「カナン、ちょっと話があるんだけど…」  
身体をあわせた後のけだるい時間の中。  
不意に勇が口を開いた。  
日頃はとんがって、手当たり次第に大人に噛みつくくせして  
大人びた口を利きたがる。  
それでいてベッド中では歳相応に甘えん坊な、愛しい勇。  
でもわたしはそれに答えず目をつぶって寝たフリをする。  
(今は…勇と話したくない…)。  
そう、その時のわたしは少しだけナーヴァスだったから。  
「カナン、寝てしまったのか?」  
答えず、わざとらしくならないように注意深く寝息を立てる。  
「…カナン…元気で…」  
勇が部屋を出て行く気配がした。  
「まさか…」  
こんなことは初めてだった。  
今までに勇以外の男を知らないわけじゃない。  
思い出したくもないような相手ばかりだけど、過去は消せない。  
「やること」をやったら後はさっさといなくなってしまうような  
そんな連中と勇は違うはずだった。  
あまりに意外な行動に、慌てて後を追おうとしたわたしは、寝た  
ふりをしたことがバレると嫌だと思って思いとどまり、そのまま  
本当に眠りについてしまった。  
 
もしもあの時ユウがわたしに何を言うつもりだったのか。  
それをわかっていたら絶対に後を追っていた。  
いいえ、それ以前に寝たフリなんてしなかった。  
あの時だけじゃなく、それ以前からユウはわたしに何かを言おう  
としていたのに、気づきもしなかったなんて…。  
でも後悔しても仕方がない。  
すべてはわたしのせいなのだから。  
 
そう、あの夜の私は最悪のメンタル・コンディションだった。  
勇に抱かれたら、そんなイライラも消えるかと思ったけどそれは  
甘かった。  
いくら肉体的な快楽に溺れても、心に刺さった小さな棘は抜けは  
しない。  
でもきっとこれは罰なんだ。  
勇とこんな関係になったことに安心しきって、不用意に彼の内面  
を覗いたわたしへの。  
ああ、見なければ良かった。  
いいえ、見るべきじゃなかった。  
いくら夜を一緒にすごす仲になったからって、勝手に彼の大事に  
している写真なんて見るんじゃなかった。  
あれを見てしまったわたしは、もう以前のように何も考えずユウ  
に全てを委ねる事が出来なくなってしまった。  
今にして思えば、それはとても幸せなことだったのに…。  
 
 
勇はこのオルファンのリクレイマーをガバナーに代わって束ねる  
立場にある伊佐美夫妻の長男。  
この深海に沈む小さな王国では、いわば王子様。  
何一つ持っていない、ただ一つだけグランチャーの抗体としての  
才能を見出されてここに来たわたしとは立場が違う。  
でも勇はわたしに優しかった。  
他の人間には、たとえ親や姉にでも人あたりのキツい彼が優しく  
してくれることは、ずっと他人に蔑ろにされて育って来たわたし  
にはとても嬉しく、どこか誇らしい気分にもなれた。  
いつの間にか、あまり長くはないプライベートな時間には一緒に  
いることが多くなり。  
わたしの個室を彼が訪れるようになっていく。  
少しずつ、距離が縮まっていく過程を、わたしは内心喜んでいた。  
そう、わたしは「王子様に見つけてもらった」のだ、と。  
そしていつしか、わたしはベッドの上に勇を誘い。  
その身体を彼に対して開いていた。  
 
「あっ…」  
勇はわたしの胸に顔をうずめるのが好きだった。  
そしていつしかわたしも、それが心地良くなっていた。  
自分の胸が大きいことはわかっていたけど、男達からいやらしい  
目を向けられるだけで何もいいことはないと思っていた。  
でも、ユウが嬉しそうに胸に顔をうめると、幸せな気持ちになる。  
そういう精神的な心地良さとは別に。  
「あふっ」  
ユウが掌や指、唇で加えてくる刺激で、肉体的な気持よさも感じ  
はじめていた。  
 
その晩も、わたし達はベッドの上で過ごしていた。  
「甘えん坊ね、ユウ…」  
普段のユウならこんなことを言われたらムキになって否定する。  
でも今は、わたしとベッドの上にいる時は違う。  
幸せそうな顔でわたしの胸の谷間に顔をうずめている。  
それでいて、手はせわしなく動き、わたしの胸を揉み掴み摩る。  
「ひゃうっ」  
突然乳首の先に指先を当てられ、あまりの刺激的な感覚に思わず  
嬌声を漏らす。  
それと同時に今までわたしの胸にくっつけていた顔を上げるユウ。  
ニヤニヤと意味ありげに笑っている。  
「な、何よ?」  
「いやあ、まさかカナンがあんなにいやらしい声をあげるなんて  
思ってなかったから驚いて…」  
「な、何よ、いやらしい声って…」  
「そう?だってこんな声だったろ」  
言うなりユウは。  
さっきの刺激で少し硬くなったわたしの乳首を…。  
はむっ。  
唇で優しく噛む。  
「ひゃんっ」  
またしても突然の奇襲攻撃に、心の準備が出来ていない状態では  
為す術もなく、自分自身でもこんな声が出るのかと驚くような声  
をあげてしまった。  
「そう、そんな声」  
嬉しそうな笑顔を見せるユウ。  
きゅっ。  
わたしの心の奥が締め付けられる。  
今度のはさっきのイヤな笑顔じゃなく、見ているとせつなくなる  
ほど素敵な笑顔だった。  
 
昼間のユウは。  
誰彼かまわず牙を向く。  
でも夜のユウは。  
わたしに甘い笑顔を向けてくれる…。  
幸福感で胸がいっぱいになったわたしを………ユウはベッドの上へ  
とうつ伏せに倒す。  
「?」  
乱暴に突き倒されたわけじゃないけど、不意の行動に不安になった  
わたしに。  
「カナンの身体はさ、柔らかくて暖かいんだよ」  
ユウが優しく言う。  
「特に胸はとっても柔らかくて…」  
彼が喜んでくれるから、今までは邪魔だと思った胸も好きになれた。  
「でも胸以外にも、もう一つとっても柔らかい場所があるよね」  
言うなりユウは、わたしのお尻に両手を当てた。  
ユウが胸に顔を埋めやすいように、ブラジャーは外していたけど、下  
の方はまだショーツをはいたまま。  
そのまま布越しに、ユウの体温をお尻に感じる。  
「あっ」  
「ああっ、やっぱりっ、とっても柔らかいよ」  
胸もそうだけど、お尻が大きいこともわたしは自覚していた。  
そしてこっちの方は、決して自慢も出来ないし好きにもなれなかった  
のだけれど。  
ぎゅっ。  
ユウの両掌が、わたしのお尻を優しく揉み解す。  
胸を揉んでくれる時と同じように。  
「…ユウ…」  
自分の身体をこうも優しく慈しんでくれるユウが愛しくて、されるが  
ままになる。  
そんなわたしの耳に、思っても見ない言葉が投げかけられた。  
「カナン、俺が来る前にシャワーは浴びたよね」  
 
「ええっ?」  
一瞬きょとんとするわたし。  
そして、不安になる。  
ユウが来るのがわかっていたので予め身体を綺麗にしていた〜海水を  
完全に浄水できるオルファンの内部は海中施設とは思えないほど贅沢  
に水を使える〜けれど。  
もしかして、体臭でもしたのかと。  
ユウのような体毛が薄いさっぱりとした東洋人からすると、わたしの  
ような白人や黒人の血の混じった混血児はどうしても脂ぎって見える  
と思い、日頃から清潔を心がけてはいたけど。  
「どうなの?」  
続けざまに聞いて来るユウ。  
その目は驚くほど真剣だった。  
答えなければいけない、第一入ってないならまだしも、ちゃん綺麗に  
してあるつもりなのだから。  
「どうって、シャワーは使ったわよ」  
「やっぱりね、コロンソープの匂いがするからそうだとは思ったんだ」  
それじゃどうして?、と聞くまでもなく。  
「ただ確認したかっただけさ」  
真意を語るユウ、でも確認って、一体何なの?  
「入ったならそれでいいんだ、それじゃカナン、悪いけどちょっと腰を  
上げてくれない?」  
突然のユウの要求は、また予想外の言葉。  
腰を上げるって?お尻を上げろってこと?  
そんな恥ずかしいポーズを取れというの?ユウ?  
それでも仕方なく、言われたとおりにするわたし。  
(わたしとユウは特別な関係なんだから、何も恥ずかしいことなんて  
ない)  
そう心に言い聞かせて。  
 
「こ、これでいいの」  
言われたとおりにしたわたしの声は心なしか震え気味。  
ユウとは何度も生まれたままの姿で愛しあったけど、こんな格好した  
のは初めてだったから。  
「ああ」  
そう答えた次の瞬間。  
もふっ。  
「あっ」  
思わず声が漏れる。  
一瞬、ユウがまたお尻への愛撫を再開したのか思ったけど、感触の違い  
に違和感を感じ、そしてわかった、ユウが高く上げられたわたしのお尻  
へ顔を埋めたということを。  
いつも胸に沈めていたのと同じように。  
「ちょ、ちょっとユ…」  
あまりのことに慌てて身体を離そうとしたわたし、だけどユウはわたし  
の太腿を抱え込んで離してくれない。  
びくっ。  
しっかりと抱え込みながら、微妙に優しい愛撫がその太腿に加えられて  
わたしは身体の力が抜ける。  
「ふぅ」  
わたしのお尻から顔を離したユウが一息つく。  
そうなのユウ、こんなことするためにわたしがシャワーに入ったかどう  
かを確認したの?  
それはもちろん、綺麗に洗ってないお尻に顔をつけられるよりは洗って  
いた方がいいけど、で、でも…。  
羞恥なのか失望なのか、よくわからない感情が渦巻く中、わたしはもう  
腰を上げていられなくなりベッドに突っ伏す。  
すりすりっ。  
「ひゃっ」  
すると今度は、ユウは撫で回していた太腿に頬擦りを始めた。  
 
「ああっ」  
お尻同様、太腿を愛撫されるのも初めてのこと。  
まして頬擦りされるなんて…。  
でも、言い様のない快感がこみ上げてくる。  
「言ったろ、カナンの身体はどこも暖かくて柔らかいんだ、尻も、この  
太腿も…」  
「で、でも、そ、そんなこと」  
褒められた嬉しさと、ユウの変態的な行動への動揺で、混乱して快感に  
身を任せたままでいると。  
チロッ。  
不意にユウの舌が、わたしの太腿を這う。  
「やっ」  
突然の刺激に思わず腰を浮かせた直後。  
スッと、わたしの穿いていたショーツが引き下ろされた。  
「ユ、ユウ?」  
「柔らかくて形がいいだけじゃない、近くで見ても綺麗だよ」  
そう言って今度は地肌に愛撫を加えてくるユウ。  
だけどわたしは快感に溺れそうになりながらも、ユウのあまりに手馴れた  
手管が気になった。  
わたしに上手く腰を浮かせ、その隙に下着を引き抜いてしまうなんて。  
ユウ、あなたはまだ15歳の子供でしょ…それなのに…。  
少しとはいえ年上ということでリードしていたはずなのに、いつのまにか  
翻弄されている自分に気がついて、わたしは愕然とする。  
もうこれではっきりした。  
ユウはわたしが初めての相手じゃない。  
もちろんわたしもユウが初めてではないけれど、年齢差や、男女の初体験  
の平均を考えると、予想していないことだった。  
ユウを「男」にしたのはわたしではない、そう思うと。  
自分勝手だとわたし自身も思うけど、抑えようのない不快感が、心の中で  
ふつふつと湧き上がってきた。  
 
そういえば…初めて身体を重ねた後も、ユウはそんなにしつこくわたしの  
身体を求めなかった。  
どちらかというと、いつもわたしの方から誘っていた。  
男の子が初めて経験したばかりの頃は、中毒のように求めたがると聞いて  
いたけど、ユウはそんなことがなかったのでそれは単なる俗説か、あるい  
は単なる一般論で誰もが当てはまるわけではないのかと思っていたけど。  
そう、夜を共に過ごそうと誘うのはわたしの方。  
わたしの求めに応じて、ユウは部屋へと忍んでくる。  
でもちょうど今のように、常にリードしているのはユウだった。  
いつも胸の中に顔を埋めて甘えるような行動をするせいで、わたし自身が  
すっかりとリードしている気になっていたけど。  
「ひゃんっ!」  
追想が突然の快楽衝撃によって中断される。  
ユウの唇が、お尻の割れ目の上の辺り、尾?骨周辺の敏感な部分に熱く  
押しつけられたのだ。  
「やだっ、ユウッ、そんなとこ汚いっ」  
「カナンに汚いところなんてないさ…」  
じわっ。  
それはユウにしてみれば軽い一言だったかもしれない。  
でも、ずっと望まれず生を受けた私生児として、それこそ「汚らわしい  
子」として生きてきたわたしには、そのユウの言葉は全ての負の感情を  
全て洗い流してくれる歓喜の光。  
あああ。もうユウの初めての相手がわたしでないことなんて、どうでも  
いいこと。  
わたしは今、ユウに求められているんだ。  
そう思うだけで幸福感が滲んで来る、そんな中。  
「汚いなんて思わないさ、たとえどこだろうと、今、その証拠を見せて  
やるよ」  
ユウが言葉を続けた、今度は意味のわからない言葉を。  
 
わけがわからないままのわたしに、ユウは続けて愛撫を続ける。  
片手で胸や、次第に濡れて来た陰部に刺激を加えながら、もう片方の手は  
お尻に添えられる。  
しかも、穴のほうへ…。  
「い、いやだって、ユウ、そんなの恥かしい…」  
いくらそう言っても止めてくれない。  
すっかり敏感になった場所を指で何度も刺激され、飛び上がりそうな快感  
に苛まれる。  
やがて…ユウはいつの間にか熱く大きくいきり立っていたペニスを…後ろ  
からわたしに突き立てた。  
「ひゃうっ」  
後ろからなんて初めてだった。  
そもそも今まではわたしが身体を開いてユウを招き入れる形だったのが。  
この体勢だと、何故だかユウに征服されている気分になる。  
それでも…いいかもしれない。  
わたしをあなたのものにして、ユウ…。  
そう思っている間も抽送が繰り返され、肉体と精神、両方の快感が加速度  
的に上がっていく。  
このままで、後ろから、わたしの中に…。  
そう思っていると。  
「きゃいっ」  
突然に、ペニスを突き立てられているのとはまったく別の感覚がわたしを  
襲った。  
より鋭い、鈍痛と快感がない交ぜになったような刺激が。  
ユウが、お尻への愛撫を再開した。  
それも今度は、さっきのような軽い刺激じゃない。  
ユウの人差し指が、わたしのお尻の穴に深々と挿しいれられた。  
つまり今のわたしは、ユウによって二つの穴を同時に抉られている。  
「やっ、そんなっ、やめてユ…」  
「こっちの方が気持ちよくない?」  
わたしの制止を無視して、ユウは楽しげに言い放った。  
 
「そんな、やめてこんなことっ」  
わたしが拒絶の言葉を口にしても。  
「カナンのココはそう言ってないよ」  
ユウが自分とわたしがつながっている部分を、もう片方の手でなぞる。  
そして。  
「ほらね」  
その手を伸ばして、わたしの顔の前に持ってくる。  
「いやっ」  
思わず顔を逸らす。  
でも、そんなことでは誤魔化せない。  
その手を濡らしていたのは、紛れも無くわたしの身体から湧き出た快楽の  
樹液なのだから。  
ああ、わたしはどうなってしまったんだろう。  
お尻に指を突っ込まれて感じてしまうなんて…。  
恥かしさと快楽に喘いでいると、不意にユウが抽送を止めて、熱いモノを  
引き抜く。  
わたしたちの身体の繋がりが断たれる。  
「どうしたの?」  
「ん?いや、そろそろほぐれたかと思ってさ」  
言うなりユウは、お尻に入れていた指も抜く。  
「ひっ、ひいっ」  
意地悪にもわざわざ指を曲げ、螺子を抜くように回しながら。  
一際大きな嬌声が口をついてしまう。  
「うん、綺麗に洗ってる、これなら大丈夫」  
そんな事を呟いたユウが。  
「痛かったら言ってよカナン、すぐ止めるから」  
また意味不明なことを言う。  
「痛かったらって、何を…あっ!」  
答の代りに、ユウは再び熱く硬く大きなモノを私の中に突き入れた。  
ただし今度は、お尻の穴に…。  
 
「ひっ」  
一瞬、お尻が裂けるような痛みが走った、けれど。  
グイッ。  
ユウの硬く熱いモノがお尻の中に収まると、再び快感が湧き上がり苦痛が  
どこかへと消し飛んで行く。  
ようやくわたしはユウがさんざん私のお尻を責めていた理由がわかった。  
あらかじめ刺激することで、痛みをほとんど感じさせずにお尻に挿入する  
ために…。  
でも何でなの?  
どうして「普通」にしてくれないの?  
まさか…。  
まさか、わたしのは「緩い」の?  
確かにユウが初めてじゃないけど、そんなに多く経験があるわけでもない、  
それなのに…あぁっ。  
ユウがお尻の中に挿入した物をゆっくりと動かし始め、強烈な刺激がお尻  
から全身に響く。  
何も考えられなくなったわたしは、力なく顔を床に伏せる。  
ユウとつながったままのお尻だけを高く持ち上げたままで。  
「凄く色っぽいよカナン、大きくて柔らかい」  
ユウの掌がわたしのお尻を優しく撫でる。  
繋げている部分は激しく突き立てながら。  
褒め言葉と優しい愛撫、それとは裏腹な野性的な動き。  
それらを同時に受けてわたしの頭は真っ白になる。  
もうユウがどうしてお尻に挿れたのかなんて気にもならなくなった。  
ただ快楽に身を任せ、ユウの動きにあわせ、突き上げたお尻を狂ったよう  
に振り続けた。  
そして、私の中でユウのモノが弾ける。  
熱い種子の一つ一つが体内で冷えていく感覚に、わたしの意識は遠くなって  
いった。  
 
あの夜、ユウによって初めて後ろを貫かれ。  
文字通り彼に全てを捧げてから、わたしは少し心が楽になった。  
彼とのつながりが深くなったことで、自分の居場所が出来たような気がしてた。  
だから、あの時も。  
 
「うるさいなぁ」  
アンチボディのパイロットが集まるブリーフィング・ルームにわたしが足を踏み  
入れると、ユウの苛立たしげな声が耳に入った。  
「なんだと、アンチボディ部隊のリーダーはわたしだぞ」  
「勝手に決めるな、俺はそんなこと認めてない」  
「ガバナーが認めた!」  
「ガバナー、ガバナー、あんたはガバナーが死ねって言ったら死ぬのか?」  
「何いっ!」  
いつものこと。  
ユウがクインシィ・イッサーと口論していた。  
クインシィの本名がイサミ・イイコ、ユウの姉であることはリクレイマーなら知ら  
ない者はいない。  
でもこの姉弟の仲の悪さは尋常ではない。  
もっともユウは姉に限らず、両親にもこんな感じだ。  
もう少し幼い頃はどうだったのか知らないけど、少なくともわたし知る限りは。  
「くっくくく、良くやるぜ飽きもせず…」  
部屋の隅で二人のやりとりを見ていたわたしに、ジョナサン・グレーンが近づいて  
声をかけて来た。  
「二人して主導権の握り合いかい、いずれにしてもリクレイマーを自分達の一族の  
私物だと思ってやがる…」  
「ユウはそんなこと思ってない、ただクインシィに反発しているだけよ」  
思わず反論してしまった。  
「ふーん、随分庇うねユウを、仲がよろしいことで」  
指だけをポケットに突っ込んだ独特のポーズをとって、揶揄するような口調と視線  
のジョナサンをわたしはにらみ返した。  
 
わたしがこのオルファンに来たばかりの頃、ユウとジョナサンは仲が良かった。  
口の悪い二人だけど、兄弟みたいに気があっていた。  
それが気づいたら何時の間にか反目しあうようになっていた。  
一度、ユウに理由を聞いた。  
「姉貴におべっか使って、見損なったよ」  
そうユウは吐き捨てた。  
自分自身で言ってるように、オルファンの実質的な指導者である両親や、その上の  
最高意思であるガバナーからアンチボディ部隊を任されているクインシィ。  
そのクインシィに近づいたのはジョナサンなりの処世術なんだろうけど、潔癖症の  
上に姉を嫌っているユウには許せなかったのだろうと、わたしは想像した。  
 
そう、その時のわたしはそう思った。  
ああ、なんておバカさんなカナン・ギモス。  
何でユウが気を悪くしたのかなんて、少し考えればわかったことなのに。  
 
「ま、精々仲良くやってくれ」  
嫌味のこもった言葉を残してわたしの側を離れたジョナサン。  
「まあまあ二人とも、姉弟喧嘩はプライベートルームでやってくれないか?」  
険悪な雰囲気をものともせずにユウとクインシィの間に割って入る。  
さりげなく、クインシィの手を取りながら。  
「ちっ」  
その時ユウが二人を凄い目で睨み。  
「…は、離せっ!」  
そんなユウを気にするかのように、クインシィが慌てて取られた手を振り払った。  
その意味をまったく理解しないまま。  
「落ち着いてユウ、こんなところで言い争っても仕方ないでしょ」  
そう言ってわたしも、さりげなくユウの腕を取った。  
その刹那、激しい敵意のこもった視線がわたしに突き刺さった。  
振り向くと、クインシィの殺意にも似た感情が現れた目が視界に入ってわたしは  
たじろいでしまった。  
 
あからさまな悪意をこめて睨みつけられて、わたしは少しだけ困惑する。  
(ユウの味方をしただけでこんな目で見るなんて、あなたはそんなに弟が憎いの  
クインシィ…)  
そんな、今から考えるととても間抜けな感想をわたしは持った。  
でも、クインシィなんかに何を言われようと、いまさらユウと距離を置くつもり  
はない。  
もうわたし達は他人じゃない。  
今までずっと独りで生きてきたわたしが初めて手にした帰れる場所、それがユウ  
の腕の中なんだから…。  
ぎゅう。  
半ば意地になって、軽く取っただけだったユウの腕にしっかりと抱き抱える。  
「!」  
それに面食らったのはユウだった。  
わたしとクインシィの顔を交互に見て、何故か焦ったような表情を見せる。  
そんなユウの態度に、わたしは少し気を悪くした。  
身も心も、前はともかく後ろの処女も捧げたわたしに、いくら人目があるからって  
そんな態度はないんじゃない?ユウ?  
「さぁ、行こう」  
ユウの腕を引っ張り、無理矢理部屋から連れ出す。  
室内からクインシィがヒステリーを起こして喚く声が聞こえたけど気にしなかった。  
 
「ちょ、ちょっと、カナン?」  
いつになく強引なわたしに面食らっていたユウがようやく声をかけるが。  
「…」  
無視して、そのまま人気のない場所へとユウを引っ張りこむ。  
オルファンの中には、広さが中途半端で丁度いい用途がなく放置されてるこんな空間  
があちこちにある。  
「どうしたんだよカナン、もう少しバカ姉貴をからかっ…」  
「そんなことどうでもいいわ」  
ドスン。  
ユウを押し倒したわたしは、逃げられないようにその両手に自分の両手を重ね、身体  
の上に座り込んだ。  
 
「な、何だよ、こんなとこ誰かに見られたら…」  
驚いたり、怒ったりより、焦りが先に立つユウの顔を見ていると。  
「いやなの…」  
「え?」  
「あたしとのこと、人に知られるの、嫌なの?」  
自分でも収まりのつかない感情がわたしを突き動かしていた。  
別にユウとの仲をことさら他人に見せ付けようなんて、決してそんなことは思っては  
いなかった。  
けれど、ああもあからさまに隠そうとされると不満よりも不安が募る。  
完全に身も心も結ばれたと思っていたのはわたしだけで。  
もしかしてユウは遊びのつもりなんじゃないのか。  
だからあんまり人前で、ベタベタしたりするのが嫌なんじゃないのか。  
そう、いつでも…。  
「いつでも、あたしを捨てられるように」  
「バカッ、何言ってんだよ!」  
さすがに怒った調子で言い返すユウ、だけどわたしは納得出来ない。  
「だったらなんであんなに焦るのよ」  
「…そ、それは…」  
「必死だったじゃない」  
「…だ、だから…」  
案の定、ひるまずに追求を続けるとたじろぐユウ。  
「答えて、ユ…キャッ」  
突然お尻を突き上げられて思わず悲鳴が漏れる。  
「え?」  
次の瞬間、疑問がわいてくる。  
ユウの両手は私の両手と掌を重ね合わせた形で床に押さえつけてある。  
まさかわたしのお尻を足蹴にしたわけでもないだろう。  
ゆっくりと振り返ったわたしの視界に、事の真相が入った。  
ズボンを突き破りそうな勢いでお腹の方に向けそそり立ったユウのペニスが、わたし  
のお尻を突いていたのだ。  
 
「ユ、ユウ…」  
思わず赤面してしまうわたし。  
たとえそれが、既に幾度も、前から後ろからわたしを貫いたものではあっても。  
ズボンごしにどころか何度も素で見たことがあるものでも。  
こうもあからさまに、その存在を主張されると、何だか恥ずかしくなってしまう。  
そして。  
(ユウ、わたしと密着したから、興奮したの?)  
そう考えると、怒りで熱くなっていた頭が別の感情でより熱くなる。  
 
ダメだ、わたしは弱い…。  
心のどこかで「それはただ単にカナン・ギモスの肉体に欲情しているだけ」という  
冷静な声がしている。  
でもそれをかき消すほどの勢いで「ユウがわたしを欲しがってる」「わたしはユウに  
求められている」「嬉しい」という想いが…。  
なのに、それなのにユウは。  
「カ、カナン、ど、どいてくれないか、こんなところを見られたら…」  
プツンッ!  
ユ、ユウッ!  
あなたって子は、わたしがこんなにまでせつない思いをしてるのに、まだそんなことを  
言うのっ!  
「見られたらどうだっていうの…」  
「え?」  
わたしのそのリアクションを予想していなかったのか、きょとんとした顔になるユウ。  
そんな顔をすると年相応にまだ子供っぽさが残ってて可愛いわ、などと思いつつ、言葉  
をつなげる。  
「わたしはかまわないわよ、ユウは嫌なの?」  
そう、二人の仲を隠すつもりなんてわたしにはない。  
「かまわないって、カナン…そんな趣味が?」  
「え?」  
今度はわたしがきょとんとする番だった。  
 
ユウの言葉の意味をしばらく考えていたわたしは、結論に至る。  
つまりユウが言った「見られたら」というのは、ただこうしてくっついていることでは  
なく、愛し合う姿ってこと…。  
「ち、違うわよ、何考えてるのユウ!大体こんな時にそんなに興奮したりしてっ!」  
恥ずかしさからつい叫んでしまうわたし。  
「いやらしいわっ!」  
「わかった…」  
ついヒステリックになったわたしに、ユウは落ち着いた声をかける。  
「要するにカナンは、俺がカナンの身体だけが目当てだと思ってるんだ」  
ドキッ!  
心の奥で疑ってたことだけど、それを直接ユウに言う勇気はなかったわたし。  
なのに当のユウからそう言われて、一瞬硬直する。  
「…わかったよ、カナンがそう思うなら…」  
何かを決意したような顔のユウ。  
な、なに、何なの?  
まさか…もう終わりにしようって言うの?  
「もう止めようか…」  
そ、そんなユウ…。  
いや、いやよ。  
わたしがユウのこと疑ったから?  
謝る、謝るから、そんなこと言わないでユウ。  
そう言いたいのに、ショックが強すぎて言葉が出ない。  
「あっ」  
ユウが強引に立ち上がろうとして、力が抜けていたわたしはその身体の上から転げ落ち  
そうになる。  
「おっと」  
素早く半身を起こしたユウが、うまくわたしの身体を支えてくれる。  
優しいユウ、でも、この優しさも、もうわたしだけのものじゃなくなるの?  
そんなの嫌だ。  
そう思ったわたしは、ユウの首に腕を回してヒシと抱きついた。  
 
「そんなこと言わないで…」  
多分その時のわたしの顔は泣きそうだっただろう。  
以前のわたしなら、男に捨てられるくらいでここまで取り乱したりしなかった。  
ずっと自分はいらない存在だと思い続けて、諦めの境地のような心境だったから。  
それがユウに求められたことで、誰かに必要とされる心地よさを味わってしまった。  
一度えた物が失われることは悲しみよりもむしろ恐怖を覚える。  
「…でも、嫌なんだろ?」  
嫌だなんて、そんなことあるわけない、ユウのことが嫌いなわけない。  
「ユウのこと、そんな風に思ってなんかいないよ…」  
そう、わたしの身体だけが目当てで、わたしがどんな思いでいるか、何を求めてる  
か、何一つわからない、わかろうともしない。  
そんな男達とユウを、たとえ一瞬でも同じに扱うなんて…。  
今までの不幸によって染み付いてしまったネガティヴな思考、それがせっかく手に  
入れたユウとの絆にひびを入れるなんて…。  
「…お願いだから、そんなこと言わないで…ユウと別れたくない」  
みっともないと思う、自分でもすごくみっともないことしてると思う。  
でもわたしにはそうするしかない。  
こうして抱きついての哀願が通用しなければ土下座してでも、別れを思いとどまって  
くれるように頼むつもりだった…ところが。  
「別れる?何の話?」  
再び攻守逆転と言うか、ユウが意外そうな顔でわたしを見つめる。  
…もしかして、またわたし達の話は食い違ってるの?  
…わたし達って意外と気があわないの?  
一瞬そんなことを考えるけど、とにかくユウに別れる気がないとわかっただけでも、  
わたしは地の底へと落ちていく途中で何かに掴まることが出来たような安堵で大きく  
息をついた。  
だけどすぐに、ユウの意図が知りたくなって聞き出そうとする。  
「じゃあ、止めようって、何を?」  
「何って、カナンの身体が目当てじゃないって証明するって言ったろ?」  
ユウの言葉を理解するのに、わたしは数十秒を要した。  
それってつまり…。  
「もう無理に俺とセックスしなくたっていいよ、カナン」  
 
安堵の思いと、思いもかけない言葉が重なって、力なくユウの首にまわした手をずり  
下ろすわたし。  
ユウはそんなわたしを見つめて言葉を続ける。  
「別に俺はカナンを抱きたいから会ってるわけじゃない、カナンといると安心できる  
からなんだ」  
嬉しい。  
「これからもカナンとはできるだけ一緒にいたい」  
すごく、嬉しい。  
「だから今までどおりカナンのところに行くし、カナンの方からも俺のところへ来て  
ほしい」  
嬉しすぎる、生まれてきて良かったとすら思えるユウの言葉。  
だけど…。  
「だけどカナンが嫌なら、これからはああいうことはナシにしよう」  
…何なの、この感覚は。  
「俺の気持ちが真剣だって伝えたくて、色々としてきたんだけど…ごめんね、カナン  
の気持ちも考えないで…嫌だったのに、俺を喜ばせようと我慢していたんだね…」  
いや、あの、我慢なんてしてなかったけど…。  
「俺ってこういう性格だろ?なかなか人の気持ちって察せなくてさ、カナンがわざわざ  
気持ちよさそうな演技までするから、てっきり喜んでくれてると勘違いしたよ」  
演技じゃない、演技なんかじゃ…  
本当に…本当に気持ちよかったの…最初は恥ずかしかったけど、頭の中が真っ白になる  
くらいに気持ちよくなった。  
ああ、ユウは勘違いしている。  
わたしが嫌だった、というか怖かったのは、ユウがわたしの身体「だけ」が目当てなら  
ということ。  
身体だけが目当てなんて、あまりにも惨め過ぎるから。  
愛してくれているなら、毎晩でも、毎日でも、毎朝でも。  
いつでもどこでも、抱いてくれていい…いや、むしろ抱いて欲しい…。  
ものすごく自分勝手な話だけど、それが正直な気持ち。  
でも、それを言い出すことは出来なかった。  
 
もし今わたしから「これからも抱いてほしい」なんて言い出したら。  
今度は逆にわたしの方が、ユウに抱いてもらいたくて、それだけでユウと一緒にいる  
のだと思われてしまいそうだから。  
だからこのままでいい。  
ユウがしたくないと言うなら、べつにそれでいい。  
わたし達の心さえ繋がっていれば、別に無理に身体を交わさなくても…。  
そう思ったわたしは、ユウの言葉を否定も肯定もせず、黙って彼の胸に顔をうずめた。  
成長期のユウの胸板は日に日に厚くなっていく。  
背だって、一年前はわたしの方が大きかったのに。  
今でも私のほうが大きく見えるけどそれは踵の高さの違いで、いつの間にか素足で並ぶ  
とユウの方が背が高くなっていた。  
わたしが心を預けられる頼れる「巣」が、日一日と大きくなっていく。  
それはわたしの小さな幸せが、日一日と大きくなっていくような感覚。  
(こうしていられるだけで…わたしは幸せ)  
 
甘かった。  
 
それから三日が過ぎた。  
その夜もリクレイマーとしてのワークを終えた私たちは一緒にいた。  
わたしがユウの部屋に泊まる晩。  
いつものようにクインシィやジョナサン、果ては伊佐見夫妻の悪口を言うユウをわたし  
がたしなめたりしているうちに夜は深まり。  
二度三度と欠伸をしていたユウが、気がつくと寝息を立てていた。  
元々ベッドに腰掛けていたので、ちょっと身体を引っ張るだけでちゃんと寝せてあげる  
ことが出来た。  
「おやすみ、ユウ」  
ユウの頬にキスをしたわたしは、そのままユウの隣に身体を横たえる。  
あれから三日、いつもこうやって一緒に寝ていても、わたし達の間には何もない。  
ただ一緒のベッドで朝を迎えられるだけで幸せだったから。  
そう、その時まで。  
身体の奥が熱くなって、寝られないことに気づくまでは。  
 
なんなの、この感覚。  
まるで身体の一部が欠けていて、それを満たそうと悲鳴を上げているかのように。  
(ま、まさか…)  
ある疑念がわたしの心の中に湧き上がる。  
数日前まで、ユウと一緒の時は必ず身体を重ねていた。  
それがちょっとした悶着から、もうそういうことはしないとユウが宣言して。  
わたしもそれでもいいと思ったけど。  
ほんの数日前までは毎晩、それこそ意識が飛んでしまうくらいに気持ち良くさせて  
もらっていた。  
その快感を身体が覚えているのかも。  
そう思うと、自己嫌悪が全身を走る。  
頭では、ユウと心が通い合ってさえいれば身体の関係なんてなくてもいいと思って  
いた。  
でも、実際には。  
何日もたたないうちに、身体が快感を求めだしている。  
なんて淫蕩な女なの、わたしは…。  
そんなわたしの葛藤など知る筈もなく、静かな寝息を立てているユウをほんの少し  
だけ恨めしく思いながら、彼の横で何とか眠りにつこうとする。  
でも、目をつぶると、今までユウにしてもらったこと、ユウにしてあげたこと。  
二人がして来た事が、頭の中で思い出される。  
顔は赤くなり、身体は火照る。  
こんなことで眠られるわけない…。  
でも、まさか寝ているユウを起こして「抱いて」と言うわけにはいかない。  
誤解とはいえ、わたしの方からそういうことはたくないとユウに言った形になってる  
のに、今更そんなことは出来ない。  
ユウにも呆れられてしまうかもしれない。  
自分から抱いてくれとせがむ様な、ふしだらな女だと…。  
身体の奥で消えない残り火を無視して眠りにつこうという努力は明け方まで続いて、  
結局は無駄に終わった。  
一睡も出来なかった…。  
 
翌日。  
その日も私たち二人はチームを組んでプレート探査に出かけ、任務を終えオルファン  
に帰投した。  
「後で部屋に行くから…」  
グランチャーから降りてすぐに、私の側に寄ったユウが耳元でそう囁くと、スッと身  
を離して消えていく。  
いつもどおりの約束。  
でも、それが今のわたしには嬉しくも恐ろしい。  
昨夜は一睡も出来ず、グランチャーの長距離飛行の時に行きも帰りも寝てしまった程。  
グランチャーがある程度の意志をもって自立する半生命・半機械でなければ、わたしは  
今頃墜落して死ぬか怪我をしていたところだ。  
今晩は昨夜の徹夜のせいで死ぬほど眠いから、何事もなく寝られるとは思うけど。  
もしもまた昨夜のように身体の奥底が燃えるような感覚が襲ってきたら、どうすれば  
いいのか…。  
今度こそ、恥も外聞もなくユウを起こして抱いてくれと哀願してしまうかもしれない。  
そんなことになったら。  
それでユウに軽蔑されたりしたら…。  
どうしようもなく落ち込んだ気分のまま格納庫から出ようとした私の前に。  
「…」  
クインシィが立っていた。  
わたとに鋭い視線を浴びせながら腕を組んで足でコツコツと床を鳴らしている。  
「何か用なの?」  
わたしの問いに答えず、黙ってこちらを睨む。  
「用がないなら」  
そう言って横をすり抜けると。  
「随分と仲良しだな」  
クインシィが私の背後に声を浴びせる。  
「?」  
「リクレイマーの任務をデートのつもりでいられては迷惑だ」  
「何それ?プレートが見つからなかったのは仕方ないじゃない、別にサボっていたわけ  
じゃないわ」  
ムッとしたわたしがクインシィを睨み返し、辺りに緊迫した空気が漂った。  
 
クインシィのわたしを見る目には、過剰なまでの敵意がこもっている。  
初めて会った頃から、クインシィには刺々しいところはあった。  
だけどこんなあからさまな悪感情を向けるようになったのは、わたしがユウのパートナー  
になってからだ。  
なんなのあなたは?  
わたしがユウと仲がいいということが、そんなに気に入らないの?  
そこまで弟が憎いの?あなたは?  
姉弟でしょう、どうしてそこまで実の弟を嫌えるの?  
そんな気持ちをこめて彼女を見るうちに。  
不意に睡魔が襲ってきた。  
流石に限界、一晩の徹夜を少しの居眠り程度で補えるほどの体力は私にはない。  
「他に用がないならこれで失礼するわ」  
そう言って立ち去ろうとするわたしの前に、クインシィが立ちはだかる。  
「待て」  
「別に用はないんでしょ?だったら行くわよ、今夜は早く寝たいの」  
「見え透いた言い訳を」  
人が猛烈な睡魔に襲われているのに、言い訳呼ばわり。  
ただでさえ絡まれて気分が悪いのに、流石にこれにはカチンと来て言い返す。  
「嘘じゃないわ、とても眠いのよ、昨夜は眠れなかったから」  
次の瞬間、クインシィは突然目を見開くと。  
「眠れなかっただとぅ!」  
いきなりわたしの襟首を掴む。  
「一晩中眠らないで、何をしていたっ!ユウと何をしていたっ!」  
噛み付くような勢いで食ってかかる。  
面食らって、しばらくは呆然としてしまった。  
だけどすぐに、不快感が心の奥底から湧き上がって来た。  
(何でそんなことをあなたに言う必要があるのよ…)  
クインシィの理不尽さに対する反感、でも、それとは違うもう一つの感情が、  
わたしの中で膨れ上がる。  
 
何をしていたかなんてクインシィに言う筋合いなんてない。  
だけど仮にそういう義務があったとしても、やっぱり言うことなんてない。  
なにしろ昨夜は何もなかったんだから。  
何もなかったけど寝られなかっただけよ。  
そう、ユウはわたしが横に寝ているだけで満足して、健やかな寝息を立てて  
安眠していたのに。  
わたしは…わたしは身体が火照って眠れなかった。  
何ていやらしい女なの…わたしは…。  
「何を黙ってるッ!」  
クインシィの怒鳴り声が、わたしを自己嫌悪から現実に引き戻す。  
「放して」  
そう言って掴んだ手を振り解いたわたしは今度こそ立ち去ろうとした。  
「何をしていたと聞いているっ!」  
そんなわたしの背中にクインシィの声が浴びせられる。  
あなたには関係ないでしょ、そういおうと思ったのに、何かに突き動かされる  
かのように振り向いたわたしは言った。  
「好きあっている者同士が一晩一緒に居たのよ、決まってるじゃない」  
なぜそんなことを言ったのか。  
あなたがどんなにユウを嫌おうと、わたしはユウの味方よ。  
そうクインシィに宣言したかったのかもしれない。  
あるいは誰でもいいから自慢したかったのかもしれない。  
ユウという「巣」を見つけたことを。  
とにかくその時の自分がどういう顔をしていたのかはわからない。  
わかっているのはその言葉を聞いたクインシィが過剰に反応したこと。  
パシッ。  
彼女の右掌が、わたしの左頬に乾いた音を立てた。  
わたし、叩かれたの?  
眠くて感覚が鈍っているのに神経が昂ぶりアドレナリンが分泌しているという  
最悪のコンディションが幸いして、ほとんど痛みは感じない。  
それでもいきなり叩かれたことで、わたしはまたも呆然としてしまった。  
 
襟首を掴まれた時と同じく、しばしの空白の後で、強い感情がわき上がって  
来た。  
大して痛くなかったとはいえ、いきなり殴るなんて!  
思わず叩き返してやろうとしたわたしを仰天させたのは、クインシィの様子。  
唇を噛み締めてぶるぶると震えながら、信じられないことに目に涙をためて  
いる。  
な、何、なんなのあなた。  
泣きたいのはいきなり因縁つけられて叩かれたわたしの方だって言うのに。  
おかしいわよっ、クインシィ!  
ただそのクインシィの異常さに気がそれたおかげで、少し冷静さを取り戻した  
わたしは、わたしより大分背の低い彼女を上から見下ろすようにして迫る。  
「何のつもり?わたしはあなたに叩かれるような覚えはないんだけど?」  
「覚えがないだとっ!」  
涙声で言い返して来る。  
「よくもぬけぬけとユウと、ユウを、ユウ…」  
「ユウ?ユウがどうだって言うの?あなたか弟を嫌うのは勝手だけど、それが  
わたしと何の関係があるの?」  
そう問いかけても。  
「ユウ…」  
クインシィは何かブツブツと呟くだけ。  
そして。  
「…わたしは、何を怒っている?」  
急に我に帰ったような顔と声で、間の抜けた言葉を口にするクインシィ。  
はぁ?  
怒、怒、怒、怒、怒。  
自分でもわけもわからずに人を叩いたの、この女は。  
「…なんでお前にくってかかった、わたしは…」  
「知るかッ!」  
思わず怒鳴りつけてしまうわたしだった。  
 
「あなたね、人に文句言って、しまいには手を上げて、何でなのかわからないだ  
なんて、正気?それともふざけてるの?」  
「自分でもよくわからないんだ…すまない…」  
クインシィが人に謝るなんて珍しい。  
それだけ混乱してるってことだろうけど、ハタから見ればコントのよう。  
叩かれた当事者じゃなければ大笑いしてるわよ。  
あまりのボケに高まった怒りの感情も一気に薄れ、ただただバカバカしくなった  
わたしは  
「今日は大目に見るけど、今度はわたしもやり返すからね」  
そう言い捨ててその場を立ち去った。  
 
ああ、おバカさんのカナン・ギモス。  
あの時彼女が何を怒っていたのか、どうしてそれを自分でもわからなかったのか。  
よく考えればわかることだったのに。  
でもその時のわたしは生まれてはじめての「幸せな恋」に浮かれて盲目状態だった。  
 
今夜もユウが来る。  
それはわかっていたけど、この眠気には耐えられない。  
もし寝ていても、彼も疲れて寝ているんだなと思ってくれるだろう。  
わたしの隣で一緒に寝ているだけで満足してくれるんだから。  
黙って隣に寝て、朝目を覚ませば隣にいてくれる。  
そう思ってわたしは眠りについた。  
 
翌朝、わたしの寝起きは快適だった。  
深い眠りで、きっと夢すら見なかったのでは。  
そう、目覚めは良かった。  
隣で寝ていてくれると思っていたユウがいなかったことを除いては。  
それでも先に起きて、自分の部屋に戻ったんだろうと漠然と思って、大して気にも  
しなかった。  
身づくろいを終えて、グランチャー乗りの詰め所に行き、ユウと顔を会わせるまでは。  
 
「おはよう、ユウ」  
あまりベタベタとはせず、それでいて変に他人行儀でもない。  
プライベートで深い関係になってからも、日頃ユウに対してはずっとそういう態度で  
いたわたしは、ごく自然な感じで朝の挨拶をした。  
そして、妙な違和感を感じた。  
ユウはすぐに返事をせず、わたしの様子を伺うような目つきをした後。  
ようやく「おはよう」と返事をした。  
それは時間にして一秒にも満たない間だったけど、その妙な間が気になる。  
そしてユウの表情も。  
 
わたしがそうしているのと同様、ユウも日頃人目があるところではわたしに対しては  
自然体だ。  
二人きりの時のように優しいわけではないけれど、いつもいつも甘い時間を過ごせる  
わけもないし、そんな贅沢をいう気もない。  
でも…。  
ユウのその時の反応は明らかに変だった。  
二人きりの時しか見せてくれない筈の笑顔を浮かべている。  
それも、あからさまな作り笑顔を。  
本当のユウの笑顔はもっと自然で、もっとさわやか。  
こんな見るからに上辺だけって感じの笑い方なんかしない。  
 
「良く眠れたかい?」  
小さな疑問が胸の中にわいていたわたしに、ユウは続けて声をかける。  
サーッ。  
背筋に悪寒が走る。  
ここのところ、ユウの存在はわたしの心の支えだと言っても、間違いはないどころか  
言い足りないくらいだった。  
当然ユウの声を聞くだけで心が温かくなった、それなのに…。  
恐らくは深い関係になる以前も含めて、初めてユウの声に嫌悪感を感じる。  
ユウ、何なの、そのまるでご機嫌をとるかのような猫撫で声は…。  
 

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