男は椅子に座ったまま、大きく伸びをした。  
ようやく書き終えた書類を束ね、机の上に放る。  
深夜といっていい時間だった。  
机の上のランタンの光がゆらゆらと揺れて、部屋を淡く照らしている。  
 
「ウェルド・・・・・まだ起きているか?」  
部屋のドアをノックする音と、控え目な声。  
起きていることを伝えると、その女は少しうつむきながら、ゆっくりと部屋に入ってきた。  
「・・・・なんだ。起きていたのか」  
確かに「起きているのか?」と聞かれ、起きていると伝えたはずだが。女は妙なことを口走った。  
それが緊張のためだということは、部屋にいる男にはわからなかった。  
女にもそれはわかっていた。  
(・・・・この男は、こういうことには、ひどく、鈍い。)  
わかってはいるけれど。  
部屋に入るなり、黙って突っ立っている女を、男は不思議そうに見つめる。  
 
カルス・バスティードという街がある。  
アスロイト王国とバイレステ共和国の緩衝地帯であるカルス山脈のちょうど中央にある、小さな街だ。  
街は急峻な山の中腹に岩肌をくり抜いたように存在し、気候は厳しく自然の恵みにも乏しい。  
本来ならば人が住むような環境ではないと言えるだろう。  
しかしこの街を目指す者は耐えない。  
 
「・・・・お、弟が・・・・アルノが寝たんだ。私はまだ眠くはならなくて、それで」  
慌てて女が口を開く。それでもうつむいたままだった。  
男はそんな女の様子にも、ただ優しく微笑んだ。  
 
ある日、一人の老人が、カルス山脈で鈍い光を放つ奇妙な石を発見する。  
その石の放つ光は老人や隣人達の怪我や病気を癒し、何人かの命をも救った後、光を失い、ただの石ころに変わる。  
それはまさに神話や伝説に描かれている不老不死の至宝『アザレの石』そのものであった。  
その噂は瞬く間に大陸中に広がった。  
 
「だ、だから・・・・・少し、話さないか・・・・?」  
ようやく女が顔をあげ、男を見た。  
視線の先の男は、微笑んでいた。微笑んで、うなずいた。  
 
太陽帝国の首都、「アスラ・ファエル」が地下遺跡として発見されるまでに時間はかからなかった。  
アザレの石を求めた二大国の指導者が、カルス山脈の発掘を命じたからである。  
遺跡からは金銀財宝が尽きることなく溢れ、二国の指導者とその国に富を与え続けるかに見えた。  
しかし、発掘が始まって僅か三年目のある日、突如として魔物たちが遺跡に出現したのである。  
 
女は少しほっとした表情を見せ、ドアを閉め、ぎくしゃくと動き出し、ベッドに座る男の隣に座った。  
少し驚いた表情を男が見せる。隣に座ったからだろう。  
普段は決してすぐ隣に座ることなどないからだった。  
 
二国の指導者は魔物におびえ、遺跡の入り口を分厚い城壁で取り囲み、封印した。  
しかし、数年後にはその城壁の中に小さな街が出来ていた。  
魔物が依然徘徊しているという事実と恐怖にも関わらず、地下遺跡を目指す冒険者は絶えなかった。  
ある者は富と名声のため  
ある者は不老不死の至宝『アザレの石』のため…  
 
しばしの沈黙。女はただうつむいていた。  
膝の上に拳をおいて、ただ黙っていた。  
「・・・・・もう、4年も過ぎてしまったな。あの時から・・・・」  
女の小さな言葉に、男はそっとうなずいた。  
 
カルス・バスティードという街がある。  
魔物を封印するため、外界から完全に遮断された、一年に二度しか開かない城門を持つ街。  
財宝と、魔物と、死が溢れる遺跡。人間の欲望が集まる場所。  
人々は皮肉を込めて、この街をこう呼ぶ。  
「カルスの棺桶」と。  
 
レイアは緊張していた。隣に座る男・・・ウェルドの存在に、自分がひどく緊張しているのがわかった。  
部屋の暖炉には火など入っていない。  
愛用しているプレートメイルだって当然装備なんてしていない。  
今はただの普段着(我ながら飾り気のない服)で、暑くなどないはずなのに、どうしてこうも汗が出るのか。  
緊張を振り払うかのように口を動かす。4年も前の思い出話。  
「私には、昨日のことのようだ・・・・・」  
そうつぶやいて、目を閉じる。  
カルスの棺桶までの道のりと屈辱。ただアザレの石を手に入れることだけが全てだったあの時。  
「そうだ。あの時の私にはアザレの石が全てだった。アザレの石を手に入れ、王に認められる。  
そうすれば何もかも元に戻れると。馬鹿な話だ・・・・・」  
ウェルドの視線を感じた。こちらを見つめている。  
そう気付いたとき、まぎれた緊張が再び身体を固くさせる。  
「だ、だが・・・それでも私はすがるしかなかったんだ。今はもうない、王家と王国に。」  
ウェルドの視線を感じながら、レイアは過去を語り続けた。  
初めてウェルドたちにあったときのこと。一人で戦い、つかまってしまったときのこと。  
「弱音など言いたくなかった。強くありたかった。私には戦う理由があった。生き抜く必要があったからだ。」  
信用できるのは自分だけ。カルスの棺桶では、口に出すのも馬鹿らしいくらいの常識だ。  
 
「・・・・・仲間、は、必要ではなかった。そんなものは、ただ自分を弱くさせるだけだと・・・思っていた」  
レイアと共にカルス・バスティードに来た者たちがいた。彼らと彼女らは、ひどくレイアをいらだたせた。  
「口を開けば、助け合いだのなんだのと・・・・まったく口うるさい奴らだった。特にシャルンとパスカだ。  
あいつらは本当におせっかいだったな」  
ウェルドが苦笑するのがわかった。  
「それでも・・・・助けられた。私を救ってくれたのは、仲間だった・・・・・  
・・・確かお前も助けられていたな。食料が少なくなり、ジェシカが取ってきた実を・・・うわっ」  
そこまで言いかけると、いきなりベッドに押し倒される。  
目を開くと慌てたウェルドの顔が見えた。  
よほど思い出したくない過去だったようだ。  
「ふふ・・・・お前でも慌てることがあるのだな・・・」  
レイアは両手を上に伸ばし、ウェルドの首の後ろに回す。  
そして、そのまま胸元に引き寄せる。  
少し抵抗されたが、ウェルドはおとなしくレイアに従った。  
「あの時は・・・・看病してやれなくてすまないな。下らない嘘をジェシカが・・・い、いやなんでもない」  
 
慢性的な食料不足だったカルス・バスティードに、食糧難が訪れたとき、女盗賊が遺跡で食べられそうな実を発見したときが  
あった。  
「それでお前はあれを食べて・・・んっ、こら、動くな」  
無駄な抵抗をするウェルドの頭をさらに固定する。  
「・・・・お前は、私の過去を聞いてなお、同情無く接してくれた。人の心が見えるという精神の海に、私を誘ってくれた。  
私は、そ、その時お前に聞いたよな。ど、どうして私を誘ったのか?と。なんと答えたか、お、覚えているか?」  
緊張がいつの間にか消えていた。ウェルドの温もりを胸に感じる。  
自然に言葉が出てくる。今なら、素直になれる。  
「・・・・・・・・・・・・」  
しばしの沈黙。  
「・・・・・・・・わ、忘れてしまったのか!?お、お前はあの時!わ、私のことを・・・!」  
思わずウェルドの頭を持ち上げる。  
目があった。ウェルドは笑っていた。  
「お、お、お、お前、わざとか!わざと黙っていたな!!」  
ウェルドの頭をもったまま、乱暴に左右に振りまくる。  
なにやら手足が激しくばたついているが、一向にきにしないことにする。  
10分ほど激しく振ると、手足もぐったりしてウェルドが動かなくなった。  
「ハァハァハァ・・・・こ、こんなときにふざけるからだ・・・馬鹿め・・・ハァハァ」  
 
ぐったりとしたウェルドを乱暴に横にほおり、自分はベッドに腰掛ける。  
自分は今、笑っていたのかも知れない。レイアはふとそんなことを思った。  
もう二度と笑うことなどないと思っていた。感情を、常識を、性別を、自分を、全てを捨てて、アザレの石だけを求めた。  
何故ウェルドは、今自分と共にいるのだろう。  
カルス・バスティードで起こった出来事。それは世界を崩壊させたに等しい事件だった。  
二大大国と言われた、アスロイト王国とバイレステ共和国も今では存在しない。  
<<あの出来事>>から四年。今、世界は混沌に満ちている。  
自分とウェルドがした選択は果たして正しかったのか。レイアは今でも思い返すときがある。  
自分自身では決して間違っていたとは思わない。だが・・・・  
今、この混沌とした世界で地獄の苦しみを味わっているであろう多くの人々は、今の現実を選んだだろうか?  
自分は責任を果たさなくてはならない。  
「・・・・・この3年間、お前と共に傭兵で世界をめぐり、世界の現状を思い知った。  
母と弟にも再会できた。もう、二度と戻らないと思っていたものが、戻ってきた・・・・」  
ぎしり、とベッドが音をたてる。突っ伏していたウェルドが起きた音だ。  
レイアは背中を向けたまま、続ける。  
「ウェルド。私は・・・・いつも、お前に甘えてばかりだ」  
後ろでウェルドが何かを言いかける。それでもレイアは続けた。  
「それは違う、と言いたいんだろう?」  
 
その言葉を肯定するかのように、ウェルドは押し黙った。  
(まったく、分かりやすいのか分かりにくいのか・・・・・)  
思わず苦笑を浮かべ、レイアは天井を仰ぎ見る。支えにした両手がベッドに体重をかけ、ぎしりと音を立てさせた。  
理由もなく伸ばし続けた髪が、さらりと背中に流れる。  
ゆらりゆらりと光が天井に反射しているのを見つめながら、レイアはまた口を動かす。  
「カルス・バスティードでお前を待ち続けて・・・・それからお前とずっと一緒に生きてきた。  
お前は何も言わない。ただ、私に優しくする・・・・」  
ウェルドがのそのそと、隣に座った。  
いつものように、ただ話を聞くためだけに。  
隣に座った男との思い出が、胸を苦しくさせた。  
「ウェルド・・・・・私は・・・・・私は、お前に、何かを与えることが、できているだろうか・・・」  
締め付けられるような胸の痛みを感じながら、搾り出すように言葉をつむぎだす。  
「私はお前からたくさん与えられた。今の私があるのも、お前がいたからだ。  
お前が・・・お前がいたから私は・・・・・だから・・・・」  
言葉がうまくでてこない。もどかしさが両手に伝わり、ベッドのシーツに皺を作った。  
 
(もどかしい・・・?違う、私は・・・・怖いのか・・・・)  
拒絶されるのが怖い。  
かつて人ならざる者にも言われた言葉だ。いや、あれは自分自身だったか・・・  
ゾクリと寒気が走り、反射的に自分の身体を擁く。ぼふりと背中からベッドに倒れこんだ。  
隣のウェルドが不思議そうな顔でこちらを見下ろしている。  
ちらりとウェルドを見てから、再び天井に視線を向ける。  
「・・・・私は、本当に・・・・情けない女だな・・・・・」  
ウェルドが首を振るのが視界に入った。  
(どこまでも、この男は私を甘やかすんだ・・・・)  
傭兵として二人で混乱した世界をめぐり、武名を轟かせた。  
レイアとウェルドの名前は傭兵たちの間では知らないものはいないほどだ。  
二人が味方に入った軍は士気があがり、敵軍は士気が下がる。  
二人だけで勝敗を左右するような、そんな存在だった。  
しかし傭兵を続けることに、レイアは常に疑問を抱いていた。  
二大大国の消滅は、混乱と戦争を呼び、戦争は戦争を呼んだ。  
世界に戦火は広がる一方だった。  
 
「ウェルド・・・・・私は、戦いで傷ついた人々を助けたい」  
突然の言葉にも、ウェルドは何も言わずにうなずく。  
「傭兵で稼いだ金で、病院を建てたいんだ。その病院で、可能な限り人々を助けたい。  
お前と傭兵で世界を回っている時から思っていたんだ。  
・・・・すまないな。突然、こんな話をして」  
上体を起こし、ウェルドを見る。  
急にすっくと立ち上がり、ウェルドは机の上においていた書類を持ってきて、レイアに渡した。  
「これは?」  
レイアの質問には答えずに、中を見るように促す。  
厚い資料をぱらぱらとめくると、レイアは目を見開いた。  
「こ、これは・・・・商人たちとの記録?確か傭兵の時に使っていた商人たちだな?  
・・・薬?世界中の病院で使われている薬のリスト!?それに流通の手配も!?  
お、お前、こんな・・・・どうして・・・・・」  
やはり、ウェルドは、ただ微笑んでいた。  
その視線から逃げるように、レイアは思わずうつむいてしまう。  
「・・・・・・お前という男は、本当にどこまで・・・私を、甘やかせば気が済むんだ・・・・  
いつもそうやって、私の考えていることを見透かして・・・・・・  
私には、お前の考えていることなんて・・・わからないのに・・・・・」  
レイアの胸がまた強く痛んだ。ウェルドの優しさに触れるたび、強く、強く。  
自分の不器用さに悔しくなり、涙があふれてくる。だが、ぐっと抑えた。  
そして、顔をあげ、ウェルドを見る。心配そうな顔をしていた。  
少しだけ、笑ってみせると、ウェルドもゆっくり微笑んだ。  
「・・・私には、与えられるものなんて、何もないから・・・・・  
だから・・・・・だからせめて・・・・」  
レイアは、ウェルドの手に、手を重ねて  
「私を、もらってくれないか・・・?」  
震える唇が、驚きの表情のウェルドの唇に、重なった。  
 
(わ、私は、なにを・・・!?)  
ふと自分のしたことが思い浮かび、唇を離したのち、顔も見れずにうつむく。  
ウェルドは今どんな顔をしているのか、ぴくりとも動かず、スンとも言わなかった。  
ズキリ、とまた胸が痛んだ。  
目の前で棒立ちのまま、反応のないウェルドをそのままに、すとんとベッドに腰を下ろす。  
自分が跳ね上がるように立ち上がったことすら意識になかった。  
何かを考えようとするが何も考えられない。  
ただドクンドクンと心臓の鼓動が大きく聞こえ、高鳴るたびに胸が強く痛んだ。  
ウェルドは、動かない。  
沈黙が続く。  
「・・・・すまない」  
レイアはようやく、それだけを口にした。  
何を言っていいのか、わからない。自分自身の行動すら理解できないのに、何を言えというのだろうか。  
沈黙に耐えられず、レイアはうめくように  
「・・・・・すまない」  
もう一度言った。  
もう、消えてしまいたかった。立ち上がろうとすると、両肩がウェルドによって抑えられる。  
はじかれる様に顔を上に上げると・・・・・  
ウェルドが微笑んでいた。  
かぁぁぁぁぁぁっ  
自分の顔が赤くなったのがわかった。  
「お、お前はっ・・・・意地が悪すぎる・・・!」  
なんとかそれだけ言うと、覆いかぶさってきたウェルドに身を任せた。  
 
「あっ、ふっ・・・・」  
ウェルドに促されるままベッドに仰向けになり、身を任せた。  
熱い何かが布越しに身体に触れる、身体が火傷するのではないかと思わせた。  
何をされているかはわからない。目を開けるのが怖かった。  
「あっああ、くぅ・・・」  
口から漏れる言葉は、知らない女の声だ。  
今、ウェルドが自分の身体をまさぐっているなんて、遠い現実だ。  
よく、知らないが、これ以上のことがあるのだとすれば、自分はどうなるのだろう。  
知らない女の声が、部屋の空気を振るわせた。  
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・ウェ、ウェルド・・・?」  
ウェルドの声が聞こえないことに恐怖を感じる。  
熱さが少し止まったときに、そっと薄目を開けて確認する。  
いつの間にそうなったのか、上半身が裸のウェルドがじっとこちらを見ていた。  
そこにウェルドがいることにホッとし、思わず口元が緩みそうになったが、ぐっとこらえた。  
「お、お前には、いつもしてやられてばかりだからな・・・・」  
妙な対抗心というか、敵対心というか、それが何か意味不明の言葉を言わせた。  
ウェルドは一旦首をかしげ、微笑んだ。  
「またそうやってお前はごまか、あっ、馬鹿!そん、な、あっ・・・」  
男の手が自分の胸に触れるのを見た。  
もう目を開けていられなかった。  
「ふぁっ、う、くっ、ああっ!」  
知らない感覚が身体を突き抜ける。胸の形が変えられるのが自分でもわかった。  
触られている。という感覚が、よりいっそう恥ずかしかった。  
「あっ、待って、くれ、そ、んなに、しな、ウェル・・・!」  
言葉にならない。  
初めての感覚はどんどん強くなり、それが恐怖に変わる。  
「ま、待ってくれ、ウェル、ドっ、待ってっ、あっ、待って、待ってお願い待ってよぉ・・・」  
 

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