婚礼の話で邸内は華やいでいたが、当の本人である讃良の心は冷めていた。  
年が十以上離れていて複数の妻や子がすでにいる叔父との結婚。しかも姉も同じ男と結婚する、父の政略の手駒として。  
確かに、親子以上に年の離れた夫婦や近親婚は珍しくないし、男が複数の妻を持つのは当たり前のことだ。  
讃良の母がそうであるように、姉妹で一人の男と結婚することや、父親が政略のために娘の結婚を利用することはおかしなことではない。  
世間から見ればごくごく普通のこと。  
それがわからないわけではないけれど、讃良は喜ぶ気にはなれなかった。  
父に対して不信と嫌悪を抱いていなければ、ここまで反発はしなかっただろう。  
そう、讃良は父――中大兄を憎んでいた。  
讃良の母方の祖父は中大兄によって破滅させられ、そのことを悲しんだ母は精神を病み衰弱してこの世を去った。  
讃良にとって中大兄とは祖父母と母の仇も同然であった。  
『我が弟ながら大海人は頼りになる奴だ。そなたらを任せるのにこれ以上の男はいないだろうよ』  
中大兄が言った言葉を思い出し讃良の瞳はますます冷たくなる。  
普段は讃良の元など訪れない父の言葉は讃良に何の感銘も与えなかった。  
(私達と結婚させてつなぎとめておきたい、裏を返せばそれだけの危険人物だということ。  
時期が来れば私達ごと切り捨ててしまうつもりなのだわ)  
そんな父の思惑に気付いていないのか頬をほんのり染めて嬉しそうにしている姉の大田さえ恨めしい。  
讃良はぎゅっと唇を噛んだ。  
「同じ姉妹だというのに讃良さまは可愛げの無いこと。婚礼が近付けば普通は恥じらったりそわそわしたりするものよね」  
「本当に。大田さまとは大違い。一体誰に似たのかしら」  
「どちらかと言えば中大兄さま似よね。いっそ皇子としてお産まになればよかったのかもしれないわ」  
部屋の外からかすかに聞こえた侍女たちの他愛もないお喋りが讃良の胸をちくりと痛めた。  
父に似ていると言われることも姉と比べられることもうんざりだった。  
 
ある朝、讃良は大田に違和感を覚えた。  
姉は相変わらず優しく儚げであったが、かすかに「女」の香りをまとっていた。  
昨夜大田に起こった「それ」が近いうちに自分にもやってくることを考えると吐き気がした。  
 
――数日後  
「今宵いらっしゃいますよ」  
乳母にそう耳打ちされ、讃良の体はこわばった。  
冷や汗がたらりと流れる。  
「大丈夫、女なら誰でも一度は通る道なのですから。最初は少し痛うございますけど、我慢なさいませね」  
僅かに青ざめた讃良の顔を見て心得顔で乳母は微笑む。  
「緊張なさることはありません。何事も殿方にまかせておけばよいのですよ」  
逃げ出すことは許されない。讃良は唇をきりりと噛み締めた。  
 
真新しい夜着に着替えさせられた讃良はじっと身を固くして座っていた。  
やがて木のきしむ音が大海人の訪れを告げたが、讃良はそちらを見ようとはしなかった。  
ふいに顎をつかまれ顔をあげさせられる。  
叔父姪の間柄ではあるがこの時まで二人は互いの顔を知らずにいた。  
理知的で神経質な中大兄とは逆に快活で親しみやすい雰囲気の大海人に讃良は少し驚き、  
儚げでたおやかな大田とは違い氷のような視線をぶつけてきた讃良に大海人は戸惑いを覚えた。  
 
そのまま大海人が唇をよせると、讃良はびくりと肩を震わせたが、突き刺すような視線はそのままだった。  
まるで体は自由にされても心は奪われないと宣言するような目。  
大海人は内心ため息をこぼす。  
自身の妻を兄に奪われた代わりに押し付けられた幼い皇女を素直に愛せるほどお人好しではないとは言え、  
優しく微笑みながら涙をほろりとこぼした大田を何とも思わないほど薄情でもない。  
だが、その相手がこうでは抱く気も失せるというものだ。  
口付け以上のことをしようとはせずに大海人はごろりと讃良に背を向けて横たわった。  
そんな大海人に讃良は安堵を感じると同時に胸に刃が刺さるような錯覚を覚えた。  
男に抱かれるなどまっぴらだと思っていたのに、父の手駒としての結婚など嫌だったはずなのに、  
こんな風に大海人に拒否されるとなぜか悲しさがこみあげてきた。  
「私を抱かないのですか?」  
胸の奥底に芽生えた悲しさを感じさせない冷たい声音で讃良が問う。  
「……抱かれたいなど思っていないくせによく言う」  
「そんなことは……」  
無いとは言えなかった。  
拒まれることに悲しさと悔しさを感じたが、大海人が手を出してきていたら拒絶の目を向けてしまうだろうから。  
「気が変わったとでも?」  
ぐいと大海人は身を起こし讃良に眼差しを向ける。  
強さと冷たさの入り混じった大海人の視線が讃良の体を舐めまわす。  
ぞくりと震えが体に走り、その恐怖心に負けまいと讃良は大海人を睨みつけた。  
(ここで泣き出せばまだ可愛げがあるというのに)  
ふいに大海人はこの少女を壊してみたいという衝動にかられた。  
この氷のような視線を屈服させてみたいと。  
 
再び大海人の唇が讃良の唇に重なる。  
しかし、それは最初のものとは異なり荒々しいものだった。  
「んっ」  
唐突に舌がさしこまれ、讃良の口内を侵略していく。  
唾液の絡まる音の中で讃良はただ身を固くする以外になにもできなかった。  
大海人が動きを止め身を離すと唇と唇の間にねっとりとした橋があらわれた。  
口付けが終わったことに安堵する間もなく、讃良は肩をつかまれ褥に押し倒される。  
これから何をされるのかを讃良は朧げにしかわかっていなかった。  
侍女たちのそれとない噂話を漏れ聞いた程度の知識しかなく、未知の恐怖が讃良の瞳を染めはじめる。  
「あっ」  
大海人の手が讃良の夜着を剥き、幼く固い肌が夜の空気に晒された。  
嫌だと叫ぶ前に讃良の唇は三度塞がれ、固く白い胸にごつごつとした手が這う。  
初めての体験に讃良の頭は真っ白になった。  
「ひゃ」  
讃良の唇をむさぼっていた唇が耳たぶ、首筋へと移動していきぞくりとした感覚を讃良に与える。  
嫌悪感の中に甘い痺れが混ざりこんだ。  
ふいに大海人の胸への愛撫がやみ、その掌は腰をなぞり尻を軽く触れた後、讃良の秘部へたどりついた。  
「い、嫌ぁ、やめて」  
閉じた足の間にねじこまれた手が乱暴に秘部を擦りあげた時、初めて讃良の口から拒絶の言葉が溢れた。  
大海人の体をどかそうと手で押しても男はびくともせず、体をねじって逃げることもかなわなかった。  
「嫌、お願い、やめて、やめてください」  
今まで耐えていたものが崩れ、涙がぼろぼろと溢れてくる。  
 
ぴたりと大海人の動きがやむ。  
(俺は……)  
讃良の瞳から溢れる涙を見てはっと我にかえった。  
衝動にまかせて触れたのはまだ13才の少女なのだ。  
「すまない」  
大海人は讃良の涙を拭い、乱れた衣をそっと直すとその幼い体を優しく抱きしめた。  
大海人の腕の中で讃良は何故か暖かい気分になった。  
こんな気持ちになるのは初めてだった。  
このまま抱きしめていてほしいと讃良は思ったが、大海人はすぐに身を離してしまった。  
「……私を抱かないのですか?」  
それはさっきと同じ台詞だが、弱々しくすがりついてくるような声音であった。  
(嫌がって泣いたくせに何を……。いや、俺も悪いのだが)  
「……私が嫌がったからですか?それとも……」  
「それとも?」  
問い返され言いにくそうに讃良が続きを口にする。  
「私が父さまに似ているからですか?姉さまみたいに女らしくないからですか?」  
泣きそうな目の讃良を見て思わず大海人は笑ってしまう。  
「な……!」  
「そんなことを気にして?」  
「……だって」  
ぽつりと讃良は言葉を溢す。  
「私のことを好きな人なんて誰もいないのだもの」  
「そんなことないだろう」  
「いいえ、父さまも叔母さまも死んだ母さまも私なんか可愛いと思ってないのだわ。姉さまは皆に愛されているのに私は……」  
讃良の瞳がうるみはじめる。  
「あなただって、そうなのでしょう?」  
氷の瞳から子犬の瞳へと変貌した讃良。大海人はそのすがりつくような眼差しが急に愛しくなった。  
この少女は自分が愛されないと思い込んで、傷付かないように氷の仮面をかぶっていたのだ。  
愛されていないなんてことはないのに。  
 
大海人はぎゅっと讃良を抱きしめた。  
「嫌いなものか」  
驚きで讃良の目がひらく。安堵と喜びの涙が溢れ、大海人の衣を濡らした。  
「愛しいと思っている」  
抱きしめる力を強め髪に顔を埋めてそう囁く。  
そのまま大海人が体温が混じりあうのを心地よく思っていると、いつの間にか讃良は寝てしまっていた。  
讃良の寝息に苦笑を浮かべ、大海人は讃良の頭をなでた。まるで子守りだな、と呟きながら。  
 
大海人は知っていた。  
中大兄が讃良のことを嫌っているどころかとても愛していることを。  
讃良と向き合えないのは、讃良の祖父を謀反の濡衣で自害に追い込んだことを今でも悔いているからだ。  
そして自分に似ている讃良のことを大田以上に気にかけている。  
この結婚も大海人が謀反をおこさないと判断したから。娘の夫や子を殺す羽目にならないように。  
大海人から額田を引き離したのも、下心のためよりも姉妹が額田の才の陰に隠れないようにするため。  
中大兄も讃良も互いの愛を欲しがっている。讃良の中大兄への憎しみの深さは愛情の裏返しだ。  
無器用で素直になれない父親と、勘違いと思い込みの激しい娘。時間が経つほど溝は深くなっていった。  
なまじ讃良がしっかりしているから周囲の者の目が少し頼りない大田に向くのもそれを悪化させたのだろう。  
そのことを讃良に告げるつもりは大海人にはなかった。  
自分だけを見つめてくる瞳を手放したくないと思ってしまったから。  
「俺も病んでいるかな」  
もう一度讃良の頭をなで、大海人も眠りの神に身をゆだねた。  
 
おわり  
 

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