私がいつものお茶会の公園の入り口までたどりつき、そしてまた躊躇う。  
これ以上、メイプルのほうへ近づくことができない。  
そして、少し後退して公園の脇まで戻り、また前進する。  
 
何をしているんだろう、私。  
 
もうとっくにメイプルの開店時間なんて過ぎているだろうに、  
それでも踏ん切りがつかず店へ行くことも帰ることもできずに公園の周囲をうろうろしている。  
馬鹿みたい、じゃない。  
正真正銘の大馬鹿者だ。  
 
だけど、私は6回目の後退を開始する。  
真実を知るのが怖い。  
だけど真実を知らないままでいるのは耐えられない。  
自分が情けなくて、涙が出そうになる。  
 
その時清村さんがお茶会の公園に入っていくのが遠目に見えた。  
隣に女性を連れ立って。  
 
絶望で頭が真っ白になるが、それが見知った女性と分かりわずかに安心し、当惑する。  
(なんで安藤さんが清村さんと……?)  
理由が知りたい。でも近づきたくない。気づかれたくない。  
私は二人に気づかれないよう公園の茂みに分け入り、後をつけ始めた。  
 
 
東屋に入るなり、安藤さんは清村さんを木刀で叩き伏せた。  
あまりのことに私はぽかんと口を開けてただ成り行きを見守る。  
「な……何するんだよ!」  
「叩かれる謂れがないと胸を張って言える身ですか?」  
「そ……それは……」  
清村さんが口ごもった。  
 
「こんな女と肩を組んで一緒に仲良く町を練り歩くなんて、  
恥知らずにもほどがありますね」  
差し出された携帯の画像に目を丸くした清村さんは一瞬言葉を止める。  
私も息を飲んで耳を済ませる。  
携帯の画像は見えないけど、清村さんと一緒に歩いていた女性とは私の目撃したあの女の人に違いない。  
 
「……これ、姉貴だぐぼぇっ」  
「よくもそんな嘘を抜け抜けと」  
心底軽蔑した顔で安藤さんが清村さんを見下ろす。  
「いや、本とだから!とりあえず木刀で殴るの止めろ!  
ほら、これ見ろよ、携帯に名前あるだろ」  
 
「……ほんとに?」  
「嘘なら戸籍謄本でも何でも調べりゃいいだろ!」  
「ま、人間なら誰でも間違いはあるとして」  
涼しげに安藤さんは言いきった。  
「人を木刀で殴って間違いで済ますな!大体これ、遠いからわかんねえけど  
肩組まれてるんじゃなくて首極められて無理矢理連れ回されてるだけだっての」  
「ふーん」  
「ふーんで済ますな!」  
 
「あたしに謝る気はありませんよ。だってあなたが小川さんを傷つけたのは事実ですから」  
急に、清村さんの背中が小さくなった。  
「……それは、言い訳しない」  
「家族のいないチャンスに焦ったんでしょ。これだから童貞は」  
「っていうかなんであの日家族いなかったの知ってるんだよ!」  
安藤さんは清村さんの質問に無視して続ける。  
 
「どうせ、嫌がる小川さんを無理矢理押し倒したんでしょ?  
彼女が抵抗できないのをいいことに」  
「……ああ、ひどいことをしたよ」  
それは違う。  
だってあの時、清村さんは私に聞いてきたのだ。  
 
『……いいよな?』  
 
そして私はそれを拒否しなかった。  
拒否して、清村さんの機嫌を損ねるのが怖かった。  
 
「謝っても償えないのは分かってるさ」  
 
拒めば、彼に捨てられると思ってしまった。  
少し考えれば、優しい彼がそれぐらいで私を責めるはずはないと分かるのに。  
 
「でも、顔も見せてくれないほど嫌われるってのは、こたえるな」  
寂しそうに清村さんが俯く。  
「自業自得です」  
 
違う。違う。確かに清村さんも悪いかもしれない。  
でも、私だって悪いんだ。  
肝心な時に、肝心な言葉を言えない私にも責任はあるんだ。  
あの時ちゃんと自分が感じていた恐怖を告げていれば、  
清村さんも私もこんなに傷つかずにすんだんだ。  
 
 
「へえ、清村が女と公園でデートしてるってのは本当だったんだな」  
私が植え込みから出て声を出そうとした瞬間、 
清村さんと安藤さんの周りをガラの悪い10人の男の人達が取り囲んだ。  
「なんです、この人達?お友達ですか?」  
「さあね」  
 
「よ、清村。久しぶりじゃねーか」  
ニット帽をかぶった男の人が進み出て話しかけるが清村さんは首を傾げる。  
「……誰だっけ?」  
たちまちニット帽の男の人が顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。  
「このくそ野郎が!てめえに歯をへし折ら」  
「まあそう熱くなるなよ」  
 
ニット帽の男の人を肩を掴み、二人の木刀を持った人が進み出る。  
「俺らがすぐに黙らしてやるからよ、てめらはそれまで後ろでじっくり待っとけって」  
「……ああ、頼むぜ、岩佐、外山」  
 
二人が構えるのを見て清村さんの顔が少し険しくなる。  
剣道部員の私と安藤さんにも分かった。この人達は剣道経験者だ。  
「あんたら結構使えるみたいだな」  
清村さんがため息を吐いて安藤さんのほうを振り返る。  
「一応さ、武道をやってる人間ならプライドみたいなもんがあるだろ?  
女に手出しするのは止めてくれいたぁーーっ」  
 
安藤さんは清村さんの顔に木刀をめり込ませる。  
「何ですかその『女に手出しするのは止めてくれ』ってせりふは。  
あたしがあなたの彼女と誤解されるでしょうが」  
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」  
木刀を持った角ばった輪郭の男の人がニヤニヤしながら隣の少し整った顔立ちの人に問う。  
「女は逃がせってよ。どうする外山?」  
 
問われた男の人は、薄ら寒くなるほど不吉な笑みを浮かべる。  
「おいおい、そんなことするわけないだろ?。……乱戦中に間違って殴ることはあるかもしれないが、な」  
角ばった輪郭の男の人は、低い鼻を震わせてせせら笑った。  
「だってよ。わりいな、こいつどサドなもんで」  
 
「ふふふ、サドならこっちも負けませんよ」  
なぜか対抗して安藤さんが清村さんの後頭部を殴る。  
「いたーーー、だから何でこの状況で俺をしばくんだよ!!  
今の状況はあんたもピンチなんだぞ」  
 
そう、今清村さんと安藤さんはピンチの真っ只中だ。  
 
「いやでもしばき安そうな頭だったんでつい」  
「ついじゃねーついじゃ」  
「昼の公園だとすぐに人も来るしさっさと終わらせろよ。  
早くそっちのねーちゃんと遊びてぇし」  
 
だけど私は、一連のやり取りを茂みの中で傍観しているだけ。  
 
「あー思い出した。このニット帽女の子無理矢理暗がりに  
連れ込もうとしてたから俺が殴ったんだ」  
「あんなの無理矢理じゃねーよ。臍と肩丸出しの女なんてヤられたいから  
そういう格好してるんだからな」  
「……やっぱり友達じゃないんですか?  
知能指数の低いところがいかにも清村さんの仲間っぽいですよ?」  
 
親しい人が、恋しい人が危機に陥っているというのに。  
 
「……おい、そこのねーちゃんの顔傷つけるなよ。  
可愛がる時痣だらけじゃ楽しめないしな」  
「やれやれ、わりいな。なんか巻き込みそうだ」  
「大丈夫ですよ。自分の身ぐらい自分で守れます」  
 
変わるんだ。少しでも強くかっこよくなる時はいまなんだ。  
 
「あなた達っ、警察を呼びますよ!」  
 
私は茂みから顔を出し、携帯を掲げながら震える声で叫んだ。  
 
「芽衣!!」  
「小川さん!!」  
 
清村さんと安藤さんが私の姿を見て驚く。  
二人に絡んできた男の人達もこちらを見て、皆の視線が私に集中する。  
 
その時ふと、私の皮膚に鳥肌が立つ。  
 
まるで品定めするような、粘ついた視線。  
それは、どサドと呼ばれた人の恐ろしい眼光だった。  
 
彼は、私と安藤さんを何度も見比べて、最終的に私のほうへ顔を向ける。  
 
「こっちのほうが俺好みだな」  
 
「てめえ、芽衣に手を出したらぶっ殺すぞ!」  
今まで聞いたこともないような低い音程で清村さんが叫んだ。  
「やれやれ、あたしの時とはえらい違いですねぇ」  
「へえ、こっちの方がほんとの彼女みたいだな。遊んでやれよ、外山」  
 
ニヤニヤと笑みを浮かべながらどサドの人がこちらへ一歩踏み出そうとした瞬間、  
清村さんが放物線を描くようにしてフォークとナイフをサドの人に投げつけた。  
 
食器とはいえ、凶器であることにかわりはない。  
弧を描いて飛んできたそれらを木刀ではじいた瞬間、  
がら空きになったどサドの人の懐に清村さんが一気に踏み込みボディブローを放った。  
 
「……くはぁ……」  
 
どサドの人が肺から空気を吐いて倒れると、  
連れの人が顔を真っ赤にして清村さんに木刀を振り下ろす。  
「てめぇっ」  
 
「清村さん!」  
「芽衣は逃げろ!」  
 
すんでの所でかわした清村さんはそれでも私の身を案じる。  
「だけど、だけどっ!」  
 
「武器もないあなたがいても清村さんが困るだけです。  
それよりも早くどっかから助けを!警察に電話じゃ間に合いそうもないです」  
安藤さんがニット帽の男を木刀でぼっこぼこにしながら私に指示する。  
確かに、今私にできることは助けを呼ぶことだけだ。  
 
公園内には私たち以外誰もいない。  
公園の入り口に向かって走り出す。  
 
背後で、清村さんの呻き声が聞こえた。  
 
涙が滲む。足が震える。  
だけど駄目だ。  
ここで立ち止まってはいけない。振り向いてはいけない。  
その時、涙でモザイクのように歪んだ視界へ、人影が写りこんだ。  
 
「お願いです、私の大事な人が……大事な人が襲われてるんです!!」  
 
突然のことに人影がとまっどっているのが気配で分かる。だけど私は言葉を止めない。  
 
「大勢の悪い人に襲われて……相手は剣道経験者で!だから、どうにか助けてくださ……」  
 
ここで私は言葉を止める。  
近づいてきた人影が、私と変わらぬ背格好だったからだ。  
性別も年齢もいまだあふれる涙で分からないが、  
私と同じぐらいの身長なら暴漢を止める力はまずないはずだ。  
慌てて私は言葉を変える。  
 
「あ……あの、近くに交番はありませんか!?」  
 
しかし人影は、私の横を通り過ぎる。  
 
「あ、駄目です!中は今乱闘で、危険です!」  
 
「大丈夫ですよ、……小川さん」  
その声の主は、どこかから取り出した棒状の何かを持ったまま公園の中へと駆けていった。  
 
その声の主は私を知っていた。  
 
私もその声の主を知っていた。  
 
思いがけない再会に、私の涙が、思考が止まる。 
 
「あ、駄目です!危険ですってば!!」  
しばらく放心していた私は慌てて彼女の後を追った。  
 
清村さん達の所まで引き返した私が見たものは地面の上でのびる不良たちと、  
その前で角ばった顔の人から取り上げたであろう木刀を持ちながら  
腕の痣をさする清村さんの姿だった。  
「ああ、芽衣、無事だったのか!」  
「清村さんこそ、そんなに痣だらけで大丈夫なんですか?」  
 
「これは、半分以上こいつにつけられたんだけどな」  
清村さんは鼻歌を歌いなが不良の人達を裸に剥いて撮影している安藤さんを木刀で指し示す。  
 
「イヤ〜、乱戦ダッタモノデツイ手ガスベッテ」  
「思いっきり棒読みじゃねーか!」  
「?!それよりも、あなたは……」  
安藤さんは、私より少し前にこの場へ駆けつけた彼女を見て目を丸くする。  
 
「ああん?誰だあんた」  
全身返り血を浴びて、安藤さんに木刀を突きつけている清村さんが不思議そうに尋ねる。  
「……悪い人というのは、あなたですか?」  
竹刀を手にした彼女は、ゆっくりと彼に問い返す。  
 
「え、俺?俺は別に」  
「ええ、自分の性衝動を押さえつけられず小川さんを泣かせる極悪人、  
とりごや高校3年10組清村緒乃とは彼のことですよ」  
安藤さんがおどけて清村さんのことを紹介する。  
「何で俺のクラスまで知ってんの!?……まあ、前半は事実だから反論できねーが……」  
 
その時、竹刀を持った彼女がボソリと呟いた。  
男、年上、経験者、と。  
 
そう、今ここに来たばかりの彼女――川添珠姫から見れば、  
清村さんは大勢の男の返り血に染まり安藤さんに竹刀を向ける極悪人。  
次の瞬間、タマさんの渾身の突きが清村さんに炸裂する。  
 
清村さんは数メートル先まで吹っ飛び、そのまま白目を剥いて動かなくなった。  
 
私が悲鳴をあげるのと、安藤さんが  
「あれは死にましたね」  
と楽しげに呟くのはほぼ同時だった。  

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