物語を書いた作者と物語を読んだ読者の中にある物語の世界は絶対に同じ形にならない。作者と読者が別の存在で
ある以上それは当然である。物語を書いた作者ですら、時間を置いてから自分の物語を読み返した時に
「あれ、この時はこう考えていたんだっけ。俺も未熟だったなぁ」
等と呟きながら、今ならこう考えるねと違う世界を生み出してしまう事が往々にしてある程だ。
しかも物語が完結しているならともかく、提示された謎や伏線や世界観や存在や物語の収束する方向が何一つとして
解明されていない状態の作品をならば尚更である。
従って、物語が現在進行形で展開されている状態でその世界について語ろうとすれば、それは大概において物語が
今後示される展開とずれていってしまうのは仕方のない事なのだ。
何せ物語がそこまでしか提示されていないのだから。タイムトラベルを題材にした某映画の一作目を見ただけで
三作目では西部劇でドンパチが起こるだなんて誰も予想できないのと一緒だ。
先に言っておこう。もし自分の思い描く物語と違うと憤慨した場合、その文句は原作者と出版社、それとこの物語が
完成されていない時間に存在してしまった今の自分へと向けて欲しい。できれば自分の比重を多めにする事を望む。
そういう訳で、この物語に登場する人物にとってはた迷惑な結果にしかならないであろう、原作者の提示する意図に
とある読者のフィルターを通した、原作とは違ったものになるであろう世界をここに提示する事にする。
くどい様だが文句は原作者と出版社とこの物語が完成されていない時間に存在する今の自分へ向けて言ってほしい。
ちなみにどうしても自分以外に文句を言いたい場合は付属のアンケートはがきか、原作の巻末辺りに書かれている
問い合わせ先へ意見を言うことをお奨めする。
とっとと続編出せ、と。
さて、朝凪巽は日本中を見回せばどこにでもいるような高校生であり、一風変わった家族構成とその結果育まれた
生活サイクルと家事一般の特技を除けば特筆する事が全くない、いわゆる平凡な少年である。
ほんの数日前までは、という前提条件付きとなるが。
その数日前、彼には突然二人の存在を常に連れ立つという特性が本人の意思を無視して付与される事となった。
一人は《妖精[アプリリス]》の津門綾羽紬。通称、綾羽。
もう一人は《科学者[マーガ]》のアンドロイド、形式番号FRF-12TS-X005。通称、猫子。
朝凪巽は彼女たちが《無属[ニヴオース]》と証する、いわゆる普通にして平凡なこの世界にある日本に住む、
何ら一般人と変わりない全く以ってただの人間である。
唯一つ、他の一般人と決定的に違う部分をあげるとするならば。
朝凪巽。彼こそこの物語の主人公である、という事だ。
例え今回殆ど出番が無くても、である。
- * -
巽の幼馴染を利用した《不死人[アーザール]》たちとの戦いを終え、綾羽たちは彼らが住居としている
安アパートへと戻ってきた。
「──おかえり」
襖の向こうから聞こえた声に巽は静かに頷いて返すと、眠たげにしながら裾を握る猫子の頭を撫でる。
「それじゃ綾羽、おやすみ。今日はもう大丈夫だと思うから、綾羽も眠っておいた方がいいよ」
「その判断は私が決める」
相変わらずの無愛想な表情だが、その相変わらずを向けてきてくれる事が巽には嬉しかった。
「そうだね」
それじゃ、と猫子を連れて部屋に入ろうとした時、綾羽は言葉を続けてきた。
「──だがお前は別だ。どんな治療を受けても疲労、特に心労というものは残る。明日以降、またお前は狙われる
事になるだろう。いや今こうして話している間にも新たな襲撃が始まるやも知れん。
無論その時には私がお前の事を守る。だが、いざという時に動けるのと動けないのでは生き残れる確率が大幅に
変わるものだ。だから今日はしっかり休め。それが私からの忠告だ」
綾羽は少々怒ったような、無愛想な表情を浮かべている。だがそんな表情も物騒な言葉も、全て巽を守る為だけに
全力を注いでいる綾羽の強い思いの表れなのだ。
巽は一巳が転校してきて以降、ここ数日で一番の喜びを感じながら頷いた。
「うん。忠告ありがとう、綾羽。君の言うとおりゆっくり休ませてもらうよ」
「そうしろ」
巽が部屋に入るのを確認し、綾羽も自分の部屋へと戻る。二つの布団のうち一つは津波が寝ており、もう一つは
畳まれたままの状態で置かれていた。不眠番を心がける綾羽がこの布団を敷き眠った事は未だ一度も無い。
綾羽は座り込むと少しだけ畳まれた布団に寄りかかる。
「巽のクラス替えはどうする」
津波が布団に潜ったまま聞いてきた。そう言えばそんな約束を交わしていたのだった。
とりあえず鮎川一巳たちにはすみれ台が処置を施した。彼女たちに関してはもう問題無いだろう。
となるとたかがクラス替えとはいえ、巽を新しい場所、新しい集団の中へ移すというリスクの方が大きくなる。
「憂いは解決した。今のままでも構わない」
「じゃあ無しだ。面倒くさい」
話は終わったと言わんばかりに津波がごろりと寝返りを打つ。綾羽も語る事はもう無いので特に気にしない。
ふうと溜息を吐き少しだけ布団に寄りかかる。と、一気に睡魔と疲労が襲い掛かってきた。その不意打ちに綾羽の
意識はあっさりと屈し、まどろみの世界へと舟をこぎ始めだして行った。
- * -
空も大地も無い、青と紺と紫とその他青系統の絵の具を一箇所にだして水も付けずにかき混ぜたかのような、そんな
青いマーブル模様が支配する世界。綾羽はそこに一糸纏わぬ姿で立っていた。
だが綾羽は自分が何故裸でいるのかなど歯牙にもかけない。まるで自分の姿が当然であるかのように綾羽は捉えていた。
《……ぉぉ……よぉぉ……》
闇の中からかすかな声が聞こえる。不快と快感が入り混じった汚らわしき混沌、それが声への感想だった。
警戒を払いつつ声が響いてくる闇を見つめるが、その声が何なのか、何処から聞こえてくるのかはさっぱりわからない。
仕方無しに一歩踏み出そうとし、しかし自分は闇に突撃するより大事な使命があるではないかと考え足を止めた。
巽。
(そうだ……朝凪巽。わたしの使命は彼の事を全身全霊全力を以って守る事だ。闇と戦う事ではない)
綾羽は周囲を見回し巽を探す。そもそもここはいったい何処なのだ。
(……まさか《魔術師[ファムルティ]》の呪圏[スペルバウンド]……いや、違う。これは)
これはおそらく。
綾羽がそれに思い至ったと同時に、闇からの声がご丁寧にも答えあわせを行ってきた。
それは記憶の片鱗にも思い出したく無いあの怨霊にも似た、時折自分と同じ姿を垣間見せる黒い液体が放った声。
「……ぉぉそおぉぉぉのとおぉぉりぃぃこれはただのぉ夢なのよおおぉぉぉあなたがぁぁ勝手に見ているだけのおぉぉぉ」
ほんの数時間前に巽を罠に嵌め、綾羽を陵辱し尽くした《不死人》が闇の中で嗤っていた。
「解毒されたみたいだけどおぉぉまだ少しだけ影響が残っていたのねえぇぇぇだからわたしが現れたのよおぉぉぉ」
《不死人》がその黒い液体の身体を一気に伸ばし、綾羽の自由を奪い取る。
「そぉんなふぅぅにぃぃぃ裸体を惜しみなく晒すなんてええぇぇぁああなたもわたしをおぉぉ待っていたのよねぇぇぇええ」
普段ならすぐに否定するところなのに、何故か綾羽は答えない。いや否定するどころか、伸びてくる《不死人》の身体を
受け入れ、あの時のように自分の全身に絡まりつくまで何一つ抵抗らしい抵抗を見せなかった。
(誰も知らぬし誰にも言えぬ、わたし自身の穢れた部分、か)
粘液状の黒い水が、まるで生物の舌が綾羽の身体を余す所無く舐め尽くすかのように、全身を這いずり回る。
黒い水から生える無数の黒い触手が、まるで無数の手で撫で回すかのように、全身を捉え、掴み、揉みしだく。
耳を摘まれ、口を塞がれ、首筋を這われ、脇をくすぐり、指を咥えられ、胸を揉まれ、脇腹を撫でられ、脾肉を擦られ、
そしてその全ての行為が綾羽の最も淫猥で敏感な部分に対し与えられる。
あの時のように、いやあの時以上に身体が蹂躙されていく。
だが綾羽はあの時と違い、反芻された快楽の、その全てを享受する姿勢を見せていた。
- * -
《不死人》の麻薬による後遺症。
すみれ台によって体内の毒素は完全に解毒されたが、その記憶までが消えた訳ではない。
あの甘美で淫靡で背徳な悦楽は、今なお綾羽の思考に強烈に焼きこまれている。
そこで綾羽はあえて快楽を享受した上で、その味わった快楽の濃度を少しずつ薄めていき、身体から忘れさせていく事にした。
時が経てばその甘美な記憶も次第に曖昧となり、やがてただの記憶として処理できる。
強靭な意志で欲求を抑圧すれば精神は疲労し続ける。そうなると疲労した精神はいずれ崩壊をきたす事となるだろう。
欲求をただ抑圧するのでは無く、自分にある欲求を認めた上でその欲求を包むように制御する。
それこそが綾羽の教わった精神制御の方法であった。
そして現在、綾羽は自分の理性と薬の性欲との高度な心理戦を行っている精神状態となっているのだった。
例え傍目には破廉恥な夢を見ながら無意識的に股に自分の手を置いて挟み込み、軽く両足を擦るように動かしつつ、
綾羽らしからぬ吐息と共に小さく悶えつづけるという、何だか思春期特有の青く甘酸っぱい官能状態にしか見えなくても、だ。
- * -
口内は粘液が徘徊し、ゲル上の物体がじっくりと舌を絡めとる。唾液が奪われ、代わりに形容しがたいモノが流れ込む。
胸は脇から円状に揉みあげられ、また撫で下ろされる。時折縦横に挟まれたかと思うと軽く引っ張るよう圧縮してくる。
先端は周囲を撫で回されたり、摘んで転がされたり、根元を挟まれたりと絶えず刺激を与えていた。
指の付け根や尾てい骨、へそといったくぼみにはひも状のゲルが常に流れて擦り上げる。
下腹部に這われていた触手は綾羽の突起を軽くこすり、また吸盤のように吸い付き放すといった動きを繰り返していた。
そして数本の触手はらせん状に纏まると綾羽の前後、その両方に侵入していた。締め付けを無視しある程度挿入されたところで
触手束が先端の絡まりを解きだすと、それぞれの触手が意思を持って蠢きだし、二箇所の体内それぞれで過敏な部分を
時には優しく、また時には激しく、熱と冷気も伴って突いてきた。
(……ばか、な……これは、やりす、ぎ……だ……)
あまりの攻め立てに、綾羽が戸惑いをみせる。それを感じ取ってか《不死人》は更なる攻撃を開始した。
「うふふふふぅぅぅぅいいわねぇいいわよぅその表情おおおぅぅわたしも気分がでるわあああぁぁぁぁあ」
(……う、うあっ……そ、な……いくら精神、御と言っ、ても……これは、変、だ……ああああっ!)
第2ラウンドが開始されたのか、はたまた別の存在からの攻撃か。常人ならあっさり屈しているであろう、予想を遥かに
凌駕する《不死人》の執拗以上な攻め立てに、綾羽は思考が完全に飛びそうになっていた。
(だ、こ、これじゃ……逆効、果……だ、わた、いい、だめ……だ、だ……ああああっ!!)
「あらあらそんな辛い表情みせてええぇぇぇ気持ち良いくせにぃぃぃほらほら見てごらんなさぁいよおおぉぉ」
《不死人》が指し示す先に鏡が現れる。
そこにいた左右対称の自分は、その白い肌を黒い淫欲に支配されながらだらしなく口を開き恍惚の表情を浮かべていた。
(いや……違っ……こんな、はずは……)
「ほぅらほうら折角の晴れ舞台にぃぃ観客も訪れたわよぉおおおおぉぉぉあなたも嬉しいでしょおおおよかったわねぇぇええ」
いつの間にそこにいたのか。鏡の隣にひとつのシルエットがあった。
シルエットは手に携えた銃剣をすっと綾羽の桜色に染まった形の良い胸へと向けてくると、そのまま一歩、また一歩と近づいてきた。
「凄い嬉しそうだね。そんなに気持ち良いのかい、綾羽」
シルエットは綾羽がこの世界に来てから一番聞いて来たであろう、その特徴の無いのが特徴な声を認識した。
そして、その声が誰のものであるかも。
「……ぅぁ、あ、……た、巽……何故……み、見る……見ない……で、くれ……」
「見て欲しくないの? だったら見ないけど」
言われるままに巽は目をつぶる。つぶりながらも、その歩みは止めない。そして隆起する胸の先端に切っ先が触れるかどうかの
部分まで来たところで、巽はまるで見えているかのように足を止めた。
「綾羽。一つだけ聞いていいかな」
あくまで普段どおりの口調。まるで帰り道に夕飯のおかずを尋ねているかのようだ。
「そんな足腰立たないぐらい陵辱されて、身体も心も蹂躙されて。それでも」
目をつぶったままゆっくりと巽が銃剣を振り上げる。そのまま降ろせば銃剣が綾羽の胸をあっさり貫き、死ぬ事になるだろう。
「それでも綾羽は誓えるつもりなの?」
「誓う」
与えられる悦楽に身体は歓喜し、桃色に染まった思考は更なる欲求を追い求めようと思慮する中。
その言葉だけは恐ろしいぐらい冷静に、また一瞬の躊躇も無く口から出ていた。
「わたしは、誓う。……目を開け、巽。そして痴態に溺れ汚れきったこのわたしを見よ」
言われるままに巽は目を開く。巽の瞳には尊厳を無くし色欲に支配された、《不死人》が抽出したモノと自分の出したモノで
半ば透き通ったどろどろの液体にまみれる綾羽の姿が映りこんだ。
「見ての通り、今のわたしは酷いざまだ。誇り高き守護者には到底見えないだろう。
だが、わたしはどのような状態であろうとも、たとえこのような痴態に溺れていようとも」
だが綾羽の全身から発せられる光輝[エルフストリーク]が液体に反射し、朱に染まる綾羽の裸体を幻想的なまでに輝かせる。
濁りきっていた瞳に全身の輝きを灯し、強い意志を呼び起こしながら綾羽は静かに宣言した。
「わたしは、お前を守る」
直後、銃剣が勢い良く振り下ろされた。
綾羽がおぼろげに見た記憶通り、巽の足へと。
「もう大丈夫だよね、綾羽」
「ああ。お前がこれほどの強さを見せているのに、わたしがこの程度に屈していては有限実行ままならぬ」
綾羽が頷くとエルフストリークは更に輝きだし、綾羽に纏わりついていた《不死人》の姿をあっさりと消滅させた。
「わたしは、もう大丈夫だ」
「そう。だったら──」
「だったらそのバカみたいに眩しい光を止めろ」
冷静な言葉と共に顔に衝撃が走る。顔に衝撃を与えた物体に視界の半分を奪われた状態で、綾羽は覚醒した。
物体はゆっくりと綾羽の顔から地面へと転がり落ちる。どう見てもそれは
「……枕?」
「ふむ、止まったか。まるで電灯だな」
言葉に顔を向けると、布団の上で上体を起こした津波が右手を振り下ろしたポーズを取っていた。
「どんなポーズで寝ても構わん。お前が悶え自慰に走るのも結構だ。だが夜中に光るな。わたしの邪魔だ。わかったな」
津波は自分の枕を回収すると布団に置き、再び毛布を被って眠り込んだ。
いつの間に眠ってしまっていたのだろう。しかも《不死人》の精神攻撃の残りカスに翻弄されていたようだ。
全身から汗が流れ、下着は吸収力を大幅に超えた水分に、脾肉に挟み込んでいた両手までもが湿っている状態だった。
(……水浴びをしよう。頭を覚ますにも丁度いい)
今までは猫子が眠っている間に水浴びをするなんて事は絶対無かった。これからだって無い。
だが今は、今だけは全てを洗い流したい気分だった。
この汗を洗い流し気分を入れ替える。それこそ、巽を万全の体制で守る事だとすら思えたからだ。
綾羽は静かに部屋を出る。
襖を閉める直前、綾羽は津波に対し、本当に小さく、自分から頭を下げた。
- * -
「未熟だな」
襖から気配が遠のくのを感じとり、津波は再度身体を起こす。
そのままゆっくりと立ち上がり、壁に寄りかかると誰にとも無く呟いた。
「お前もとっとと処理して寝ろ」
『……』
壁は、何も答えなかった。
- 了 -