サヤは初めて出来た友達。
ぬいぐるみ以外で。
…あれぇ、私の子供の頃ってこんな暗い子だったっけぇ?;
稽古を始める前、清冽な気持ちで手ぬぐいを結ぶと、時々、思い出す。
私が剣道を始めた時の事と、ちょっと恥ずかしい思い出のこと。
サヤのうちとは元々、私がずっとずっと小さい頃からの、家族ぐるみのお付き合いになる。
サヤのお母さんが私の家のやってるお店「惣菜ちば」の常連さんになって、
習い事とかをうちのお母さんと一緒にするようになるくらい仲良くなって、それかららしい。
だから私は、物心つくかつかないかの頃からずっと同い年のサヤと一緒だった。
それは楽しいとか楽しくないじゃなくて当たり前のような事で… 別にイヤじゃなかったし、
その頃から行動力があって元気な姉御肌のサヤに引っ張られて遊ぶのはいつでも楽しかった。
まぁ時々度が過ぎて大人の人に怒られる事もあったけど、子供心に楽しんでた…と思う。
―――小学校にあがって、しばらく経つまでは。
☆☆☆
”気持ち悪い 不細工 オタク 学校くんな”
6年の冬。今日も机の上に躍ってる文字。 …飽きもせずに。
高学年に成れば成る程、こういう手口は逆に子供じみてくるのは何でだろう?
そんな事を考えながら、いつもの様に、常備してあるスポンジで拭こうとすると、後ろからサヤの声がかかる。
「ちょっと、キリノ!? なにこれ… 誰よこんなの書いたの!?」
「いいよ〜、サヤ…いつもの事だし。」
「なんにもよくないよ!先生に言わなきゃ!ううん、アタシが犯人捕まえて、とっちめてやる!」
驚いてるけど、実はサヤもこんなのを目にするのは今回が初めてではない。
でも見つける度にサヤは本気で怒って、同情してくれる。小さい時から、ずっと変わらずに。
まだ当時は、本当に根のやさしい子なんだな、くらいに思ってたっけ?
…少し離れた所で他の女子の声がする。
「(桑原さん、また千葉さんと一緒だよ、仲良いよね〜クスクス)」
「(好きなんじゃないの?キリノに手を出す奴は俺が〜って、カッコいい〜)」
「(えっ、女の子同士なのに?気持ちワル…でも千葉さん変だしお似合いかもね?)」
こんな感じの囁きも、もう何度聞いただろう。
サヤ自身は耳に入らないのか、意味が分からないのか、全く気にしていないけど。
…私自身もそんなには気にしてなかった。その時は。まだ。
☆☆☆
「…桑原さん。お休みですね。」
サヤが急に学校に来なくなって、一週間くらいになる。もうすぐ卒業だって言うのに、どうしたんだろう?
不思議には感じていたけど、気分屋のサヤの事だしこう言う事もあるかな、と、どこかで安心もしてたかも。
いつもの、なんでもない囁きの中に、そんな言葉を聴くまでは。
「(旦那の方今日も休みだね。)」
「(あれじゃない?「手紙」がこたえたとか?)」
そんな声が耳に入って、一気に血の気が引く音がした。 …”手紙”?
それが今いないサヤと関わりのある物だというのは、容易に想像できた。
血が上りそうになってる頭の思考を整理し、勇気を出して問い質してみる。
「あのぉ〜、それって、どんな手紙?」
「えっ…」
唇がふるえてる。
この時は、我ながら、けっこうな剣幕だったと思う。
「いいから、教えて!サヤに何したの!?」
「別に…何でもないよ、おちょくってやろうと思って、アンタの名前であの子にラブレター書いてあげたの。」
一瞬、何でそんな事…なんて、思ったけど。
その裏の真意に気付くまでにそんなに時間はかからなかったと思う。
サヤは知らなかった。このイジメに自分が巻き込まれていたこと。でも、知ってしまった。
ううん、私が、自分の意思で、サヤを巻き込んでたんだ…
そんなの分かっていたのに、今まで何もしなかった自分を、物凄い後悔と良心の呵責が苛む。
私が… 私が、サヤの、一番サヤである部分を壊してしまったら、どうしよう…
学校が終わって、気が付いたら、サヤの家の前に居た。
☆☆☆
「…あれ?キリノ、何してるの?」
…いつまでも待つつもりだったのに、その声は意外なほど早くて、あっけなかった。
サヤはさっきまで物凄い勢いで自転車を漕いでいたのか、息が荒い。
「あのねサヤ、私、ごめ…」
「ゴメンねー!いやキリノがさあ、あんなに真剣に私の事考えてくれたなんて思いもしなくて」
「…は?」
「いやー読んでてこっ恥ずしかったよ〜って、これは失礼だね、うん、ありがとうキリノ!」
「…」
「ちょっと顔合わせ辛くて、逃げててゴメンね、また明日からは学校行くから、よろしくね!」
恐ろしくあっけらかんとしたサヤの言葉の意味を辿ると…
も、もしかして私の取り越し苦労?!
でも、にひひ、って笑ってるサヤの笑顔を見てると…
やっぱりこのひとに頼ってばっかりじゃ、いけない。そんな気がして、だから。
「あのね…サヤ、私、強くなるよ。」
「うん? …うん、頑張れ、キリノ。って何が?」
「えへへ。まだ内緒。」
私の心の中には、既にある決意があった。
☆☆☆
「ついて来なくて、いいってばぁ〜」
「ええ〜でもキリノが剣道なんて、危ないよ〜」
中学に入った私(たち)は、剣道部のある武道場を探していた。
何か武道を始める、と言った時のサヤの反応は芳しくなく、まあ、だいたい予想通りだった。
だから自分はもうソフト部に決めているのに、こんな所にまで付いてきちゃった…らしい。
「ここだねぇ〜」
「うん… ホントに入るの?」
中に入ると誰もおらず、静まり返った畳敷きの道場が広がっていた。
考えてみると上級生や先生は補習とかがあって、来るのが遅いのかも知れない。
そんな事を考えてると、いつの間にか中に入ってたサヤが何か楽しい物を見つけたような声で私を呼んだ。
「キリノ〜っ、おいでおいで、コレ何だろう?」
「勝手に先入ってるのサヤじゃない、もぉ〜」
「いいからいいからっ、ホラこれ」
手ぬぐいだ。流石に剣道なんか全然やった事もない私でもそれ位わかる。
でもそう告げようとした矢先に、サヤが。
「強い人がしてるリボンだよ!ほら、こーやって巻くんだよ」
「あっ、ちょっと、サヤぁ。」
私の後ろに回って、髪をほぐして、まとめあげる。その手ぬぐ…リボンを使って。
どうもサヤはお料理の先生とかと勘違いしてるみたいで、
剣道は強い人ほど長いリボンをつけるものだと誤解してるらしい。
私の髪をまとめながら、サヤが呟く。
「…キリノ。」
「うん〜?」
「ありがとうね。」
「?」
「私がキリノの事守らなくても良い様に、強くなりたいって思ってくれたでしょ?」
…あまりに図星で、返す言葉もなかった。
何でそんな事が分かるんだろう… と、不思議に思ったけど、
サヤが髪を梳く心地よさに任せるだけで、変な声になる。
「あ… う〜、うええ?」
「ふっふ〜、お姉ちゃんだから、わかるんだよ?キリノだってそうでしょ?ハイこれでよし!と。」
大きな鏡で見ると、私の背中… 腰くらいまである大きなリボ…手ぬぐいは物凄く不恰好に見えた。
私の顔も真っ赤で、余計に変だ。
サヤにしてみれば、「早くこれ位強くなってね!」という事なのかも知れないけど。
…流石に道場にあった物を勝手に使うのも申し訳ないし、解こうとすると。
「まだ、とっちゃダメ!最後に仕上げするから、もうちょっとそのままでいて?」
「…?」
訝しがる私を横目に、私の前に回りこむサヤ。
私よりずっと背の高いサヤは、覆い被さるように腰を落とし、そして…
私の髪の、結び目の前辺りにやさしくキスをした。
「…お守りだよ?私が居なくっても、キリノが強くなれますように。」
にひ、とさらに私の頭を撫でながら、サヤ。
――その頭に触れてくる指を感じながら、分かった事が、ひとつ。
違った。私が強くっても弱くっても、サヤは何も変わらない、むしろ。
―――泣き零れそうな顔をあげて、その笑顔を見たときに、もうひとつ。
サヤを守りたいからとかじゃなくて、これは憧れなんだって。
私が、サヤみたいに強くなりたかったんだって。
…気が付いたら、もう止めどなかった。
「サヤぁ〜〜 ぁぅ〜〜」
「よしよし、キリノはいい子だね。…強くならなきゃ、ダメだよ? 私より、ずっと、ね?」
それからこの、手ぬぐいリボンは、二人の間の約束になった。
後にちゃんと間違いだと分かって注意されてからも、ずっと。
それからしばらく、時間が過ぎて…
☆☆☆
「くっやしぃぃぃーーーっ!!」
高校でもハイテンションのサヤ。私の頭には相変わらず手ぬぐいリボン。
室江高には女子ソフト部が無かった為、部活を決めあぐねていたサヤは
幼馴染の友達がいる剣道部に立ち寄り、その友達…つまり、私に打ち負かされたのだ。
「私、本格的に剣道やる!まずはキリノ、あんたを倒すんだから!」
「(たははぁ…本当に忘れちゃってるんだなぁ…)」
私が剣道を始めた理由。
張本人のサヤはすっかり忘れちゃったみたいだけど…;
私の事を全部分かってくれて、頭を撫でてくれる、新しい人が現れても。
強くなる事。それが二人の約束で、このリボンは、サヤのくれた私のお守りだから。
いつか…サヤに抜かれちゃっても、私だってもっともっと強くなるんだから。約束だよ!
☆☆☆
…そうして更に1年が過ぎて、私達が2年生になって初めての夏、現在。
私にも後輩が出来て、今日は暫く来てなかったサヤにその後輩のお披露目式だ。
着替え終わって出て来た私のカッコに、早々にサヤが突っ込みを入れる。
「あーキリノ、リボン傾いちゃってるよ、あたしが結び直したげる!」
「あ、あれ?考え事してたからかな…」
サヤにリボンの事を言われると一瞬、ドキッとする。
けど、サヤは勿論覚えてないから、そのままだ。まぁ当然だけど。
今のサヤにはこれはただの、お飾りのリボンなんだから。
だけど…
「んー?前にもこんな事なかったっけ。」
「むっふっふ、気のせいじゃないかな?」
…覚えててくれたのはちょっと嬉しい。
でも、恥ずかしいから、サヤがちゃんと自分で思い出すまで、教えてあげないよーだ。
「おはようございまーす、お。」
「しらないひとがいる…」
そんな事をしている内に、その後輩たちがやって来た。
一瞥するや、サヤは目をきらっきらに輝かせてる。
「新入部員?」
「そう、初の後輩。」
「かわいいねーーー♪」
あんたも可愛いよ。ふふ。
そんな言葉が口をつこうとした瞬間だった。
「覚えてる?剣道始めたばっかりの頃のキリノもあんなだったんだよ?」
……………………え。
「初めて道場に行った時さあ…」
―――そこから先の言葉は、ほとんど聞こえなかった。
[おしまい。]