いつものようにユージくんと帰っていると、急な雨に降られた。
たまたま今日は寄り道していたから、距離的にはあたしの家が一番近い避難場所で……けれどどうにか門を潜った時には、あたしもユージくんも全身びしょ濡れだった。
……折り畳み傘くらい、鞄の中に忍ばせておけばよかった。
「うわー、やみそうにないね、これは」
玄関の軒先で髪についた雫を手で払いながら、ユージくんが空を見上げて言ってくる。確かに、ちっともやみそうにない……どころか、なんだか遠くで雷まで鳴ってるような気がする。
とりあえずタオルを持ってこようと家の中に上がって(ユージくんは床が濡れることを気にしてか、靴も脱がずにその場で待ってる)、居間まで来たところで。
テーブルの上の書置きに気付いた。
タオルで手を拭いてからそれを取り上げると、もちろんお父さんの書いたものだった。
……今日はちょっと遅くなりそうだから、夕飯は済ませておいていい、って。
また町内会の付き合いかなにかかな、とか考えながら、タオルを持って玄関まで戻る。ユージくんは盛大にくしゃみをしていた。
……あれ、震えてる?
「あ、ありがとタマちゃん」
けれどあたしの顔を見るやいつもの笑顔でそう言って、あたしが差し出したタオルを受け取った。やっぱりその場で頭を拭き始める。
……あたしだけが家に上がって、ユージくんが上がらずに土足のまま、という状況は流石にどうかと思って、あたしは思わず声をかけた。
「ユージくん、上がらないの?」
「ん? でも俺、靴の中まで濡れちゃってるんだけど」
それを言うなら、あたしが既に濡らしちゃってるんだけどな、床。
そう告げると、ユージくんはそれでもやっぱり少し考えた後で、
「じゃあ、お邪魔します」
そう言って、やっと靴を脱いだ。
掃除は後で手伝うから、と、もちろん付け足した。
……洗面所に来たところで、あたしはとんでもないことに気が付いた。
鏡に、前に立つあたしとユージくんの姿が映ってる。いつの間にか随分と身長に差が開いてしまったけれど、それは今はどうでもよくって。
よく考えたら当たり前のことだったんだけど……あたしの着てる服、透けてる。もちろん濡れてるせい。
下着も丸見えだった。着替える時とか、嫌でも他の女子部員と比較してしまう、小振りな下着。更によく見たら、その中にあるものまでうっすらと……
慌てて両手で覆ったけど、どう考えても後の祭りだ。顔がもの凄い勢いで熱くなっているのを自覚しつつ、ユージくんの方をちらりと見る。
「あ、タマちゃん、ドライヤーこれだよね?」
……あたしの方を見てなかった。
というか、今ここでいきなり透けたわけじゃないんだから、ユージくんもとっくに気付いてたはずなんだけど……今の今まで、そんなことおくびにも出さなかった。教えてくれても良かったのに。
それとも……別に、大したことじゃない、と思われてたのかな。
あたしの下着とか……別に、見たってなんにも感じないのかな。
ユージくんに背を向けて、腕の隙間から自分の胸に視線を落とす。
……ちっちゃい。
とっくにわかってたことだけど、ちっちゃい。
……先輩達の言ってた「せっくすあぴーる」っていうのがどういうことなのかはよくわかんないけど、とにかくちっちゃいと、男の人の興味を引きにくい、らしい。
前に先輩や宮崎さんから、東さん共々聞かされた話を思い出した。確か、その時先輩達は……
(ユージくんくらいの男の子なら、普通は年上の女の人に憧れるもんだよねー)
本人から直接聞いたわけでもないのにどうして断言できるのかよくわかんなかったけれど、とにかくそういうものらしい。すぐ傍で聞いてた先生も別に否定してなかった。
で、胸がちっちゃいと、そういう「年上の女の人」っぽさっていうのは、あまり出せないみたい。
つまり……あたしの胸なんて見ても、ユージくんはどうとも思わない、っていうことになる、のかな。
「タマちゃん、ほら、頭乾かさないと」
頭の上でカチッという音がして、熱風が後頭部の辺りに吹きつけられた。ユージくんがあたしの背後に立ってドライヤーのスイッチを入れたらしい。
……位置的には、ほんの少し前を見れば、鏡に映ったあたしの姿が見えるはず、なんだけど。
ユージくんはあたしの髪を乾かすのに夢中になってるみたいで、ちっとも気付いてない。
……なんだか、悔しくなってきた。日頃からユージくんはあたしを妹みたいに扱ってるけど、年齢はあたしもユージくんも一緒だ。
なにより……あたしだって、ちゃんと成長してるんだっていうことを、証明したくて。
あたしは……隠すために上げていた腕を、恐る恐る下ろした。
……やっぱり、まだ濡れてる。つまり、見えてる。下着も、その下も。
恥ずかしくて、また顔が熱くなってきた。鏡に映ったあたしの顔は、なんだか滑稽なくらい真赤になってる。
だけど。
「……あれ、タマちゃん? もしかして、寒いの?」
身体を強張らせてるのを全然違う意味に解釈したのか、ユージくんはあたしの姿を見下ろしながらそんなことを言ってきた。
そして、そこでようやく思い出したように、
「あ、そっか。頭より先に着替えた方が良さそうだね」
やっぱり、気付いてたんだ。だったら当然、見たはずなのに……どうしてこんなに落ち着いてるんだろう。
更に悔しさがこみ上げてきた。なんだかこのまま退いてしまったら、あたし一人の完敗のような気がしてしまう。
「ユ、ユージくんっ」
自分でもよくわからない衝動に衝き動かされて、あたしは思わず口走っていた。
「お、お風呂入るっ」
「うん。じゃあ、入ろっか」
……一瞬、なにを言われたのかよくわからなかった。
けれどユージくんは呆然としてるあたしには構わず、浴室に入っていってしまう。
「あ、流石にお湯は張ってないか……じゃあタマちゃん、とりあえずシャワーだけでも」
まだ返事ができないでいると、やがて浴室の方からお湯の流れる音と湯気が漂ってきた。
「タマちゃーん? これ、シャワーと一緒にお湯出せるよね?」
「え? あ、う、うん。出せるよ」
「じゃあ、お湯が溜まるまでシャワー浴びてようか。えーっと石鹸は……」
……言い訳無用とばかりに、入る気満々だった。
………………どうしよう。
でも、あたしから言い出したことだし……ユージくんは既に準備完了してるみたいだし……
それに……さっき感じた悔しさは、まだ胸の中に残ってる。
「…………うん」
意を決して、あたしは服を脱いだ。タオル一枚で身体の前を隠して、浴室へと足を踏み入れる。
そして……
「……あれ?」
そこに立っていたユージくんの姿を見て、動きを止めてしまった。
「ユージくん……服着たままお風呂入るの?」
長い付き合いだけれど、そんな習慣があるなんて知らなかった。
「へ? いや、入るのはタマちゃんでしょ?」
「…………えっ?」
言葉が続かない。どういうことだろう……?
「ほら、ここ座って。洗ってあげるから」
……………………えー…………
……結局、あたしはユージくんにほぼ全身を洗ってもらい、それが終わる頃には浴槽にもお湯が溜まっていた。
あたしが肩までしっかりお湯に浸かるのを見届けたユージくんは、「ちゃんと百まで数えるんだよ?」と念を押して、そのまま浴室から出て行った。洗濯と床の掃除をあたしがお風呂に入ってる間に済ませておくつもりらしい。
…………なんだか、納得がいかない。
ちなみに、あまり身体を拭いてなかったユージくんは、洗濯と掃除を終える頃にはきっちりと風邪をひいていた。
もちろん家に帰ることなんてできず、客室で寝ていたところを帰ってきたお父さんに見つかり、一騒動あったんだけど――それは別のお話。