(……全く……どうしちまったッてんだ、あたしは……)
バツが悪そうにうなじをポリポリと掻きながら、マリアザレスカ号の廊下を歩くのは、
ラグーン商会の二挺拳銃こと、レヴィである。
自他共に認める、ウルトラ短気なレヴィの機嫌が悪いのはいつものこと。
少しでも気に入らないことがあれば、手でぐしゃぐしゃと自らの黒髪を掻き回し、
大股であちこちを歩き回り、辺りを蹴飛ばし、殴り飛ばし、
時にはカトラスを振り回し、所構わず撃ちまくる…
それがロアナプラでの日常風景だ。
(どうやったって…あいつのことが頭から離れやしねェ……)
が、今日は少し様子が違う。
懐の拳銃に手をかけることもなければ、壁や床に八つ当たりすることもない。
真剣な顔で、ゆっくりとした歩調で歩きながら時折ふと考え込むことさえある。
機嫌が悪いというよりは、悩んでいる、と言ったほうが適切だろうか。
彼女の態度を大きく変えたのは、日本という極東の地だろうか。
それとも幼少のNYを思い出させる、薄暗い雪の夜だろうか。
それとも……彼女が頭を悩ませている、「あいつ」だろうか。
「……───ロック。」
レヴィは、数時間前の公園での会話を思い出していた
『レヴィ。俺は戻るために来たんじゃない。
忘れるためにここへ来た。
もう一度、起こることのすべてを見続けるために、ここへ来たんだ。』
ロックが、自分の家に──日常に戻ると言ってもおかしくはなかった。
夢から醒めると──彼女の前から去ると言ってもおかしくはなかった。
けれども彼は、ロアナプラを、ラグーンを、薄汚れた悪党生活を、
(──そしてあたしを──選んでくれた──……。)
そんな乙女のような考えがふっと頭をよぎり、レヴィは諦め気味に自嘲した。
ロックはきっと、自分を特別視していない。
クソが付くほど真面目な彼は、
自分のことをラグーン商会の仲間としか見ていないだろうし、
ましてや一人のオンナとしてなんて見てくれはしないだろう。
「自分を」選んでくれた、なんていうのは、
自分にとって都合のよい、ただの妄想にすぎない──。
彼女はわざと明るく、そして粗雑に振舞い、
自分の想いをあっさりと上から塗りつぶした。
(ハッ!それでいいじゃねェか。ノープロブレムだろ?違うか?
オンナとして見てくれねェ?当たり前のことじゃねェか。
ロックのことが頭から離れねェ?そンだけのことじゃねェか。
これッぽっちも悩むこたァねェ。額に鉛弾ブチ込みたくてたまんねェ連中が
夢の中にまで出てきたことだって何度もあンだろ?
そいつらとなンにも変わりゃしねェよ。
あァそうだ。愛だの恋だのってワケじゃねェんだ。ったく。)
そう、愛や恋といえるほど強い想いではない。
かといって思慕の情や仲間意識で片付けるほど弱い想いでもない。
ロックに、自分のことを愛してほしいとは思わない。
ロックに、自分のことを見てほしいとは思わない。
そんな甘ったれた想いは、とっくの昔にNYの腐ったドブ川に捨ててきた。
ただ、ロックのことが頭から離れない。
ただ、ロックが他の女といると気に食わない。
ただ、ロックと一緒にいると安心する。
ただ、ロックのことを考えていると、
肌が粟立つような、武者震いのような、居ても立ってもいられなくなるような
そんななんとも言えないゾクゾクとした感覚が身体を包み、
身体の芯が熱くなるような──。
そこまで考えている間に、また彼女の表情は沈んだものになっていた。
「……そうだ。このへんが──妙に熱くなりやがるんだ……。」
チェックのミニスカートの上から下腹部に掌を当ててみた。
自分にあてがわれた客室の前に着き、
どこかのポケットに押し込んだはずの扉の鍵を探しながら、そこをゆっくりと撫でてみた。
確かに、薄い腹の皮を通じて、体温以上のなにか熱いものを感じる気がする。
いずれは業火となってわが身を焦がす予感を持った…種火のようなほのかな熱さ。
それを労わるように、癒すように撫でていると、逆の手が、金属質のものに触れた。
指の感触から、すぐに部屋の鍵だとわかる。
ポケットから取り出し、一瞥して確認する。確かに鍵だ。
それを扉の鍵穴に押し込み、回そうとして──ふとレヴィの動きが止まった。
レヴィはそのまま長い間何かに想いを巡らせていた。
そしてふと何かに気付き、何かに納得し、
そしてクスッと──いつものニヤリとした笑いではなく、
あくまで小さくクスッと──笑ったあと、そっと呟いた。
「──……ああそうか。そういうコト……か。」
冬空を仄かに青く染めていた太陽は、既に西の空にはなく、
かといって漆黒の闇は、まだ全てを塗り潰すこともできず、
東京の空は、冷たい灰色の夕闇に留まっている。
マリアザレスカ号の客室の扉が
軋んだ音を立てたのはそんな時分であった。
(……誰もいやしねェよ……な…──)
扉の隙間からひょっこりと顔を覗かせ、薄暗い客室を覗き込むのは
ラグーン商会の二挺拳銃こと、レヴィである。
ガンマンとして常に周りに敵を作りながら生きているレヴィが
部屋のチェックを欠かさないのはいつものこと。
自室であっても安全な保障はどこにもあるわけがないし、
留守中に敵が忍び込んでいて、帰宅と同時に銃撃戦…なんてことも
ロアナプラでは日常茶飯事である。
(……いるわきゃねェか……ま、いねェほうが都合がいいンだけどよ──)
が、今日は少し様子が違う。
簡易ベッド程度しかない質素な客室には、招かれざる客は愚か、
今朝彼女が蹴り飛ばして床に落ちたはずのシーツも
昨晩彼女が脱ぎ散らかしたはずの下着類も
ガンオイルや銃弾や薬莢の類も、全く見当たらない。
そっと部屋に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉めたレヴィの目に映るのは、
灰色に染まる金属の壁に囲まれた、無人の客室と、
使用後に几帳面に整えられたであろうシーツ、
そして椅子の背もたれにかけられたYシャツと、2本のネクタイ。
そう、ここは彼女の部屋のすぐ隣。
「……───ロックの部屋……か。」