「人間ってつくづく奇妙な生き物ね、興味がつきないわ」  
「……お前もだ、エレア」  
「むっ……一緒にしないでよ! あまり美しくはないんだから!」  
 
 メット越しに吹き付ける強い風を感じながら、ジョセフはエレアに決して悟られぬように小さく微笑んだ。  
 もし自分の事を(それが例えいい意味であっても)笑われたと知ったら、目の前のこの小さな協力者は、その白い頬を可愛く膨らませ、自分の事を睨んでくるだろう。  
 それは決して自分にとって心地の悪いものではないが、何もこんな状況でまで彼女にさせることではない……そう、他に、彼女には言うべきことがあるのだから。  
 
「ありがとう、エレア」  
「……なんのことかしら?」  
 
 先刻の拗ねたような顔から一転、エレアは小さな疑問符をその表情に浮かばせる。  
 ジョセフは、そういえば久しくこの表情も見ていなかったな、と小さく感慨に耽りながら、自分の事を探るような目で見つめるエレアに向かって続ける。  
 
「今まで、俺に協力してくれて……本当にありがとう」  
「……何を美しくないことを言っているのかしら、私は貴方にお礼を言われる筋合いなんてこれっぽっちもないわ  
 貴方は貴方の利益のため、私は私の利益のためにお互いに行動をともにしていた……ただそれだけだもの」  
 
 ああ、そうだったな。  
 そういえば、彼女はこんな物言いしか出来ないのであった、と改めて思い直し、また小さく笑う。  
 ジョセフは、あえて彼女のその言葉を追求する事はなく、彼女の意に沿うように言った。  
 
「だとしても、俺はエレアに感謝している……お前がいなければ、俺はきっとここにたどり着くことも……いや、生きてさえいなかっただろうからな」  
「……初めてガルムと融合したときのことかしら」  
 
 ジョセフは思い出す。  
 むせ返る血の匂い。立ち上る硝煙。自分の視界を埋め尽くす、敵、敵、敵……  
 そんな、ともすれば命を失っていたであろう瞬間に、ジョセフは初めて彼女の……エレアの声を聞いたのだ。  
 
『美しくないわ』  
 
「……それも含めて、だ。人を恐れ、人を傷つけることを恐れ、人を傷つけるかもしれない……自分を恐れていた俺にとって  
 お前は……俺が戦い続けることのできる、確かな支えだった……だから、お前には何度礼を言っても言い足りないんだ」  
「…………」  
「だから、もう一度言う……ありがとう、エレア……こんなところまで、俺についてきてくれて」  
 
 エレアは何も言わない。  
 いつの間にそうしたのだろうか、ホログラフ越しのその姿で、ジョセフに背を向け  
 どこか遠くを見つめるようにして、ただ沈黙を貫いていた。  
 
「……なあ、エレア」  
 
 エレアは何も言わない。  
 
「俺は……少しは、お前の言うように、『美しく』なれただろうか」  
 
 エレアは何も言わない。  
 
「……俺は、ザーギンを止められるなら、それ以外のことは厭わないと決めていきてきた。  
 人との交流もいらない。痛みなど、どれだけ貰おうと構わない。それこそ……命も」  
 
 エレアは何も言わない。  
 
「だが一つだけ……一つだけ、小さな心残りがあるとするなら……お前に」  
「美しくないわ」  
 
 エレアは泣いていた。  
 
 決して、涙をこぼしていたわけでもない。  
 嗚咽を零していたわけでも、しゃくりあげていたわけでも、声が震えていたわけでもない。  
 だがしかし、ジョセフは……ジョセフだけには確かに分かったのだ。  
 エレアが、泣いているのだと。  
 
「なあに?それは。 私が貴方を美しいと認めれば、それで貴方の後腐れとやらはなくなるというの?  
 もう生に執着しない覚悟を決めて、それで、ザーギンとの戦いに望めるって言うの?  
 私がそう言えば? 貴方が……美しいと」  
「エレ……」  
「美しくないわ」  
 
 エレアが、そのジョセフにだけ分かる『泣き顔』を向け、ジョセフに向き直る。  
 ジョセフは何も言えない。  
 
「美しくない、美しくない、美しくない、美しくない、美しくないっ  
 ジョセフ、アナタは美しくなんてないの。貴方を美しいだなんて、今までだって一度も思った事は無いわ。だって当然じゃない、ジョセフなんだもの。  
 ジョセフが美しいだなんてあるはずが無いわ。他の誰がそういっても、私だけは言わない。ジョセフっ!アナタは美しくなんてないのっ!」  
 
 ジョセフは、一言だけしか……この、頼もしくて大切な、小さな相棒に言える言葉を持ち得なかった。  
 
「ありがとう」  
「…………美しくないわっ、ばかジョセフ」  
「ありがとう」  
「ばかっ、ばかばかっ、ばかジョセフっ」  
「……ありがとう、エレア」  
「…………」  
 
 エレアは何も言わない。  
 ジョセフも何も言えなかった。  
 二人の間には、ただガルムが切る、風の音だけが響いていた。  
 
 
 
 
「……ジョセフ」  
 
 エレアが口を開いたのは、計算からして、あとものの五分ほどすればマレクと……ザーギンのいるであろう場所に辿りつけるという時だった。  
 その呼びかけは唐突で、そしてまた、その呼びかけの内容もまた、唐突なものだった。  
 
「イシスに関して、大切なことを言い忘れていたわ」  
「え」  
「使用する前に、必ず貴方に目を通しておいてもらわないといけないマニュアルがあったの、少し面倒を頼んでいいかしら」  
 
 ジョセフは目に見えて疑問の感情を顔に出した。  
 イシスにそこまでの複雑な使用段階があるのかという疑問と、単純に、そのようなことを今この瞬間まで失念しているなど、エレアらしくないという感情からだ。  
 
(……俺のせいか)  
 
 一瞬にして、先ほどのやり取りが頭をよぎる。  
 今まで決して弱みなど自分に見せようとしなかった彼女の、小さな弱さ。  
 それを無理やりに引きずりだしてしまったのは、どう考えても自分の無神経な言葉だ。  
 彼女は弱くなどないと、いつものように自分をからかってくれるはずだと思い込んだ……甘え。  
 そんな自分に、彼女のその失念を叱る権利などない。ただ黙って、彼女の言葉に従おう……それが、せめてもの侘びだ。  
 ジョセフはそう心の中で割り切ると、エレアの要求に素直に従った。  
 
「今から計器にデータをインストールするわ、ただ、かなり複雑なものだから、よく見てもらいたいの。出来るだけ顔を近づけて、目を凝らして見て」  
「ああ」  
 
 顔をガルムに備え付けられた計器へと近づけ、そこにこれから現れるであろうマニュアルを凝視するために目を凝らす。  
 
「ああ、メットも外してちょうだい。少しでも不備があるといけないの。一切の誤りなく、貴方にはマニュアルを目に入れてほしいの」  
「?……ああ」  
 
 これには少し疑問を覚えたが、素直に従う。  
 メットを開くと、やはり少しばかり冷たい風が頬を冷やした。  
 ジョセフは流石に若干顔をしかめたが、しかし、エレアの言うことを無視するわけにはいかない。  
 その状態のままで、できるだけ見やすいように、ガルムの計器に顔を近づけ……  
 
ふっ  
 
「……え」  
 
 一瞬だった。  
 何が起こったのかをすぐには把握できなかった。  
 実感はなかった。  
 感触もなかった。  
 いや、当たり前だろう、あるはずがない……ホログラフであるエレアの唇と、自分の唇が重なった感触など。  
 だがしかし……それは確かに交わされたのだ。  
 目の前で、ゆっくりと瞼を開いていくエレアの姿が、何よりもそれを照明しているのだから。  
 
「……え、エレ」  
「貸しよ」  
 
 ジョセフが言葉をつむぎ終える前に、またもいつの間にかジョセフに背を向けていたエレアが、まくし立てるように早口で言った。  
 
「え?」  
「これは私から貴方への大きな貸し。今の美しくない貴方では、きっと一生かかっても返しきれないほどの、大きな大きな貸しよ。  
 それはもう、貴方がどれだけの美しい宝石や賛辞で私を讃えても、決して返せないでしょうね」  
「な、なにを……」  
「だからっ!」  
 
 自分に背中を向け、どのような表情をしているのかを伺い知る事のできないエレアは  
 やはり変わらず、まくし立てるような早口でジョセフに有無を言わせぬように言い放った。  
 
「……美しい姿で帰ってきて、その貸しを私に返しなさい」  
 
 ジョセフは……何も言えなかった。  
 
「この私に貸しを作らせたのだから、ただのお返しで済むとは思わない事ね  
 それこそ、二倍、三倍、四倍……いいえ、もっともっと返してもらわないといけないわ  
 だから…………美しくなって、私に美しいと認めさせるようになって帰ってきて……ちゃんと返しなさい」  
「…………」  
「でないと、承知しないわよ」  
 
 ジョセフに言える言葉など……本当にただ……ただ一つだけしかなかった。  
 
「…………ありがとう、エレア」  
 
 鋭く風を切り、黒い機馬が空を駆ける。  
 
 その背には、これまでに失われ、これから失われるかもしれない多くの命の重みと  
 
 ……小さな……とても小さな『何か』への、二人分の決意を乗せながら……  
 

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