「石田先生!」  
 必死な叫びとともに、エンジンの掛かっていない自動車が揺らされた。  
 一人車内で物思いに耽っていたコジローは、その声と振動で我に返る。  
「吉河先生……」  
 目を向けた先には、外からこちらを見る吉河教諭。窓ガラスがもどかしいとばかりに、べったりと身体を寄せて。  
 学校中探し回ったのだろうか。珠の汗を浮かべ、頬を紅潮させながら、やっと見つけたコジローに詰め寄っていた。  
 二人の間には、薄っぺらい無機質の隔壁。  
 指紋がついちまうな……。  
 コジローの頭に、ふとそんな場違いな感想が浮かぶ。  
「どうしたんですか、吉河先生? そんなに息切らせて」  
 一つ大きく呼吸して、コジローは車外へ出る。普段より、一歩離れて前に立つ。  
 何事も無い、そう告げるように。努めて明るく、軽い声で目の前の女性に返した。  
「あ、あの……剣道部が休部って、本当ですか!?」  
「……っ」  
 思わず、顔を歪める。それだけで、簡単に察せられてしまったようだ。すぐ顔に出る自分が嫌になる。  
「誰からそんなことを?」  
「二年生が傷害事件起こしたって聞いて。しかも、それが剣道部だって……その、それで、ちょっとだけ噂に……」  
 人の口に戸は立てられないということか。  
 校長も処分内容を口外はしていないだろうが、外山と岩佐のことは隠し様が無い。となれば、後は予想して然るべし、というところだろう。  
「大丈夫ですって、心配ありませんよ。こんなことで、アイツらの剣道を終わらせたりはしませんから」  
「でも、それじゃ石田先生の剣道はどうなるんですか!?」  
 一歩踏み込んで、コジローの顔に迫る。  
 部外者なのに、何でこんなに……。  
 口元を引き締め、そして視線は決して外すことなく、僅かに涙を溜めた眼差しで見つめられると、空元気で飾る自分の心に痛い。  
「俺は……もともと、俺の不甲斐なさが起こした問題ですし。大丈夫! 何とかなるッス!」  
 それでも、飾り続ける必要がある時もあるだろう。グッと拳を握り締めて見せる。  
「信じて……いいんですよね?」  
 空元気とわかっていても、その言葉に一縷の望みを持って。  
「ええ。また明日」  
「はい。お疲れ様です」  
 運転席でシートベルトを着け、キーを回す。今度はちゃんと掛かってくれた。これでいつでも出発できる。  
 最後にもう一度だけ、コジローは彼女の名を呼び、その眼を見た。  
「それじゃ、吉河先生」  
「はい」  
「――――」  
「……え?」  
 聞き返す前に、発車してしまった。  
 走って追いかけても、人の足では、追いつくことなど到底不可能だった。  
「石田先生!」  
 みるみるうちに、彼の自動車が小さくなり、やがて曲がり角に消えた。  
 コジロー声に出さない声は、もちろん聞こえなかった。だが、確かに届いた。  
 いや、届いてしまった。視線が合わさったその時に。  
「ど、どうすれば……。そうだ! 確か、石田先生の先輩が――」  
 慌てて携帯を取り出し、合宿の時に交換して以来、一度も使ってなかった番号を探す。  
 震える指で、ボタンを押した。  
 
 
 ――もしもの時は、アイツらを頼みます。  
 

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