あのおぞましい群れから逃れた俺はこうして今、武器運搬用の車の中で大人しくなっていた。  
 
驚くほど車内が静まりかえっているので、警察官らしき男がそそくさと席をはずす。  
 
そんな所から奴の性格が判ったりするが、なんとなく暇を持て余していた。  
 「…」  
 
本当に静かだ。  
 
静寂と言うよりは、沈黙のような張り詰めた空気だった。  
嫌、それともその逆だろうか。  
自分に煩わしく感じる音声が、ここには全く無いのだろう。  
 
例を挙げれば、ゾンビの唸り声とか銃声とかだ。  
そうなると、ちょっとした囁き程度の音や声なんて微塵も聞こえて来ない。  
要するに、はっきりとした安心感が持てるのだ。  
 
そう解釈すると、  
急に何かの封を切ったかのように、俺の聴覚へ周囲の音声が流れこんできた。  
 
物騒なものと一緒に、車内の隅の床で  
猫みたいに丸まって眠りこくる女の寝息。これは耳に心地よい。  
 
前の席へ身を乗り出していた警察官の男が、  
無線機で会話している煩わしい声すら、子守歌並みの穏やかさに聞こえた。  
 
車に揺られている感覚が、こんなに心地よく思えた事があっただろうか…。  
堅い椅子に浅く沈んで、俺も寝付こうかと  
腕を組んだ時だった。  
 
「…っうぅん」  
 
あの隅にいた女が、突如苦しそうに呻き、  
覚醒した。  
 
女は寝ぼけた面で辺りを見渡している。  
 
「どうした?」  
 
俺と目が合ったかと思うと真っ赤になって、  
くるまっていた毛布に  
戻って行ってしまった。  
「…な、なんでも無い」  
毛布の所為で篭もった返事が、返ってきた。  
 
俺は側に寄り、遠慮がちにそれをめくりあげてみた。  
「あっ!やめて」  
 
女の輪郭の形が影になって表れた。  
…目元が、光っている。  
 
優しく毛布を下ろしてゆくと  
瞳や睫が、涙でぐっしょり濡れていた事が判った。  
「や…なに」  
女のまなこがドクンと動いて、  
まだ水滴をこぼしている。  
「…なんだ、泣いてるのか?」  
「…なんでもない」  
なんでもない、と言うのなら  
その眼差しをやめて欲しい。  
 
俺はこういった状況を、最も苦手とする質だ…。  
ゾンビをぶち抜くよりも難しい。  
口裏も思い浮かばない。  
ならば相手にしない事だと思ったが、  
ここからどう引き下がったら良いかという術を、俺は知らない  
。  
慰める行為が、俺にとって至難の頂点に達する程なのだ。  
 
 
「やめて!」  
 
 
そう言って、女は毛布を掴んだままの俺の腕を払いのけた。  
 
考えを巡らせていたうちに、思わず一言怒鳴ってしまった。  
 
「泣くな!!」  
 
ビクッと肩を縮めた後、あからさまに驚異する女の表情を目の当たりにし、舌を巻かせてどうすると内心で自分に呆れる。  
「…すまない」  
 
怖い夢でも見たという所か。  
 
「……今ぐらい安心しろ」  
 
今の発言ももう少し穏やかにすればよかったかなどと、また考えてしまう。  
 
「………」  
 
「……そうだね」  
 
しかし女の方は案外素直な返事だった。  
 
手のひらで、小さな女の頭を包んで撫でてやった。  
力任せで不格好に撫でられても、女は最後まで黙っていた。  
こんなもので、上出来だったのか。  
 
「……平気か」  
 
「平気」  
 
女の涙混じりの鼻声が、妙に色っぽかった。  
 
 
闇に包まれた街を滑走する車内で、警察官の男が今度は沈黙を守っていた。  
というのも、ただ眠ってしまっただけなのだが。  
寝息をたてる男の様子を見て、俺の隣へ腰掛けた女が、一人だけ楽しげに微笑んでいた。  
この女、笑うと幼くなる。  
 
はっきりいえばガキのようだったが、その光景を俺は何故か眉間に皺を寄せ、苛立ちの面持ちで眺めていた。  
 
「あの」  
「名前、聞いていい……かな?」  
暫くして、女が控えめに訪ねてきた。  
そんな話題だが、ずっと切羽詰まっている俺への助け船に聞こえて、すぐさま答えてやった。  
「デビット。デビット・キング…」  
「私はヨーコ」  
「そうか…」  
ヨーコ。  
俺はずっと女呼ばわりしていた事を内心謝罪した。  
 

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