ふと暦を見たら、今日がクリスマスだった。
…とは言うものの、地獄の底で、神の御子の誕生を祝おうなどと考える酔狂な悪魔がいるわけもなく、いつもと変わらない一日が繰り広げられるはず…………だった。
「クリスマス会がやりたい!」
悪魔王の集まる大広間で、堂々と言ってのけたのはやはりリリスだった。
両手には、何処から持ってきたものかツリーの飾りやらサンタの衣装やらを抱えている。
「…それは…………いくらなんでも駄目だろ」
「いくらリリスちゃんの頼みでも、それだけは聞けないモ〜〜〜〜〜ン!」
「お願いやから、もう一回考え直してや〜〜!!」
「………………」
一体ドコから持ち出してきたのか、旧世界で行われていた年中行事を解説している分厚い本を手にしたリリスの提案を、場にいる悪魔王たちは即座に否定した。
「お前は地獄(ここ)がどんな所かわかっているのかと小一時間問い詰めたい!」
額に青筋を浮かべながら険しい表情でがなりたてているのはベリアル。
「プレゼントが欲しいのなら、ペイモンが何でもあげるから、それだけはやめるモ〜〜ン!!」
「クリスマス会の代わりに忘年会開いたるさかい、それだけは勘弁してや〜〜〜!」
ここぞとばかりに両サイドからしっかりと抱きついてきたのがペイモンとビレト。
「……無理ぽ……」
思わず『ガッ』と頭を殴りそうな台詞を呟いたのがアスモデウス。
異口同音にクリスマス会を否定され、リリスが頬を膨らませて口を噤む。
途端に、大広間に、イヤな沈黙が訪れた。一体、どれほどの時が過ぎたのか。
妙に思い雰囲気が広間にいる悪魔王たちを圧迫し始めた頃、不貞腐れた様子ながら、リリスがようやく口を開いた。
「…………クリスマス会が無理でも、ケーキくらいは食べたいヨー………」
叱られて拗ねている子供のような表情で、膝を抱えて座っているリリスの姿を横目に、地獄の王たちは、『まあその程度なら』と書いてあるような顔をお互いに見合わせた。
「…で、私のところに来るのは一体どういう理由があってのことだ?」
風呂上りでまったりした時間を過ごしていたところに、同僚の悪魔王と人間の少女に私室を襲撃され、アシュタロスの機嫌はあまり宜しくないようだ。
「イヤ、お前の所なら料理の本くらいはあるかと思ってよ」
不機嫌そうなアシュタロスに負けず劣らず不機嫌そうなのは、お仕着せのエプロンを無理やり押し付けられたベリアル。
アスモデウスは、初期の段階でさっさと逃げ出しており、その事がまたベリアルの怒りを煽っている。
「実はなー、リリスがケーキ食べたい、ゆーもんやから…」
「ペイモン達で作ろう、っていう話になったんだモーン♪」
新婚さんも真っ青なピンクのふりふりエプロンで身を固めているのはペイモンとビレト。
不機嫌そうな男性陣とは裏腹に、こちらは実に楽しそうだ。
…そして…。
「ごめんネ、アシュタロス。でも、どうしても食べたくてサ…」
上機嫌なペイモンの陰に隠れるようにして立っているのが、今回の元凶のリリス。
彼女もまた、ビレト達と同じようなフリルたっぷりのエプロンを身につけている。
「…何だ…リリスの提案だったのか…」
シュンとした表情の人間の少女が姿を見せた途端、恐怖公の名高いアシュタロスが相好を崩す。
何だかんだ言って、アシュタロスもこの人間の少女がお気に入りなのだ。
「ケーキ…か………まあコレでよかろう…」
部屋の奥に姿を消したアシュタロスが、埃を被った料理書を引っ張り出してきた。
「料理など、新婚の時以来だな…」
遥か遠くの時代を思い出すように、彼女が目を細める。
…と…。
「どうでもいいからさっさと本貸せよ…!」
遠くを見るような瞳で昔を懐かしむアシュタロスの手から本を奪い取るという暴挙を行ったのは、短気なことに定評があるベリアルだ。
正に無謀な行いと言ってもいいだろう。
「………………貴様…」
瞬時に殺気を纏い、闘争モードに変わるアシュタロスを前に、ベリアルは「後悔」という言葉が存在する事を実感したのだった…。
万魔殿を揺るがすような爆音が地獄の底に響いてから暫くして。厨房には、地獄帝国の上層幹部の賑やかな声が響いていた。
「あかんわー!ガナッシュが上手く作れへん〜〜!!」
「あ〜〜〜……生クリーム泡立て過ぎちゃったモーン…」
鈍い光を放つ流し台の付近で、楽しげに泡立て器でボールと格闘しているのは、ペイモンとビレトのツートップ。
一方、オーブン付近で腕組みをしたまま眉を顰めているのはアシュタロス、ベリアル、リリスの三人組。
彼らの前に有るのは、まるで煎餅のように薄く、黒い物体…。
「…ベリアル……貴様、メレンゲの泡を潰したな?」
スポンジになるはずだった煎餅を菜箸で突付きながら、アシュタロスが長身の悪魔王を睨みつける。
「仕方ないだろ!ケーキなんざ作った事もねーんだからよ!!!」
恐怖公の殺気の篭った視線を物ともせずに、虚偽の大公が声を張り上げる。
喧々囂々とした二人の間に挟まれて、悪魔の母の名を持つ少女は心底困り果てていた。
角を突き合わせている二人を尻目に、リリスは厨房を見回してみる。
ペイモンとビレトが担当しているデコレーションクリームの方は、大体が出来上がっているようだ。
「…肝心のスポンジがなかったらケーキは作れないよネ…」
味見のつもりか、ほんの少し端を齧ったリリスが盛大に顔を顰める。
どうやら相当苦かったようだ。
「む…すまんな、リリス…。こやつの手際が悪いせいで…」
「オーブンの温度調整間違えたのはテメエじゃねぇか!」
再び牙を剥く悪魔王二人を視界の端に捕らえながら、少女は深くため息をついた。
「…えー!?スポンジができへんかったぁ!?」
「それじゃあ、ケーキが作れないモンね…」
あれから何度か作り直してみたものの、満足のいくスポンジは結局作ることが出来なかった。
膨らまなかったり、膨らみすぎたり。生焼けだったり焦げ焦げだったり。
失敗作の山を前に、スポンジ担当班の機嫌と士気は下降していく一方である。
「しゃーないな。また明日作ればえーやん!」
「楽しみが増えたと思えばいいモーン!」
生クリームとガナッシュクリームを前に、すっかり意気消沈しているリリスの方を優しく叩き、ペイモンとビレトが厨房を後にする。
「…ふむ……もう少し初心者向けのレシピを探してみるか……」
頬についたメレンゲを拭いながら、アシュタロスも自室へと戻っていった。
後に残ったのは、二つのボールにいっぱいのデコレーションクリームと、大皿に山盛りにされた一見すればイチゴに見える赤い果実。
そして、失敗作のスポンジを前に頭を抱える虚偽の大公と人間の少女の姿だけ。
「…どうにかして食べられないかナ…」
どうしても諦められないのであろう。瞳を眇めて、リリスがスポンジの食べられそうな部分を物色し始める。
「…お前も諦めが悪いな…」
意外そうな顔で、ベリアルが手近にあった椅子に腰掛ける。どうやら、少女の気が済むまで付き合ってやる気になったらしい。
「だって、ここまで作ったのにもったいないじゃないか!」
彼の言葉に頬を膨らませながら、少女が激しく焦げてしまった表面を分厚く切り取っている。
どうやら、中のほうにほんの少し残った無事なスポンジでケーキを作る気らしい。
切り出したスポンジに、リリスが真剣な表情でチョコレートクリームを塗りつけるのを、ベリアルは頬杖をつきながら眺めていた。
「やったー!!できたー!!!」
「……まあ、何とか形になってんじゃねーの?」
数分後。二人の前には、握り拳大の小さな小さなケーキが出来上がっていた。
しかし、小さいとはいえケーキであることに間違いはない。
自分の仕事の出来に、満足げに笑うリリスの頬に、ベリアルがつい、と手を伸ばした。
「っっっ!?」
「動くなって!」
突然のことに思わず身構えたリリスに構わず、頬に付いたクリームを親指で拭ってやる。
「子供じゃねぇんだからクリームくらい気付けよ!」
小さく舌打ちしながら、指に付いたクリームをそのまま舐め取る。
久しく口にしていなかった甘みは、脳髄に痺れるような刺激となって到達した。
「………甘ったりぃ………」
「あれ?もしかして甘いもの嫌い?」
顔を顰めてボソリと呟いたベリアルの顔を、ケーキの上に苺を飾りながらリリスが覗き込む。
「い……いや…別に嫌いって程でもねぇけど…」
至近距離で捉えた少女の瞳に吸い込まれていくような錯覚を覚えて、ベリアルは慌てて視線を外す。
と。
「そっかぁ。安心したヨー」
コトンと微かな音がして、気が付けば、ベリアルの目の前に苺の乗ったケーキが置かれていた。
少女の行動の意図がつかめず、ベリアルは目の前に置かれたケーキとリリスの顔を交互に見つめる。
「…な、何、だよ!?」
「んー…付き合ってくれたお礼だヨ。クリスマスプレゼント兼ねて、ネ」
そう言って、無邪気に笑う少女の顔を眺めながら、虚偽の大公は、生まれて初めてクリスマスと言うものに嫌悪以外のものを感じていたのであった。