「おおー」  
 「すげー」  
 「ヘッポコ丸も見ろよぉ」  
 「い、いらん!」  
 「ほんとは見たいくせにィ我慢は身体に良くないぞ」  
 「そんな言い方じゃダメよ父さんこの子思春期真っ只中なんだから」  
 「二次成長期って難しいな」  
 「うるさい!」  
 「ヤダこの子否定しませんでしたよ」  
 「ムッツリスケベって救いようないわよねェー」  
 背中で天の助と領主パッチがヘッポコ丸をからかって遊んでいる。手に持っているのはどうも女の子があられもない格好をしているグラビア誌のようだ。……どっから拾ってきたんだか。  
 横をちらりと見ると、少し俯いて所在なさそうなショートカットの女の子が田楽マンとなにやらぼそぼそやり取りをしている。  
 聞き耳を立てると“女の子同士”でどうして男の子ってああバカでスケベなのかというようなどっかで聞いた台詞を言っていた。  
 ……どーもビュティは潔癖の嫌いがあるな、とオレは聞かぬ振りをして前を向く。ポクポク歩いている道は真っ直ぐで空は傾いた太陽が夕日に姿を変えようとしていた。  
 「そろそろ日が落ちる。急がんと夕食食べ損ねるぞ」  
 まだガヤガヤやってる後ろの3馬鹿に声を掛けて、抱きかかえている田楽マンごとビュティをひょいと摘み上げ、急に走り出した。  
 「ちょ、ちょっとボーボボ!?」  
 「コラァ抜け駆け反対〜!おい、ボーボボがまた勝手に全員の注文する気だぞ!!」  
 それにいち早く気付いた領主パッチが追いかけてくるのが見えた。足のリーチが何倍も違うのに本気出したオレに敵う訳があるか。みるみるトゲトゲのオレンジ色が小さくなっていく。  
 「うはははははー早いのらー」  
 「今夜の夕食もカレー!絶対カレー!いち早く注文して全員カレー!連帯責任でカレー!」  
 
 「……はぁ、はぁ、はぁ……」  
 「遅かったね」  
 「3日連続でカレーとかやめろよマジで!おれの綺麗なオレンジ色に黄色のマーブルが混じったらどーしてくれんだァ!おおォ!?」  
 「予想通り膜張ってんな」  
 スプーンでカレーをつつく向こう側が透けて見える天の助にビュティが声を掛けた……というか突っ込んだというか。  
 「天の助君ペラペラになってるよ」  
 「こき逃げジェットでぶっ飛ばしてきたからな」  
 「うん分かってる。ヘっくん力尽きてるし」  
 連中が追いついたのは仲間内で一番食べるのが遅い田楽マンが全て平らげてからだった。因みに田楽マンは別に猫舌というわけではない。  
 「ここのカレーはなかなか美味だった。注文しといてやったから早く食べろ」  
 「アタイらだって美味いカレーふーふーしながら食べたかったわよ!どうせなら!」  
 「やめとけパチ美、言ったって無駄だ」  
 薄くなってスプーンが持ちやすくなったのか、天の助が器用にカレーをパクついている。どーでもいいがいっぺん全部かき混ぜてから食うのやめろ。幼児かお前は。  
 「場所もわからん目的地からたっぷり2キロは離れた場所で捨てていきやがって!いっぺんも背中見えなかったぞ!せめてどこかな窓でも落としていきやがれ!」  
 「何でそんなマニアックな道具なの。そもそも体通らないよボーボボじゃ」  
 お前もなんでそんなてんコミでミニドラが1回出しただけの道具の名前と形状覚えてんだよビュティ。  
 テーブルの端っこではヘッポコ丸がまだ息を弾ませてはぁはぁやっている。基礎体力ねーな。まあこの短時間で3人分の質量運ぶだけの出力を実現したんだから見込みがない訳じゃないが。  
 「オレは食べ終わったから先に風呂いってくるぜ」  
 「あ、じゃああたし達もー……て、寝てるー!」  
 さっきからどうも静かだと思ったら田楽マンは椅子に持たれかかって寝息を立てていた。……ほんとにZブロック隊長だったのかこのマスコット。  
 「じゃあ一緒に入ろうぜビュティ」  
 「うんそうだね……って入れるかーっ!!」  
 ハイテンションな乗り突っ込みにビュティの背後で死んでたヘッポコ丸がバッと音を立てて起きた。死ぬほど分かりやすい猫目小僧だなァ。なんでこれでビュティは気付かないんだろう。  
 
 「じゃあ入れるかどうか試してみようゼ☆」  
 「たたた試さなくていーよ!てゆーか領主パッチ君見てないで助けて!」  
 「あはははー良かったわねビュティ、父さんとお風呂入ってらっしゃい」  
 「母さんあたし14歳!もう大人!」  
 「ウフフ、大人ぶっちゃって」  
 「ビュティ最近すっかりハジケぶりが板についたな。」  
 ワルノリしている領主パッチはどっから出したのかおかんカツラをかぶってハンカチなど振っているし、カレーを食う手を休めぬ天の助は冷静にビュティを分析していた。  
 暴れるビュティを小脇に抱えて食堂から出る。ドアを閉めると向こう側から派手な声と皿が割れたり物が落ちたりする音がした。  
 《バカお前!いきなり立つなよ!》  
 《ああっスマン》  
 《……ふっふっふ…いー度胸だなヘッポコ丸…マジでおれ様を胸騒ぎのマーブルに染め上げるとは……》  
 《ま、まて、違う、わざとじゃ》  
 《問答無用だコラァ!》  
 ドシャーン。なんかが重い何かにぶつかった音がした。またなんか壊したなあのバカども。  
 「……あーあ、絶対コレ弁償もんだよ」  
 嫌そーな声を上げてビュティが小脇に抱えられた格好のまま溜息をついた。  
 「子供はそんなこと考えなくていーの」  
 「ふーんだ、あたしもう14歳だもんね、十分大人よ」  
 ぷいっとそっぽを向いてビュティが拗ねる。……こういうとこがしっかりしてるようでまだまだガキだな。オレはなんだかこの子が時折見せるこういう所にほっとする。戦乱の世で無理に大人にならなきゃならないこの子の。  
 「そいつぁ失礼致しましたレディ」  
 そっと床に立たせて恭しく一礼をしてやった。ビュティはきょとんとしている。  
 「ほら、とっとと風呂行くぞ」  
 虚を突いて頭をぐしゃぐしゃと撫でると子猫のような表情をして「やだ、子供扱いしないで!」と言いながらも成すがままだ。……妹が居たらこんな感じかねぇ。  
 
 
 風呂はでかくて、岩風呂で、露天風呂だった。  
 で、目の前の看板にはこう書いてある。  
 『混浴』  
 「……なんつーベタな」  
 飽きれて言葉もない。倍も歳の離れてるお子様の裸見て何が楽しいもんか。……いや、そう歳が離れてない女の人が居たらそれはそれで大問題か。スッパでぼこぼこにされたくない。  
 オレは体洗って頭洗って男湯の領域でだけてきとーにくつろぐことにした。じきにカレーだらけの連中が入ってくるだろう。  
 空を見上げると切り立った崖の上にむかって湯気が立ち上っている。湯気の向こうには銀色の星がランチョンマットみたくに敷き詰められていて、金色のどんぶりよろしく下弦のハーフムーンが光っていた。  
 「……明日はカレーうどんだな」  
 独り満足げにうんうんと頷いていると背中で誰かが湯に入る音がした。  
 「もう来たのか、早かったな」  
 ふっと振り向くと湯煙の向こう側にヘッポコ丸らしき人影が見えたので声を掛けると、ヘッポコ丸は返事をしないままにソサクサと湯から上がろうとしている。  
 「どこいくんだよ」  
 そう声を掛けてもやっぱりヘッポコ丸は返事をしない。  
 ムッとして近づき、手を掴んだ。  
 「えらい細っこい腕だな、ちゃんとメシ食ってんのか。」  
 いっつも首領パッチにイビラレてっからまともに食えねーのか、なんて引っ張ったら。  
 髪の毛をタオルに包んで短髪に見えたビュティが出た。  
 「……あれっ?」  
 「――――――っ!だから逃げようとしてたのに!」  
 流石にビビった。カキーンと凍ったまま身体が、思考が、呼吸が止まる。  
 「もっもう、放してよボーボボ!」  
 「ん、ああ、すまん」  
 ちゃんとバスタオルで体を包んでいるからか、特に叫んだりもせずに顔を赤らめたビュティが咄嗟に掴まれた手首に指を這わせる。  
 
 「ちゃんとバスタオル結んだ?」  
 「ん、ああ」  
 しかしいい度胸してやがる。せっかくだから一緒に浸かろうだとぉ?オレのことなんだと思ってんだこの娘っ子は。  
 「女湯には混浴なんて書いてなかったよ。専用水着“絶対着用のこと”って看板があっただけで」  
 オレにバスタオルを貸して、ビュティは温泉専用水着とやらをお披露目した。通常がヘソ出し半袖なので露出度はいつもより低いだっせぇ水着。それに妙に安心した。何故か。  
 「混浴なんて書いてあったらビュティは入ってきたか?」  
 「入るわけないじゃん」  
 「そういうこった」  
 「……商売って大変なんだね」  
 「こんな時代だしな」  
 二人でぼんやり空を見上げてぼそぼそ囁くように喋っている。三馬鹿はまだ誰もこない。まあこの状況で来られても困るわけだが。向こうが。  
 会話が不意に途切れたので、視線を落とすとビュティがじっとオレの身体を見てた。  
 「ヤダっビュティさんのエッチー!」  
 「……傷、多いね。」  
 指で肩の所にある昔の傷をそっと撫でる彼女の指が細くて、ゆっくりで、オレはなんだか妙な気になる。  
 「男の勲章ってやつ?」  
 「――――――あたしが付けた傷もあるのかな?」  
 へらへらっと笑って話を逸らそうとしても沈んだ表情のビュティは突っ込みさえしない。小さな傷も大きな傷も、一つ一つ確かめるように細い指が辿っていく。  
 「自分のことは自分でしようって決めたのにあたしいっつも守られてばっかり。足引っ張ってばっかり。やんなっちゃう」  
 ふっと指を離して湯船に顔を浸ける。その仕草が痛々しくてオレはやっぱり見ない振りをする。  
 「なんで。それがビュティの役目なのによ」  
 「やだよそんな役目」  
 「いいじゃねえか、守られてて。足引っ張るの上等だぜ」  
 
 「そこんとこ否定しないんだ」  
 「うん。実際人質とか取られるとマジ困るし」  
 「くっ……悪かったわよ」  
 「いや、簡単に人質に取られるオレらが悪いんであってビュティは別に悪かねえだろ。オレはお前さんについて来いとは言ったが自分の身は自分で守れなんて言った覚えねーぞ」  
 オレの言葉にビュティ鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。  
 「だぁから、首領パッチも、天の助も、田楽マンも、ヘッポコ丸も、もちろんオレも、ビュティ守ってナンボなの。守る対象が居てこそなわけ。だから“弱くて自分で戦えないビュティ”が居ないと困るんだよ。  
 ヘッポコ丸の突っ込みはまだまだだからな、ビュティに突っ込まれた方がハジケの破壊力が上がんだ」  
 べらべら当たり前でくだらないことを適当に喋ってたらガラガラ音がしてガラス戸が開いた。いつの間に起きたのか田楽マンもいっしょに4人が風呂に入ってきたらしい。  
 「ぼっ…ボーボボさん!!な、な、なんでここにビュティが!?」  
 ……うるせーのが来た。  
 「おおーでけー。さすが混浴」  
 「やだっビュティあんでアンタだけ水着着てンのよッ!どこにあったのそれ寄越しなさいよう!」  
 「女湯の脱衣所にいっぱいあるから好きなの持ってきなよーっ引っ張らないでーっ!」  
 「うはははーエロコメみたいなシチュエーションなのら」  
 「せんせー!ムッツリ助平のヘッポコ丸くんが鼻血噴いてまーす」  
 「大丈夫かヘッポコ丸、ほら鼻にこれ詰めとけ」  
 「そうそうこれをこーして……ってところてんじゃ血ィ止まんねーよ!!」  
 「ノリ突っ込みなのら。」  
 あーもーうるせぇな。呆れ顔でビュティをみるとイイ顔で笑ってた。オレの視線に気付いたのかちょっとウインクをして人差し指を口元に持っていく。……黙ってろってことらしい。  
 「あーっ!なんだそのアイコンタクト!なによ二人してハレンチな!アタシも混ぜなさいよ!そのエロコメとやらにッ」  
 「ビュティ、ぐいぐい押すのら。こういうちょっと冷めてるタイプの男はガンガン押すと根負けするのら」  
 田楽マン、生々しい的を射た発言は控えるように。  
 6人でわいわいやってたら、ついに血が足りなくなったヘッポコ丸が湯あたりを起こして終了。あーもーたまにはゆっくりさせろって。  
 
 
 簾を通した風を受けてうたた寝しながら、まるで母親が子供を寝かしつけるみたいにビュティがヘッポコ丸をうちわで扇いでいるのを見ていた。窓の外から聞こえる虫の音が瞼を重くするのに、何故か視線が外れない。  
 「おいボーボボ、隣の席の好きな子眺めてる小学生の顔になってんぞ」  
 「……なに言ってんだお前」  
 「自覚ねーのか。救えねえな」  
 首領パッチが珍しくパチ美にならず、からかいもせず、目を閉じたままの囁き声。  
 「ビュティはいい子なのらー。ボーボボは出来ればこれ以上何も背負わせたくないのらー」  
 「うへぇ男前に“ハンカチ詰め合わせセットofぬ”贈呈ー」  
 いつの間に起きていたのか田楽マンと天の助まで口を挟んできた。  
 「それが優しさだと思ってんのか童貞ヤロー」  
 「どどどどどうていちゃうわ!」  
 「キャハハハハハキモーイ!童貞が許されるのは小学生までだよねー」  
 「ボーボボあと3年で魔法使いなのらー」  
 オレのゆるいボケに乗ってきた天の助と田楽マンを首領パッチが無言で睨みつけると、二人はぴたりと口をつぐむ。お前いつもそんな顔してたらカッチョイイのになぁ。  
 「フン、そこまで腰抜けだとは思わなかった。まぁ好きに指くわえて見てなインポ野郎」  
 それだけ囁くとくるりとオレ達から背を向けて肌布団をかぶった首領パッチはそれ以上何も言わない。オレはムッとしてその背に向けて中指などをおっ立ててやる。  
 「首領パッチはバカだから言葉知らないのら。ヘッポコ丸に遅れをとるなと言いたかっただけなのら」  
 「へぇー、お前結構よく見てんなこのこの」  
 「友達付き合いへたくそだから付け焼刃で手習いした能力なのら」  
 へらへら笑いながら照れた様子で田楽マンが後ろ頭を掻いているのを、ニヤニヤ笑いながら天の助が肘でつつく。  
 「で?で?ボーボボはどーなんだ?ビュティのことどー思ってんだよ?」  
 ……おーおー、嬉そーな顔しやがってこのトコロテン野郎。  
 「さぁね」  
 「うひー、大人の余裕ですかー。その余裕、青少年に虚を突かれないよーにな。ゲラゲラゲラ」  
 天の助の目の奥が笑ってないのに気付きながらオレは流した。こいつ“青少年”と仲いいからな……この件に関しちゃいいたいことの一つや二つあるだろうに。オレはぼんやりそんな事を思っている。  
 
 どれくらい経ったろう。ふと目を覚ますと月が冴えて畳に月光が差し込んでいた。それに照らされているはずの二人の姿がない。  
 今ひとつハッキリしない頭を振りながら窓辺の板の間にある藤細工の椅子に腰掛ける。  
 「……大人の余裕、ね」  
 呆然とした声でそんな単語を呟いてみた。  
 虫の音、風に揺らめく木立ちの囁き、照り渡る月の光。アイマイでテキトーな自分の思考。  
 「天の助も人がワリィよ。焚き付けてる様に見える釘さしてくんだからな」  
 声に振り向くと首領パッチが居た。オレは無言で椅子を顎でさす。  
 「あの手のボウヤは奥手に見えて案外角におけねーぞ?みてみろ、早速連れ出しちゃって。不良だねぇ」  
 「お前らなんか勘違いしてねえか」  
 「少なくともお前よりは正気ですぅ」  
 ブー、と口を3にして首領パッチがお茶など啜る。オレは肘置きに頬杖ついたまま窓の外を見ている。  
 「あーあ、ビュティの純潔も今宵限りか。若いってイイねぇ、そう思わないかい爺さんや」  
 老け顔で何もかも知った風に首領パッチが言う。オレは面倒くさいので聞き流しつつ、礼儀として突っ込む。  
 「あの二人はそんな馬鹿じゃない。それに、二人がナカヨシならそりゃそれで目出度いことだろ。オレが首突っ込む問題じゃねーや」  
 「おりゃ別にお前のことなんかなーんも言ってねえけど?」  
 ……ぐ。  
 苦虫を噛み潰した顔で睨むと今度は首領パッチが窓の方に視線をやる。  
 「お前マジで童貞?」  
 「ぶっ殺すぞ」  
 「あー、ドーテーなんだ。」  
 「オレ27のイケイケBOYよ?流石にマズイだろそれは。10年前からヤリヤリです!」  
 「ちげぇよ。アタマん中の話。  
 まぁ追い回されるような身の上で色恋沙汰なんかやってる場合じゃなかったんだろうがね」  
 首領パッチがあくびをかみ殺して言葉を続ける。オレは聞き流すのをやめて久々に真面目な顔のヤツを見た。  
 「いいじゃねえか、倍近く歳が離れてよーが。恋はいつもハリケーンなんだってどっかのコックも言ってたぜ」  
 あーだめだめ、眠い。ぶつぶつ呟きながら首領パッチは自分の布団に潜り込んだ。  
 「いーコト教えてやるよ、二人が行ったのはさっきの温泉。ヤング暴走機関車とっとと止めて来い」  
 
 ……いやね。単に風呂に入りたくなっただけで。別に他意はないんですよ?  
 今ここに天の助が居たらきっと大笑いして転げ回るに違いない。そんな事を思いながら苦笑いで忍び足。音を立てないようにガラス戸を開け、身体を滑り込ませる。  
 耳を澄ますと二人の声がやっと聞こえた。どーも女湯の領域に居るらしい。  
 オレは男湯の領域で女湯を背にする格好で湯に浸かっている。  
 「でね、でね、その時また言ったのよ」  
 「あはははは!ボーボボさんが?」  
 ……やー、若いっていいよねぇ。空気がシンと冷えているのに身体はいい塩梅でぽかぽかとぬくい。きゃっきゃと笑う二人の他愛ない話をBGMにオレはなんだか気が抜けてうとうとと船を漕ぎ出した。思いのほか疲れているようだ。  
 うつらうつらしてたら急に何かが水に落ちる音が響いた。  
 バシャン!  
 「ぅをぉっ!?」  
 「だっ……誰!?」  
 『うばばばばばばば!』  
 驚いて目を覚ましたら湯の中だった。何かが水の中に落ちたんじゃなくて自分が湯の中に突っ伏したんだと理解するのにたっぷり2秒は掛かった。慌てて顔を上げると驚いてこっち側に来てたヘッポコ丸と目が合う。  
 「ぼ、ボーボボさん……寝てたんじゃないんですか?」  
 赤いやら青いやら不思議な顔色のヘッポコ丸がおたおたしながらそんな事を言ってる後ろ側で、水着にバスタオル巻いたビュティが呆れ顔でこっちに向かっていた。  
 「んもう、せっかく起こさないように黙って来たのに」  
 ちゃんと寝てなきゃダメじゃない、ただでさえ今日は二人抱えて走るなんてバカな事したんだから。まるで母親みたいにビュティがオレを叱る。その後ろでヘッポコ丸がばつの悪そうな顔をオレから背けた。  
 「や、じゃあ俺は先あがりますんで。お休みなさーい」  
 そそくさヘッポコ丸が湯から上がって脱衣所へ消える。……なにをそんなに気まずい顔してやがんだ青少年。  
 その後姿を眺めてたビュティがオレに向き直り、腰に手を当ててお説教タイムが始まった。オレはニヤニヤしながらうわの空で叱られている。  
 「ねぇ、なに、二人でお風呂?やだぁビュティさんのエッチ!」  
 
 突然オレが堪らずに切り出したへらへら声を鼻で笑うようにビュティが一蹴した。  
 「へっくん倒れちゃって温泉ちゃんと入ってなかったでしょ。勿体ないから誘ったの」  
 「うぉっビュティさんったら見かけによらず大胆〜」  
 「水着着てバスタオル巻いてて何が大胆なの」  
 その声にオレははっと真顔になった。  
 「……ええと……いや、ヘッポコ丸は水着じゃなくてタオル一丁ですよ?」  
 「別にあたし見ないもん」  
 ……この女まるでわかってねぇ……  
 「――――――ビュティ、因みにお前の故郷では混浴が普通なのか?」  
 「ンなワケないでしょう。なに言ってんのよボーボボ」  
 一笑して彼女が手をパタパタ振る。あかん…この娘っ子、完全に素だ。なんたる毒婦。  
 オレは意を決して訊ねてみることにした。頭の中でヘッポコ丸に詫びながら。  
 「それはつまりヘッポコ丸を男だと思ってないってことか」  
 「なんでよ。ボーボボだって一緒に今入ってるけど男じゃない」  
 全身の、それは頭の中も含む、全ての力が抜けた。がくんと湯の中に沈み込む。  
 「キャー!ちょ、ちょ、ちょっとぉ!?」  
 『この特別天然記念妖婦ー今まで腹黒か興味なしのどっちかだと思ってたのにお前素だったのかー』  
 ボコボコ頭の上の水面に向かって言葉の泡が上っている。その泡の中身は彼女に伝わらないから好きなことを勝手に吐き垂れる。……好き勝手?  
 起き上がって湯から顔を出してビュティを見る。眉を顰めたいつもの困り顔。笑い顔。  
 「ごめん、今気付いた」  
 「なにが?」  
 「オレお前のこと好きなんだわ」  
 「…………………………………………………………はァ?」  
 今度はビュティの目が点になってカキーンと凍りついた。  
 オレはうんうんひとしきり頷いて指折り数える。  
 「ヘッポコ丸がミョーに気になるのも、出来もしない大人な振りしてんのも、天の助にすまない気持ちがあるのも、首領パッチに言われて言い訳がましくここに来たのも、田楽マンを見直したのも」  
 
 みんなビュティがらみだ。てへっと自分の頭を小突きながら舌を出した。  
 「あ、え……ええぇ?あー、えー………はぁ?」  
 「オレみたいなおじさんじゃ、ヤ?」  
 「やーあのー……ごめん、意味わかんない。どーゆーこと?なにこれ新手のハジケ?」  
 ぽりぽり頭の後ろを書いて本気で解らなさそうな顔をしているビュティがしかめた声でそんな事を言う。  
 「……ビュティってもしかして恋とかした事ねえんじゃねえの」  
 「あるよ!失礼な」  
 「オレはないよ。ないけど解るもん。でもお前さん全く解ってないし。」  
 「じゃあなに、ボーボボはそういう意味であたしのことが好きなの?」  
 「だからそう言ってねえか?」  
 あーそーなんだ。へぇ。あーなるほどね、ああはいはい。えーと、うん。わかった。……で?  
 普通の屈託のない顔でビュティがオレに聞き返す。その顔のどこにも動揺もショックも意地の悪い余裕さえもなく、平然。平気。平静。  
 「……でって言われても困るぞ。  
 まあ、一応返事でも貰おうかな。どうよ、オレ」  
 「うむ……じゃないや。今のとこ男の人のこと考える余裕ないなぁ。さっきへっくんにも言ったんだけど」  
 「――――――へ?」  
 「や、だから、さっきへっくんも今のボーボボと同じよーな事言ってったのよね。  
 でもあたしちょっとそれどこじゃないんで、って言ったの。」  
 平然とそんな事を言ってのける小さな少女のなんと強大なことよ。なーにが守られてばっかりの弱いアタシだ。オレぁいま気が遠くなりそうだぞオイ。  
 「そしたら?ヘッポコ丸は何て?」  
 「待ってるって。」  
 「……なんて返事したのさ」  
 「返事がどうとか言う雰囲気じゃなかったからしてない。へっくんの自己完結。」  
 厭きれたこの女。そりゃ宣戦布告じゃねえかよ。本気で自己完結だと思ってんのなら見上げた根性だぜ。  
 溜息ついてオレは彼女に向き直る。ビュティはオレの顔を見ている。呼吸を整え、言葉を押し出す。  
 「オレは待たない。今すぐ振り向かす」  
 
 「……ごーいんだなぁ」  
 「待つのは性根合わないんでね」  
 「ボーボボのそゆとこ嫌いじゃないよ。けどまあちょっと落ち着いて」  
 ようやく危機感が生まれたのかへらっと笑ってちょっとオレとの間合いを取った。……ふむ、鈍感でも奥手でもない訳だ。  
 「オレ達と会う前に好きな男が居たんだ?それどんなヤツ?」  
 「そ、そんなのボーボボに関係ないじゃん……てゆうか、ちょっと、ちょっと、顔、コワいよ」  
 ビュティの背には切り立った男湯の壁、湯で緩んだバスタオルの結び目がゆるゆると湯に逆巻くみたいに揺れている。  
 「冷たいこと言うなよ、告白した直後にさ」  
 「や、だって、えっちょっと、マジ?…マジなのォ……?」  
 何かを乞うように眉尻をハの字に下げて壁にへばり付くビュティに俺はにっこり笑った。ビュティがほっとした顔で笑う。  
 「だよねぇ、そんなわけないよねぇ」  
 「大マジ」  
 握ったままのビュティの右手を包んで封じ、体重を支えている岩に附いた掌を絡ませて顔を近付ける。きゅっと目を閉じて俯いたビュティはそれ以上何もしない。オレは額で彼女の顔を押し上げ、そのまま唇を奪う。  
 「んんっ」  
 サングラスなんかしたまま風呂入るんじゃなかった。曇って、黒くて、ビュティの顔が良く見えない。ぼんやりそんな事を思う。それでもよくよく目を凝らすと赤い頬のビュティが焦点の合わない視界の中に見えた。  
 やわらかい小さな唇。熱い手。硫黄の匂い、舞い上がる血圧と揺れる脳みそ。ああ、夢見心地。  
 ゆっくり唇を離すと溜息みたいにビュティが小さく一息ついた。それを見届けてオレはもう一度キスをする。  
 「やっあ……あぁ……!」  
 開いた唇に舌を押し込んで小さくて薄い歯に舌を這わすと何とも言えないうめき声が漏れる。押し付けている胸の振動がどっちのモンかなんてもうどちらにも区別がつかない。  
 左脇からえぐり込むよーに半回転させて抱きしめたままディープストローク。小さな身体が律儀にひくひく小さく痙攣しているのが可笑しかった。  
 

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