本日も、相変わらずコキュートスの天候は荒れている様だ。
ガーゴイルやケルベロス、フラワーデーモンといった外住みの悪魔も、
この天候には辟易しているらしい。
道理で、最近はちっとも顔を見ていないはずである。
そんな激しい雨と風にもかかわらず、
万魔殿の中に住む悪魔達はまったりと過ごしているようだ。
そんなある日。
万魔殿内唯一の人間・リリスは大広間の床に寝転がり、
クッションを抱えてうとうととまどろんでいた。
雨の音も風の音も…彼女の耳を賑やかすBGMにしかならないようだ。
ほんのひと時のあいだ仲魔達の喧騒から離れ、平和な時間を満喫するリリス。
霞む意識の片隅で遠雷の轟音を感じていたリリスの耳に、
パタパタと誰かの足音が飛び込んできた。
「…んもぅ…せっかくうとうとしてたのに…」
誰〜?と、眉を顰めて立ち上がった彼女が上体を起こすと…
「Trick or treat!だモ〜〜〜〜ン☆」
何とものん気な明るい声と同時に、大きなオバケカボチャが抱きついてきた。
「…妖精・ジャックランタン…?」
「ざんねーん!!そのネタはメガ○ンやってないとわかんないモ〜〜〜ン!!!」
思わず漏れた呟きに、オバケカボチャが軽いツッコミをかましてくる。
あっけに取られたリリスの目の前で、オバケカボチャが大きな頭に手をかける。
その下から現われたのは…
「……やっぱりキミだったんだネ……」
「あは〜〜〜☆バレちゃってたんだモン??」
そう。大きなカボチャ頭の下から現われたのは、7大悪魔王が一人・ペイモン。
溜息をつきながら膝を抱えるリリスを尻目に、
ニコニコと笑いながら頭を外したペイモンが、彼女の元へと足を向けた。
とりあえず…と言う感じで、リリスが傍らの階段に腰掛けると、
ペイモンも彼女の足元の床に腰を下ろす。
「そんなカッコして、一体何やってたの?」
「ん〜?ハロウィン用の衣装のお披露目だモンよ〜〜☆」
理由になっていないような理由を、いつもの笑顔でさらりと言い放つペイモン。
…………つまりは、有閑悪魔王の暇つぶしなのだろう。
何せ、ペイモンの言う『ハロウィン』までは、まだまだ間があるのだから……。
ニコニコと楽しそうに衣装を見せびらかすペイモンに、
なんと返答して良いのかわからないような顔をするリリス。
そんな彼女に、ペイモンがつい、と手を伸ばした。
「え……何……?」
「ん〜〜〜?Trick、or、treat!だモ〜〜〜ン♪」
眉を顰めて、差し伸べられた彼女の手と顔を交互に見比べるリリス。
だが、相変わらずペイモンは笑顔のままだ。
ニコニコと底の見えない笑みを浮かべるペイモンに、
どう反応していいのかわからなくなったのだろう。
どんどんリリスの顔が困っていく。
「だから、何が言いt「お菓子をくれなきゃ、悪戯するモン☆」
リリスの台詞を制して、ペイモンがニッコリと笑う。
いつもと変わらぬのほほんとした笑顔のはずなのに、
何か底知れないものを感じて、リリスは思わず座ったままで後ずさる。
「お、お菓子なんて持ってないヨ…?」
「うん。それじゃあ、悪戯しちゃうモンよ?」
めちゃくちゃに良い笑顔を浮かべたペイモンが、
後ずさるリリスを追って、階段に膝をかける。
二人分の体重をかけられた階段が、ギシリと軋んだような音を立てた。
乾いた笑いを貼り付けたままリリスはジリジリと後ずさる。
だが、無情にも階段は無限にあるわけではない。
あっと言う間に壁際まで追い詰められてしまった。
「い、悪戯されるのもいやなんだケド…」
「ん〜〜〜…じゃあ、今日はコッチで我慢するモ〜〜ン♪」
壁に手を着いたペイモンに覆いかぶさられるような体勢で、リリスが小さく呻く。
そんな彼女の顔は、情けないくらいに困り果てていた。
そんな彼女を見つめながら、にへら〜っとペイモンが相好を崩す。
そして………。
もふっ。
奇妙な擬音の後、二人の間に沈黙が流れる。
「ねぇ、ペイモン…一体何のつもr「ん〜〜〜?マシュマロみたいなんだモ〜〜ン♪」
本当に幸せそうな満面の笑顔を浮かべたまま、リリスの腰を抱き、
彼女の胸に顔を埋めるペイモン。
そのままスリスリと頬を寄せられて、リリスはかなり困惑気味だ。
「ぼ、ボクの胸はマシュマロじゃな…ひゃぁっっっ!!」
抱きついてくるペイモンを引き剥がそうともがいていたリリスが悲鳴を上げる。
胸の上部。鎖骨の少し下辺りの柔らかな胸乳を突然唇で食まれたからだ。
思わず嬌声を漏らしたリリスの唇を、ペイモンは自身の唇でそっと塞いだ。
息苦しいのか、微かな吐息と共にリリスの唇がうっすらと開かれる。
啄ばむようなキスを繰り返しながら、ペイモンはそっとその隙間に舌を差し入れた。
口腔内を思う様貪り、舌を絡め、口の端から溢れる唾液を啜る。
「ひぁ…ちょ……ペイ、も………やっっ…」
「あは〜〜☆リリスちゃんいい匂いがするモ〜ン♪」
途切れ途切れながらも抵抗の意志を示すリリスの首筋に口付けを繰り返し、
乳房の膨らみをそっと握り締める。
その蕩けるような柔らかさと温もりに、ペイモンは猫のように目を細めた。
初めて彼女を見た日から、この胸に抱かれる事を夢見てきたのだ。
この柔らかな胸に顔を埋め、この細い腕に抱かれ……。
それはきっと、最上の絹の寝台で眠るよりも心地良い事だろう。
サラサラと肌触りのいいストッキングに包まれたリリスの太腿を撫で、
彼女の胸に頭を預けながら、ペイモンはそっと目を閉じた。
薄い布越しに、リリスの体温と規則正しい鼓動が伝わってくる。
その静かで甘い快感に、このまま溶けてしまいたいとペイモンが思ったちょうどその時。
後頭部へのキツイ打撃と共に、彼女の蜜月は終わりを告げた。
「〜〜〜〜〜っっっ!!!何するんだモ〜〜ン!!!!!!!!」
「『何するんだモン!』じゃねぇだろ、このあーぱー百合娘!!!!」
目尻にうっすらと涙を浮かべ、頭を押さえて振り返ったペイモンの目の前には、
さても良くないものが立ちはだかっていた。
「テメェ……オレに仕事を押し付けて、お前はここでナニやってんだ?あ゛ぁ?!」
「べ……ベリアル………も、もうお仕事終わったんだモン……?」
目の下にドス黒いクマを浮かばせて背後に立つベリアルから、
ペイモンは恐る恐る視線を背ける。
怒りで逆立ちそうになる髪を片手で撫で付けながら立つベリアルの小脇には、
凄まじい量の書類が抱えられていた。
「ほらよ……頼まれてた軍事演習費用の報告書、人員の補充及び職の振り分け一覧、
それと、テメェの私領内で起こった紛争の調停書だ!」
「ペイモン………キミ、そんなに頼んでたのかい!?」
「えェ〜〜〜……だってペイモン、デスクワーク苦手なんだモ〜〜ン……」
半ばヤケ気味で、ペイモンに書類の入ったファイルを投げ渡すベリアル。
あまりにあまりな頼みごとの量に素っ頓狂な声を上げるリリス。
そんな二人の態度に、不貞腐れた様子で頬を膨らませるペイモン。
「いいか。会計監査の認証印はテメェで貰ってこい……」
「う゛……わかってるモンよー……」
頬を膨らませたペイモンに、抱えた書類を投げ渡したベリアルが荒んだ笑みを浮かべる。
そんなベリアルの様子に気圧されたのだろう。
不服そうに唇を尖らせながらも、ペイモンがしぶしぶと言う表情で書類を点検し始めた。
流石に、監査への書類提出は本人がしなければならないのだろう。
後ろ髪を引かれながら…否、むしろ後ろ髪を引き摺られる勢いで未練を残し、
ペイモンが書類を抱えて監査窓口へと足を向ける。
その華奢な背中には、‘これでもかー!’という程に哀愁が漂っていた。
「………ベリアル…キミ、大丈夫?」
「あ゛ぁ?大丈夫そうに見えるってのか?」
「え………いや…あんまり見えない、カナ…」
不承不承という様子で大広間を後にしたペイモンを見送って、
ベリアルがリリスの隣に疲れ切った様子で座り込んだ。
そんなぐったりと顔を伏せているベリアルに、リリスは恐る恐る声をかける。
案の定、ベリアルの舐め上げるようなキツい視線が飛んでくるが、それも想定の範囲内だ。
こんな結果になるだろう事はわかっていたが、
声をかけずにはいられないのは彼女の性格がなせる業だろう。
「………ったく…やってらんねーぜ!」
肩を竦めて苦笑を浮かべるリリスをしばし眺めていたベリアルが、
ガリガリと頭をかきながら声を上げた。
胸の内のわだかまりを全て吐き出すかのように大きく溜息をつくと、
そのままゴロリとリリスの膝を枕代わりに寝転んでしまう。
「ちょ……ちょっと!何してるのさ!?」
「あ゛?五月蠅い!コッチは3日3晩寝てねぇんだよ。少しは寝かせろ!!」
抗議の声を上げるリリスを下から睨みつけ、ベリアルは煩わしそうに瞳を閉じる。
眉間に皺を刻み、腕を組んだまま睡眠体勢に入るベリアルを、
リリスは苦笑しながら眺めていた。
どうやら、本日の虚偽の大公殿のご機嫌はあまり麗しくはないようだ。
こんな日は、彼の好きにさせておくに限るだろう。
尤も、この虚偽の大公殿のご機嫌が麗しい日など、年に数えるほどしかなかったが……。
「うもぅ……コレじゃボクがタルいじゃんか〜……」
瞳を閉じてすぐに寝息をたて始めるベリアルの身体をあやすように叩いてやりながら、
リリスが困ったような呆れたような笑みを浮かべた。
規則正しい寝息をたてるベリアルをあやすうち、リリスの瞳も次第に融けていく。
程なくして、大広間には寝息がもう一つ増えることになった……。
それからどれ程の時間がたった頃か…。ベリアルがゆっくりと瞳を開いた。
どうやら、多忙な毎日を送ってきた虚偽の大公殿は、あまり長く眠る事ができないらしい。
真紅の瞳をきらめかせ、それはそれは不機嫌そうにゆっくりと身体を起こす。
だが、自身の膝の上から重みが消えたにもかかわらず、
リリスが目を醒ます様子はいっこうに見られない。
「……………………ったく…仕方ねぇな……」
すっかりと爆睡体制に移行したリリスを見、小さく舌打ちするベリアル。
頭をかきながらため息を漏らすと、リリスの身体に腕を伸ばした。
一見がさつに見える行動だが、リリスの眠りを妨げないように慎重に、
ゆっくりとその小さな体を横抱きにする。
抵抗なく持ち上がる暖かな塊。
首だけは後ろに反らないように注意して、ベリアルは腕に抱えた物体を運んでいく。
たまたま開いていた窓から見る空は、珍しく青く晴れ渡っていた。
むにゃもにゃと、不明瞭な寝言を呟くリリスを寝台に下し、
ベリアルが唇の端を吊り上げる。
「そんじゃお休み、リリス姫。どうぞ良い悪夢を…」
眠る花の花弁に唇を落とすと、何故か日溜まりの香り…青空の味がした。