「やれやれ…一体どうしたものか…」  
 天蓋付の豪奢な寝台の中、羽枕を抱きしめながら眠る少女を、寝台の本来の持ち主は、複雑な表情で眺めていた。赤みがかった髪を一房、指先ですくいあげると、そのまま梳る様に撫で下ろし、また、同じ動作を何度か繰り返す。  
 この少女が、寝台の持ち主−アシュタロスの元を訪れたのは、ほんの数刻前の出来事だった。  
「もー!ねぇねぇ、聞いてよ、アシュ姉!!ベーやんてばひどいんだよ〜!!」  
 怒りのためか、上気した頬を膨らませ、目にはうっすら泪まで浮かべて。八つ当たりでもするかのように、バタン、と、力任せに扉を閉めると、少女は、つかつかとアシュタロスの元に歩み寄り、その寝台に、どさりと倒れこむ。  
「…一体何があったというのだ、リリスよ…」  
 ベッド脇のサイドテーブルで、優雅に寝酒を楽しんでいたアシュタロスが、濃い真紅の液体が入ったグラスを揺らしながら尋ねる。  
「…ベーやん、セク魔だから嫌いだ…」  
 ふかふかの羽根布団に突っ伏したまま、リリスと呼ばれた少女は答える。  
 サタンをも凌ぐ実力を持つとさえいわれている地獄の宰相・ベルゼバブを「ベーやん」呼ばわりした挙句、セクハラされるから嫌いだ、などと、公然といえるのは、地獄広しといえども、この少女だけなのではないかとアシュタロスは思う。   
 
 まだ、中身の残るグラスをテーブルに置き、布団に突っ伏したままの少女の傍らに腰をかける。  
「それで…今回は何をされたというのだ…?」  
 ぽんぽんと、慰めるかのように優しく頭を叩いてやると、ようやく、少女は顔を上げる。  
 真珠のような涙で飾られた、紅玉の瞳。何かをこらえるかのように、への字に結ばれた薄桃色の唇。そして、今にも泣き出してしまいそうなほど、弱弱しく垂れたハの字眉。  
「…色々された…」  
 また、ソレだけを言うと、頬を膨らませ、貝のように口を噤む。  
 そのしぐさの一つ一つ、表情のすべてが可愛らしくて…思わず緩みそうになる口元を、アシュタロスは慌てて引き締める。  
『…まったく…一人の人の子に、ここまで惹かれるとは…私もどうかしているな…』  
 こみ上げてくる思いに、微かに苦笑しながら、アシュタロスはリリスの髪を撫でる。  
「前回は胸、前々回は尻…。今回は……陰部でも触られたか?」  
「…あう…」  
 アシュタロスのあられもない言葉に、リリスの顔が、見る間に火照っていく。どうやら図星のようだ。  
「…やれやれ…過去の失敗から学べぬわけではあるまいに…。一体、何をしているというのか…」  
 海より深〜いため息をついくと、アシュタロスはリリスの目じりに浮かぶ涙の雫を唇で吸い取る。  
「…お前も、身体を触られたくらいで大騒ぎしすぎなのだ…」  
 「だってぇ…」と、さらに真っ赤になった顔を伏せながらぼそぼそと呟くリリスの両頬に、軽く口付けをしてやる。その度に、「ひゃあっ」っと声を上げ、慌てる姿は、アシュタロスの密かなお気に入りだ。  
「…まあ、何だな…その初々しいところが、お前の魅力でもあるわけだがな…」  
 あ〜…う〜…と、真っ赤になった頬を両手で押さえてうなっているリリスを尻目に、アシュタロスが思わず呟く。  
 …しまった!と思っても、もうすでに後の祭り。一度紡がれた言葉を取り消す方法はない。  
 …しかし…  
「え…?何か言った?」  
 聖魔神の導きか、どうやら、今の言葉は、リリスに聴かれずに済んだらしい。  
 きょとんとした表情で、首を傾げるリリスの髪を、ぐしゃぐしゃとなでてやりながら、アシュタロスは、自分の気を引き締める。  
「いや、なんでもない。こちらの話だ…」  
 
「…変なアシュ姉…」  
 りんごのように真っ赤になってしまった頬を隠すかのように、リリスが再び布団に突っ伏して…………今に至る。  
「…リリス…?」  
 急におとなしくなった少女の反応をいぶかしみ、そっと様子を伺ってみたのが、つい先程のことだ。  
 撫でられて落ち着いたのであろう。いつの間にやら、リリスはアシュタロスの寝台で寝息を立てていた。  
「…はてさて…取り合えず、私が眠るスペースもあることはあるが…」  
 リリスの絹糸のように滑らかな髪を撫でながら、アシュタロスが本日何度目かのため息をつく。  
 まるで、母親の腕に抱かれて眠る赤子のように、無防備なまま眠っている彼女を起こすのは気が引ける。  
「母親、か…」  
 アシュタロスの瞳が、遠くを見るように細められる。燭代の明かりに照らされている顔は、まだ年端も行かぬ少女のものであるにもかかわらず、その瞳の色は、まるで数千の年を経たかの様な深みがある。  
「…あの頃は若かったな、私も…」  
 思いっきり年寄りくさいセリフを吐いてしまった自分に、どうしようもない年月の重みというものを感じてしまう。  
 かつては、猫が引く戦車にまたがり、自らも先陣を切って戦いに参加してみたり、英雄とのひと時の恋を楽しんでみたり、夫を追って冥界に下って殺された挙句、再びよみがえってみたり…。過去の思い出が、ふと頭をよぎる。  
 ソレに引き換え、今の生活は…。絶対無敵の地獄門の内側に監禁され、思うように暴れまわることもできはしない。  
「…しかしまあ、肉体労働(肉弾戦?)は、今の私の性には合わぬしな…ベリアルかバエル…アスモデウスにでも任せておくか…」   
 グラスに残った液体を飲み干しながら、ガテン系職種が最も似合いそうな直情型悪魔王や、背中にファスナーでもあるんじゃなかろうかと思ってしまう夫。そして、どう考えてもパシリのためにいるとしか思えない優男を思い浮かべる。  
 まあ、あの魔戦将軍との火遊びは、なかなか楽しかったが…などと、考えているうちに、どうしようもなく体が火照ってくる。  
 
「…あの時は、何だかんだで、結局は満足のできぬまま終わってしまったのか…」  
 翡翠色の瞳に、情欲の炎がじわじわと燃え始める。  
「そういえば、女同士、というのも、少々興味がないわけではないが…」  
 リリスの寝顔を見つめていた顔が、母親の顔から、徐々に獲物を見つけたオンナの顔に変わっていく。そして、それと同時に、アシュタロスの身体も、著しい変化を見せ始める。  
 手足がすらりと伸び始め、胴体に見事なくびれができ始める。胸は、地母神であったころの名残を残すかのごとく、弾けんばかりに膨らみ、きゅっと締まった臀部は、滑らかな曲線を描いて、むちむちとした太腿に続いている。  
「かつては、バビロンの大淫婦とも呼ばれた私が、据え膳を食わぬ、というのもおかしな話よな…」  
 ころりと寝返りを打ち、自分に向かって無邪気な寝顔を見せるリリスの頬を掌で包む。今や、アシュタロスの顔には、淫靡としか言い様のない微笑が浮かんでいた。  
「ん…アシュ姉さまぁ…」  
 ほやあとした無垢な笑みを浮かべながら、自分の名を呼ぶリリスが愛しくて、アシュタロスは、そっとリリスに語りかける。  
「私のことを、夢にまで見てくれるというのか…?愛しい妹よ…」  
 艶やかな微笑を浮かべ、リリスの口唇に口付けをする。まずは軽く。触れるだけの、キス。  
「姉様、か…そういえば、『リリス』も、イナンナ女神から派生したという説あったな…」  
 啄ばむようなキスを繰り返しながら、アシュタロスが一人ごちる。  
「『リリス』が怠惰担当官であると言い張る人間もいるようであるし、お前と私は、実はよく似ているのかも知れぬな…」  
「…んぅ…」  
 何度も執拗に繰り返される口付けが苦しいのか、酸素を求めるかのように、うっすらと開かれた唇の隙を突いて、アシュタロスの舌がリリスの口腔内に侵入する。  
 まだ、何の反応も示さないリリスの舌を絡めとり、自分の口の中へ導きいれると、そのまま、舌同士を擦り合わせるように絡ませあう。  
 
 静かな夜だ。お互いの息遣いと、合わせた口唇の間から漏れるピチャピチャという湿った破裂音以外に、聞こえる音はない。  
 絡ませあった下を伝わらせて、自分の唾液を送り込みながら、アシュタロスは、リリスの服をゆっくりと剥ぎ取っていく。少しずつ丁寧に。いまだ、夢の中でまどろむリリスを起こさぬように、慎重に慎重を重ねながら。  
 やがて、リリスの身体を覆う布はすべて取り除かれ、彼女は、生まれたままの姿をアシュタロスの眼下に晒す。  
 雪のように白い肌。血のように赤い頬。  
「これで、髪が黒檀のごとく漆黒であれば、お前は、御伽噺の中の姫君になれたかもしれぬな、リリスよ…」  
 名残惜しそうに唇を離し、いつの間にか溢れてきてしまっていた唾液を舌先で舐め取る。  
 舌の先から、じんわりと甘みが広がるような気がした。  
   
そのまま、つつ…と、舌を首筋に滑らせ、少しきつく吸い上げる。見る間に吸われた部分が紅潮し、アシュタロスとの契りの証明と化す。  
 自分の中に渦巻きだした、ほの暗い欲望の赴くままにリリスの肌を吸っていたアシュタロスが、ふと我に返る。  
 白い肌に、まるで真紅の薔薇の花びらを散らしたかのように、口付けの痕が残っている。  
「ふふふ…これはこれで、何ともいえぬ風情があるな…」  
 欲望を制しできなかった自分の甘さに苦笑しながら、アシュタロスは、再びリリスの肌に痕を残す。  
「…たまらぬな、これは…」   
 真っ赤に濡れた唇を、きゅっと持ち上げて微笑む。  
 その顔は、まさに、かつて、愛欲の女神と謳た彼女の前身、イシュタル女神の面影を色濃く残していた。  
 陶器のように滑らかなリリスの肌に手を這わせ、前身をくまなく撫で回す。今までの刺激にほんのりと汗ばんだりリスの身体は、しっとりとした触感を、アシュタロスの手のひらに伝えてくる。  
 吸い付くようにしなやかな肌の感触をたどっていると、不意に、ごつごつという感触が指に伝わってくる。  
 …古い傷痕…。  
 恐らく、人間界での戦いの最中についたものなのだろう。今はすでに塞がったその傷痕に、アシュタロスは軽く口付ける。  
 どうか、二度と、かこの子の肌が傷つく事がないように、と、精一杯の祈りを込めて…。  
 
「…ん…」  
 くすぐったさが伝わるのか、リリスが微かに身じろぎする。その拍子に、彼女自身の手が胸を隠してしまう。  
「こらこら…誰が隠していいといったのだ?」  
 クスクスと、淫蕩な笑みを浮かべつつ、アシュタロスは、リリスの手を胸からどかせる。見るからに柔らかそうな胸乳が、たぷんと揺れる。  
「言うことの聞けない悪い子には、オシオキをしないとな…」  
 悪戯っぽく笑ったアシュタロスが、ぷっくりと膨らんだリリスの乳首を口に含む。  
「うぁっ…」  
 その瞬間、うっすらと開いたりリスの口から、甘い吐息が漏れる。  
 その反応に気を良くしたのか、アシュタロスの攻めは、さらに執拗さを見せ始める。  
 ゆっくりと、乳房を揉み上げながら、口の中で固さを増していく乳首に軽く歯を立て、吸い上げる。  
「ん…ぁ…はぁん…」  
 眠っているにもかかわらず、胸を弄ばれ、言い様のない熱さを煽られているリリスは、意識がないせいか、アシュタロスの愛撫に素直に反応し、彼女の目と耳を喜ばせる。  
 それにしても、アシュタロスの身体の下で、切なげに腰をくねらせながら熱い吐息を漏らす姿の、なんとなまめかしいことか。いつものぽややんとした様子からは想像もできぬほどだ。  
 いつの間にか、アシュタロスも自分の身体を覆う布地を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になっていた。  
「…ぁぅ…」  
 体の奥から湧き上がる熱に浮かされるかのように、リリスが微かに喘ぎを漏らす。  
「どうした。もう我慢できぬのか?」  
「…はぅぅん…」  
 乳首を口唇に挟んだまま、アシュタロスが応える。その刺激すら、身体の熱を煽るのだろう。眉根を寄せてリリスが身悶える。  
 それを知ってか、アシュタロスはさらに、胸を弄ぶ。  
 焦らすように、乳房をこねるようにも見つつ、乳輪を舌先で辿る一方、空いた手でもう片方の乳首の表面をカリカリと引っかいてみたり。  
「ゃ…あっ…あぁん…」  
 とろとろと、身体が最奥から融けていってしまいそうなほどの熱さに、リリスの意識がゆっくりと眠りの底から浮上していく。  
 
「ん…なにぃ…?」  
 状況が理解できないままのリリスの瞳に、いつの間にか全裸になっている自分の身体が目に入る。  
「…やだ…何で!?」  
 寝ぼけたついでに脱いでしまったのかと思い、慌ててシーツを引き寄せようとした手が、アシュタロスに掴まれる。  
「…おはよう、リリス。気分はどうだ?」  
 自分の腕を掴むアシュタロスは、いつもと変わらぬ様子で嫣然と微笑んでいる。  
 しかし、何かが違うのだ。いまだ眠りから醒めきらぬリリスの頭の中で、何かが警告の鐘を鳴らす。  
 だが、その警鐘を理解できるほど、リリスの精神は覚醒していなかった。  
「…なんか…身体熱いの…変な感じするぅ…」  
 ほう、と、熱い吐息をはくと、アシュタロスの胸にもたれかかる。  
 アシュタロスの細くしなやかな指が、乱れたリリスの髪を梳くように撫でる。その刺激ですら、リリスの性感を刺激するには十分すぎるほどだ。  
「楽に、なりたいか?」  
 自分の胸に身体を預けながら、潤んだ瞳で自分を見上げる人間の少女の耳元でそっと囁いてみる。  
「アシュ姉ぇ…たす、けてぇ…」  
 リリスがコクンと頷き、その顔をアシュタロスの胸に擦り付ける。今、自分の目の前にいる人物によって、身体の熱が熾されておることもわからずに…。  
「…よかろう…」  
 天使のような微笑を浮かべて、悪魔が囁いた。  
 

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