ユウに抱いたさまざまな負の感情を押し殺し、とりあえずグランチャーとしての任務に  
つくわたし。  
幸い、今日はユウと離れての単独行動だった。  
帰投後に、またユウと顔をあわせるまで考える時間があった。  
 
任務もそこそこにして、わたしはグランチャーで海の上を自由旋回しながらとりとめも  
ない思考にふける。  
あの作り笑いが、猫撫で声が、脳裏にこびりついて離れない。  
ユウの滅多に他人には見せない笑顔や、わたしに対してだけかけてくれる優しい声を思い  
浮べると心も身体も熱くなるけど。  
同じユウの顔なのにあの顔を思い出すと虫唾が走る。  
同じユウの声なのにあの声を思い出すと寒気がする。  
(ユウ…あなたまさか…)  
わたしの中にある疑惑が大きくなっていく。  
(そんな…ユウに限ってそんなことは…でも…)  
ユウを含めて何人かの男と付き合った経験のあるわたしだけど、男性心理というものは  
未だ完全に理解しているとは言えない。  
どうしても、マスメデイアで見聞きしたり、伝聞による情報に頼らざるを得ない。  
今朝のユウの様子は、明らかにある場合の男性の行動パターンの類型として伝えられる  
物にしか見えなかった。  
何度考え直しても、そのパターンに当てはまる。  
いわく。  
「男は浮気をすると、それを隠したくて無意識のうちに不自然に優しくなる」  
そう、あのユウの態度は明らかに「不自然な優しさ」だった。  
もちろん二人きりの時のユウは本当に優しい。  
だからこそ、その本当に優しさを知っているだけに、あんな上辺だけの態度なんて簡単  
に見破れる…。  
(ユウッ…)  
気がつくとわたしは、ミシミシと奥歯の軋む音がするほど歯を強く噛み締めていた。  
 
初めて感じる、身の置き場もない焦燥感と、やり場のない怒り。  
これは…嫉妬だ…。  
それに気づいたわたしは軽い自己嫌悪に襲われる。  
ユウが浮気をしていると決まったわけではないのに、先走っていることもそうだけれど。  
嫉妬を感じること自体に、自分がイヤな女になったような感覚を覚える。  
ユウと初めて男女の関係になった時に、わたしは誓ったのだ。  
これを理由に彼を束縛したりはしないと。  
身体の関係が出来たからと言って、それを理由にして相手に何かを求めたりするのでは、  
たとえ金品を要求しなくても娼婦と変わらないから。  
 
わたしは別にそういう商売の女達を軽蔑しているわけではない。  
彼女達に感じるのは憐憫、それも自己憐憫に近い。  
何故ならもしもグランチャーとして見いだされることがなければ、一定の年齢に達したと  
同時に扶養者のいない子供として国家から最低限保証されていた庇護を失っていたわたし  
は、遅かれ早かれそうした道に落ちていくしかなかったから。  
まるでわたしの母のように。  
そうしてわたしも母と同じく、父親のわからない、誰にも愛されない子を産む。  
そんな悲劇の連鎖を思わせて…。  
 
だからこそわたしは、ユウを束縛したりしたくなかった。  
ユウの気持ちが離れたなら、笑顔で別れてそれからもいい友達でいようと。  
でも結局、それは本当に好きでもない男達に幾度も身体を開いてしまった自分を卑下する  
感情から来た一種の開き直りと、捨てられた時に傷つきたくないという思いからの強がり  
だったし、ユウへの気持ちもまだ中途半端だったのだ。  
本当にユウが好きになった今、そんな開き直りも強がりも消え失せた。  
ユウを束縛しない?笑顔で別れて、いいお友達に?  
冗談じゃない、絶対にイヤ!  
それが今の偽らざる気持ち。  
ただただまだ見ぬ、そして本当にいるかどうかもわからない、ユウの浮気相手への怒りが  
募っていた。  
 
その日の晩。  
昨夜の熟睡と、昂ぶった神経の相乗効果で再び一睡も出来ない気のする夜。  
ユウは何事もないかのようにわたしの部屋にやって来た。  
だけどやはり、その態度はあからさまにおかしい。  
不自然な笑顔に、こちらの様子を伺うような目つき。  
スッ。  
いきなりユウが何かを差し出す。  
白と桃色が渦を巻いた、綺麗な模様の貝殻だった。  
「これ、グランチャーに引っかかってたんだ、綺麗だなと思ってカナンに」  
そうユウが言う。  
わたしは二つの異なる感情で涙が出そうになる。  
一つはただの貝殻とはいえプレゼントをもらった嬉しさ。  
もう一つはあからさまに物で機嫌をとって誤魔化そうとするユウへの悲しみ。  
「あ、ありがとう、綺麗ね、これ」  
嬉しさを総動員して悲しみを封じ込め、どうにか表情を作る。  
そして高鳴る胸を抑えて、わたしはさりげなく聞く。  
「昨夜はごめんなさいね」  
「ああ、構わないよ、疲れて眠ってしまう夜もあるだろうから」  
ユウは一応、昨夜もここに来てはくれたようだ。  
ではわたしが熟睡して起きないのに業を煮やして、どこか別の女のところへ  
行ったんだろうか。  
それともわたしが起きないのをむしろ好都合と思って…。  
慌ててかぶりを振る。  
悪い方へ、悪い方へと思考が進みそうになるのを何とか堪えてユウに微笑み  
かける。  
わたしはユウを信じる。  
浮気をしているかもしれないけど、それでもわたしはユウが好きだし。  
ユウだってわたしを…。  
 
ユウを信じるんだという表層心理とは裏腹に、深層心理では疑心暗鬼の種がつい  
に芽を吹き、嫉妬を養分に急速に成長しだしたことを。  
その時のわたしはまだ気づいてなかった。  
 
表情も口調も不自然なユウだけど、夜が更けて来るといつものようにわたしの  
ベッドに上って眠りに就く。  
「明日も早いし、もう寝るよ、おやすみカナン」  
「おやすみなさい…ユウ…」  
平静を装ってそう言うと、わたしは頃合を見計らって寝息を立てる。  
そう、寝たふり。  
もしもわたしが本当に寝たんだと思って、ユウがここから立ち去ったりしよう  
としたら…。  
その時はわたしは…わたしはどうすれば…。  
思い悩みつつも、必死に高鳴る心音を抑えつけて寝息を立て続ける。  
そんな状態がしばらく続いた後で。  
不意にわたしは我に返る…。  
(なんてさもしい真似してるのかしら、わたし…)  
寝たふりをしてユウを試そうだなんて…。  
自分が度外れて嫉妬深く卑しい女に思えて、自己嫌悪に襲われる。  
でも偽りの寝息を立てるのは止められない。  
ユウが浮気をしているかもしれないと思うと、どんなに卑しい真似なんだと頭  
でわかってはいても、おいそれと止めるわけにもいかない。  
そしてそれが、なおさら自己嫌悪を増進させていく。  
(最低の女だ…わたし…こんなんじゃユウに捨てられても文句いえない…でも、  
でもやっぱりユウを取られるのはイヤだ…)  
やがて。  
ユウが静かな寝息を立て始めた。  
(…ユウ…疑ったりしてごめんなさい…)  
その微かな呼気を耳にしたわたしは、彼を疑ったことを後悔すると共に愛しさ  
がこみ上げてきた。  
(もう疑ったりしない、ユウを信じる、信じるから許して)  
そう心の中で誓う。  
ユウのぬくもりを、くっついている左半身から感じながら。  
そして安堵の思いから、急速に眠気を催しはじめた。  
 
「本当に、ユウはあなたを愛してると思ってるの?」  
誰?  
「彼が浮気をしてないなんて、簡単に決めてしまっていいの?」  
誰なの?何を言ってるの?  
「こんなに簡単に彼を信じるなんて、大概なお人よしね」  
誰かがわたしに語りかけている。  
(彼は浮気なんてしてない、わたしの考えすぎだったのよ!)  
よくわからないけど、わたしとユウのことを悪し様に言われて腹が立ち、  
状況もよくわからないままに言い返す。  
「何でそんなことがわかるの?」  
(現に彼はわたしと一緒にいるわ)  
「おめでたいわね、昨日の今日だから警戒しているだけかもしれないのに」  
(?)  
「あなたが寝たふりをしていることに気づいて、自分も寝たふりをしたの  
かもしれないのに」  
(そ、それは…)  
「恋って盲目よね、そんな簡単なことにも気づかないなんて」  
(でも…それでも…たとえ万が一浮気していたとしても…ユウはわたしを  
愛してくれている)  
「どうしてそんなことが言い切れるの?」  
(…だって…だって…)  
確かに何の確証もないこと。  
だけどユウが信じられなくなったら、わたしはもう何も信じられなくなる。  
だから彼を信じるしかない、信じるしか…ないんだ…。  
「そう思っているのはあなだけじゃないの?」  
そんなわたしに、謎の声はさらに続けてを放つ。  
誰の声かは思い出せないのに、どこかで聞いたことのあるその声が  
 
暗闇の中、わたしは寝そべっていた。  
意識はしっかりとしているけど、手足、いや指一本動かせない。  
そんなわたしの上から、まるで枕元に立っているかのように声は降りる。  
「そもそもユウが誰かと浮気をしているっていうのが間違いなのかもとは  
思わないの?」  
{?)  
意味がわからない。  
この「声」はユウが浮気をしていると決め付けているのではないの?  
そんなわたしの疑問を察知したかのように、声は続いて降りてくる。  
「あら、わからなかった、つまなりこういうことよ、ユウは誰かと浮気を  
しているんじゃない、あなたと浮気をしてるのかも」  
(え?)  
な、何?何を言ってるの、ま、まさか…。  
「つまり、他に本命がいる、あなたは浮気相手、ただの遊び相手、ただの  
玩…」  
(やめてっ!)  
金縛りのようになっていた身体が怒りで解け、闇の中にいる声の主を掴んで  
引き寄せる。  
(!)  
わたしを見下ろして嘲笑っているその顔は、わたし自身の顔だった。  
「その証拠に、今ユウはどこにいるのかしらね」  
掴んだ手を力なく放したわたしは、隣に寝ているはずのユウを手で探るがそこ  
には誰もいない。  
(ユウッ!)  
 
絶叫して跳ね起きたのは、同じ闇の中。  
ただ真っ暗闇ではなくあちらこちらから薄明かりが洩れていて。  
隣にはユウがいて温もりをわたしに与え続けてくれている。  
「…ううっ…ユウッ」  
恐怖と心痛から開放されたわたしはユウの胸に顔をうずめて大声で泣いて  
しまった。  
 
ようやく泣き止んだわたしは、ユウの胸に顔を置いたままで考える。  
酷い夢だった。  
いや、あれはただの夢じゃない。  
あれはわたしだった。  
とても嫌な、考えたくもないことをわたしに言っていたのはわたし自身だった。  
たぶん、全てはわたし自身の深層心理の現れ。  
わたしはまだ心のどこかでユウのことを疑ってる…  
それも今までよりずっと、もっと悪い方へ。  
そう、あくまでわたしという相手がいながら他の女と浮気している、というのが  
今までの認識。  
ところが新たに、わたしのことそれ自体が浮気で、誰か他に本命がいるのではと  
いう恐ろしい疑惑が心の中で湧き上がってしまった。  
信じたくない…でも考えてみればユウの口からわたしのことを恋人として認める  
ような言葉は聞いていない。  
「一緒にいたい」とか「側にいると安心する」と言ってくれた。  
普通に解釈すればそれは公私共にパートナーであると認めてくれたということで  
それはつまり恋人同士であると言ってもおかしくないかもしれない。  
あのユウの言葉が嘘だとは思えない。  
ううん、絶対に嘘じゃない。  
もしユウが本当はとても酷い嘘つきで、わたしに嘘ばかり言ってたんだとしても、  
あの言葉だけは嘘ではないと胸を張って言える。  
そういう嘘を男がつくのは、女から何かを奪うため。  
富める物から物や地位を得るために。  
わたしのように何も持っていない女でも、身体を奪うためにそんな嘘をつくことは  
ありえる。  
だけど今のユウは、わたしの身体目当てなんかじゃない。  
一緒に添い寝するためだけに、こうして毎晩来てくれるんだから。  
 
ユウがわたしのところにいることに、何の企みも他意もないのはたしか。  
言葉どおり、わたしという存在そのものを大切に思ってくれている。  
でも…。  
疑惑の種を胸の奥に埋め込まれてしまったわたしには、その言葉を信じること=  
ユウを信じること、という風には単純にはいかない。  
そう、ユウは私と一緒にいてくれる。  
わたしといると心やすらいでいられる。  
でも、そういう相手がわたし一人だなんて、いままで一度だって言ってなかった…。  
「ユウ…」  
暗くてよく見えないユウの顔を、指でそっと撫でてみる。  
こうして一緒に過ごす相手がわたしだけじゃないかもしれない。  
そう思うだけで、気がどうにかなってしまいそうなほどの嫉妬心に身が焦がされる  
思いをする。  
どうしてなのユウ。  
わたしを嫌いになったわけじゃないなら、どうして他の女のところに…。  
そう考えたわたしは、ふと恐ろしい考えに思い当たった。  
「まさか…」  
そうまだ少年と言ってもいい歳なのにユウは凄い。  
精力が。  
そんなユウが、わたしの「拒絶」を機にスッパリと性欲を断つなんてことがあるはず  
がない。  
ああ、わたしはバカだ  
なんでこんな簡単なことに今まで気づいていなかったんだろう。  
勘違いとはいえ、わたしから行為を拒絶されたユウがたまりにたまった性欲を他の女  
相手に吐き出すなんて、心情的には許せなくても、実際問題として十二分にありうる  
話だったのに。  
肉体関係無しでも成立する純愛なんだと浮かれていたわたしは、その盲点からずっと  
目を逸らして、ううん、盲点の存在にすら気づいてなかった。  
 
はじめて夜を一緒にすごしてから、次にユウに抱かれるまで。  
一週間近くの間があった。  
その間、ユウはわたしとのセックスをせがむ様な素振りすら見せず、二回目以降は自然  
に雰囲気が盛り上がってという感じだった。  
精力を持て余しがちな年頃なのにユウはそんなに飢えてはいないと思った。  
だけどある夜。  
わたしのお尻をユウが責め抜いて、今までに感じたことのない快感に幸福の絶頂の中で  
失神した夜から、ほんの一週間足らず前のあの空き部屋での悶着の日まで。  
わたしは毎晩ユウに抱かれていた。  
心情的にはむしろ抱いてもらっていたと言った方がいいけれど、とにかくその度に全身  
が燃えるような快感を与えてもらい、その一方でこのまま死んでしまうのではと思う事  
もあった。  
ユウの責めがあまりにも激しくて。  
身体が繋がったまま、失神したことも一度や二度じゃない。  
そして、いっそこのまま死んでしまってもいいとすら思った。  
好きな男に抱かれながら、快感と幸福感の中で死ねるなんて本望だと…。  
 
…それはともかくとして、そんな精力絶倫のユウが、勘違いでわたしがそういうことを  
嫌がってると思い込んだとはいえ、スッパリと抱いてくれなくなった。  
今まではそれをおかしいとも思わなかったけど。  
考えてみればたとえ心で自制したとしても、持て余した精力を一体どうしているのか…。  
自分で処理しているのか…。  
ユウにそんなことろをさせるくらいなら、あの時のことは誤解だと素直に話して元通りに  
なってもいいのだけれど。  
冷静に考えれば、誰か他の相手にそれを向けていると考えるのがむしろ普通だった。  
今までそれを考えなかったのは、ユウとの関係に安寧しきっていたわたしの自惚れ。  
 
暗闇の中で、ユウの身体に身を寄せながら、わたしはこれからどうすればいいのか途方に  
暮れる。  
いくら疑いを持ったとはいえ、流石にストレートに面と向かって「浮気しているの?」と  
聞く勇気は私にはない。  
何度も抱き合った仲とはいえ「性欲はどう解消してるの?」なんて恥ずかしくて聞けない。  
そもそも誤解とはいえのわたし方からセックスを断ってる形になってるのに、そんなこと  
が聞ける立場ではないし。  
どうしたものか思案していた時。  
「カナン…」  
寝ていたと思ったユウが、不意に声を出す。  
もしその時、わたしが普通の状態だったら素直に「どうしたの?」と返事をしただろう。  
だけどその時、重すぎる命題に心を煩悶させてたわたしは咄嗟に返事が出来なかった。  
続いて。  
「カナン…」  
もう一度声をかけてくるユウ。  
今度はわたしを揺り動かす。  
不意の事態に何の反応も出来ないわたし。  
ため息をつくユウ。  
(どうしよう…)  
意図したことではないにせよ、結果として寝たふりをしてしまったことに気づく。  
しかし、ここであの悪魔がわたしに囁く。  
(これは都合がいいわ、このまま寝たふりを続けなさい)  
わたしの心に巣食う、私と同じ顔と声の、疑心暗鬼という名の悪魔が。  
 
(寝たふりをするなんて「あなた」もなかなかやるわね、流石は「わたし」だわ)  
疑念と嫉妬が形を為した、もう一人のわたしの声が心の中で響く。  
そんなこと、わたしは別に寝たふりするつもりなんて…ハッ!  
(嘘ばっかり、ユウの浮気が気になって仕方が無かったくせに)  
そんな否定を「彼女」は嘲笑う。  
そうだった、思いだしてしまった。  
今夜、寝付いたばかりの時には、ユウがどういう行動をするのかが気になって寝たふり  
をしたことを…。  
その後、ユウが静かに寝息を立てはじめたので、そんな自分のさもしさに自己嫌悪に陥り  
ほんの数時間のことなのに記憶の奥底に封印していたけれど。  
(まあいいわ、このまま寝たふりして、ユウが立ち去ったら後をつけなさい、きっとユウは  
どこか別の女のところに行くわ)  
そんな、そんなことないっ  
(ふふっ、いくら心の中でもそんなに騒ぐとユウに気づかれるわよ、それに答えはすぐでる  
から)  
そうだ。  
このまま寝息を立てていれば、ユウは何らかの行動をとる。  
そう思い、高鳴る心音を必死に抑え。  
グランチャーとしての訓練の一環としてマスターした、意図的な副交感神経の開放により  
全身の筋肉を適度に弛緩させる。  
これで意識はあっても、寝ている時のような自然な力の抜け具合を再現できる。  
身体は弛緩させ、逆に心は極度に緊迫した状態のわたし。  
スッ  
ビクッ。  
一瞬、声が出そうに、そして跳ね上がりそうになる。  
不意にユウの手が身体に触れて。  
それもお尻に。  
 
さっきユウの胸に顔を埋めていたため、そのまま寝たふりをしてしまった今わたしはユウの  
身体の上にうつ伏せに上半身を乗せている。  
逆を言えばユウに下から抱かれているような状態。  
ユウの下から伸ばして手が、わたしのお尻の上を這う。  
(………)  
呆然としてしまうわたし。  
触っているのがユウの手だから不快感は無い。  
ただあまりにも予想外のユウの行動に、一瞬頭の中が空白になってしまう。  
そして次の瞬間、思わず声を漏らしそうになって何とか堪える。  
撫でられる感触そのものも、確かに感じてしまうものだった。  
その上に数日前まで毎晩味わっていた快感が、身体の奥から呼び覚まされる。  
こうしてさんざんお尻を撫で回した後で、後ろから突き上げるのがユウは好きだった。  
わ、わたしは別に後ろからがいいというわけではなく、別にどういう体勢でも構わずに、ただ  
ただユウに身を任せていた。  
とにかく忘れられない感触に身体が反応し、ここ数日の飢えか一気に呼び覚まされてしまった  
形になった。  
少しでも気を抜くと、ユウの手の動きに合わせてお尻を振ってしまいそうになる。  
まさかこんなことになるなんて、どうすればいいんだろう…。  
こんなことされてまだ寝たふりを続けるなんて不自然なような気もするし。  
かと言ってここで目を覚ますのはとても気まずい。  
そんな葛藤の渦中にいたわたしに、ユウは決定的なことをした。  
ムニッ。  
空いたほうの掌が、わたしの下着をつけていない胸をシャツの上から掴んだのだ。  
もうダメ。  
これ以上の寝たふりは不自然にも程があるし、何よりわたし自身が耐え切れずに喘ぎ声を漏らす  
のも時間の問題だ。  
せめて寝たふりをしていたのがバレないようにと、わたしはくぐもった声をあげた。  
今胸を掴まれて、初めて目を覚ましたかのように。  
 
「カナン…気づいちゃった…」  
ユウが喉の奥から搾り出すような声を出す。  
「当たりまえだよな、こんなことして気づかないはずないか…」  
暗くて顔は見えないけど、何だかとても辛そうな声。  
もしかして、わたしの寝たふりに気づいて、自分が疑われていたと知って  
ガッカリしているの?  
もしそうなら…。  
冷や汗を流しつつ、枕元の照明スイッチを入れる。  
「どうしたのユ…」  
ユウの姿を見てわたしは声を失った。  
いつの間にか彼は、寝巻き代わりにしているスウェットスーツのパンツと  
トランクスを脱ぎ捨て、下半身を露にしていた。  
そして、股間のペニスがはちきれんばかりに膨張していた。  
誤解からもうセックスはしないとユウが告げて以来。  
ずっと一緒に寝てはいても、お互いに服を着たままなので目にするのは本当  
に久しぶり。  
毎晩彼に抱かれていた時なら別に驚くことでもないけど、まさか今夜は予想  
もしていなかった姿。  
そして視線を上げると。  
声から推察したとおり、ユウは頭を垂れてガックリと落ち込んでいた。  
「驚かないの?」  
消え入りそうな声でわたしに聞くユウ。  
「え、あ、あの…」  
もちろん驚いている。  
驚きすぎて言葉も出ないのが正直なところ。  
何と言えばいいのか逡巡していると、ユウはさらに鬱の入った声で。  
「やっぱり、本当は起きてたんだね、昨夜も…」  
そう告げた。  
 
ほんの数分前なら、寝たふりのことをユウに知られたら居たたまれない  
気分になっただろう。  
でも今、悄然としているのはユウの方。  
ユウは誤解している。  
わたしが寝たふりをしていたのは今夜だけ。  
昨夜は本当に眠くて、グッスリと眠っていたのに。  
ようやく今朝からのユウの不自然な態度の理由がわかった。  
どうやらユウは昨夜のこともわたしに知られているのかどうか探りをいれて  
いたようね。  
それは違うと告げようとしてわたしははたと思いとどまる。  
ユウに嘘を言うのは気がひけるけど、彼が勝手に勘違いしてくれるのなら話  
は別だから。  
うまく話をあわせれば、わたしに黙っていたことを話してくれるかもしれない  
そう、昨夜何があったのか。  
話は見えないけど、単純な浮気とかじゃないみたい。  
「話してみて」  
動揺を隠すように、務めて冷静な声で言った。  
昨夜本当に寝ていたか否かは否定も肯定もせず、自発的告白を促す。  
すると。  
「カナン…そんな…あんまりだよ…」  
あんまり?  
話せって言っただけなのに、何でそんな辛そうな、哀願するような目でわたし  
を見るのユウ?  
「確かに俺はとても恥ずかしいことをしたよ、だけどそれを自分の口から言わ  
せるなんてあんまりだ…」  
パシンッ!  
その言葉を聞いた瞬間、わたしの掌はユウの頬へと吸い込まれるように伸びて  
いた。  
 
やってしまった。  
ユウに手を上げてしまった。  
心のどこかで後悔する気持ちはあった。  
でもその後悔を押しつぶす勢いで、怒りが渦巻く。  
「甘えないでっ!自分のしたことでしょ!」  
わたしの怒りは瞬間沸騰し、しかもその高温を維持していた。  
彼の口から出た「恥ずかしいことをした」という言葉を、脊髄反射でイコール  
浮気と解釈したから。  
もう我慢なんてしない。  
わたしの全てはもうユウのものなんだから、ユウだってわたしのもの。  
浮気なんて許せない。  
そう、わたしは「都合のいい女」じゃない。  
「わたしが笑って許してあげるとでも思ったの?」  
ユウのことは好きだけど、だからと言って何をしても許してあげるほど心は広く  
ない。  
ううん、始めはそうしようと、ユウの自由にさせて全てを包みこんであげようと  
思ったけど、やはり感情のある人間にそんなこと無理。  
ユウがわたしといると安らげるなんて嬉しいことを言ってくれたものだからつい  
自惚れてしまったけど。  
所詮わたしは人間の子、天使にはなれない。  
「隠し事なんて許さないから、全部わたしに教えて、どんなことをしたのか」  
ユウがどんな女をどういう風に抱いたか、それを知るのは辛い事かもしれない  
けれど、わたしは現実から目を背けたくなかった。  
不退転の意志をこめてもう一度鋭い眼光でユウを見据える。  
上目使いにわたしを見つつ、口を開くのを躊躇しているユウについつい癇癪玉  
が炸裂する。  
「早く言いなさいっ!」  
「わかったよ…」  
さらにきつく睨みつけると、ユウは消え入りそうな声で言った。  
何故か頬を赤く染めながら。  
 
そのユウの表情は、反省でもなければ遺憾でもない。  
それは明らかに羞恥の表情だった。  
そして口をついて出た言葉は。  
「俺がそんなことを恥ずかしくて言えないのがわかってて無理に言えだなんて、  
…つまり何をしたか、ここでやって見ろって言うんだね…」  
え?  
「寝ている間にあんなことした罰なら仕方ない…恥ずかしいけど、自分のした  
ことだから」  
ユ、ユウ、何を言ってるの?  
理解できないままのわたしを置き去りにして、ユウは次の行動に移った。  
むにっ。  
ユウの右手がおもむろにむたしの胸へと伸び。  
そしてそのまま掴んだ。  
「あっ」  
久しぶりの感触に、思わず声を漏らしたわたし。  
思わずその愛撫に身を委ねてしまいそうななるけど何とか堪え。  
すぐにユウを見やる。  
「ダメよユウ、こんな事で誤魔化そうとしたって…」  
そう釘を刺そうとしたわたしだけど、すぐに絶句してしまった。  
ユウの次の行動を見て。  
たった一週間ほどのブランクだったのに、物凄く久しぶりのように感じる、待望  
とも言うべきユウによる胸への愛撫。  
ユウによって開発された快楽シナプス接続は健在で、わたしの身体は確実に快感  
を覚えている。  
でも、わたしの頭の中は快楽以外のことで占められていた。  
空白によって。  
頭が真っ白になるというのはこんな感覚なのだろうか。  
胸をユウの右手に委ねたままで、わたしの目と心は彼の左手の方に釘付けになって  
いた。  
いきり立った自分自身のモノを握って前後に動かしている左手に…。  
 
アドレナリンが分泌していきりたっていたわたしの頭の中に、冷風が吹き込む。  
まったく予想もしていなかったユウの行動。  
まただ…。  
またいつの間にかわたし達の会話はすれ違っていた。  
わたしはあくまでも浮気を告白させ、反省を促すつもりだったのに、ユウが言い  
淀んでいたのはまったく違うことだった。  
今ユウがしているのは、わたしがぐっすりと熟睡した昨夜にしたことの再現。  
つまり、昨夜もユウはこうしてわたしの身体を片手で愛撫しながら。  
もう片方の手で自分を慰め…。  
「ちょっとユウ、や、やめてっ!」  
ようやく頭の中でミッシング・リンクがつながったところで、一気に今目の前で  
展開されている光景へのリアクションが始まる。  
「嫌っ」  
思わずユウを突き放してしまう。  
ショックだ。  
ユウも男の子だ。  
性欲が溜まれば自分で処理することもあるだろう。  
でもまさか、こんな風に目の前でされるとは。  
「…ごめん…」  
ユウが俯く。  
「…最低だろ…俺…我慢できなくてこんなこと…」  
消え入りそうな弱々しい口調で言う。  
返答に困ってしまうわたし。  
ユウがこんなことをしたのも、わたしが彼が浮気をしていたと疑って全てを  
話せと強要したからなのだから。  
それを口に出すのが恥ずかしくて、ユウは…。  
 
そしてわたしは。  
「ユウのバカ…」  
そう呟いてしまった。  
今さっき目の前でユウがわたしにしたことを思い出して。  
それは昨夜わたしにしたことだという。  
昏睡状態のわたしの服を肌蹴させ、片手で身体を撫で回しながらもう片方の  
手で自分を…。  
考えただけでこっちが恥ずかしくて頭に血が上る。  
それでついつい彼をなじってしまう。  
「何考えてるのよ、嫌いよ」  
心にもないことを口から吐き出してしまう。  
その一方で…心の中にまったく別の感情がわきあがってくるのを抑えきれない  
でいた。  
それは「嬉しい」という感情。  
好きでもない男がまったく同じことをしたならおぞましくて寒気がする。  
でも、相手はユウだ。  
既に何度も身体を許した相手。  
わたしにセックスを断られたと誤解して、たまりにたまった精力を持て余して  
の行為。  
浮気をするでもなく、かと言ってわたしに迫るでもなく。  
やむにやまれずの行為。  
どこまでもわたしの意志を尊重した結果。  
あくまでもわたしだけを性の対象としてくれている。  
それを思うと、本来なら唾棄すべきユウの行為が、とても嬉しく感じられて  
来た。  
けれど、容赦のない不用意な言葉は既にユウに向けて放たれた後だった。  
 
ユウは叱られた子供のような。  
いや捨てられた子犬のような上目使いでわたしを見ている。  
わたしが混乱してつい口走ってしまった罵詈をまともに受け止めてしまったよう  
だわ。  
本当はそんなに怒ってはいない…それは少しは怒っているけど…決して嫌いに  
なんてなってない。  
そう伝えようとして、わたしはふと思いとどまる。  
ここであっさりと許すよりも、少し怒ったふりを続けてみようかな、と。  
いつもいつもわたしをいいように玩具にするユウに反撃するいい機会のように  
思えたから。  
自分でも、現金だなと思う。  
ちょっと前までユウが浮気をしている物と思い込み、捨てられはしまいかと戦々  
恐々としていたくせに。  
ユウがわたし一筋なのだとわかった途端に、彼の気持ちを弄ぶような行為をする  
なんて。  
少し調子に乗りすぎているかもしれない。  
でもわたしは心の内からの欲求には逆らえなかった。  
この時をおいてはユウを年上らしくリードする機会は来ない、ずっと好き勝手に  
いじられ続けるような気がするし。  
彼がわたしを愛してくれるのならそれでもいいけれど、やっぱり時にはわたしの  
方が彼を可愛がってあげたい。  
何よりも今目の前でしょんぼりとしているユウは可愛いから。  
思わず抱きしめてあげたくなるほどに可愛い。  
母性本能というのか、彼を抱きしめ、乳房を口に含ませてあげたいという気持ち  
と同時に。  
もっともっと困らせてあげたい、困ってなきそうな可愛い顔を気持ちがますます  
強くなっていく。  
ああ、親に捨てられて愛に飢えていたわたしにこんな母性が備わっているなんて  
信じられない。  
そしてまた、こんな意地悪な面が自分にあったことも。  
 
そうよ。  
わたしは今まで年下のユウにさんざん玩具にされてきた。  
お尻を高く上げた恥ずかしい格好をさせられて、失神するまで貫かれたり。  
ユウのモノを挿れられたまま、恥ずかしい言葉を言わされたこともあった。  
 
「あっ、あうっ」  
「カナン…」  
「な、何、ゆ、ゆうっ」  
「今、俺達は何をしてるの?」  
喘ぐわたしに突然投げかけられたユウの言葉。  
こんな時に何を?  
快感のせいでそんな疑問もぼやけていると、不意にユウがわたしの秘部へと  
差し込んだモノの抽送を止める。  
「?」  
「言わないと、辞めちゃうよ」  
「え?」  
「だからほら、言ってごらん、今カナンは俺と何をしているの?俺の何を  
どこに入れられてるの?言わないともう辞めるよ」  
 
一度火のついた身体を止められる筈もない。  
わたしはユウに言うがままに、恥ずかしい事を口走った。  
誰も見ても、聞いてもいなかったけれど。  
涙が出るほど恥ずかしかった。  
言葉そのものより、気持ちよくしてもらうためにはどんなことにでも従う  
自分の淫欲が恥ずかしかった。  
もちろんユウのことを恨んだり、憎んだりはしていない。  
ユウの意地悪もわたしを愛してくれていればこそなんだから。  
でも…だったらわたしも同じ  
愛しい、可愛いユウに、たっぷり意地悪して泣き顔にしたい。  
わたしがそうされたように。  
 
 

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