戦術ミサイルの降り注ぐラクーンシティから辛くも脱出した俺たちは、  
街から10キロ程離れた峠の展望台に車を停め、爆煙に飲み込まれる街の最期を見守った。  
J's Barから始まった悪夢のような数日も、遠く炎に沈んで行く。  
峠に群れる人と車の喧騒を聞き流しながら、手袋を取った手で額に触れると、ぬるりとした汗に手のひらが滑った。  
指が固く思うように動かないのは、この数日、武器を握って離さなかったせいだろう。  
ナイフを振り続けた腕は腫れ、体は泥を詰めたように重くだるい。  
ろくに睡眠を取らずに酷使してきた肉体はギリギリと軋んで限界を訴えていたが、しかし不思議と精神は休まらず異常に高揚したままだった。  
ヤバい局面を乗り切った安堵感も沸いては来ない。  
それはおそらく、否応無しに見せ付けられた理不尽な数え切れない死のせいだ。  
化け物と割り切って打ち倒してきたが、かつて人だったモノから飛び散る生々しい臓物の色と、  
肉と骨の砕けるおぞましい音は、ただの人間にとって、受け止めるには重過ぎる。血に酔って精神が変調するのも無理は無い。  
ただ、俺に限って言えば、この感覚は初めてのものではなかった。  
かつて荒んだ生活を送っていた頃、生死の境を彷徨う修羅場をひとつ切り抜ける度に、同じように気が昂ぶったものだ。  
その頃は、猛った身体を持て余しては、女を買って鎮めていたのだが…。  
 
過去に飛んでいた意識が、ふと、そこで現実に戻った。  
女…そう、俺の傍らには、連れの女が居なかったか。  
内心慌てて周囲を見たが、共に死の街を潜り抜け、つい数分前まで俺の隣に立ち、  
固く青ざめた表情で燃える街を見ていたはずの女の姿は、どこにも無かった。  
 
大の男である俺が大分参っているというのに、女の身にはどれだけの負担が掛かっていることだろう。  
特に彼女は肉の薄い小柄な体に見合って、体力も無い。アンブレラ社内で見つけたリストのこともあり、  
俺にしては全く柄でもなく傍を離れずに守ってやっていたのだが、ここに来て目を離すとは。  
 
イラつきながら炎と夕日に染まる人と車の波を見渡し、群集から離れた場所に明らかに軍用と分かる車両を見つけた。  
そしてそのすぐ横、リンダとかいう研究員と何かを話しているらしい、小さなシルエットも。…クソッタレ。  
「ヨーコ」  
大股に歩み寄りながら名を呼ぶと、自分でも驚くほど鋭く不機嫌な声が出た。  
果たして、彼女はびくりと怯えたように肩を震わせ、振り向いて俺の姿を認めるとホッとしたように微笑み、ついで訝しそうに近づく俺を見上げた。  
「デビット?どうしたの?」  
小首を傾げる彼女に無言で返すと、その腕を掴み、強引に引き摺って自分の横に立たせた。たたらを踏むが構わない。  
眉を顰めるリンダに「あんたは自分の責任を果たすんだな」と短く言い残し、そのまま困惑した様子のヨーコを引き摺って停めて置いた車に引き返した。  
 
「で、デビット、痛い」  
ヨーコが力なく抗議するのも聞かず、有無を言わさず助手席に押し込んだ。ドアを閉じてようやく掴んだ腕を離す。  
「あの女と何を話していた」  
 
「……」  
「折角生き残ったんだろう。もうアンブレラと関わるのはよせ」  
「私…だって、アンブレラの関係者よ。あなたがリンダに言ったように、私は私の責任を果たさないと……」  
「お前は被害者だろうが」  
ウィルス投与実験に使用された検体者のリスト……破損したデータに記載されていた彼女の名前を見つけた時の、胸糞悪さが甦る。  
吐き捨てるように言った俺の言葉に、しかしヨーコは弱々しくかぶりを振ってみせた。  
「あなたは、私が何をされたか、何をしたか、全部を知っているわけじゃない」  
苛々する。  
「全部知っていたら、私に優しくなんて…」  
「黙れ」  
尚も言い募ろうとするヨーコを睨んで口を閉じさせると、俺は乱暴な動作でエンジンを掛け、サイドブレーキを引いた。  
「お前が今すべきことは、休むことだ」  
走り出した車のバックミラーに、未だ散会することのない群衆と、血の色に染まった空が映っていた。  
体の奥で燻る昏い情動が、その赤に反応して疼き出す。  
 
「…ヘリで脱出したケビン達、無事だといいのだけれど」  
ぽつりとヨーコが呟いた。  
 
ラクーンシティ周辺の街は、変事を受けて異様な雰囲気が漂っていた。  
 
俺たちが乗る車は、ハイウェイに放置されていた軍用車で、普通の街では悪目立ちする。  
事がウィルスに絡むだけに、ラクーンシティとの関連を想起させる物は、早めに処分した方が得策だろう、  
そう考え適当な場所で車を乗り捨てた。  
 
その勘は正解だったようで、車無しでチェックインしたモーテルでも、  
受付の親父に意味ありげな目つきで一瞥されただけで済んだ。  
仕事着のままの汚れた男と、一見ハイスクールの女学生に見える女の組み合わせが珍しかったらしい。  
下世話な誤解をされているのは分かった。不本意だが、今は渡りに船だった。  
 
程なくして、部屋に備え付けられていたTVが流すニュースを見、  
俺は自分の判断が間違っていなかったことを確信した。  
ニュースは、ラクーンシティから逃げ出した市民を、  
パニックに陥った避難先の住民が嬲り殺したという陰惨な事件を報道していた。  
 
そう、ヤバいモノは、何も闇の内にだけ潜むものではないのだ。  
 
ヨーコの使うシャワーの音を聞きながら、俺は部屋の窓の位置と鍵を総点検した。  
全て掛かることを確認し、ベッドの端に腰を下ろして一息つく。  
これからのことを考えなくてはならない。  
モーテルの近場には大抵ファーストフードやデリカテッセンがあるものだ。当座の食事に困ることはないだろう。問題は服だ。  
今着ているものは頃合を見計らって焼き捨てるつもりだから、当然着替えが必要になる。疲弊したヨーコを無理に連れ回したくは無い。  
…となると、俺が調達することになるんだろうが…。  
「ジーザス」  
女物の服を不器用に選ぶ自分の姿を想像し、滑稽さに気が遠くなりかけた。  
俺を嘲笑うかのように、シャワーの音だけが部屋に響く。  
 
静かだった。  
あの街では何処に居ても常に、生ぬるい風に乗って死者の怨嗟が聞こえていたものだ。  
たった数日のことだというのに、俺の耳はそれに慣らされてしまったらしい。  
シャワーの水音も、空調の唸りも、余計に静寂を強調するだけのものに感じられた。  
しかし、そうは言っても静かすぎる。  
…そういえば、ヨーコがバスルームに入ってからどれだけ時間が経っただろう。  
 
不自然な静けさの訳に思い至って、俺は弾かれたようにベッドサイドから立ち上がった。  
「おい!ヨーコ!」  
バスルームのドアを叩く。応えは無い。  
俺は舌打ちするとノブを捻った。予想に反しドアはすんなりと開いて俺を通す。  
内側から鍵が掛かっていなかったのは重畳だが、今度はその無防備さに無性に腹が立ち、俺は何度目かの舌打ちを盛大に鳴らした。  
まったく、俺を何だと思っているんだ!  
足音も高く踏み込むと、バスタブの縁に崩れるようにヨーコが倒れていた。  
 
東洋人特有の象牙色の肌は、シャワーから迸る湯に叩かれているままだというのに、どこか血の色を失って青白くすら見える。  
俺はシャワーの栓を締め、糸が切れたように横たわるヨーコを抱き起こした。  
肩に回した手に伝わる、柔らかな肌の下の骨の細さ、そのあまりの軽さに戸惑いつつ、呼吸と脈拍を確認する。  
大したことはなさそうだ。おそらく、張り詰めていた気が緩んだのだろう。  
湯に濡れて頬に張り付いていた黒髪を、そっと指先で払ってやると、小さな耳が露になった。  
それすら無骨な指で触れるのが躊躇われるほど花車な造りで、改めてこんなにひ弱な女がよく死地から生還できたものだと思う。  
力を込めれば簡単に折れそうな首筋だ。控えめな膨らみ、淡い茂み、肉感に乏しい、女というよりまだ少女と言っていいような、固さの残る体の線。  
東洋人は幼く見えると言うのは本当だ。護送車の中、生存者同士交わした自己紹介で20歳と聞き、正直驚いたものだ。  
脳天気な警察官野郎の、30を越えた稚気にも別の意味で驚いたものだが。  
 
「ん…」  
ヨーコのかすかな呻き声に、俺はハッと我に返った。  
腕に抱いた小さく白い裸身に目を奪われていた自分に気がつき、顔に血が上る。女の裸を初めて見たガキじゃあるまいし。どうかしている。  
 
苦い思いを噛みながら、ヨーコの身体をバスタオルで包み、抱き上げてベッドへと運んだ。つくづく軽い。  
ヨーコの回復を待ち、落ち着き先へ彼女を送り届け、信用の置ける誰かに託してから、女を買うなり何なりすればいい。  
そう自分に言い聞かせながら、タオルでヨーコの濡れた身体を拭いてやる。  
しかし、その間にも、俺はヨーコの喉元に噛み付き、控えめな曲線を描く胸を力任せに握り潰したくなる衝動を何度もやり過ごさねばならず、  
長く体の奥で燻っていた欲情に火が点いたことを自覚せずには居られなかった。  
 
丸一日、泥のように眠ったおかげで、体力はほぼ回復した。まだ利き腕の節が痛むが、気になるほどじゃない。  
体内に澱のように淀んだ疲労を感じなくてすむのは、一体何日ぶりだろう。  
ヨーコはまだ眠っていたので、寝息が穏やかなの確かめて外に出た。  
何があっても絶対にドアを開けるなという書置きを残しはしたが、どうにも落ち着かない。  
しっかりしているようで、ヨーコは周囲の状況を把握していないことがままある。  
普段の俺にとって、そんな人種は間抜けと冷笑するだけの対象なのだが、今は突き放す気になれなかった。  
自分自身のこととはいえ、不可解だ。しかし、不快ではない。  
ラクーンシティでの数日は、そうでもなければ一生接点などなかっただろう連中との共闘を強いたが、  
そのせいで俺はどこか甘くなってしまったのだろうか。  
いや、そうではあるまい。今だって、獣性を伴う暗い欲望は衰えることなく俺を駆り立てようとしている。  
 
適当に見繕った惣菜と服を買い込み、部屋に戻ってすぐ、ヨーコが目を覚ました。  
状況を察したらしく、しきりに恐縮するヨーコに服を渡し、食事を摂る。久しぶりの食事は、特に水が甘く喉に染みた。  
俺が買い与えた緑色のワンピースを何処となく嬉しそうに着ているヨーコに、元の服と所持品を出すように指示し、  
予め購入しておいた袋に詰めてゆく。  
これは、確実に燃やしておかなければならない。  
あの糞忌々しいウィルスは、リンダの言によると空気感染ではなく、媒介物が無ければ自然に死ぬ性質のものらしいが、  
世の中確実な事など無いということを、他でもないそのウィルスによって嫌と言うほど思い知らされたのだから、万全を期すに越したことはない。  
 
と、乾いた音を立てて、小さな紙片が床に落ちた。  
 
「…?」  
 拾い上げて思わず渋面になる。そこにはリンダの署名と、何某かの連絡先が記されていた。  
「あ、ダメ!…それは、捨てないで」  
 ヨーコが慌ててメモを取り返そうと俺の手に飛びついてきた。それを無視し、握り潰して袋に放り込む。  
「アンブレラには関わるなと言ったろう」  
「デビット!」  
「…捨てても構わないだろう。どうせ、内容などとっくに暗記してるんじゃないのか?」  
「……」  
 黙ったところを見ると、図星だったらしい。  
 
「……リンダが」  
 不機嫌丸出しの俺を前に、しばらく逡巡した後、ヨーコは静かに話し始めた。  
「リンダが、アンブレラを告発して、裁判を起こすというの。私も、それは絶対に必要なことだと思ってる。  
あの事件を闇に葬ってしまうわけにはいかない。デビットだってそう思うでしょう?」  
 納得いかないが正論だ。しかし、次のヨーコの言葉は、俺には思いもよらないものだった。  
「協力できることがあるなら、何でもするのが私の義務だわ。  
…それで、リンダは、実験の被験者として生き残った私に、証人として証言をして欲しいって…」  
 言葉の意味を理解するのに数瞬を要した。理解した途端、どこかの血管が音を立てて切れた。  
 俺は激昂した。  
「お前は馬鹿か?!」  
頭ごなしに怒鳴ると、ヨーコはびくっと肩を竦め、泣きそうな顔になった。  
それでも逸らさずに俺の目を見詰めてくる。それが腹立ちを倍加させた。  
「ヤツらの手口は散々知っただろうが。ラクーンシティは消滅したが、アンブレラの本拠はまだ健在だ。  
みすみす命を捨てることになると、何故分からない!」  
「そう。アンブレラはまだ断罪されていない。このまま放っておいたらもっと酷いことになる」  
「お前は裏の社会を相手にする意味を、全然理解しちゃいない」  
尖らせた俺の声が、ナイフのようにヨーコを傷つければいい。目の前のこの馬鹿な女を黙らせたかった。  
「一般人が皆善意の塊だと勘違いしているんじゃないのか?ハッ、大甘だな。お前の素性は、絶対に連中の好奇の的になる。  
得体の知れないウィルスが噛んでいればなおさらだ。一生、謂れの無い中傷や差別を受け続けることになるだろう。  
リンダに何を言われようと関わるな。今なら、まだ間に合う。人並みの幸せを手放してから後悔したって遅いんだ」  
 
しかしヨーコは黙らなかった。  
「もう、決めたの」  
「…勝手にしろ!!」  
やり場の無い怒りと徒労感がぐるぐると胸を苛み、一体自分は何に対して怒っているのかすら見失いそうだった。  
アンブレラの所業に怒っているのか、言うことを聞かないヨーコに怒っているのか、  
それとも安易に頑張れとヨーコの肩を叩いてやれない自分に対して怒っているのか。  
もし、ここに居るのが俺ではなく、あのお気楽野郎だったら、一体ヤツはどうするのだろう。  
益体もないことを考えても胸のムカつきは収まらない。吐き気がしそうだった。  
 
「…ごめんなさい。デビットには最後まで迷惑かけてばっかりで…。  
心配してくれて、ありがとう。あなたが助けてくれたから、私はこうして生き残ることができたんだわ。本当に感謝してる」  
ヨーコが背を向けた俺に話し掛けてくる。  
「あなたも含めて、私を助けてくれた人たちへの、これが精一杯のお礼なの」  
「そんな礼など…要らん」  
漸く出せた声は力なく嗄れていた。そんなことをさせるために、身を張ってあの地獄に血路を開いたわけじゃない。  
こめかみが痛んで、俺は目を瞑った。閉じた眼裏が血管を透かして、いつか見た夕焼けと血の色を映し出す。  
吐き気に理性が後退していく。体の奥に飼っている獣が、ぞろりと鎌首をもたげるのが分かった。  
 
「…俺に感謝していると言ったな?」  
「ええ」  
「…俺に礼を返す気があると…?」  
「勿論よ。私に、あなたへ返せるものがあるのなら、何だって」  
「それなら…」  
そこで言葉を切った。俺は何を言おうとしているのか。  
「何?」  
ヨーコは簡単に聞き返す。その警戒心の無さが苛立ちとなって俺を突き動かした。振り向いてヨーコの目を捉える。  
「抱かせろと言ったら、お前は承知するのか」  
 
ヨーコが息を呑んで固まるのが分かった。大きな目をさらに見開いて、茫然と俺を見る。  
その目を見ていると、死地を共に乗り越えた者への連帯感と信頼、  
出会った当初は怯えるばかりだったヨーコが、徐々に俺に示すようになった親しみ、そう言ったものを自分から壊してしまったような気がして、  
俺は言ったそばから後悔した。  
 
「…冗談だ」  
いたたまれなさに重い溜息を吐くと、俺は服を詰めた袋の口を手際よく絞り、立ち上がって部屋を出て行こうとした。  
その動きが、シャツの裾が引き攣れる感覚に止められる。  
「私は…いいわ」  
か細い声が背越しに聞こえた。  
その意味するところを悟ると……自分から言い出しておいて理不尽なことだと分かっていたが……目の前が真っ赤に染まった。  
助けた代価を求めるような男を、何で罵らないのか。自分を助けた男が望めば、それが誰であれ身体を許すと言うのか。  
女を殴るのは主義に反するが、半ば本気で張り飛ばそうと俺は勢いよく振り向いた。  
だから、それは全くの不意打ちだった。  
 
「私…デビットのことが、好き…だから」  
顔を赤く染めたヨーコの言葉が、今度は俺を固まらせた。  
 
互いに硬直したまま、どれくらい向かい合っていただろう。  
思えば今まで俺が関係を持った女達は、皆成熟した肉体を持つ、男を悦ばせる手練手管に長けた玄人で、こういう状況に陥ったことはない。  
馬鹿みたいに突っ立っていた俺だが、ふとヨーコの肩が小刻みに震えているのに気が付いて、漸く呪縛から解放された。  
「無理しなくていいんだぞ」  
「わ、わ、私、む、無理してなんか…」  
ヨーコがうろたえる程に、俺の方には余裕が戻って来た。  
「俺が好きか」  
耳まで赤く染まりながら、ヨーコがこくりと首を振った。  
「俺がどんな男か分かった上で言っているのか」  
ヨーコは小首を傾げて、俺を見上げた。  
「あなたが私の過去を知らないように、私もあなたの過去は知らない。  
けれど、私は、誰もが生き延びることに必死だったあの街で、あなたが他人のために率先して武器を振るっていたことを知ってる。  
それで、十分ではないの…?」  
「じゃあ、最後の質問だ。…後悔しないな?」  
それを聞くのは卑怯だと分かっていたが、聞かずにはいられなかった。  
果たして、迷いなく頷くヨーコの顎を捉え、俺はその小さな唇に噛み付くように口付けた。  
 
 
「んっ、ん……ふ」  
強引に上向かせて貪った唇を離すと、ヨーコの体が頼りなげにふらついた。  
小柄なヨーコは、背伸びをした状態でも俺の胸より下にしか届かない。  
俺はベッドサイドに腰を下ろすと、彼女の細腰を掴んで持ち上げた。軽い身体は簡単に俺の思い通りになる。  
「あっ」  
自分の膝の上に座らせ、小さく身じろぎする身体を抱きすくめて拘束すれば、ヨーコの非力ではもうどうにもならない。  
そして俺は、近くなった唇を、今度こそ本格的に蹂躙し始めた。  
 
「は、う、…んっ…んんっ……ん」  
キス自体に慣れていないのか、ヨーコの唇は固く引き結ばれたまま容易には解けない。  
唇で塞ぐように何度も口付け、やがて空気を求めて両唇が喘ぐように開いた隙を見逃さず、無理矢理舌をねじ込んだ。  
口腔を思う存分嬲り、吸い上げる。  
尚も貪欲にヨーコの舌を探して己の舌を蠢かせるが、求めるものは、恐れ故か奥で固く縮こまっているようだった。  
力尽くに引きずり出して絡ませたい衝動を苦労して抑え、宥めるように柔らかな顎裏を舌でなぞってやる。  
すると、緊張が僅かに解れたのか、躊躇いがちに薄い舌が伸ばされた。  
ようやく手に入れた獲物を逃がさないよう自分の舌にたっぷりと絡め、なすりつけ、唾液を送り込む。  
 
「う、んっ…ん…ふっ…く」  
ちゅく…ちゅぷ、くちゅ…  
 
擦れ合う舌が泡立てる粘着質な水音と、細く漏れる彼女の喘ぎが耳に心地良い。  
 
「う…」  
 
しばらく好きに弄んでいたが、舌先に彼女の戸惑いを察して仕方なく唇を離した。  
ヨーコは、流し込まれた体液をどうしていいか分からずにいるらしい。  
「飲め」  
彼女を抱き寄せ、耳元で低く促す。すると、細い喉が素直にこくりと小さく鳴って、俺が注ぎ込んだ唾液を嚥下した。  
たったそれだけのことが、俺の征服欲と嗜虐心をさらに煽り立てて行く。  
 
「は、あっ……は…」  
激しいキスから解放されたヨーコは、赤く染まった目元に涙を溜め、荒い呼吸を繰り返していた。  
さんざん嬲られた柔らかい唇は、薄いピンクから艶を纏った赤に色づき、薄っすらと膨らんで震えている。  
白い肌と黒い髪に映えて目が離せない。誘われるように軽く啄ばんで触れると、舌に乗せた味が甘く頭の芯を痺れさせるようだった。  
 
身体の力はすっかり抜け、俺の腕にぐったりと凭れているが、…恥じらいからだろうか、  
彼女は何とか体勢を立て直そうとあがいて無駄な努力をしていた。  
それは本意ではないから、首筋から耳元にかけてねっとりと舐め上げてやる。  
 
「や、あ、あっ」  
 
細い背が電流を流したようにビクビクと跳ねた。続いて薄く愛らしい耳朶を甘噛みし、口の中に引き込んで執拗に舌の上で転がしてやる。  
切なげな溜息の後、彼女の身体はあっさりと俺の腕に全てを預けて陥落した。  
喉の奥から笑いがこみ上げる。俺の手の内でいいように翻弄されるヨーコが愛しい。  
 
俺は、彼女の重みを心地よく受け止めながら、甘やかな思いと暴力的な劣情とを同時に身の内に感じていた。  
出来るだけ優しく愛してやりたいと思う反面、めちゃくちゃに喰らい尽くし泣き喚かせてやりたいとも思う。  
今まで抱いた女達には覚えなかった矛盾した感情だ。  
そんな俺の内心も知らず、ヨーコは猫の仔のように俺の胸元に頬を摺り寄せてくる。  
俺を信頼しきっている様子に口元に苦く笑みが浮かんだ。  
これから自分の身に起こることをヨーコは本当に理解しているのだろうか。  
していなくても、容赦するつもりはないが。  
 
掠めるようなキスでヨーコの気を散らしながら、滑らかな足を撫で上げ、ワンピースの裾をたくし上げて行く。  
倒れた彼女を介抱した時は意識して触れないようにしていた肌に性急に手を差し込み、そのきめの細かい手触りを愉しむと、  
細いくせに柔らかい肌が蕩けるように俺の手を迎えた。  
 
「え、…あ…いや、や、あっ」  
 
指を進める度に、ビクビクと背を撓らせて返ってくる過敏な反応もまた、底のない劣情に火を注いでゆく。  
男の無骨な手が、突然皮膚の薄い敏感な部分をまさぐり始めたことに、ヨーコは静かなパニックに陥っているようだ。  
それをいいことに、手際よく服を剥いで、ヨーコの身体を倒してゆく。軽くスプリングの軋みに跳ねたあと、小柄な裸身がシーツに埋まった。  
 
「ま、まま、待って」  
 
羞恥にこれ以上ないほど顔を赤く染めて、ヨーコが泣きそうな声を上げた。  
この期に及んで往生際が悪い、と思ったが、半ば予想していた反応だった。……情事の稚拙さから知れるが、ヨーコはおそらく、男を知らない。  
体を縮めるように胸の前で固く交差させた彼女の腕を、無理矢理こじ開けることは容易だったが  
……俺は逸る欲望を押し隠して、冷淡な風を装い、ヨーコを組み敷こうとしていた体を離した。  
ベッドから降りて立つ。視線を合わせなくても、ヨーコが、捨てられた小動物を思わせる不安げな眼差しで俺を見上げているのが分かった。  
俺は、その視線に欲望を煽られながら、ゆっくりと自分の服を落としていく。  
全て脱ぎ捨ててから、ようやくヨーコと目を合わせた。  
「俺が欲しいか?」  
ヨーコが動揺するのが手に取るように分かった。  
「どうした?…俺が欲しくないのか?」  
狼狽するヨーコに、同じ質問を繰り返して追い詰めてゆく。  
泣きそうな顔で彼女の首があるかなしかに小さく振られた、それがヨーコの羞恥心が許す限界だったのだろう。  
けれど、俺はそれでは済まさなかった。  
「言え」  
 
「わ、私…デビットが、ほ…欲しい…の」  
いい加減自身の欲望を焦らし切れなくなった頃、ヨーコが蚊の鳴くような声で応えた。  
「いい返事だ」  
いっそ笑い出したい気分で、俺はヨーコの体に覆い被さった。  
 
「あっ、く、ふ…ん、んんっ、…あ」  
ヨーコの首筋から鎖骨、柔らかな二つの隆起へと、唇と舌で濡れた軌跡を描きながら、同時に肌の隅々に掌を這い回らせていく。  
時折強く吸い上げ白い肌に所有印を刻み付ければ、それだけで震える背が弓なりに反って敏感に反応する。  
それが愉しく、俺は数え切れないほどの赤い痕を散らした。  
 
「ああっ!」  
 
ちゅぷ、と伸ばした舌を胸の先端に絡ませると、それまで声を必死に押し殺そうとしていたらしいヨーコの唇から、高い喘ぎが迸った。  
桜色の突起を口に含んだまま視線を上げると、ヨーコは声を上げたことを恥じているかのように手で口元を覆っている。  
その手首を捉えてシーツに押し付け、業と音を立てるように舌と唇で胸を愛撫し、ヨーコの鳴き声を堪能した。  
「もっ…や…あっ…」  
いやいやをするようにヨーコが首を振る。勿論逃がしてやるつもりはない。  
征服欲に駆り立てられるまま、力なく投げ出された彼女の足の内股を撫で上げるように指でなぞり、もっとも秘められた部分へ指を侵入させた。  
「やああっ!」  
潤む秘裂に沿って指を上下させると、とろとろと蜜が絡んでくる。  
「濡れているな」  
自らの愛撫の効果に内心ほくそえみながら、羞恥を煽る言葉をヨーコの耳に注ぎ込む。  
「感じているのか?」  
「そ、そんな…こと……」  
閉じたヨーコの目じりから、溜まった涙が零れ落ちた。涙の跡に唇を寄せ、優しいふりで口付ける。  
そうして彼女の気が緩んだその瞬間を狙って、蜜を絡めた指をヨーコの胎内へと続く入り口に滑り込ませた。  
 
「!」  
 
ヨーコの全身が腕の中で硬直するのが分かった。指一本だけの挿入だというのに、キツいほど締め付けてくる。  
その暖かな感触が、既に固く起ち上がっている俺のものにますます熱を持たせた。  
「狭いな……大丈夫か?」  
宥めるようにキスを落とし、気遣うように囁くと、ヨーコは自分を犯しつつある男に向かって、涙目のままぎこちなく微笑んで見せた。  
「ちょっと…痛いけど…平気」  
破瓜の痛みはこんなものじゃないだろう。けれどそれを指摘することなく、俺は浅く深く指を蠢かせ、ヨーコのそこを慣らしていった。  
 
「ふっ、う、…んっ…ん…あっ、あ」  
最初はゆっくりと、次第に激しく、撥ねる水音をぐちゅぐちゅと間断なく立てながら俺はヨーコの秘部を指で犯してゆく。  
やがて、苦痛を訴えるだけだった喘ぎに艶めいた色が混じり出したのを悟り、俺はもう一本指を加えて、柔らかく潤む狭道を容赦なく掻き回した。  
胸を揉みしだいていたもう片方の手で、力の抜けたヨーコの足を開かせる。  
男の欲望を受け入れることになるその場所は、蜜を含んで綺麗なピンク色に濡れ光り、俺を誘うようだった。  
「あ、ああっ」  
息を吹きかけるとヒクヒクと震え上がる。  
指は休むことなくヨーコの胎内に出し入れさせながら、俺の目は、ヨーコの最も敏感な部分を探して秘部を這った。  
俺の視線を感じるのか、無意識のうちに逃げようと腰を捩るヨーコを押さえつける。  
そうして、慎ましやかに顔を覗かせている小さな芽を見つけ出すと、丹念に舐め上げ、口に含んで舐った。  
 
「っ――――!!」  
 
ヨーコの背が弧を描いて固まった。次いで内部が激しく収縮し、彼女を嬲っていた指が柔らかな秘肉にぎゅっと締め付けられる。  
反った体がビクンビクンと痙攣し、彼女が登りつめたことを教えた。震える小さな身体が、ただ愛しい。  
 
「ヨーコ」  
俺が導いた絶頂に、ヨーコは意識を飛ばしてしまったらしい。失神し、弛緩した身体を抱え起こし、自分の胸に凭せ掛ける。  
秘部から溢れた彼女の透明な愛液が、細い足を伝い落ち、俺の腿とシーツを濡らした。  
キスを黒髪に落としながら彼女が意識を回復するのを待つ。  
俺の下腹部の熱は、彼女の乱れる姿を目の前にして、耐えられない程に昂ぶっていた。  
はやく、欲しい。  
 
癖のない真っ直ぐな髪を手櫛で梳いてやっていると、やがてヨーコが目を開けた。  
まだ夢現を彷徨っているかのようにとろんとした目で、ぼんやりと虚空を見ている。しばらくの間、フラフラと視点が定まらないようだった。  
ようやく俺の姿を認めると……普段の控えめに抑えた笑みではなく……花がほころぶように笑った。  
舌足らずに俺の名を呼び、俺の首に細い腕を回して縋り付いてくる。  
機先を挫かれて少々困りつつ、しかし悪くない気分で甘えてくるヨーコを抱き返していたが、そんな甘い雰囲気は長く続かなかった。  
正気に戻ったらしいヨーコが、勢いよく俺から身体を引き剥がしたのだ。  
「ご、ごご、ごめんなさい!」  
正直落胆したが、あの表情は、恋人にだけ許すもの……俺が最初の男ならば、俺だけが知っている彼女の姿だ。そう考えると気分が良かった。  
 
「……」  
引きかけた腰に俺の昂ぶりが触れて、どういう状況か悟ったのだろう、彼女の目が困ったように泳いだ。  
その様に苦笑しつつ、彼女の額に、頬に、口付けを落として耳元で囁く。  
「……もらうぞ」  
それは許諾を求めるものではなく、決定された事実の確認だったが…ヨーコの頤が引かれて肯定の意思を返すのを確かめてから、  
彼女の腰を両手で包んで宙に浮かせ、固定した。おずおずとヨーコの細腕が俺の首に回される。  
 
「力を抜いていろ…辛かったら俺に噛み付いても構わない。――お前の噛み痕なら、むしろ歓迎するさ」  
緊張に強張っていたヨーコが、俺の軽口に小さく笑った。それを皮切りに、俺はゆっくりと彼女の腰を降ろしてゆく。  
そうして、脈打つ熱い楔がヨーコの柔らかい胎内に打ち込まれた。  
 
「く、――っ」  
ずぶずぶと、狭く閉じた場所を俺の欲望の象徴が貫いてゆく。纏わりつく柔らかな肉襞のきつい締め付けに、俺は思わず声を漏らした。  
「―――!」  
逆にヨーコは、声にならない悲鳴を上げて俺の肩に小さく爪を立ててくる。可哀想だが、しかし、止めることはできない。  
やがて、幾らも進まないうちに、切っ先が閉じられた箇所に行き当たり―――  
ずぶり  
「―――っ!」  
俺は躊躇うことなく、ヨーコの胎内の、秘められていた封印を破り裂いた。  
 
「!……っ、――っ!」  
肉食獣の顎に捉えられた草食動物が、絶望的な状況で最後の足掻きをするかのごとく、ヨーコは痛みから逃れようと必死に身体を捩り、  
俺に縫い止められた腰を引こうとしていたが、体の奥深くまで挿入された固い楔と、がっちりと細腰を掴む男の手が、それを許さなかった。  
首を振るたびに零れる涙が、はたはたと俺の胸に落ちかかる。  
その様が、俺の中の獣を煽って、めちゃくちゃにヨーコの中を突き上げたい衝動が牙を剥いた。……まだ、駄目だ。  
 
「く…」  
ゆっくりと、ヨーコの最奥まで昂ぶりを埋め込み、落ち着いたところで小さく腰を揺さぶって俺自身を馴染ませた。根元まで蜜が降りてくる。  
…熱い。滾る自身よりなお熱いヨーコの胎内。…潤む熱に先端から蕩けそうだった。  
女と体を繋ぐことは、こんなにも気持ちの良いものだったろうか。  
触れ合わせた肌で熱を分け合うだけで、どくどくと動悸が早まって行く。  
腰に添えた手はそのまま、ヨーコを逃がさないよう固定して、震える彼女の首筋に、頬に、  
触れるだけのキスを降らせたが、彼女の嗚咽は止まなかった。  
痛いのか?と、聞くまでも無いことを問い掛けそうになって、口を噤む。こんな時、何と声を掛ければよいのだろう。  
長い躊躇いの後、俺は覚悟を決めてヨーコの耳に囁いた。  
「…愛してる」  
 
びくりと背が震えて、俺の肩口に伏せていたヨーコがそろそろと顔を上げた。涙を湛えた目が、俺を見る。  
慣れない言葉を口にして、顔に血を上らせた俺は、一体彼女の目にどんな顔で映っているのだろう。  
そんなことが脳裏を掠めたが、至近距離で溶け合う熱い吐息の心地よさに、どうでも良くなってくる。  
先刻垣間見た、手放しのヨーコの笑顔をもう一度見られるかと密かに期待していた俺を裏切って、ヨーコは何故か困ったように笑った。  
「…ありがとう。でも、大丈夫。…デビットの、好きにして。苦しいけど、我慢できないほどじゃないから」  
 
その表情と言葉が妙に胸に引っ掛かったが、意味を精緻に推し量る余裕は、今の俺には無かった。  
ヨーコを促してもう一度腕を俺の首に回させると、俺は、俺自身を縛っていた鎖を自ら断ち切った。  
 
激しい律動に軋むベッドの音、何度も突き上げられ、掻き回されて、泡立ち撥ねる卑猥な水音、そして獣のような男の息遣いと、  
貪られる女の悲鳴が、絶えることなく部屋に響いた。  
実際それは、飢えた獣が獲物を貪り咀嚼する行為に似ていたかも知れない。  
 
「ふぁ、あ、あん、っ、ん、あふっ、ああっ!!」  
 
醜悪に膨れ上がり怒張しきった欲望を、体格差のある華奢な体に叩き込む。  
壊してしまうかもしれない、という懸念が脳裏に浮かんだが、押し寄せる激しい快感の渦に、すぐさま飲み込まれ押し流されていった。  
火照り、上気して汗の滲む肌を触れ合わせ、絡み合わせ、舌を深く奪い吐息を飲み込む。  
その甘美な陶酔に身を委ねながらも、俺の欲望は飽くことなくヨーコの中心を貫き続けた。  
繋がった部分から俺とヨーコの体液が混ざり合い、とめどなく撥ね溢れ、俺のモノを伝ってシーツを染めてゆく。  
そこに血の色を見つけて、俺は湧きあがる征服感に満たされた。  
この女は、俺のものだ―――突き上げる衝動のまま、俺はヨーコの喉に噛み付いた。  
 
「っ――!」  
 
驚き、喘ぎ、空を噛むヨーコが愛しくて仕方がない。  
 
律動の衝撃にずり上がる小さな体を動かないよう組み敷いて固定し、尚も鋭く腰を突き入れる。  
俺を隙間なく押し包み、ぬめやかに蠕動するヨーコの胎内が信じられないほど心地よく、行為の激しさは否応無しに加速していく。  
内壁を抉るように擦り上げ、敏感な切っ先を子宮口に打ち付ける。  
許して、と泣きながら切れ切れに訴えるヨーコの姿に、ゾクゾクとした快感が腰から背を駆け上がった。  
処女の証をもたらしたのも、泣かせているのも、この自分だと思うと堪らない。気が狂いそうだった。  
 
時間の感覚はとうに失せていた。数十分か、数時間か、一体どのくらいの時間、俺はヨーコを苛んでいたのだろう。  
やがて圧倒的な快感の塊が、背筋を粟立てるような感覚を伴って腰からせり上がって来た。  
「―――ヨーコ…」  
初めての情交だというのに、俺の暴力的な情動をまともに浴び、意識を朦朧とさせていたヨーコの耳元で、俺は呻いた。  
固く閉じていたヨーコの目が涙を滲ませ薄く開く。俺の限界を察したのかどうか、両腕を彷徨わせると、俺の頭を自分の胸に抱き寄せようとした。  
「…はなさないで。おねがい。…デビット、すき。……あなたが、すき」  
うまく回らない舌で、そんなことを繰り返す。  
……それが最後の堰を切った。  
 
「っ、く―――ヨーコ……!!」  
いっそ痛みまで伴って、激しい快感の奔流が全身を駆け抜けた。それは一瞬で臨界を越え、出口を求めて噴出する。  
ヨーコの胎内に深く打ち込んだ俺のモノが、歓喜と共に煮えたぎる熱い精を迸らせた。  
 
再び意識を手放したヨーコを腕に抱き、俺はおよそ初めて、情事の後の気だるさを、満ち足りた思いで愉しんでいた。  
改めて見れば、ヨーコの身体には痛々しい口付けの赤い痕や、薄っすらと血を滲ませる噛み痕が散らばっている。  
自分でやった事ながら、つくづくヨーコは酷い男に捕まったものだと、そう思った。未だ乾いていない涙の跡を舌でそっと拭ってやる。  
もう分かっていた。  
ヨーコは目を覚ませば、あの狂おしい情交など初めから無かったかのように、俺から離れようとするだろう。  
おそらくは、自分がこれから踏み込んでゆく渦中に、俺を巻き込まないように。  
俺は結局、彼女がアンブレラと戦おうとすることを諦めさせることなどできないのだ。  
だが…。  
「俺を甘く見てもらっては困る。俺は、一度自分の物と決めたものは、手放さない主義なんだ」  
 
ヤバい事なら、どうせ慣れている。  
俺は、どうヨーコを言いくるめるか、そのことを考えながら眠りに落ちていった。  
 
 
 
エピローグ 
 
 
トライアル中は一人でホテルに泊まるから、と言い残し、ヨーコは俺を置いてさっさと出かけてしまった。  
勿論ヨーコを一人にすることに俺は難色を示したのだが、彼女は頑として自分の主張を曲げようとはしなかった。  
 
「大切な期間なのよ、…体力だって要るし、大勢の人の前で証言しなくちゃならないんだから」  
「それが、俺が居てはいけない理由になるか」  
「なるの」  
「何故だ」  
 
…ヨーコが出て行く前に交わした不毛な押し問答を思い出す。  
堂々巡りを繰り返し、ついにヨーコは顔を赤くして怒り出してしまった。  
 
「だって、デビットと一緒だと全然寝かせてくれないもの!」  
「……」  
「やめてって言ってるのに、いつも痕付けるし…」  
「…しかしな…」  
「とにかく絶対ダメ!」  
 
彼女が怒ったところで少しも怖くはないのだが、機嫌を拗らせるのも都合が悪く、結局はいつも俺が折れることになる。  
最近ヨーコは、同じようにラクーンシティから生還していたアリッサと、頻繁に連絡を取り合っているようだった。  
この頃、俺に対しヨーコが賢しく言い返すようになったのは、もしかしたらあの女の影響かも知れない。……クソ。  
 
とはいえ、俺はアリッサには本当に感謝していた。  
世間がヨーコの存在を知り、興味本位に騒ぎ出す機先を制し、彼女は、…いささか演出過多なきらいはあるが、冷静かつ同情的な記事を物してくれた。  
それが、世論の流れをいい方向に誘導したといえる。企業は悪、それに対する非力な被害者達、さらに若い女、という構図が一般人に受けた訳だ。  
どちらにしろ、ヨーコの存在は一般に周知のものとなったが、かえってそれが彼女の身を守るように作用したのは僥倖だった。  
 
「それもこれも、ジョージのお陰よ。  
あの特効薬が量産されてなきゃ、事件真相究明なんて夢の夢、問答無用で隔離されてたわよ。大衆は怖いのよ」  
「だろうな」  
「と言ったって、性質の悪い輩は居るんだから、ちゃんと見ててやんなさいよー?あの子、ホントにどんくさいんだから」  
「…お前もまだアンブレラを追うのか?」  
「まーね。やられっぱなしで引き下がるなんて、私の柄じゃないのよね」  
 
俺はフェリーターミナルの旅客タラップを渡りながら、そう高らかに笑った彼女の声を思い出した。  
アリッサは持ち前の行動力で、ラクーンシティ脱出前にはぐれた仲間達の居所を、全て突き止めていた。  
世話になったマーク、よく俺を困らせたジム、皆の手当てを受け持っていたシンディ、彼らも皆、それぞれの場所で元気にしているらしい。  
そして…。  
 
『もしもし。ハロー?』  
「ケビンか?俺だ」  
『何だ、デビットか。今何処だ?』  
「フェリーに乗ったところだ。…そっちには連絡した時間に着く」  
『おう。ジムはもう来てんだ。酒盛りでもしながら待ってるぜ』  
「……迎えに来れる程度にしておけよ」  
『任せとけ。…そういやお前、ヨーコにミクダリハンとやらを突きつけられたんだって?』  
「…何だ、それは」  
『さあ?アリッサが言ってたんだ。俺も意味は知らねえ。  
…しかしジョージとヨーコ抜きってのは残念だな。せっかくこっちの名所を案内してやろうと思ってたのに』  
「…二人とも忙しいんだ。俺も長居はしない」  
『ああ、いいぜ。でもお前が来ること自体意外だったぜ。  
旧交を温めるってやつ?お前嫌がりそうだしさ』  
「そんなことはないさ…無駄話もたまにはいい」  
『マジか?』  
「本気さ」  
 
デッキに出ると、涼やかな風が、海鳥の声を乗せて吹いていた。  
地平線に沈もうとしている太陽が、菫色の空に、千切れ雲を金色に輝かせている。  
俺はその静かな色合いの夕焼けを、心から美しいと思った。  
 
END  
 
 
 

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