目の前の女は優雅にナイフとフォークを操り、皿の上は見る間に片付いていく。
娼婦同様の際どいドレスでありながら下品には見えない、このアンバランスな
魅力の女に惹かれ、俺は危ない橋と知りながら女に道を開いてやった。
俺に近づく女は、密売買で得た黄金のシャワーを浴びたがる下種な女か
俺自身が強引に略奪して手札に加えた女か――俺の首を狙う、賞金稼ぎかだ。
大の男がたいらげるのに精一杯のフルコースを涼しい顔で片付けた女は
さらになおワゴンサービスで運ばれたケーキをいくつか選んでいる。
自分の懐具合、おっと支払うのは俺だから腹具合か、それと目の前の宝石と
どれを選ぶべきか悩んでいるようだ。
「俺も、いただこうか」
馴染みのウェイターが珍しい物を見たというように眉をピクと跳ね上げたが
すぐに洗練させた笑みを取り戻したのはさすがサービスマンの鑑と言えよう。
俺の言葉が意味するものをすぐに女は理解したらしい。頭の良い女は好きだ。
「じゃあ、これとこれ。それにこれも。それは彼にお願いね」
甘いものが好きではないとすでに情報で知っているのだろう、洋酒が染みた
ビターなチョコケーキをこちらに回すようウェイターに頼んでいた。
希望の物が全部選べた嬉しさか、心を開き始めた俺に勝利の端尾を見た舌なめずりか
綺麗に塗られたルージュをキュッと引き上げ女は俺に艶めいた笑みを送ってくる。
食後酒のグラスを手のひらに包んでもてあそびつつ、俺はこの美しくて
可愛い女、危険な予兆をその見事なプロポーションに上手に包み隠した女を
どうやって攻略してやろうかと考える。久しぶりの高揚感が全身に満ちていく――
急速に上昇していくエレベーターの中、女の細い腰を引き寄せキスを仕掛ける。
抗う様子もない。ふん、ずいぶん場数を踏んだ女らしい。
高速で昇るエレベーターの密室の中、女への危険信号はオフへと切り替わった。
扉が開くとすぐに最上階ペントハウスの豪華な調度が俺たちを出迎える。
高層階ならではの夜景が売りのこの部屋が、さしあたっての俺のねぐらだ。
――女が夜景を見下ろしているのを背後から抱きしめる。
「…せっかちね」
「誰が、そうさせている?」
「そうね、心当たりならあるわ」
くすぐったそうに笑い、こちらに首だけむけて猫のような目を薄闇の中に光らせた。
このまま強引に押し倒してもいいが、まだしばらくこの女と話していたい。
「シャワーを先に使うが、いいか?」
「どうぞ」
自分の身体と引き換えに現金に溢れたバスタブを狙う女なら、相場を引き上げるために
もう少しここで粘るはずだ。つまり、この女は賞金稼ぎってことだ。俺の予感は当たった。
しかし、俺はまったくこの状況にビビッちゃいなかった。
「そうか、じゃお先に。そこにある冷えたシャンパンでも飲んでな」
あっさりと女に回した腕を解き、シャワーブースへと向かう。
鏡に映った己を見やる。外見はずいぶんと頭髪が後退した様子ではあるが
体つきはまだ年齢のまま、30前半の逞しさに満ち満ちている。
素肌にバスローブだけ纏うというまるっきりの丸腰のままゆっくりと女に歩み寄る。
ベッドの上に脱ぎ散らかした服がハンガーに掛けられている。
普通なら気にも留めないことだろう。だが、俺は自分の立場ってものをようく分かっている。
(残念だったな、お前が望むものはそこには入ってない)
だが女は当てが外れて無念そうには見えず、女王のように気だるげにベッドに腰掛けている。
「失礼するわ」
優雅に組んだその魅力的な脚を俺に見せ付けるように跳ね上げ、女はすっくと立ち上がった。
ぼんやりと曇りガラスの向こうに見える女のプロポーションはそりゃたいしたものだった。
なんで賞金稼ぎなんぞやっているのか不思議なほどだ。結婚詐欺でもやりゃ喜んで罠に飛び込む
男が幾らでもいるだろうに、とまで思ったところでカチャリと扉の開く音がした。
薔薇の香りの湯煙が部屋に漂い、照明の落ちた室内に女のシルエットが眩しく浮かび上がる。
前の合わせから零れ落ちそうな胸、丈の短いバスローブの裾から見え隠れしている白い尻。
俺は注いでいたシャンパンをグラスからうっかり溢れ出させるところだった。
「おまたせしたかしら」
「…いいや」
一瞬の動揺を遠くに蹴り飛ばして、女に冷えたグラスを差し出した。
「こんな良い女を目の前にしてずいぶんな余裕っぷりね」
自分の美貌にたいして正当な自信を持っている女だけが言えるそのセリフ。
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
微笑一歩手前の苦笑を浮かべて、女とグラスを掲げあう。
弾ける気泡が喉をスルスルと滑り落ちていく。悪くない。
サイドテーブルにグラスを置くと女の手を引き、ベッドに乗り上がった。
「お前の望みはなんだ、金か?」
「こういうところでする話じゃないでしょ、野暮な人ね」
悪魔すらもたらしこめそうな、甘い蟲惑的な笑み。
「俺の首、か?」
今度こそ女ははっきりと息を飲んだ。
「だが、この状態でお前に何が出来る?武器も無い、通信手段も無い」
俺はせいぜい凶悪そうな笑みを口元に浮かべてみせる。
実際これはハッタリではない。上昇するエレベーターの中で全身スキャン済みなのだから。
これまでも同じような事が幾度かあった。相手が怖気ついた場合は速やかにお帰りいただくか
逆上して踊りかかってきた場合はすぐさまベルに手を伸ばし、相応の対応をさせていただくか。
だが、今宵の女はそのどちらにも当てはまらなかった。
冴え冴えとした表情でするりと肩からバスローブを滑り落とさせこう言ってのけたのだ。
「そんな不粋なものは要らないわ。獲物を仕留めるにはこれで充分」
説得力のありすぎるセリフに、今度は俺が息を飲む始末だった。
見事に突き出した胸とウエストに続く括れた曲線と、目前の身体は名工の手になる彫刻さながらだ。
しかし、それが生身の身体である証拠に胸はベッドの振動にフルフルと柔らかく揺れている。
仕方ないと思ってくれ。俺はそれに強烈に釘付けられた。目がそこから離れようとしない。
「まだ足りないかしら?」
俺の鼻の舌の伸び具合をしっかり見ているくせに、含み笑う女。
「いや、もう充分…」
「ダーメ。」
ベッドに膝立ちになったまま、女は俺の手を取り自分の胸へ導いた。
すばらしい感触が手のひらに伝わり、俺は劣情の海へダイブする一歩手前まで追い詰められた。
だが、俺は賞金首で女は賞金稼ぎ。ここで頭の血を下半身へ移動させちゃあオシマイ、だ。
「もう一度聞く、お前の欲しいものはなんだ?」
「だから、アンタそのものが欲しいのよ」
このやり取りの間にも俺の手は女の胸に置かれたままだ。二人の距離はさらに近づいている。
「こういう場合じゃなければコロっと騙されちまいそうだな」
「あら、言葉どおりの意味だけど?」
「…そうか。」
女が欲しがっているもの。それは金じゃない、首でもない。
俺に高額の賞金が掛けられている理由、それをこの女は知っている。
「だがここでハイどうぞ、なんて気前良く差し出す気はこれっぽちも無いぜ」
「今にプレゼントしたくて堪らなくなると思うわ」
「それはどうか…」
な?と言い終える前に俺の口は女によって塞がれた。
ルージュの嫌な味は無く、甘いベリーの香りがほんのりと鼻に抜けていく。
俺の女じゃなくパートナーにしたいぐらい良い女だ。まったく、賞金稼ぎでなかったら!
元は吹けば飛ぶよな木っ端のプログラマーだった俺がなぜ高額の賞金首に登り詰めたか。
それは俺の頭の中にある。正確には、ネットの海の中にそれは今でも漂っているんだが
取り出して扱えるのが俺だけってことだ。
他の極悪党らに命を狙われそうなものだが、むしろ彼らのほうから俺に身の安全と手厚い援助を
提供してくれている。それもそのお陰である。とまあ前置きはこれぐらいにして。
俺が持っているのは、I.S.S.P.(太陽系刑事警察機構)の犯罪者データの一覧。
それなら今現在も誰だっていつでもアクセスできるじゃねえか!と鼻で笑われそうだが
だったら警察だって俺にそんな高額掛けるワケがない。
――今のように完璧に管理された情報網が出来る前に、試験的に作られたデータベース。
それが何の拍子か流出しちまったらしい。ネットの広大な海に泳ぐ、一匹の黄金の魚。
偶然にもそれを釣り上げたのが、この俺だ。
プロテクトも掛けられてないそれは、自由にデータを書き換えられるようになっている。
試しに、適当な犯罪者を呼び出して適当な罪を付け加えてみた。その通りに画面には一行増えた。
ただ、それだけ。しかし、悪魔の啓示が訪れたか、指はそのままキーボードを叩き続けた。
その旧式データベースに俺だけが解けるプロテクトを掛けたのだ。
完了。
そうして俺は街中のネットカフェからウサギ小屋のようなアパートへ帰っていった。
何かとんでもないことが俺の人生に起きそうな恐怖か興奮かで脳ミソが焼ききれそうだった。
狭い家の、これまた積み上がった紙で埋まったパソコンの前、俺の頭ん中は真っ白。
「お…お…なんで神はこんなものを俺に寄越したんだ!!!」
暗い部屋の中でパソコンの画面が光る。今開いているページは“現在”のI.S.S.P.のデータ。
昼間俺が勝手に付け加えた一行が、目の前の画面にもどういったわけかそれがある。
(食い逃げ前科30犯:立ち寄った屋台をすべてを食い潰しての逃走)
プロテクトを入れたチップをパソコンに突っ込み、もつれる指をどうにか動かしパスワードを叩き
昼間やったことをもう一度再現した。旧式のほうを閉じ、現在のほうを立ち上げる。
結果は同じだった。“現在”のデータが、俺が打ったまま書き換えられていた。
今の俺がこんな贅沢な暮らしが出来ているワケ、そして高額賞金なワケはこの通り。
(しかしI.S.S.P.のデータにこのことは記されていない。警察のミスなんだから当たり前だ)
だから俺は殺される心配も無くおおっぴらに街で遊び歩くことができる。
夢のような毎日。こうしてベッドにお好みの女を何人連れ込もうが好き放題だ。
しょぼくれた情けない男が、いっぱしのマフィア気取りになるまで時間は掛からなかった。
そして今、この稀に美しい賞金稼ぎにとうとう俺の尻尾は掴まれてしまった。
「データの足跡は消しているはずなのにな…?」
「ごめんなさいねー、こっちにはアンタより数段上のパソコン馬鹿が仲間にいんのよ」
それにしては悪びれていない様子で、言葉遣いもすっかりはすっぱになった女がニヤリと笑う。
食事のときは、同じ微笑がニッコリといったように見えていたのだが…どちらも似合っている。
「で、それはどこなの?イイコトしたいんなら、教えなさい」
「ヤル前に教える馬鹿なんざどこにいるよ?嫌だね」
フッと女が溜息をつく。胸から手がはがされ、名残惜しがる手が所在無げに空に泳ぐ。
「普通ならこんなフザケタ相手には必殺の股間蹴りなんだけど、やめておくわ」
思わず俺は股間を押さえた。
「だってアンタ、良く見たら結構イイ男だし、今回は大マケにマケてあげてもいいわ」
「それでもずいぶん高くつきそうだけどな」
「ダイジョーブ、アンタに払えない額まで請求なんてしないから」
「だからといって、おまえは俺でいいのか?」
「女一人賞金稼ぎやってると色々あんの。寝る男を選ぶ権利はこっちにあるんだからもう黙る!」
女に押し切られたような感じで商談が成立してしまった。
据え膳に毒があるのを知っていながら半分以上食べ進んでしまった俺自身の責任だ。
だから、男らしく最後まで責任を持つとしよう。遠慮なく女をベッドに押し倒し甘い肌に口付ける。
女がくふんと鼻を鳴らす。それに気を良くして今度は俺から胸に手をのばした。
吸い付くような感触に俺の頭の毛が逆立つ。幹が猛然と立ち上がる。
プルリとした舌触りを楽しみながら俺の舌は女の胸を這いずり回り、脇の下を舐め上げる。
頂点を指で挟み、胸ごと揺すりたてると女の半ば開いた口から喘ぎ声が上がりはじめた。
バスローブをかなぐり捨てて俺は女に圧し掛かる。潰れないのが不思議なほど柔らかな肉体。
「ん、ちょっと待っ…」
「いまさら待てるか馬鹿」
強引に唇を奪い、口中を思う存分かき回す。女も逃げずに俺に絡んでくる。
口を離すと銀の糸が二人の間に架かるがすぐに際限も無い口付けに消えていく。
しっとり濡れた肌を滑り降りて指は女の谷間へ向かう。谷間のユリはすでに花開いていた。
指で何度か往復すると、充分な蜜が絡みついてきた。立ち上がった乳首を唇で弄びながら
濡れたクリトリスを撫で擦り、中に指を差し入れると暖かい水が俺の手を濡らす。
女の身体がピチピチと跳ねるがかまわずにそのまま続けていると女の足がつま先までピンと反った。
「くぅ……。やってくれたわね」
睨もうとして、どうにも目が潤んでしまっているのが可愛い。ヤバイ。惚れちまいそうだ。
「そろそろいい頃合かな」
すんなりとした脚を割り開く。脱力した身体は素直に従い、俺の眼前に絶景が広がった。
爛れた傷のようなクレバス。そこに俺の幹を差し入れていく。
ぐいぐいと飲み込まれ女の膣中が蠢くのを感じ、危険を感じた俺は反射的に腰を引いてしまった。
この動きにも感じたのか女が快感の呻きを漏らす。いやむしろ、モレそうなのは俺のほう。
慎重に腰を再度進め、前後左右に動かしてその締め付けを幹全体で味わう。
女も腰を使い出したことで、快感は倍増する。大きな胸が、俺の胸板に押しつぶされ形を変える。
ベッドのスプリングが軋む音を聞きながら、俺の唇はじっくりと女の耳や首筋をなぞる。
俺の背中に女の爪が猫のように尖って刺さるが、構うものか!
そのまま一気に女を追い上げようとして、ふと思いついてゴロリと横に転がり女を上にした。
綺麗な顔に幾筋か乱れた黒髪を張り付かせた女の肩を押し上げながら耳元に囁く。
「お前が好きなようにヤッてみな」
どうせ支払わなければならないのなら、それなりのものを俺は得てしかるべきだ。
女は一瞬しかめっ面をしたが、下から催促するように突き上げると身体は正直に快感に揺れた。
「いいわ……覚悟しておくのね」
美猫の目がベッドサイドの薄暗い明かりの中、煌いた。
女の腰が俺の上で跳ねて踊る。上下に動く女の花弁が捲くれあがって俺の幹に絡みつく。
これまでベッドの上で知り合った女たちのなかでも極上の、さらに上だと俺の本能が告げる。
最高にキュートで、そして素晴らしく淫らなカウガール。
彼女を振り落とすように俺も腰を激しく振って見せるが、このハネッ返りのカウガールは
頬をピンクに染め、汗をほとばしらせながらも俺の暴れ馬を見事に乗りこなしていく。
終いにゃすっかり彼女に手綱を取られ、俺は向こうのお好みのまま好き放題に乗り回された。
ある程度男女の仲に通じた者同士、最後のヤマが近いことを無言のまま互いに感じ取る。
体内に滾るエネルギーをぶつけ合う様に俺は限界まで腰を突き上げ、彼女は腰を深く沈めて
俺を押さえつけようとする。そのせめぎ合いが最高潮に達した時点で強く彼女の腰を掴んだ。
上に乗る彼女の上半身がガクガクと揺れる。俺の方も、もう。
「「――――――――――――っ!!!!!!!」」
声にならない叫びを上げてカウガールは俺の上に倒れこんできた。俺も濁流を中に叩き込んだ。
言葉も無くただ見つめ合う。どちらとも無く顔を近づけて軽くキスをして、二人とも意識を手放した。
ベッドの上に紫煙がたゆたう。一見情事後の気だるい雰囲気のように見えるが交わされる会話は
ビジネスライク。まるで乾燥したパンのように味気がない。
「で、お代の話だけど」
ベッドの上に肘ついて彼女が俺を見上げてくる。
「ああ、それな。…それよりも俺と組まないか?」
「いやあよ」
そういう返事だろうと予想していたが、それでも心の隅がチリっと焦げる。
「そうか」
グラスに入ったスコッチウイスキーに情けない男の顔が映りこんでいる。…なんだ、俺か。
「やあねえ、そんな顔をしないの」
女神のような微笑みを浮かべて彼女は俺の手からグラスを取り上げ、サイドテーブルに置いた。
「アンタが不満って事じゃないわ。私たち一族は愛を求めて放浪するロマニーなの。
誰かに言われて誰かのものになるってことはあり得ないのよ」
分かったような、分からないような理屈に首を傾げた俺の顔を、彼女の手が優しく撫でている。
その手がスイッと俺の後退した額に向かう。しまった!と思ったときにはすでに彼女の手には
剥ぎ取られていた人造皮膚が握られていた。
「なんで分かった!?」
「その、生え際がなんか不自然だったのよ。仲間にハゲがいて見慣れてんの」
…いったいどんな奴らと組んでいるんだ?このカウガールは。
ぺラリと裏返されたそれに、俺の金づるであるところの小さいチップが貼り付けられている。
目をらんらんと輝かせて彼女が俺に詰め寄る。
「あとはアンタのパスワードだけよ。教えてくれるわよね?」
「嫌だ、と言っておこうか」
あら。といったように彼女の目が丸くなった後、実に人の悪い笑みが顔に浮かんだ。
「もうアンタには時間が無いの。悪いけどもうアンタの秘密はとっくにネットに流れてるわ。
一番お得に自分を売れるのは今を逃してないってワケ。さあ、どうなの?」
「…つまり、ここでお前に俺を売らなかったら、俺はお陀仏ってことかい」
「まあそうね。でもアンタを生きて引き渡さないと賞金は貰えないし、命の危険は今の所ないわ」
「だが、警察はソレ込みで俺を捕まえたがってるんだぜ?お前がソレを持ってちゃ…」
「自分で自分の事忘れたの?I.S.S.P.のデータにはソレは載っていないはず。
警察はアンタを捕まえろとしか言ってない。アタシは警察の思惑なんて知らないから
額面どおりの賞金を受け取る。そしてソレを持っていないアンタは警察にとっては
単なる小物ハッカー。数年で釈放になるはずよ」
彼女が繰り広げる話の急展開さについていけず、その先を続けようとするのを押しとどめた。
「ちょっと待ってくれ。俺が警察に捕まるのはある程度覚悟できていたからそこは別にいい。
俺以外誰も使えないデータをお前が持っていて、どうしようっていうんだ?」
「売るのよ」
「誰に?!」
「アンタによ」
つまり釈放後、俺に買い戻させようって魂胆らしい、が。
「警察と俺相手に二重取りしようってワケかよ。とんだ悪女だな」
「あら、アリガト。最高の褒め言葉だわ」
艶然と微笑んだ顔は、今夜見た彼女の笑顔のうちで飛び切りキレイなモンだった。
――仕方ねえな。荒野で好き勝手に暴れていて油断していた俺が悪い。
覚悟を決めた俺は潔くカウガールの手綱に引かれて、警察の門を堂々と叩いてやったのさ。
殺風景すぎる取調室でむさ苦しいオッサンの顔を眺めながら、俺は自分の間抜けさに気がついた。
手放したデータはもう帰ってこないものととっくに諦めていたが、ただ一つ惜しいのは
「名前、聞いてなかったな…」
まあいずれ会えるだろ。けれどあの気まぐれなカウガールが俺のことを覚えているかどうか…
忘れてんだろうな。そういうのが、きっと彼女らしい。
ククッと独り笑い、目の前のオッサンの希望を打ち砕くだろうセリフの準備を済ませた。
end
ビバップ号のリビングにフェイの悲鳴が響く。
唐突な叫び声に肉なしチンジャオロースを作っていたジェットの腕が一瞬止まり、
古ぼけたソファーで転寝をしていたスパイクはそこから豪快に転げ落ちた。
エドは頭をかきむしるフェイの横にパタパタと駆け寄り一緒にパソコンのディスプレイを覗き込む。
「なんなのよお!これって詐欺じゃない!!」
「ん〜賞金の額があ、ひいふうみい、んーゼロが三つ足りないねえ」
「あんの警察!せっかく人が賞金首を無傷で引き渡したっていうのになんてことすんのよお!」
「そりゃあ警察だって、肝心のブツがないってのに額面どおり支払うほどお人よしじゃねえさ」
火を止めたジェットがフェイの背後にのっそりと立つ。
「もうショッピングのリストまで作っておいたのに!!無駄になっちゃったわよ!」
まったく自分勝手な理由で怒るフェイをこれ以上噴火させないよう、ジェットは台所に戻っていく。
「でも、まあこっちには秘密兵器があるものね〜♪エド!これが今日のお土産よ。
いい子にしてたらって約束していたアレよ」
胸の谷間からピラリとしたモノを取り出し、それをエドの手元に投げて渡す。
「ああ?お前、それエドに解読させてどうしようってんだ?!」
「そりゃ一番高く買ってくれる相手に売るに決まってるじゃない、これ世界の常識でしょ?」
うひゃあああこのアマってなげっそりした顔でスパイクがフェイを見るがフェイはお構い無しだ。
「いいの、私が正当な報酬で男から受け取ったものなんだから、何処の誰の手元にいこうが
いまさら文句言われる筋合いなんてないの。高く売れるならそれに越したことなんてないでしょ。
“浜の真砂は尽きるとも、世に悪の種は尽きまじ”ってね」
「なんだあ、そりゃ。マジナイか、なんかか」
「へんなこと知ってやがるなあ」
「なんだジェット、それ知ってるのか?」
「ああエドシティの大盗賊が死に際に残したコトワザってやつさ」
「へえへえ。最後に残すのがコトワザってのは見上げたドロボウさんだねえ」
「どこが出自だろうがどうだっていいじゃない。これヨロシクね。アタシはもう寝るわ」
椅子から勢い良く立ち上がり、悠々とフェイは自室に引っ込んだ。
「…なんだあこりゃあ?」
白くて薄っぺらい人造皮膚を気味悪そうに摘み上げてスパイクが呟いた。
チャッチャと床に爪が鳴る音がしてスパイクが振り向くと、アインのピンクの舌に一センチ角の
黒い小さなものが乗っかっている。
「おい、お前!まさか!!おい吐き出せ、戻せ!!!」
スパイクの焦った声に驚いたか、アインはペロリと舌を引っ込めてしまった。
「あああ〜エドのオモチャがあ!」
「…ご愁傷様」
「ああ。」
翌朝の悲劇を考えないようにして、三人それぞれ自室に引き上げる。
リビングの電気が消えた中、残ったアインがカチカチとトマトのキーボードを適当に叩く。
ヴァレンタイン。男が好んで飲んでいたスコッチウィスキーの名前が画面に点滅している。
「ワン!」
一声吠えて後ろ足で電源を踏むと、アインは自分のねぐらへと走っていった。
チャンチャンw