「んじゃ、また明日ね」  
 「……ん。」  
 綺麗に乾いた浴衣を羽織って、オレは番傘など買い、小雨になった元来た道をゆるりゆるりと辿った。  
 空を見上げると街灯の明かりの届く範囲だけ雨が降っている風に見えて、センチメンタルでいいな、と思う。  
 ビュティはあのあと特に何も訊かず、何も言わず、普通の顔をしてオレを送り出した。いつもの良い子のビュティさん。エロエロなんて一欠けらさえ見えない清潔な笑顔。  
 『――――――さよならのキスをくれよ』  
 『へっ?なんで?』  
 二の句が次げない、完璧な逸らしゼリフ。オレは惨めでみっともなくて格好悪くて黙りこくるしかない。  
 もう彼女に触れるのさえ罪のような気がした。半径20センチの境を越えると百万ボルトの電圧がビリビリビリビリ!近付く者を全て焼き殺すみたいにビリビリビリ!視線を絡めただけでもビリビリビリ!  
 腰抜けでインポ野郎な歯牙ないボクちゃんはビビって恐れて君からぴったり30と4センチ、距離を取る。  
 意識が分散されて歪んでた視線をふっと前に向けたら、ビニール傘を持て余してるオレンジ色のトゲトゲが見えた。オレは何故か全くの無意識で視線を逸らす。隣に白くて丸っこい物が見えたけど、じゃあアレは……  
 オレは別に何も言わずにその隣をすり抜けて、振り返らず歩調が変わらぬよう慎重に歩くイメージを固めた。  
 からころからころ。何故か妙に自分の下駄の音が耳に付く。からころからころ。  
 二人はまるでそ知らぬ顔でオレを無視しする。それがあんまり自然なのでうっかり自分が振り返りそうになったが、根性でイメージどおりに歩調を変えず通り抜けた。  
 角を曲がる。いっこ、にこ、さんこ……そこでようやく息苦しい理由に気付く。……息止めてやんの、ばぁか。  
 はぁ、と大きく溜息をついて宿に戻って自分の部屋に滑り込む。  
 そこで二人が黙々と渋い顔でポーカーをしていて、机の上に乗っかってるコインチョコの積み上げ具合を見ると天の助が勝っているらしかった。  
 「たでぇま」  
 「よう遅かったな、どうだ、混じるか?」  
 「んあー、疲れたから風呂入って寝る」  
 「なんにも買って来なかったんですか?お土産」  
 「雨振ってきて店閉まってさ」  
 お風呂セットを掴んでオレは風呂に向かう。なんだか久しぶりに腰がゆらゆらしてる気がした。  
 
 「んあぁあぁぁー」  
 やっぱ風呂は足が伸ばせないとねー。ゆったり湯に浸かりながら頭の中がどんどん寂れて空っぽになっていくのを見つめている。消去ヘッドが狂ったようにスピードを上げていて、記憶が真っ白に塗り替えられてゆく。  
 どんどんどんどん忘れていく。昔の嫌で怖かった思い出のように。どうやらオレの脳みそはこの記憶を恐怖として認識しているようで、止めようがないほど適確に迅速に、かつ丁寧に記憶を塗りつぶす。  
 「……覚えてたくないのかなぁ?」  
 あれ、ビュティってどんな顔してたっけ?どんな声だったっけ?どんな子だったっけ?  
 わかんないわかんない。わかんないことに安心する。覚えてないことを居心地が悪いと思うのに心が焦らない。  
 しばらくじーっとしびれる頭を弄んでたら、誰かが風呂に入ってきた。  
 「――――――よ」  
 「ども」  
 小さい背中が丸まって銀色の髪を洗っている。オレは面白いのでそれを黙って見てた。  
 ざぶざぶ湯を使って頭を洗い、身体を洗って歯を磨いて顔を洗って、一息ついた。びしっと頬をはたいて意を決したように湯船に向かう。……オレは正直湯船から飛び出して逃げたい。お前らガキはなんでそんなに強いんだ?  
 湯に二人で浸かって、黙りこくる。視線は合わせない。オレのサングラスはあの時と同じように曇っている。  
 「雨、大変でしたね」  
 「まあね」  
 「ずいぶん降ってましたしね」  
 「やむの待ってらんないから結局傘買っちゃったよ」  
 「……あれいいですよね、デザインとか」  
 「欲しけりゃくれてやるさ。オレはもう別に」  
 「くれるんですか」  
 「うん」  
 「いーんですか。ほんとにタダでくれるんですか?」  
 「いいよ、別にそんな高いもんでもねえし。でも番傘だからいつものお前の服には合わないかもな」  
 「じゃあボーボボさんの服にも合いませんよね」  
 「――――――おい、待て。お前何の話してるんだ?傘だろ?」  
 「傘ですよ」  
 
 「傘はやるよ、オレのだから。傘は、な」  
 「ええじゃあ頂きます。ボーボボさんの傘を。」  
 「――――――比喩じゃねえぞ。傘だぞ、アンブレラな」  
 「……ええ、だから、傘でしょ?わかってますよ、ヘンなことを言うんですね。オレたち今傘の話をしてたでしょう?比喩とかって、何の話ですか?」  
 目を見る。曇ったサングラスの向こうにある青少年の顔はぼんやりしてて表情が読めない。  
 「……解らなきゃ、いい」  
 「ところでボーボボさんはどこで雨宿りしてたんですか?」  
 ぞっと背筋がそそけだった。心臓が跳ねる。  
 「――――――土産物屋だけどなんで」  
 「いやあんだけの雨だったのに浴衣とかほとんど濡れてなかったから。降る前に天の助と一緒に少ししてから追いかけたんですよ。でも見つからないし雨降ってくるし、そんで部屋でポーカーを」  
 声の調子は普通。楽しそうな少年の会話。ポーカーで天の助がイカサマしたとか、でもイカサマしなくても結構強いとか。楽しそうに、お兄ちゃんに遊んでもらった弟の話をする。  
 「お前ほんとに天の助っ子だな。あんまりあのバカを浮かれさせんなよ、お前が離れてったら天の助潰れるぞ」  
 「天の助は子供じゃないですよ。オレこそあいつ居なくなったらヤバイです」  
 えへへへ、と後ろ頭を掻いてヘッポコ丸が照れた仕草をした。  
 「……お前、まだオレを軽蔑してんの?」  
 なんとなく訊かなくてはいけない事のような気になって、訊きたくもないことを訊いた。こいつ如きに軽蔑された所でちっとも痛くも痒くもないんだが、不思議にそれ以上の意味があるような気がした。  
 「最初からしてませんよ、軽蔑なんて。なに言ってんですかボーボボさん」  
 やだなぁ、あれはなんつうか、ノリつうか、ともかくもう忘れてください。あははは、もう、人が悪いな。ヘッポコ丸がなんだか必死にそう言うもんだからオレは胸糞が悪くなったがなんとかそれを外に出すことなく飲み込めた。  
 「お前、ビュティのこと好きなの?」  
 でもオレは意地が悪いからそんなことを訊く。  
 少年は体温をかーっと上げてユデダコのよーな顔をぷるぷる振る仕草をして湯に顔を漬け、ぶはっともう一度顔を上げた。その顔は真剣そのものでなんだか可笑しい。  
 「なんでそんなこと訊くんですか?」  
 
 「興味あるから。なあ、どうなの?」  
 ニヤニヤ笑いながら言えればオレ自身ラクだったんだろうけど、とても笑えなかった。ヘッポコ丸と同じように。  
 「……じゃあオレも訊きます。ボーボボさんはどうなんですか?」  
 「オレはお前の質問にちゃんと一つ答えたぜ。一問一答でいこうや」  
 くっ、と少し怯んでヘッポコ丸は何かを言いかけて、あわやというギリギリのところでその言葉を飲み込む仕草をした。  
 「――――すき、ですよ」  
 「オレも」  
 簡単なオレの言葉に面食らった少年が二の句が次げず、金魚のように口をパクパクさせている。目も白黒してて、頭痛でも眩暈でもするのか、ゆらゆら頭が揺れていた。  
 「オレもう一つ質問していいんだよな。  
 じゃあ何訊こうかなぁ……あそうだ――――――――」  
 オレが言葉を発する前にガラリと風呂場の引き戸が開いて、目も眩む鮮やかなオレンジ色が入ってきた。  
 「よう、やっぱおれ洋室は合わねーからこっち来た」  
 「ハァ?お前ビュティ一人でほったらかして来たのかよ!?」  
 オレが言葉を発する前にヘッポコ丸が声を荒げた。オレは仕方なく不自由な言葉を飲み込む。  
 「天の助に代わり頼んだ。田楽マンもいるから平気だろ」  
 「おいおい、戦力せっかく分散させたのに意味ねえじゃねえか」  
 オレがヘッポコ丸を支援せんと声を上げると、首領パッチはじろりとオレたちに睨みを利かせて木で鼻をくくったような言い方をした。  
 「なんかあったら飛んで行く。ごちゃごちゃ言うな」  
 妙に棘のある首領パッチの言葉に俺たち二人は湯船で眉をひそめて顔を見合わせ、変な共闘的雰囲気になった。機嫌が悪そうだから刺激しない方向で行きましょう、そうだその通りヤツは結構頑固者だからな。  
 こそこそひそひそやってたら、湯の水面がふわっと上がった。  
 「いやー、やっぱ風呂は大浴場に限りますなぁ〜。洋風呂はどーも体に合わん」  
 はっはっはっは、と妙に作った紳士的笑い顔で首領パッチが笑うので、オレら二人は引きつり笑いでごまかす。  
 「で、お前らどっちが勝ったんだ?」  
 
 オレは息が詰まる。ヘッポコ丸は気が遠くなる。  
 デリカシーがどうとかこうとかじゃなくて、もう首領パッチがオレらを殺そうとしているんじゃないのかという恐怖さえ覚えた。こんなに言葉を選んで感情を選んで態度を選んで、恐る恐る相手の手の内を伺おうとしてたオレたちを。  
 隣でざばーっという音がしたと思った次の瞬間にはヘッポコ丸の間抜けたケツが逃げていくのが見えた。出遅れたオレは呆然とするしかない。  
 「……ガキ相手に本気になってどーすんだ。労わりの心を持てよ、余裕ねぇな」  
 鼻でせせら笑うように首領パッチがそう言った。オレは意識するまでもなく、予測する間もなく、ふつん、と頭の中のなんかが切れた。ぷっつん、じゃない。ふつん、だ。  
 「おっおま……っ!なんてこと言うんだよ!言っていい事と悪いことの区別もつかねぇのか!?」  
 「おめー今自分がヤナ奴になってるの気づいてないだろ。……他の連中がお人好しでよかったな」  
 がっしりトゲを掴んでたオレの手を振り払いもせず小馬鹿にしたみたいな嘲笑のまま、首領パッチはオレを見て淡々と言った。  
 「ドーテーってのが蔑まれる一番大きな理由を教えてやる。知らん世界に片足突っ込んだ程度で、矮小な視界が更に狭まってること全く自覚してねぇのにテメエの世界が広がったと錯覚して態度がクソでかくなるからだ」  
 唇の片方だけ吊り上げて首領パッチがまたオレをあざ笑う。  
 「ウカれんのも大概にしとけよヌケ作」  
 「お、オレが浮かれてるだと?イチイチ、つまんねぇイチャモン、つけてんじゃねえよ!」  
 「……ほらな、みっともねえクソが粋がってるぜ。」  
 声がぶれるオレのそばに寄りもせず、首領パッチはぼそりと“道端ですれ違っただけでも分かる薔薇の匂いがヘッポコ丸に分からねえとでも思ってんのかよ”と呟く。  
 ぞっとした。  
 頭がおかしくなる。  
 恐怖、混乱、焦燥、羞恥、憤怒、脅威、不安、畏怖、緊張、戦慄。  
 叫び出して逃げたい。  
 ……でも、どこへ。  
 
 「うはっなんだその泣きそうな顔。みっともねーなー」  
 心底嫌そうな顔をした首領パッチが、近寄るなとでも言いたそうに手をシッシと犬を追い払うように振った。  
 「あいつら二人をガキだって侮ってんならそのご立派な傲慢に万歳三唱させとくれ。  
 おめーはアレだ。ハジけてるつもりでその実、単に余裕がないだけのツマンネー糞野郎だったってこったな」  
 オレはパニックになりながら、それでも何とか態勢を立て直そうとしてか、鼻を鳴らして“馬鹿馬鹿しいこと”を垂れ流し続ける首領パッチを見た。今まで流れ出るように湧き出していた言葉が固まって引っ掛かって使い物にならないというのに。  
 「ビュティはもうガキじゃあない。大人に甘えるなんて乳くせえ事しねぇほど完成されてんの。」  
 あれだ、ジェットコースターの最初の落下地点に差し掛かったときの感じだ。胃がキュッと持ち上がる感じの。恐ろしい何かを予感して、身体が硬く固まっている。  
 だからもう自分が何を言っているのかさえ解らない。とにかく思いついた言葉を必死で形にする作業に手一杯だったから、会話なんて出来ていないことさえ理解できない。  
 
 「へぇえぇぇー。だから自分がもたれかかっても大丈夫?ビュティならこんなダメなオレを許してくれるだろう?……いっぺん死ぬかお前。」  
 久々に切れちまったよ、行こうぜ屋上に。首領パッチはぎりぎり目じりを吊り上げて歯軋りも恐ろしく、立ち上がって見下ろすような本気顔でイカッていた。なのにオレときたら全てに麻痺しててそれがどういうことなのかも解らない。  
 「もうどうでもいーよ…めんどくてやだ。なんであんな倍も歳の離れてる女に惚れちまったんだろ?」  
 ぼんやりそんなことを呟くと、首領パッチがフンと鼻を鳴らしてまた湯に浸かった。  
 「おめえの言う“どうでもいいこと”を嫌いになるのは大変だろ?好きになるのは、簡単なのにな」  
 ばしゃばしゃ湯で顔を洗って、首領パッチは一息ついたのか声の調子を元に戻した。  
 「歳が離れてるとかどーとかなんざ関係ねえが“ビュティが14歳”って事実からは目を逸らすな。お前はピーターパンじゃねし、もう子供になんか戻れねーんだ。だったらせめてオトナくらいやり通せよクズ」  
 言い捨てるように首領パッチが湯から上がっててくてく脱衣所の引き戸まで歩いてゆく。  
 オレはその背中にくすぐったいよーな照れくさいよーな、居心地の悪いにょもにょもしたものを見ながら、それでも視線を逸らさずにいたら、奴は振り返りもせず吐き捨てた言葉をオレの耳に残して戸を閉めた。  
 「本当に大人ってのをやりたいのなら格好悪い自分にも惚れてみせろ」  
 
 ぽくぽくぽくぽく。6人足が並み揃えず歩いている。ぽくぽくぽくぽく。昨日降った雨のせいでぬかるむあぜ道。そろりそろりと、ぽくぽくぽくぽく。跳ね上げる泥もさして気にせず、ぽくぽくぽくぽく。  
 オレの隣には首領パッチがぴったり張り付いている。ビュティは田楽マン、ヘッポコ丸には天の助が衛星のよーにそれとな〜くくっついてて、遠目に見てると非常に笑える。  
 ……ああそうかこいつら根はお人よしだったな、そういえば。なんとまぁ面倒見の良いことで。  
 「別に二人を侮ってんじゃねえよ、羨んでたんだ。手に入らないもん掴める白昼夢に騙されたいと願い過ぎて周り見てなかった。  
 でもそんな振りヤメる。もうオレ大人だし」  
 前振りもなく突然言い出してへらっと笑ったのに、首領パッチが久しぶりに表情を崩したような気がした。  
 「フーン、自分の欲する所をカレンダーで計ってるバカに成り下がってた野郎のセリフじゃねーなー」  
 ちゃんと目を見る。もう怖くない。……つかなんで怖かったんだろ?このぼけぼけっとした目が。  
 「そうそう、青春ってのは時計で測るモンなんだよな。闇夜で頂上に全部の針が重なった時から先がオレの青春ですよ」  
 
 「ゲラゲラゲラゲラ青春は汗と涙の匂いってかァ?」  
 「イヒヒヒヒお前も好きよのー」  
 ビュティが鼻の下を伸ばして景気の悪い笑い声を上げるオレらを振り返って声をかけた。  
 「ん?ふたりとも仲直りしたの?」  
 『いーえ。オレらいつもいつでもナカヨシ☆コヨシですよーだ』  
 なー、と顔を合わせて笑うオレ達に少し不思議そうな顔をしつつも、ビュティがぷっと吹き出して向き直る。  
 「お前と違って周りが見えるいい女じゃねえか。……ヒロインにはちと力不足だけどな」  
 「そのうち火のよーな女になってふらふらにしてくれるまで待つさ」  
 「……オヤオヤ待たないで振り向かすんじゃなかったんですくゎ?」  
 にやり、と口の端を歪ましてしてやったりとでも言いたげに小声で呟く首領パッチ。オレはギョッとしたけれどそれさえ飲み込んで思い切り歯を見せてイーッとしてやった。  
 「テよテ!作戦!コレだからお子様ってイヤなのよね〜。男女の機微をまるでわかってないんだもの!プンスカ!」  
 「へえ、じゃあ一旦引いたヘっくんはなかなかの策士なのねぇ。実に侮れないわぁ〜あのボクちゃん」  
 パチ美がケバい口紅の上に引いたグロスをてらてらおぞましく光らせながら、あのお嬢ちゃんにカルメン求めるくらいなら自分でやった方が早いぞと首領パッチの口調で嘯いた。  
 
 その日の夕食のカレーを(また時間差で)食べ終わったヘッポコ丸が、散歩にでも行こうかと階段を下りた途端のオレの前にぬっと立ちはだかり、ホテルの廊下で宣言をぶちかました。  
 「オレはこの旅が終わるまでに、ビュティにもう一度ちゃんと言いますよ。正々堂々と、今度は目を見て」  
 言い残してヘッポコ丸は小走りで自分の部屋に引っ込んだ。言い逃げかと思ったが、その口元には決心をした男の笑みさえ見えた気がした。……ああもう、お前はほんとに、強いな。  
 「……だとさ。」  
 「うーん、なんであたしなんだろ?ヘっくんだったらもっとかわいい子選り取りみどりでしょうにー」  
 階段をまだ降り切ってないビュティが三段目くらいで赤い顔を手で押さえながらぶつぶつ独り言。オレは彼女をひょいと抱きかかえてそのまま背負った。  
 「うわっなに!?」  
 「そんなふらふらした頭で蹴躓かれてもたまらんからなぁー」  
 「失礼なっ!あたしそんなに子供じゃないやい!」   
 背中でギャーギャーいうビュティを無視して宿屋の裏手にある林の小道に出る。空は昨日の雨が洗い流したかのように輝く星ぼしが冴えていて綺麗だった。足元で湿った音を出す若い草の葉はオレの足跡を残さない。  
 しばらくまだぶつぶつ言ってたビュティも、観念したのか諦めたのか、黙ってオレの背中でまどろんでいる。  
 偶に小さな女の子の手の甲があごや首筋のあたりをなぞっているのがくすぐったくて和んだ。癒される、というのとはちょっと違うのがなんだかビュティらしいなと思う。  
 指先に触れて、その指先を握る前にそうっと自分の肩に置く。  
 「ビュティ」  
 「うん?」  
 声をかけても、ペったリくっ付いたままオレの肩から頭を上げない。  
 「もしお前の旅の理由が達成されたら、お前どうするの?自分の村に帰る?」  
 「…………さあね、どうだろう」  
 悩んだ声ではなく、かといってテキトウな声でなく、もちろんただ出ただけの声でなく。呆然、とした声でビュティが返事をする。  
 「ビュティはいつも本心を隠すんだな。それってなんで?」  
 オレはいつも不思議に思っていたけれど、なんとなく訊ねるのを先延ばしにしていた疑問を投げ掛けてみた。  
 
 「本心だよ、どっちかっつーとあたしにはボーボボ達の本音の方がわかんないけどね」  
 そう言われて初めて自分がこの少女と会う前は無口だったことを思い出した。そして、この女の子を好きになる前は自分のことは一切誰にも喋らなかったことも。  
 「……なるほど。確かに」  
 大いに頷くオレの仕草に何か思ったのか、彼女はふっと頭を上げて元気な声を出す。  
 「でもいいじゃん、お互い訊かれたくなことの一つや二つ持ってるもんだしさ。全部見せ合ってるのもすてきだけど、こういうのも一つの形だよ。  
 あたしは見せてない所もあるけどボーボボ達に対して嘘は付いてないよ。いつも」  
 声の調子が目に見えて急に元気になったので、オレは彼女を背負い直して無理に背中にくっ付かないと落ちてしまう体勢を作った。つまり、ぴんと背を伸ばす格好だ。  
 「あわっわっおちる!落ちるよボーボボ!」  
 わたわた必死にオレの背にしがみ付くビュティの手足が、彼女なりに渾身の力が込められているのを確かめて、オレはにんまりと満足げにビュティをもう一度(こんどはちゃんと)背負いなおした。  
 「知ってる。……オレだけじゃなくてみんなもちゃんと知ってるさ」  
 オレがそう返したらビュティは黙ってしまった。それからしばらく沈黙が続いたけれど。  
 
 「――――――そっか…嬉しい。」  
 少女が微かな笑い声で背中に顔を埋めた。オレはぼんやりしながら、温い背中の鈍い幸せを噛み締めている。  
 たぶんこの子はオレが待ってても振り向いたりはしないだろう。  
 力づくなんてのもイマイチ意味ないみたいだし。  
 ま……それでいいか。たまーにこっち向いてオレだけに笑ってくれるから、オレはお前に突き刺さった刺とかそんなのでいいよ。暇な時に思い出してちょくちょくいじってくれ。  
 でも結局痛い思いをするのは彼女なんだと顔をしかめて、すこし反省したが懲りはしなかった。そのくらい許してくれよと傲慢吐き散らして。  
 なんにせよオレはお前を守る。お前を脅かす全てのものからきっと守るよ。  
 お前にだけはいつでもこうして背中を貸すから、誰も見ないそこでだけ、今みたいに……  
 オレはビュティが声を殺しながら泣いているのにつられたのか、地面を睨みながらちょっとだけ泣いた。  
 はっと気が付いて顔を上げる。目から出た水がサングラスの内側に落ちたから、きっとビュティには気付かれなかったに違いないと胸をなでおろし、普通の顔をして歩調を変えずに夜の散歩道をぽくぽく歩いた。  
 
・おわり・  
 

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