『立ち入り禁止』の札がぶら下げられた紐の下をくぐる。  
埃の堆積したコンクリートの階段を、口元を軽くふさぎながらゆっくりと上るが、どうしても少量の埃はやはり舞い上がってしまい、またその様子がはっきりと分かるほどにこの場所は汚れているのだと分かり、エレアは思わず顔をしかめた。  
 
『ごめんなさいエレアさん、ジョセフ君を探して連れてきてもらえませんか?  
どうしても今日中に出してほしいプリントがあったんですけど、ジョセフ君、忘れていってしまったみたいで……」  
『どうして私が? だいたい、ジョセフなら今日も美術室にいるのではなくて?』  
『それが、顧問の先生に聞いたところ今日は美術部の活動はお休みだそうなんです。』  
『……なら、もう帰ったんじゃないかしら』  
『それは思いました。もし本当に帰ってしまっていたなら、もう仕方ないと諦められたんですけど  
校門番のウォルフ先生に聞いたら、今日まだジョセフくんの姿は見ていないと……ならきっと、学校の中にいると思うんです』  
『……それで?』  
『何か特別に用がないなら、エレアさんに、ジョセフくんが学校内でいそうなところを当たって探してきてほしいんです。  
私は、これから委員会の会議があるから手が離せなくて……エレアさんなら、きっと彼がどこにいるのかも分かるかと思って』  
 
クラスの書務委員、メイフォンとそのような会話を交わしたのが丁度十五分ほど前。  
エレアは、早くも嘘でもいいから「用がある」と言っておけばよかったと後悔していた。  
 
(美しくない……まったく美しくないわ)  
 
 大体、どうして自分なのだ。それはまあ、他の者よりは彼のことを知ってはいるつもりだとも。  
 メイフォンに心当たりがあるだろうと言われたときに、確かにいくつかそういった場所が浮かびもしたとも。  
 しかし、しかしだ……それがまるで当たり前のように扱われているのが気に入らない。  
 そしてまた、「ジョセフくん絡みのことなら多分断らないでしょう」みたいなタカをメイフォンがくくっているのも何か気に入らない。  
 自分で言うのもなんだが、ジョセフへの気持ちは、周囲には上手く隠せている……とエレアは思っている。  
それはまあ、二人の幼馴染独特の空気から「もしかして付き合ってるんですか?」などと質問してくる者もいるにはいる。  
しかし、エレアはそう聞かれるたびに笑顔で「彼とはただの幼馴染です」と明言し続けてきた。  
その彼女の笑顔があまりに清廉潔白(に、エレアをよく知らないものにはそう見える)なため  
多くの者は、少なくとも『エレアがジョセフに対して好意を抱いている』という事実には気づいていない。  
どちらかというと、『ジョセフがエレアに好意を抱いているのでいつも一緒にいる』と思っている物の方が多いだろう  
……そうであればどれだけいいか、とエレアはそういったことを聞かされる都度思わざるを得なかったが。  
だが……あのメイフォンだけは、まるで確信があるかのように自分をジョセフ関連のことで利用しようとする……まったく、気に入らない。  
 
(初めてあったときから、何かあるとは思っていたのよ……あの子)  
 
 と、エレアが初対面時にメイフォンに抱いた好ましくない感情を思い出し始めた頃、エレアはもうすぐ自分が登っている階段が終わることに気づいた。  
 
「……まったく、こんな美しい場所に私を通らせておいて……ただで済むと思わないことね、ジョセフ」  
 
 エレアは、その彼女を良く知るものが……例えばジョセフが目視していれば、背筋に怖気を感じずに入られないような子悪魔の笑みを浮かべながら  
 その上りきった階段の先にある扉……屋上の扉のドアノブを握った。  
 
 
 
 
LIAR  
 
 
 
 
 この時間帯、丁度影となる昇降口の裏側。  
 コンクリートの壁に背中を預けてすうすうと寝息を立てるジョセフを見て、エレアはやはり、という顔をした。  
 ジョセフは部活がなく、家に帰ってもやることがない日は、こうしてわざわざ屋上まで来てここで昼寝をしていることが多い。  
 実際に来てみればなるほど、この場所は静かであるし、影という絶好の涼み場もある、しかし決して涼しすぎるというわけでもなく、日の光の陽気にも溢れていて、わざわざこんなところまで来て眠りたくなる気持ちも理解できなくはないと思う。  
 ……しかし、今のエレアの頭の中にあったのはそんな共感ではなく、どうすれば自分にこんな面倒をかけておきながら  
目の前で気持ちよさそうに寝息を立てるこの暢気な男により効果的な罰を与えられるか……その計画の考案だけだった。  
 
(さて……どうして上げましょうか……ジョセフ)  
 
 狙うなら寝起きだ。  
 脳の覚醒していない、判断能力も低下している、これ以上ない最高の瞬間を狙わない手はない。  
 
(…………決まったわ)  
 
 作戦はこうだ。  
 寝起き、すなわち簡単な嘘に引っかかってもおかしくないほどに思考能力の低下した瞬間。  
 その絶好の瞬間を狙って、この男が慌てて飛び起きるような嘘を、自分の(ジョセフを騙すためだけに)磨き上げられた演技力でもって伝え、この男をパニックに陥らせる。  
 そして、その美しくない様を見て、自分が絶妙のタイミングで嘲笑を一つ。  
 
「ふ……ふふ……」  
 
 ああ、楽しい。なんて楽しいのだろう。  
 久しく忘れていた、ジョセフを弄くって遊ぶ感覚を思い出して、エレアは思わず小さな笑い声をもらさずにはいられなかった。  
 体から溢れ出る黒いものをさらに増徴させるその笑みを浮かべながら、エレアは一つ咳払いをする。  
 そして、その次の瞬間には……  
 
「ジョセフ、起きなさいジョセフっ、大変なの」  
 
先ほどまでの雰囲気が一転、エレアはまるで、必至に何かをジョセフに訴えるような真摯な姿勢(もちろんそう見えるだけだ)になり、ジョセフの体をゆする。  
 
「ん……エレ……ア……?」  
 
三、四度体をゆすった頃だろうか、ジョセフはその体を一切動かさず、しかし瞼だけを眠そうに開閉し、いかにも寝起きという細い目でエレアを見つめた。  
 
「ジョセフ!」  
 
 その表情を見たエレアは思わず心の中で微笑んだ。そう、これだ。計画を実行するのに今以上の好機はない。  
 エレアは自分の中で用意していた嘘を下の上に乗せようと、口を開きかけた……開こうとした瞬間だった。  
 
「……エレア、嘘をつこうとしてるな」  
「!?」  
 
正直、めちゃくちゃにエレアは驚いた。  
だってそうでろう。嘘をつくつかないとかいう問題ではない。  
その言の葉を口に乗せようとする前に嘘を看破されるなどと、一体誰が予想できるというのか。  
その答えは、あまりの衝撃にエレアが数秒間(不覚にも)、体の動きも、表情すら停止している数秒間に、未だに寝ぼけ眼のジョセフがくれた。  
 
「エレアは……嘘をつこうとするときと、ついたあと……耳が動くくせがあるだろ」  
「え!?」  
 
 意識せず、耳を押さえていた。  
待て、なんだそれは。  
 そんな癖が自分にあったことなどエレアはまるで知らない。第一、そんな癖をこの自分が長い間気づかすに放置しているはずがない。  
絶対にどこかで気づいて治しているはずだ。自分がどれだけ今まで人に(特にジョセフに)嘘吹いてきたか、それは自分が一番よく知っている。  
そんな自分が、そんな分かり安すぎる癖に気づかないはずなど……いや、待て。問題はそこではない。  
先の台詞から察するに、ジョセフは自分のその癖のことをかなり前から知っていた?  
であるならば、自分が今まで彼に対してついた嘘……それが大なり小なり彼に全てばれていたということか?  
……いや、それこそありえない。ありえるはずがない。  
だって、もし本当に……自分の嘘が彼にバレていたとしたら……今までのあらゆる嘘を看破されていたなら……自分の、彼に対する……想いのことまで……  
 
「ごめん、嘘」  
 
カキーン  
 
『ゲルトぉ! そっちにボール行ったぞぉ!』  
『任せろヘルマン! とうっ!』  
『すげえ!すげえよゲルト!あの球を捕れるなんて、やっぱアンタは天才だ!チャンプだよ!ゲルト!』  
『ふっ、ヘルマン……お前の球も中々のもんだったぜ……これなら、いつでも俺の背中を任せられそうだ……』  
『ゲルト……』  
『ヘルマン……』  
『あっはは〜、待てよぅ〜ゲルトぉ〜』  
『ほぉら、ヘルマン、俺を捕まえてみろ〜』  
『てめえらいいからさっさとボールよこせや!』  
 
 そんな、グラウンドの野球部の声がはっきりと聞こえるほどに、数秒間……ジョセフとエレアの間からは音がなくなっていた。  
 
「…………は?」  
 
 かろうじてエレアがその言葉のみをつむぎ出せたのは、たっぷり三十秒ほど間を空けたころだったと思う。  
 ジョセフはその言葉に対して、大きく慌てた風でもなく、むしろまだ完全に寝起きのテンションで、つらつらと言葉を発し始めた。  
 
「昔……サーシャに聞いたんだ……エレアは嘘をつくときに、そういう癖が出るって  
……っていっても、俺はそんな癖……ぜんぜん無いと思ったから、多分姉さんの嘘だけど……さっき、お前の耳が、動いてるように……見えたから……」  
「……つまり、何? 貴方は……私を振るいにかけたということ……?」  
「…………まあ、平たく言えば」  
 
カキーン  
 
『ところでヘルマン、俺のバッティングを見てくれ……こいつをどう思う?』  
『すごく……力強いです……』  
『ああ……次はホームランだ』  
『お前らもう帰れや!!』  
 
 今度の静寂は先ほどのものよりも、幾分かは短かった。  
 つまりは何だ……ジョセフが自分にあるといった癖は、実際のところはジョセフのカマかけで、自分はそれにまんまと乗ったと?  
 しかもそれを真面目に信じた自分は、今までの自分がついた嘘を真面目に思い返して  
 それが全て彼にばれていたのかと真面目に悩んで  
 もし本当にばれていたら……ばれていたならどうしようなどと……そんなことを真面目に…………  
 
「……つっ!」  
 
 ようやく頭の中で要点を纏め終わるのと、顔を真っ赤にしたエレアがジョセフの顔に張り手を繰り出したのは、ほぼ同時だった。  
 いつものエレアならそういった暴力的な行いは美しくないと断じたであろうが、残念ながら今の羞恥心に頭を支配されたエレアにそんなことを考える余裕などなかったのだ。  
 しかし、どうやら今日はエレアにとってとことん運の向いていない日らしい。次の瞬間、エレアがまったく予想だにしていなかったことが起きた。  
 
パシッ  
「なっ!?」  
 
 ジョセフが、あろうことかエレアが繰り出した張り手を受け止めたのだ。  
 一瞬、何が起こったのか分からず思考停止していたエレアはしかし、手に感じる自分の体温以外の温もりを感じて、はっと正気に戻った。  
 
「ちょ、ちょっとジョセフ!? 離しなさい、ジョセフ!」  
 
 しかし、ジョセフは何故か頑として強く握り、受け止めたエレアの右手を、その己の左から決して解放しようとはしなかった。  
 
「な、何を……え?……ちょっと……ジョセ……フ……」  
 
 まずい。先ほど感じた、俗に言う『頭に血が上る』とはまた別に意味で顔の熱が上がっていくのを感じる。  
 いや、顔だけではない。その場所以外の血の流れ、心臓の音、目の動き。  
 その全てが、明らかに常のものとは違うものになっていること、エレアは誰あらん、自分自身が一番感じていた。  
 
「や……こんな……ジョ……ジョセ……」  
「……ぐぅ」  
「…………え?」  
 
 まるで予想していなかったジョセフの口から発せられた音に呆気をとられて素っ頓狂な声を出してしまうエレア。  
 恐る恐る彼の表情を伺おうと、小さくしゃがみこみ、俯き気味のジョセフの顔を覗き込むと……  
 
「すぅ……すぅ……」  
 
 どう見ても熟睡しています。本当にありがとうございました。  
 
「…………はぁ」  
 
 一気に気が抜けたエレアは、思わず膝からその場所に座り込んでしまった。  
 
「……何かおかしいとは思ったのよ」  
 
 そう、思えばエレアがここにきた最初から、ジョセフはどこかおかしかった。  
 普段のジョセフなら、たとえ自分が騙されていると分かっても、こんなエレアの気を動転させるようなカマはかけないだろう。  
 それ以外にも、あっさり自分がカマをかけていたと認めたり……何よりも、自分の手を握ったりなどと……  
 早い話が、ただ寝ぼけていただけ……と。  
 
「…………」  
 
 自分で至った思考に、自分で落ち込み、それにまた自分で気づいて、また一つため息をついてしまうエレア。  
 普段の、人前で上品に振舞う彼女の姿しか知らないものが見れば、恐らくこれ以上に驚くものはないだろう。  
 
『エレア……気をつけてね、アナタは……』  
 
 体中の力が抜けて、思考がはっきりしてきたからだろうか。  
 ふと唐突に、数年前に聞いたはずの……しかしたった今まで忘却していた記憶がエレアの頭の中でよみがえってきた。  
 
(ああ、そうだわ……思い出した)  
 
 アレはそう、まだ自分が小学生ぐらいの年の頃だっただろうか。  
 ジョセフの姉であるサーシャから、あるとき言われたことがあった。  
 
『エレア……アナタは嘘をつこうとした時とした後に、耳がぴくぴく動いてしまう癖があるわ』  
『え!?』  
 
 あの時も今と同じように、耳を押さえた記憶が、確かに残っている。  
 
『大丈夫、多分、まだ私以外には誰も気づいていないと思うから……』  
 
 そう言われて、かなり驚いたことも記憶に残っていた……自分にそんな癖があったこと、サーシャに自分でも気づいていなかった癖を知られていたこと  
 ……そして何より、その癖が『事実』であったことに。  
 
「……そう、事実だったのよね」  
 
 そうなのだ。サーシャに指摘され、ジョセフに指摘されたその癖は、確かにエレアがかつて、実際に持っていたものだった。  
 かつて……というのは、エレアが既にそれを克服したことを表している。   
 エレアは、サーシャにその癖を指摘された後、必死にその癖をなくす努力を続け、そして最終的には、その癖を完全に克服したのだ……したはずだったのだ。  
 
「……まだ、完全にではなかった……ということかしら……美しくないわね」  
 
 克服した、というのは嘘ではない。  
 事実、サーシャもそれを見て「もう分からない」という太鼓判を押してくれたし、自分でも何度も確認して、己のその癖が直っていることも確認した。  
 何より、いくらサーシャでなくても、そんな癖が直っていなければ  
 流石にそれが嘘のときに出る癖だと気づく人間が後何人かは現れてもおかしくはないだろう。  
 それはすなわち、少なくともそれほど大っぴらに意識されるほどには癖は残っていないということだ。  
 だがしかし、それはどうやら彼女の言う『完全』とは行かなかったらしい。  
 どうにも、自分が多少なりとも「嘘がばれるのではないか」という危機感をもっていないと、未だにその癖は出てしまうようだ。  
 今回に限っていうなら、ジョセフが寝起きで、そのように虚偽を見抜けるほどの判断力はないであろうと断じた故に、癖が出ることを止められなかったらしい。  
 ……幸いだったのは、ジョセフがサーシャから教えられたらしいその癖を、事実だと信じてはいなかったことだろうか。  
 もしジョセフがそれを信じていたら、そして自分の癖が直っていなければ……そう思うとぞっとしない。  
 しかし、何故サーシャはジョセフにその癖のことを話したのか……と考え始めて数秒でその思考は止めた。  
 恐らく、酒の席で勢いに任せて言ってしまったのだろうということが簡単に分かったからだ。  
 とりあえず、後でサーシャに問い詰めておこう……そう、エレアは強く心に誓った。  
 
「う……ん……」  
 
 思わず体がびくりとする。  
 声が発せられたジョセフの口元を見ると、そこは緩く開け放たれ、白い清潔な歯が見え隠れしていた。  
 少し上に視線を泳がせ、閉じられた目元を見るとは意外とその睫毛が長いことが分かる。  
 他にも、鼻筋はすっと綺麗に通っているし、緩い風に揺らされる黒髪は、見ているだけで何かこちらの心まで小さく揺らされる気がする。  
 
『サーシャ……どうしてサーシャは、私にそんなことを教えてくれるの?』  
『ん? ふふ……私ね、妹にするなら可愛い子がいいなって思ってるの』  
『?』  
 
 そんな、思い出さなくていいような……いや、むしろ思い出したくない記憶まで思い出してしまったのは  
 決して、自分がジョセフの顔に見入り、改めて己の気持ちを意識したからなどでは決してない。  
 ……ない……と、せめて頭でだけでも、エレアはそう思いたかった。  
 
 
 
 
 大体二十分ほど時間が過ぎたころだったろうか。  
 ジョセフはまるで起きる気配などなく、相変わらず十分前と何も変わらぬままで、静かな寝息を立て続けていた。  
 そう……『何も変わらぬまま』で、眠り続けていたのだ。  
 
「……まったく、いつまで眠り続けるのよ……あなたは」  
 
 しゃがみ続ける姿勢につらくなったエレアは、今はジョセフの隣で壁に背を預け、ジョセフの横顔を眺め続けている。  
 一体、眠ったその体のどこからその力がくるのか。  
 そう思わずにはいられないほど強く、ジョセフの右手に握られた右手を、お互いの丁度間に置きながら。  
 
「……美しくないわ」  
 
 さて、どうしするべきか、いくら起こそうとしても起きないこの男。  
 先ほどはつい頭に血の上った勢いで手を出しかけたものの、流石にそのような美しくない行いを何度もする気は起きない。  
 かといって、このままジョセフをつれていかなければどうなるのか……とりあえず、メイフォンの無駄に圧力のある追求を受けることになるだろう。  
 悪くすれば、そこから噂が広がって『自分とジョセフはそんな長い時間どこで何をしていたのか』などという話になりかねない。  
 それは美しくない。非常に美しくない。  
 
「……はぁ」  
 
 ため息をつきながら、今一度ジョセフの横顔を見やる。  
 
「すぅ……すぅ……」  
   
 その、静かに発せられる寝息だけが、この二人のいる空間を支配していた。  
 夏特有の虫の声も、グラウンドにいるはずの生徒の……それこそ、先ほどまで聞こえていた野球部の意味の分からない掛け声も……何も聞こえなかった。  
 音以外で、あえてそこにあったものは何かと言うならば  
 そこにはただ、コンクリートの固さと、屋上という空間が作りだした不思議な暖かさと  
 そして……ジョセフに握られた手から感じる、温もりだけがあった。  
 エレアは、その温もりを感じながら、いつの間にか自分の視界がまどろんでいることに気づいた。  
 どうやら、エレア自身もその屋上の空気に当てられてしまったらしい。  
 まったく、自分は彼を起こしにきたはずだというのに……そう思いながら、エレアは焦点の定まらない眼差しで  
瞼の落ちきる瞬間に、隣で相も変わらず眠り続けるジョセフに、恨み言を小さくぶつけた。  
 
「まったく……早く……起きなさいよ……ジョセフ……」  
 
 一つだけだった寝息が二つになったのは……それから、間もなくしてのことだった。  
 
 
 
 
ぴくぴく。  
 
 
 
 

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