糸の張り。  
 竿の撓り。  
 腕にかかる負荷。  
 水面の飛沫。  
 それらを読み取り予測する、獲物の動き。――――――ぴしゃりだ。  
 
「………フィッシュ」  
 逃がす気がしない。揺さぶりをかけ、竿を天頂に向けて引く。  
 余分な勢いを後方へと殺してやるだけの十分な撓みを持たせるために、手の力を緩める。  
 そして、水面から俺の顔面目掛けて飛来する『そいつ』を受け止める。  
「…本当に、何にでも食いつくんだな、おまえたちは。もう少し、選り好みするってことも長生きのために覚えたほうがいいぞ」  
 晴天の下に引きずり出され、尚もうねうねと八本の脚をくねらせてもがく―――タコ。  
 俺は掌に収まりよく捕まっている頭の下にある、無機質な目玉を見つめ、忌憚のない意見を述べてやる。  
 竿を置き、空いた右の手で軽く頭を弾くと、この体のどこに入っていたのか、足の付け根の口から一振りの長剣が吐き捨てられるように地面に転び出る。  
「やれやれ。ウチの連中も中々だが、おまえたちの悪食も相当だな。…ほら、行け」  
 もらう物ももらったので、じたばたと暴れ続ける軟体生物にお帰り願う。川の水面に放ってやれば、タコは着水するや、清水の照り返しに紛れていって、そのままわからなくなった。  
「…ん。書物関係も見境なし、と。どうなってるんだ、ここの生態系は」  
 自分で試しておいてなんだが、まさか本当に釣れるとは。一体、何なら食わないんだマハール産のタコは。  
「―――すごいね、アニキ!もう、ぼくなんかじゃ敵わない位上手くなってるよ、タコ釣り!」  
 と、柄にもなく余所のラグーンの生物の生態に呆れている俺の背中に声がかかった。  
 声の主を筋道立てて特定するまでもない。俺を兄貴と呼ぶのは、今のところ、この世に一人しかいない。  
「ビッケバッケ。見てたのか」  
「うん、今のタコを釣り上げるちょっと前から。アニキ集中してたみたいだったから、邪魔しちゃ悪いと思って」  
 振り返れば、ビッケバッケが嬉しそうにはしゃいで、俺の脇に積んである『戦利品』に目を輝かせていた。だが、そこに釣りをするのなら竿と対で在るべきモノがないことに気づいて、首を傾げた。  
 
「アニキ、タコ、捕らないで川に帰しちゃってるの?」  
「ああ。別に、俺は腹は空かせてない。目的はこっちだけだ」  
 言いながら俺も、釣ったタコ達が吐き出した剣やら鎧やらの山に視線をやる。…まぁ本当は、目的、といったら少し語弊があるが。  
「ふぅん。おいしいのに…」  
「やめておけ。こいつら、無闇に腹に入れるとどうなるかわかったもんじゃない」  
 物欲しげな顔で口に指を当てるビッケバッケに、俺は『目に付くモノなら何でも食べるタコ』を捕食することの危険性を諭す。ビッケバッケは渋々、という風に頷く。  
「それより、せっかくのマハールだろう。おまえ昨日の、ラッシュたちと湖で泳ぐっていう話はどうなったんだ」  
「あ、そうだよ!ぼく、それでアニキを探してたんだよ。ほら、アニキの分の水着、ぼくらが預かったままだったでしょ?」  
 俺の言葉に、ビッケバッケはどうやら忘れていたらしい目的を思い出して、慌てふためいた。  
「…なんだ。あれは、俺も参加する前提の話だったのか」  
「え、アニキ、泳がないの?」  
「悪いな。おまえに教わったコレが思いの外気に入ってな。今日暫くは、のんびり釣りたい気分なんだ」  
 本当の意図はもう少し別にあるのだが、それを敢えて口にせずとも、ビッケバッケならばこう言えば引いてくれるだろう。…タコ釣りがある意味で気に入ったのは嘘じゃないし。  
「そっかぁ。それなら、しょうがないね。じゃあぼく、着替えに行って来るよ!」  
 自分が俺に勧めた遊びが気に入られたのが嬉しいのか、案の定、ビッケバッケはどこか誇らしげに微笑んで宿泊小屋の方へと駆けて行った。  
「―――あ、でもラッシュはアニキと泳ぎで勝負するの張り切ってたから、ラッシュも呼びに来るかもしれないよ!」  
 少しばかり、頭の痛い予報を叫びながら。…できればそうならないことを願いたい。  
 …ラッシュの奴、もしかして昔俺に遠泳で負けたのをまだ根に持ってるのか。何でもかんでも俺に挑戦したがる癖は、まだ直っていないとみえる。  
 あいつにはあいつなりに、俺より優れた才能がいくつもあるのだが、あいつ自身がそれを自覚していないのが難儀な話だ。…負けん気の強さは、評価に値するが。  
 
「…さて。次は何を使うか」  
 気を取り直して、傍らに置いた荷物袋から『餌』を選別する作業に戻る。  
 …太陽は既に天頂にかかっている。朝からここでタコとの勝負を何度も繰り返し、既に釣り上げた回数は二十に届こうとしている。  
 事の発端は、昨日ビッケバッケにタコ釣りを教わった際、釣り上げたタコが剣と鎧を吐き出すという非常識をやらかした事件だ。  
 その直後にドンファンの起こした騒ぎでタコ釣りはお開きとなってしまったが、その時のあまりにシュールな光景が忘れられず、今朝ふらりと竿を持ち出し、もう一度ここに来てしまった。  
 腹の中にアンナモノが収まっていたということは、ここのタコは剣やら鎧やらを食っているということか。  
 そんな疑問を抱きながら、俺は竿の先に使い古しのロングソードを括り付け、川にとぷんと放り込んだ。無論、タコを釣るためだ。ついでに昨日のように資材を調達できれば儲けものだ。  
 ―――そう。きっかけは、本当にそれだけだった。  
 結論から言うと、奴らは竿を垂らせど垂らせど食いついた。そうしたら後は、動きの先読みと竿捌き次第でいくらでも釣り上げられた。最初のほうこそ何度も失敗したが、今ではコツも掴んで、ほぼ負けなしだ。  
 それで、あんまり上手く行き過ぎるものだから、俺の疑問も変な方向に向いてしまった。  
 『こいつらが食指を動かさないモノってなんだろう』と。  
 思い立ったら、普段から持ち歩いている荷物袋を物色し、片っ端から食欲の沸きそうにないものを括っては放った。  
 いかつい武具類は手当たり次第、各種薬物、様々な草、毒物に酒、うにうじ。そして、今しがた試したのが、新品の航海日誌。  
 結果は、全勝。本当に、やればやるほど、連中のある意味でのサバイバビリティには頭が下がる。これでは丸っきりドラゴン並みだ。  
「まいったな。あと試していないのといえば、タンスのアレと…あとは、グンソーの―――」  
「―――見つけたっ。おい、ビュウ!」  
 俺が頭を捻って、荷物袋をひっくり返そうとした瞬間。怒鳴るような声が、俺の横っ面を引っ叩いた。  
 ………………本当に来た。やはり、声の主を特定するまでもなく、俺は声のした方向へ顔を向ける。  
 川の水の流れる行く手。俺から見れば、ちょっとした崖から見下ろす形になる場所。地続きの岸辺に、ショートパンツタイプの水着だけを身につけたラッシュが息を乱して立っていた。  
 地面に点々とついた黒く水の染みた足跡を見るに、昨日話していた湖から走ってきたのだろう。  
 
「よう、ラッシュか。どうした」  
「どうした、じゃねぇって!あんまり遅いんでまさかと思って探しに来たら、こんなとこで釣りかよ!  
 逃げようとしたってそうはいかないぜ、せっかく広い湖があるんだ、今日こそあの時の借りを返させてもらうからな!」  
 努めて何も知らないふりを装って応対してみたが、やはりラッシュ相手では逆効果だった。しかも、飛び出した言葉はあまりにも案の定。分かりやすい奴だ。  
「俺は今忙しい、勘弁してくれ。水泳なら若いお前らだけで楽しんでくるといい」  
「いや、どう見ても暇人丸出しだろ!じーさんみたいなこと言ってないで来いって、いつまでも勝ち逃げさせっぱなしでたまるかよ」  
「………まにょー(まっぴらごめんだぜ)」  
「誰だお前!」  
 人間の言葉では何を言っても無駄と見て、駄目もとでプチデビの言葉で断ってみたが、キレのいい突っ込みが返ってきただけだった。そりゃそうだ。  
 しかし善良な釣り人を捕まえて暇人呼ばわりとは失礼な奴。まぁ、ラッシュに釣りの醍醐味である『静と動の趣き』を理解しろというのも酷か。  
「くそ、意地でも動かないつもりだな。こうなったら力ずくで連れてってやるぜ」  
「む」  
 痺れを切らしたか、ラッシュがこちらに向かって坂をずかずかと大股で上ってくる。  
 …まいったな。ここまで熱心だと、あんまり無碍にしてやるのも可哀相か。この際仕方ない、一戦だけ受けて、さっさと戻って来るとしよう。  
 そう、俺が妥協しようとした時だった。  
「………?」  
 血気にはやり、俺へと猛進してきていたラッシュの足がぴたりと止まった。そればかりか、闘争心丸出しだった形相が、まるで何か予想だにしないエライものにでも出遭ったような仰天顔に変わり、大口をあんぐりと開けて固まってしまった。  
 ラッシュの視線は俺の後方。俺は奴を牽制する為に身構えかけた姿勢のまま、ゆっくりと振り返った。  
 
「…あ、あ、あの。おはよう、ございます、ビュウさん…」  
 ――――――エライものがそこにいた。  
 具体的にどれくらいエライかというと、エライの方向性こそ全く違うものの仮にセンダックやマテライトが『ソレ』を着ていたとしても、俺はこの瞬間ほど無様な隙は作るまい、と断言できるくらい、エライ。  
 …今、俺はきっとただの子犬に襲われても反応すらできず土を舐める結末を辿るだろう。それほどに、俺は俺の体全てで、目の前に現れた女性の有様に驚愕していた。  
 俺はその女性の名前も素性もよく知っているはずだった。だが、眼前にいる彼女の現状と、自分が記憶する彼女の情報があまりにかけ離れていたために、上手く名前を口にすることができず、  
「………………………ふれでりか?」  
 酷く片言に、彼女を呼ぶことができたのは、彼女の呼びかけから十秒も経った頃だった。  
 たったそれだけの返答だがフレデリカは、俺の言葉に『は、はひっ』と上擦った声で答えて体を強張らせる。  
 フレデリカが今身に纏う水着(らしきもの)は、形容し難いほどに過剰な露出を彼女に強要している。肩から両胸を通り下方に伸びる二本の生地のラインは局部で合流し、綺麗なVの字を作る。  
 鮮やかなピンク色が目に眩しいそのV字『だけ』が、ただ彼女が生まれたままの姿であることを否定していた。  
 それは普段の彼女の振る舞いから考えれば、仮令精神高揚効果のある薬物をありったけ服用したとしても、とても自分の意思で着用するなんて考えられない代物だった。まして、その姿で人前に現れるなど論外だ。  
 恥かしそうに頬を紅潮させ、ほんの僅かでも肌を隠そうと抵抗するように自身の体を抱き涙目になるフレデリカ。その態度が、俺の思考の真実性を裏付ける。  
 一先ずの問題を棚上げし、視線を周囲に巡らせる。  
 『主犯』と思しき人物はすぐに見つかった。フレデリカの遥か後方に佇む小屋の影で、ディアナがこちらを窺いながら『ぃよっしゃァッ!』といわんばかりの笑顔でガッツポーズをとっていた。…何考えてるんだ、あいつは。  
 
「ビュウ、さん?」  
「ん…すまん」  
 何も言葉を続けない俺を不思議に思ったのだろう、フレデリカの呼ぶ声で意識を引き戻される。  
 流石に、今のフレデリカにこの水着について問い質すのは気まずい。気まず過ぎる。俺はせめて、ディアナの口車に乗せられてしまったと思われる彼女を気の毒に思いつつ、それでも目のやり場に困って目を伏せる。  
「えと、その…もし、お邪魔でなければ、なんですけど。…ご一緒しても、いいですか?」  
「…好きにしてくれ」  
 消え入るような声で、フレデリカは言う。手持ち無沙汰が耐えられず、彼女に背を向け竿と餌候補を弄りながらそれに短く答える俺。  
 …って、ちょっと待て。自分で言っておいてなんだが、俺はなんで今、こんな愛想のない口調で答えたんだ。別に、フレデリカは何も悪いことはしていないのに、どうしてしまったというんだろう。  
 そっぽを向きながら思考を整理していると、  
「―――――――――オレは何も、見てないからなっ!!」  
 すっかりいることを忘れていた、今まで固まったまま事の成り行きを見守っていただろうラッシュが突然咆哮を上げた。  
 言うが早いか奴は踵を返し、うおおおおおお、と絶叫しながら来た道を逆走してゆき、やがて見えなくなった。  
 …すごいぞ、ラッシュ。たったあれだけのやり取りでその気の回し、俺は尊敬するぞ。ただ、その結論は少しばかり早計なんだ、頼むからいらん勘違いはしてくれるな。  
「………ラッシュさん?どうしたんでしょう」  
「わからん」  
 ラッシュの突然の奇行に呆気にとられていたのか、フレデリカの反応は数拍遅れて聞こえてきた。自分より取り乱した人間を見たときによく起こる心理変化が彼女にもあったのだろう、その声は先ほどよりやや穏やかになっている。  
 だが、奴の離脱した意図を察するまでには至っていないらしいので、俺はその問いにはとぼけておく。  
 さて、とりあえず、膠着は解けた。心の中でラッシュに礼を言いつつ、並行して釣り糸に餌を括る。今度はあまあまハニーだ。瓶詰めの蜂蜜だが、恐らく問題ないだろう。  
 
 ワインを試したときにわかったが、連中、節操なしに釣り針に引っかかる癖にそういう知能だけは発達してるのか、その八つ脚で絡めとったボトルのコルクを自力で引っこ抜いてみせた。瓶の蓋くらいなら易々と突破してしまうはずだ。  
 …背後から、しげしげと俺の作業を観察するフレデリカの視線を感じる。無視しているようで、何とも決まりが悪い。だが振り返って今の彼女を直視する勇気は俺にはない。許せ、フレデリカ。  
「となり、いいですか?」  
 一瞬の、覚悟を決めるように息を呑む気配の直後の、フレデリカの問い。  
 ともすれば呂律の回らない酔っ払いのような口調になりかけながら、早口で告げられた彼女の言葉に、俺の思考も数秒の間停止する。  
 色々とつまらない詮索が頭の中で巡りそうになる。また無愛想な返答が口をつきそうになる。  
 だが、それを先回りして、  
「…ありがとうございます。失礼しますね」  
 俺の体は無言で、座る位置を人一人分、ずらしていた。そうして、糸で括った拳大の瓶を川に投げる。  
 フレデリカは安堵したように礼を述べ、おそるおそるといった動作で俺の右隣、崖の縁に腰掛ける。  
 俺は、数秒の逡巡の末の自分の行動に、まあ、訊きたいこともあるしな、などと理屈をつけて一人で納得してみる。  
「………」  
「………」  
 納得、してみたものの。やはり彼女を直視できない現状は変わっておらず、切り出すタイミングを計りかねるのだった。  
 水面に消える釣り糸の先を見つめながら、先ほどのように重苦しくはないものの、奇妙な沈黙の時間が流れる。  
 攻めあぐねて思案顔をしているだろう俺と対照的に、隣のフレデリカから伝わる呼吸は僅か、興奮しているように感じられる。  
「…釣れますか?」  
 不意に、フレデリカが沈黙を破った。  
「…釣れなくなるのを待つ程度にはな」  
 それに、我ながらよくわからない表現で応えて返す。だがフレデリカはその答えが甚く気に入ったのか、そうなんですか、なんて嬉しそうに漏らす。  
 そうして、横っ面にむず痒い彼女の視線が途切れ途切れになりはじめる。視界の隅に、ちゃぷちゃぷと水面に揺られる釣り糸にも興味を示す彼女が映った。  
 
「変わったものを、餌にするんですね」  
「今日は特別だ。ここの連中があんまり好き嫌いしないんでつい、な」  
「そうなんですか。何でも食べるのは、いいことです」  
 それにしたって限度があると思うが。  
「…熱心だな。見てて面白いものでもないだろう」  
「いえ、私、釣りってやったことがないので、一度近くで見てみたかったんです」  
「………いいけどな。せっかく綺麗な湖や川が沢山あるんだから、泳げるうちに泳いでおくのも悪くないと思うぞ。  
 そんな水着――――――まで、用意したんだから、な」  
 言いあぐねていた言葉が、会話の流れに乗せられて意図せぬ形で転がり出た。  
 水着、という単語が出た瞬間、しまった、などと他人事のようにありきたりな感想が浮かんだが、すぐにそれが目的だったことを思い出し、言うに任せて台詞を終えてしまうことを選ぶ。  
「あ………あの、これは、ですね。ちがうんです、私が選んだんじゃなくてです、ね…!」  
 俺が言うや否や、フレデリカは忘れていた自分の現状を思い出したように口調を乱し、しどろもどろと弁解する。言葉の端々に上擦った声が混じっているのが、顔を直視せずとも、彼女が赤面しているだろうことを容易に理解させる。  
「まあ、見当はついてる」  
 未だ物陰でにやにやしながらこちらの様子を見物をしているだろうディアナのしたり顔を思い浮かべながら嘆息し、フレデリカの言葉を制する。  
 野暮なことはいわないでおく。ただ、それ以降の沈黙を以って、俺が断じて彼女が乱心したなどとは思っていないことを主張する。…それで、彼女は一先ず、とりとめのない弁明をばつが悪そうに飲み込んだ。  
 一応、俺とフレデリカの付き合いは長い方に入ると思う。  
 一緒に過ごした時間こそラッシュたちやヨヨほど多くはないが、それでもカーナ滅亡以前から今まで、ずっと共に戦ってきた仲間だ。俺がはっきりと見当はついている、といった以上は、おかしな誤解はしていないはずだと信じてくれたのだろう。  
 やがて、俺がフレデリカが落ち着くのを待って黙っているのだと受け取ったのか、彼女は呼吸を整えてから、訥々と事情を話し始めた。  
 
「…泳ごうかな、とは、思ったんです。  
 いえ、最初は遠慮するつもりだったんですけど、ディアナが水着を持ってきてくれて、勧められて…。  
 それでディアナに、ビュウさんがここで一人で釣りをしてるって聞いて、誘いに来たんですけど」  
「けど?」  
「気が変わりました。ビュウさんを私達に付き合わせるわけにはいかなくなりましたから。  
 だから代わりに、私がビュウさんにお付き合いしますね」  
 心なしか楽しそうに、けれどほんの少しだけ申し訳なさそうに、フレデリカは言った。  
 予期せぬ言葉に、思わず僅かだけ首を右に向ければ、彼女は微笑み俺の腰に視線を落とす。そこには甲冑もつけていないのに、場違いに光る二振りの長剣が鞘に納まっていた。  
「………ん。…有難う」  
 余計なことを言うのは野暮な上に恥の上塗りなので、少しだけ悩んだ末に、短く礼を述べておくことにする。再び顔を正面に伸ばした竿に向けなおせば、フレデリカは少し間をおいて、はい、と返してくれた。  
 ………意外、といえば失礼かもしれないが。どうやら、フレデリカにはバレてしまったらしかった。  
 俺がどうして、たまの休みにマハールで、泳ぎもしないで釣りに勤しんでいるのか。  
 まあ話としては実に単純だ。マハールは水のラグーンだ。他所のラグーンの出身者がここで休みをもらえば、大抵は遊泳に励むことになる。  
 そして当たり前のことだが、湖や川を遊泳するのに鎧や武器を引っさげて挑む馬鹿はいない。そんなことをするのは何かの罰ゲームか、向こう見ずな修行者か、自殺志願者のいずれかだろう。  
 だから当然、泳いでいる人間、つまり我が反乱軍の面々は、その間丸腰であって然るべきなのだ。―――つまり、個人の程度の差はあれど、今の俺たちは敵襲に対して無防備というわけである。  
 それに備える人間が、例え少数でもいなければならない。いくらつい先日、レスタットの部隊をここから叩き出したばかりとはいえ、あのサウザーの配下である連中が『兵は神速を尊ぶ』の格言に則ってこないとも限らないのだから。  
 だがせめてうちの連中は、基本ファーレンハイト内のどこでも出入り自由の俺と違って普段の娯楽に乏しいのだから、俺としてもこういうときくらい思い切り羽を伸ばしてほしい。  
 …という程度の気持ちで、今俺はここに双剣をぶら下げて座っている。別段ひけらかすつもりはなかったが、看破されてしまってまで隠そうというほど堅苦しい決意、というわけでもなかった。  
 それに正直、俺の出で立ちを一目見て気遣ってくれたフレデリカの申し出は、その、素直に嬉しくも、ある。…水着の件を抜きにしても、だ。  
 
「優しいんですね、ビュウさんは」  
「…勘弁してくれ。俺のは単なる自己満足だ」  
 静かな、けれども少しからかうような調子のフレデリカの言葉。それにまた、先程のような無愛想な答えを、投げつけるように返す。  
 …ああ、なんだ。要するに俺は、照れてるのか。自分の異性に対する免疫がイマイチ薄い性分は重々承知だが、これじゃ一桁のガキと変わらんな、全く。  
 俺の嘆きなどどこ吹く風と、フレデリカはまた嬉しそうに微笑んで、俺の応えを受け止める。と、  
「あ、ビュウさん、糸、糸。引いてますっ」  
「ん」  
 一転して、慌しく竿と俺を交互に見て、水面の糸を指差すフレデリカ。彼女の指す先には、ぐるぐると歪な8の字を描くように動き回る釣り糸。どうやらまた掛かったらしい。  
 俺は我に返って、例の如く餌に食いつき糸を引いて暴れているだろうタコの呼吸を、竿伝いに手で読み取る。  
「フィッシュ…っ」  
 ぐりぐりと小刻みに竿を振るい、タコの体力を削いでやる。すかさず竿を引き、水面から飛び出したタコが空中に躍る。バシン、と小気味のいい音が響き、タコが俺の掌に収まる。  
「わあ、お見事です」  
「ちょっと小さいな。まあ、食うわけじゃないし、いいか」  
 ぺちん。頭を叩いて、ブツを吐き出させる。今回は小剣だった。地面に転がったそいつを脇の戦利品の山に加え、そしてタコを住処に放り投げ、帰してやる。  
 その一連の動作を『聞いたことあります、きゃっちあんどりりーす、っていうんですよね』なんて、フレデリカは目を輝かせて見ていた。  
「…ふむ」  
 数秒ほど、思案する。  
 …釣りを近くで見てみたいといっていたフレデリカのことだ。竿を握って実際に釣りをしてみるなど、病弱な彼女にしてみれば今まで及びもつかない世界だっただろう。  
 せっかくの休日に新鮮味を求める、という趣旨の上で言うなら、これは遊泳よりずっと有意義な機会かもしれない。そう結論付けて、提案してみる。  
「フレデリカ。やってみるか」  
 次の餌候補を漁り、視線をそこに落とし、努めて何でもない風に、竿だけを軽く彼女のほうに差し出す。ぴくっと体を震わせて反応し、無言ながら『!』という記号が頭の上で跳ねそうなくらい、彼女が動揺したのが伝わってくる。  
 
 俺は竿を差し出し、尚も武具類を弄りながら彼女の返答を待つ。そうしてやがて、  
「いいんですか?」  
 うきうきとした応えが返ってきた。  
 フレデリカは両手でしっかりと竿を受け取り、先程まで俺がしていた構えを真似たり、釣り上げる際の引きを再現しようと上下させたりと楽しげにはしゃぐ。…む、そんなに喜んでくれると、俺のほうも嬉しくなるな。  
「ここは狭い川だからな。高低差も割とはっきりしてるし、遠くに餌を飛ばす必要もない。  
 強く竿を振り下ろす動作がないから、とりあえずの竿の振り方を覚えるには、丁度いいだろう」  
 俺が説明してやると、フレデリカははい、と上機嫌で返事をし、竿を川に向けて構える。  
 あとは俺が餌を糸に括っていつものように放るだけだ。さて、まだ試していない餌は、と。  
「…ん。こいつは」  
 武具の山から、異質なデザインのブツが顔を覗かせた。明らかに無骨なのに、どこをどう背伸びしたのかあらゆる意味で圧倒的なセンスが迸るオブジェ。…流石に、コレの強烈な個性なら、連中も手を出せんかもしれん。  
 納得の一品だと頷き、俺はソレを、今までより大仰に糸に括る。  
 
 ―――――――――後で思い返してみれば、俺はこの時、どうしようもなく舞い上がっていただろう。  
 男というやつは、生来、異性にアウトドアなことを教えるときは少なからず正常な判断を失うように出来ているのかもしれない。せめて、その程度の言い訳は、許してはもらえないだろうか。  
 
「じゃあ、いくぞ」  
「はいっ」  
 
 ぼちゃん。どぼん。  
 
 …音にしてみればそれだけ。時間にしてみれば、たった一秒そこそこの出来事だった。  
 その時、張り切って竿を握っていたフレデリカに、竿を放すという選択肢は存在しておらず。川に放られた『餌』の重みに耐えられず、彼女は釣り糸が宙に描いていた道をそのまま辿って『餌』の後を追い、川へと誘われていった。  
「―――!!」  
 しまった、という思考と共に、俺はフレデリカより数瞬遅れて川へと飛び込む。無論、彼女を助けるためだ。  
 すぐさま潜水し急流に乗り、体の中を満たす空気が少しずつ足りなくなってゆくのを感じながら、俺は内心で舌打ちする。  
 
 ――――――そりゃあそうだ。マテ印斧なんて、フレデリカが支えられるわけないだろう…!!  
 

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