今度は、フランス革命期〜エジプト遠征まで活躍した海軍軍人、ブリュイ提督と
その奥様のお話です。
彼は家族関係の資料・家の資料が少ないもので(軍事的資料はあり)、
奥様のお名前は私が勝手に考えましたが、そういうのがお嫌いな方は申し訳ありません。
燭台に照らされた料理は湯気こそたっていないが、まだ作られたばかりだった。ようやく食卓へとたどり着いた
ブリュイ=デゲリエ伯爵は、早々にナプキンを広げ祈り、銀器をとった。
「すまん、遅くなった」
テーブルの向かい、妻が涼しい顔で澄ましている。濃いこげ茶の髪をきちんと結い、纏め上げていた。表に出るわけでなし、
流行も嫌いだといって、おかしくない程度にだけ取り繕われている。ブリュイからすれば十分身奇麗だと思うが、
女性には色々あるらしい。
ブリュイが彼女を娶ったのは、三十を過ぎてからだった。晩婚だと自分でもわかっているが、友人には結婚しない
とまで宣言している者もあるくらいだし、あまり気にしてもいなかった。無論それが変わり者であることは
知っていたが、躍起になって気に入らない嫁をもらうこともないだろうと考えていたのだ。
少尉に昇進した頃、母が縁談を持ってきた。二十歳すぎの、この時代としては少々『嫁き遅れ』な娘だ。それでも
ブリュイとは十歳以上の年齢差がある。若く、賢く、笑顔のさわやかなところが眩しい。名をマルグリットという。
新たに国から与えられた屋敷は、二人で住んでもやはり広かった。使用人は互いの家から古参の者を連れてきて
置いた。それでも屋敷はブリュイの実家、またマルグリットの実家よりも、まだ広く思われる。
その天井には鮮やかな絵が彩られていた。聖母が穏やかな笑みを浮かべ、キリストを抱いているものだった。
正直なところブリュイは取り立てて宗教に熱を上げていたわけではないが、神や自然には一定の信仰があった。
また、絵そのものの価値はわからないが、あの画の筆致をブリュイは気に入ってもいた。
「あなた」
肉を切り分ける音だけが響いていた食卓に、妻の声が挟まる。はっとして、ブリュイは天井から彼女へと目を向けた。
「よく首が疲れませんこと」
呆れた様子で彼女がいった。どこか不機嫌そうな物言いだ。ブリュイは少し困ってしまって、皿へ目を落とした。
「すまん」
「何故謝るんですか」
問われ、またブリュイは言葉を詰まらせてしまった。何と答えるべきかあぐねている彼を無視して、彼女はスープを
口に運ぶ。
「理由もなく謝らないでくださいな」
「……すまん」
結局出てきた言葉がそれで、ブリュイは自分の語彙のなさを責めた。彼女のいうことはいちいちもっともで、
まともに口論になどなったことがない。自分の顔を潰すようなことをいう女ではないが、はっきりした性格ではある。
その点も気に入っているのではあるが、今のように窮することもないわけではなかった。
「冷めますよ」
着々と食べ進めている彼女はもうワインすらあけそうになっている。よく食べるが、肥らない。じっと彼女を
見据えていると、視線に気づいたらしく首を傾げられた。
「何ですか」
「いや」
ブリュイはそれだけ返して、食事を再開した。肉が少し冷えて、硬くなり始めている。たっぷりとソースをつけて、
くさみをかき消しながら咀嚼した。旨い。
マルグリットの大きな瞳が、じっとそれを眺めてくる。肘をついて、頬杖にしながら、観察するようにだ。
ブリュイはまるで監視されている気分になって、ちらちらと彼女に目を返した。品がないぞと口にするのもはばかられる。
彼女は十三の頃から海しか知らない自分とは違い、いわゆる『お嬢様学校』に通ってきたはずなのだ。
「……顔に、何かついているか」
ブリュイはただ疑問を返すことしかできず、そこに批難をにおわせるしかなかった。
「いいえ。量は召し上がる割に、一口は小さいのねと思って」
頬杖をやめ、妻はいった。大きなお世話だ、と罵る男もいるかもしれない。しかしブリュイはそれでどうこう
騒ぐほど子供ではなかった。もう三十も半ばのほうに近いのだ。いちいち怒っていたら日が暮れる。
「そうか」
その淡白な返答が気に入らなかったのか、マルグリットは露骨に椅子へとかけなおした。彼女が嫁いできて
まだ数週だが、そのうちの半分からずっとこうだ。わけもない苛立った態度をぶつけてくる。理由が見えていれば
まだ対処のしようもあるのだが、そうでないようだからブリュイは結局黙って頷くか謝るしかなかった。
プロポーズのときの彼女からは、考えられない態度だった。ブリュイは月明かりの階段、踊り場で、彼女の腕を
掴んだ。帰ろうとする彼女を引き止めたときのことだ。柔らかな体を思い切り抱き寄せ、想いを伝えた。熱に
浮かされたような心持で、なんといったかあまり記憶にないが、とにかく彼女が他の男の手に触れるのを嫌だと
感じた。ブリュイの人生の中で、こと男女関係においては初めての強い衝動だった。
その夜はじめて、マルグリットを抱いた。性格からすると遊んでいておかしくもなかったが、彼女の肉体は
清らかなままだった。できるだけ丁寧にブリュイは愛撫を施し、痛みも極力減らそうと力を緩めた。海軍の職務について
彼は誰より優秀であったが、女性の扱いとなると幼い甥に負けるほどの晩熟だった。
何度かそうして抱いているうち、マルグリットの態度が変化した。まずあまりブリュイと目を合わせなくなった。そして
今のように、追い詰めるように言及することが増えた。何か自分が気に入らないことでもしただろうかと思っては
いるものの、原因はやはりわからない。ただ時折、妙に寂しげな目をしてブリュイを見つめるようになった。それに
胸をちくりと刺される。考えながらブリュイはどうにか、食後の葡萄酒に辿りついた。
「……フランソワ=ポール」
名を呼ばれ、ブリュイは口をつけていた酒をおろした。それにあわせたようにマルグリットが立ち上がり、
背を向ける。
「先に、寝室で休ませていただきます。よろしいですかしら」
白く細い顎先だけが見えた。ブリュイはワインの残りを干し、立ち上がった。
「気分が悪いのか」
マルグリットの顔が、ようやく目元まで見えるほど振り返った。
「構わないでください」
彼女の頬は赤く、眉がたわんでいた。拗ねた子供のような顔をする。何かを我慢しているようでもあった。ブリュイは
さすがにかっときて、眉をたわめて口を開いた。
「妻を心配しない夫が何処にいる」
ブリュイにしては珍しい、きつめの語気だ。しかしそれがおとなげなかった、と気づいたときには遅かった。妻は
まるで今にも泣き出しそうな顔をして、廊下を駆けだした。
ブリュイはまだ首にさがっていたナプキンを脱ぎ捨てると、慌てて彼女を追いかけた。
すんでのところで、妻は部屋に滑り込んでしまった。鍵はあけてもらえそうにない。幾度扉を叩いても
返事はない。名を呼んでも、何をしようと、かわらなかった。ブリュイは扉に額を預け、唇を噛んだ。沈黙する。
目をかたく閉じ、意を決したように瞼を上げた。
「マルグリット、悪かった」
歯列から押し出すように彼はいった。怒りはない。あるとすれば、もっと冷静に話してやればよかったという
後悔だけだ。いくら二十歳を過ぎているとはいえ、まだマルグリットは自分に比べて子供なのだ。爛漫な性格だし、
奔放でもある。
「謝らないでといってるんです」
涙声だった。しゃくりあげている声がする。
「……フランソワ=ポール。私、おかしいの。おかしいのよ」
細い声だった。歌のうまい、弾んだあの声音ではない。
「何がおかしいんだ? 君は君だ」
先ほどまで抱いていた疑問は何処へいったのだろうかと、自分で思うほどの言葉だった。次の瞬間、勢いよく
扉が開かれる。涙に眼をぬらしたマルグリットが、彼の腕を掴んで部屋に引っ張り込んだ。不意打ちだったために、
よろけながら彼は従った。
そこから間もなく、彼女の身が胸の中へ飛び込んできた。薄っすらと脂肪のついた――でなければ海で
浮かないからだ――胸板に、マルグリットの熱い涙が沁みていく。あまりの流れの唐突さに、ブリュイは戸惑った。
どうしていいものか迷い、腰に手をやる。髪を撫でて、彼女が落ち着くのを待った。
「どうして何もいってくださらないの」
マルグリットがようやく顔を上げた。その質問の意図を察することができずに、ブリュイは首を傾げた。
「……たしかに私はあまりその、喋るのは得意でないが」
「違います」
首を振り、マルグリットは少し身を離した。
「私が何も知らないと思っているのね」
やましいことがなくとも、こういう言われ方をするとどきりとするものだ。ブリュイはしかし自分が彼女に対して
偽りなどないことを信じて、言葉を待った。
「……腕を見せてください」
僅かな沈黙の中に呼吸が混じり、それが落ち着いた頃に彼女はいった。ブリュイはやはりわけがわからなかったが、
いわれるがまま上着を脱いだ。シャツの袖を捲り上げる。数ヶ月前、ようやく糸の抜けた傷痕があった。海賊相手に
サーベルを振り上げたところで、二方向から切りかかられてしまったのだ。身を翻してかわしたが、
縫う必要のある怪我がふたつできた。それが、これだった。
「一緒に、劇場へいったことがありましたわね」
よくおぼえている。結婚前、女性を何処に誘ってよいものかわからず、華やかそうだからという理由で連れて行った。
ブリュイの記憶ではそれをいたく気に入ったように見えていたが、あれと腕がどう関係するのだろうか。
「あなたはまだ、この傷が癒えていなかった」
たしかにそうだ。普通に服を着られるほどには回復していたが、包帯は巻いていたし傷も痛かった。膿むことは
なかったが、しばらく傷がふさがらず糸がとれなかったのだ。
「あのとき、あなた」
ぐっ、とマルグリットの呼吸が詰まった。涙が次々とこぼれおちる。
「その腕で、私をお連れになったのよ。お忘れではないでしょう」
いわれてようやく、そのときのことを思い返した。そうだ。ブリュイは当然のこととして折り曲げた腕を差し出し、
彼女の掌を受け入れた。だが思わず、痛みに呻いてしまったのだ。一度、ほんの一瞬ではあったが、それが
顔に出た。何でもありませんと彼女の遠慮を振りほどいたのをおぼえている。
「後から、お医者様に聞きましたわ。傷がふさがるまでに時間がかかった、とも」
「それは」
「私のせいです」
「それは違う」
ブリュイは首を振り、俯く妻の両肩を掴んだ。
「ちょうど、傷は……ほら、この曲がるところにあるだろう。だからなかなかふさがらなかったんだ。化膿もしなかったし、
きれいに治ったろう」
実際、傷はもうだいぶ白くなりはじめている。中に残っていた血の塊が、徐々に流れて消えていっている証拠だった。
「……あなたの」
ようやくマルグリットの顔が、少々持ち上がった。
「あなたの足手まといになるくらいなら、私、離縁していただいたほうがいいと思いましたの」
化粧らしい化粧をする女ではないが、顔に塗っていた粉が多少落ちているのがわかった。涙の筋ですっかり
くしゃくしゃになって、元の健康的な白さが見えている。紅はさしていないようだ。ブリュイはじっと返事を待った。
「私はあなたの妻です。あなたのつらいとき、苦しいとき、支えるために結婚しました。喜びは二人で、より沢山
かみ締めるためにここにいるのです。それなのにあなたは、私に何も言ってくださらない。きっと口にされると
もっとつらくなるから、そういうこともあるのでしょう。けれど、私は、もっとあなたに頼ってほしい」
彼女は自分の両頬に手をやり、更に続けた。
「私が若くて幼くて、頼りないからだと思いました。だからもっと毅然として、強く、冷静に振舞えばいいと。
けれどあなたの顔が、私の心を揺さぶるのです」
唇をふるわせ、妻はどうにか言葉を発している。ブリュイは目をそらさず、深く何度も頷いた。
「ねえ、本当はどうすればいいのですか。あなたの笑顔が私は好きです。でも、あなたが一人で苦しんでいるのを、
ただ我慢させるのは嫌」
細々と搾り出した彼女は、ついに顔を覆って泣き出してしまった。
ここまで考えさせていたのか、とブリュイは思った。勝手にとはいえ、彼女は思いつめている。そしてそれは、
自分への思いやりがそうさせたのだ。自分を愛する思いをコントロールできずに、そうなっていってしまったのだ。
ブリュイは失いかけていた熱が、再びじわじわとこみ上げてくるのを感じていた。
「それに」
ひとしきり泣いたあと、彼女が顔を上げた。自嘲的な笑みが浮かんでいる。
「あなたにとって、私は魅力的でないようだから」
それが何をさしているのか、じきにぴんときた。上気した頬、どこか体に落ち着きがない。
だがここで強引に手をかける、ことには躊躇いがあった。相手は弱りきっている。本当は口付けて、このまま
めちゃくちゃに犯してしまいたいほどの衝動があった。何度でも、好きだと囁きたかった。しかしそれをとどめて
いるのは、彼女がまだブリュイにとって『清らかな娘』であるからだ。彼女が、ブリュイを遠ざけようとして
いるからだ。だからこそ、おっかなびっくり、壊れ物を扱うように抱くことしかできなかった。
いいわけだ。ブリュイは自分を叱咤した。本当は、怖いのだ。妻が自分の手から離れてしまうことが、
恐ろしくてならない。
「それとも、あなたの勇猛さは海だけなのかしら」
マルグリットにとっては、ただの冗談だったのだろう。当然ブリュイはそれもわかっている。しかし気づけば、
腕に力をこめていた。髪の毛に指をさしいれ、深々と口付けをおとした。逃れようとする彼女の身をしたたかに
固定したまま、抉るように口付けを繰り返す。息継ぎの必要はなかった。慣れている。長い接吻で軽い酸欠になった
彼女の体から力が抜けた。そのまま寝台へ導き、押し倒す。
「君は、私のものだ」
前あわせの彼女の服に手をかけ、左右に引っ張った。ボタンがはじけとび、シルクの下着が飛び込んでくる。
うっすらとすける彼女の乳房は、ブリュイの掌でも余るほど大きい。
「他の、他の誰にも渡さない」
声が今にも上ずりそうだった。それでも力で抑えつける。彼女の瞳にうつった自分の目は、欲望に満ちていた。
わかっていても、もはや遅い。誰にも止めることなどできなかった。ブリュイは抵抗する力を失った妻の両腕を
簡単に片手でおさえつけ、乱暴に下着を剥いた。豊かな乳房の中心で、乳首が尖りたっている。すくうように掴むと、
指の先でぐりぐりとひねりつぶすようにこねた。腕が跳ねる。悲鳴のような声が上がった。
「我慢しろ」
昏い欲望が、すっかりブリュイを変えていた。戦で血が滾っているとき、ちょうどこの錯覚を得る。ただ、
征服すべき対象が敵でも海でもなく、愛しくてかわいくてならない妻だというだけだ。まるで脳が沸騰して
しまっているような熱が、ブリュイを突き動かしていた。
妻の腕から徐々に力が抜けていくのを感じる。ようやく手を離してはやったものの、乳房をいたぶる手が増えた
だけの話だ。乱暴にもみこまれるたび形を変える乳房は、これまで見たこともない赤みを持ち始めていた。まるで
おもちゃのように、乳首も奔放に遊ぶ。あえて陥没させてもすぐに飛び出してくるそれをあざ笑うように、先端を
爪で軽く引っかきまわしてやった。腰を浮かせ、激しく首をくねらせながらマルグリットは踊った。何度も嬌声を上げ、
髪を振り乱し、喜悦とも苦痛ともとれる涙を散らせている。
いやだ、という言葉はない。抵抗もない。なんだ、こうすればよかったのか。どこかに一抹の理性を残していたが、
ブリュイは妙に頭がさえていくのを感じた。戦も、女も同じだ。恐る恐る進んでは踏み込まれる。一気に攻め入って、
陥落させればいい。ブリュイはふっと、自分の迷いが断ち切れるのを感じた。
「君を、ずっとこうしたかった」
ブリュイはようやく、今自分がどんな顔をしているのか気づいた。
笑っている。
今、自分は笑っているのだ。
彼女は子供ではない。
女なのだ。
そんなごく当たり前のことに、今まで気がつかなかった。
ブリュイは涙を滲ませる彼女の首元をまたいだ。下布をくつろげる。ぼろりと一物がまろびでた。半勃ちになった
それは長く、マルグリットの口におさめるには少々大きさが過ぎる。においも、先日まで生娘だったような女には
きついかもしれない。それでもブリュイは、それを基準にしようとしていた。
「嫌なのか」
問いかけると、びくんと体が震えた。どれだけ残酷なことを強いているか、彼女の顔を見ればわかる。その顔すら
いやらしく、美しい。それだけでブリュイの剛直は勃ち上がっていく。
海軍の訓練は、陸軍の訓練とは違う。力は勿論、持久力、柔軟さ、精神力も桁違いに求められる。走る、泳ぐ、
漕ぐ、戦う、すべての動作ができなければならない。また、海という自然を相手にするため、眼も養う必要がある。それには
知識と、経験と、何より努力が必要だった。
彼は海兵だ。今もなおその職務に明け暮れている以上、そのすべてを兼ね備えていることになる。そんな人間に、
何も知らない箱入りで育った令嬢がかなうはずもなかった。
「あな、た……」
弱々しく彼女はいった。乳房をすっかり蹂躙され、求められるがまま唇を差し出し、ブリュイの突き出てきた欲望を
受け入れる。不慣れな様子ではあるが、先端を啄ばむ粘着質な愛撫は心地よかった。
不意にマルグリットの口が離れた。ブリュイは眉根を寄せ、彼女の口を楽しんでいたが、なくなった感覚にはたと
意識を向けた。
「フランソワ、ポール」
息継ぎがうまくいかないのか、彼女は息を切らしていった。
「素敵よ、とても素敵……」
うつろな目をした妻は、それだけいって再びブリュイの男根に顔を沈めた。少ない経験の割に色の濃いそこは刺激に
抗うように力をたくわえ、目の前の獲物を食らってやろうと鎌首を擡げている。今にも射精したい衝動をこらえ、
ブリュイは彼女から自身を引き抜いた。
物欲しげなマルグリットの瞳が愛しくて、ブリュイは両手をその頬にやった。体を後退させ、額に額をあわせる。
「マルグリット。私を愛しているか」
瞼を硬く閉じ、ブリュイは尋ねた。こくん、と妻が唾を飲む音がする。再び彼が目を開くと、潤んだ栗色の瞳が見つめていた。
「ええ。世界中の誰よりも」
あたたかな感触があった。彼女の手が、彼がしているのと同じように、頬を支えていた。
「あなたは世界で一番、勇敢な人。世界で一番、逞しい人。世界で一番、愛しい人よ。だから……」
マルグリットの腕がブリュイの首に絡んだ。耳元に唇が寄せられる。
「もっと、好きにしていいのよ」
ようやくブリュイは、自分の彼女に対する『遠慮』に気がついた。昔から女性の扱いは苦手で、紳士としての
振る舞いと誠実さを己に問うことだけで精一杯だった。それは裏を返せば自分のことで手一杯になっていたということだし、
自己を抑えてばかりで面白みがないと思われても仕方ないだろう。
だがマルグリットは、そんなブリュイの不満にも至らない小さなささくれを、ずっと見抜いていたのだろう。しかしそれを正面から伝えたところで恐らく彼はぴんとこないだろうし、かといって強引に直させる類のものでもない
と思っていたに違いない。ブリュイは心底から湧き上がるじわじわとした温もりと、下半身に直接刺激を与える
彼女の淫靡な表情で気が狂いそうだった。
――このまま、狂ってしまってもいい
彼女を抱いていると、そういう気分にすらなった。
ブリュイはマルグリットの体を起こし、自分がかわりに横たわった。首を傾けて彼女を見やり、重なるよう指示する。
よろよろとマルグリットは従い、ブリュイの肉体へと覆いかぶさった。軽く口付ける。
「顔をそちらに向けなさい」
尻を見せろといっているのだ。今度は台詞がすべることも、上ずることもなかった。ただ、弾けるような興奮は
変わらない。じき、マルグリットの尻が顔の上に訪れた。白い二つの山は、乳房とはまた違った魅力をたたえている。
若い頃は谷間を見ただけでも興奮したものだが――無論、いまだに好きではある――、今は尻のほうが好みだった。
ブリュイはあえて何も命じなかった。ただ、自分は彼女のまるく弧を描く白い尻肉へ、その両手を這わせた。
体が跳ねそうになり、マルグリットの腰がくねる。甘い声があがった。自分の一物に、熱を感じる。口に含もうと
しているのだろう、指がそれをつまむ感触があった。
「だめだ」
だがブリュイは彼女の奉仕を蹴った。蜜の詰まった桃のような、しかし掌に十分な弾力を返してくる尻をもみこみながら、
太ももの内側を舐める。
「指示していないことはするな」
「で、でも」
「好きにしていいんだろう」
彼女の声は熱っぽく、今にも泣き出しそうな色を含んでいた。だが今のブリュイは残酷だった。できる限りこの女を、
陵辱してやりたい。汚しぬいてやりたい。自分の色に染め上げて、他の男になど二度と触れられぬようにしてやりたかった。
ブリュイの視線は喘ぐ彼女の下半身を辿り始めた。尻溝、その谷間の菊座までびっしりと生えた陰毛。ふっと
鼻で笑う声だけがマルグリットに伝わる。拒否する言葉はなかった。ただ、鼻を鳴らす声と、肉棒にかかる熱い吐息が、
彼女の恥じらいと欲情を示していた。
更にその下、きゅっと閉じた花弁へと視線は到達した。かなり色濃く充血したそこは、指で軽く開いただけで
どろりと蜜を垂らした。指で表面をしばらくなぞり、彼女の震える体を楽しむ。ちょうど谷底にあたる部分では
ぱんぱんに膨れた陰核が愛撫を待ち望んでいた。割れ目からの露をたっぷりと塗りこんでやると、マルグリットの
唇からとめどない悲鳴がこぼれた。
「ひいっ、あ、あ、ああ」
彼女の上半身が崩れ、乳房が竿を覆う感覚があった。柔らかなそれをすりつけ、勃ち上がったそれを倒そうと
するかのように身悶えている。奉仕が目的というよりは、腕をついていられなくなったといった風だ。
「身を起こしていろ。やめるぞ」
厳しくブリュイはいった。海で部下に指示を出しているとき、そして自分に対して何かを強いているとき、
ちょうどこのような物言いをしているかもしれない。マルグリットはおびえたような泣き声で、はい、とこたえた。
よくできた、という誉め言葉のかわりに、無遠慮に彼女の秘所へ指をねじ込んだ。どろどろに溶けたそこは熱く、
掻き出しても掻き出しても愛液が尽きることはない。むしろそれは量を増やし、ブリュイの激しい指の抽挿に耐えていた。
「あっ、あ、フランソワ、あっ、ひっ」
ブリュイの股間に、ぼたぼたとぬるい水が落ちてきた。涎だ。涙もまじっているかもしれない。鼻声になっているあたり、
かなりぐずっているのだろう。顔は見えなくとも、わかる。それだけ自分は彼女を見つめてきたのだ。だからこそ
それが、決して悲しみや裏切りを感じているものでないことも悟ることができた。常日頃鈍感と罵られるブリュイにとって
それは、本当に珍しいことだった。
飢えていた。ブリュイはまだ使い込んでいない花弁を、片手で押し広げた。指を引き抜き、空洞を見据える。
「よく見える」
言葉責めができるほど多弁ではない彼は、とろとろと蜜をこぼす洞穴をじっと見据えることにした。それだけで
マルグリットは身を焼くような恥辱に襲われる。
しばらくそうして彼女の震えを楽しんでいると、その首がブリュイを振り返った。
「あ、あなた、おね、おねがい」
たどたどしく彼女はいった。指を女穴へ差し込み、軽く指を曲げる。がくん、と崩れそうになりながらも彼女は
必死にブリュイを見つめた。
「さ、触らせてください。ご奉仕、させて、ください」
舌が痺れてしまったような調子で続けるマルグリット。ブリュイが先ほど触るなと命じたのは、彼女の口淫の様子からして、
不慣れで味もいいものではないからだろうと考えたせいもあった。しかしそれはかえって、彼女にとって残酷だったらしい。
「……そんなに触りたいのか」
ブリュイは少し考えて、尻溝を撫でながら答えた。
「では、手を使わないでやってみろ。そのくらい、してくれるな」
彼女の経験は、決して多くはない。それは手つきや態度でわかる。しかし、どうにかしてブリュイは彼女に意地悪が
したかった。一度だけでも構わないから、彼女が必死に自分を求めてくる様を見たかった。まるで蝶々のように
ひらひらと、華やかに、自由に舞う彼女を、まるでその羽をむしりとるように堕落させてやりたかったのだ。
マルグリットは意のままに動いた。自慢にもなるだろう大きな乳房でブリュイのものをはさむと、緩慢に
上下させ始める。ブリュイはようやく自分にも訪れた肉体の刺激に、少しばかり目を細めた。
「どんな風に、しているか、説明するんだ」
予想よりも激しく、マルグリットは彼を求めてきた。もうだいぶ『壊れて』きているのかもしれない。ブリュイは
蜜壷をいたぶりながら、彼女の返答を待った。
「あっ、あ……、……おっぱい、で……おっぱいではさんで、います」
「何を」
「あっ、ひ……あなたの……その……おおきくて、かたい」
言葉を詰まらせた。指を差し入れたまま、あいたほうの親指で陰核をぐりりとひねってやる。ひときわ激しい嬌声が
上がった。
「なんというか、知らないわけじゃないだろう」
ぶるぶると麻痺したようにのけぞる彼女を無視して、ブリュイはパールピンクの肉芽をひたすらいたぶりだした。
周囲をくるくると辿っては、中心の丸みをねちねちとつつく。そのたびにマルグリットは獣のような声を上げ、
ブリュイの肉体へしがんだ。
「……ああ、そんなこと、いわせないで……。……おちんちん、です」
これがあの、勝気で、はねっかえりにすら見える、マルグリットなのだろうか。普段の自分――いや、以前の
自分ならば、恐らく疑っただろう。そしてその媚態に生まれるほの暗い欲求も、何を考えているのだと振り払っていたに
違いない。彼女を貶める肉欲など、きっと叩き潰してしまえた。
しかし妻の愛は、彼の欲望を許した。だからこそブリュイは、箍を失ったように彼女を苛んでいるのだ。
マルグリットは恐らく今にも達しそうなのだろう、ブリュイの愛撫に小刻みに痙攣を繰り返しながら、しかし
必死に腕を突っ張って抗っている。乳房をゆらゆらとすりあわせ、突き出た先端を舌先でねぶりあげ、手を使わずに
首を動かす。中ほどまでくわえ込んでは離し、頬ずりをしては吐息をかけた。
不思議なことに、ブリュイへの奉仕が過熱するたびマルグリットの秘所は濡れそぼった。何も手を加えずとも、
だらだらといやらしい愛液をこぼし続ける。
ブリュイはどうにも彼女の顔が見たくなって、体を起こすよういった。顔を向けさせる。腕を引っ張り、抱き寄せた。
乳房と胸板が触れ合う。重いと思ったのか、身を浮かせようとする彼女を引き止めた。心臓の音がする。かなりの
早鐘だ。汗ばんだ肌に、髪の毛がへばりついている。
ブリュイは愛しげに、妻の額に何度も口づけた。髪を指で梳き、撫で、かわいがった。
「股を開くんだ」
マルグリットはまるで生まれたばかりの馬や牛のように脚をふるわせ、彼の声に従った。
「いい子だ」
囁いてやると、マルグリットはうれしそうに目を細めた。切なげに体をゆすり、ブリュイの次の言葉を待っている。
彼はマルグリットの尻を抱え、自分のものを反り返らせた上から割れ目を重ね合わせた。陰毛が時折すれ、
くすぐったさがやってくる。粘着質な音は彼女の女陰が原因だった。
「あっ、ああ、そこお」
いやいやをするようにブリュイの胸へ頬をすりつけ、彼女は媚びた。無論そのようなつもりはないのかもしれないが、
それがブリュイにとってはかわいくてならなかった。
マルグリットの陰核が、彼のものをぬらしていく。無尽蔵なのかと思われるほどに分泌される牝の汁は、
彼女の瞳を淫蕩としたものに変化させた。
「ああ、フランソワ、すきよ、すき、すき」
名前のすべても呼べぬほど、彼女の崩壊は進んでいた。ブリュイはそれでもマルグリットを起き上がらせ、膝を
つかせた。天井に向かってすらりと伸びた体へ、重たげな乳房が従う。下から見上げると、改めて色気のある体だと思われた。
ブリュイのほうも、そろそろ限界だった。少し遅漏の気がある彼にしては珍しい。また、我慢することも慣れている。
だが、今彼の脳裏にあるのは、目の前にいる女を犯したいという原初的な欲求だけだった。犯して、狂わせ、
孕ませて、自分のものにしたい。支配欲と嗜虐欲だけが、彼を突き動かしていた。
「君が、悪いんだ」
ぽつりと彼はいった。そのままマルグリットの尻を掴み、ぐんと引き寄せる。一気に貫いた。それを反動にして、
ブリュイは起き上がった。そのまま後方へ押し倒す。
「君が私を壊したんだ」
それは決して、彼女を批難する言葉ではなかった。ただ、事実としていった。それだけのことだ。マルグリットは
薄っすらと笑みを浮かべ、ぴくぴくと唇を震わせている。口の中から、は、は、と短く呼吸が漏れていた。どうやら、
一突きで達してしまったらしい。
「フラン、ソワ、ポー……ル」
彼女のがくがくと揺れる指先が、ブリュイの乳首をきゅっととらえた。反対の手は首筋に絡みつき、荒い呼吸とともに
耳たぶへと言葉がかかる。
「いっしょ、ね」
意図を察することができず、ブリュイは間近に妻の瞳を見つめた。
「わた、しも、あなたに、壊れちゃってる、の」
呼吸のたびにうねる女肉に、彼女の愛しげな声色に、ブリュイの中でまた何かが砕けた。制御する力も心も、
残っていない。まるで錨索を下ろした艦がそうするように、幾度もブリュイは彼女の中へと突き入った。
まだ達して間もない彼女の肉体は度重なる蹂躙に熱を帯び、更なる絶頂へとのぼっていく。ブリュイの背中に
縋るように腕をまわし、自らも腰を揺り動かした。肉のぶつかりあう乾いた、しかし激しい音がする。
嵐のような交合だった。尻に赤く痣を残したいがためにするかのようなストロークに、マルグリットはすっかり
『壊れて』いた。膝を抱え上げられ、何度達しても決して許されることはない。彼が満足するまで、彼がいいというまで、
彼女はただ踊らされる。
それでいい、と思っていたのは互いだった。媚肉は彼の怒張を幾度も受け入れ、液体でその要求にこたえる。
「あ、あ、やっ、だめ」
何度達したのだろうか、ブリュイにはわからなかったが、彼女が突然否定の言葉を吐いた。うわごとのようなそれは
ブリュイに発せられたものではないらしい。構わず体を揺り動かした。
「あっ、あ、でちゃう、もれちゃう、もれちゃうっ」
ひときわ強く腰を打ちつけたとき、それは起きた。ぶしゅっと短い音がして、股間に生暖かい感触が広がる。
「やっ、変、あ、こんな、ごめん、なさい」
潮だった。ブリュイは快楽の度合いを示すそれに、深いよろこびを感じた。この女がすっかり、自分の肉体を
気に入っている証拠だった。ブリュイは深々と、彼女の唇を貪った。
それに伴って、彼の臨界点も訪れた。ぐずぐずとなぶっていた腰を再び、直線的な運動へと戻す。喜悦に踊る
彼女の身もまた、その運動を返す。互いの体が、心が、まじわっていた。
「ああ、マルグリッ、ト、っく、ぞ」
ブリュイはようやく、己の楔に開放を命じた。一番奥深く、子宮近くまで届くのではないかと思われるほどの場所で、
白濁を吐き出す。歯を軋らせ、瞬間的に全身を駆け巡る快楽に身をゆだねた。
同時にマルグリットが、長く甘い悲鳴を上げた。両脚を腰に絡め、内部の震えと同じように肉体をわななかせる。
顎をそらし、飲みきれなかった唾液を溢れかえらせた。
しばらくそのまま、二人は崩れて動けなかった。荒い呼吸が合っている。男と女の、情交のにおいだけが残った。
先に力を取り戻したブリュイは、妻から己を引き抜いた。
ぐったりと横たわる彼女の股間はぽっかりと口を開いていたが、ブリュイを失うと放屁のような音をたてた。
恥ずかしそうに、マルグリットが腕で目元を覆う。空気が入ったのだろう。息もつかせぬ勢いで彼は犯していた。
当然といえば当然だ。
――や、やってしまった
ようやく本当の意味で冷静になり、ブリュイは我に返った。妻の潤んだ瞳が自分を見上げてくる。水に長く
さらされた藁のようにしなだれたその体を、そっと抱き寄せた。
「……その」
頬をかき、ブリュイは疲弊した体を鼓舞した。
「すまない」
また謝ってしまった、と気づいたときには遅かった。しかし妻はただ、弱々しくくすりと笑うばかりだ。まだ十分に
力が入らないらしい指先が伸びてくる。ブリュイの頬を、愛しげになぞった。
「また、謝る、のね」
それは先ほどきいた言葉とは、まったく意味が異なっていた。マルグリットは額をブリュイの首筋にすりつけ、
瞼を閉じた。
「ずっと」
彼女の髪を撫でていると、不意に言葉が返ってきた。
「ずっと私といてください」
ブリュイはしばし沈黙し、顔を覗き込んだ。様子をうかがうような目をしていたのだろう、マルグリットが呆れたように
眉をたわめる。
「……疑うんですか」
「いや、その」
「じゃあ何です」
会話のうち、彼女は徐々に力を取り戻しはじめたようだ。呼吸は落ち着いている。
「……私もそうあればいいと、思っている」
ブリュイはいって、マルグリットの体を抱き寄せた。瞳を交わす。唇を重ねた。欲望よりも緩慢に、愛着よりも
性急に、貪りあう。指を絡め、互いを確かめあった。
今宵からは、天井画を見なくて済みそうだ。ブリュイは瞼を閉じ、彼女と共に横たわった。