その写真の中で、レヴィはいつもと同じ笑顔で暴れていた。
獲物を振り回して相手を散々に叩きのめす時の、あの邪悪で凍り付くような笑顔。
違うのは、ソードカトラスの代わりに何重にも編み込まれた皮鞭を握っているのと、
黒く艶光りするボンテージに身を包んでいる事だった。
被害者もブロンドの下着姿の女で、ボールギャグと手錠姿で繋がれているのに表情は恍惚としていた。
「よう兄ちゃんか、わざわざ持ってきて貰って悪ィな。ウチの車がいきなりイカれちまってよ…」
「あの、ローワンさん、これは…」
アフロとサングラスに覆われて正体不明な顔が、露骨に青ざめ歪んでいく。
怯えた様子で倉庫の出入り口に戻って周囲を確認し、即座に扉を閉めて鍵までかけた。
「よう、レヴィは…今日は」
「いえ、俺一人で来ましたけど」
「そうか!いや危なかったァ、今更そんな物が残っているってバレたら洒落んなんねェからな」
「ヤバい物なんですか」
「いやそいつはよ、お前さんがこの街に来る前に、奴がここで銃の改造代稼ぐ為にバイトしてた時の写真さ。
結構筋良くて人気もイケてたからよ、まんまメイン張っても良かったくらいだったんだがなァ」
「稼ぐだけ稼いでおさらば、ですか」
「その通りさァこの俺様がせっかく楽して稼げる花道作ってやったのによ。
その上、奴ァ撮っておいた写真のネガポジ全部焼いて捨てちまったのさ」
きっと、出来たてのカトラスを突きつけて、洗いざらい持ち出させたに違いない。もし隠していたらブッ殺すとか言って。
「だからよォ、俺としてはそんな写真が今更残っていたなんて夢にも思ってなかった訳さ。確かに内緒で撮っていたビデオまで全部出したんだがなァ」
「そこの段ボールの下敷きになっていたんですよ。今まで隠れていたんでしょう」
「いやァ見つけたのが兄ちゃんで助かったわァ。頼むからこの事は黙っててくんねェかな?
野郎、俺を店ごとローストした上に鮫の餌にするなんて言ってやがった。マジ顔で」
「ええ、良いですよ。コレは俺が捨てておきますから」
さすが話が分かるとか、今度店に来たらロハで何とかとか、そんな無意味な言葉を聞き流して、俺はさっさと仕事を済ませて事務所に帰る事に専念した。
混ぜ物密造酒の箱を運ぶ最中も、一瞬だけ見たレヴィの肢体が網膜に焼き付いて離れなかった。
予定では、ダッチとベニーは船の整備、レヴィは脚の治療の仕上げで闇医者に行っている筈だった。
今、事務所には俺しかいない。それは計算済みだった。
それでも万一の場合に対策をし易くする為にトイレに入り、それからやっと胸ポケから写真を取り出して、見返す。
いつも着ているホットパンツとは全く対照的な、金属質に近い黒い光沢の衣装。
SMショウ用の衣装だって事くらいは俺にも分かる。叩かれている女がいわゆるそういう性癖である事も。
ナンセンスなまでに頑丈に固められた腕と脚。それとは正反対に露出を強調している太股。
多分俺よりも筋肉の多く詰まった、それでいて男みたいに隆起の激しくない、綺麗な太股。
更に右足でM役の女を踏みつけているせいで、ミニドレスのスカートがめくれ上がっていて、太股の付け根が…股間が見える。
最初に見た時はそこまで気が付かなかったけど、今良く見ると、このドレス自体が簡単にデルタを覗かせるデザインになっていた。
そして、その股間だけが、ボンテージにあるまじき白く虚弱な薄い布で覆われている。
なんていうか、まるで漫画みたいにあざとい仕掛け。
嫌でも視線はその一点に集中する。下着と言うには申し訳程度の面積しかないショーツの部分に。
「これ、陰毛、なのか…?」
さすがに性器の部分は巧妙に隠されているけど、そのすぐ上、大胆にV字の切れ込みが入っている部分。
ちょうどドレスの陰に隠れて判別できないけど、確かに黒い「何かが」見える。
その黒く茂った塊が、写真という平面的で無機質な世界に、生々しい匂いと質感を持ち込んでいた。
息を潜めて、本当に誰もこの場にいない事を確認してから、写真を床に置いて腰のベルトを緩める。
ズボンを脱ぐ事自体は本来トイレで行う当然の行為で、しかし目的は微妙に異なっていた。
排泄するのは便意ではなく、性欲の方だ。想像がレヴィの全身を覆い尽くしてしまうと、とても我慢できなかった。
この街は、欲を満たす物なら何でもありそうに見えるが、いざ安全を求めるとそうでもなくなる。
東京みたいに清潔な風俗なんてある訳が無いし、じゃあ路上の女を買おうとすると、どれもこれもが危険牌にしか見えない。
安全な相手となると高級娼婦になるけど、しがない海賊の手下その1にそんな財力もない。
ローワンの店なんて、さっき自分で運んだ物の正体知っているからには、選択肢にもならなかった。
すると残る手段は、多くの場合自己処理のみだ。つまりその為の材料を仕入れなければならない。
で、油断してその手の本屋なんかに頻繁に通えば、誰に見つかってヘタレなんて噂を流されかねない。
まるで田舎の中学生みたいな感覚だったけど、ただでさえ微妙な俺の立場で、これ以上変な評価をされた場合、
場合によってはダッチ達全員に迷惑が及ぶ可能性もあるだろう。
つまり、俺にとってこういう素材自体が貴重な物だった。
罪悪感はあったけど、とにかく取り敢えず一度吐き出さないと冷静に思考できない。
心の中でレヴィに詫びながらペニスを握り、全力で擦る。一刻も早く終わるように。
途端に、今までなるべく想像しないように努めていた妄想が、堰を切った様に脳内に溢れ出てきた。
幼少時に父親にレイプされるレヴィ。
スラムで暴漢に襲われるレヴィ。
金の為に誰とも知らない男に身を売るレヴィ。
妄想が段階を経る度に異様な快感が身体を貫いた。
俺を守って死線を何度も駆け抜けた彼女に対する劣情の稚拙さに、俺は泣きそうだった。
頭の中で泣きそうになりながら、下半身は一方通行で絶頂まで駆け抜けていく。
その勢いは天変地異でも止まる物じゃない。
この瞬間に核が落ちてきても、消滅するより先に必ずゴールに辿り着けるだろう。
写真のレヴィの股間を凝視し、想像の照準を定めて脳細胞にムチを打つ。
汗と革の混ざった匂いと、針金みたいに硬い陰毛。そのイメージが視覚と聴覚に強烈に焼き付く。
そして瞬間、鼻の頭に確かに感じた。
陰毛が触れる微かな感触と、ツンと鼻腔を突き抜ける陰部の匂い。
「レヴィ…」
自分でもタイミングが全く掴めなかった。今まで体験した事のない猛烈な射精感だった。
紙で受け止める間も無く、精液がだらしなく床に散った。
狙った訳でもないのに、半分近くが写真の上に落ちて、光沢面に白い粘液の円が幾つもへばりついた。
結果として俺はかなりダメなオナニーを実行した事になる。
終わった時独特の自己嫌悪が、今の状況を客観的に見返したせいで、何倍も嵩上げされる。
思わず死にたくなったが、当然死ねる筈もないので、ただ呆然と天井を見上げるしかない。
何やってんだ俺…
この街に来てから一年、なんだかんだで仕事にも慣れ、死の寸前まで行った事も何度かあった。
数日前には、日本でかつての生活と決別し得るだけの経験をして、本当の意味でこの世界に踏み込む覚悟を決めた。
で、その矢先にやっているのがコレじゃあ、日本にいた時と何が違うって言うんだ?
最低だ…本当に。
とにかく急いで片づけなければならない。まず床をどうにかしないと。
電話が鳴った。
何かを考えるとか、そういうのは全然無くて、ただひたすら床と写真を拭いた。
一切の痕跡を残さないのも重要だけど、今は早さが一番大事だった。
電話のコールはもう三回目に達している。
日本の商社ならこの時点で叱責物だ。幸いここはロアナプラで、コール回数をカウントする暇な上司はいない。
でも、あのコールが途絶えて、相手がもし重要な取引先だった場合、ヤバいのは同じだ。
出なかった事実よりも、その時ここにいる筈の俺が何をしていたのか、という事が問題になる。
「トイレで大きいヤツを出してた」で切り抜けられるか?これなら確かに嘘は半分だ。
だが尚更ここの痕跡を一掃しておかないとヤバい、匂いなんてバレたら速攻だ。
コール五回目。自分の精液で軽く指が濡れた。気にしている余裕はない。
それとも、取り敢えずこの場を放棄して電話に出るべきか?
…いや、もし万々一電話中に誰かが帰ってきたらどうする。あり得ない話じゃない。
電話に出れなかった場合のリスクと、この場を放棄するリスク、どっちが高い?
いやいや、考えるより先に動け。手を動かせ。急げば間に合う筈だ。
よし、これでモノは消えた。匂いさえ換気扇で吸い切れれば…それはもう俺にはどうしようもない。
光の速さで扉を開けるのと同時に、予想外の結果が三つ同時に襲いかかってきた。
一つ目は、電話のコールが十回にも達しないで途絶えた事。
二つ目は、それは俺ではない人間が取ったからだという事。
最後は、それが他でもないレヴィだった事。
「なんだ、姉御か…何、次の定期便の中身変える?どうせ運ぶのは同じなんだからどうだって良いじゃねーか。
…ああ、分かってるよんな事ぁ。だがウチのビッグボスは生憎留守だ。帳簿屋ならいるぜ?」
やっと日本でやられた足が治ったらしいレヴィは、松葉杖の代わりにビール片手に電話を受けていた。
「ほらよ、ロック。きっちり給料分の仕事しな」
「あ、ああ…」
目の前に受話器を突き出されても、すぐには現実を受け入れられなかった。
何故気付かなかった?
いつからここにいた?
俺がトイレにいた事を知っていたのか?
俺がそこで何をやっていたのかを…
「ったく、ろくに仕事もしないでビールばかり飲んでっとジジイみたいにトイレが近いぜ」
しかも、よりによって一番ヤバい場所に直行していく。
冗談じゃない。確かに写真は回収したし痕跡も消したけど、こんな早いんじゃ匂いはまだ消えてないってのに。
レヴィが「あの」匂いに気づかない筈がない…
「どうも。お電話代わりました。次の定期便の品目変更ですね?日時が変わらなければいつでも入れ替えは…はい、では三日後の15時に」
レヴィは、出てこない。何の異常も無い。
「ルート指定と目的地の変更も…はい。一応重量変化による燃費計算もありますので、費用変更に関してはまた後日という事で」
泣く子も黙るホテルモスクワの武闘派最筆頭と話しながら、内心ではずっとトイレの中の女ばかり気にしている。
考えてみれば、俺は両方の女に殺される直前まで行った経験がある訳で。
それが今となっては、銃を突きつけられるよりもオナニーがバレる方がずっと怖い有様だ。随分酷い話じゃないか。
「はい、それではまた三日後に」
受話器を戻す。トイレには何の変わりも無い。大体三分間は話していたから、何とも無いってのは…
ひとまず助かった、のか?
安堵して胸ポケの写真を確かめる。いつの間にか消えている、なんて事もなくしっかり収容できている。大丈夫だ。
しばらくしてレヴィがトイレから出てきて、ダッチとベニーも戻ってきた。それからはいつもと同じ事務所だった。
仕事が無ければ適当にダベる場所でしかない。飛び込み営業しなきゃならない程飢えてもいない。
こんな物騒な町にいるのに、むしろ日本より落ち着いた、ゆっくりとした日々。
仕事は命懸けだけど、その分オンとオフがはっきりとした生活が、今はもう身に染み付いて離れない。
そして問題の性欲処理は…しばらくは胸ポケの物で持つだろう。
それにしても写真の中の本人と会話して何の動揺も無かったのは、それなりに死線を潜って来たからなんだろうか。
「何だロック?アタシの顔に何か付いてんのか?」
「ん、いや別に…」
その後は、何事もなく時間が過ぎていった。
明確に決まっている訳でもない営業時間が何となく終わり、当直代わりに一人残るのを除いて、他はお疲れさん。残業も無し。
今日の係になったダッチを残して、いつも通りに黄旗に寄って一杯引っかける。
本当は速攻で家に帰ってしまいたいなんて本音は欠片も出さない。
やれあいつが死んだとかあそこが儲けたとか、そんな話を聞き流してる間も、脳裏に焼き付いた写真の映像が消えなかった。
そのせいなのか、いつの間にかレヴィが途中で帰った事に気が付かなかった。
ベニーと別れて、やっと家に帰り着いた時には、もう頭の中は写真の事で一杯で、扉や部屋の異常には全く気付かなかった。
灯りを点けようとした瞬間に、側頭部に堅い感触が突きつけられた。
「遅いお帰りだな。色男。どっかで商売女でも引っ掛けて来たのか?」
「い、いや…俺は」
「うるせぇ。さっさと扉を閉めろ」
相手が誰なのか、その目的が何なのか、考えるまでもなかった。自分の浅はかさも。
やはり誤魔化せる筈がなかったんだ。
「出しな」
「何を」
「ふざけるな。ポケットに後生大事に取ってあるブツに決まってんだろ」
いつかの潜水艦の時と雰囲気が似ていた。つまり冗談は通じないし、下手したら本当に殺される。
その上、今の俺には大層な理屈も立場もない。全面的にこっちが悪い。
だからと言って、浮気した夫みたいにすぐ土下座して謝れば済むなんて状況でもない。
選択肢はただ一つ『言われた通りにする』だけ。
暗闇の中で静かに胸ポケから写真を摘み出し、大体の見当で彼女の眼前に献上した。
「ふん、大方ローワンの野郎からせしめたんだろうが」
「俺が倉庫で偶然拾ったんだ。ローワンは知らなかったんだよ」
「黙れ。今の手前はカカシだ。勝手に喋る権利も歩く権利も無ぇ。良いと言うまでそのまま動くな」
写真をむしり取られても、相変わらず銃口は突きつけられたままだった。
言われた通りに直立不動を崩さず、それでもなんとか彼女の動きを音と空気の流れで感じようと努める。
でも、写真を奪ってからなんの気配も感じない。
逆にそれが今にも引き金を引こうとする前触れの様に思えて、さすがに恐怖を無視できなくなってきた。
今回はヤバい。ていうか一回実際に撃たれたからには次だってそれほど難しくない…
「汚らしくてクセェ臭いだ。これがお前のナニの臭いか」
「本当に済まない。悪いと…」
「誰が喋って良いと言った?」
こめかみに当てられた銃口には、間違いなく明かな殺意が籠もっていた。
そのくせ、写真を鼻に近づけて臭いを嗅いでいたってのは何なんだろう?
思わず笑いそうになるけど、何とか堪えて次のアクションを待った。
「この写真を見ながら、あたしを犯したいと思ったのか?ナニをぶち込みたいと思ったのか?」
「…」
「今は喋れと言っているんだ。さっさと答えろよノロマ野郎」
答えたくないんじゃない。
「分からない」
「あぁ?」
「分からないんだ」
確かに彼女がそうされる姿を想像していた。でも、俺自身がそうしたいのか?
自分の心に聞いても分からない。これは嘘じゃなかった。
「とぼけんじゃねえ。こちとらしっかり見てんだよ。お前が救いがたいアホ面で惨めなシゴキっぷりを披露しているのをよ」
一瞬、意識が遠くなった。ある意味ヘリに魚雷食らわせた時よりキツい衝撃だった。
「じゃあ、じゃあ、まさかトイレの中にいた時から」
「ヘロインでネジがゆるんだジャンキーみたいな喘ぎ声出すからバカでも気付いたさ。神も見捨てる間抜けぶりだったぜ?」
嘘だろ、ずっと黙って「して」いたつもりだったのに…名前で呼んだ時よりずっと前から声を出していたってのか。
つまり、ほとんど全部見られていたのか?あの醜態を?
「…分かった。もう良いよ。殺してくれ」
「そうはいかねえな。死にたくなる気持ちは分かるけどよ」
アヒャヒャヒャと高笑いする。当たり前だ。俺だって殺された方がマシだ。
明日、このネタで笑いまくるダッチやベニーを想像するだけで首を括りたくなる。
「大体、本気でお前を殺せると思っているのか?」
突然、目の前に小さな光が現れた。銃の発射光でも灯りでもない、ライターの炎。
その直上に、例の写真が降りてくる。
炎の尖端に触れた途端に、写真はいとも簡単に燃え上がり、より一層大きな光を放つ。
灰皿の中で燃えるオレンジ色の炎に照らされて、ようやくレヴィの姿が見えた。
写真と全く同じ、黒革に包まれた姿。
頭に被っている装置は、多分暗視スコープだろう。あの格好でずっと待ち伏せていたのか。
俺より早くこの部屋に忍び込んで、着心地悪いだろうボンテージスーツとスコープを着けて、カトラスを握って。
「レヴィ、お前…」
物騒な装置を外して晒した素顔は、さっきまでの言動とは裏腹に能面みたいに静かで神妙だった。
「あたしとしたいなら、そう言えよ」
炎が消える。その寸前にベッドサイドの読書灯が点る。
「あんな惨めな事するくらいなら、なんで面と向かって言わないんだ」
読書灯の電球に照らされて、ベッドが純白に輝いて暗闇の中に浮かぶステージになる。
その上にレヴィが自分で横たわり、ゆっくりと両脚を広げる。
あの写真の中の、ほんの僅かな陰でしかなかった部分が、今、すぐ目の前にあった。
シルクの布地に包まれた、黒い陰毛と匂い立つ股間…
「よう、お前が欲しい物はコレだろ?さっさとしゃぶりつきなボーイ」