―――唄が聞こえる。
唄い手としての技量はさほどでも無い。だが、甘く緩く流れる唄声。
フェイの意識が浅い眠りから浮上する。ボンヤリとした視界の中に、細い背中が揺れるのが見えた。
エドの唄だ。ベッドに座り、自らの唄に合わせてゆっくり、浅黒い背中を左右に揺らしている。
丸は目玉 丸は綺麗 狂い葡萄の 甘い味
三角は時間 三角は早い 魚の尻尾の 震え方
何処かで聞いた事があるような気がした。三角の次は四角だ。四角は確か―――。
「しーかくーは……フェイおきたー?」
エドは機敏に振り向いた。シーツを掻き寄せ、剥き出しの胸を隠す。
「おはよーございまーす」
「……おはよ」
唄の続きは唄ってくれないらしい。エドはそのまま床に落ちた服を拾い、身に付け始めた。
恥ずかしいなら、あたしが起きる前に着ておけばいいのに。フェイはそう思う。
フェイがエドに情事を重ねるようになってからそれなりの月日が流れた。主にフェイが一方的に
エドの肢体を翻弄する日々であり、エドも相応に慣れを見せ始めていた。
しかし最近、エドの胸が僅かにふくらみ始めるにつれ、エドもようやく恥じらいというものを自覚
するようになった。もっとも、フェイと身体を重ねる時に限った事ではあったが。
フェイにとっては好ましい事である。恥ずかしがる相手に、その恥ずかしい事を強要するのは
何よりの愉悦だ。それに羞恥心が快感を強めるという事もある。
昨晩など、仕舞いには羞恥の余り涙をこぼして嫌がるエドを、無理やりに。
「ねえ、ゆうべの事なんだけど…」
さすがにフォローが必要かと思い、フェイはなるべく優しく微笑んだ。
「さすがにちょっと、あたしもやりすぎたっていうか―――」
「へーんたーい」
「なっ!? なんであたしがヘンタイなのよ!」
「えろえろフェイフェーイ!」
エドは心底楽しそうに、軟体動物のように身体をくねらせている。変態と言われればその通りなの
かも知れないが、フェイもここで言い負かされてはいられない。
「ふーん。あ、そう。そういう事言うワケ。あーんなトコ舐められて気持ちよくなっちゃう方が
よっぽど変態だと思うんですけどー?」
「―――う」
エドの動きが止まる。その手が自分の小さなお尻を押さえている。
「あー、ヤダヤダ。もう立派なヘンタイだわ。お尻の穴舐められてイッ―――」
「いうのダメーッ!」
エドが突進し、フェイの口を両手で塞ぐ。そのままフェイを押し倒す形でベッドに縺れ込んだ。
「……ひどーい…」
上目遣いにフェイを睨み、消えそうな声で呟くエド。顔はトマトのように真っ赤だ。
「ハイハイ、無理やりヤッちゃったあたしが悪いのよ」
エドの背中に手を回し、あやすように優しく叩きながらも、フェイはゾクゾクと背筋を駆け巡る
快感に身を震わせた。この子のこんな表情、自分以外誰も知らないだろう。
見つめる。抱きしめる。接吻をする。
指で、舌で、確かめる。小さな身体の隅々まで。
ありとあらゆる、奥の奥。
どんな顔をするのか。どんな声で鳴くのか。
涙の、唾液の、愛液の。尽きる事無き、その味を。
エド自身ですら知らないすべてを、フェイは知っている。
寝ているか寝ぼけているか、でなければ謎の呪文に謎の踊りでキーボードを叩いているかが、
エドの普段の姿だ。それからは想像すら及ばない痴態の数々をフェイは手に入れた。
しかし。まだ足りない。まだ全てを味わってはいない。
フェイはサイドボードの時計を見た。まだまだ時間はある。
ごろり、と身体を返して上下を逆転する。エドを下に押さえつける形になった。
「…するのー?」
見上げるエドの目に不安や異議は無い。単なる確認だ。フェイがその気になれば即、始まる。
それが二人のルールだ。しかし昨晩の事もあり、エドの表情には戸惑いが浮いて見える。
「そうよ。嫌なら今言ってね。途中でやめてって言われても、やめないわよ?」
「………」
「…嫌?」
ブンブン、と首を振るエド。フェイの加虐心に火が灯る。
「どっちよ。いいの?」
コクンと頷く。
「じゃ、着たばっかだけど…」
フェイはスパッツに手をかけた。エドが軽く腰を浮かす。
まんぐりがえし。フェイはこの呼称が大嫌いだ。女を嘲笑する男特有のセンスだと感じる。
しかし相手に必要以上の恥辱を与えるこの体勢を考え出した事には、素直に喝采を贈りたい。
「ま、恨むんなら自分の体の柔らかさを恨みなさい?」
晒け出されたエドの秘部に唇を埋める。押し殺した声で喘ぐエド。顔を背けようとするが、フェイ
がそれを許さない。
「ダメよ。ちゃんとコッチ見てて」
エドの視線がフェイと合わさる。その目を見つめながら、フェイは舌を未発達なクレパスの中で
蠢かした。顔の両側でエドの内腿が硬直するのが解る。
日頃自分ですら触らないような部位を、他人の舌が思うさま舐め回す。そんな光景が己の目で
はっきりと見えるというのは、一体どれ程の羞恥なのだろう。エドの胸中を思うと、フェイは己の
胸をも焦がさずにはいられない。
「………ぅ…ぁ…っ!」
エドはいつも喘ぎ声を極力押し殺す。単に恥ずかしいからなのか、それとも他に理由があるのか、
フェイは尋ねた事は無い。ただ、普段であれば絶対に聞けないその声をもっと聞きたいと思う。
舌を下方へと這わす。エドの微かな喘ぎに抗議の響きが混じるが、初めてそこに舌が触れた時程の
抵抗は無い。
きつく窄められた肉穴は舌の進入を堅く拒んでいた。当然だ。人に舐められて良い箇所ではない。
「…エド、お尻の力抜いて?」
「………」
「……ね?」
「………」
「あ、そーなの。言う事きいてくれないのね」
両の親指で左右に割り広げ、強引に舌をこじ入れる。
「ぅあ!」
大きく顎を仰け反らせるエド。更に奥へと、フェイの舌がエドの内部へ埋没してゆく。
フェイの指が包皮に深く隠された小さな肉芽を探り出した。エド自らの愛液をたっぷりとまぶし、
ぬめった指先で優しく挟み込む。
苦痛に似て非なる刺激に、歯を喰いしばって耐えるエド。フェイの目の前、ほんの僅かに開いた
膣口が不規則にヒクつく。深く潜り込んだフェイの舌先が、己の中で執拗に蠢くのをはっきりと
感じ取っているのだろう。
フェイは空いた片手でエドの腹をグイと強く押した。詰めていた息が吐き出され、口が大きく
開かれる。再び喰いしばる余力は、もう無い。
渾身の力で噛み殺していた喘ぎ声が、奔流となって響き始める。
フェイの望むままに。
エドの指がキーボードの上を舞い踊る。傍らに立つジェットを見上げながらも、その動きに停滞は
無い。嬌声を上げつつ身体をくねらせる様を見る限り、今のハッキングの対象は大いに知的興奮を
もたらす相手のようだ。
フェイは少し距離をおいてその光景を眺めていた。数時間前までの、フェイの下で身体を折り、
襲い来る快楽の波に咽び泣いていたエドは一体何処へ行ってしまったのか。
―――唄だ。
フェイは唐突に思い出した。耳の奥に残響するエドの喘ぎ声に喚起され、今朝聞いたエドの唄が
脳裏に浮かび上がってきたのだ。
エドの普段の話し声は、どちらかと言えばあまり女の子らしくはない。思春期の、未だ声変わりを
迎えない少年のそれだ。謡うように、惚けるように間延びする独特の口調で喋るエドを、一見して
少女であると見破る者は少ないだろう。フェイ自身、出会った時は少年だと思った。
しかしエドは時折、唄を口にする事がある。その甘く緩やかな唄声はフェイの胸の内に、失われて
しまった郷愁を呼び起こす。覚えてもいない筈の、あの頃の事を。
今朝の唄は特に、フェイの心を揺さぶった。忘れてしまったものの中に、あの唄は息づいていたの
かも知れない。
今度、エドが唄ったら…良く聞いて覚えておこう。遠い目でエドを眺めながら、そう思った。
フェイには一つ、確信にも似た予感がある。
この生活は、そう長くは続かない。もうすぐ終わりを迎えるだろう。
スパイク。ジェット。エド。
誰も同じ世界には生きていない。
去る者と、残る者と。おそらく自分は取り残される側だ。その時、誰か傍にいるだろうか。
エドは―――きっと去って行ってしまう。何も告げず、突然に。そんな気がする。
その時エドは、自分に何かを残してくれるだろうか? それともただの「過去」になるのか。
だとしたら。
フェイはたまらず顔を伏せた。だとしたら、フェイにとってエドは存在しないのと変わり無い。
過去というものは、フェイにとっては「無いもの」なのだ。
呼ばれたような気がして、フェイは顔を上げた。振り向いたエドと視線が合う。
エドが、笑った。
フェイは。
騒がしいリビングを後にして、フェイは格納庫へと向かった。逃れるように。
何故逃げたのか。何から逃げたのか。失われるものへの恐れか。
何を格好つけた事を。フェイは自嘲の笑みを浮かべ、レッドテイルで船を飛び出した。
再び戻って来られるかは……フェイ自身にも解らなかった。
「隣り、いいかな?」
不意に声をかけられ、フェイは顔を上げた。グラスを片手に、見知らぬ男が微笑んでいる。
フェイがバーなどで酒を味わっていると、必ず湧き出す類の輩だ。
「…何かご用かしら?」
「君のようなレディが独りで寂しそうにしてる、その理由を聞き―――」
「安過ぎ」
視線を外しざま、男の語りを一蹴する。見た目は及第点を与えてやってもいいが、いかにも
優男然とした振る舞いが気に入らない。第一、ナンパなど相手にする気分では無かった。
訳の解らぬ衝動に任せてビバップ号を飛び出したはフェイは、そのまま港街へと直行した。
気晴らしになれば何でも良い。一度だけジェットからの通信が入ったが、明日には戻るとだけ
応じて通信を切った。その後、馬を眺めたりカジノに潜り込んだりしている内に手持ちの金は底を
尽き、僅かに残った金でこうして安酒を啜っている。
一言二言の応酬の後、男は肩を竦めて離れて行った。フェイはその引き際だけは評価した。そこで
しつこく食い下がるようでは話にならない。
それからも幾人かに声をかけられた。そんなに男を欲しがっているように見えるとでも言うのか。
フェイの気分は次第にささくれ立っていく。
そうだ。自分はこんなにもイイ女なのだ。引く手数多だ。エドにはその辺りが解っていない。もし
エドが勝手に離れていくようであれば、その時は―――。
「…ああ〜っ! もうナンなのよぉっ!?」
頭を掻き毟ってカウンターに突っ伏す。今まさに声をかけようとした男が、片手を上げた体勢の
まま後ずさって行ったのは視界に入らなかった。
気に入らない。かつて無い程、自分の頭の中身が気に入らない。
自分一人で勝手に思い悩み、結果導き出された妄念にも似た推論が己の望むもので無かったからと
言っては、今ここにいない何者かを責める。
「…恋する乙女ってヤツね……」
嘲りも露わに呟き、空になったグラスを見つめる。
要するに、気を惹きたいのだ。置いて行かないで。そう言いたいのだろう。突然飛び出して濁々と
時間を潰しているのも、結局のところポーズに過ぎない。如何にも悩んでるような素振りでいれば
彼の人は心配する。胸を痛めて帰りを待ち侘びる事だろう。
とても甘美な空想だ。自らを慰めるには充分な。
くだらない。
フェイは席を立った。足がふらつく。たった一杯の酒でこんなにも酔う自分では無かった筈だが。
帰ろう。ここでこんな事をしているくらいなら、直接泣き付きでもした方が遥かに前向きだ。
いずれ破綻の時は来るだろう。怯えて。震えて。その日を待つ。
それ以外に出来る事は、多分―――無い。
ビバップ号に戻る頃には夜も更けていた。シャワーを浴びて眠りたいところではあったが、一応
ブリッジに顔を出した。こんな深夜の着艦コールで叩き起こしてしまったのだ、ジェットの小言を
聞きぐらいの事はしなくてはならないだろう。
「まったく、何処をほっつき歩いてやがった?」
忌々しげに禿頭を撫でるジェット。やはり寝ていたのだろう、その目には眠気が残っていた。
「まあ俺は別にお前なんぞ仲間だとは思っちゃいないし、何ならいつでもこの船を降りてくれて
構わねぇんだがな、ここを拠点にしてる以上は必要最低限の連携ってものを―――」
特に頭に来ている風でも無い。一応言っておく、という程度のようだ。
この男の優しさを、フェイは知っている。真摯に問いかければ、どうであれ真剣に応じてくれる。
ジェットなら如何なる答えを出すのか。フェイは知りたくなった。
「ねえ。ちょっと訊いていい? 例えばさ…」
恋人がいて。身も心も寄せ合う仲で。
愛していて。いつまでも一緒にいたくて。
離れたくない。失くしたくない。
それでも近く終わってしまう関係だとしたら。
取り残されてしまうとしたら。
「…何かと思えば、男の悩みかよ?」
「例えば、よ。あくまでも仮定の話」
「状況設定がよく解らねぇな…」
それでもジェットは腕を組み、深く溜め息をついた。真剣に考えている。やがて顔を上げ、一つの
答えとして例え話を返した。「アワビの片想い」という話だ。
アワビは自分を、‘半分しか無い’と思い込んでる。殻が一枚しか無いのはそのせいだ、てな。
半分裸じゃ寒いってんで、夜な夜な動き回っちゃあ他のアワビとくっつくんだ。こう、身と身を
合わせて一つの貝になる。
だが、どんなに身を寄せ合っても隙間が出来ちまう。で、その隙間が悲しくて、結局アワビは
離れちまうんだ。もっとピッタリ合わさって、隙間の出来ない相手が他にいる筈だってな。
でもな、アワビってのは一枚貝なんだよ。全く同じ形の貝なんてのは何処にもいやしない。
誰とくっついたって隙間は出来るんだ。必ずな。だがアワビはそんな事は知らない。
いる筈も無い理想の相手を求めて、今日もアワビは片想い―――ってワケだ。
語り終えたジェットがニヤリと笑うのを、フェイは視界の端に捉えた。
「その例え話の女に会ったら伝えてくれ。隙間を儚んでねぇで、埋める努力をしろってな」
フェイは独り、通路を歩く。先程のジェットの話が未だ耳に残っていた。
あの話自体は正しいと思う。何事も妥協が必要。己の望みばかりを恋人に押し付け、それが
満たされぬからといって恋人そのものを失う愚を犯すな。ジェットはそう言ったのだろう。
しかし今の自分が置かれている状況は、そんな聞こえの良い訓話で打開できるものでは無いのだ。
これだから恋は嫌いだ。
人を想う程に、己の心は弱くなる。
部屋に着いた。螺旋状に降下していく思考を振り切る。沈んでいる様子をエドに見せるのは嫌だ。
顔の筋肉を指でほぐし、努めて平静な表情を作る。
エドはまだ眠っていた。
起こさないように、とフェイはそっとベッドに入ったが、それでもエドは薄く目を開けた。
「………」
「あ、ゴメン。起こしちゃった?」
「……あさー?」
「まだ夜中よ。あたしもこれから寝るところだし」
「…ん〜……ずっと…どこいってたのー…?」
エドが擦り寄る。半分眠っているようだが、フェイを追い詰めるように全身を押し付けて来た。
「…いいから寝なさい? 起きたら昨日の分までイッパイ弄めてあげるから…」
軽く抱き寄せた。エドはまだ口の中でもにょもにょと呟いていたが、すぐに寝息を立て始めた。
フェイの胸に、形容し難い喜び湧いた。
エドは「ずっと」と言った。昨日の昼前に飛び出し今日の未明に戻ったのだから、正確には一日と
経っていない。それだけの時間を「ずっと」と言う事は、エドは自分を待っていてくれたのだ。
危うく、涙がこぼれそうになる。フェイはようやく迷いが晴れたような気がした。
もういい。
何も悩む事など無かった。
エドと一緒にいよう。いつ訪れるとも解らない、終わりの時に怯えながら。
少しでも長く、同じ時間、同じ場所で過ごす日々を重ねよう。
フェイはエドをしっかりと抱きかかえ、目を閉じた。
エドは今、ここにいる。自分の腕の中にいるのだ。
ならば愛するだけだ。それが自分の想いを、ただ一方的にぶつける事になったとしても構わない。
この小さな身体の隅々にまで、この愛を、この情欲を刻み込んでやる。
古傷のような刻印であればいい。そうすればエドは。
やがて雨が降るたび、痛みと共に思い出してくれるかも知れない。
かつて、狂おしいまでに自分を愛した女―――フェイ・バレンタインを。
―――違和感を感じて、薄く目を開けた。
フェイの目に最初に見えたのは時計の時刻だった。眠りについてから3時間程が経っていた。
隣りにエドがいない。ふと見ると、床に座り込んで何やらシャツを畳んでいるようだ。
フェイが寝巻き代わりに着ていた、男物の白いシャツ。
依然ハッキリしない頭で眺めていると、エドは次に何か小さなものをヒラヒラと弄び始めた。
下着だ。寝る前にシャワーを浴びて、今日はこれにしよう、と選んだものだ。
空中に放り投げ、ふわりと落ちてきたそれを、パクリと口でキャッチするエド。
脱いだ覚えの無い、シャツとお気に入りの下着。
一気に目が覚めた。―――裸だ。
ようやくフェイは、自分が全裸にである事に気付いた。起き上がるより早く、エドがフェイの腰の
上に馬乗りになった。
「フェイおきたー?」
「……何これ…何してんの?」
フェイは当惑して訊いた。寝てる間に脱がすなんて、自分だってした事は無い。
エドはフェイの両肩を掴んで、真上から覗き込んだ。フェイの肩にエドの重みがかかる。
瞳が潤んでいる。頬はこれ以上無い程に上気して、顔にかかる吐息が熱い。
「フェイがおきるのまってたよー」
焦っているような、喜んでいるような、エドの表情。それがフェイの見上げる真上にある。
初めて見る表情だ。
「エド、どうし―――」
フェイの唇が動いた瞬間、エドの唇に塞がれた。長い舌がフェイの口腔に乱入して来る。
腕はフェイの頭をきつく抱き、両脚はフェイの腰をガッチリと挟み込んでいる。どうあっても
逃がすまい、という構えだ。
長い長い接吻の後、ようやく唇が引き離された。詰めていた息を荒げながら、エドが再び顔を
近づける。
「フェイー? エドもフェイに、してもいーいー?」
エドの目が爛々と輝く。フェイはようやく、エドが興奮の極致にある事に気付いた。
「な…何で、急に…?」
「ダメー?」
「ダメじゃ、ないけど…」
「……! いーのー!?」
グン、と上体を起こし、天井を仰ぐエド。「うきゃぁ」とも「むきゅぅ」ともつかない奇声を
張り上げている。ハッキングの際に時折上げる事のある、エド最大限の喜びの表現だった。
まるで狩猟獣の叫びだ。フェイが微かに身の危険を感じる程に。
頬に舌を這わせる。鼻を咥え込む。耳に舌をねじ込む。瞼を舌で撫でる。髪の毛を咀嚼する――。
口腔のみならず、フェイの顔すべてを犯すエドのキス。このままゆっくりと食べられてしまう、
フェイはそう錯覚した程だ。
あまりの偏執的なキスに陶然としているフェイの両脚に、エドの手が掛かる。
「フェイの、みたーい!」
「う…」
フェイは自分でも意外な程の葛藤を感じた。
エドがこうして迫って来る事は度々あった。ただいつもは接吻だけに終始したので、エドから
求めるのは接吻どまり、とばかり思っていた。一体今日はどうしたのだろう。
恥ずかしい。責め専門だとばかり思っていたこの関係から、まさかこんな逆襲を受けようとは。
大体、自分はつい寝る前までは深刻に苦悩していた筈なのだ。気持ちの切り替わりようが無い。
「みせてー?」
「は、恥ずかしいからヤダ…って言ったら、やめてくれる?」
フェイは祈りにも似た心持ちでエドを見た。が、エドが見せた何とも形容しがたい笑顔に、祈りは
絶望に取って代わる。
―――ああ、自分もあんな顔をして笑っていたに違い無いのだ!
「エドがヤダっていってもー、フェイやめてくれなかったよー?」
そうだったかも知れない。
「それにそれにー、ハズカシイほうがきもちイイっていってたー!」
言ったかも知れない。
「…アンタのと違って、あんましキレイなもんじゃないけど…」
自分に断る資格は無いだろう。フェイは脚を開いた。その脚の間から、エドの嬌声が聞こえてくる。
柔肉が、エドの指で押し広げられた。とろり、と透明な雫が垂れるのを見て、エドが溜息のような
声を小さく上げた。吐息の熱さを感じる。エドの唇が、近い。
「…噛んだりしたら怒るわよ」
「かまにゃーい」
ぴちゃぴちゃと、猫が水を舐めるような音が微かに響く。
エドの舌は異様に長い。舌を伸ばして自身の鼻の頭を舐めるのを、フェイは何度か見た事がある。
その舌が、フェイの花弁に埋もれて無遠慮に踊っている。指の長さ程では無いにしても、思わぬ
深さにまでぬめぬめと進入してくる軟体生物のような感触に、フェイはただ背を反らすしか無い。
「…ン……くぅっ…!」
顔全体を押し付けるようにして、更に奥へと舌を差し入れるエド。
「え、エド、待っ……待って…」
ずるり、と舌を引き抜いて、エドがフェイを見上げる。頬に、鼻筋に、幾条もの糸がひく。
フェイが何も言えずにいると、エドは再度、充血した秘肉に顔を埋めた。
「あっ……ぁああ…っエドぉ、だ…ダメッ! ダメッ! ぅあっ、あっぁあ!」
びくびくと、断続的に痙攣が走る。一際大きく声を上げ、フェイの肢体が絶頂に翻弄された。
数瞬、大きく仰け反っていた身体が脱力する。荒く呼吸を繰り返すだけで、動かなくなる。
その光景にエドは驚いたように目を見開いていたが、フェイの身体に何が起こったかを理解し、
目を細めて笑った。
半ば意識の無いフェイの、無意識に閉じられかけた脚を大きく開かせ、エドは再び舌を伸ばす。
もう一度、始めから。
何度でも。
―――唄が聞こえる。強烈な既視感。
フェイの意識はゆるゆると覚醒した。エドの揺れる背中が見える。
結局、何度果てたかは覚えていない。後で報復するつもりで三度目までは数えていたが、そんな
理性が掻き消えるまで、消えてなお、エドはフェイを責め続けた。
事の後。気絶するように眠りに落ちる自分に、言葉少なにエドが語った事を思い出す。
フェイはエドと違うところにいる。
エドの事を怖がっているのは、そのせい。
だからエドがフェイと同じになればいいと思った。
でも途中でわけが解らなくなっちゃった、とエドは笑った。
理屈の筋は良く解らない。しかしエドがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
いつかは失う。フェイの感じたその離間を、エドは見抜いていた。そしてただ煩悶するフェイとは
違い、エドはその距離を埋めるべく駆け寄って来たのだ。
「しーかくーはそーら、しかくはひーろーいー……」
唄が途絶えた。フェイが目を覚ましたのに気付いたのだろう。
エドが振り向く前に、フェイは声を投げかけた。
「ねえ、その唄…もう一度最初から唄ってくれる…?」
「…ん〜……」
身をくねらせるエド。しっかり聞かれると恥ずかしいのかも知れない。
「聴きたいな…」
「んー、じゃあねぇー」
多少の躊躇いを含んだまま、エドの咽喉から甘く細い唄声が流れ始める。
丸は目玉 丸は綺麗
狂い葡萄の 甘い味
三角は時間 三角は早い
魚の尻尾の ふるえかた
四角は空 四角は広い
花を嗅んだら 良い匂い
フェイは目を閉じ、ただ静かにエドの唄を聴いた。
やがて、このエドとの日々も過ぎ去ってしまうだろう。自分が無くした過去の、その一つとなる。
それでも、この唄が耳に残っていれば。流れ続けていれば。
ならばそれは、もはや過去ではない。忘れずに済む。そこに在り続ける。
唄が終わった。フェイは目を開いた。照れたように振り向くエドと視線が合う。
エドが、笑った。
フェイは。
エドの瞳に映る、己の微笑みが―――見えた。