身体をゆすられて目を覚ます。誰かが顔を覗き込んでいる。
ぼやけた視界に映った影は、忘れようとしていた人に似ている気がした。
(……ダーリン……?)
はっとして身体を起こす。次の瞬間目に火花が走った。
「……っ…たあい」
見ればその誰かも鼻を押さえて顔をそむけている。
起きた拍子に相手の顔におでこを力いっぱいぶつけたらしい。
こぶを手で確認しながらショコラは彼が「ダーリン」ではないことを知る。
「こんなとこでなにやってんのマロン」
いつものように酒場で飲んで、店を出てそれから記憶が無い。見渡せばえらく狭くて安っぽい部屋だ。
寝かされていたらしいベッドはほこり臭くて少し動いただけできしんだ。場末の宿屋の一室といったところか。
「何やってんのって」
それはこっちの科白だとしかめっ面で赤くなった鼻をさする。
彼の話によれば……自分は酒場に程近い人気の無い道で大の字に寝ていたらしい。
周りに瀕死の重傷を負った男が3人ほど転がっていたと聞いてさすがにゲッと思ったが、
着衣は乱れてなかったらしいし「むしろ男達に対する暴行事件で捕まるほうが心配」とのことで、
そのあたりは心配しなくてよさそうだ。
「連れて家まで帰ろうとしたけど帰りたくないってわめくし、
とりあえず近くの宿に入ったんだ。はい水。飲んで。」
「……ん」
カップを渡したマロンが嘆息する。
叱られているように感じて、年下のくせにとしゃくに障った。
長い三角関係に終止符が打たれてから、ティラはやけに家にいないことが多くなった。
キャロに会っているのか、自分と顔を合わせたくないのか、あるいはその両方か。
どちらにしてもいつも一緒だった彼女が側にいないのは退屈で仕方ない。
だからこのところひとりの夜は決まって酒場に出向く。
勘違い男が絡んでくるのは不快だがそれでもひとりでいるよりましだ。
妹が今度結婚するの。そう言えばたいてい気の良い客や店の親父はおごってくれる。
おめでとう。おめでとう。うれしいでしょう。お幸せに。
祝いの言葉に囲まれるのは気持ちよかった。素直に妹の幸せを喜べるような気がした。何より退屈しないように、余計なことを考えないように、沢山笑って騒げばあっという間に朝が来る。それだけだ。後ろめたいことなんて、なにもしていない。
「ショコラ」
「何」
「こういうのやめたほうがいいと思う」
「こういうのって何」
「兄さんと最近会った?」
キャロットの名前が出て思わず身が固くなる。最後に顔を合わせたのはいつだろう。あたしはいつから彼に会わなくなったんだろう。
「どうして会おうとしないの」
「…まるであたしがキャロを避けてるみたいな言い方ね」
「違う?」
こいつは昔からこうだ。
事情も機微も解さずいきなり核心に触れては正論を振りかざす。それがうっとうしい。
「ティラにだってそうだよ。前はいつも一緒にいたのに」
離れていったのはティラのほうじゃない。
「二人とも心配してるよ」
ふうん、で?なんでマロンがそんなことあたしに言ってくるわけ?
「あてつけみたいに夜出歩いて、らしくないよ」
うるさい。
「今の状態でわだかまりなくお祝いできる?」
同じくせに。あんただってあたしと同じくせに。
「兄さんのこと、あきらめられてないんじゃないか」
……笑っておめでとうなんて言う自信ないくせに!
ベッドが大きくきしんだ。
ショコラに胸倉をつかまれてその上に引き倒されたことが信じられないように
マロンは目を見開いている。
「そんなにあたしがキャロットを忘れられないってことにしたい……?」
ショコラは自分の髪をまさぐった。
「じゃあ、あんたダーリンの代わり、する?」
「え……?」
マロンの腕を後ろ手にまわして針金でくくる。暴れられる前に両足もベッドの柱にとめた。
「ちょっ……ショコラ……これっ」
「トロい。これが仕事なら、もう5回は殺られてるとこよね」
「やめてよ……離しっ…」
「あんまり動かないほうがいいわよ。これだと手首って簡単に千切れるんだから。まあ、」
千切れちゃってもいくらだって遊び様あるからいいけどね。
そういって喉を鳴らしたショコラにマロンの身体がこわばった。
上にのる。キャロットと焚き火にあたった夜を思い出す。
(全然違うじゃない)
彼が愛しくてたまらなかった。愛しくてたまらないのが怖かった。
だから全てを与えたかった。全てが欲しかった。
でも今は?何ひとつ与えたくない。何ひとつ怖くない。
「もう、ショコラ今日はおかしいよ。分かったからいい加減…」
顔を吐息がかかる位置まで近づけた。
少しでもキャロットの面影を探したが見当たらない。
弟なんだから少しは似ていてもいいのに、これじゃ代わりにもなりゃしない。
「離して」
噛み付くようなキス。頭を振って逃れようとするのを押さえつけた。
乱暴に舌をねじ込んで奥のほうまでかき回しては吸う。
他人の舌って思ったよりやわらかくないんだなあ。初めてする「深い」キスにぼんやり思った。
「んん……っう……くぅ…………んんんっ」
自分のほうが息苦しくなって離れると唾液が糸を引いた。大きく吸って咳き込むマロンの
顔にかかった黒髪をすいて、耳元でささやく。
「雪山で皆ちりぢりになったときのこと、覚えてる?」
「それ…が……?」
「あたしあの時ダーリンと最後までしちゃった」
「兄さんは……嘘だって」
「本当のことなんて、言うと思う?」
マロンの服のボタンに手をかけた。言い聞かせるようにひとつひとつはずしていく。
「弟なんかに、言うと思う……?」
弟なんか。その言葉にマロンの顔色がすっと変わった。
「でも嘘だって」
「知りたい?」
「でも」
「ダーリンがどうやって抱いてくれたか。どうやって愛してくれたか」
「でも兄さんはっ……っ」
全部はずし終わるとジャケットを脱いで自分のタンクトップをずらした。勢いに大きな胸がふるんとゆれる。
「教えてあげるね」
ミニスカートを捲り上げ下着を下ろして、ショコラはゆっくりとその身を倒してゆく。
「あんなに毎日女の子追いかけてるのに、ダーリンったらあたしが初めてだったの」
聞きたくない、マロンはそう言いたげにぎゅっと目を固くつむり口を閉じる。
鎖骨の辺りをその唇にあてた。
そのまま下にずらして自分の肌をなぞらせる。かすかに感じる息がくすぐったい。
「はじめは遠慮がちだったけど、だんだん……ね、わかるでしょ」
胸をぎゅっと押し付けると、呼吸ができなくて苦しいのか唇が動いた。
乳首をそこにあてがう。刺激が走る。
「んっ…ここだって……口の中に、入れて舌で、してくれたんだから」
マロンは顔を真っ赤にして、それでもうめき声ひとつ上げない。
…気に食わない。
「……っ!」
胸に手を這わして突起をつねり上げると身体がはねた。
その様子に、ショコラは嗜虐心をそそられる。
ふとももで頭を挟んだ。ひざで立ち、見せ付けるように指で自分の秘部をなぞる。
くちっと音がした。
「それから、ダーリンが指で触れてくれたのは、ここ」
目を閉じたままのマロンにかまわず押し広げた。どうせ耳はふさげない。
聞こえないふりなんて、出来ないんだ。
「少し出てるとこわかる?敏感だからって、舐めてくれたの」
「軽くイっちゃって、恥ずかしかった」
マロンは変わらず黙って何も言わない。腰を落として口に押し付けたらどうするだろう。
キャロットがそうしたといって、舌を奥まで差し込みなさいって命令しようか。
「ね、ここにダーリンのが入ってきたの」
さっきよりも少し後ろのほうを広げてみせる。
「震えるあたしに『お前が欲しい』って言ったのよ」
「痛かったけど……嬉しくて、すごく嬉しくて」
「だから怖くないの」
「ダーリンをダーリンって呼べなくなっても、怖くないの」
「あたしはあの時、キャロットに愛されたんだから」
「ねえ、マロン、見てる?」
「聞こえてるんでしょ」
「ちゃんと見なさいよ」
「見ないと許してあげないわよ、ねえ」
マロンはゆっくりと目を開けた。目を開けて、見た。
「泣いてるの?」
「っ……?!」
とっさに顔を覆った。目元に触れたが涙はこぼれていない。
(しまった…っ)
その瞬間頭に血がのぼる。
見られた。今のを見られてしまった。
泣きたい自分を知られてしまった。
身体のどこより一番恥ずかしいところを見られた……!
服の隙間から手を突っ込んでマロンの中心に触れる。
遠くで何か言っている。でも聞いてなんかやるもんか。
あんたが悪いのよ。見せたくないものを見たあんたが。だから……
「固いよ」
彼の恥ずかしいところも暴かれて当然だとばかりに、ショコラは笑う。
直に触れると熱くて、戯れに擦ると先が濡れた。
普段は何の欲も無いといわんばかりの男の、そういう部分をさらすのは思った以上に愉快だ。
逃げられはしないけど、身体をねじって抵抗されるとやりにくい。
「いい子にしてないと、」
片手でなぶりながらもう片方の手でこれみよがしに針金をもてあそんでみせる。
「多分ここも、痛くなるんじゃない」
はい、おしまい。尋問でだってこう言って大人しくならない奴はいない。
取り出して自身にあてがう。
「このまましたら大好きなキャロとおそろいよね」
少し脅かしてやるつもりだった。先だけちょっと入れて、その反応をあざけ笑ってやるつもりだった。
「良かったね。嬉しい?」
その状態で腰を落とそうとして……落とせない。
(あ……あれ…?)
今まで読んだどの本のヒロインも、初めてのときは痛くて涙を流してた。
でも、やっと結ばれたのねと浸る程度の甘い痛みであったはずだ。
少なくともこんな、ちょっと入れただけでずどんとかごりんとか音がしそうな、
激しく引き裂かれる痛みではない。それなのに。
(いっったああああぁ……)
見れば先の先がわずか埋まっただけ。その事実に戦慄する。
(何で何で、何でよお)
むきになって押し込むと、あまりの痛さに涙がこぼれた。苦しい。
マロンは見ているのだろうか。こんな惨めな自分も見ているのだろうか。
見ないでよ。お願いだから、やめて。嫌だ嫌だ嫌だいやだ―――――
「ショコラ!」
ガツンと頭が揺れた。一瞬気が遠くなり、鼻の中がきな臭くなる。
「―――――――っあにすんのよマロン!」
……こんな場面で男に頭突き食らった女は世界中で多分あたしだけだ。
そう思うと余計に腹立たしくて、きっ、と睨む。さっきまで遠かった顔が目の前にある。
「頭の形変わっちゃうじゃない!」
「嫌だっていうのにやめないから」
ぎくりとする。また何かをみすかされた気がして思わず赤面した。
「なっ何それ、あたしがいつ嫌だって言ったのよ」
「違うよ、ぼくが嫌だって!ほら全然人の話聞かない」
「だからってそう来るかなフツー?!あーもうさっきと同じトコぶつけた!」
「……が…フツーじゃないから……」
ぐらり。
ゆれるとマロンはショコラの肩に額をのせてもたれかかった。
「こっちだってフツーじゃなくなるんじゃないか……」
それきりぴくりとも動かない。急に怖くなってショコラは軽く背中をゆする。
「ま…まさか、打ち所が悪かったとかじゃないでしょうね……ちょっと」
応えるのもおっくうそうに頭がゆっくり振られた。
「……それより、手。あと、足も」
解放されたマロンは息を吐いてのろのろとうずくまった。
よほど無理にもがいたのだろう、手首の跡は皮がずるむけて赤い肉が見えている。
シーツに血がにじんでいるのを見て、今さらながらショコラの胸に罪悪感が広がった。
「………悪かったわよ」
沈黙が流れる。野犬の声すら聞こえなくて、耳に痛いほどの静かな沈黙。
やがてうつむいたまま、マロンが口を開いた。
「想われないから、想わない?」
「……え?」
「一番じゃないからって、忘れないでもいいよ」
「………」
「ぼくは、そう決めた」
この上なく酷なことを言っていると、ショコラは思う。
未来永劫、恋の苦しみだけを抱いていろと、彼はそういっているのだ。
「それは」
だけど、それは同時に救いだ。好きな人と、大事な妹と、どちらも失わないたったひとつの方法。
「あんたが、キャロットの弟だからいえることよね」
首を振る。しぐさが泣いてばかりだった昔の彼に重なる。
「たかが、弟だよ」
誰もが時間の流れの中で過去に置いていくような幼い憧れを、後生大事に抱えて大人になっても振り回されて。
その姿はまるでそっくり自分を映したようだ。
「馬鹿みたい」
自嘲ぎみに笑う。つられてマロンも笑う。
「そうだね」
「じゃ、あんたは『兄さん』で手一杯だから、一生童貞でいるつもりなんだ?」
「な……べっ別に」
耳まで真っ赤になったマロンに軽くくちづけてささやいた。
「ねえ、代わりの続き」
そっちのほうを選ぶなら、今は傷を舐めあおう。だって好きなんだから。
「好き」が叶いそうにないんだから。恋も、深すぎる肉親の情も、
報われそうにないならお互いそれくらいの過ちは犯すべきだ。
わずかに逡巡したように間が空いて、ぎこちなく押し倒された瞬間、
キャロットの顔が浮かばないことを、不思議だと思った。
身体の重さに緊張する。こういうときどんな顔をしていればいいのだろう。
物語のように頭が真っ白になんかならなくて、しかたなく相手の顔を見ないように視線を泳がせる。
(あつ……)
肌に口付けられて触れた舌が、ひどく熱く感じた。
何度もそうされて、胸元がいくつかの赤いあざに染まる。
動くたびに身体をなぞるマロンの髪に感覚を刺激される。
胸の敏感なところを含んで口の中で転がされた。声をあげそうになって、慌てて手の甲をかんだ。
喘ぎ声なんてあげたくないのだ。
これを望んだのは自分なのに、そのくせ欲情に狂う女の顔をさらしたくない。ふいに自身の言葉を思い出す。
はじめは遠慮がちだったけど、だんだん……ね、わかるでしょ。
(わからない)
口の中に、入れて舌で、してくれたんだから。
(嘘。嘘。嘘つき)
……ダーリンが指で触れてくれたのは、ここ。
「んんっ………」
そこをなぞられて思わずびくっとなる。壊れものを触るように動かされると水音がした。
聞こえないようにしても、もれてしまう嬌声が、少しずつ大きくなっていく。
その音から、自身の声から逃れたくて、耳をふさぎたくてたまらなくて、でもふさげない。
羞恥心を知られてしまう。張り続けた虚勢が暴かれてしまう。
「や……ああ……」
指を少し深く入れられて、思わず背をのけぞらせた。
縛られていると思った。どこを拘束されなくとも、縛られて、責められている。
「覚え……てるっ…の…?」
もしかして、さっき言ったことを覚えていて、わざとそのとおりにやっているのだろうか。
「何が?」
口だけで答えてマロンは頭を下のほうにすべらす。
よく分かっていないようにも、分かってとぼけているようにも聞こえた。
「ひうっ………くっ……いやあっ……ああっ」
舌が、濡れている傷口に触れて動いた。粘膜で蹂躙されている感覚にちょっとずつ、
確実に追いつめられて、身体が制御できずにもがく。
一瞬大きく震えて力が抜けた。身体の奥がゆるく何度か痙攣している。
(あ……)
手が自分のものじゃないように小刻みにぶれている。
それがどういうことか知って、あまりの恥ずかしさにどうしたらいいかわからない。
「や……や……」
暖めるように手を握られる。きゅっと抱かれてようやく落ち着く。
「ショコラの」
目が合う。何故かすねたような表情で耳元まで近づいてきて、ぼそっと一言。
「嘘つき」
かあっと顔が熱くなった。なんで、どうして、
「分かるの?」「やっぱりそうなんだ」
………カマかけやがった、こいつ。
心なしか嬉しそうに目を細めるマロンの腕を払い、頬をぐいっとつかんで上下左右に引っ張る。
「陰険ー!最低ー!もーもーもー!」
「いひゃいっいひゃいっててっ」
意外にのびる。調子に乗って限界まで伸ばしぐりんぐりん回す。
「あーそおですぅ、ダーリンとはしてませんーだからなによお悪いっ?!」
つかんだ頬の肉を最後にぎゅっとねじって離した。
すっかり赤くなったところを涙目で抑えてマロンは
「別に、悪くないけど」
そうもらすと、ショコラに寄りかかって目を閉じた。
「うん、別に悪くないよ」
図々しく甘えんじゃないわよとも言おうとしたが、
普段は人を寄せ付けないような幼馴染の意外な一面が、
不覚にも心地いいと、ショコラは思ってしまった。
「あ、ま……まって」
あてがわれると、さっきの痛みがよみがえってくる。
「ちょっ……ほんと、ちょっとだけ……ごめ…」
「やめる?」
まだ戻れるよ。マロンの目がそういっている気がする。
苦しまないでいられるところまで戻れるよ。
―――――キャロットを、欲しがり続けなくてすむよ。
真っ直ぐその目を見返した。できるだけ深刻にならないように言葉を選ぶ。
「ダーリンと、えーと、えっちするとするわね」「うん」
「初めてをあげるのもいいけど、うまくいかなかったら、気まずいわよね」
「うん」
「だから、練習。ダーリンにいっぱい、喜んでもらうための、あんた練習台」
「………うん」
首筋にキスされる。もう一度、下半身の熱が自分の入り口に当たる。
まだ何もしていないのに、額に汗がにじむ。
痛みなら仕事で慣れている。腹を刺されたことも数え切れないほどある。
それに比べれば造作ないはずなのに、どうして今はこんなに怖いのか。
「なすとか、きゅうりとか」
力を抜こうとする。自分でもしょうもないことをしゃべってると思う。
「そんな、食べ物を粗末にするのもなんだし」
ぐっと圧迫される。どちらかの喉がひゅっと鳴る。
「第一、あんまり、野菜とか苦くて、好きじゃな、い…か……ら…ね、ねえ、マロン」
なんか、しゃべって。いや、しゃべらないで。
「あ、その」
「……黙って」
「―――――――――――っっ!」
一気に差し込まれてショコラは声にならない声をあげた。
これは何の罰かな。あまりの激痛にぼんやり思う。
キャロを想ってティラを傷つけてマロンを玩具にした罰か。
それを繰り返そうとしていることへの罰か。
彼は入れたままじっとしている。自分を哀れんでいるようで、とても耐えられない。
「う…動いて……お願い…おねがい……」
子供をあやすように頭をなでられて、やがて傷つけないように遠慮がちに動かされる。
ベッドのきしむ音だけが異様に部屋に響いて、ショコラはマロンの背中にしがみついた。
「いっ…んっ……あっ……あっ」
痛みと、こころもち感じる甘さに腰が引けないよう必死ですり寄せる。
抱かれる腕にぎゅっと力がこもった。増す激しさに戸惑いながら、終わりが近いことを知る。
最後の瞬間、「ダーリン」と言おうとして、やめた。
それだけは、これから先の覚悟として、とっておかなくちゃと、思った。
「新婚旅行に内緒でついてっちゃおうかな」
自分の赤毛とマロンの黒髪を同時につまんで手遊び、ショコラはつぶやく。
「だって妻の座はティラに譲ったんだもの。初夜は愛人のあたしがもらわなきゃ」
「……悪趣味」
「うっさいわね。なんならあんたも来る?」
「え……えええっ」
慌てたマロンのふとももを布団の下できゅっとつねってにやりとする。
「何考えてんのよ、ムッツリスケベ」
そう。
抱きついて裸で迫って、キャロットは騒いで、ティラがわめいて。
ガトーはあきれて、あんたは後ろでこっそりムッとしてるんでしょ。
ああ、それは良く知っている光景だ。願ってはいけないと知りながら、心のどこかでずっと戻りたかった光景。
自分が変わらなければ、決して失わないことにどうして気づかなかったんだろう。
酒場での祝福が耳に響く。
幸せに。幸せに。どうかどうか幸せに。
「………幸せに、なれるかな……」
誰が、とは聞かれなかった。代わりに黙って抱き寄せられた。
腕を回して抱き返して、ショコラはほんの少しだけ泣いた。