少年が大きく息を吸い込むと、少女は意識せずにそれをじっと見つめ、また意識せずに小さく息を呑んだ。
ふぅーっ
少年が肺いっぱいに吸い込んだ空気を、一挙にその出口である口から吐き出す。
すると、少年の口の前でゆらゆらと揺れていたタンポポの綿毛が、勢いよく空へと舞い上がった。
その、放射状に広がる無数の白い光を目で追いながら、少年は得意げな顔をし、少女は驚きと感動で目を見開く。
大人からすれば、なんともないようなその光景も、幼い二人から見れば、それはとても魅惑的なもので、彼らの目を惹きつけずにはいられないものであった。
「わぁ……っ」
「な! すげーだろ!?」
「うん……きれい……とっても」
二人の年のころが、恐らくまだ小学生にすら満たないであろうことは、その背丈と、声の高さから察せられた。
……そう、まだ本当に幼い少年と少女だった。
少年には思慮深さをうかがわせる寡黙さや冷静さ、男性特有の力強さを思わせる体躯もなく
少女には目の前の美麗なものを「美しいわ」などという些か大人びた言葉で表現できる教養など、まだ身についていなかったころのことだ。
「すごい……ほんとに……」
少女は、目の前のその光景から、まだ目が離せないようだった。
その大きな瞳を輝かせ、空を舞う無数の綿毛を、それこそ穴が開くほどに見つめ続ける。
そんな、驚きや歓喜、様々な感情が混在した顔を横目で見つめながら、少年は一度、照れ隠しをするように小さく咳払いをすると、少女に言い放った。
「……エレアに見せたかったんだ、コレ」
「え?」
「また見たくなったら遠慮なく言ってくれよ……エレアが喜ぶなら、俺、何度でも見せてあげるから」
「……うん、ありがとう……ジョセフ」
少女の、思わずくすぐったさを覚えてしまいそうなほどの可愛らしい笑顔から、逃げるように慌てて少年は視線を空へと外す。
少女も、少年の視線を追うように、その輝く瞳を空へと向けた。
空には、無数の小さな白い綿毛が、二人の視線を同時に受けながら
まるで所在無さげにするように、小さく、ゆらゆらと揺れていた。
『青い空、白い……』
「おいブルー、お前、あのエレアと付き合ってるのか?」
昼飯時、しかも学校の屋上で前フリもなくいきなり何を言い出すのであろうかこの男は。
ジョセフは、手に持ったメロンパンを頬張り、たっぷり十秒間かみ締めてから嚥下し、その後ゆっくりと口を開いた。
「なんだいきなり……ヘルマン」
「だから! 付き合ってるのか付き合ってねえのか! それを聞いてんだよ!」
声がデカイ。
ジョセフの隣で並ぶようにしてカレーパンを食べていたブラッド、またその隣でざるそばを食べていたアルの二人が思わず引くほどである。
「だから、なぜそんなことを」
「付き合ってるのか! 付き合ってるんだな!? そうなんだな!」
いや聞けよ話を。
流石にジョセフを不憫に思ったのであろう、ヘルマンを宥めるように、ブラッドがフォローを入れた。
「ヘルマン、少し落ち着け、要領を得なさ過ぎるぞ」
「お、おお……すまねえブラッド、ちっと取り乱しちまって……」
「……で、結局なんなんだ」
「うっせー! テメーは黙ってろ!」
これだけ理不尽なことを自分にずけずけと言ってのけるのは、エレア以外ではヘルマンだけだろうな。
と、本人に聞かれていれば確実にただではすまないことを思いながら、ジョセフは激昂するヘルマンを放置して、また一口メロンパンを頬張った。
そんな様子を、ジョセフを間に挟んで見ていたアルは、小さくブラッドに耳打ちする。
「なんだ……どうしたってんだ? ヘルマンの奴」
「……なんでも、今朝アマンダがジョセフと仲よさげに話しているのを見たらしい」
「あー、そういうことね……つまり、ジョセフに他の女がいれば、少なくともジョセフにアマンダを取られる心配はなくなる……と」
一瞬で得心したような顔を作るアル。
暗に、その程度の説明で事足りるほど、ヘルマンの行動パターンが単純だという、アルの中でのヘルマンへの評価の現われであったが
当のヘルマンはそんなことに気づきもせず、ただただ声を張り上げ、ジョセフに今にも掴みかからんとしていた。
先刻ストッパーを自ら買って出たブラッドも、もはや制御不能と判断したのだろう
小さく平手を作り、無言でジョセフに「すまない」という意を示す。
ジョセフはそれに頷きで返すと、一度小さく息を吐いて、呟くように言った。
「……俺とエレアは、そういう関係じゃない」
「なっ……!」
「へぇ……」
ジョセフの言葉に対する反応の一つ目は、まるで絶望の底にでも突き落とされたかのような表情のヘルマンのもの。
二つ目は、ヘルマンほどではないにしろ、小さく意外そうな表情のアルのものだ。
「う、嘘つけ! お前、いつもアイツと一緒にいるじゃねえか! 登校の時も! 休み時間も!」
「お前は質問をしたいのか尋問をしたいのかどっちなんだ……」
どうしてそこまで疑念を持たれなければいけないとばかりに、ジョセフは弱くため息をつく。
「……登校が同じなのは、俺とエレアの登校してくる時間が大体同じというだけだ
何も示し合わせて一緒なわけじゃないし、休み時間に関しても、幼馴染で話す機会も多いからとしか……
だいたい、お前とウェルナーも、俺達のことをどうこう言えないほど休み時間での会話は多いだろう
その理屈でいけば、お前と彼女も付き合っていることになる」
「なっ!?」
ヘルマンの顔が途端に赤くなる。
まるで何か人間とは別のものに変身するのではないかと危惧してしまうほどに赤かった。
それはもう真っ赤だった。
「ざ、ざけたこと言ってんじゃねーよ! 俺とアマンダは……その……こ、こ……恋人なんかじゃねーよ!」
「いや、それは言われなくても分かってるが」
「んだコラァァァッ!! てめーが俺とアマンダの何を知ってるってんだ!」
「……もうどうしろと言うんだ」
ジョセフの心底疲れたというような表情を気の毒に思ったのだろうか、今まで遠巻きに見ていたアルが、ジョセフにさりげなく話を振った。
「いや、でもまぁ……お前と彼女が付き合ってないってのぁ、俺もちと意外だな」
「……お前まで、だから、俺とエレアがよく一緒にいるのは……」
「いやいや、そうじゃねーよ。俺ぁ何も、んなヘルマンみたいな単純な思考でそう思ったりしねえさ」
「なんだとアル!?」
ジョセフにつっかかったテンションそのままで今度はアルに噛み付くヘルマンを、ブラッドがどうどうと宥める。
一方、当のアルはヘルマンを全力でシカトし、ジョセフとの会話を続けていた。
「ヘルマンが言ったこと抜きにしたって、お前ら二人を見てりゃそう思っちまうのは仕方ないと思うぜ?
なんつーのかな……こう、お前の空気が違うんだよ……あの子と話してる時と、他の女子と話しているときの」
「……そうなのか? まったく意識していないんだが」
本気で今初めてそれを知らされたかのような表情を見せたジョセフに、アルは「ああ、マジで付き合っちゃいないのか」と瞬時に得心する。
しかしながら、単純に『付き合っていない』の一言で済ませられる間柄でないということも察したのであろう。
アルは、次は違う形でアプローチを始めた。
「ああ、なんつーかさ、表情が柔らかいんだよ、あの子と話してる時のお前は。
他の女と話してる時は、お前はどことなくよそよそしさみたいなものがあるが、あの子と話してる時にはそれがない
付き合ってなくとも、何か特別な関係なのかと勘繰っちまうのさ」
「そうだ! 俺もそれが言いたかったんだ!」
「……そう見えるのか、俺は」
ジョセフ、ヘルマンを完全無視である。
「そう言われてもな……まあ、エレアとは昔から、かなり長い時間一緒にいるから
そういう意味では、他の人間よりも気心が知れてて、そうなるのかもしれない」
「……そう言えば、お前と彼女は幼馴染だったか」
ヘルマンを抑えながら、ブラッドがジョセフへと問う。
「ああ、エレアの父親が、俺の姉の恩師らしくてな……小さい頃から、家族ぐるみで交流が深かったんだ」
そう言うと、ジョセフはブラッドに抑えられているヘルマンへと視線を合わせ、小さく言った。
「というわけだ、俺とエレアはそういう関係じゃない、単なる幼馴染なだけだ」
「ぐっ……」
流石にそこまできっぱりと言い切られてしまっては、返す言葉もないのであろう。
ヘルマンはしぶしぶといった感じで座り込むと、ブラッドに「まあ……気を落とすな」と肩を叩かれた。
流石に色々と落ち着いたのであろう、ヘルマンは激しい感情を露にすることなく、だが少しばかりむすっとした顔でペットボトルの麦茶をあおった。
「なるほどなァ……しかしよ」
アルはジョセフの答えに納得すると、しかしもう一つ頭のなかで引っかかっていた疑問を、ようやく落ち着いて話せるとばかりに口に出した。
「おまえ自身はどうなんだよ?」
「え?」
「あの子とお前が事付き合ってないってのはよくわかったよ、けど、お前としてはどうなんだ?
それこそ、これから先付き合いたいって気持ちはないのか?」
アルに問われたことの内容があまりにも意外であったのだろう
ジョセフは少し、驚いたような顔をした後で、しばらく黙って考え込み、たっぷり十秒ほどの沈黙を保ってから、再び口を開いた。
「……いや、そんなことにはならないだろうな」
「どうしてだ? まさか、実は嫌い……とかじゃないよな」
アルの、明らかに本意ではない問いに、ジョセフもまた少しおどけた風に笑って返す。
「それこそまさか。 俺はエレアのことは好きだよ。
ただ、それがお前達の言う『付き合う』という行為をするに当たっての物なのか……俺には分からない」
エレア本人が聞いていたら、きっと喜んでいいのか落ち込んでいいのか分からない
そんな複雑な表情をするであろう私見を述べながら、ジョセフは続けた。
「それに……そういうのは、きっとエレアの方から願い下げだろう」
「……ほー、そりゃまたなんでそう思う?」
「俺がエレアに好かれる理由が思い当たらない」
今度の私見は、確実に本人に聞かれていたならばエレアの胸を抉ったであろうものであったが
もちろん、本人がいないこの場において、世間で言う『朴念仁』であるジョセフには、それは分かりえないことである。
「……なるほど、どう思われますか? 1年前に全く同じ台詞を言ってたブラッドさん」
「知らん」
微妙に肩で息をしているブラッドに、冗談めかして問うアル。
それに対してブラッドは、一切その表情を変えずに(といっても、長い前髪のせいで確認することはできないのだが)
……しかし、心なしか微妙に不機嫌そうな声色で一刀両断した。
アルはその答えが返ってくるであろうことを予想していたのだろう、まったくうろたえずに、会話の矛先をまたスムーズにジョセフへと戻す。
「ふぅん、しかし意外だねェ……なあ、今じゃなくてもさ、なんかあの子にそういう気持ち持ったことってないのか?」
「え?」
「幼馴染っつったら、『大きくなったらおヨメさんにしてあげるよ』……とか、んなやりとりが常識だと思うんだけどなぁ」
それは一体どの国の……いや、どの次元世界の常識だというのだろうか。
現実にそのようないかにもアニメ、漫画的展開など……
「あ」
「あん?」
ジョセフの少しばかり頓狂な声に対し、アルが頭上に疑問符を浮かべる。
ジョセフはしばらく考え込んでいた風だったが、やがて小さく呟くようにして話し始めた。
「そういうのかどうかは分からないが……似たようなやり取りならしたことがある」
「うおっ、マジでか?」
「何!? 本当かブルー!」
「ほう」
ちなみに上からアル、飲んでいた麦茶を盛大にブラッドの頭に吹き出したヘルマン、ヘルマンをしばき倒したブラッドの声である。
「十三年ほど前か……綿毛ってあるだろう、タンポポの。
いや、今となっては大したことじゃないんだが、子供心に、あれがとても綺麗に見えてな
一人占めするのは、何かとてももったいないことに思えたんだ……それで、誰かに見せたくてしょうがなくなった
とにかく誰かに見せて喜んでほしくなって……それで、気づいたらエレアの手を引いて、俺だけが知ってる秘密のタンポポ畑に連れて行って、それを見せた
……やっぱりエレアも子どもだったんだろうな、すごく喜んでくれた。
俺はその笑顔を見て思った。もっと笑ってほしい、もっと笑わせてあげたい……って
本当に小さな子供心にだったんだがな……それで、エレアにこう言ったんだ
エレアが喜ぶのなら、俺は何度でもエレアにこの光景を見せてやる、って」
こんな饒舌に話すことは自分にしては珍しいな、と思いながら
ジョセフはずっと手元で放置していたため、すっかり温くなってしまった烏龍茶を喉に流し込んだ。
ペットボトルを口から離し、小さく一息つくと、ジョセフはふと、周囲がまったくの無音になっていることに気づいた。
「……どうした?」
そう言いつつ周囲を確認すると、ジョセフの話を聞いていた三人が三人とも、まるで呆気にとられたかのような顔で膠着していた。
ジョセフが何が起こったのかをまるで理解できずにフリーズしていると、いち早く膠着から逃れたアルが、何か探るような口調でようやく言葉を紡いだ。
「……なあジョセフよ、ひとつ確認していいか?」
「? なんだ」
「お前とあの子は……付き合ってないんだよな?」
「さっきそう言っただろう」
「……で、お前はあの子のことを……そういう意味での『好き』ってわけでもないんだよな?」
「なんなんださっきから……言っただろ、少なくとも俺にそれは分かりかねると」
「「「…………」」」
それから数秒の間を置いて。
「嘘だァァァ!」
アル
「嘘ついてんじゃねーぞこらァ!」
ヘルマン
「…………嘘だな」
ブラッド
と、まるで機関銃のごとく連続で「嘘」という言葉をぶつけられた。
「な、なんでそうなる」
ジョセフとしては、まったく嘘などついた気はなかったのに、何故ここまで言われなければならないのかが分からない。
頭に『?』が見えるほど混乱するジョセフに、さらに雨あられと言葉が浴びせられた。
「んなもんほとんど告白と変わらねえじゃねえか! それでどの口が好きじゃないって言い張るんだ? ジョセフさんよお」
「……どうしてだ、人に喜んでほしいと思う感覚は普通だろう……どこかおかしいのか?」
「テメーだよおかしいのはこのブルー野朗! 大体なあ、十三年前だあ!? んな昔のことを後生大事に憶えてんのが何よりの証拠だろうが!」
「……別にそこまでとは……大体、その十三年前の記憶にしてもお前達に言われたから思い出したのであって、ずっと覚えていたわけでは」
……いや、正確には十二年と十一ヶ月ぐらいか、などと場違いなことをふと思うが
その間もアルとヘルマンの追及はずっと続いていた(ブラッドは、ヒートアップしすぎた自分の相棒から微妙に距離を取り、昼食を再開していたが)。
耳元で聞こえる叫び声に、いい加減に疲労感を覚えたジョセフが、背後の柵にもたれ掛かるような形で後ろに身体を傾け、その体制のままリラックスしようと、大きく息を吐こうと頭上を見上げると
ふわり
(……あ)
ああ、こんな偶然などあるのだろうか、とジョセフは思った。
自分が見上げた先、広く澄み渡る青い空のある一点に、今まさにジョセフが追憶していた記憶と、まったく同じ光景が広がっていた。
(タンポポの綿毛……まだ飛んでいるんだな)
いくつかの綿毛が群れを成し、僅かな風を頼りにふらふらと頼りなく宙を舞っていた。
(……やっぱり、綺麗だ)
ジョセフは先ほど、空を舞う綿毛を綺麗だと思ったのは、子供心特有のものだと言ったことを、密かに心の中で訂正した。
(成長してから見ても……悪くないものだな)
自分の記憶の中でかなり美化されていただろうなと思っていた光景は、自分の前に、まったく色褪せることなく存在していた。
ああ、本当にそうだ……今見ても、悪くはないではないか……しかし、そう思いながらもジョセフの心には、ほんの小さい影があった。
その影の正体がなんなのか。最初はジョセフ自身も自覚できずにいたが
数秒間、意識の遠くにアルとヘルマンのがなり声を聞きながら考える内に、その答えに行き着いた。
(エレアが……いないのか)
考えてみれば当然だ。
エレアとともにいたからこそ、自分はこの光景を色濃く覚えていたというのに。
その彼女がともにいないのであれば、記憶の中のものと比べてどこか影を落としてしまうのは仕方のないことだった。
(……エレアにも、見せてやれればよかったのにな)
ジョセフは、照り付ける陽光に僅かに目を細めながら
一人で、空中に揺れる白い綿毛たちを見つめ続けた。
「ねえエレアさん、アナタってジョセフくんと付き合ってるの?」
飲んでいたレモンティーがあと少しで気管に入るところだった。
そんな無様な様子を、食堂の窓際の席を囲んで自分と同じように昼食を摂るスノウ、レインの二人に見せないよう、エレアは必死に息を止め、ゆっくりと喉もとの液体を飲み下す。
やがて、少しばかり恨めしそうなまなざしで、目の前でニヤニヤと自分を見つめる、今まさにその原因を作ったレインの顔を見やった。
「……いきなりなんのことかしら」
「だ・か・らぁ〜っ、エレアさんとジョセフさんって付き合ってるのかなー? って思ってえ」
「ちょ、ちょっとレイン、いくらなんでも不躾だよ、エレアも困ってるじゃない」
「あら、じゃあアナタは気にならないっていうのねスノウ? エレアさんとジョセフが付き合っているのかどうかが」
「そ、それは……で、でも……」
そこは嘘でも気にならないって言ってほしかったなあ、スノウ。
「あるんなら黙ってなさいな、で……どうなのかしら? エレアさん」
どうやら、エレアが何気なく瞳に込めた威嚇の念も、レインにはまるで通じなかったようだ。
元々、周りの話をきかないことが周知の事実になっているような彼女である、空気を読めということを要求する方が無理があったのだろう。
エレアは内心、(……何度目なの)とうんざりした様子でしかし、その様子は一切表情に出さず、まだ僅かにその瞳に恨めしい気持ちを込めたまま
落ち着き払った様子(を演じながら)でレインへと返した。
「そんな事実はないわよ、私とジョセフはただのお友達、ただそれだけ」
「……えぇ?」
あからさまにつまらなさそうな顔をするレイン。一体どんな答えを気にしていたのだろうか。
……いや、分かっている。分かっているのだ。彼女が自分に、どのような回答を期待していたのか。
だがしかし、その期待に応えてやることは出来ない。
エレアが自身でそう言ったように、そんな事実は一つとしてないからだ。
「女子って、本当にそういうお話が好きよね。誰と誰が付き合っているだのいないだの。
……他人の事情に首を突っ込みたがるのは、あまり美しいとはいえないのではないかしら」
「あらァ、しょうがないじゃない……だって私たちは、『オンナノコ』なんですものぉ。
女性という生き物は、そういう色恋沙汰が大好きで仕方ないものなのよ。これはほとんど本能のようなもので、なぜ好きなのかと問われても応えられないものなの
そう決まってるのよ……そして、同じオンナノコである以上、エレアさんにもそういう話はあって然るべきなんじゃないかって……そう思ったから」
「…………」
この手のタイプは苦手だ、ともちろん口には出さずに思うエレア。
こういう、いかにもな感覚で生きている、理屈の通じない人間は話していてかなり精神をすりへらす。
理屈が通じるものが相手であるなら、決して負けない自信があるエレアだが、こういう、何を言っても「そう思うから」で返してくる人間と話すのは、昔から得意ではなかった。
「……なら、私は多分あなたの言う『オンナノコ』とやらとは大分感覚が違うのでしょうね。残念ながら、アナタの言葉に当然だと頷くことができないもの」
普段なら、嫌味の一つも含ませた言葉で反撃するところなのだが、この手のタイプと言い合いをしても不毛なことは今までの経験で分かっている。
こちらが何を言ったとしても、まるでこちらの言葉が本気のものでないかのようにさらりと流して自分のペースに巻き込もうとする。
何が悲しくてしつこく繰り返される「またまたぁ〜」とか「本当は付き合ってるんでしょお?」などという妄言に対して
「自分と彼はただの幼馴染」という説明を何度も何度もせねばならないのか……そのようなこと、たとえ一度としてでも、自分で言いたくなどないというのに。
さらに始末が悪いことに、目の前のレインはそれを分かった上で聞いてきているんじゃないかと思えることがままある。
……自分でも時々、何故自分が彼女と友人関係にあるのだろうか、と疑問に思うことがある……いやまあ、こういう話で無ければ、彼女と波長が合うこともあるにはあるが。
「……ふーん、そうなのぉ」
あえて取り合おうとしなかった作戦が功を奏したのであろう。
レインは急速に興味をなくしたように乗り出していた身を修め、己の目の前のBランチに箸を伸ばした。
引き際は弁えているのだろうか、それ以上しつこく質問しようとする姿勢は見せなかった。
こういったカンのよさや、さりげなく高い知性を感じさせる空気が他の者とは違って、少しは話しやすく感じるのかもしれないわね
と、ぼんやりエレアは思いながら、止まっていた手を再び動かして、手元のメロンパンをその小さな口に運ぶ。
「あ、あの……エレア?」
「なに?」
「その……ごめんね? 私が誘っちゃったから……」
エレアの隣でずっと黙って状況を傍観していたスノウが、済まなさそうな表情でエレアに謝罪する。
エレアは「いいえ、誘ってくれたこと自体はいいのだけどね」とやんわりスノウをフォローしながら、でも……と続ける。
「アナタもそういう、他人の色恋沙汰に興味があったなんて意外だわ……ひょっとして、今のお相手からジョセフに乗り換えようなんて思ってるのかしら?」
「ち、ちがうっ! わっ、私が好きなのはティオだから……ジョセフのことはその、確かに気にはなるけど……部活でよくしてもらってるし 」
慌てて両手をぶんぶんと振り、エレアの言葉を否定するスノウ。
その頬は朱に染められていて、同姓の自分から見ても可愛らしい子だと、エレアは思う。
(……そういうことではないのね)
故に、エレアが心中でした安心もまたひとしおであった。
「ふふ、そう……あなたが今の恋人と上手くやれているようで、私も安心したわ」
「あ……ぅ」
……1年ほど前だっただろうか。
ジョセフが、ある一人の女子生徒と校舎内でとても親しそうに話しているのをよく見かけた。
女子の方はどこか危なっかしいが、とても素直そうで可愛らしい女の子で
寡黙ながらも、そんな彼女を優しくフォローするジョセフ、そんな二人は傍目から見てもとてもお似合いに見えた……そう、自分の目から見ても、だ。
正直に告白しよう。めちゃくちゃに凹んだ。
具体的に言うと、二人の中睦まじい様子を見てから五分後には、既に保健室のベッドの中でふてていたぐらいにだ。
布団の中で、エレアは様々なことを考えていた。
あの二人はやはり付き合っているのだろうか? だとしたらいつの間に? 自分はいつもいつもジョセフを見ていたのに、そんな自分の気づかないうちに?
そんな自分よりもあの彼女をジョセフが? そんなことあり得ると思えない。思いたくない
いや、美術部はどうだ? あそこなら確かに自分の目は行き届かない。そういえばあの子は美術部だったか。
ならば自分が気づかなくても当然だ。自分の知らない想いが彼に芽生えていても当然だ。
……そんな二人の間に、自分の思いの介在する余地がなくとも当たり前だ……と。
(……美しくなかったわね、今思い出しても)
結論から言えば、エレアのそれはまったくの思い込みであり、思い出すと今でもエレアは顔から火が出そうになる。
ジョセフとその女子生徒……スノウの仲が良いのは、当然のごとく同じ部活に所属しているからであり
二人が部活以外でもよく話しているところを見かけたのは……なんのことはない。
『スノウが手作りのプレゼントを彼氏にしたいから、その指南をジョセフに頼んでいた』……ということだったらしい。
基本的に、人の頼み事は断らない彼のことだ。彼女の頼みにも嫌な顔一つ了承したのだろうと思う……自分の気持ちなど知りもせずに
閑話休題。
まあとにかく、そういう事情を飲み込んでからは、エレアも飄々としたもので、ジョセフのパイプを使ってスノウと接触。
持ち前の人当たりの良さで瞬く間に彼女との交友関係を得たのであった
……おまけとして、『自称スノウの一番の親友(はあと)』のレインがついてきたのは、エレアにとって誤算ではあったが。
「応援しているわ、スノウ。これから先も、美しいアナタたちが末永くあるように」
「うぅ……も、もお……恥ずかしい事言わないでよ」
若干のジョセフへの予防線も含んだ言葉だったのだが、スノウはそれに気づかず、純粋に言葉を受け取ったようで、朱色の頬がさらにその濃さを増す。
……ああ、これだ、この可愛らしさが、自分に彼女とジョセフが付き合っているのではないのかという勘違いに拍車をかけたのだ。
もし自分がジョセフの立場だったなら、自分のような気まぐれで横柄な女よりも……きっとこんな、女の子らしい子がいいと思うだろうな……と。
「……あらぁ、そうなのぉ、幸せなのぉ……それはよかったわねえ……スノウ?」
羞恥心であたふたしていたスノウと、意識せず黄昏に浸っていたエレアの背筋が、僅かにその微妙にドスの利いたような声で伸びる。
スノウは恐らく彼女自身が感じ取った気まずさから。エレアは自分がそんな思索にふけっていた自分への驚きから。
スノウが恐る恐る、エレアが悠々と声の方を見ると、微妙に眉間をぴくぴくさせた『自称スノウの一番の親友(はあと)』が笑顔でスノウを見つめていた。
「え、あ、あの……ち、違うんだよレイン? 私は別に、そういうつもりで言ったわけじゃなくて」
「あらあ、そういうつもりってどういうつもりなのかしらぁ? 私まだ何も言ってないのにい」
「そ、それは……」
「私も安心したわ、あなたとティオが上手く行ってるようで……本当に本当にほんとぉぉぉぉぉぉっに……よかったぁ」
「う、うぅ……レイン? 目が怖いよ?」
……ちなみに、スノウとレイン、この二人との交友関係を持ち始めてからすぐの頃の話であるが、ジョセフから面白い話を聞いたことがある。
曰く、スノウの今の恋人にはレインもその昔想いを寄せており、二人の友情に亀裂が入ったことがあるとか
曰く、自分のものにならない男に業を煮やしたレインは、男を攫って無理やりに結婚式を開こうとしたとか
曰く、最終的に二人は夕日の射す岡で拳と拳で語り合い、改めて友情を確認しあったとか
……どう考えても後半は話に尾ひれも足ひれも背びれもつきまくった嘘話だろうが、どうやら三角関係の話に関しては真実らしく
今でもそのスノウの彼氏の話が出ると、微妙にレインが不機嫌になることがままあるのだった。
「……ふんっ、まあ良いわ、それよりもエレアさんとジョセフくんの話よ」
「……え?」
「え?じゃないわよぅ、さっきまでその話で盛り上がってたとこじゃない!」
いや、明らかにその話も打ち切りモードだったではないか。話を切り替えるにしても少しばかり強引すぎやしないだろうか。
「もうスノウとティオが幸せなのはじゅうっっぶんに分かったから!……さっさとそんな話はやめてあなたたちのことを話してちょうだい!」
どうやらスノウの話を盛り上げすぎたがために、レインの機嫌を損ねてしまい、その結果がこれらしい。
……これは悪手を打ったかな、とエレアは内心舌打ちしたが、レインがこちらの話をまともに聞かない事はさっきのやり取りで再確認している。
エレアは心の中でしぶしぶと観念して、しかし外見は余裕の姿を保ち、レインに話を合わせることにした。
「……で、なにかしら? さっきも言ったけれど、私とジョセフは付き合っていないわよ」
「じゃあ、質問を変えるわ……あなたは彼の事を好きなの?」
メロンパンが喉につっかえるかと思った。
「……どうして?」
「だからあ、意味なんてないのよぅ? 強いて上げるなら、『オンナノコ』だから……かしらねえ」
……本当にそうなのだろうか。
本当に彼女はそんな女の感や興味だけで自分にこの質問をぶつけているのか。
もしや全部分かった上で、自分をからかおうとしてこんな質問をしているのではないか。
レインという女を熟知しているエレアには、そう思わずにはいられなかった。
「……嫌いじゃないわよ、幼馴染だしね。ジョセフとは小さい頃からずっと一緒で、家族ぐるみで仲も良かったし
彼女の姉にもとてもよくしてもらってたわ、だから、さっきアナタが言ったように、私たちが仲良く見えてしまうのも当然といえば当然でしょうね
小さい頃から一緒だから、お互いに気兼ねがないのよ……それが、アナタのいうオンナノコの目にはそういう関係に見えてしまうかもしれないわね
まあ、美しい関係だとは思うわよ、互いに気兼ねがないっていうのはとても気が楽だし、互いにそういう気持ちがなくとも、経験から恋人同士よりもお互いを理解していることもあるでしょうしね」
嘘である。
嘘マミレの言葉である。
小さい頃からずっと一緒だったのは、自分が進んでジョセフと共にいることを望んだからだ。
彼女の姉であるサーシャとの仲が今ほどに深くなったのは、自分がジョセフの家に入り浸る事を好んだからだ。
自分が彼の事を理解しているのは、自分が彼を……ジョセフの事をずっと見つめていたからだ。
「……ふぅん、そうなの」
その嘘だらけの言葉に、レインは今度こそ興味をなくしたように、つまらなさそうな顔をした。
エレアの方はというと、ようやくレインによる追求を逃れえたというのに、先ほどよりも表情に影を落としていた(スノウとレインに悟られない程度のものではあるが)。
(……何度目なのかしらね、いったい)
幼馴染、彼の姉、お互いにいた時間・経験……なんどこれらの言葉を口にするのだろう。
何度この言葉を口にするまでに……自分と彼の関係は変わるのだろう。
「……エレア? どうかした?」
流石に、少し様子がおかしいのを悟ったのだろうが。
心配そうな表情で、スノウがエレアを覗き込んできた。
エレアはハッとして、小さく首を振り、スノウへと返す。
「いいえ、なんでもないわ、少し考え事を……ね」
「……本当?」
……この、彼とのこととなるとすぐに後ろ向きになってしまうのは、自分の悪い癖である。
常々、直したいとはおもっているのであるが……とうとう他人を心配させてしまうまでになったのか。
基本的に、他人を省みないことには自身のあるエレアであるが、この可愛らしい友人に心配をかけてしまうのは流石に忍びない。
「ええ、心配してくれてありがとう、スノウ」
「……うん」
エレアが小さく笑顔で礼を言うと、スノウもまた優しい笑顔で応える。
……ああ、自分も……こんな風に、素直に笑える女の子だったらよかったのにな……そしたらきっとジョセフも……
エレアは意識せず、そのようなことを考えていた。
「ふーん」
話に加わらないレインは一人、先ほどから何か物思いに耽っていたようであったが
手元のコーヒー牛乳を幾分かストロー越しに吸い込むと、唐突に言葉を発した。
「……じゃあ、ジョセフくんって手もあるわけか……」
……待て、今この女はなんと言った?
「……レイン? なんのこと?」
「え? や、ジョセフくんも悪くないなあって思ってぇ」
「……だから、何が?」
「だから彼氏に?」
…………は?
「かっこいいし、運動だってできるし、彫刻は美術部の中でもかなり上手らしいし……なにより、スノウの話によると優しいらしいし?」
彼氏?誰が?ジョセフが?誰の?……レインの?……ナニイッテルノ?コノコハ
「いつまでも昔の男に拘ってても仕方ないだろうし……新しい恋に生きてみるのもいいかなあって思ってねー」
「む、昔の男って、ティオはレインと付き合ったことないでしょ!?」
いちいちレインの小さな冗談も本気にして頬を膨らませるスノウ
ああ、本当に可愛いなあスノウは……いや、だからそういうんじゃなくて。
「……レイン?」
「あら、なあに? エレアさん」
「……え? 好きなの? ジョセフのこと」
「うーん……まだ好きじゃないけど……これから好きになっていってもいいかなあって……てへっ☆」
ああ、本当に可愛くないなあこのアマは……イヤ、ダカラソウイウンジャナクテ。
「それに私、結構タイプかもしれないのよねえ、彼の事……私、実直でバカ正直な人って好みなのよ、ホラ、なんだかかわい……」
「やめた方がいいわね」
ざわ…
その時、確かにそんな、何か得体の知れない効果音がした……と、後にスノウは証言している。
「……え、エレア……さん?」
「言っておくけれど、ジョセフは実直でバカ正直なんて言葉とはこの世でもっとも縁のない人間よ、誓ってもいいわ」
「え……あ、え?」
「昔ね、私ジョセフに告白されたことがあるの」
嘘だ。
だが今はそんなことはどうでもいい。
「十三年ほど前かしらね」
正確には十二年と十一ヶ月ほどだが。
「タンポポの綿毛ってあるでしょう? 吹いたらふわって浮くやつね。
今見たらなんてことないものなのでしょうけど、あれは子供心には美しく見えるみたいね
それはジョセフも多分に漏れなかった様ね。私に見せてくれたのよ。
苦労して見つけたタンポポ畑に、無理やり私の手を取って強引に連れてったの。
当時はやっぱり私も子どもだったのでしょうね、柄にもなく嬉しがっちゃって、ホント、子どもって美しいぐらいに可愛いわよね」
これも嘘だ。
子どもかどうかなんて関係ない。
もし今、ジョセフに同じ事をされても、嬉しすぎて一晩眠れない自信がある。
「その時ね、ジョセフったらこう言ったのよ『君が願うなら、俺はいつでも君にこの光景を見せてあげるよ』って
子どもだから気づかなかったけれど、今思えば、あれって告白だったのね
分かるかしら、子どもよ? こんな小さな、まだ回りくどいことなんて一つも言えないようなときに、素直に『好き』とも言えないのよジョセフは」
「え、あ、あの……エレ……」
「だ・か・らっ」
「は、はいっ!」
本人はまったく意識などしなかった。
しかし、気づけばレインは背筋を伸ばし、敬語で話していた。
「……ジョセフはやめた方がいいわ。ね? レインさん?」
「そ、そう……みたいですね……他のアテを探します」
「素晴らしく美しい選択だわ」
……そうだ。そうだとも。
例えば相手が、スノウのような、素直で可愛らしくて
彼のことを真剣に想ってくれるものが相手ならば自分も諦めようではないか(めちゃくちゃに落ち込みはすることに変わりないだろうが)。
だが……だがしかし……
こんな、横柄で、自分本位で、性悪で、本当のことなど何ひとつ言わず、人の追及をのらりくらりとかわすようなものに……ジョセフを渡してなるものか!
ジョセフ本人が聞いていたら、恐らくはツッコミを抑えずにはいられなかったであろうが、実際に本人がここにいないし
いたとしてもエレアがそんな想いの丈を他人の前でぶちまける筈がないので、確認のしようがないことである。
……まあともかく、エレアはそう強く……本当に強く心に誓ったのであった。
「……さ、そろそろお昼休みも終わってしまうわ、早く食べて教室に戻りましょう? 二人とも」
「え、ええ……」
「う、うん」
そんな様子はしかし、臆面にも出さず、笑顔でスノウとレインに促すエレア。
だがしかし、スノウとレインの二人は、確かな感覚はなくとも、なにか……そう、強いてあげるならば動物的本能とでも言うべきか。
それから発せられる危険信号が……こう警告していたのを、確かに、聞いていたのだった。
『この子には逆らわないでおけ……』
と。
「はむ」
どことなく青ざめた表情の二人を完全に視界から外しながら、エレアはまた一つ小さくメロンパンを頬張ると、ふと何か不思議な感覚に襲われた。
それがなんなのか、最初エレアは気づかなかったが、何気なくその感覚が伝わってきたすぐ傍にある窓の外を眺めると、その正体に気づいた。
ふわり
(……美しいわ)
特に意識することもなく、エレアは瞬時にそう思っていた。
数拍の間を空けて、(なんとも絶妙なタイミングね……)という思考が追いついてくる。
さらに数拍置いてから……
『昔ね、私ジョセフに告白されたことがあるの』
一瞬にして、エレアの顔がリンゴのように赤くなった。
幸い、窓側に顔を向けていたため(あと、二人がエレアの顔を直視できなかったため)スノウとレインに表情を悟られることはなかったが。
(……告白)
さっきの言葉は、エレア的にはまぎれも無い嘘だ。
まず第一に本人に確認を取っていないし、その後、再びジョセフに同じような事を言われることもなかった。
それはまあ、さっきエレア自身が言った通り、一般的な観念からすればそんな言葉を言われれば誰だろうと告白だと思うだろう。
しかし、しかしだ……相手はあのジョセフである。
あの、(例え幼かったとしても)鈍くて暢気な朴念仁の言うことなだけに、エレアはそれを告白だなどと楽観することはどうしてもできなかったのだ。
ふわり ふわり
(美しい……本当に、美しいわね……)
無数の綿毛たちの間から差し込む陽光に目を細めながら、ふと……本当にふと、エレアは思った。
(ねえ、ジョセフ……もう一度、この光景を二人で見る事があれば……アナタは、あのときの言葉の真意を教えてくれるかしら……)
その心中での囁きから数瞬
「……ふ」
自嘲。
(何を言っているのかしらね、私は
まず、次にこの光景を二人で見る機会……そんなものがあるかもどうかわからないのに……美しくないわね)
心中でまた自嘲を続けながらしかし、エレアはやはり
(けれど……できる事なら、またあなたとこの光景を…………ジョセフ)
そんな、淡い思いを抱かずにはいられない自分をまた嗤いながら
一人で、空中に揺れる白い綿毛たちを見つめ続けた。
その日の青い空には、無数の綿毛が揺れていた。
ふわりふわりと、とても頼りなく、弱々しく、しかし煌びやかに。
行く先などわからぬように、行く先への不安を表すように、それらは揺れていた。
眼下に見渡す、いくつものコンクリート製の校舎群。
その中の何処からか注がれる、『二人』の視線を同時に受けながら
まるで所在無さげにするように、小さく、ゆらゆらと揺れていた。