耳に黄金の飾りを付けた女が泣き叫ぶ。
男が女の首筋に刃物を当てているのが分る。
女は両の手を鎖で縛られていて、身動きが取れず、ただ叫んでいる。
男は刃物で器用に女の服を切り、全裸にさせるとその大きな布を顔に押し付ける。恐らくは口に詰め込んでいるのだろう。
そして男は自らも服を脱ぎ、首を横に振り、後ずさりし続ける女をうつ伏せに倒し、その身体の上に折り重なる。
あちらの部屋には松明が明々と燃えているのだろう。
厚い緞帳の向こうで従姉妹が髭男に強姦されている様子が影になって、大きく目の前に映し出される。
私は今、この野蛮な髭男達に監禁されている。嘗ては幾多の王が君臨し、世界の中心とされたここは既に宮殿の面影等残っていない。
薄暗い、明かりの無い部屋。足元には鉄砲や剣が散乱している。
首には首輪、手足には鎖が付けられ、冷たい石の椅子に縛り付けられていた。
私は鉄の鎖を付けられた手を水の入った杯に伸ばした。
すると、私の隣に立つ男…エルナンドという名前の白人髭男が徐にその黄金製の杯を取り上げ、緞帳の向こうに消えていった。
目の前のスクリーンには強姦されている最中の従姉妹が男二人に引っ張られるように立たされて腹を蹴られている様子が映った。
その後、エルナンドが戻ってきた時には、黄金の杯には怪しく光る白い液体で満たされていた。
「さあマンゴ。お前の従姉妹が身体を張って絞った”神のミルク”だ。飲め!」
エルナンドは不気味に笑いながら私に杯を突きつけた。
私は精液と膣分泌液の混ざった忌々しい臭いを嗅がされ、顔を顰めた。
その後、緞帳の向こうに新たな男の影が見えた。腰に剣を挿している。
その男が訳の分らない汚い言葉…奴等はイスパニョールとか言うようだ…を発すると、エルナンドは外へ消えていった。
従姉妹を凌虐していた男も消え、この空間には私と従姉妹だけが残された。
松明がパチパチと音を立てるのが分る。それだけ静かなのだ。
暫くすると頭に羽根を付けた男…我が一族の貴族が部屋に入り、
松明を消すと従姉妹の口に塞がった布を外してやり、緞帳を上げ私の元にやって来た。
「待っていたぞ、パウリュ。早く鎖を解いてくれ」
案の定、我が一族一の切れ者とされる異母弟、パウリュ=トパであった。
パウリュは私が幽閉、監禁されてからイスパニョールを学び、あの忌々しい白人達に一目置かれる存在となっていた。
パウリュは私の体中に掛けられた鎖を解くと、頭を垂れてこう言った。
「兄上、私が暫し囮となります故、とく逃げられよ。インカ・マンコ=カパク二世に栄光あれ」
私はパウリュに礼を述べ、あの黄金しか見えていない野蛮な髭白人共には知られていない王宮の抜け道を通り、宮殿を後にした。
マンコは暗い抜け道を一人歩く。
コヤ(王妃)を母親に持つ彼は、二人の兄の権力争いに巻き込まれないよう一族のものから守られて
換言すれば外界からの情報を遮断され、宮殿のみでの生活を強いられてきていた。
その為、マンコは同年代の若者に比べて余りに痩せていた。
そんな彼がコンキスタドール達に目を付けられるのは時間の問題であった。
コンキスタドール達はアタワルパを処刑した後、黄金の隠し場所へ行く為の案内役として彼を起用したのだ。
(あの時以来だな。外に出るのは…)
マンコの視界に一筋の光が映る。そろそろ出口らしい。
(外の世界で初めて目にしたのは、インティ(太陽あるいは太陽神)でなく卑しい白人達の欲望に満ちた目だった)
一直線の狭い道を、マンコは光の差すほうに足早に進み、そして彼が生きてきた19年の間で2度目の外の世界に足を踏み出した。
「眩しい…そして、暖かい」
マンコは思わずそう呟いた。
彼がたどり着いた場所は、クスコの王宮から離れた、別の宮殿。
足元に広がるのはあの忌々しい白人達の武器ではなく、陽光を浴び輝く短い草で、
頭上には黄金を剥がされてしまった灰色の石の天井ではなく、高く青く広がる空。
その上には…輝く太陽。
その光り輝く姿は、彼は自分がインカである事を、この国の統治者である事を歓迎しているように思われた。
「ああ…大いなる父、インティよ。私を、そしてこの国に住まう虹の民を、どうかお導き下さい」
マンコの声が朗々と天に向かって響きわたる。
マンコが酔いしれたように太陽を見つめていると、一人の女が駆け寄ってきた。
「殿方が一人でこんな処で何をしておられる!殺されたくないのならこっちに来なさい」
女…見たところ十代の後半というところだろうか。
虹色の胴衣の上から真っ白の衣を羽織り、銀製の腕輪をはめている。
艶やかな黒髪はこの国の民にしては珍しく巻き毛で、やはりどこか外人染みた目鼻立ちをしており、美しかった。
流石に女に命令された事ないインカ・マンコカパクは、その命令口調に憤慨した。
「来なさいとは何事だ。私は…」
マンコは自分の身分を明かそうとしたが、踏みとどまった。
下手に身分を明かすと、情報が漏れて折角の隠れ宮殿があの白人達に知られてしまう可能性があったからだ。
「私は、なんだと仰るつもりか。そろそろ警備の男たちが来る。早く」
(それに、この声はどこか聞き覚えがある…何故か懐かしさを感じる)
マンコの場合はコンキスタドール達が齎した旧大陸の伝染病のため、同族で血筋の良い女達は既に死んでしまっており、
未だにコヤすら娶っていないが本来インカは複数の、場合によっては何十という妻を持つ。
その為、彼の知らない一族の者であるという事は予想が付いた。
そして、この見慣れない顔つきはきっと海岸地方や南方の者だろう。
そうしてマンコは自分を納得させ、女の手に引かれて宮殿の奥へと歩いて行くのだった。
「私をどこへ連れて行く気か」
(まさか、あの白人共の処に連れて行く気なのか…)
その可能性は大いにあった。幾ら素性を隠していても、自分の姿を見て皇族であるということは宮殿に住まうものならば見当がつくだろう。
パウリュに聞く限り、髭白人達は手当たり次第にワカ(神殿、御神体)を打ち壊し、ワカに奉仕する者たちを虐待しているという。
(この娘がこの宮殿を守るために私を白人共に差し出すということは、十分有り得る)
ましてやこの娘が腹違いの兄妹であるとしたら、この混乱の中でも必死になってワカやインカを保護しようとしているやも…と、
マンコが一つの結論をその脳内で導き出した時、女の手を振りほどいた。
「聞け!私は…」
マンコが身分を明かそうと声を上げた時、神殿の回廊の向こう側から一つの人影を目撃した。
「黙りなさい!!警備が来ると申したろう!」
女は声を荒げ、マンコの腕を強引に掴むと、直ぐ側にある部屋に入り、今度はマンコの頭飾りを剥ぎ取った。
「なっ、何をするのだ!!」
マスカパイチャ(インカの証の羽根飾り)こそしていなかったが、それでもマンコの頭上には
高貴な鳥の羽と金剛石でできた飾りがあった。
インカの頭飾りを取るというのは、旧大陸での叛逆罪…否、それ以上に重い罪とされていた。
幾らこの娘にインカという称号を明かしていないといえ、マンコは憤慨した。
「貴様!よくも…」
マンコが女の失態を罵る言葉を紡ぐ、その前に女が動いた。
マンコを部屋の寝台に突き飛ばすと、大胆にも仰向けに倒れたインカの身体を跨ぎ、覆いかぶさるような形で顔を近づけた。
彼女の黒目がちの瞳が迫る。父を同じくするからであろうか、マンコはその冷たさを感じさせる瞳にも見覚えがあった。
そしてそのような瞳で至近距離で睨み付けてくるものだから、まともに女の顔を見たことが無いインカは言葉を失ってしまっていた。
そのうえ彼女の天然にくるくると巻かれた、垂れた黒髪が頬に当たってくすぐったい。
マンコは複雑な心持で寝台に横たわる。その面持ちは神妙そのもの。
(女とは、白人の同種であったのか…?)
混乱するマンコに構う様子も無く、女は更に顔を近づけていく…。
切れ長の黒い瞳が迫る。マンコは額から嫌な汗が流れるのを感じた。
すると突然女は瞳を閉じて、素早くマンコの唇に口付けした。
ふに、とした柔らかい唇の感触に驚き、上半身を起こそうとしたマンコの頭を寝台に押し付けて、
ご丁寧にみつあみに束ねた黒髪を手元に引っ張ってまでインカの動きを静止させる。
そして彼女は僅かに唇を離すと、今度は意を決したように驚きで微かに開いたマンコの口に己の舌を這わせた。
ぬるりとした暖かい舌は、まるでマンコの舌を招くように歯の裏側を這う。
マンコは促されるままに女の舌に舌を絡めた。
その時、廊下の側から何やら人の声が聞こえたような気がしたが、恐らくは気のせいであろうとマンコは思った。
それよりも、口付けを交わす中で女が時折漏らす息遣いにより多くの意識を注いでいた。
行き成り女が顔を上げ、身を起こし廊下の方を振り返った。
(この女、一体何を考えて行動するのかその根拠が掴めん)
「通り過ぎたかな」
女がつぶやく。そして今度は軽蔑するような瞳でマンコの心持ち緩んだ顔を見下ろした。
(そもそも女という生き物はこの様なものなのだろうか)
マンコがそのような事を考えていると、女が突然一方的に喋り始めた。
「あんた、もうちょっと世間ってものを考えて行動なさいな。此処が何処か承知で昼間から一人歩きしてたの?
たまたまあの警護の男はああいう他人の色事を眺めるのが好きで、その上このわたしがあんたを見つけて拾ってきてやったから
良かったってだけで、本来なら今頃クスコまで連れて行かれて明朝には絞首刑よ?」
もし女の貞操を守るために警護を置いているのだとすれば、どうして他人の色事を見るのが好きという輩がこの様な職についているのかと
いう思いがマンコの頭の中を通り過ぎるも、敢えて女の言うことに口を挟まないことにした。
それから、この様に延々と長話をする巻き髪の兄妹は、話しぶりから推定して自分より四つは年下だろうと判断できた。
…とは言うものの、知り合いの女達は殆どが旧大陸からの病気で死ぬなり白人共の妾になったりしている為、
この目の前にいる妹と同年代の若い娘を見知っていないため断言はできないのだが。
「後少ししたらまたあの男が来るかもしれない。貴方も貴族の端くれならばこの様な処にいないで
親戚なり一族の者達になり匿ってもらいなさいな」
(き、貴族の端くれだとぉ?)
何処か冷徹かつ知的な印象を受けるマンコの無表情な白い顔が、引きつる。
マンコは、周りのものに手を上げるような事は生まれてこの方一度も無かった。
むしろその様な野蛮な行為は、ケチュア族が現在の帝国一体を平定するまでの無知で教養の無い地方の者か
最早人間の数にも数えられない程下衆で野蛮な白人髭男共のする事だろうと思っていた。
しかし彼は気が付けば女のくるくるに巻かれた髪を強引に引っ張り、その身体を押し倒し、片手には琥珀金で出来た短刀を手にしていた。
「貴様、これ以上この私を侮辱しようというのならこの場でその喉の笛をかき切ってやろうか!?」
マンコは女の白い頸に手をかけた。
少し触れただけでどくどくと流れる血液の感触が、マンコの指先に伝わる。
女は何か言葉を発したのか、喉仏が僅かに動いた。
マンコは自分の首筋から一筋の汗が流れるのを感じた。
(私の、私が真に憎むべきはあの白人髭男共であり、この女であったか?
ましてこの女は、パウリュと同じく私にとっては数少ない兄弟の生き残った一人である可能性も高い…
そんな女を、この国の、虹の民をインカ自らが殺める事ができようか?)
マンコは、短刀を持つ自分の手が震えるのに気が付いた。
(しかし、この女がインカの神聖を侮辱した事も確かな事だ。
ココでこの女を生かしたら、この国の、インカを中心とした秩序が崩壊してしまうのではないだろうか)
汗が流れる。マンコは短刀を元の場所にしまうと、今まで女を抑えていた手も離した。
私には出来ない。マンコは心の中でそう呟いた。
インカである事は指導者である事、民の手本であることだ。
そのインカである自分には、人を殺める事など出来ない。それが彼の決断だった。
マンコが自分の中でそう決断を下せた時、ようやくこの暴言女の顔を真正面から見る事ができた。
女は良く見ると、パウリュ等よりもよほど自分に近い顔をしていたと気づいた。
インカ・マンコカパクは妹を抱き上げると、小さく、すまない、と言った。