1677年、11月4日、イングランド、ロンドン――――  
町はお祭り騒ぎだった。  
というのも、イングランド王位継承権第2位にあたるヨーク公女メアリと  
ヨーロッパにおけるプロテスタントの旗手であり、あのフランスのルイ14世と対等に  
渡り合ったオランダのオラニエ公ウィレムの結婚式が執り行われるからである。  
清教徒革命で国王チャールズ1世が処刑され、クロムウェルによる共和制が  
約10年続いたが、王政復古が成り、大陸に亡命していたチャールズ1世の長子が  
チャールズ2世として即位していた。  
しかし、チャールズ2世の親フランス・親カトリック政策は  
イングランド国民の不満を呼んだ。  
王位継承権上、重要な立場にあるヨーク公女メアリの結婚相手に  
プロテスタントのオラニエ公ウィレムを選んだ理由は  
そういったイングランドの国民感情をなだめるためであった。  
 
「もう泣くな、メアリ。花嫁に涙は似合わないぞ」  
「お父様…。私、やっぱり結婚なんて嫌です」  
セント=ジェイムズ宮殿のメアリの部屋に、父親のヨーク公ジェイムズが入ってきた。  
その表情はどこか憂いを帯びている。  
「私の愛する娘よ、もう私でもどうにもならない。分かってくれ。  
 これは国王である兄上の決定なのだ。もうすぐ式が始まる。  
 そのような悲しみの涙に濡れた花嫁を迎えることを、オラニエ公は喜ぶまい」  
「でも、私の大切なお父様。私はオランダになんか行きたくありません。  
 私の大好きなお父様やお義母様、妹のアン、国王様たちとずっと一緒にいたいのです。  
 それにオラニエ公は冷たい人です。怖い。  
 いくら私の従兄にあたる方とはいえ、私はあの方に親しみを感じることは  
 できません。イングランドから離れて、オラニエ公妃としてオランダで  
 暮らすなんて…」  
そう言うと、メアリは耐えられなくなって両手で顔を覆った。  
控えている女官たちも心配そうに顔を見合わせている。  
ジェイムズは娘を抱き寄せ、なだめるようにその背中を撫でた。  
「ああ!可哀想な私の娘よ!泣かないでくれ。  
 これは王族としての義務なのだ。お前ももう15歳。  
 だからどうか分かってほしい。私の苦しみも。  
 メアリ、私もお前を手放すのは辛いのだよ」  
それは、メアリにオラニエ公との結婚が正式に告げられてから  
何度も繰り返されている光景だった。  
 
セント=ジェイムズ宮殿のメアリの自室で式が始まった。  
今日はオラニエ公の27歳の誕生日でもある。  
新郎オラニエ公ウィレムは、流行のかつらもつけず、粛々とした姿で新婦の横に立っている。  
その茶色の瞳には他者の詮索を拒むような冷たい、しかしながら強い光が宿っていた。  
一方の新婦メアリの表情は到底これから嫁ぐ花嫁のものではなかった。  
いつもなら麗しいブルーグレイの瞳も、今は真っ赤に腫れ上がり、  
それを恥じてか彼女はうつむいていた。  
何か諦めた表情のヨーク公、可愛い義理の娘との別れを涙で惜しむ、  
出産を間近に控えたヨーク公妃。そして、オラニエ公の腹心であり、  
幼馴染でもあるハンス=ウィレム=ベンティンクが、これから夫婦となる  
従兄妹を静かに見守っていた。  
しかし、彼らと対照的だったのは国王チャールズだった。  
先ほどから結婚式を盛り上げようと冗談を飛ばしたり、  
新郎新婦をひやかしたりしている。  
「おい、コンプトン。早く式を進めろ。  
 ヨーク公妃が男の子を産んでしまったら、ウィレムがメアリと結婚する意味が  
 無くなってしまうだろ。  
 ああ!ウィレムがうらやましい!こんなに可愛くて、綺麗な女の子を  
 嫁にもらえるんだからな!」  
チャールズの言葉にウィレムの眉が不愉快そうにピクリと動いた。  
 
ロンドン主教ヘンリー=コンプトンが国王に促されて式辞を述べ始める。  
式の途中、慣例として新郎が新婦に金貨を授けることがある。  
ウィレムはメアリのほうを向いた。お互いの顔を見つめあう形となる。  
メアリはもう泣いてはいなかった。明らかな絶望がそこにはあった。  
ウィレムが厳かな言葉とともに、懐から金貨を取り出した。  
「私がこの世で持っているもの全てを汝に捧げよう」  
冷たくて硬い金貨がメアリの手の中に授けられた。  
それを手渡したウィレムの手も、メアリには冷たく感じられた。  
傍にいたチャールズが叫ぶ。  
「やったね!メアリ、お金だよ!ほら、もらわないと損だぞ!」  
ウィレムの眉が再び不愉快そうにピクリと動いた。  
 
式が終わり、祝宴の晩餐も既にたけなわになった頃、メアリは寝室へと  
連れて行かれ、そこで王妃キャサリン、ヨーク公妃、モンマス公妃たちの  
手によって花嫁衣裳を脱がされた。  
窮屈から解放され、軽く動きやすい格好になったメアリは大きなため息をついて  
ベッドに横たわった。  
その様子をみた王妃が優しくメアリに声をかける。  
「疲れたのですね、私の可愛い姪。もう少しの辛抱ですよ」  
「そうです。後は床入りを済ませば、二人は完全な夫婦になるのです」  
続けてヨーク公妃も声をかける。  
メアリは泣きそうな声で応えた。  
「ああ、私の大好きな王妃様、お義母様!私はここから逃げてしまいたい。  
 あの方が来る前に」  
「大丈夫ですよ、私の可愛い姪。床入りを果たせば、妻は夫を愛するようになるのです」  
「王妃様の仰るとおりです、ヨーク公女、いえ、オラニエ公妃。  
 初めは少し痛いかもしれませんが、すぐに慣れます」  
 
モンマス公妃が明るく笑いながら言った言葉に、メアリはびっくりして  
ベッドから起き上がった。  
「痛い?」  
一瞬、部屋が静まり返る。  
モンマス公妃は何か悪いことを口走ってしまったという風に、手で口を押さえ、下を向いてしまった。  
「痛いとはどういうことですか?私が読んだ物語では、夫婦の床入りは、  
 愛情あふれる素晴らしいものだと書いてありました。  
 そして二人は子を授かるのだと」  
場の雰囲気を察した王妃が、困ったような表情でメアリの肩に手を置いた。  
「その通りです。私の可愛い姪。床入りは夫婦の愛情を高める素晴らしい行為であり、  
そして神聖なものです。しかし、女性にとってそれが初めてである場合、  
少々の痛みが伴うのも事実です」  
心配そうな瞳で見つめるメアリを王妃は抱きしめた。  
優しい王妃の香りがメアリにささやかな安らぎを与える。  
「恐れることはないのですよ。私もヨーク公妃もモンマス公妃も、  
 みな経験してきたことなのですから」  
俄かに部屋の外がざわめき始める。男たちの声だ。  
とりわけ国王チャールズの声が大きい。  
床入りを前に何か卑猥なことをまくしたてているようだったが、  
それが何を意味するかをメアリが理解することはなかった。  
彼女はただ無垢な15歳の少女であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのだから。  
 
寝室の扉が開く。  
堅く無表情なウィレムが、両脇に伯父にあたる国王チャールズと、  
叔父にあたるヨーク公ジェイムズを伴って現れた。  
無表情なウィレムをはさんでチャールズとジェイムズの兄弟は対照的だ。  
辛そうなジェイムズとは逆にチャールズはいつになくはしゃいでいる。  
「さあ、私の可愛い姪。今夜はきっと貴女にとって忘れられないものになりますよ」  
「私の大切な義理の娘。大丈夫です。怖がらないで。貴女に神の御加護を」  
「オラニエ公夫妻に神の祝福を」  
三人の婦人たちがそれぞれメアリを励まし、彼女の側を離れた。  
メアリはベッドの上に一人残された。  
ウィレムが近づいてくる。やはり瞳は冷たい。  
何も言わずにベッドに上る。  
ウィレムが横にいるだけでメアリの体は恐怖で震えた。  
何故か、彼が側にいる、そのことが有無を言わさずメアリを圧倒するのだ。  
「じゃあな!頑張れよ、甥っ子!イングランドの聖ジョージに!」  
チャールズが大笑いしながら、手ずからベッドカーテンをひいた。  
二人を包む空間が真っ黒になった。  
多くの足音が遠ざかり、寝室の扉が閉まる音がする。  
メアリは震えながらベッドの上でうつむいていた。  
目が次第に暗闇に慣れてくる。  
ふと、ウィレムの方に目を遣ると、闇の中から溶け出すように彼はそこにいた。  
「あ…」  
気まずくなって、メアリは再び下を向く。  
 
不意にメアリはベッドの上に押し倒された。  
ウィレムに両肩を押さえられている。  
抵抗の声を上げる間もなく、彼女の口は彼の唇によって塞がれた。  
「んん〜…っ」  
ウィレムの舌が彼女の唇をなぞり、口内に入ってくる。  
メアリは必死に歯を食いしばって、それ以上の侵入を許そうとはしない。  
彼の舌がメアリの舌を探るようにまさぐっている間、  
今度は突然ウィレムの手がメアリの乳房を鷲掴みにした。  
「んふッ!」  
思わず身体をのけぞらし、メアリはその衝撃で口内の力を緩めてしまった。  
その好機を逃すまいと、ウィレムの舌がメアリの口内を侵し始める。  
お互いの舌がとうとう接触し、絡まりあう。  
チュ、チュ、と唾液の音がベッドの上に響く。  
このようなキスはメアリにとって初めてだった。  
気持ち悪さと不可解な感覚にメアリは耐える。  
ウィレムが口付けを止めたとき、メアリの息はすっかり上がってしまっていた。  
うっすらと目をあけてメアリがウィレムを見ると、視線がかち合った。  
ウィレムも同様に荒い息でメアリを見ている。  
いつもの冷たい瞳ではなかった。少し、熱を帯びている。  
そして、いつもよりさらに圧倒的な力をもった視線がメアリを撃った。  
メアリは追い詰められた小動物の心情を想像した。  
 
ウィレムの両手がメアリの豊かな胸を白いネグリジェの上から混ぜるようにまさぐる。  
「ふぁ…」  
変な声が漏れ出てしまい、びっくりしたメアリは声を出すまいと唇をかみしめて耐えた。  
ウィレムの手は休むことなく動く。  
そして、メアリにとっては驚くべきことに、ネグリジェがめくりあげられ  
直に彼の手が乳房に触れたのだ。  
これ以上為されるがままにされていてはいけない。  
警告がメアリの頭の中で響きだす。  
「駄目ッ…!やめて!」  
身体をよじって、メアリはこれ以上の行為をさせまいと抵抗した。  
「おまえ…!」  
ウィレムが苦々しそうに呟き、抵抗するメアリを無理矢理組み敷く。  
「いや、いや!もう、やめて下さい!」  
「大人しくしろ。これ以上抵抗すると、許さんぞ」  
「お願いです、もう…」  
「黙れ。おまえは私の妻だ。私の言うことに従え」  
メアリは動けなくなってしまった。  
あまりにもウィレムが恐ろしく感じたからだ。  
彼には人の心を芯まで凍りつかせる何かがある。  
「分かったか…」  
メアリの耳もとで低い声で囁くと、ウィレムはそのまま彼女の耳たぶを舐めた。  
ゾワリとした感覚がメアリの背骨を這い上がる。  
 
ゆっくりとメアリのネグリジェが脱がされていく。  
ほの暗い闇の中に、メアリの白い裸身が浮かび上がる。  
こんな姿、誰にも見せたことがないのに。  
メアリが呆然としている間に、ウィレムも服を脱いでいた。  
ウィレムの身体はあまり逞しいとは言えなかったが、  
やはり人を圧倒する力強さのようなものを漂わせていた。  
両手でメアリの胸を揉みしだきながら、ウィレムは彼女のうなじに舌を這わせてくる。  
「あぁ…ん」  
どうしても変な声が出てしまう。  
メアリは恥ずかしくて仕方がなかった。  
ウィレムの舌がうなじから下に下がって、片方の乳房を口に含んだ。  
「はぁっ、いやッ…!」  
言葉だけで否定はするが、メアリの身体は明らかに反応し、そして求めていた。  
ウィレムはそれを察してか、メアリの硬くしこった乳首を舌で転がし、強く吸った。  
「ああんっ!」  
声を上げ、背中を弓なりにそらして反応するメアリの身体。  
 
ウィレムの右手はメアリの柔らかな茶色の髪をつかみ、左手は乳房からさらに下へと下がっていく。  
そのまま臍をたどり、まだ薄い陰毛が彼の指に絡もうとしたとき、  
「駄目!」  
メアリはびっくりして足をきつく閉じた。  
「はあ…っ、駄目です…そんなところ…」  
「おい、足を開け」  
「だ、駄目ですっ!」  
「足を開けと言っている」  
ウィレムが冷たく言い放つ。  
メアリは従わざるを得なかった。  
ぎゅっと瞳を閉じて、恐る恐る足を開く。  
ウィレムの手がメアリの足の間に触れ、その部分をいじり始めた。  
あまりの恥ずかしさにメアリは瞳を閉じたまま顔をそむけ、ベッドシーツを両手で強く握り締めた。  
メアリはお漏らしもしていないのに、足の間が湿っているのを感じた。  
ウィレムの指が動くにしたがって、チュプチュプと水音がする。  
どうしてこんなことをされるのだろうか。  
戸惑うメアリをさらに狼狽させる出来事が起こった。  
手で触られている感触が明らかに変わったのだ。  
ざらざらして、湿った感触…  
 
「いやぁ!」  
それを確認したメアリが逃れようと身体をくねらせるが、  
ウィレムがメアリの腰をがっちり掴み、離そうとしない。  
ウィレムがメアリの足の間に顔をうずめて、  
メアリにとって信じられない場所を舐めている。  
「あぁん、やめてください!そんなところ、なめちゃイヤっ!」  
メアリは無意識に腿でウィレムの顔を強く挟んだが、かえってウィレムの舌の動きを速めるだけだった。  
グチョリ、チュプリと水音が響く。  
「駄目ぇ!あぁ…ん、はっ…」  
恥ずかしくて、メアリは気が狂いそうだった。  
ほんの3週間ほど前に初めて会った従兄に、足の間を舐められている。  
これが“床入り”というものなのか。  
疑問に思うメアリの心情を察したのか、ウィレムはメアリの足の間から  
顔を離し、身を起こした。  
自らの唾液とメアリの膣液で濡れた口元を手の甲でぬぐいながら  
メアリの上に覆いかぶさってくる。  
「これからだ」  
ゾッとするような声でウィレムがメアリに告げた。  
その言葉が何を意味するのか理解するよりも先に、メアリは先ほどまで  
ウィレムが舐めていた場所に何か熱くて硬いモノが触れるのを感じた。  
 
「何…?」  
本能的に恐怖を覚えたメアリは、腰を引いて逃れようとしたがウィレムのほうが速かった。  
じゅぷり。  
「…ッ!!」  
生々しい音をたてて、ものすごい質量をもった熱くて硬い“何か”がメアリの中に入ってくる。  
「い、痛い!!」  
メアリの叫び声を気にもかけず、ウィレムはゆっくりと腰を進めてくる。  
ぎちぎちと引きちぎれんばかりの痛みに、メアリは必死でウィレムの肩にしがみつき、  
懇願するしかなかった。  
「痛いッ!!痛いです!!抜いて!抜いてぇ!!」  
「我慢しろ」  
「いやっ!無理ですぅ!お願い、抜いてッ!!」  
「うるさい!」  
ぐちゃり。  
身体の奥で何かが破けてしまったのをメアリは感じた。  
痛くて痛くて、頭がおかしくなりそうだった。  
王妃たちが言っていた“少々の痛み”とはこのことだったのか。  
全然“少々”じゃない!!  
 
メアリの瞳から涙が溢れ、目尻を伝って落ちた。  
ウィレムは満足そうにメアリを見つめている。  
「どうして、こんな…」  
「メアリ…」  
ウィレムの熱く、かすれた声。  
メアリは涙に濡れた瞳を大きく見開いた。  
ウィレムがメアリの名を呼ぶのは、これが初めてだったのだ。  
「ひぎっ!!」  
驚いていたのも束の間、再びメアリの身体に鋭い痛みが走った。  
ウィレムが腰を引いて、もう一度メアリの中に打ち込んだのだ。  
「ぐっ…!うっ…!」  
二度、三度と、メアリは貫かれるたびに苦痛に耐えるうめき声を漏らした。  
「あっ、あっ…!痛いっ!…はぁっ!こんなの…ォ…イヤ…ッ!」  
「すぐに良くなる」  
ウィレムが腰を動かすたびに、じゅぷじゅぷと結合部から  
血と膣液が混じった粘液があふれ出る。  
何度も何度も、とてつもない痛みがメアリを襲う。  
 
どうしてこんな目に遭わなければならないのか。  
10月の半ばに初めて会った、冷たい瞳の従兄。  
その1週間後には父親からこの従兄との結婚を告げられ、そして今、  
その従兄のせいで耐えられない苦痛を味わっている。  
言いようのない怒りが、メアリの心の底から湧き上がる。  
同時に身体は苦痛とは言えない、痺れるような、そして甘い疼きのようなものを  
感じ始めていた。  
「あぁん!んんッ!…嫌いっ、嫌いよ!貴方なんて…大嫌いッ!!」  
「!」  
メアリの言葉に、ウィレムの顔が強張った。  
何かが切れたように、途端にウィレムの腰の動きが速くなった。  
ぐちゅ、ぐちゅっ、じゅぷ、じゅぷぅっ。  
ぱん、ぱん、ぱん、ぱんっ。  
あまりに激しい動きに結合部から愛液が飛び散り、腰と腰がぶつかる音が小気味よく響いた。  
「あっ、あっ、いやっ、はぁッ」  
ものすごい勢いでメアリは揺さぶられる。  
ビクン、とメアリの臀部が震え始めた。  
もちろん、無知なメアリは、それが快感の証で絶頂が近いということなど知る由もなかった。  
「いやっ…何か…ッぁあっ!何か来るぅ!こ、怖い…っ!来ちゃううぅッ!!」  
ウィレムの肩に爪を立て、メアリは狂ったように叫んだ。  
「いやっ!いやぁっ…ぁぁああああッ!!」  
ビクビクと身体を震わせて、涙をこぼしながらメアリは果てた。  
薄れゆく意識の中で、メアリは体内に熱い迸りが流れ込んでくるのを感じた。  
 
 
眩しい。  
窓から差し込む光を憎々しげに睨み、メアリは朦朧とする意識の中、枕に顔を埋めた。  
気分が悪い。ひどく自分が汚れてしまったような気がする。  
悪夢のような眩暈に悩まされていたメアリに、最も恐れていた男の声が聞こえた。  
「いつまで寝ている。早く起きて仕度をしろ。  
 今日の午前は、ロンドン市長が祝辞を述べに私たちのところへ来るそうだ」  
ウィレムだ。  
メアリがゆっくりと顔をあげてウィレムを見ると、既に彼はきちんと身なりを整えて、  
ベッドのそばに立っていた。  
腕に抱えていた箱をメアリに渡す。  
「これを渡しておく」  
不思議そうに箱を受け取るメアリに、冷たい声でウィレムは付け加えた。  
「花嫁に贈る宝石だ。連邦議会から結婚の承諾を得るのに時間がかかったからな。  
 渡すのが遅れた」  
メアリが箱を開けると、高価な宝石が朝日を受けてまばゆい光を放っていた。  
「じきに女官たちが来る。早く着替えて準備をしておけ」  
冷たく言い残し、ウィレムは寝室から出て行った。  
一人残されたメアリは、箱の中から黄金の指輪を取り出して光の中にかざした。  
ルビーとダイヤモンドで飾られた指輪だった。  
「私はもう…オラニエ公妃なのね…」  
メアリは指輪を額に当てて、すすり泣いた。  
 
寝室を出たウィレムは大きくため息をついた。  
目を閉じると昨夜の惨劇が思い出され、悔しさがこみ上げてくる。  
これは政略結婚だ。  
ヨーク公女メアリを妻にすることは、オランダがイングランドと対フランス同盟を結ぶために不可欠だった。  
けれども。  
一目で恋に落ちた。  
イングランド国王チャールズとヨーク公ジェイムズによって  
初めてメアリに引き合わされたその瞬間から、彼女に魅入られた。  
柔らかに波打つ茶色の髪。潤んだブルーグレイの瞳。  
青白いまでに透き通った肌。豊かな胸。  
ヨーロッパ随一の美女と謳われた少女は、噂以上に魅力的だった。  
国王とヨーク公から結婚の承諾が降りたとき、  
ウィレムは喜びのあまりそのことを伝えに来た使者を抱きしめて叫んだのだ。  
「私は世界で一番幸せな男だ!」  
それなのに。  
彼女は拒否した。  
大嫌いと叫んで、ウィレムを拒否したのだ。  
何がいけないのかウィレムには分からなかった。  
唇を噛み締めながら、オラニエ公は朝日に照らされた廊下を足早に歩いていった。  
 

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