幼いころ、私はジョセフのお姉さん分を気取っていた。  
 小さい頃のジョセフは今のような落ち着きはなくやんちゃで煩い子だったし、よく泣くこともあった。  
 自分で言うのもなんだが早くからませていた私が、そんなジョセフの前で姉を気取り  
 一丁前に教え導く(上から偉そうに彼を弄んで楽しんでいたとも言う)立場になろうとしたのはきっと自然なことだったのだと思う。  
 でも、だからだろうか……いつからか私は、ジョセフの……ともすれば、他の人間の前でさえ  
 何かに縋ったりせず、美しく毅然とした自分であろうとするのが、いつの間にか当たり前になってしまったのかもしれない。  
 
 
 
 
 
 隣のクラスの男子に校舎の外れにある伝説の木の下に呼び出された。  
 
 …………笑わないでほしい。いや、わかっている。わかっているとも  
 実際、自分の心中で字面にして見て改めて実感することだが、なんとも間抜けな上に美しくないことこの上ない。  
 だがしかし残念ながら、自分が通うこの高校にはそのような荒唐無稽かつ古臭さのあまり誇りにまみれていてもおかしくないような噂話というかジンクスが確かに存在するのだ。  
 曰く、この学校は実は秘密結社の隠れ蓑でグラウンドの下にはロボットが格納されている……テレビの見すぎだ。  
 曰く、この学園に入ると女生徒巨乳になれる……出鱈目もいいところだ。それは生まれてこの方胸の重みで肩こりなどという体験をしたことのない自分が一番よくわかっている。  
 曰く、この学園では日夜怪しい実験が行われていて、入学した生徒は改造され、凶暴な悪魔に変質する……こんな噂を流すほうも信じる方も美しくなさすぎる。  
 まあ時々保健室に薬を貰いにいってから帰ってきた生徒がなぜか異様に興奮していることはあるが……それだけで悪魔だなんだなどと、妄想力がたくましいにも程があるというものだろう。  
 曰く、この学校には自分の彫刻を完成させられずに無念の死を遂げた悲劇の芸術家、『彫刻おじさん』の霊が現れる。ていうかジョセフだコレ。  
 そして曰く……校舎の外れにある伝説の木の下で告白すれば、その者たちの恋は必ず成就する……美しくない。  
 
 ……まあ要するに何を言いたかったのかと言えばだ。  
 自分ことXAT学園に通う女子高生であるところのエレアは、そういった噂に辟易している、現実主義で美しくないものが嫌いな人間であるということなのだ。  
 だから、そういった奇怪かつ前時代的な噂話を真に受けたり、告白にこのような場所を選択する人間の神経を理解することは自分には難しいことであって  
 また当然のことながら、そんなものの力で今まで顔を見たことも覚えていないような男子生徒の告白など受け入れられるはずはなく。  
 
「ごめんなさいね、私、今そういった男女のお付き合いをする気にはなれなくて……」  
「そ、そう……なんですか」  
 
 目の前の少年はいかにも平々凡々といった感じの柔らかい雰囲気の男子で、一見するとこんな思い切った行動に出るとはやや想像しにくいタイプだ。  
 そんな彼が伏目がちな視線をさらにしおらせたのを見て、すかさずフォローを入れる。  
 
「ええ、今は勉学に励んであるべき学生生活を送ることこそが美しいと思っているから」  
 
所謂、別にあなたのことが嫌な訳じゃないのよ、でも今は他にやりたいことがあるからそんなに暇でもないの、というニュアンスの断り文句である。  
 ほぼ嘘だ。確かに自分は勉強が苦手ではないが別段好きな訳でもない。しないでいいならそっちの方が楽だとすら思う。  
 それから、恋愛をする気になれないというのもまあ……嘘だ。これ以上は認めたり心中であっても語るのはなにやら悔しいので割愛するが、恋愛をしたくないという訳でもない  
 俗に言う『嘘も方便』というやつである。できるだけ相手に面倒な傷を負わせぬよう、後腐れを残さぬように、美しく諦めてもらうための言葉だ。  
 自慢ではないが、自分はそれなりにモテる方らしくたまに告白される。それは今回のように直接であったり手紙であったりと手段はさまざまではあったが  
 結局のところ返す返事は全て同じ。細部の言葉は違えど同じような言葉を紡ぐだけだ。  
 
『今は恋愛する気になれないんですお勉強だけしていたんですごめんなさい』  
 
 結構な頻度と回数でこういったニュアンスの台詞を言ったので既に覚えたくもないのに口と頭が言い方を覚えてしまっている。  
 何が悲しくてこの年でそんな台詞を言い慣れなければならないというのか。  
 自分としては特にモテたい訳でもないし(これをクラスの女子生徒に零すと何人か発狂した子がいた。なんなのだ)まして告白してほしい訳でもない。  
 だから変に注目されるだけの行為はできるだけ控えてほしいのだが……自分に想いを伝えてきた生徒の中には、何人かその目の中に美しい真摯な輝きを持つ者もいた  
 そんな彼らに、自分のそんな心情をそのまま聞かせるのはあまりにも忍びない。元々、こちらとしても彼らを嫌いという訳ではないので。ある程度の気は使って断る……  
 ということを繰り返している内に、相手をできる限り傷つけさせない告白の綺麗な断り方というなんともありがたくないスキルを手に入れてしまい  
 一部では自分のことを「峰打ち百人斬りのエレアさん」などと呼ぶ生徒もいるとかなんとか。峰打ちなのに斬ってどうする。  
 ……いや、まあそれはいいのだ、そんな裏で囁かれているような噂など自分は痛くも痒くもないし  
 大多数の告白はそれこそ、そうやって断ってしまえばハイそこで終わり、後腐れも何もなしでこれからもお友達としてよろしくね、という寸法である。  
 本当に問題なのは………………たまに、たまになのだが、先ほどの台詞で綺麗にお断りしても納得しかねる諦めの悪い生徒も数人いて  
 振られた悲しみと悔しさ余ってなのだろうか、こちらの心中にある無数の蛇がのたくった藪を全力でつつく者がいる。  
 
『エレアさん…………本当はジョブスンのやつと付き合ってるんでしょ? 隠さないではっきりしたらどうなんですか』  
 
 そんな時、私はこう思うのだ。  
   
 (うるさいバカ黙れ想像し得る限りで最低の美しくない死に方をさせてやりましょうかこの愚か者)  
   
 まず第一に、なぜに今顔を知ったような相手にそのようなことをそのようなことを言われなければならないというのか。  
 第二に、告白を「受けてほしかった」という本来なら下手に出ねばならないはずの人間がなぜそこまで偉そうなのか。  
 第三に、なぜ自分とジョセフがそのような関係だという心当たりがあるなら自分に告白などしてきたのか。  
 第四に………………そんなことができるというならとっくにやっている。はっきりしなくて悪かったな。  
 
 
 
 
 伝説の木のくだりの続きなのだが。  
 この木がどういった代物かというと、なんでも生徒たちが言うにはこの木には恋愛の神様が住まっていて。  
 真剣な想いとそれを帯びた「告白」の言葉を受けると、その時木の下にいる二人の縁を結び、その結果見事に恋を成就させてくれる、というものらしい。  
 エレアが今まで受けた告白の実に半分がここで成されたものであり、その全てが当然のことながら失敗。神様がいたのだとしたらそれは恐らく限りない無能なのだろう。  
 残念ながら詳細を聞こうが胡散臭さと信用のならなさはまったく変わらなかった木の下で、エレアは少しばかり元気なく去っていく背中を見送った。  
 幸いというべきか、彼は上で挙げたような思い出すだに怒りを覚えるような類の人間ではなく、こちらの断りの言葉を聞いた後、やや落ち込みながらも。  
 
「聞いてくれてありがとうございました……その、また廊下とかで会ったときに、話かけてもいいですか?」  
 
 と笑いながら去っていった。  
 ……きっとだが、彼にはそう遠くない将来、自分とは別のいい相手が見つかると思う。   
 それこそ、仮にも告白してくれる者が目の前にいるのに、別のことでぐるぐると思い悩み、暗い感情を溜め込んでしまうような自分のようなものよりも、だ。  
 
「……はぁ」  
 
 自己嫌悪。  
 最近、告白を断るのとは別に自分の得意スキルになってきているのではないかと割と真剣に思う。  
 美しくない。美しくない。美しくない。まったくもって美しくない。  
 
『エレアさん…………本当はジョブスンのやつと付き合ってるんでしょ? 隠さないではっきりしたらどうなんですか』  
 
 ……自分がこういった言葉に対して、過剰なまでの憤怒やらなにやらの感情を持ってしまうのは、それが自分の中の図星を少なからずついているからだ。  
 自分の中に秘めている思いを、例え振られた怒り任せの当てずっぽうであっても、的中するように言われるのは癪に障ったし。  
 何より、その言われた言葉を、本当はそうしたいのにできないでいる自分が……どうしようもなく…………  
 
「美しくない、わね」  
「何がだ」  
 
 そういえば私って一応病弱という設定だっただろうか、大丈夫なのかこんなにも心臓に負担をかけて。  
 などということを一瞬のうちに思うぐらいに驚いた。  
 
「っ!! ジョセフ! 急に後ろから話しかけないで頂戴!」  
「……悪い、まさかそんなにも驚くとは」  
 
 今最もきてほしくない場所に最も来てほしくない人間が突然現れたときの驚きといえばそれは伝えられるだろうか。  
 何ゆえこの幼馴染の彼はついさっきまで自分が他の男の告白を受けていた場所に出現するのだ。  
 どうしてか、無性に決して見られてはいけないものを見られて、なんとかしなくてはと慌てる子供のような心境に襲われる。  
 実際のところ、ジョセフは今きたのであろうから告白の場面は見ていないのだろうし、それ以前にやはりどうしようもないのだから詮無き思考なのだが  
 それでも、そのような心理になるなという方が無理であろう…………彼、ジョセフが自分にとっての想い人である限り。  
 
「……どうしてここに?」  
「ああ、今日急に部活が中止になってな」  
「…………」  
「…………」  
「…………それで?」  
「いや、だから普通にエレアと帰ろうと思ったんだが  
 教室を見に行ったらアマンダからここに来たと聞いたからな」  
 
 この際であるからジョセフの口から他の女性の名前が出たことはいっそ無視しておく。  
 それよりも重要なのは、ジョセフが「部活がなくなって放課後すぐに下校できるようになった」→「だから自分と帰る」ということを  
 さも当然のように思考し、それを自分に告げたという点である。  
 
「……ジョセフ、あなた今日私とどこかへ行くという約束をしていたかしら?」  
「? いや?」  
「大した用もないのに私と帰るためにわざわざ教室からここまで?」  
「わざわざということもないだろう、俺は単にエレアと帰った方がいいと思ったから来ただけだ。」  
「…………」  
 
 ああ、もう……なぜこの美しくないまでに朴念仁の男はこんなにも自分の心の氷塊を一瞬で蒸発させる言葉をこうも軽々と言ってしまうのだ。  
 普段から一緒に帰る習慣などない、まして校門とは正反対の位置にあるこんな場所に、一緒に帰るためだけに足を運ぶなどと……それではまるで  
 
『本当はジョブスンのやつと付き合ってるんでしょ?』  
 
……分かっている。分かっているとも。  
 自分と彼の距離感が、ともすればそういった関係に見えてしまうほどに近いこと  
 そしてそう見えてしまう原因の多くは(それを見ている当人たちが明確に理解はしておらずとも)自分から漏れ出ている彼への想いのせいだと。  
 
(私は……ジョセフが好き)  
 
 たぶん、ジョセフの方も自分のことを嫌ってはいないと思う……恐らくだが、どちらかといえば好かれていると。  
 友達以上恋人未満、という言葉はこんなときにこそ使うのだろうか。  
 ……先述したように、自分はズカズカと身勝手なことを言って人の思いに踏み込んで藪を突く人間には怒りを覚えるし正直に言えば嫌いだ。  
 ただ、彼らにとって私たちの関係……そんな関係の中でまったく動こうとしない自分の姿は果たしてどう映っているのだろうか。  
 『告白した』『行動を起こした』という一点に置いてのみ、自分は彼らに劣っていると思う。  
 自分は「顔も知らないような」としきりに繰り返してはいるが、それは逆に途方もないほどの勇気を必要とするのではないか?  
 付き合いも長く、お互いのことを熟知し、ある程度の好意を持たれていることも自覚している……そんな、勇気ない私の姿は  
 勇気ある彼らの無意識の怒りに火をつけたとしても不思議は……  
 
(……バカみたいね)  
 
 抵抗もなく素直に思った。  
 いくらなんでも考えすぎだ。  
 少なくとも告白を断られて頭ごなしに言葉を紡ぐ人間にそこまで深い心理の推移など、ましてこちらがそれを察してやる必要などあろはずがない。  
 ここまでくると、自己嫌悪も一種の才能かもしれないななどと思う。  
 さっきの思い込みの中で唯一明確に正しい点など、自分がどうしようもなく臆病だということだけではないか。  
 
「はっ……」  
 
 あまりにもおかしくて、思わず出た嘲笑の声とともに天を仰ぎ見た。  
 そばで見ていたジョセフにはさぞ奇怪な光景であっただろう、とは後になって思ったことだ。  
   
 
 ザアッ  
 
「! ……っ」  
 
 瞬間、頭上から響いたかぜに揺らされる葉音によって  
 自分が今どこにいて、そこがなんと呼ばれている場所なのかを急速に理解した。  
 
 『恋愛の神様が住まっていて。  
  真剣な想いとそれを帯びた「告白」の言葉を受けると、その時木の下にいる二人の縁を結び、その結果見事に恋を成就させてくれる』  
 
 ああそうか、と思う。  
 今までここで自分に……否、それでなくとも、ここでその思いの丈を意中の相手に伝えた者たちは、何もその全てがみな一様に  
 この木にまつわるバカバカしい伝説を一から百まで信じていたわけではないのだ。  
 彼らは単に、自分の中にある臆病な心をほんの一押ししてくれる……そんな、ささやかだけれど縋れる物の力を借りたかったのだろう。  
 その力でもって、己を鼓舞し、勇気付け、そしてその胸のうちに秘めた思いを舌に乗せたのだ。  
 意中の相手……ジョセフと木の下に二人きりでいる。  
 ことここに、この状況に至ってようやく、それを理解することができた。  
 なんだ、なんのことはない。  
 理解できないと、信じがたいと断じていた彼らは、言ってしまえば自分と大した差異などなかったのではないか。  
 
(なら……)  
 
 それならば……自分にもできるだろうか、この場所で私にそれをしてくれた彼らのように……  
 きっと自分の勇気は、彼らのそれと比較してもずっと弱いものだろうけれど  
 
「ねえ、ジョセフ」  
 
 それでも  
 
「ん? なんだ?」  
 
 縋れるものには縋らせてもらおうと思う。  
 だって、縋ってでも、せねばならない……したいことがあるのだから  
 
「私ね……」  
   
 頭上の木の葉がまた大きく、ザアアという音を立てた。  
 

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