再び雨の気配を匂わせていた暗雲も時間がたつにつれ徐々に彼方へと去っていき、六月の眩しい青空が地に佇む全てのものを鮮やかな色彩に浮かび上がらせている。  
昨夜の名残を見せる水たまりを幾つか車のタイヤで踏み飛ばしながらブラックジャックは我が家を目指していた。  
患者の予想外の急変に簡単に済むはずだったオペが、知識と技術と集中力を要する達成困難な長丁場となってしまった。挑んだ甲斐あって患者は無事に命の危機から生還し、後はどこかの病院でしばらく安静にしていれば何の問題もなく普通の生活に戻れるだろう。  
道のりが険しかった分、例えようのない充足感に脳が満たされ、医者としての精気を高めていってくれる。  
 
(ピノコの奴、怒ってるだろうな…)  
あいつのことだ、おそらく一睡もせず俺からの電話を待っていたにちがいない。一応、ご機嫌直し用にケーキをしっかり買ってはいるが…抱きつきたいのをグッとこらえ、けたたましく自分に喰ってかかってくるピノコの姿を想像して、ブラックジャックの口元が無邪気に緩む。  
家路に着いたので車を降り、ドア横のチャイムを軽く押す。少し待ってみたが反応はなかった。  
(さすがにもう寝てしまったかな)  
ブラックジャックは鍵を取り出しドアを開けて中に入った。  
「ピノコ、帰ったぞー」  
 
呼びかけてみたものの、やはり幼い少女が飛び跳ねてくる活発な足取りは聞こえてこない。  
ケーキを冷蔵庫にしまい、往診カバンとコートを所定の位置に戻すと、疲労で重たい体をズシッと革張りの椅子に沈めた。  
首周りのリボンを緩め、タバコの煙を深く吐き出す。  
意識の中枢がぐらぐらと揺れまぶたが閉じそうになってしまう。軽くシャワーを浴びようかと考えていたが、これは睡眠を優先するに超したことはない。ブラックジャックはもう一口タバコを吸い込むとギュッと灰皿に押しつけ、床にスリッパを響かせながら寝室へ向かった。  
(パジャマに着替えるのもめんどくさいな…まあいいか、このままのカッコで寝ちまえ)  
大きく口を開けてアクビを洩らし、ドアノブを掴むとぐるっと回して内側に押した。  
 
──視界が捉えたものを理解するのに、わずかな時間では到底不可能であった。  
「……」  
ブラックジャックは無言で、入り口に立ち尽くしていた。  
そして歩を進め、その“衝撃”を目をそらさず間近で受け止めた。  
乱れまくったベッドの上、何一つ身につけていない全裸のピノコが、小さな体をさらに縮こめてお気に入りの人形を抱きしめている。  
閉じた瞳から頬にかけて薄く涙の跡が刻まれていた。  
彼女の股間や太ももにこびりついている、固まった醜臭を放つ大量の液体。──それの大部分が精液であることも、紅く乾いた線が血であることも、揺るぎようのない“現実”であった。  
 
部屋の端っこにピノコのネグリジェと下着が粗雑に丸められて落ちていた。  
「……ピノ、コ……」  
ブラックジャックの口から、無自覚のまま放出された、色のない呟き。  
ピノコが、どこかの男に、犯された……。  
「ちぇんちぇ……」  
ハッとして少女の顔に視線を集中させる。  
「おきっ…、てたのか……?」  
こくんと頷いたピノコはうっすらと目を開けて、弱々しい笑みを浮かべていた。  
「ちぇんちぇ…お帰りなちゃい…」  
「あっ…ああ、ただいま、ピノコ…」  
「ピノコ、ね……」  
そこで途切れてしまい、フウーッ…と一つ深呼吸してから再び挑戦しようとする。  
「ピノコね…ピノコっ……」  
限界が、訪れた。  
ぷつりと糸の切れてしまった凧のようにピノコの自制は決壊し、笑みを保てなくなった瞳から大粒の涙が流れ落ちる。  
 
人形にすがりつくような格好で、なりふり構わず泣き叫ぶピノコ。  
彼女の悲しみ、失ったモノのあまりの大きさ、……忘れることなどできやしない、壮絶な体験。  
それら全てがグサリグサリと、ブラックジャックの全身に突き刺さり細胞に訴えかけてくる。  
「…ちぇん、ちぇっ…」  
「何も言うなっ!!……何も、何も言わなくていい、ピノコっ……」  
抑制が効かなくなりそうになる自我を拳が震えるほどきつく握りしめることでかろうじてなだめ、精一杯波を鎮めた声で気遣う。  
(俺までおかしくなってどうする!!……こんな目にあって、一番つらいのはピノコなんだ……!!)  
二人にとって、苛酷すぎる嵐の中、時間だけがいつもと変わりなく冷静に過ぎていった。  
 
 
 
「ちぇんちぇえ、おはよ…」  
「…おはよう、ピノコ」  
──“あの日”から、三週間後の朝。  
お互い『事件』については全くと言っていいほど触れていない。犯人が一体誰なのかブラックジャックは問い質したりもしなかった。  
ピノコはだいぶ元気を取り戻しており、受け答えにもちゃんと応じるし普通に笑う。  
それでも、以前のような奔放な明るさは影を潜めてしまい、口を閉ざしていることが多くなった。  
賑やかしかった食事も今では会話より食器や汁物を啜る無個性な音の方が耳につく。  
「…ごちそうさま」  
「ちぇんちぇえ、今日はどっかオペちに行くの?」  
「いや、今のところ予定はないよ」  
「んじゃピノコ、後でおひゆご飯の買い物行ってくゆね」  
「ああ、わかった」  
 
あれ以来、ブラックジャックはオペの往診をほとんど断っていた。理由は明白で、ピノコを一人残して家を空けることを恐れているのである。  
もうどうしても他の医者では無理だと頑なに懇願された場合は絶対にピノコも連れていく考えでいる。今のところはまだそんなケースが生じていないため実行はしていないが。  
「行ってきまーちゅ」  
ピノコの伸びた声が響き、バタンと玄関のドアが閉まった。態度や口にこそ出さないが、ブラックジャックは一人でいる時、常にピノコを陵辱した犯人について思考を巡らせていた。  
ピノコは精神的に未熟ではあるけど馬鹿な娘ではない。自分が不在の間の戸締まり管理は厳しく言い聞かせてきたし、例え診療依頼だろうが見知らぬ人間の訪問は拒否する約束を守り続けてきたはずだ。  
 
ということは、一度以上の面識がある奴になる。……しかし患者のほとんどは感謝にしろ罵倒にしろ、電話を通して済ませてしまう。オペのお礼に何か贈り物を持ってくるにしてもやはり事前にブラックジャックの居在を確認してくる。  
第一どんなに好印象だったであろうが、男の客は入れるなと絶対条件として厳しくピノコに叩き込んであるのだ。  
(窓ガラスも玄関のドアも壊された形跡は一切なかった…。だから無理やり侵入してきたわけでもない…)  
俺の条件をもかいくぐり、ピノコに易々と入室を許させた相手………。  
その時、一人の男の姿が鮮烈に脳裏に咲いた。  
ブラックジャックの目が大きく見開く。  
(……まさか……)  
 
あり得ない。──即座に別の回路が強い否定を示す。  
脳裏に浮かんだ人物像は特色の濃い風体をしている。  
左目には眼帯、伸びるに任せた手入れのしてない長髪、面長な顔は痩せて貧相だが異様な力をぎらつかせる不気味な瞳。  
(キリコなら何度も面識があるし、奴ならピノコも家に通すだろう。)  
だがキリコが無力な少女を無理やり強姦するなんて、どうしたって結びつかない。  
あの男は命の価値観がまるで食い違う、煩わしい敵ではあるが人間的には一見危険そうに感じるだけで腐ってはいない。賛同する気にもならないが奴は奴で信念があり、医者としてのプライドも持ち合わせている。  
だからこそブラックジャックは、安楽死などという死に神の真似事をしていながらもキリコのことを本気で憎悪しているわけではないのだ。  
 
しかしピノコが処女を強奪されたのはまぎれもない事実であり、他に思いつく人間は──今のところ、いない。  
(………)  
結論を出すには早すぎる。  
もしかしたら俺は、奴を買いかぶりすぎていたんじゃないか?  
小賢しい者は本当の素顔を隠すのが上手い……そのことを頭にしっかり留めておかねば。  
 
 
 
今日は客もなく、暇な一日であった。  
真夜中に突然急患を運び込んでくる輩もいるが、飯を食い、風呂も入り、適当に本でも読んでいれば、後は夢の世界の住人となってそれで終いである。  
「ちぇんちぇ、おやちゅみなちゃあい」  
「ああ、…おやすみ」  
ネグリジェの裾をひらひらと泳がせ、ピノコは寝室へと去っていった。  
ブラックジャックは電気を消し、薄手の毛布を羽織ってソファーに寝転んだ。  
 
……“あの日”から、一週間もたたない頃だっただろうか。事件以来、微熱が続き、中度の不眠の症状に侵されていたピノコがその日は珍しく割と早々と寝息をたて始めたのである。  
その姿を目にして安堵しながらブラックジャックもいつしか眠りについた。  
──寝ぼけた意識の中、何やら奇妙な喘ぎが入り込んできて、段々とその音が大きくなりこれは夢とは違うことに気づいた彼はガバッと跳ね起き、隣りのベッドを見た。  
「いやっ…やめてっ、やだあっ…!!…ちぇんちぇえっ、ちぇんちぇえたちゅけてっ…!!」  
掛け布団を脇にずり落とし、か細い二の腕を突き上げて振り回すピノコ。苦悶に波打つ顔からはびっしりと汗の粒が噴き出しており、悪夢との闘いの壮絶さを克明に示している。  
 
ブラックジャックはベッドから這い出て、ピノコの暴れる両腕を掴んで固定し、懸命に少女の名を呼ぶ。  
「ピノコっ!!おいピノコ、しっかりしろっ!わたしはちゃんとここにいるぞ!」  
声が届いたのか、ピノコはきつく寄せた眉間を徐々に解きつつぼんやりと薄目を開けた。  
思わず笑みが広がるブラックジャック。  
「ピノコ…」  
ところが、少女の表情は一瞬にして恐怖で引きつり、  
「いやーっ!!」  
と悲鳴を上げて激しい力でブラックジャックの手を振り払った。  
茫然と行き場の無くなった右の手のひらを何とか気を取り直し、優しく少女の頭に伸ばそうとする。  
「やだっ!やだっ!!触やないでっ!!」  
間髪を入れずぶち撒かれた拒絶の追いうちにそのまま固まる男の右手。  
ピノコはお尻でずり下がり、枕を抱き寄せて小刻みに震え、唇を噛みしめている。  
 
フラッシュバックか──。  
唐突に、ピノコの態度を解明に導く答えが弾き出された。  
ピノコは夢の中で陵辱の再現に苦しめられ、そして目を覚ました瞬間、眼前の光景──自分の体の上に跨って腕の自由を束縛している男の影に、あの日消すことのできない傷を刻まれた残酷な記憶が重なったのだ。  
つまり少女はまだ悪夢の延長上にいて、手のひらを差し出してきた相手が救いを求めていたブラックジャック本人だと識別できていない。  
(……クソッ…!!)  
抱きしめて、落ち着かせてやることも叶わず、何も出来ずにこうしてピノコが平静を取り戻すのをただ傍観していなければならない無力さが、耐え難いほど悔しかった。  
 
 
 
次の日の就寝前、ピノコは消え入りそうな声でこう言った。  
「…ちぇんちぇえ……ピノコ、こえかやソファーで寝ゆ……。」  
 
何故だ、とわざわざ聞かなくてもわかる。  
ピノコは怖いのだ、横に男の気配を感じながら一夜を過ごすのが。それが安全なブラックジャックであると頭では理解していても、体に染み込んだトラウマはそうはいかない。  
(………)  
ブラックジャックは重たげに言葉を吐いた。  
「……わたしがソファーで寝るから、お前はベッドで寝なさい。それならかまわん」  
「ちょんなのっ…、らってピノコのわがままなのに…」  
「ソファーは寝にくいし、ここは冷える。わたしは慣れてるから大丈夫だ。…この条件じゃなきゃダメだ、言うことは聞けん」  
「………」  
結局、ピノコはうつむいて「……ごめんなちゃい……」と、提示された条件を飲んだ。  
そういう流れを経て、以来ブラックジャックは応接間のソファーを寝具に使い、ピノコとは別々の空間で朝を迎えていた。  
 
彼は優秀な医者であると同時に、一人の常識ある人間でもある。  
レイプで処女を喪失するという痛ましい体験は、いとも容易く被害者の性格を変化させてしまう。特にピノコのような精神年齢の未発達な幼児などはイチコロだ。  
執拗に抱きついてくる行為こそ少女の最大の愛情表現だったのが、今では手を握りしめてくることさえ無くなった。  
そんなピノコの気持ちを大いに汲み、ブラックジャック自身もあまり近くなりすぎないよう適度な間隔を置いて接していた。  
けれど……。  
腕を枕代わりにしてギュッと目をつぶり、暗闇に浮かぶかつての無邪気そのもののピノコの面影に想いを馳せる。  
『ピノコはちぇんちぇの奥たんなんらからあっ!』  
頬に当たる、柔らかい唇。抱擁を求めてくる小さな体の、なんと温かくて安らげることか。  
本当は、寂しくてたまらなかった。  
ほんの少し手を伸ばせば、いつだって届く距離にいながら、決してピノコに触れられない境遇が引き裂かれそうなほどブラックジャックを苦しめていた。  
 
耳を澄ませば、未だに時おり寝室から漏れ聞こえてくる悲痛の呻き声にも、どうしてやることもできない歯痒さに全身の筋肉がギリギリと圧縮されていく。  
当たり前のように横に並んで、たまに自分の寝床を抜けて潜り込んできたピノコを腕に抱きながら眠ることもあったというのに。  
どうして二人は、こんなにも遠く離れ、違う場所で夜を耐えなきゃならないのだろう。  
(俺達はずっとこのままなのか……?…畜生っ…!!ピノコを、よくも汚しやがって……!!)  
誰にぶつけていいのかわからない奈落の憤怒を握った拳に固め、ブラックジャックは何度も背もたれの軟弱な脇腹を殴りつけた。  
 
 
 
夕方の五時を過ぎると空も次第に明るさを失い、昼間の顔を忘れていく。  
ドクターキリコは医療用具を詰め込んだ鞄を手にしながら街頭を歩いていた。  
視線の先に見知った男を捉える。こっちに向かってくるので、軽い口調で声をかけた。  
「よお、ブラックジャックじゃないか」  
近づいてきた男も早速やり返す。  
「今からまた人を殺しに行くのか?…それとももう殺してきた帰りかい?」  
 
キリコは答えず、居酒屋を指差し  
「まあ立ち話もなんだし、たまには一杯やろうぜ」  
「ああ、そうだな」  
二人は店に入るとカウンターに腰かけ、ビールと突き出しを頼んだ。  
「…どうした?何やら深刻な悩みを抱えてますってな顔してるぜ」  
おしぼりで手を拭きながらキリコが言った。  
(さすがに鋭い奴だ……)  
「ああ…、…悩みと言えば悩みだな」  
「また助かる見込みのないクランケに手を出して失敗したのか?」  
わざと皮肉を滲ますキリコを無視し、ブラックジャックは直球を投げつけた。  
「うちのピノコがわたしの留守中、強姦された。一ヶ月ほど前になる、犯人は誰かわかっていない」  
周囲の人間を気にしてかなり抑えた声で発したが、横にいるキリコには充分な音量であろう。  
「ピノコとは、…あのちっちゃな女の子のことかい?」  
「そうだ」  
「そいつあ…惨い話だな…。あんな子供をそういった対象に見やがるなんて、…全く世の中には変態がいるもんだ」  
(………)  
キリコの反応は至って自然であった。  
こいつならこういった態度を取るだろうとの予想の範囲枠に完璧に収まっている。  
ブラックジャックだって幾つもの修羅場をかいくぐってきた男なのだ、その気になれば相手の素性を見破ることなど簡単にこなせる。  
(……やはりキリコではなかったのか……)  
 
──10分ほどしてブラックジャックは立ち上がった。  
「おや、お早いお帰りで」  
「あまりピノコを一人にしておきたくないからな…」  
「誘ったのは俺だ、金はいいぜ」  
「ああ、恩に着る。じゃあな」  
「ああ」  
ブラックジャックの後ろ姿が自動ドアの向こうに消えていき、キリコは傲慢に溢れた笑みを口元に乗せジョッキを傾ける。  
(俺を探ろうとしたのかい、ブラックジャック…)  
いきなり正面からぶつければ、この俺がボロを出すとでも?  
(笑わせてくれるぜ)  
余裕たっぷりにとんぺい焼きを味わいながら、ふと脳裏に犯されて泣きじゃくっているピノコの姿態が蘇ってきた。  
(ありゃあ最高のおもちゃだったな)  
そこで淫猥なイタズラを思いつき、15分後、精算を済ませ店を出たキリコは人気のない路地に入り込んで携帯のボタンを押した。  
 
 
 
電話がかかってきた時、ピノコはちょうど夕食の準備の真っ最中であった。  
エプロンで水気を拭き取り、身軽な動作で駆けていく。  
「もちもち、ブヤックジャックちぇんちぇのお家でちゅ」  
「ふふふ…相変わらず、甘あい声だね、お嬢ちゃん」  
──二度と耳にしたくなかった、特徴のある喋り方。  
とっさに落としそうになった受話器をかろうじて机の面に支えてもらう。  
 
「おっと、切っちゃだめだぜ。もし切っちゃったら…そうだなあ、ブラックジャック先生に“ピノコ”ちゃんがセックスの時、どんなに淫乱に男のちんぽを喰わえ込むか詳しく教えてやろうかな」  
「らめっ…!!ちぇ…ちぇんちぇえには、言わないでえっ…」  
「本当にいやらしい子だねえ…、君は。いやいや言うのは口ばっかり、ちょっと弄っただけで乳首はコリコリになるし、あそこはくちゃくちゃ変な音ばかりたててお漏らししたみたいにシーツを濡らして…」  
あの時の感触を思い出し、カッとピノコの体が燃える。  
「男のモノを入れられた時、痛かったのも最初だけだろう?…すぐに気持ちよくなったんだろ?俺に後ろから思いきり突かれて、動物みたいに喘いで喜んでたね」  
「もうやめてっ…!!」  
聞きたくない、聞きたくない……!!  
せっかく──せっかく忘れようと、“忘れたい”と頑張ってきたのに……。  
キリコの悪意が少女の深い傷に塩を塗り込み、恥辱の攻めの味をますます濃厚に仕上げていく。  
「先生は何にも知らずに騙されてるんだろうねえ。……昔と変わらず、純真無垢で自分は綺麗ですってな顔して暮らしてるのかい?え、ピノコちゃん?…君は変態で、淫乱で、やらしくてずるくて汚れてるんだよ。ごまかさないでちゃんと認めなくちゃね」  
この言葉の群れが決定的な打撃となり、ピノコの脆くなった心をズタズタに粉砕した。  
 
「…またしたくなったら、いつでも俺がお相手するよ。というよりしたくなるに決まってるけどね。淫乱でやらしいピノコちゃんのことだ、一回男の味を覚えてしまったらまた何度も試したくなるさ。…先生には内緒で楽しもうじゃないか、なあ、“お嬢”ちゃん」  
低くこもった笑い声を最後に響かせ電話は切れた。  
ピノコは受話器を元に戻すと、震えを鎮める儀式のように体を撫でさすり続けた。  
頭の中でキリコの言葉がこだまする。  
(汚い…汚い…汚い…)  
それはどんどん増幅していき、少女の幼い脳細胞を食い散らかそしそうな勢いで締めつけてくる。  
我慢できなくなりピノコは側頭部を押さえ込むと、そこから動き何かに追われてるみたいにして走った。  
たどり着いたのは風呂場であった。  
ピノコは落ち着きなく衣服を性急に脱ぎ捨て、浴室に飛び込みシャワーのコックをひねる。  
真上から温かい湯の滝に打たれ石鹸を泡立て肌をこすっていく。  
「汚い…、汚い…、ピノコ汚い…」  
 
 
 
帰ってきたブラックジャックは台所に足を運び、まな板の上で半分ほど切られて放置されているトマトを目にした。  
(ピノコの奴、トイレにでも行ってるのか…)  
しかし奥からかすかにシャーという水音が聞こえてきたのでさすがに首を傾げたくなる。  
(料理を途中で放り出して風呂に入ってるなんて、一体何を考えてるんだ)  
まあいいか…と冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに移してゴクゴクと軽快に飲み干す。  
やがてシャワーの音が止み、風呂から上がる気配を感じた。  
 
「……ちぇんちぇ…」  
声をかけられ視線を向けると、壁を隔ててピノコが頭だけ覗かせている。  
「なんだ?」  
ピノコはなかなかこっちに来ない。なぜか出ていくのをためらっている様子だった。  
「どうした?なぜずっと、そうやって隠れてるんだ?」  
読めないピノコの行動にブラックジャックは多少苛立ちを感じていた。  
しばらくしてピノコは頭を引っ込めたかと思うと、やっと壁の向こうから姿を現した。  
(!!……)  
「……おまえっ…、なんてカッコしてるんだ!」  
ピノコは下着すら身につけず、上から下まで幼い裸体をさらけ出し立っていた。恥ずかしさよりも悲しみを含ませた瞳で少女はソッと尋ねてきた。  
「……ちぇんちぇえ、ピノコ…汚い…?」  
「……なにっ…?」  
「お風呂で、いっぱいいっぱい洗やったの…。こうちて、真っ赤っかになゆくやい何回もこちゅったのよさ…」  
と、腕を強く撫でさすり実演してみせる。  
「けろダメなの…ろんなにちぇっけんできえいにちても、汚えてるって…汚いとちか、思えなくてっ……」  
涙で声を奪われてしまい、もうとても喋れる状態ではない。ブラックジャックは唇を震わしてピノコの間違いを強く否定した。  
「おまえは汚れてなんかいないっ!!馬鹿なことを考えるなっ!…おまえは綺麗だよ、ピノコ…汚いわけがないだろう…!」  
 
ピノコは嗚咽を織り交ぜながらも懸命に言葉を押し出す。  
「ほんと、にっ…?ピノコ、汚くないの…?」  
「わたしがこんな時に冗談を言うと思うか?おまえは汚れてなんかいないさ…。さあ、早く服を着てきなさい」  
肩を小さく痙攣させ、ズッと鼻をすするピノコ。  
「…じゃあ…、…ちぇんちぇ、ピノコに触ってくえゆ……?」  
ブラックジャックは激しく動揺したが、それを表に出さすよう必死で抑え込む。  
「ああ…、触って、やるとも……」  
ピノコは指先を唇、胸の突起、そして割れ目へと体のあちこちに滑らせて、  
「ここも…、ここも…、ここも…、…汚さえたトコも全部、ちぇんちぇえ触ってくれゆ…?」  
潤んだ面持ちで弱々しくすがりついてくる、けなげな少女。胃がギュウッときしむ。……一呼吸置き、ブラックジャックは頷いた。  
「…ああ。…ピノコの全部を、触ってやろう…」  
 
 
「…横になりなさい」  
ブラックジャックに命じられるまま、ソファーにあお向けになるピノコ。もじもじと胸と股間を隠している。  
「……触れるぞ」  
ピノコは小さく頭を振った。  
体重をかけて前に倒れていく。ギシッとソファーが短く悲鳴を上げる。  
ブラックジャックは手のひらをピノコの頬に静かに這わせた。久しぶりの、懐かしい感触。──そして唇を落とし、二人は初めての『本物』のキスを交わした。一度離れ、また唇を重ねる。それを幾度か繰り返すうち段々大胆なキスになっていった。  
舌を差し入れ、捉えた紅い獣とべちゃべちゃに唾液まみれになりながら交わり合う。  
「んっ……」  
ピノコの熱を帯びた吐息がブラックジャックの舌に伝わる。次は桃色の乳頭をそれでくすぐる。  
泣いてるみたいな甘い声がピノコの喉を震わした。  
首筋、鎖骨、耳の裏、脇腹、太もも…まんべんなく、たどった形跡を残していく。  
足を開かせ、最後の部分──最も清めてほしがっている箇所についに触れた。  
「はあぁんっ…!」  
 
溢れてくる蜜をすすり、奥へ奥へと舌を突き動かす。皮に守られた陰核も先端で優しく舐め上げる。  
「ふぁあっ…!!ふっ…、んやぁあっ…!!」  
ここを得体の知れない男の醜棒が通ったのかと思うと、燃え盛るような腹立ちに理性を止められ、濃厚な愛撫を繰り返していく。  
(畜生っ…!畜生っ…!!)  
「……ちぇん、ちぇえ……」  
ピノコに声をかけられ、初めて陰唇から顔を上げた。  
「ちぇんちぇえのをね…、…ピノコのちょこに、入えてほちい……」  
「なっ……ダッ、ダメだ!そんなことしたら…」  
「お願い、ちぇんちぇ…ピノコ、……忘えたいの……。ちょこをちぇんちぇだけでいっぱいにちてぇ…」  
「………」  
そうか……。  
充分堅くなっていた男根を、望みのままに膣に沈めていく。外にまで蜜を滴らせるほど潤っているそこはすんなりと根元まで飲み込んだ。  
「ふあぁんっ…!んぁっ、んんっ…!!」  
恍惚としてもだえるピノコ。  
腰を動かして肉壁をこすり、間違いなくブラックジャックも快感を得てはいた。けれど、  
心は悲しいほどに空っぽであった。  
こんな形で俺は、ピノコと愛し合いたくなんてなかった。  
犯された傷の埋め合わせでなんて……。普通に気持ちが同調しお互いに求め合う、そんな時が訪れるまでいつまでだって待つ気でいたのに。ピノコの中に放ちながら、運命の残酷さをブラックジャックは憎んだ。  
 
 
 
男の片腕に優しく包まれ、スウスウと安らかな寝息をたてている幼い少女。  
その幸せに染められた顔はいつまで見ていても飽きなかった。  
“おかえり"、ピノコ。  
(やっと俺の腕の中に帰ってきてくれた…)  
──事が終わって、空虚に蝕まれながら体を離したブラックジャックに、ピノコはゆっくりと囁いた。  
『…ちぇんちぇ、大ちゅき…』  
その一言がブラックジャックの気持ちを変えたのだ。  
きっかけなんて何だっていいではないか──本当に大事なのは、“これから"だ。  
わたしはピノコを愛しているし、ピノコもわたしも愛してくれている。それさえ確かなら充分なのだ。  
「…また二人でやり直そう、ピノコ」  
そう言って、眠っている少女の鼻に唇を添えた。  
 
 
 
END  
 

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