手の平から垂れる血のこびりついた包帯を、暗鬱な気持ちで眺めた。  
半日前に替えた包帯は、半乾きの血糊が粘り付き、赤黒く変色している。  
「…うへ−、血みどろ…。コイツとつきあってると馴れっこになって来るけど、…馴れたくないなぁ…」  
私の肩の上に止まったパックさんが、顔をしかめて呟いた。  
溜め息がこぼれ、寝台に横たわる満身創痍のガッツさんに視線が泳ぐ。  
「それじゃ、パックさん…」  
私が声をかけるとパックさんが肩から飛び、眠るガッツさんの身体の上空を喋りながら飛び回った。  
「…しっかし、こうも連日だと、いい加減こっちもくたびれてくるよ−。このバカが目ェ覚ましたら土下座させて礼を言わせちゃる!」  
さかんに羽ばたくガッツさんの羽根から、きらきらした綺麗な光が零れて、ガッツさんの全身に降り注いでいく。  
魔女の館が燃えてから三週間。  
イ−ノック村まで倒れたガッツさんをなんとか運び込み、逗留している宿の一室がガッツさんの病室になってから、それだけの時間が流れた。  
瀕死の重傷のガッツさんから、呪いの怖い鎧がようやく外せて今日で十七日目。  
鎧を外した当初よりはましだけれど、目覚ましい回復ぶり、とはあまり言えない。  
体の傷も気になるけれど、もう一つ、気がかりなことがある。  
ガッツさんは、目を覚まさない。  
正確に言えば、正気が戻らない、と言った方が正しいかもしれない。  
二、三日置きに、時々なら、ガッツさんの眠りが跡切れ、片方しかない目を開く時間がある。  
…でも、目を開いてはいても、ガッツさんは夢の世界の中にいる。  
話しかけても、こちらの声は届かない。瞳の焦点が違うものを見ている、と感じる。視線が…私を通り過ぎる。  
まるで、魂だけがどこか別の場所にいる人のよう。  
シ−ルケさんによれば、ガッツさんの受けた幽体の傷が、精神を蝕んでいる状態、なのだそうだ。…それと、例の、呪いの怖い鎧の影響もあるらしい。  
自我が、現実の世界に戻る出口を見失い、自分の精神世界の中でさ迷っているのだ、と教えてもらった。五感の機能が正常に働いてはいても、外からの呼び掛けが、心に届かないのだと。  
時折、ガッツさんはいろんな人の名前を口走る。昔のお友達だろうか。…私の、知らない人逹の名前。  
恐ろしく悲痛な声で「そっちに行くな!」と呼び掛け、引き止めようとするかのように宙に手を延ばす。私がその手を握って安心させようとしても、この人には届かない。…私は、無力だな、と思う。  
それから、グリフィスという人の名前。その人の名を、ガッツさんは猛り狂う野獣が咆哮するように叫ぶ。  
無理に起き上がろうとして、傷口がまた開く。…その、グリフィスという人に、八つ当たりだけどちょっと文句が言いたくなる。ガッツさんの怪我が治るまでは、夢の中から出て行ってほしい…。治らないのよ、怪我が。  
ガッツさんの口から漏れる名前で、私が知っているのは一人だけ。…キャスカさん。  
ガッツさんはキャスカさんの名前を呼ぶ。  
何度も、繰り返し、いろんな声音で。  
…キャスカ、と囁く。  
ガッツさんにとって、今「現実」であるのは、内部にある記憶の中の世界で、…こちら側は、深い澱んだ沼の底から見上げた、水面で揺らめく影法師のように、不確かで、あやふやなものでしかないらしい。…ガッツさんから見た私は、幽霊なのか…。  
シ−ルケさんの霊薬には幽体への傷の治療効果が含まれているから、肉体の健康の回復と共に、幽体の受けた傷も必ず回復する、と説明してもらったのだけれど…。  
時々、もしもこのままガッツさんが目を覚まさなかったらどうしよう、と不安になる。  
 
背後から、勢いよく開いた扉が壁にぶつかる、けたたましい音が聞こえた。  
はっ、として物思いから覚める。  
振り返ると、外の陽光と一緒に、大小二つの影法師が戸口から床の木目に伸びていた。  
「…ファル、ねえ、ちゃん…。…まだ、終わんねえの?」  
疲れきった顔をしたイシドロさんが、戸口に佇んでいた。その背後にいるキャスカさんが、興味深そうな顔つきでイシドロさんの髪の毛をぶちっ、と毟る。  
「イテッ!…あのなっ、オレはまだこの年で若ハゲになりたくないっつ−の!」  
「あう?」  
キャスカさんがきょとんとした顔で、涙目のイシドロさんを不思議そうに見やった。  
キャスカさんはいつも無邪気だ。毟ったイシドロさんの髪の毛を息で吹いて、陽光の中、空に浮かんで舞う様子を熱心に目で追っている。…楽しそうなキャスカさんを見ていると、心が和むなあー、と思う。  
「オレの髪は、おもちゃかよ…」  
と小さくイシドロさんが呟いたけど、目を逸らして聞こえないふりをした。  
「ごめんなさい、まだもう少しかかるので…、それまでキャスカさんをお願いできますか?」  
返事をすると、イシドロさんの目が半眼になって口の端がひくひくと痙攣した。…ヘンな顔…。…笑ったら、失礼よね。「人間関係を円滑にするコツは、本音を顔に出さない事です」ってセルピコに教えてもらったし。  
「しょ−がない!今日のお勤めも終わったことだし、ここはこの怪傑パックさまが解決してしんぜようっ!」  
ガッツさんの頭上に止まっていたパックさんが飛び立った。キャスカさんの頭上をぐるぐると旋回する。キャスカさんの視線も一緒に回る。…目を回さないかしら。  
「ほーらー、キャスカ、こっちだよー。…じゃーねー、ファルネーちゃーんっ」  
手を振ったパックさんが戸口から外へ向かい、気を取られたキャスカさんがふらふらとその後を追いかけた。  
「…とにかくっ、なるべく早めに交代頼むぜっ」  
イシドロさんが言い捨て、二人の後を追って慌ただしく走り去る。  
…いつも、元気な人達だなあー、としみじみ思う。  
キャスカさんの世話は、いつもはガッツさんの看護兼任で私がしているのだけれど、包帯の交換の時間はイシドロさんとセルピコに交代でお願いしている。  
ガッツさんとずっと同じ部屋にいると、キャスカさんはものすごく機嫌が悪くなる。…長時間閉鎖空間で一緒にいると、イライラが、どんどん募っていくみたい…。  
唸りながら、しきりに私にしがみついて肘を引っ張ったりするので…かなり、包帯の交換や薬の塗布が、やりにくい。キャスカさんには、悪いのだけど。  
…そして、なんでも口に入れたがる癖があるので、目を離していてふと見ると、霊薬の瓶を逆さにしてごくごくと一気飲みしていたりする…。…あの時は、大変だった…。  
なので、キャスカさんの気分転換も兼ねて、時々部屋の外に連れ出してもらっている。  
 
開けっ放しの扉を閉めようと戸口に立ち、ふと村の景色を眺めた。  
宿の外では、本格的な冬が訪れる前に、洪水で流れた家屋を建て直そうと、村人全員が協力して建築作業に従事している真っ最中だ。  
伐採した木材や石灰の袋の束を手押し車に乗せて運ぶ人々が行き交い、家屋の土台の木材を組み上げる人達の、互いへの合図の呼び声や、槌と鑿を振るう音が、あちこちから聞こえてきて賑やかだ。  
大変な作業だけれど、村を行き歩く人々の表情は一様に明るい。  
セルピコとイシドロさんは、日中は村人の家屋の建設に協力している。  
イ−ノック村は、シ−ルケさんの魔術の洪水で村人の半数近くが住む家を失った。家をなくした人々は、寺院の底冷えのする床の上で毛布にくるまり寝泊まりしている。  
元々が貧しい上、洪水で田畑と備蓄が流れた村だ。  
…そこに無為徒食の輩、八人所帯の長期滞在。  
「村を救った英雄逹御一行」という事で、「いつまででもいてくれ」と歓待されているけれど、…かなり心苦しいので、滞在中は村の人達の復興作業にできる限りの協力をしよう、とリ−ダ−不在中の臨時合議制会議(キャスカさん除く)で全員の意見が一致した。  
ガッツさんの健康が、旅ができる程度に回復するのにあとどれだけかかるか、今の所まるで目途が立たないわけでもあるし…。  
この旅は、ガッツさんの旅なのだな、とこんな時しみじみと実感する。キャスカさんは除外して、それ以外の誰かが旅から抜ける可能性は考えられても、ガッツさん抜きの旅は…想像できない。…彼が倒れれば、私達には旅をする目的がなくなるのだ。  
シールケさんは、ガッツさんの容体がひとまず落ち着いてからは、村の人からの依頼で忙しい。トロール襲撃の際に襲われた村人や、拉われた女性の治療を請われて、引っ張り凧だ。イバレラさんとパックさんは主にシールケさんの補助作業に従事。  
洪水で村が半壊したことに、シールケさんは自責の念を感じてるみたい。村の人から「村を救った小さな魔女」と大人気なのだけれど、シールケさんは、どことなく浮かない顔をしている。  
…私は、シールケさんの魔術に感動したんだけれどな…。  
 
宿の近くの、建築途中の木材だけの家屋の骨組みの向こう側にのぞく、小さな祠に目をやった。  
洪水で家を流された村人逹が、感謝の思いを込めて最初に造ったのが、水の貴婦人を奉る祠なのだそうだ。  
…その水の精霊は、経典の中の天使の一人と同じものだと、シ−ルケさんは言った。  
…神の御名は神のもの。人が統べるものではない、とも。  
魔術とは、祈りの奥義なのだと。  
小さな祠の背後に聳える切り立った谷の稜線と、その上に広がる晴れ渡った青空を見上げながら、祈り方を、もう一度学べないだろうか、と思う。  
人が、人の秩序のために統べた正義の神に縋る祈りではなく、秩序の理の外の、暗闇の混沌のただ中に在る、理不尽で横暴極まりない神に、…私は、今までとは違うやり方で、祈りたい。  
修道院で私は祈り方を学んだ。経典に記された、正しい綴りと正しい発音。  
それさえ唱えていれば、心の平安が約束される、救われる、と。  
…でも、慈愛の神が見守ってくださっていると、私は信じていたかしら?  
私に、救いを与えてくれる神は、本当に実在する、と確信できていたかしら?  
信じたかった。心の底から信じたい、信じれるようになりたい、と願っていた。  
神に、私に奇跡をお示しください、と何度も祈った。不信心ものの私に、啓示を与えて下さい。あなたを信仰する寄す処となるべきものを、お与え下さい、と。  
…神からの返答は、なかった。  
神に、奇跡を請い願うのは僣越なのだ、と言い聞かせた。揺らぐのは、私の信仰心が足りないのだと。ただ神の御為に尽くす事だけが、信徒の勤めなのだ、と。  
…それでも、疼くような渇きは止まなかった。  
奇跡。この世ならざる超越者の意志の顕現。人知を越えた神秘への憧憬。  
私の記憶の中に刻み込まれた、暗闇の恐怖をなぎ払い、吹き飛ばしてくれる、圧倒的な強い力への、飢えにも似た渇望。  
この身に奇跡が示されることを、私はいつもどこかで神に祈っていた。  
…それは、全く想像もしない形で、私に訪れた。  
怒濤のように押し寄せる、闇で形造られた怨念達の津波と、その前に立ちはだかって一歩も退かなかった黒い剣士の背中。…それが、私に教えた。  
…奇跡は、与えられるものではなく、起こすものなのだと。  
願い縋るだけの者に、奇跡は起こらない。「祈るな!」と言った不信心ものの言葉が、炬火を握る私の手の中に、小さな奇跡を宿した。  
…暗闇に、立ち向かい、戦う勇気を。  
「神に会ったことがあるのか?」と彼から問われたことを思い出す。  
−代わりにあなたに出会いました。  
だから、神はちゃんといらっしゃる。疑う余地なく、本当に。  
 
扉を閉じて、外の景色と喧騒を締め出した。  
ふっと、ガッツさんと二人きりになれた、と思う。…少しだけ胸がときめく。  
慌てて打ち消した。…いいえ、よくないわ、やっぱり不謹慎よね。ガッツさんが大怪我してるのに、こっそり喜ぶなんて…。反省。  
弾む足取りで寝台のガッツさんの枕元に戻った。ぐっすり眠っているガッツさんの寝顔を見下ろしながら口の中で「二人きり」と呟く。口許が綻びそうになって、慌てて引き締める。…いけない、いけない、不謹慎。真面目に看病しましょう。  
卓の上の霊薬の瓶を手に取り、椅子に腰掛けてガッツさんの肘から先のない左腕に触れた。  
左肩から腕に薬を塗りながら、肘の位置の切断面に、ついつい目が向く。なんとなく落ち着かない違和感を感じる。義手をつけた姿のガッツさんの方が、見慣れているせいかもしれない。  
本来あるべき筈のものがない、…という感じ。  
滑らかに肩から続いて、腕が伸び、普通に手が先端にある重たそうな右腕と、ぷっつりと肘の位置で跡切れて終わる左腕。  
まるで左右非対称なその眺めが、見る者に「在るべき」はずの左側の見えない上椀と掌を探し求めさせ、なにもない空間に続く左肘の切断面を凝視させてしまう。  
重量感がアンバランスで、調和がかき乱される感じ。  
この人は、左右非対称で出来てる人だなあ、と思う。隻眼と、隻腕。  
不具者、という言葉がこれほど似合わない人も珍しいけれど、厳密に辞書の定義を当て嵌めるのなら、この人は不具だ。腕と目の数が、それぞれ人より一つ足りない。  
…ただし、普通に両腕両目のある人間が十人がかりで襲いかかっても、ガッツさんはあっという間になぎ倒すだろうけど。  
…本当言うと、義手がついていない姿を見る時の、落ち着かないざわざわするこの感じが少しだけ気にいってる。…片腕だけのこの人は、なんだか倒錯した気持ちをこちらに与える。  
見るからに生命力の強そうな頑強で逞しい体格と、一目瞭然の肉体の欠損の組み合わせが及ぼす、ちぐはくで不調和な印象。  
左肘の切断面はとうの昔に治癒していて、古い切り株の年輪を思わせる。薄い皮膚が覆う下で、ぶつ切りにされた骨と腱の筋の束がごつごつと隆起している。  
今のガッツさんには治癒している古い傷跡なので、痛みはないのだろうけれど、…見る側は、無意識のうちについつい考えてしまうのだ。…腕をまるごと切断する時には、いったいどれほどの激痛が走るのだろうか、と。  
長身で筋骨逞しい全体が与える印象は、勇猛な戦士、古兵の猛者、という言葉だけれど、欠損した左腕を見ると…痛ましい、と微かに感じる。片腕がなかったら、いろいろ不便じゃないかな、とも思うし。無防備な弱点が、さらけ出されている感じ。  
義手を装着している時はまるで思わない気持ちなので、見る側の勝手な印象だけど。  
部屋の隅の棚にきちんと並べられている、この人の武具一式に目がいった。  
…あの義手は、ガッツさんの体の一部なんだろうなあ、と思う。安全に眠れる場所の時でも、ガッツさんは義手をつけたまま眠る。  
義手をつけた姿が本来のガッツさん、で外した姿はむしろ不自然、そんな感じがする。  
「ガッツさんらしい姿」と考えて真っ先に思い浮かぶのは、戦っているこの人の姿だから。鋼鉄の左腕の義手はこの人の武器だ。体の一部が武器と化している姿が、ガッツさんの場合は自然なもののように思える。  
…それとも、この人が誰にも弱みを見せない人だから、よけいに肉体の弱点が目立って違和感を覚えるのかもしれない。…見た事のない素顔の一面を見れたような気になるから、義手のついていない、そのままの欠けた左腕の姿が好きなのかも。  
薬を塗りながら、ガッツさんの開いた事のない右目に視線を送る。  
左目だけの顔は…慣れてしまった。ガッツさんは元からそういう顔の人、と思うので、もしも両眼を開いた顔を見る事があったら「違う」ように思えるかもしれない。  
暗闇の中で戦うこの人の姿は、片方しかない眼が獣のように爛々と光って見える。まるで一つ目の悪霊か怪物のように見えて、とても怖い。  
怖くて…心臓が早鐘のように高鳴って、頭が痺れて思考が麻痺したような気分になって…魅入られたように見つめてしまう。  
欠けた左腕と右目。  
戦いの過程で失ったのだろうか。  
考えてみれば、この人の事は知らない事ばかりだと思う。  
どこで生まれ育ち、どんな風に生きてきたのか。  
ガッツさんは、黙して語らない。  
 
確かなのは、それが絶え間ない戦いの続く日々だったろう、という事だけ。  
「黒い剣士」、と口の中で呟く。  
長い間この人は私にとって「黒い剣士」だった。  
出会うずっと前から、私はこの人を追っていた。  
黒い剣士捕縛の任務の二年の間、僅かな噂を頼りに、各地を巡り、一足違いで逃してはまた追いかけ、跡を辿り…、やっと巡り会い、捕縛したかと思えば逃げられて。  
…それから、またまるで違う理由でこの人を追って。  
…旅をして、さすらって。  
…ずっと、私はこの人を追いかけていた。  
「黒い剣士」を追い続けた私が、ようやくたどりついた人は「ガッツさん」。  
「『黒い剣士殿』は勘弁してくれ、ガッツでいい」と、この人から言われた時、最初はとてもとまどった。  
…なんだか、ひどく違和感があって、呼びにくかった。だって、あなたは「黒い剣士」じゃないの、という気持ちになった。  
考えてみれば、最初の邂逅の時にこの人の名前は「ガッツ」と知ってはいたのだが。  
違和感の元は…私にとって、この人は、父母から生まれて呼び名を与えられ、誰かと親しく名を呼び交わすような、そんな普通の人間のようにはまるで思えなかったのだ。  
異形の世界から突然この世に降り立った、人の形をした暗闇の象徴。出現すると、私の見知った常識的な世界をことごとく破壊し尽くしてゆく存在。人間以外のなにか。  
…ずっとそんな風に感じていた。  
でも、今この寝台で眠っていて、私が薬を塗っている人は、「ガッツさん」。  
一緒に旅をしていて、この人が食べたり喋ったり、イシドロさんに剣の稽古をつけている姿を見ていて、やっとわかった。  
ガッツさんは、人なのだ、と。…すごく、当たり前の事なんだけど。  
<烙印>と呼ばれる呪いを受けた数奇な運命、鬼神のような戦いぶり、…色々と凄まじく人間離れしてはいても、それでも根っこの部分は、私と同じ人間なのだ。  
一番そう実感するのは、キャスカさんをみつめているガッツさんを目にする時だ。  
…そんな時、ガッツさんは、まるでこの人に似つかわしくない表情をする。(似つかわしい表情を強いて形容すると…禍々しい、とか凶暴凶悪とか、指名手配犯罪者顔、とか人間やめてる、とか…悪意はなくても誹謗中傷にしか聞こえないよね…)  
どんな怪物にも怯んだことのないこの人が、キャスカさんを見る時だけは、なにかを恐れているように見える。  
それから…、寂しそうで、悲しそう。  
こちらがドキッとするような、繊細な表情をするなあ…と思う。  
ガッツさんと繊細。…イシドロさんが聞いたら転げ回って笑うだろな。  
そんな時、私も微かな痛みを胸に覚える。  
キャスカさんを見るガッツさんの視線は、私を通り過ぎてゆく。  
私を見ない。  
この人の目には、私は、キャスカさんの姿を遮る遮蔽物としてしか映っていないのだな、と思い知らされるから。  
それが、淋しい。  
 
一度だけ、キャスカさんより先に私を見てくれた。  
トロールの巣からこの人が助けに来てくれた時。…初めて、「ファルネ−ゼ」と名前で読んでくれた。  
それから…、「感謝してる」って。  
…嬉しかった。  
胸の中で、ガッツさんの言葉が鐘の音のように鳴り響いて谺するような気がした。  
シ−ルケさんからは「おおげさな」と呆れられたけど、涙が零れた。  
…ずっと、嫌われてると思ってた。…ううん、嫌うような価値もない、足手まといなお荷物だとガッツさんから思われてるだろうな、って。  
そう思われてもしょうがない、とも。  
…だから、嬉しかった。  
私は、この人の役に立ってるんだ。この人に何かを与える事が、私にもできるのだと思うと、…胸が、震えた。  
少しは変われたのかな、と思う。  
わがままで、高慢ちきで高飛車な、権威を振りかざして威張り散らす事しかできない、中身すっからかんの女から。  
『我が信仰にかけて』。  
…あの頃の私が、口癖だった言葉。  
ガッツさんの顔を覗き込む。とくん、と心臓の鼓動が高鳴る。  
…この人は、初めて会った時から、私を正確に見抜いた。  
中身は空っぽ。すっからかん。空疎で薄っぺらい、上っ面だけの、つまらない女。  
…図星だった。信仰という鎧で仰々しく飾り立てた私の中身を、この人は容赦なく言い当てた。  
…あの時、余裕ぶった薄笑いで見返されて、強い視線が真っ直ぐ私の中身を見透かすように貫いた時、口の中で火薬が炸裂したような怒りが込み上げた。  
それが、真実であることを私は知っていたから。内臓が焼け爛れて頭に血液が逆流し、視界が血の幕で赤く染まって見えた。  
気が付くと、手にしていた鞭を振り上げて−−。  
 
……………………。  
ガッツさんに薬を塗っていた手を止め、両手で顔を覆った。頬が、熱い。  
……恥ずかしい記憶を、思い出してしまった…。  
「ああ、そういえば、昔はそんな事もあったわねえ。ふふっ」で済ませるにはまだ遠い、あの時の生々しい生理的な感情の疼きが想起させられる、…情欲の記憶。  
両手の指の間から、眠っているガッツさんの顔をこっそり覗く。…ええっと、ガッツさん、…あの時は、ごめんなさいね…。  
…悪気はなかっ…、…いえ、あったわね…、…けど、わざとじゃなくって、…その、ついつい、カッとなって…。  
…眠っている人に言い訳している不毛さに気付いて、手を下ろした。  
ちゃんとお薬塗ろう、と思うのだけれど…、ガッツさんの半裸の体に触れるのが、…なんだかとても、きまりが悪い…。…ものすごく、……恥ず、…か、し、い…。  
何か別の事を考えよう、もっと真面目な事っ、と思いつつ、赤面しながら霊薬を零した手の平を、むごい裂傷が走るガッツさんの胸板に這わせた。  
…手の平の下に、ガッツさんの心臓の鼓動が力強く脈打っているのを感じて、ぼうっとなる。  
…薬を塗りながら、ついつい、あの時に私がつけた鞭の跡が残っていないかと、指で探っていた。大小無数の傷跡で埋め尽くされた、鍛え上げられた肉体。  
琥珀色の皮膚に、白いひきつれになった古い傷跡が走り、その上を新鮮な傷口が交叉して、縫合した縫い目で閉じられて赤く血を滲ませている。  
傷だらけの皮膚の下で、鋼のような筋肉のうねりを感じた。…硬い。…あの時、手を伸ばして触れていたらこんな感触だったんだな、と思う。  
…ひどく、喉が乾いて息苦しかった。唾を飲み込む。体が汗ばんで動悸が激しくなるのを感じながら腹部に手を滑らせてゆく。  
筋肉のごつごつした手触りに吐息を漏らしながら、脇腹に走る傷口の縫い目を指の腹で撫ぜた。  
滲んだ血が、指に粘りつき、糸をひく。口に含みたいと思う。こめかみの横で血管がどくどくと脈打ち、視界にすうっと血の色の紗の幕が降りてゆくのを感じた。  
……あの時、血の滴るこの男の肉体に、…直に、触れて、みたかった。  
……………あの時、逆上して鞭を振り上げ、力任せに叩きつけながら、血の匂いに興奮していた。  
赤く染まった視界の中で、鞭の先端に埋め込まれた楔が、鋭い音を立ててこの男の肉に喰い込み、血の飛沫が飛び散って生温かい滴が顔にふりかかるのを感じながら、  
体が熱く重く煮えてゆくのを感じていた。心臓の拍動が轟音のように体全体で響き渡り、こみあげる欲望が下腹部から迫り上がり、汗が服の下で胸の谷間の中央を流れて腹へと伝い落ちてゆくのを覚え、  
降り下ろした鞭の先端が肉を抉り取る感触に我を忘れて恍惚となり、血の糸がこの男の胸筋の上で細い川を作って流れ落ちてゆく様に魅入られ、手の平に、爪の先が喰い込む痛みを感じながら強く鞭の柄を握り締め、  
息を喘がせて、もっと強く、もっと深くと念じながら、重い腕を降り上げては全身の力を込めて叩きつけ、肉を激しく打ち据える、快い打撃音が鼓膜を震わせる度に官能の波が体の中枢を走り抜け、喉から迸りそうになった叫びを押し殺し、  
飛び散った血の飛沫を開いた口で受け止め、舌の上に広がる血の味をうっとりと愉悦しながら味わい、沸騰した血液が全身を駆け巡り、ひたすら昇りつめてゆくのを感じ、  
血の滴るこの男の逞しい肉体に手を延ばして肌に触れ、舌でその血を舐め取りたいと、頭の芯が灼けつくような欲望で痺れ………………  
 
 
……………我に返った。  
寝台に身を乗り出し、ガッツさんの堅い瘤のような腹筋の並ぶ腹部に顔を埋めて、肉を縫い綴った糸目の舌触りを感じながら、夢中になって傷口に舌を這わせていた。  
…どうりで血の味。  
寝台から離れ、ガッツさんに背を向けて、壁際まで小走りで走った。壁に両手を当て、そのままずるずると蹲ると、頭を抱えて、呻いた。  
…なにを、やっているのよ、わたしは……………。  
心臓が全力疾走した時のように激しく高鳴り、体が吹き出した汗で気持ちが悪かった。  
…それから…、ちょっと、………濡れてる。…………ちょっとだけだけど。  
…猛烈な自己嫌悪に襲われる。  
「はしたない」という以前に、意識不明の身動きできない重傷者に、劣情を催して悪戯をするのは…、人としてちょっとあんまりだと思うわ…。  
…とゆうか…、ズバリ言って変質者だ…。…いえ、多少性的嗜好が偏っているのは自認してるけど…、でも、私は変態じゃないもの…。  
ハンカチを取り出して血と涎でべとべとの口許を拭った。ハンカチで口を押え、ふと思いふける。…ガッツさんの味は、昔舐めたセルピコのよりも濃いような。…人によって味って違うのかしら。ちゃんと味比べしたいな…。  
舌の上に残る血を名残惜しく味わいながら、離れた場所からガッツさんの横顔を眺める。荒削りな、男らしい顔。  
…胸が、ときめく。顔が火照る。  
ガッツさんに今やってた事を知られたら死ぬしかない、と思ったけれどよく考えればこの人にはもっと恥ずかしい事をしでかしていた事を思い出した。  
…悪霊にとり憑かれて全裸馬乗り…。…全部見られた。  
再び両手で頭を抱えた。  
フフ…。私って恥の多い人生よね…、と自嘲気味に呟いた。  
でも、この人はその時、露骨に迷惑そうな顔をしていたったけ…。「とっととどきやがれ」だものね…。…なんにも…、感じなかったのかなあ…。  
すっと日照る体の熱が冷めた。  
…この人は、私に女性としての興味はまるでないのだと思う。よく言う男性特有のいやらしい目付き、というもので私は一回も見られた事はない。  
そーゆー意味ではガッツさんはとっても紳士的。…私が裸の時でも。…それって、…なんだか、…とてつもなく複雑な気分だわ…。胸の大きさかしら、やっぱり。  
魔女の館でお風呂上がりにうっかり出くわした時も、キャスカさんの方に視線が釘付けだったっけ…。…そりゃあ、露出度はキャスカさんの方が勝ってたけど。  
…あんな眼で、私も見られたい、と思う。片方しかない眼が怖かった。…ギラギラした、男の人の灼けつくような欲望の眼…。目で犯す、ってゆうのはあんな感じの目付きの事なのかな…。ガッツさん、頭の中でどんなこと考えてたのかなあ…。  
またじわっと体が熱くなる。…よくない、止めよう。危険だわ。…主に、ガッツさんが。  
 
   <to be continue>   
 

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