ヴァンディミオン家とシュタウフェン王家の栄えある婚礼を翌日に控え  
セルピコは自分の仕事に忙殺されていた。  
王家との結婚式には紋章官も必要なのだ。  
式では両家の紋章官が進み出て  
我が家がいかに栄光ある家柄であるか、紋章の由来等の口上をのべるのである。  
その大役がまだ若いセルピコにまわってきた。  
しかし異論を唱える者は誰もいない。  
セルピコは優秀であったし、なによりヴァンディミオン当主のお墨付きなのだ。  
 
ヴァンディミオン当主からは、相手がいかに王家であっても  
遜色ない口上をのべる様にと念を押された。  
家柄でいえば無論王家が格式高いのだが  
今や財力、権力共にヴァンディミオン家が遙かに上回っている。  
当主には落ち目の王家に恩を売り、王家の血筋を我が家に取り込むつもりなのだろう。  
 
「長らくファルネーゼの警護さぞ苦労した事だろう。  
 礼を言う。晴れてファルネーゼが花嫁となるのもお前のおかげだ‥」  
「‥‥いえ‥‥」  
 フェデリコはその後も、今までの働きに免じて何かセルピコの待遇を  
上に引き揚げる等々の話をセルピコは上の空で聞いていた。  
いつ顔をあわせても、この男が自分の父である実感がわかない。  
 
『私たちは兄妹でつがっているのです』  
 
 そう告げてみたらこのフェデリコはどんな顔をするのか?  
思うだけで口に出す気も無い。  
愛情は無論の事、憎しみすら感じない。  
かえって「他人」として自分の後見人になってくれた事を  
有り難いとさえ思う。  
 
「お前からは何か言いたい事はないのかね?」  
「‥‥いえ、ファルネーゼ様のご結婚を心より祝福しております‥」  
 そう言って主の部屋を後にした。  
 
 
ファルネーゼもまた侍女達に囲まれて、婚礼の用意に忙しかった。  
女達は盗み見た花婿ロデリックの噂話で華やいでいたが  
ファルネーゼはいつもの様に気むずかしい表情をくずさなかった。  
 
一瞬、白いドレスに身を包んだファルネーゼを目があった。  
心細さ故か、縋り付くような瞳だった。  
 
そんな眼をしてはいけません  
貴女をまた抱きたくなります‥‥‥。  
 
セルピコは視線を逸らし、自分の仕事へと戻っていった。  
 
 
式を明日に控えたその日の夜だった。  
他の使用人達と明日の式の打ち合わせをしていたセルピコの処に  
一人の侍女がひどく狼狽してやってきた。  
 
「ファルネーゼ様がセルピコを呼べと。ひどく興奮しておいでです」  
「どんな様子なんです?」  
「結婚は嫌だと‥この間際になって」  
 
私たちのどんな説得にも耳をかしません。  
侍女達はおろおろと所在なげにしていた。  
やれやれ‥‥。  
ため息をつきつつセルピコはファルネーゼの部屋に向かった。  
 
ファルネーゼの部屋の前には、閉め出された侍女や侍従達が固まっていた。  
部屋の中からは、ファルネーゼのすすり泣きらしき声が聞こえてくる。  
彼らはセルピコの姿を見るや、やっと安堵した様だ。  
この気むずかしいお嬢様のお相手が今まで続いたのは、セルピコ一人だけだったからだ。  
 
「私が説得しましょう。  
 ひとまず皆さんはここを離れてください」  
 
そう言ってセルピコはファルネーゼの私室に入っていった。  
 
ファルネーゼは婚礼の衣装も着替えぬまま、泣いていた。  
セルピコの姿を認めるや、胸に飛び込んできた。  
 
「結婚など嫌だ。ここから出て生きてなどいけない。  
 私はあんな男に抱かれたくない」  
 
抱いたファルネーゼの方は小さく、震えていた。  
 
「では、私と逃げますか?ヴァンディミオンを捨てて」  
 
 そういったセルピコの顔を見上げたファルネーゼの表情に  
一瞬の歓喜がよぎった。  
だが続くセルピコの言葉は冷たかった。  
 
「ヴァンディミオン家を捨てれば待っているのは  
 餓えに苦しみ、寒さに凍える生活です。耐えられますか?貴女に。  
 私はその生活から逃れる為に、母を見殺しにしました‥‥」  
 
ファルネーゼの顔に絶望が浮かんだ。  
 
「‥‥では、私はどうすればいい?知らない国へ嫁いで  
 知らない男を夫にして。そんな事‥‥」  
 
「明日一日の義務を果たせばいいだけの話です。  
 ファルネーゼ様はヴァンディミオン家のご息女。  
 ロデリック侯がお気に召さないのなら、後はお好きになさればいい‥‥」  
 
「私はどうしても花嫁の義務を果たさなければいけないのね‥」  
 
大貴族の娘は、大抵政略結婚の為嫁がされる。  
興奮がだいぶ冷めたファルネーゼは、力無くセルピコによりかかった。  
 
「ファルネーゼ様の身体の乾きは、夫たるあの方が癒してくれるでしょう‥」  
 
 その言い様にファルネーゼは瞬時に怒りを顕わにした。  
 
「その言いぐさはなに!?愛が無いというのなら、お前の方がまだマシ!」  
 
 セルピコはそんなファルネーゼの手首をつかみ、強引にくちづけた。  
ファルネーゼは抵抗するも、すぐにセルピコに身体をあずけた。  
長い、情交の様なくちづけだった。  
 
「私は何処にも行きません。  
 ‥‥ラヴァンドの咲く季節を待っています‥‥」  
 
 ファルネーゼはしばらくセルピコの胸ですすり泣き  
そしてやっと表向きの平安を取り戻した。  
 彼女を見つめるセルピコの痛々しげな表情を、彼女は知らない。  
   
 
ヴァンディミオン家とシュタウフェン王家の婚礼に  
聖都のすべてが賑わった。  
三日三晩に祝宴が催され、王侯貴族から平民まで  
全ての人々に何かしかの糧が振る舞われた。  
色とりどりの花がまかれ、石畳を埋め尽くす。  
大聖堂の式の後、ヴァンディミオン家邸宅で  
華やかな舞踏会が催された。  
 
ヴァンディミオン家当主フェデリコはファルネーゼの  
存外に大人しい様子に安堵している様子だった。  
 
花婿のシュタウフェンのロデリックは  
セルピコが見るかぎり質の悪い人間でもなさそうだった。  
王家の人間のくったくの無さと、世慣れた雰囲気を持ち合わせた人物に見えた。  
陽の当たる道を、なんの疑問もなく歩いて来た人間の大らかさがあった。  
 
「‥‥‥」  
 
目立つ紋章官の衣装を着込んだセルピコは、大役を終えて  
晩餐会の片隅に臨席していた。  
ファルネーゼの顔は白いレースのベールに覆われて見えない。  
ロデリックはそれを花嫁の恥じらいと思ったのか  
陽気に側近や友人と語らい、盃を進めていた。  
 
ふと、遠目ながらセルピコはロデリックと目があった。  
ロデリックはセルピコを見ると、意味ありげに笑い盃を掲げた。  
セルピコも微笑んで優雅に礼を返す。  
 
しかし内心は不快だった。  
シュタウフェン王家側にも、花嫁の警護役の人間の情報が知れていたのだろう。  
事実、虚実、取り混ぜて。  
 
貴方に、いったい私とファルネーゼ様の何がわかります?  
歪みもつれて絡み合った兄妹の因縁を  
断腸の思いで引き剥がした私の苦痛を‥‥。  
 
大柄で黒い髪の精力的な空気を漂わせるロデリックは  
女性の扱いも手慣れている様だった。  
それでファルネーゼ様がなだめられるのなら‥‥。  
セルピコは力無く、そう思うしかなかった。  
 
 
カーニバルは終わり、聖都はまた教会の鐘が鳴り響く日々へと戻った。  
ヴァンディミオン家の邸宅も、また重く陰鬱な空気に戻っていく。  
 
「‥‥‥」  
 
セルピコはこの広大な庭に独り居る。  
王子の妃となったファルネーゼは、港からイースへと旅立っていった。  
セルピコは見送りに行かなかった。  
庭園は静かで、小鳥の声や木々のざわめきのみ聞こえる。  
生きた人の気配がなく、まるで墓地の様だった。  
 
セルピコはなんとはなしに、ファルネーゼと新郎の初夜の事を考えていた。  
不思議とロデリックに対して嫉妬や怒りは感じなかった。  
二人が睦み合う光景も頭に浮かばなかった。  
ただ、その時、ファルネーゼは不安でなかったか?  
それだけが気がかりだった。  
 
初夜にまで私が立ち会ったら、もうお笑いだ‥‥。  
セルピコの口元に苦い笑いが浮かんだ。  
 
今でも、シュタウフェン王家との婚姻を取り結んだことが  
ファルネーゼの為になったのかどうか、セルピコは迷っている。  
私が一生、ファルネーゼ様を抱き留めていればよかったのか?  
ずっと手元に置いて、兄妹で‥‥‥。  
 
そんな関係は、いずれ破綻が来るのは目に見えていた。  
忌まわしい、濃い血の子をもうけるかもしれなかった。  
 
 
仕事がある事は有り難いことだとセルピコは思っていた。  
ファルネーゼがシュタウフェン王家に輿入れして  
一ヶ月ほど経ったがイースの王宮が炎上したという話も聞かない。  
ファルネーゼはそれなりにうまくやっているのだろうと思う。  
 
表面上、自分は以前となんら変わりが無く見える筈だ。  
黙々とヴァンディミオン家で与えられた仕事をこなし、日々を過ごしている。  
あのヴァンディミオン家の、主の居なくなった巨大な庭園の様な  
大きな空洞を抱えながら、自分の思いとは関係なく日々は過ぎていく。  
今や日常のすべてが、セルピコにとってどうでもいい事だった。  
 
その存在の死を願った母が死に、不機嫌なファルネーゼが居なくなり  
開放感をおぼえてもいいはずだったが  
自分はそんな時にどうしていいか解らない。  
 
セルピコは仕事が終わりやる事が無くなると、庭園の片隅で独り居る事が多くなった。  
ファルネーゼが居なくなってみると、自分の中身はいかに空虚であるか痛感している。  
しかし、この苦痛も時間が癒してくれるだろう‥たぶん‥‥。  
セルピコは現実に対して、耐えるしかやり過ごす方法を知らなかった。  
 
 
「浮かない顔ですわね。お噂のとおり  
 あのヴァンディミオン家のお嬢様と恋仲でいらしたの?」  
「‥‥あの関係が恋と言うのなら‥‥」  
「ファルネーゼ様は随分と気難しい方と聞き及びましたけど  
 貴方にはお優しかったでしょう?」  
「‥‥いいえ、やはり扱いづらい方でしたよ‥‥」  
「何故そんな方と‥‥」  
「あの方は美しかったが貴女ほどではありませんでした。  
 そして貴女ほど賢くもなかった。  
 ですが私の母もそういう女でしたので、私はそういう女性と  
 共に居ることが習い性に成ってしまったのでしょう‥‥」  
「そう‥‥気の毒な方ね‥‥」  
 
 そう言って顔なじみの高級娼婦は艶やかに笑った。  
   
セルピコは、自分の身体が求める欲求を誤魔化すために  
コルテジャーナの娼館へ通う事があった。  
夜に紛れてひっそりと。  
隠すつもりはなかったが、セルピコを知る者は  
あの紋章官殿が?と驚いたものだ。  
 
男を扱いなれた高級娼婦の豊満な肉体  
その香水の香りに埋もれながら  
セルピコはファルネーゼの細い首筋、舌でたどった鎖骨の味を思い出していた。  
彼の身体もまた、乾いていた。  
その乾きを満たす者は、もう側には居ない。  
 
 
 
※コルテジャーナ:王侯貴族相手の高級娼婦の事  
 
 

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