「ごめんなさい、マテライト。今はまだ…」
申し訳なさそうな表情と共に発せられたその言葉は、今日こそはと意気込んでいた老臣の心を叩き折るには十分だった。
項垂れる老臣のはマテライト・ゴルード。
新生カーナ王国一の忠臣にして口やかましい年寄りの冷や水を地で行く男である。
(ヨヨ様にも困ったもんじゃ…)
隠し切れない落胆の溜息を下げた頭の下でこっそりとつく。
目の前にはつき返されたお見合い用の書類。
幾度となく繰り返された光景にマテライトは虚しさを覚える。
(ヨヨ様のお気持ちはわかる。わかるが…)
デリカシーがないだの頑固ジジイだの言われているマテライトだが、ヨヨの気持ちを察していないというわけではない。
勿論、嫌がらせのつもりもない。
想い人が死去したばかりの年頃の女性に結婚を勧めることがどれだけ無遠慮な行為なのかも百も承知。
故に彼はそれ以上何も言わない、言えない。
(じゃが、せめて見るくらい…)
しかし、しかしである。
それでもマテライトは自分の思いが伝わらないことに落胆を覚えた。
マテライトはヨヨのことを孫娘もかくやというくらい可愛がっているし大切に思っている。
国のためとはいえ、見ず知らずの馬の骨に彼女をやるなど本来は言語道断。
だが、それでもなおヨヨの結婚は急務なのだ。
戦争は終結したとはいえ、オレルスにはグランベロスの混乱をはじめとした多くの問題が残っている。
カーナはグランベロスとは違い、他国を傘下においているわけではない。
しかし、一連の戦争の中心にいたのはまぎれもなくカーナ。
世界で最も発言力があり、また頼られているのはカーナ王国なのだ。
故にそのカーナの中心であるヨヨの地盤固めは何よりも優先されるのである。
とはいえ、戦力という外的な面ではカーナは磐石といってよい。
主力メンバーが抜けたとはいえ、戦争で鍛え抜かれた戦竜隊をはじめとする百戦錬磨の騎士達。
各国に散らばったかつての解放軍の仲間達。
そして何よりも、ドラグナーであるヨヨやセンダックがいる。
今は中立的な立場にいるビュウもいざとなればカーナの味方になるだろう。
実質、外敵に対するという面では今のカーナに太刀打ちできる戦力は存在しない。
(だからこそ――)
だからこそ、カーナを一人で支えているといっても過言ではないヨヨには伴侶が必要なのだ。
ヨヨは今でこそ数々の経験を経てカーナを統べるに相応しい君主になっている。
だが、彼女を幼少時代から見守ってきたマテライトにはわかるのだ。
彼女は無意識の内に自分の立場をこなそうと無理をしているだけなのだと。
勿論、最大限自分を含めた臣下達はサポートを勤めている自信はある。
しかし、それはあくまで仕事の面、つまりは肉体的な負担を軽減しているに過ぎない。
ヨヨはまだあくまで十代のか弱い女性に過ぎないのだ。
いくら経験を積もうと、彼女の精神はまだ成熟しているわけではない。
彼女を常に傍で支えることができる人間が必要なのだ。
(そしてそれができるのはただ一人)
マテライトは多少苦味の走る表情で一人の男を思い浮かべた。
それは書類の中にこっそり紛れ込ませておいたヨヨの伴侶候補の一人だった。
いや、候補というのは正しくはない。
何せ、マテライトの中ではその男一人だけが己の認めるヨヨの伴侶だったのだから。
(忌々しいが、ヨヨ様をお任せできるのは貴様しかおらんしな…ビュウ)
ビュウ・フレイヤード。
ヨヨの幼馴染にして先の戦争における実質的なリーダー。
そして、唯一マテライトが(渋々ながら)認めている男だった。
(まったく、あんな裏切り者のグランベロス将軍なんぞにヨヨ様を奪われおって!)
言うまでもないが、マテライトはパルパレオスをヨヨの伴侶として認めたことは一度もない。
いや、正確には憎んでいるといってもよい。
祖国を裏切ったというだけでも憤慨ものだというのに、目に入れても痛くないほどの存在であったヨヨの心を掻っ攫った存在である。
しかも、自分が傍にいなくてどうしようもなかった時期に、だ。
ヨヨの前だからこそ大人しくしているが、パルパレオスの死亡報告が来た時彼はタイチョーの手を取って踊りだす寸前だったという。
無論、ヨヨ様を悲しませおって! と怒りを覚えたのも確かではあるのだが。
「わかりました。それでは、失礼いたします。ですがヨヨ様…」
「わかっています。この件に関してはちゃんと考えておくから…」
「は!」
ピシ、と見本のような敬礼を送りマテライトはヨヨの前から去っていくのであった。
(見合い作戦がダメだったとなると、他の手を考えるしかなさそうじゃ…)