……。  
蒸し暑い。  
合宿初日。午後の稽古だけで相当疲れているはずなのに、なかなか寝付けなかった。  
浅い眠りについても、すぐに目が醒める。その繰り返し。  
十分に休息をとるようコジローに言われてはいたが、すでに時刻は午前2時を回っていた。  
(んー…あっつーい…)  
千葉紀梨乃はごろん、と何度目かになる寝返りをうちながら、頭の中で一人ごちていた。  
幸いこの合宿所は浴衣があったため、ある程度助かってはいたのだが。  
(…サヤ、よく寝てるなー…)  
同室の桑原鞘子は、隣の布団で寝ている。この部屋は二人部屋なので、寝ているのはキリノとサヤの二人だけ  
 
だった。  
そのサヤはこの暑さにも拘らず毛布を首までかけ、こちらに背を向けて体を上下させていた。  
(さー、あたしも早く寝ないと…)  
そう思い、キリノがもう一度眠りにつこうと寝返りをうったときだった。  
「ん、んぁ…あ…」  
(――!)  
サヤの声だった。  
背中越しの微かな声ではあったが、キリノには確かに聞こえた。  
「ふ…ぁ、ん、はぁっ…」  
(え…?サヤ…?)  
それは明らかに、女の悩ましい喘ぎ声だった。  
脳天気な性格のキリノでも、そういうことに関して無関心というわけでもない。  
サヤが何をしているのか、大体の見当はついてしまった。  
そして、初め小さかったその声は、時間とともに徐々に大きくなっていった。  
「あ…ん、ぁん、あっ、あっ…あ、ふぅ…」  
(サ、サヤってば、こんなことしてるんだ…)  
顔が真っ赤になり、体が火照り始めているのがわかる。  
胸がドキドキいっている。鼓動が、止まらない――  
(ど、どーしよ…こんなの聞かされてたら、眠れないよ…)  
キリノは毛布をかぶり、耳を塞ごうとした。これ以上は、ムリ。そう思った。だが――  
「ん…あっ、あんっ、はぁ、あ…あっ、あっ、ん…あ…きり、のぉ…」  
(――え――)  
「えええぇぇぇっ!?」  
「っ、うわああぁぁっ!?」  
思わずキリノは毛布をはねのけて、上半身を勢いよく起こしていた。  
ほぼ同時にサヤも反応し、二人は暗闇の中布団の上で互いに向かい合う形になった。  
「……」  
「……」  
無言。  
自身の浴衣がひどく乱れていることに気付き、サヤが素早く両手で直す。  
明かりがない分よくわからないが、おそらく二人とも顔は真っ赤になっているだろう。  
「……」  
さらに無言。  
静寂の中、耳の中でどくどくと早鐘のように打ちつける音が、やかましかった。  
「……サヤ」  
「……っ!」  
サヤの体が、硬直したように思えた。  
「……お、オナ、ニー……してた、よね」  
「…………うん」  
「……」  
「……」  
「…その…えっと、あ、あたしの名前――」  
「ごめんッ!!」  
サヤが唐突に頭を下げた。  
「…え?」  
 
(どうしよう…嫌われた…ぜったい嫌われちゃったよぉ…)  
サヤは泣きたくなるような気持ちで、自分の布団を見つめていた。  
自分が友達を…女友達をオカズに、自慰に耽っていたことが知られてしまった。それも、まさにその子自身に。  
恥ずかしさと絶望で、頭がいっぱいになった。もう、元の関係には戻れない…  
「…えーと、サヤ?なんで謝られてるのか、わかんないんだけど…」  
許してもらえるとも思っていない。いっそのこと、絶交…  
(…え?)  
耳を疑った。と同時に、ぱちん、と部屋の明かりが点いた。  
ゆっくりと顔を上げると、そこには照れくさそうに頬を掻きながらも、いつもの笑顔を浮かべたキリノがいた。  
「え…だってキリノ…怒ってないの?」  
「怒る?あたしが?そんなわけないじゃーん」  
にゃははー、と笑ってキリノは言った。  
「うそ…」  
「…まぁ、すっごく驚いたのは確かだよ。でも」  
「……」  
「…イヤじゃなかった」  
「……」  
「サヤ。あたし、サヤが好きだよ。友達としてじゃなくて、恋人として、サヤのことが好き」  
(――っ!)  
…泣いた。泣いてしまった。  
さっきから堪えていた涙。ただし、今流している涙は絶望ではなく、嬉しさ故にこぼれ出た涙だった。  
幼い頃から抱き続けてきた想い。叶わないと知りながら、それでも諦めきれず、胸の内に秘めてきた。  
今、それが現実になった。そのことが、嬉しくて、嬉しくて――  
「こーらー、泣いてるサヤは見たくないよ」  
「……ん」  
キリノがサヤの頬をつたう涙を指先で拭う。サヤがうなずき返すと、いつの間にかキリノの顔が目の前にあった。  
(あ…キリノの顔、真っ赤…)  
気付いた瞬間、収まっていた鼓動が再び高鳴り始める。  
だが、少し押され気味になりつつも、それ以上キリノは近付いてこない。  
(あれ…)  
「……キリノ?」  
「……まだ、サヤの口から聞いてない」  
ムスッとして、キリノが言う。  
サヤは一瞬キョトンとしてから、ぽんっとますます顔を赤くした。  
「……知ってるくせに」  
「ちゃんと聞きたいんだよ」  
「……」  
(あぁもう!なんでこんな…)  
「……き」  
「…、聞こえないっ」  
「だ、大好きだって言っ――んむっ!?」  
 
 
 
――サヤのバカ…我慢させすぎだよ…!  
 
 
 
………  
 
……  
 
…  
 
 
「おいサヤ、まーた目の下クマできてんぞ。合宿にも持ってきてんのか?小説」  
翌朝、遅れて朝食に降りてきたサヤにコジローが声をかけた。  
「あーいや、そんなんだったらいいんすけどね…」  
今にも倒れてしまいそうなほど疲労オーラを漂わせ、サヤは深い溜息をついた。  
「休んどけって言っただろうが。何してたのか知らねーけどよ」  
「いやもうなんも聞かんといて下さい…」  
はあぁぁ、と二度目の溜息をつき、よろよろと席につく。  
コジローと後輩たちは、その様子を不思議そうに眺めていた。  
「だらしないぞ、サヤ!キリノを見てみろ!」  
と、ちょうどそこへご飯のおかわりをよそってきたキリノがやってきた。  
「あ、遅いよーサヤ!朝ご飯きっちり食べないと、一日もたないよー!」  
びしっ、と言って、キリノはサヤの隣の席についた。  
(キリノ…あんた、一体なにもんなのよ…)  
あの後、二人は夜明け近くまであんなことやそんなことに励んでいたため、睡眠をほとんど取っていないのだ。  
(あんただって全然寝てないじゃん!なんでそんなに元気なの〜…)  
ようやく食べ始めたはいいが、箸が進まない。  
「う〜」  
「おいおいサヤ、まだ合宿始まったばっかだぞ?今からそんな調子でどうするんだ」  
(……あ)  
「あー…そっかぁ…まだ始まったばっかかぁ…」  
あはは、と乾いた笑いを漏らすと、隣りにいたキリノがそっと耳打ちした。  
「…まだまだ、これからだよ?覚悟してね――」  
 
(――なに顔赤くしてんだ!あたし!)  
 
 
終  
 

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