれやれ、人間離れに磨きをかけてどうするんだか」  
肩を竦める。絶対的な力を持ちながら、肝心の中身を持たぬが故に、何かを求め  
彷徨い、迷子のようにうろうろしているあの男。だが。  
「前会ったときよりはマシになってるみたいだけど」  
一旦ホテルへ戻るべく歩きながらそんなことを呟く。  
(例のビートの件で何か掴んだのかしら)  
外見的な変化はなくとも、内側から生じた何らかの変化を、レインはその人並み  
はずれた洞察力で察知していた。  
(ま、あの性格は死んでも直りそうに無いけど)  
そんなことを思う。実際はこちらもこんな任務をしている余裕はないのだが。  
自分の部下であり、友人でもあるラウンダバウト。間接的な情報ばかり錯綜し、彼女が  
現在どんな状況にあるのか、正確には掴めていない。  
あの炎の魔女が絡んだ何かが起こっている。それだけは確かなのだが。  
待つしかできないってのも辛いものだ。そんな風に思う。  
だからあの男をからかって、この件に関することから一時的に思考停止していたのだが  
もう少しだけレインは待つことにした。  
こちらから動くのは危険。好機の到来を――事態の流れを読み、そこで最適な行動する  
機会を辛抱強く待ち、そして、その時が来たら迅速に行動する。  
そうすることで、今まで生きながらえてきたのだから。  
 
 
時間を潰すのが下手だな、と我ながら思う。統和機構に拾われてからずっと  
任務に次ぐ任務をこなす日々が続いた。その弊害なのか、自由な時間の使い方  
が彼にはわからなかった、  
(こうやって無目的に散歩するのは久しぶりだな)  
食事を終えたばかりなので、クレープ屋へ行く気も起こらない。  
あの《死神》を探すにしても、本腰を入れて取り掛からないと  
不可能だろう。第一、あの帽子野郎に対する感情も、未だに不明瞭なままなので、  
出会えたとしても戦う気にはならないだろう。  
いや、そもそもいつもなら強そうな奴を探して喧嘩を売りにいくのが本来の彼  
なのだが――  
何かが変わったのだと自分でも思う。だが何が変わったのかがわからない。  
「なんなんだろうな・・・」  
ぼんやり呟くと、  
゛暇そうだな、フォルテッシモ゛  
胸のうちに、癇に触る声が響く。もうffは理解しているが、この声は音波ではなく、  
思念の声とも言うべき声なのだ。ffにしか聞こえず、しかし、この声の主はffの心  
を読んでいるわけではない。声に出して意思を伝えねば、この声の主はffとコミュ  
ニケーションできないのだ。  
「なんか用か」  
素っ気無く呟く。周りの空間は断絶で遮っているので、人ごみの中で会話しても  
変な眼で見られずに済む。  
゛別に用はねぇけどよ゛  
「じゃあ黙ってろ」  
一方的に会話を打ち切り、当面の時間潰しを探す。  
本屋、ゲームセンター、映画・・・  
「最近見てないしな」  
何が上映しているのはわからないが、時間潰しにはなるだろう。  
とりあえず映画を観に行くことにした。  
 
 
「遅かったわね、何してたのか訊いていい?」  
午後六時を半分過ぎたころ、ffはホテルに戻ってきた。  
「映画を観てきた」  
彼は事実だけ述べるに留めた。彼が観たのは恋愛映画であった。  
「ふーん、面白かった?」  
「毒にも薬にもならなかったな」  
観終わった後、表現しがたいやるせなさに襲われたffは、クレープ屋で  
食えるだけのクレープを食い尽くし、そのあとはぼんやりと過ごしたのだ。  
それよりも当面言わねばならぬことがある。  
「貴様、監視するのは構わんが、部屋は別にしてほしいが」  
「あら、あんた緊張してる?取って食いやしないから安心しなさい。」  
意地悪げにクスクスと笑う。  
「そういう問題じゃない。まさか寝室までついてくる気か?」  
「勿論、そうじゃないと監視の意味ないもの」  
「冗談だろ?つーか冗談だよな。冗談だと言ってくれ頼むから」  
この女に下された任務は監視ではなく、嫌がらせではないだろうか。  
一瞬そんな馬鹿な考えが浮かんだ。いや、ただこちらをいじって遊んでいるだけだ。  
「ベッドは別々だから問題ないでしょ」  
どうやら本気らしい。  
「まあ、お望みとあれば夜伽でもして差し上げるけど」  
けらけらと、笑いながらそんなことを言うレインに頭を抱えたくなった。  
「悪夢だ・・・」  
 
 
ホテル内の高級中華料理屋で夕食を終えた二人は、就寝までの暇な時間を過ごしていた。  
この時点で、幾らなんでもおかしいとffは感じていた。  
任務が、ではなくレインの態度が、だ。どうにも、違和感がある。  
食事中でもくだらないことを言い、こちらのペースを狂わせ、美味しいはずの料理が  
素直に楽しめなかった。それなりに長いと言える付き合いの中で、この女の性格は承知している。  
だから、そんな彼女の態度は不自然ではないと判断できる。  
だが、もっと深い部分で違和感を感じている自分がいるのだ。  
「貴様・・・」  
何かを言おうとするが、言葉にならない。  
「何よ」  
大画面でドラマを見ているレインが、気もそぞろに応じる。  
やはりおかしい。この女は泰然としているように見えて、その実、いつも周囲への警戒を怠っていない。  
緊張もしていないが油断もしない、大胆不敵に見えて、あらゆる物事に対して、常に繊細な観察眼を  
注いでいる、そんな女なのだ。  
敵ではないにしろ、仲良しとは決して言えないffに、こんな無防備な態度を晒しているのが普通では  
考えられない。  
「何かあったのか?」  
結局、直接的に問うしかない。この女と違って口先での駆け引きは苦手なのだ。  
「何って何よ?」  
返事に不審な点はなかった。返事が1拍以上遅れたり、声が上擦っていたり、或いは肩がピクンと  
震えたりしていれば、いよいよ何かがあったと確信できるのだが。  
「どうも貴様の様子がおかしいものでな。何か隠し事でもあるのかと思っただけだ」  
こちらも泰然とした態度を装いながら、会話を続ける。もう少し踏み込んでみるとしよう。  
どういう対応をされようが、それによってこちらの心が傷つくことはありえない。  
「隠し事ならいくつでもあるわよ。相変わらず馬鹿ね、アンタ」  
いつもと変わらないように思える態度の中から、いつもと違うものを探す。  
「そういうことを言ってるわけじゃない。はぐらかすなよ」  
直線的に、挑戦的に、どこまでも前へ。  
レインの視線がこちらを見た。その眼光が示すものは――焦燥か?  
「やけに絡むわね」  
「貴様こそ、やけに余裕がないようだが」  
真っ向から視線を受け止める。  
逸らさない。先に逸らしたほうが負けだという共通の認識があるからだ。  
沈黙。重くて冷たい沈黙が、二人に圧し掛かる。  
「あんたに・・・・」  
やがて、彼女が言う。  
「あんたに何がわかるって言うのよ、この私のことが・・・」  
重々しく吐き出された言葉。その言葉に込められた想い。ffに対する敵意だ。  
「貴様のことなどわかるはずもない」  
それを真っ向から跳ね返す。言いながら、手を伸ばした。  
「だがな、そんな泣きそうな顔で俺の傍に張り付かれるのは、甚だ不愉快だ」  
指先が、彼女の頬に触れた。彼女は抵抗を示そうとはしなかった。  
いつの間にか彼女は、まるで泣くのを我慢している様な顔をしていた。  
理由は知らない。ただ、そんな顔はしてほしくない。似合わないから。  
思わず、手を差し伸べてしまうほどに、彼女はらしくなかった。  
 

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