私はヴィクトリア・テレプシコレー。  
スペース・トラッカー。  
愛猫の名はゼロス。  
好きな音楽はヘヴィメタル。  
金髪、碧眼、焼けた肌が特徴。  
もう誰にも心を奪われない。  
莫迦で、クズで、嘘つきで、ずうずうしい賞金稼ぎは嫌いだ。  
 
 
あたしの頭には銃が突き付けられている。絶体絶命、って奴。  
すでに客とマスターは全員逃げ出していて、店内にはあたしと、あたしを盾にしている男と、こいつを追い詰めた男しかいない。  
 
ああ、今日はツイてない。  
 
「オラ!さっさと銃を捨てないと、このねーちゃんの頭がカボチャみたいにふっ飛ぶぜ」  
ここはダイナー。あたしはここでウエイトレスのバイトをしている。  
でも、いくらバイト料が良くても、命と引き換えじゃ割が合わない。  
「……判ったよ。俺の負けだ…」  
にっこり笑った男が、ゆっくりと銃を放り投げた。  
あたしを抱えていた男の目がそちらに奪われ、一瞬手が緩んだ。  
 
今だ。  
 
あたしが男に回し蹴りを喰らわせた瞬間、向かいの男が叫んだ。  
「伏せろ!」  
男は高くジャンプして、放り投げた銃を手に納めた。  
横っ跳びに飛んだあたしの脇に、弾丸の雨が降って来る。  
跳弾がポニーテールの毛先に当たり、髪が羽毛の様に辺りに散った。  
音が止み、テーブルの下から見上げるともう全てが終わり、店内がびっくりする程穴だらけになっている。  
 
…ああ。これ、後片付けが大変だ。  
それよりもあたし、ひょっとしてクビになるんじゃないだろうか。  
 
「おい…大丈夫か?お陰で上手くいったよ…」  
肩や足を打ち抜かれ呻く奴に、手早く手枷足枷を嵌めながら、振り向きもせずに男は言った。  
「…ISSPの人?」  
服に付いた埃を払いながら尋ねると、男はマルボロに火を付けて深く吸い込んでいる。  
「いや、俺は賞金稼ぎだ。こいつはでかい賞金首でな…」  
「ったく、あんたらロクでもないわね。どうするつもり?この店内」  
まだ埃が舞っている店内を示して、あたしは男を睨んだ。  
「どうするつもりと言われても……ま、弁償するしかねえだろうな」  
こちらを見もせずに肩をすくませ、カウンターに無事残っていたミネラル・ウォーターに手を伸ばす。  
大きな手に吸い差しの煙草と瓶が収まり、喉が上下に動くのをあたしは呆然と眺めた。  
 
それ、店の売り物なのよ?何勝手に飲んでるのさ。  
 
「弁償ついでに、ジンと卵と酢とケチャップ胡椒、ウスターソースをくれ」  
「ずうずうしい!あんたらのせいで、店の中滅茶苦茶なのよ!?」  
と大声を張り上げると、男が不機嫌そうに言った。  
「…今日は二日酔いなんだ……もうちっと、優しく話してくれないか?」  
あたしは仕方なくカウンターに入り、音高く、グラス、ジン、酢、卵、ケチャップ、胡椒、ウスターソースを目の前に並べた。  
「…これでいい?」  
普段高めの声のあたしだが、精一杯ドスを効かせて不満に思っている事をアピールする。  
「おう。ありがとよ、ベッピンさん…」  
 
ろくに人の顔を見もしないでよく言うわ。嘘つき。  
心の中であたしは毒づいた。  
 
「ああ…これでこのバイト、クビになっちゃうかも知れない…」  
大きくため息をついて、カウンターに突っ伏した。  
「お前さんにゃ気の毒な事しちまったな。二日酔いじゃなかったら、こんな惨状にはならなかったんだが…後で店の主人に口利きしてやるよ」  
卵から黄身を選り分けてグラスに入れ、慎重な手付きで他の調味料とジンを落とし込みながら、気のない声で男が告げた。  
鼻をつまんでグイッと飲み干すのを横目で睨みながら、あたしはうらめしそうに言った。  
「これでまた、トラックの購入が遅れちゃうわよ…」  
「なんだ?あんた、トラッカー志望なのか?」  
うつ伏せたあたしに、意外そうな声が尋ねる。  
「そうよ。…このアステロイドで、後ろ楯もない若い女が一人で大きく稼ぐには、自分を売るか、トラッカーになるぐらいしか道がないじゃない…」  
「まあ、稼ぐならそれが手っ取り早かろうな。…あ、すまねえ。お前さんの綺麗な髪も台無しにしちまっ………」  
その言葉に勢い良く顔を上げ、悪態のひとつも付こうとしたあたしを見て、男の台詞が止まり、その口がだらしなく開いた。  
 
「……何よ」  
「…あぁ。…あんた……綺麗だなぁ……」  
「ありがとう、よくそう言われるわ」  
そう軽くいなしながら、あたしはふき出したくなった。  
本気で見とれてる、この人。  
悔しいから、あたしもじっくり男を見つめてやった。  
 
ふうん、近くで見ると結構オジさんなんだ。  
でも、目元と口元がセクシーで、節高で長い指が綺麗で、声が素敵。  
…悪くないな。  
 
「…名前を教えてくれ」  
「……ヴィクトリア。ヴィクトリア・ビターよ」  
「俺はヒューゴ・ヴォルフ・テレプシコレー」  
ヒューゴは自分の名前を告げると、いきなりあたしの腕をぐいっと引いて、カウンター越しに唇を奪った。  
こんな強引な手口なんて珍しくもないのに、あたしは拒まなかった。  
ジンとスパイスとマルボロ。それと硝煙の匂いがする。  
弾丸で飛ばされて短くなったあたしの髪に手を差し込み、唇をこじ開けて舌を貪る。  
歯茎をなぞり、上顎を舌先で撫で、絡まった唾液を吸う。  
細かく角度を変え、あたしの口内を擦り上げ、啜り、煽り立てる。  
 
ヤダ…この人キスが上手い。  
キスでこれなら…最後までしたら、どうなるのかしら。  
 
ちょっとイケナイ事を考えていると、ようやく濃厚なキスから解放された。  
離れる瞬間、互いの唇に繋がった唾液の糸が伸びる。  
多分あたしはかなりぼうっとしていたと思う。  
その頬に手を当てて、ヒューゴは耳元に囁いた。  
「なぁヴィクトリア、俺はお前が気に入った。……試しに俺と寝てみないか?」  
あたしは思いきりヒューゴに平手打ちを喰らわせた。  
 
 
それから3日後、またヒューゴ・ヴォルフ・テレプシコレーはやって来た。  
店の損害賠償金と、ピカピカのスペース・トラックと、真っ赤な薔薇の花束を持って。  
「よう!ヴィクトリア。俺と結婚してくれ」  
あたしは呆れ果てた。  
「ヒューゴ…あんたイカレてるんじゃない?どこの世界に、一回会ったっきりの女にこんな高額な贈り物をしたり、結婚を申し込んだりするっていうのさ!」  
「ここにいるぜ。…一目見てから、寝ても覚めてもお前の事ばかり考えてる。あんたは俺のファム・ファタル(運命の女)だ。…愛してる」  
臆面も無く言い放つこの男に、あたしはしかめっ面をしてみせた。  
…頬が真っ赤だったけれど。  
「……受け取れない、って言ったらどうすんの?」  
「そん時ぁ、粗大ゴミ置き場に俺とこのトラックが並んで眠ってるだろうさ!」  
大げさに額に手を当てたヒューゴは、くるくると楽しそうに目玉を踊らせた。  
 
悔しい。  
こいつったら、あたしが断るとは思ってない。  
 
「あたしが断るってのは、あんたの勘定に入ってない訳?」  
あたしは腰に手を当て、ずうずうしい賞金稼ぎをきつく睨み付けた。  
ヒューゴにはちっとも効いていない。それどころか、あたしを見てうっとりしている。  
「俺とお前は離したって離れっこ無い。互いが運命の相手だからな…」  
あたしの手をそっと取り、掌を指先で愛おしそうに撫でる。  
じっと見つめる眼に耐えられず、視線をそらした。  
「…自惚れてるわ」  
そう言うあたしの手を自分に引き寄せて、耳元に囁きかける。  
「嫌だったら、そう言って断れば良いじゃねえか」  
 
そうよ。  
嫌だったらとっくの昔に断ってるわ。  
断れないから、困ってるんじゃない。  
 
「だって…だって、あたし達、お互いを全然知らないじゃないの……」  
「これから知ればいい…。なあ…俺の心はお前に盗まれてからっぽになっちまった。…だから代わりに、あんたの心を俺にくれ」  
そのままヒューゴはあたしに、優しいキスをした。  
離れた時あたしが小さく告げた言葉に、にっこり笑ってみせる。  
「ヴィクトリア…もう一回」  
「絶対、言わないわ」  
憮然とした顔でそう言ったあたしを、ヒューゴは大切そうに抱きかかえてクルリと回した。  
 
 
甘い部屋。白いシーツ。キングサイズのベッド。あたしを抱きしめる腕。  
今朝目が覚めた時は、こんな事になるなんて思いもしなかった。  
まるで安っぽいハーレクイン(突然現れた、浅黒い肌でセクシーな野性味溢れるマッチョマンが、なんの取り柄もないサエない女を攫って奪うって奴)の様で嫌になる。  
ただし、ハーレクインのヒーローにするにはヒューゴはくたびれ過ぎているし、普段のあたしは必要なら自分から動く方だけれど。  
カーテンが引かれた薄暗い部屋で、相手の服を脱がし合う。  
何も身に付けない姿で、何も隠さずに向かい合った。  
確かめる様に互いの肌に触れる。  
ヒューゴの体は無駄が無く、なめし革の様になめらかだが、様々な場所に傷がある。  
あたしが全身を指で確かめている間、ヒューゴもあたしの体中をなぞった。  
肌に触れる指先から炎の様に疼きが広がり、体中が熱く蕩けていく。  
たまらなくなって、あたしは自分から唇を寄せた。  
うなじに手を回し、魂を分け合う様に貪るキスの嵐。  
あたしがヒューゴの髪の毛をまさぐれば、ヒューゴはあたしの肩から背中や尻をなぞる。  
互いの気持ち良い所を、髪の毛一筋も余さず知ろうと手で探り合う。  
あたしの胸の先がヒューゴの胸板を突ついて、そのたびにプルリと震えた。  
ゆっくりとベッドに押し倒し、ヒューゴは自分の胸を挑発したあたしの尖りに、罰と言わんばかりに軽く噛み付く。  
「んっ!…あ、あぁっ!…くぅっ!…」  
舌先で先端を跳ね上げ、色の境目をなぞり、吸い上げながら転がす。  
もう片方は手で揉み、指先で弄くられ、量感を楽しむ様に持ち上げ捏ねる。  
指先が胸から脇腹に降りてきてろっ骨を確かめる様になぞり、みぞおちに滑り込み臍を撫ぜた。  
 
そんな場所を攻められるのは初めてで、体が大きく跳ねる。  
声を押し殺して、初めての感覚にあたしは耐えた。  
「…ヴィクトリア…お前、初めてなのか?」  
「まさか。…ただ…んくっ!…こんなに、丁寧にされるのは…あ…ぁっ!…初めて、よ」  
そう言ったとたん、ヒューゴの指先が今までよりもっと繊細になった。  
 
今まで、あたしの少ない男性経験で、始める前にここまでされた事はない。  
 
「……セックスでイった事は…?」  
「あっ!ん、あぅ!…な…ないっ、わ…ヤぁっ!」  
ヒューゴがあたしの臍を軽く舐めた。  
その間も両手が胸をなぞり、先端を指の間で引っ張ったり捏ねたりする。  
「嬉しいねぇ。…じゃあ、今日俺が、初めて感じさせてやるよ…」  
そのまま舌先でみぞおちをなぞりながら、あたしの膝を大きく割り開いた。  
空気に触れたあたしの秘裂から蜜が滴り、左右に糸を引いてから垂れ落ちるのが判る。  
「綺麗な色だ。…こんなに濡らして…感じやすいんだな」  
膝から内腿に向かって、キスが降りてくる。  
早く欲しくて、あたしの腰がいやらしくうねった。  
待ちに待った場所にヒューゴの舌が触れた瞬間、あたしの体に電流が走る。  
零れる蜜を吸い上げ、クリトリスを剥いて軽くしゃぶられる。  
と同時に、あたしの膣内に中指が潜って掻き回し始めた。  
探られた場所を通じて子宮の奥が熱く燃え、体の隅々までしびれが広がる。  
「ああぁっ!!…あ、あ、あぁ!…イイっ!…ね…お願い、あたしにも…あうっ!…あたしにも、あなたを、ちょうだい…っ!」  
快感に耐えながらねだると、ヒューゴの肉棒が口元に差し出された。  
あたしは夢中になって、愉悦を与えてくれる人の分身に唇を寄せる。  
赤黒い大きな凶器が目の前で脈打っていた。  
太さも長さも、今まで経験した事のないサイズだ。  
先端にキスをして舌で鈴口を舐める。透明で少ししょっぱい先走りが出た。  
アイスキャンディーを舐める様に全体に万遍なく舌を這わせ、舌で舐めていない部分は手で柔らかく擦る。  
唾液で滑りを良くしてから、あたしはヒューゴの茎を銜え込んだ。  
「…気持ち良いぜ…こっちも、もっと気持ち良くさせてやるからな…」  
そう言って、ヒューゴは指をもう一本増やしてあたしの中を蹂躙し、舌と歯で尖り切ったクリトリスを嬲りはじめる。  
奥から入口までうねうねと動く指が、容赦なくあたしの気持ち良い場所をさらけ出し、高みに追い立てていく。  
「んんッ!…んー、んぅっ、むーー!」  
とうとう耐えきれなくなって、あたしは銜えていた肉棒を口から離した。  
じゅっ、じゅっ、と自分の体から淫らな水が噴き出し、シーツに跳ね飛ぶ。  
「あ、あっ、あんっ!…ダメ…も、だめぇっ!」  
その言葉と共に、指が奥底でうねり、クリトリスを軽く歯で引っぱられた。  
物凄い快楽にたたき落とされ、あたしは声を上げて天国に昇った。  
 
 
「…満足したか?」  
痙攣が収まったあたしの髪を優しく撫で、ヒューゴは頬にキスしながら囁く。  
荒い息を吐きながら、沸き上がる熱で耐えきれない程体の奥が疼いた。  
「満足、したけど…満足、してないわ。…これが…欲しいの」  
そう言いながら、あたしは指先でヒューゴの陰茎をまさぐった。  
「ああ。俺ももう我慢出来ない…行くぜ」  
 
ヒューゴの肉茎があたしの入口にあてがわれ、そのまま幹に蜜を擦り付ける。  
期待に満ちた肉の壁に、張り詰めた凶器が潜り込んだ。  
最初の笠を受け入れるだけで、膣口がはち切れそうに広がる。  
あたしはその衝撃に、息を短く吐きながら力を抜いて耐えた。  
慣れた調子で、ヒューゴは少しづつ馴染ませながら自身を沈めて来る。  
膣内が肉棒をけなげに受け入れ、限界まで押し広げられた。  
「…ぐぅっ!…うぅ……あ…ま、まだ?」  
「もう少しだ…辛抱してくれ…」  
奥の子宮口を押しつぶす様に突き当たり、ようやく全てが収まる。  
今まで誰も来た事のない最奥まで踏み荒らされ、内臓まで押し上げられた様な感覚に、あたしは低く呻いた。  
「ヴィクトリア…キツくて気持ち良いな、お前は」  
小さく奥を突つきながら、ヒューゴは嬉しそうに言った。  
最初の辛さが薄れ、限界まで押し広げられた内側が軋んで、せつなさが広がる。  
「……もう良いか?…動くぞ」  
様子を見ながら確認する言葉に、声も無くただ頷いた。  
 
最初は静かに、内側をなぞる様に擦り上げながら、最奥から入口近くまで往復する。  
トロリとした蜜が押し出され、お尻の方まで垂れて来てシーツを濡らす。  
奥に押し込まれるだけで内壁の全てに刺激を与えられ、引き出される時には襞の全てを裏返しにされる様な感触に体中が震える。  
少し動かれるだけで、今まで経験した事のない悦楽にあたしの体中に火花が散った。  
体が少しづつ馴染んで蠢く。それと共に、ヒューゴの突き上げも激しくなって来た。  
先程から、何度も小さく昇り詰めている。  
喜悦の波に攫われそうになりながら、あたしは必死でヒューゴにしがみついた。  
「すげえ…熱くて…絡み付いて来るぜ…」  
「あぁぁぁ!…ダメぇ!…激し過ぎるぅ……ひぃっ!…んぐぅっ!…あ、あぁ!」  
もうすでにヒューゴもあたしも汗に塗れ、体の全ての液体が混ざって溶け合う。  
「ん、あ、あ、あぁぁぁぁっっ!!!」  
子宮口を抉る様な深い突き上げに、とうとうあたしは先に達してしまった。  
あたしがイク時の収縮に合わせる様に、奥の奥まで押し込んだまま彼もあたしの中に白濁液を注ぎ込んだ。  
 
 
シャワーを浴びてすっきりし、バスタオル姿でベッドに寝転ぶ。  
知り合って三日でこんな関係になるなんて、自分でも信じられなかった。  
まるで磁石のSとNが引き合う様に、こんなに強くお互いに惹かれる事があるなんて。  
 
これからどうしよう。  
本当にプロポーズを受けるつもりなのか、自分自身でも判らなかった。  
 
少し禿げた指先のマニキュアを眺めながら、あたしはぼんやり考えた。  
あたしと入れ代わりにシャワー室に入ったヒューゴが出て来て、傍に腰を下ろす。  
うつ伏せていたあたしの背中にキスを落とした。  
髪の毛を拭ききれなかったのか、毛先から水滴が背中に落ちた。  
 
子供みたい。  
 
あたしは笑って、自分に巻き付けていたタオルでヒューゴの髪を擦った。  
そのまま膝に抱き上げられ、後ろから首筋に顔を埋めてくる。  
「もうお前無しではいられない…」  
「…いられるわ」  
「だが、いたくない」  
首筋で駄々を捏ねる様に嫌々をする彼に対して、愛おしさが込み上げて来た。  
「……莫迦ね…」  
 
どうしよう。  
ほんの少ししかこの人の事を知らないのに、もうこんなに離れたくない。  
 
こんなに誰かに惹かれたのは、生まれて初めてだった。  
だからといって、このままぬくぬくとこの人の腕に収まるのは嫌だ。  
何もかも甘えて当然、そんな女にはなりたくない。  
「お願いがあるの」  
「なんだ?」  
「…あのトラックは、返して来てちょうだい」  
あたしの言葉に、ヒューゴの腕が体に固く巻き付いて来た。  
「……駄目、なのか?…」  
呻くような低い声に、あたしは宥めるように軽く腕を叩いた。  
「…あのね…。トラックは自分の力で手に入れたいの。そうじゃなかったら、あたしはあんたの申し込みを受けられないわ」  
腕の力が緩んだのであたしはヒューゴに体を向け、その頬を両手で包み込んで鼻の頭同士を擦り合わせた。  
「莫迦ね。…あたしの気持ちだってあんたと同じだから、あたしは今ここにいるのよ…」  
あたし達はまた、そのまま白いシーツの海に沈み込んだ。  
 
 
あたしがヴィクトリア・テレプシコレーになって二年が過ぎた。  
その間、色んな発見があった。  
ヒューゴ・ヴォルフ・テレプシコレーが、生きた伝説と呼ばれる凄腕のカウボーイである事。  
賞金首からは、『狼』と呼ばれて恐れられている事。  
様々な情報を拾い上げる鼻と、危険に対する勘がとても鋭い事。  
なのに私生活はだらしなくて、放っておくと部屋がブタ小屋になる事。  
ヘビースモーカーで、ヘビードランカーで、ヘビーメタルが好きな事。  
時々、悪い冗談を言う事。  
あたしの前でだけ子供に戻る事。  
あたしと知り合う前は、特定の女がいなくて遊び回っていた事。  
猫が好きで、飼う時は毎回『ゼロス』と名付ける事。  
…あたしの眼に強く惹かれた事。  
 
ほんの一ヶ月前、あたしは念願のトラックを手に入れ、スペース・トラッカーの仲間入りを果たした。  
初めての一週間かかる長距離運転を終え、部屋に帰って来てあたしは驚いた。  
 
…すごい。  
 
シンクに皿がうずたかく溜まっている。  
床の所々に脱ぎっぱなしの衣類や食べ散らかしたゴミが落ちている。  
ダイニングテーブルには、泥が付いたままのブーツが乗っかっている。  
トイレは開けっ放しで、フタも上げっぱなし。  
あたしが入って来たとたん、ゼロスが自分の窮状を訴える様に足元に絡み付いた。  
台所の隅を見ると、餌皿にこんもり盛られたドライフードは据えた臭いを放っている。  
もちろん猫トイレは未処理で汚いままだ。  
新しくあたし達の仲間入りをしたチビのゼロスは、仕方なく部屋の他の場所で用を足したらしく、そこここに耐えきれない糞尿の臭いが漂う。  
急いで部屋を片付け、元の状態に戻すのに3時間以上費やした。  
さてようやく眠れるとベッドルームに入ると、てっきりいないと思っていた部屋の主が酒瓶を抱えたまま眠っていた。  
「…ヒュー?ねえ、生きてるの?」  
うんざりと呆れ果てたを声色に乗せて、あたしはヒューを揺り動かした。  
「……ヴィッキーがいないから、俺は生きちゃいなかったぞ…」  
子供の様にすねた声に、あたしは吹き出した。  
 
「いやあね。もうあたし達、一緒になって二年なのよ?少しぐらい我慢しなさい」  
「嫌だ…お前がいなきゃ」  
むっつりとヒューが頭を起こした。  
頬には無精髭が張り付き、元の顎髭の形が判らなくなっている。  
いつも綺麗に手入れしているのが嘘みたいだ。  
 
これであたしより10以上も年上なんて、信じられない。  
いや、それよりも、これで普段は伝説の賞金稼ぎなのが信じられない。  
 
「莫迦ね…もしもあたしが別れたいって言ったらどうするの?」  
「そん時ぁ、俺が死ぬ時だ…」  
あたしに抱きつき、胸に顔を埋めながらヒューは言った。  
そのまま服を剥がして始めようとする。  
「ちょっと!…あたしまだ、シャワー浴びてないの…」  
「俺はずっとヴィッキーが足りなかったんだ…もうちっとだって待てねえ…」  
心の中でやれやれとため息をつきながら、あたしはヒューの好きに任せた。  
 
 
その電話がかかって来たのは、徹夜仕事を終え家に辿り着き、ようやくベッドに沈み込んで30分もたたない時だった。  
「俺と別れてくれ…」  
突然のその言葉に、あたしは当然不機嫌になった。  
疲れ切った体を安息の地から引き剥がして電話に出たのに、いきなり悪い冗談なんて。  
「いきなり何言ってるの?ひょっとして酔ってる?」  
そういう人だと判ってるはずなのに、口調に棘が混じるのを止められない。  
「お願いだ…別れてくれ」  
 
…ったく、本当に別れてやろうかしら。  
出来やしないけど。  
 
「…嫌よ。ちゃんとあたしと別れたくなった理由を教えて。第一、こんな大切な事を電話で済ませようなんてどうかしてる」  
「…っ!う……俺の事、は、もう忘れろ…」  
何か堪えている様な声。息遣いが荒い。  
あたしの心が警鐘を鳴らした。おかしい。  
急いで頭の中で、ヒューの昨日の言葉を思い返す。  
今日は確か、『ようやく狙ってた賞金首を捕まえられる』と言ってたはず。  
「…どうしたの?ヒュー…何かあったの?」  
「…ヴィッキー…お前は、良い、女だ…だから、別れて、くれ…」  
声が途切れがちになっている。嫌な予感がよぎる。  
「ねえ、何か様子が変よ。どうしたの?大丈夫?」  
「…あぁ……別れて…くれ…」  
ごぼ、と何かを吐き出す様な音が漏れた。  
その頃には、あたしの中の嫌な予感は膨れ上がって破裂しそうになって。  
「どうしたの?大丈夫?今どこ?教えて…ねぇ、教えてよっ!」  
あたしは焦りを押さえながら問い質す。今ならまだ間に合うかもしれない。  
「…お前が……きらい、に…なった…んだ。だ、から……別れて…くれ…」  
「嘘つき!早く居場所を教えて!!手後れにならない内にさ!!」  
もうあたしの声は絶叫に近くなっていた。  
 
お願い。  
お願い。  
お願いだから、そばに行かせて。あなたの顔を見たい。  
そしたらいつものように、冗談だよ、と笑ってくれるでしょう?  
 
「………もう…わ、すれ…ろ……」  
「お願いよヒュー!!言って!!別れるから、今いる所を教えてちょうだい!!!」  
 
あなたが望むなら笑って別れるから。  
あなたが生きてさえいてくれれば、それだけでいいから。  
 
「…あぁ……き、れい、だ…な……ぁ…………」  
 
それっきり。  
あたしがいくら叫んでも、返事は返ってこなかった。  
叫んで、叫んで、叫び続けて…。  
あたしの喉は潰れ、高かった声はハスキーヴォイスになった。  
 
 
私はヴィクトリア・テレプシコレー。  
スペース・トラッカー。  
愛猫の名はゼロス。  
好きな音楽はヘヴィメタル。  
金髪、碧眼、焼けた肌が特徴。  
もう誰にも心を奪われない。  
莫迦で、クズで、嘘つきで、ずうずうしい賞金稼ぎは…嫌いだ。  
 
<END>  

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