夢は夢のままだからこそ美しいのかもしれない。  
けれど人は美しいものを壊したがる。  
欲しいものを手に入れたがる。  
たとえ後に何も残りはしないとわかっていてもその一瞬に夢を見る。  
なぜならその瞬間は永遠なのだから。  
 
 
 
五年ぶりに日本へ立ち寄ることが決まった時、めぐみはすでにその考えを固めていた。  
髪をショートにし、化粧もせず、常にスーツを着込んで男のなりをしてはいるけど、女性特有の線の細さと柔らかい雰囲気までごまかせるはずもない。  
抱きしめたくなるような華奢な眼差しと船医という大変な仕事をこなすギャップに惹かれる男達は多かった。  
求婚にまで発展する自己欲の強い者もいた。  
私は病気で子宮も卵巣も全部取っているから結婚しても子供は作れない、めぐみははっきりとそう告げる。  
中にはそれでもかまわないとしつこく食い下がってくるのもいて、仕方がないので軽く受け流し放置の方向で対処している。  
いくら女の器官を全て失ったからといって気持ちや心まで男に変わってしまうわけがない。  
めぐみは女なのだ。だから好きになる相手は異性に決まっている。  
 
ことごとくデートの誘いを断ってきたのも自分は“男”として生きていくというプライドに固執しているせいではない。あの日離れてから数年間、未だにめぐみの脳を支配し消えてくれない情念の塊。叶うことなどはなから期待していない。──この苦しみから解き放たれなければ。  
いつまでたっても針の進まない時計を見つめながら檻の中に閉じこもってはいられないのだから。  
 
 
電話のボタンを押す指が緊張で震えてしまう。  
呼び出し音が続いた後、「もしもし」と途端に懐かしい響きがめぐみを貫く。  
「ブラック…ジャック先生ですね…?」  
確かめるように言葉を紡ぎ、受話器を握りしめる手に力が入る。  
「お久しぶりです、…如月です。船が三日間停泊するとのことで今、横浜のホテルにいるんです…」  
ブラックジャックも明らかに動揺している。  
「…そうですか…よければ今から“港の見える丘公園”で逢いませんか」  
「はい、…わかりました」  
 
 
黒い影が近寄ってきた時、ブラックジャックは一人ではなかった。  
五歳くらいだろうか、薄茶色の髪に赤いリボンを結んだとても目の大きな可愛い少女が彼の傍らに並んでいる。  
めぐみは胸が痛むのを感じた。彼の子供だと思い込んだからだ。  
 
ブラックジャックは簡単に紹介を済ますと、膨れっ面の少女を車に戻れとその場から追いやった。  
やっと二人きりになれた。辺りには他に人の姿もなく、見下ろす街の光は星よりも強く輝いている。  
「…まさか連絡をくれるとは思ってもいませんでしたよ」  
「ええ…どうしても先生にお逢いしたくて…。けど…ご迷惑じゃなかったですか?」  
「迷惑?なぜ?」  
「だって奥様おられるんでしょう…?あんな可愛らしいお嬢さんがいらっしゃるんですもの…」  
「ああ…」  
めぐみの勘違いを打ち消すように笑い、  
「あの子はまあ、ワケあってわたしが引き取り世話しているんだ。奥さんどころかあいにく恋人もいないですよ」  
「そうだったんですか…」  
安堵の笑みが満面に広がる自分に気づき、思わずめぐみは顔を伏せた。  
ブラックジャックの熱を帯びた視線が彼女に注がれる。  
「私……新しい自分になりたくて先生とお逢いしたんです」  
地面に目を落としたまま、めぐみは切り出す。  
「というと…?」  
「…先生と別れてもう数年もたつのに、私の心は未だに先生に縛られたきりなんです。ずっとこのままじゃいけないと思い続けて…日本に滞在することができるこの機会に、いっそ夢を終わらしてしまおうと決心しました」  
 
夜風に煽られ、さらさらと揺れる木々。めぐみは顔を上げてブラックジャックを見た。  
潤んだ彼女の瞳に夜景のイルミネーションが映し出され、さまざまな色が遊んでいる。  
「先生…一度でいいから…私を抱いてください」  
 
 
いったん家に戻り何とかピノコを寝かしつけるとブラックジャックはめぐみの待つホテルへ赴いた。照明を落としたベッドの上で、言葉少なに抱き合う二人。  
あの子宮ガン手術の際、めぐみの裸体を目にはしていた。  
しかし完全に医者としてのスイッチが入っている時のブラックジャックにとって肉体などただの治療対象にすぎない。  
だが今は違う。  
愛おしい女の裸を一人の男として眺めている。  
乱れた黒髪がシーツに散って、見上げてくる瞳は恥じらいの奥に強烈な媚薬を宿す。  
ブラックジャックの体内がドクドクと脈打つ。下半身の一点に血が通い始め、雄の本能が騒ぎだす。決して豊かとは言えないが形のいい乳房に手を這わす。指を揉み込ませ弾力を楽しんでから頂きにある果実をそっと撫でる。  
めぐみが反応した。指先で潰すみたいに先端を押したり、くるくると円を描いたりしてみる。  
微かに色味を濃くしてツンと勃ち上がったそれを口に含んで舌で虐める。  
 
前歯で軽く噛んでやるとめぐみは身を捻って悶えた。  
「はぁ…ん…」  
初めて耳にしためぐみの官能的な囁きに欲情の炎が舞うように燃え上がる。  
ブラックジャックの行為にもう躊躇などありはしなかった。白い半球にむしゃぶりつき、秘唇と陰核を同時に慰みながら性感を高めていってやる。  
痛みをこらえる獣みたいに唇を噛みしめ、低く儚げな嬌声を響かすめぐみ。  
彼女の性格から来るものなのか、それとも自我を失い咲き乱れることへの恐れなのか──あるいはその両方か。  
肉の洞窟へと指を滑り込ます。閉じそうになるめぐみの脚を強引に押し広げ、水源を探るようにして内部を擦る。  
しっとりと体を投げ出し濡れた表情を落とすめぐみは間違いなく快感に包まれている。しかし子宮と卵巣を全摘出している影響で当然のことながらごくわずかにしか愛液は滲み出てこなかった。  
めぐみが身を起こし、ブラックジャックの堅くなった肉茎に手を伸ばした。  
言葉など交わさなくても何がしたいのか理解できる。──めぐみは男の熱い分身を頬張り、唾液をたっぷり絡ませていく。  
潤滑の足りない私の中で彼が痛い思いをしないように。舌の表面に粘液を乗せ、丁寧に何度も竿を往復する。  
 
たまらなくなったブラックジャックは彼女を優しく離すと再び上にのしかかった。  
「…入れるよ」  
めぐみは微笑んで頷く。  
幾度かの抵抗に立ち止まりながらも、抜け道を掴み当てた男根はついに目指す箇所へとくぐり抜けた。  
ゆっくり、ゆっくり、相手を労りながら腰を動かす。  
「…痛くないか?」  
めぐみは泣きそうな目をして頭を左右に振る。  
「大丈夫…先生は…?」  
「気持ちいいよ……とても」  
彼の言葉に嘘偽りはなかった。  
「嬉しい…!私も…私もすごく気持ちいいの…」  
めぐみの感動もまた本物であった。  
性欲のみが肉体を交える理由ではない。愛だったり、確かめたかったり、不安を解消したいだけだったり、そして──過去を払拭するためだったり。  
ブラックジャックは点々とめぐみの耳たぶ、首筋、鎖骨、胸の膨らみ、腕、脇、ふくらはぎへと唇を落とした。  
“女”であることを覚え込ますかのように。紅く刻まれた印が散りゆく桜の花びらみたいで彼女の滑らかな肌に浮かび上がる。  
「綺麗だ…めぐみ」  
感嘆をブラックジャックは繰り返す。  
「本当に綺麗だよ」  
切なげに少し開いためぐみの唇に濃厚なキスをする。飢えた二匹の赤蛇が胴を絡めて愛撫に酔いしれる。  
 
「…わたしも正直な気持ちを言おう」  
顔を離し、唾液で濡れた口から吐き出すブラックジャック。  
「わたしもずっと、この時が来るのを望んでいたのかもしれない。…君は言ったね、わたしに心を縛られたままだと。  
たとえどんなに遠くにいようと、共に生きていくことが無理だとわかっていようと、…それでも君の面影は決して消えやしない。  
めぐみ、…君はわたしが愛しているたった一人の女性なんだ」  
長い長い夢の軌跡が、今ここでやっと終焉を迎えた。  
時計の針は動き出し、檻はめぐみを解放してやる。  
未来に進むということはなんて残酷な悲痛を味わわなければならないのだろう。だからこそ、私は生きていく。  
思い出はすがるものじゃなく、逞しくなるためへの糧なのだから。  
「…先生…」  
溢れ出た涙の粒がめぐみの頬をかすめていく。  
「私、忘れません…。今日のことも、先生のことも、…決して…」  
ブラックジャックは返事の代わりにめぐみの頭を抱き寄せた。  
ああ、彼も同じ気持ちなのだと、覆いかぶさる体温を両腕で受け止める。  
 
 
 
これは始まりではなく終わりなのだ。  
そう──永遠に刻まれる、尊い瞬間──。  
 
 
 
 
 
 
 
おしまい.  
 

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