「はぁ、はぁ、はあぁ……っ」  
 ようやく唇を離すと二人の口に銀色に光る唾液の橋が掛かった。長く伸びるそれがひどくエロい。  
 オレはとろんとした目のビュティの頬と、顎と、首筋と……という風に唇を滑らせる。子供独特の柔らかくてふわふわした肌はつるつるふかふか、ことさら気色がいい。  
 「ね、ね、だめだよ、こんなの、いけないよ」  
 「いやか?」  
 「……こんなことしてからそういう風に聞くのってずるいよ」  
 「じゃあ続けていい?」  
 「――――――だめ、やだ……って言ったら止めてくれるの?」  
 「んなわけねー」  
 「ほらやっぱり卑怯だ」  
 「卑怯で結構メリケン粉」  
 「……古。」  
 キス、キス、キス。何度も何度も同じ場所に、違う場所に、キッスの嵐。今までのキスの回数を超えるぐらいに何度も何度も、跡をつけないように慎重なキスをする。  
 叫び声も上げない。助けも呼ばない。逃げようとさえしない。もちろん止めろと拒否もしない。  
 ……ねえどうよ、お前オレのこと好きなの?そうじゃないの?  
 これはなんだ。オレが妄想差し込む隙間作ってくれてんのか?それともじっと我慢してりゃオレの気が済むと思ってんのか?まさか守ってもらってるお返しなんかじゃねえだろうな。  
 どんどん盛り上がる肉体と体温とは逆に、頭の中がゆっくり冷静に、冷たくなってゆく。  
 指の隙間を舐め上げて細く短い嬌声を上げる少女の顔が、まるっきり男を求める女の顔になっているにも拘らず。  
 「な、ビュティの好きだった奴ってどんなヤツ?今でもまだ好き?」  
 笑い顔で言った筈なのに顔がなんだか引きつっている。声が妙な感じ。勘弁しろよ、鬱陶しい男だな。  
 「……コレ止めてくれるんなら教えてあげる」  
 「なんだ、止めてほしくねェんだ」  
 茶化したセリフに顔色が消えた。表情がコロコロ変わる14歳、感情に振り回されるフォーティーン。オレ14の頃なに考えてたっけ?ストレートに向けられて嫌悪感にたじろいで頭の中にどーでもいい事が蔓延するのを止められない。  
 ああ脳味噌がゲンジツから逃避する乖離する分割される。  
 なあ首領パッチ、やっぱお前が言う通りにオレったら腰抜けのインポ野郎みたい。ビュティが怒ると怖くてたまんねえよ。  
 
 「悪いんだけど、どいてくれない」  
 冷たい言い方。業務的な台詞。オレは言われた通りに身体を離す。ビュティはバスタオルを巻きなおして髪を整える。それを何も言えずに黙って見てた。  
 「あたし、ボーボボはそんなこと言わないと思ってた。……だから男の人ってヤなのよ」  
 それだけ言い捨ててビュティは振り向くことなく女湯へ消えた。  
 追っかけてったら良かったんだろうか?でも何言えばいいか全然わかんない。ビュティが何考えてるか、何怒ったのか全然見当つかない。  
 ぽつんと湯に取り残されたオレは、ふわふわ舞い上がってた血圧も微熱も一気に急激に冷めて、腹の中に気持ち悪い古い油みたいなのが溜まってるのに気付いた。そいつはぐるぐる回ってて吐き気とも悪寒ともつかぬものを連れて来てて、去る気配がない。  
 指が動かない。  
 足が動かない。  
 頭が働かない。  
 身体が、ない。  
 イライラするのに腹が立ってるんじゃない。  
 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。  
 背中がざわざわする、口の中がピリピリする。  
 ふっと身体の力が抜けて湯に浸かるような格好で腰を落とした。  
 耳がようやくあたりの音を拾い出した。虫の音、いつもと変わらぬささやかな風が渡る音、月の光が静かに降る音。それが聞こえるのに頭の中に入ってこない。  
 それからどのくらい時間が経ったのか、気が付いたら首領パッチが隣に居た。  
 「このド阿呆」  
 殴っただけでそれ以上何も言わず、首領パッチがオレの背中に蹴りをくらわせて湯から引っ張り出した。  
 ぼんやりぼんやりしながら部屋に戻って布団かぶって寝た。  
 まともに思考できないからなのか、それ以上の記憶がない。寝ようとしなくても勝手に身体がスイッチを切っちまったんだろう。  
 目が覚めたら朝だった。  
 で、ちゃんとビュティはオレを起こしてくれた。いつものように。  
 
 「朝よ!ほらほら起きて、起きてったらボーボボ!ご飯なくなっちゃうよ!みんな食堂行ったんだから!」  
 「もう起きてるー!」  
 「わぁっ」  
 揺り起こしてた人間が急に身体を起して布団を跳ね飛ばしたのでビュティは布団を頭から被り、くぐもった声を上げる。サービスマンみたいなのが布団の裾を求めてうろうろしている格好がなんだか可笑しい。  
 可笑しいついでにそのまま抱っこしてみた。  
 『ギャー!なななにするのよぅ!』  
 「おーいみんなー!サービスマンの子供を捕まえたぞ!」  
 『もー!ちょっとォ!怒るよボーボボ!』  
 「うひょーこわー!おこらりるぅ〜」  
 じたばたするそれを小脇に抱えて食堂に直行する。入ってきたオレにみんなの視線が向けられて、でも首領パッチは興味なさそうに田楽マンとメザシの取り合いを続行した。  
 「お、はようございますボーボボさん」  
 「なんだその抱えてんの。サービスウーマンか?」  
 若干違和感が残ってるヘッポコ丸と、能天気でいつも通りの天の助が声を掛けてくれて助かった。ビュティを下ろして適当に席についてべらべらくだらないことを喋ったりしていつも通り食事をした。  
 いつもならすぐにちょっかい掛けてくるはずの首領パッチはやっぱりオレの方を見向きもしない。  
 仕方がないので一発ハジケでも、と思ったら視線の合った田楽マンに睨まれた。  
 所在がないのでオレは適当に飯を食う。  
 メニューなんざ覚えてもない。  
 飯を食うのがこんなに面倒くさいことだとは思ってもなかった。  
 身支度して宿を出て、オレ達は一路OVER城を目指してポクポクポクポク歩いている。  
 天気は悪くない。気温も高くもなく低くもなく。絶好の散歩日和で見通しがいい野原なんぞを歩いている。  
 となりには何故か天の助が歩いていて、何を言うでなく、ずっと普通のツラしてるので妙に空気が重くて肩が凝る。30メートルくらい先でヘッポコ丸と首領パッチがいつも通りにじゃれてて、その少し後ろをビュティが田楽マンを頭に載せて付いて行く。  
 「……なぁ。」  
 「アン?」  
 「なんか言いたい事でもあるんだったら面倒なことせずにとっとと言えよ」  
 
 「俺にはないよ。別に」  
 のほほーんとした顔を変えずにポヤポヤッとしたのんびり声で天の助が返事をする。パッと見じゃ、どう考えても裏があるように思えない。  
 「お前にあるんだろ、言いたいことってのが」  
 きーてやるよ。気楽な口調でそんなことを言う。オレはその態度にカチンときた。余裕綽々で飄々としたその態度に。クソッタレめ、その人を食ったよーなムカつく顔にメガトン暗黒情報くれてやる。  
 「おー、そーかそーか、きーてくれるか。  
 実は昨日ムラムラきてビュティ襲っちまったんだよーん」  
 「へー。」  
 「そんですんげえ怒らせてビクビクしてるとこだよーん」  
 「ほー。」  
 「おまけにその前にヘッポコ丸も告白してたみたいなこと言われて危機感バリバリの最中だ馬鹿野郎」  
 「そー。」  
 どの言葉にも全く動揺せずに、天の助は歩調も変わらず平気なままどーでもいい返事を返す。オレのイライラはいや増すばかり。  
 「……コメントねーの」  
 「あーん?なんか言って欲しいのかー?困ったなァ別になんもねーんだが……」  
 ヘラヘラ笑い顔で天の助がオレの顔を肩越しで見た。安穏とした、意に介さない半笑いの顔で。  
 「じゃあ昨日お前ら3人が風呂行った後このとでも喋るわ。田楽マンが俺らの部屋の窓から男湯が見えるの発見してた。俺は散歩に行くとこだったから見てないけど。  
 あとはそうだな……首領パッチが“おめーが暴走機関車になってどーすんだボケ!おれは止めて来いと言ったんだ”っつってドア閉めても聞こえるくらい怒鳴ってたかな」  
 「………………」  
 「散歩してたらさ、旅館の裏手に庭園あっただろ?知らない?  
 あすこにでっけえ灯篭があんだよ。んでさ、その後ろでさ、ヘッポコ丸が泣いてんだよ。  
 いい年こいた男がさ、背中丸めて泣いてんだよ。  
 俺ぁソレ見てなんか異様にムナクソ悪くなってよ。  
 16にもなって女にフラれたくらいで泣いてんじゃねえよって。どんだけ甘い人生歩んできてんだこの馬鹿って」  
 いつの間にか硬くなった声で天の助が続ける。真っ直ぐ前を見たまま、歯を食いしばって。  
 
 「俺はずっと誰にも買ってもらえなくて、34年独りで耐えてたぞクソッタレって。  
 何で泣くんだよって、なんで諦めるんだよって。  
 すんげえムカついて胸倉掴んで殴ってやろうかと思ったんだけどさ。」  
 なんか馬鹿馬鹿しくなってヤメた。溜息を台詞に変えて力んでた表情を一気に弛緩させ、天の助はいつもの間抜け面に戻る。  
 「……あの馬鹿まだ若いんだ。  
 だから嬢ちゃんに家族とか親とか、そういうのを闇雲にダブらせちまうんだ。  
 もちっとまともにビュティを見てたらあんなに泣かんでもよかったのに。ほんと、馬鹿だよあのガキ」  
 無神経なスマイル貼り付けた天の助が、なーんて分析してみたりして、とゲラゲラ笑った。  
 「ついでにおめーも分析してやろうか。  
 朝飯のときにビュティ抱えて入ってきたろ。あれはハジケじゃなくて顔合わせらんなかっ……」  
 天の助の台詞を阻止するようにオレは声を荒げる。  
 「じゃあオレも分析!  
 てめーは無神経でデリカシーがなくて寂しがり屋でその上要りもしねーことをべらべら喋る人の顔色が伺えねートンチキヤローだよっ!」  
 おーあたりー。カランカランと商店街のセットを背負って天の助がハンドベルを鳴らす。  
 「おまけにヘッポコ丸を贔屓しすぎてお前に八つ当たりする程度のペラい人間性だぜヒャッホー」  
 言いながら天の助が走ってヘッポコ丸と首領パッチの間に割って入っていった。しばらくグダグダやってたら今度はヘッポコ丸が厳し目の表情で立ち止まってオレを見ている。……チクったなあのプルプル野郎……  
 逃げる訳にもいかないし、かといってちょっとはぐらかすにも骨が折れそうだ。頭の上にはご丁寧に田楽マンまで載っている。  
 「……ボーボボさん、天の助から聞きました。」  
 立ち止まってるヘッポコ丸を通り過ぎて歩調を変えずにいたら、後ろから付いてきた。  
 「オレも聞いたぜ。泣いたんだってな」  
 「なっ……!?」  
 「お互い脛に傷持ってんだ、触れずに行こうじゃねえか」  
 「……それとこれとは別でしょう!?  
 ボーボボさんはそんなことする人じゃな」  
 「あーそれもうビュティから聞いた。なんだお前ら、人を聖人君主かなんかみたいに。オレ別に性欲ねーわけじゃねえぞ」  
 
 「せっ……せ、せいよくって……」  
 「ボーボボ、直接的な表現はダメなのら。このボクもドーテーなんだから」  
 田楽マンがニコニコ顔でいらんことを言う。……くそ、こいつもたいがい腹黒いな。  
 「あーもーうるさいうるさい!27の男に何を求めてんだお前らは!女が風呂に一緒に入ってんだぞ!ちんこ立たない方がおかしーんだよ!」  
 「そんな短絡的な!!」  
 「性欲の奴隷どもめー」  
 怒るヘッポコ丸とは対照的に田楽マンは相変わらず蜂の巣突付いて喜ぶような真似を続ける。  
 「ヘッポコ丸くん、腹割って話そうじゃないか。立ったんだろ?……ん?」  
 「立ちません!!」  
 肩を掴んで向かい合っても頬染めながら必死で否定するヘッポコ丸。それを頭の上でゲタゲタ笑い飛ばす田楽マン。一種異様な空気が三人の間に流れているが別に誰もそれを破裂させようという気はないらしい。  
 「ボーボボさんは……ビュティのこと好きなんですよね?だから……その、押し倒したりしたんですよね?」  
 うわぁーオレいつの間にか強姦魔にレベルがアップだかダウンだかしてる〜。人のうわさってちょうコエー。  
 
 どれ、怖いついでにひとつからかってやるか。この嫉妬感ムキだしで天の助にぬくぬく守られてるボクチンをよ。  
 「さぁーて、ど〜かな〜?  
 ずっと一緒に居たから情が移っただけかも知れないぜぇ〜」  
 底意地の悪い声を出して好奇の顔でヘッポコ丸に視線を落とすと、少年は照れもせず怒りもせず、およそ歳にそぐわない冷たい目でオレを見ていた。  
 「だったら……もしいい加減な気持ちでそういうことしたなら、幾らボーボボさんでも…オレ…許しません」  
 「…………許さないって、どうするね?オレとやろうってのか?」  
 このクソガキ、そこまでノボせ上がってんのならオレにも考えが……と、腹に黒いものが湧き出した瞬間、ヘッポコ丸がオレを真正面から睨んできっぱり言った。  
 「軽蔑します」  
 振り落とされた田楽マンを振り返りもせず、少年がオレ達に背を向けて3人の元へ走ってゆく。なんつーハズカシー奴。真っ直ぐな目で睨んで、おまけに“オトナの喧嘩”まで吹っ掛けてきたよ。  
 尻餅を付いた田楽マンが付いた草と砂を払い、ぽそりと言った。  
 「今のボーボボよりよっぽどオトナなのら。寄り道してたらあっという間に日々成長する小さな魔人たちに追い抜かれるのら」  
 ――――――なんで子供って大人になりたがるんだろうなぁ。大人になってもいいことねーのに。  
 
 
 日が暮れてきたので一行は適当に宿を取った。宿場町は季節柄なのか人で溢れていて、6人一緒に宿がとれず、オレと天の助とヘッポコ丸、パチ美と田楽マンとビュティの男組と女(?)組に分かれて別々の宿を取った。  
 夕食も食べ終え、風呂の支度が整うまで時間があると言うのでオレは浴衣など着てぶらぶら土産物屋をからかうことにした。天の助も誘ったんだがヘッポコ丸が行かないというので一緒に部屋にいるという。  
 かーッ、すんげえ過保護。……頼ってくる奴が出来て嬉しいんだろうけど一応あいつ16の男なんだがね。  
 べたべた甘ったるい二人に見切りをつけてとっとと部屋を出た。  
 今日は空に星がない。月に薄雲が掛かっていて一雨来そうだ。  
 下駄を鳴らしながらてれてれ歩いてたら予想通りにぽつぽつ降り出したので、こりゃまずいと宿の方へ戻ろうとしたときには既に遅かった。  
 まるでバケツをひっくり返したかのようなとんでもない雨。とてもじゃないが歩いて帰れる様な有様じゃない。参ったなぁと軒先で雨宿りしてたら、向かい側のビルの3階の窓が開いた。  
 「やっぱりボーボボだ。なにしてんのそんなとこで」  
 「……見てわかんない?」  
 「雨宿り楽しい?」  
 
 「わきゃねーだろ。蚊に食われるし最悪」  
 ぷいっとそっぽを向いて声を掛けたショートカットの女の子から顔を逸らした。……無意識に来ちまったのかな、あーヤダヤダ。ストーカーかよ。  
 「……悪さ、しないんなら部屋に来てもいーよ。首領パッチくんと田楽マンまだ帰ってこなくて暇だから」  
 「あのなーお前、危機感ねーのかよ。女の子が一人の部屋に男入れたらいけません!しかも夜!」  
 「部屋に入れたらオッケーなんてそれオヤジの発想ーて、どっかの中学生が顰蹙してたねー」  
 「オヤジじゃないの、世間一般の常識。貞操観の問題。」  
 「あっそ。んじゃあそこで好きなだけ蚊に食われてりゃーいーじゃん」  
 パタン、と窓を閉じて、ご丁寧にカーテンまで引いたビュティの影が窓辺から消える。オレはそれに何故かほっとして窓を見上げてた。  
 ……まぁ、こんな方が、気楽でいいかもな。  
 体が冷えてきたのか、なんか全身が水っぽい。街灯が歪む。きっとサングラスについた雨粒のせいだ。プリズム分解された光が七色にゆらゆらゆれて、景気が悪いったらありゃしない。ぐしゅっと鼻を啜り上げたら腕のあたりからタオルを差し出された。  
 「……こんなとこで風邪引かれてもたまんないからお願いするわ。部屋に来てちょーだい」  
 
 和室四人部屋の男組とは違って洋風のツインを二部屋取ってた女組は、正真正銘の女であるビュティが一部屋を一人で使っていた。シャワーを借りてテキトーに身体を洗い、ビュティの手配してくれた男物のパジャマに袖を通す。  
 「へぇー、女組はリッチだな」  
 「“パチ美さん”が絶対ベッドって言い張るから仕方なく。なんか飲む?紅茶しかないけど」  
 ベチャベチャになって、泥が思う存分はねまくってた浴衣を水にくぐらせて干し終えたビュティが申し訳程度のキッチンに向かって湯を沸かす。  
 「温ければ湯でいい」  
 「アールグレイね」  
 「へいへい飲みます、飲みますとも」  
 マグカップを受け取って二人膝をつき合わせてベッドの上で静かに啜る。  
 ――――――あー、空気重い。  
 ちらっとビュティの顔を見ると、別に何を言うでなく紅茶を飲んでいる。サングラスってこういうとき視線隠せて便利だよね、なんてじーっとビュティの一挙一動を見守ってた。  
 「……なんか用?見つめたってなんも出ないよ」  
 あんまりなお言葉にビクッと体が震える。な、な、なんでオレの視線が解るんだ!?  
 「こんだけ長いこと一緒にいるんだからサングラスの奥くらい見当つくって」  
 へらっと初めてビュティがオレに笑い顔を見せた。オレはその笑顔に思いのほか緊張を解きほぐされて苦笑いするしかない。  
 「んだよ、人が悪ィなぁ」  
 「あははははーだってボーボボが緊張してるから面白くって」  
 けらけらけら、女の子がマグカップ抱えながら笑う、嬉しそうに一息ついた風に。  
 それを見てオレはなんだか泣けてきた。情けなくて恥かしい。  
 「……ごめんね」  
 「はぁ?……なにが」  
 きょとんとしたビュティの表情のどこにも恨みがましさの欠片もなくて、その平気な顔にますます泣けてくる。  
 「ちょっ……なに泣いてんの……  
 ワケもわからず泣かれたらいくらあたしでも引くよ?」  
 口調は平然としているのに声が水っぽくて(さっきのオレの身体みたいだ)、もう俯けた顔を上げる勇気がなかった。  
 
 「……あのね、あたし、ああゆうの、ちょっと苦手なの。  
 昔……ほら、まあこんな世の中だからさ、色々あるでしょ?それでちょっと、苦手なの。  
 だから急にああゆうことされるとビックリしちゃって。だからそれだけなのよ。  
 別にボーボボが嫌いとか、そういうんじゃないからね。ね、だから、それだけだからね」  
 肩越しにオレの顔を覗き込むような格好で、必死にいつも通りの声を出してオレを励まそうとしているビュティが不敏だった。この子はいつもオトナをやってる。それはオトナにならないと、辛いことが多いから。  
 子供が伊達や酔狂、憧れで背伸びするのとは違う。これはもっと哀れで痛々しいものだ。  
 「……ぁのなぁ!」  
 「は、はいっ!?」  
 「いいんだよそんな大人の真似なんかしなくても!  
 嫌だったら怒っていいし!ムカついたら殴っていいの!悲しかったら泣け!怖かったら助け呼べよ!  
 何で我慢すんだよ!いーんだよガキやってられる間はガキで!守らせてくれよ!オレ一応大人なんだから!」  
 オレがそう毛足の長いカーペットに向かって怒鳴ったら、ビュティが嬉しそうな声で短く、うん、と答えた。  
 「大人の言うことをなんでも盲信するような馬鹿じゃねえだろ、お前は」  
 
 子供でもお前は賢いんだから、嫌なら嫌って言え。全力で出来る限り守ってやっから、無理な我慢はするな。オレは途切れ途切れにいろんなことを宣言する。それを黙って少女が聞いている。  
 「うん、お風呂のとき、嫌だったらちゃんと言った。…そんなにヤじゃなかったから、黙ってた。  
 でも、ボーボボが、ちょっと、昔のこと思い出すようなこと、言ったから……動揺しちゃって」  
 えへへへ、後ろ頭をぽりぽりやりながらビュティが細い声を出した。思わずそれに顔を上げたら、硬い表情の彼女が焦点をオレから明らかに逸らしていた。  
 もうこの子は子供に戻れないんだと、理解した。戻れないなら、往くしかない。  
 「悪かった。すまん。もう言わない。許してくれるなら、うれしいんだが」  
 「いっいいよ!別に、そんな、大層なことでなし!や、やだな、もう、改まっちゃって。」  
 「もう言わないから……その、仕切りなおし、しない?」  
 「っ…し、仕切りなおしって?」  
 「温泉の続き」  
 ぽつりと上目遣いで訊ねたら、数秒間固まったビュティが引きつった悲鳴みたいなのを上げた。  
 「えええええー!?こ、ここで!?今!?ちょっとちょっとマジなの!?」  
 どざざざーと、一気に壁際まで逃げたビュティを緩慢な動作で追い詰める。……ああ、これでまったく昨夜と同じだな。  
 

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