青い空。白い雲。燦々と輝く太陽。
繊細な細工が施された、柔らかな光を通すステンドグラスと、
瀟洒な意匠を凝らされた白大理石の壁。
足首まで埋まりそうなほど柔らかな絨毯が敷き詰められた天界庁舎の回廊。
窓から差し込む光を浴びて、片手に書類を纏め持った4大天使が一人・ラファエルが上機嫌で歩いていた。
目的地は回廊の突き当たり…庁舎の中でも深部に位置する部屋。
ここに来るまでに少々あがってしまった息を整え、汗を拭いて…
…彼はドアノブに手を掛けた。
「入りますよ、ミカエル」
軽いノックを2回。
部屋の主の返事も待たず、ドアの陰に姿を隠したラファエルは、ドアを勢いよく…
…かつ、無駄に優雅に開ける。
その途端…。
バサバサバサバサッッ…!
ドザザザザザザァーーーッッッッ!!!
「うわああぁあぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?!?!?」
彼が扉を開けた途端、部屋の中から何かが崩れる音と何かが流れる音と悲鳴が聞こえ、
かつ大量の紙の雪崩が足下に流れ込んでくる。
山積みになって並べられていたと思われる紙、約1トンは、
ラファエルの一撃によって見事なまでに崩れた。
その結果、部屋の中だけでなくて廊下までもが紙浸し状態だ。
「それにしても、いつになくすごい量ですね、今日の書類は……」
紙の海と化した室内を気に留めることもなく、足下の大量の紙を踏みしめながら、
ラファエルは部屋の奥を目指す。
時折、足元の紙がグシャリと悲鳴を上げるが、彼は別段気にしている様子もない。
それなりに高かった天井が、すぐ手が届く場所にあるのを少し楽しみながら、
ラファエルがミカエルの仕事机のあった辺りへ来て足を止めた。
「生きていますか、ミカエル」
人の良さそうな顔に柔和な笑みを浮かべながら、
ラファエルはその辺に積もった紙の海をかき分ける。
程なくして姿を現すのは、海草のようにおどろに広がった金の髪………。
だが。
ラファエルが発掘したソレは、うんともすんとも言わない上に、ピクリとも動かない。
「……ああ、ミカエルもとうとう…………
あれほど過労死には気をつけなさいと言ったのに……」
悲しげに瞳を伏せたラファエルが、胸の前で十字を切った瞬間。
「誰が死ぬかぁっ!というか、上司を勝手に殺すんじゃないっっっっ!!」
にわかに紙の海の水面が大きく盛り上がり、
蒼い瞳の天使長が首から上だけを出してラファエルを睨みつけていた。
「ああ、壮観ですねぇ……」
「………………壮観の一言で済ませるか、コレを……っっっ!!」
ようやく片付いた部屋の中。
部屋付きの天使が入れてくれた紅茶を飲みながら、ラファエルは嫣然と微笑んでいる。
彼の話を聞きながら、書類の山に埋もれるミカエルとは対照的だ。
隠し切れない疲労感を滲ませる彼女の背後には、先ほどまで洪水状態だった大量の書類が、
元通りの山積みになって部屋中所狭しとそびえ立っていた。
おそらく、ミカエルが神力か何かで立て直したのだろうが、その一山が天井に着く程の高さだ。
ラファエルですら、見上げなければその頂上が見えない。
何しろ彼女は天使長。
天界で行なわれた決定事項の確認・認証作業は最終的に彼女に回ってくるのだ。
銀河中心守護艦隊編成の人員修正願い、新しく生まれた天使たちの部署配置案、
転生する魂の割り振り、上半期決算及び下半期予算案、エデンの園の管理報告etc…。
毎日毎日数え切れないほどある天界庁舎の各部署から、気が遠くなる程の書類が持ち込まれてくる。
「それで、一体何をしにきたのだお前は……」
「ええ。私の統括する部署のキャンペーンへの協力をお願いしようと思ったのですが……」
元々は健康的な小麦色の顔にどす黒く疲労の後を残したミカエルが、
仕事の手を休ませることなくラファエルを睨みつけた。
そんな天使長の殺気の篭った視線を柔らかな微笑で受け止めながら、
ラファエルはミカエルの頭に手を置いた。
「どうやら、貴女を休ませるのが先決のようですねぇ……」
「ちょ………待て、ラファエル!!!!何をする気だ!?!?」
書類の山に埋もれ、ぐったりと頭を抱えるミカエルを、ラファエルは横抱きに抱きかかえる。
俗に言う‘お姫さま抱っこ’という奴だ。
とたんにジタバタと暴れ出すミカエルを、有無を言わさぬ笑顔で黙らせて……。
ラファエルは、執務室の奥の仮眠スペースへと足を向けた。
必要最低限のものしかおかれていないその部屋に柳眉を顰めながらも、
ラファエルは抱えていたミカエルをベッドに降ろす。
「何をするラファエル!!寝ている時間など私には………」
「いいえ、いけません。‘神の薬’と呼ばれた私には、
過労死しかねない上司を放置してはおけませんからね」
「…っっ!!…っぷ……!!!!」
爽やかに微笑んだラファエルは、
起き上がろうと手足をばたつかせるミカエルの上から布団を被せ、彼女を強制的に寝かしつける。
長身のラファエルに押さえつけられては、彼よりも小柄なミカエルにはどうすることもできない。
諦め半分、ヤケクソ半分で目を閉じるミカエルの身体を、布団の上からラファエルがそっと叩いた。
子供をあやすように単調なリズムで繰り返されるそれは、奇妙なほどにミカエルの眠気を誘う。
「少しは自分の身体を労わりなさい、ミカエル…
…貴女の体は、もう貴女一人のものではないのですから…」
咎めるような…しかし、どこか心配げな様子で囁かれるラファエルの声が心地良い。
そう言えばここ最近、心から安心して眠った事などない事をミカエルはふと思い出した。
ルシフェルの堕天以来、肩に掛かってきた重圧と責務に、ずっと眠れぬ日々が続いていたのだ。
いや、眠る事が怖かったと言ってもいいだろう。
一度眠ってしまったら、そのまま夢の世界に逃げていきそうな自分の弱い心が恐ろしかったのだ。
「…大丈夫ですよ、ミカエル………貴女の頑張りは、天界の誰もが認めていますから…
今はただ、静かに眠って、身体を休めて下さいね……」
ラファエルの大きな手が、ミカエルの頭を優しく撫でる。
その温もりと柔らかさに、幼い頃、敬愛していた大天使長に頭を撫でられた事を思い出しながら……。
ミカエルはゆっくりとまどろみの海に沈んでいった……。
眠ってしまったミカエルの布団をかけなおし、ラファエルはそっと仮眠室を後にする。
何かを考え込むようにして回廊を歩いていた彼だが、何かを思いついたように手を打った。
それはもう爽やかな笑みを浮かべる彼の手元には、彼のお手製と思われる服が2〜3着抱えられている。
そのいずれもが、巫女服を模したようなデザインだったり、シスター服を模したようなデザインだったり…。
少々……否、かなり変わったデザインのナース服のようだ。
「ああ!まだアムラエルが残っていましたか……
献血のキャンギャルは、彼女とガブリエルに頼む事にしましょう…」
その奇妙なデザインの服を小脇に抱え、ラファエルは同僚のウリエルの執務室に足を向けた。
ちなみにこの後、アムラエルを巡るラファエルvsウリエルの一大決戦が勃発し、
ミカエルの仕事はどっと増えたりするのだが、それはまた別の話…である。
何はともあれ、天界は今日も良い天気だ。