戦争終結から半年…   
長く空席であったカーナの王座も、現在をもって新しい王を迎えた。  
ヨヨ女王である。  
ラグーンを帝国の圧政から救い出した英雄でもある彼女は、戦争に倦み疲れた民衆に熱狂とともに受け入れられた。  
カーナ王国の血縁者である女王が統べるキャンベルや、かつてヨヨを奉り帝国軍を退けたタイチョーが新国王となったマハール。  
その他のラグーンも、伝説の神竜の力を得たというヨヨ女王に対しては好意的であった。  
否。  
好意的であったというより、宗主として扱わなくてはならないという意識さえあったかもしれない。  
ヨヨが女王の座につくにあたり、殆ど機能していないとはいえ元老院を満場一致で納得させるために、マテライトが精力的に宣伝したことだ。  
曰く、「ヨヨ王女は全ての神竜の加護を受ける存在である」と。  
結果はマテライトの思惑通りで、元老院側が三拝九拝してヨヨを女王に迎えたと言って良い。  
こうしてカーナは、長い沈黙を経て、新しい王朝をスタートさせた。  
 
戦争集結後、新しく神格化されたものが、女王の他にもうひとつ存在する。  
天空に浮かぶどのラグーンよりも遥か高く、全てのラグーンを見渡せる高みを、縦横無尽に飛ぶドラゴンとその騎手である。  
それは、最も低い位置にあるラグーンから見上げてもその翼を識別することができるほど巨大なドラゴンだ。  
これもマテライトの宣伝の賜物で、今では3歳児でもそのドラゴンの名前を知っている。  
バハムート、と。  
 
ヨヨ女王の英雄譚の後半部分に至ってようやく登場する、オレロス最強のドラゴン。  
彼ーバハムートは、ヨヨ女王の仰せ付けに従い、全てのラグーンを見守るために遥か大空を飛行しているのだ。そうマテライトは吹聴してまわったものだった。  
そしてその背中には、やはり女王の指令を受けてラグーンの平和を守るべく戦う英雄、ビュウがいるのだとも。  
 毎日必ず3度、朝と昼と夕方と、バハームトとビュウはオレロスの空を飛んでいく。  
それを見て、ラグーンの住人達は、今日もバハムートとその騎手によって自分たちの生活は守られたのだと確認し、感謝を捧げるのだ。  
 
女王の即位からまた2年が経過した。  
戦争の爪痕も次第に癒え、カーナ王国新王朝も安定期に入っている。  
女王は周囲の意見を良く聞き、判断する、優れた統治者であった。  
城下では商人達が店を開き、時には遠くのラグーンから来た商人が屋台を構え、必需品から嗜好品に至るまで手に入らないものは無い。  
商人同士の諍いごともないではなかったが、役人による監視が行き届いており、表立った被害が出たことはなかった。  
一方、城の外では、穀物が豊かに実り、見渡す限り金色の海を作っていた。  
収穫期も近く、日の光と水をたっぷり吸ってずっしりと重くなった麦の穂は、商人を介して沢山の人々の口に入ることだろう。  
そして、今日もバハムートの飛ぶ姿が金色の海に、3度巨大な影を作り、 流れて行った。  
農夫達はその影を見送りながら、めいめいが収穫の段取りを心に描く。  
さて、彼らの内の何人が目撃したことだろう。  
日が沈む少し前、2つの小さな影が、バハムートの巣への帰り道を辿るようにして移動して行ったのを。  
これなん、独居のビュウを久しぶりに訪れるかつての仲間達だったのである。  
 
 ビュウは呆気にとられて上空を見上げた。  
すでに日も落ちようとしており、ラグーンに降り立とうとするドラゴンに騎乗した人間達の顔をいちいち判別することはできないほど暗かった。  
しかし、彼ら、否、彼女らのあげるかしましい声が、それがかつて一緒に戦った仲間達であることをビュウに教えてくれた。  
「ビュウ!ビュウだよ!本当にビュウだ!」  
「メロディア、暴れないで!落っこちちゃうじゃないの!!」  
「ビュウ!これってどこに降りれば良いの!?」  
「きゃあ!」  
ビュウは慌てて手にした水桶をその場に置き、ドラゴン達に駆け寄った。  
「こっちだ!そこは野菜を育ててる畑だから、そこに降りないでくれ!ルキア、こっちだったら!」  
そう声を張り上げて、必死で誘導する。  
はしゃいでいるのは人間達だけではない。  
久しぶりにビュウの姿を見たドラゴン達、アイスドラゴンとサンダーホークもまた、乗り手の言うことも聞かずにてんで勝手にビュウの側に降り立とうとする。  
ビュウが慌てて畑から遠ざかろうとするも、畑に立てかけたポールがサンダーホークの爪に引っかけられて引っこ抜けてしまい、ポールにつるを巻いてたわわに実を実らせていた茄子の木が数本、あわれにも地面に横倒しになってしまった。  
こんなことならさっさと収穫しておくんだった!とビュウが頭を抱えて後悔する暇もあらばこそ。  
栗色の髪をお団子に結った12、3歳の可愛らしい少女が、空中のドラゴンから飛び降りるとその勢いをつけたまま、ビュウに飛びついて来た。  
「ビュウ!久しぶりだよー!ドラゴンのうんちの臭いがするー!くさーい!あ、おひげ生えてるー!」  
「メロディア!?」  
久しぶりに人の声を聞いた上に、それがこのメロディアの声だとは。  
耳がキーンと痺れてしまって、なぜもどうしたも出てこない。  
 
頭をこつんこつんと叩かれたのに気付いて振り返って見れば、二匹のドラゴンが甘えているつもりなのか、嬉しそうにビュウの頭をくちばしで小突いていた。  
「おまえら…」  
ビュウが耄けた格好でドラゴン達のしたいようにさせていると、その間にドラゴンの背から降りた三人の女達がビュウの方へ駆け寄って来た。  
そのうちのひとり、腰までもある輝くような金の髪を軽く結わえた背の高い女性はルキアである。  
今はビュウの顔を覗き込んで、その目鼻立ちのくっきりした顔にあきれた表情を浮かべている。  
「久しぶり、ビュウ。相変わらずね。」  
その隣でニヤニヤと笑っている赤毛のおしゃべりそうな顔つきの女性はディアナだ。  
「あらあら。ドラゴンのヨダレまみれになっちゃって…こんなのが帝国を倒した英雄のひとりとはねぇ。」  
「うるさいなあ、ディアナ。」  
彼女のことだからまたプリースト仲間でのおしゃべりのネタにするんだろうな、とビュウは相変わらずドラゴンに頭を小突かれながら唸った。  
ふと側方に顔を向けると、視界にぎりぎり入るか入らないかの位置にもじもじとして立っていたのはフレデリカである。  
今でもプリースト部隊にいるのか、ピンクのワンピーススカートの上から白いローブを羽織った姿は昔のままである。  
4人とも、かつて苦楽をともにした戦友たちだ。  
 
「おまえら一体どうして…」  
「一体って…今日来ることは伝書鳩で知らせてあったでしょ!?」  
ようやく疑問の声が口をついて出たビュウに対して、信じられないというような声で聞き返すのはルキアである。  
ああ、だからか…とビュウは額を抑えた。  
例え訓練された鳩でも、ドラゴンに慣れていない鳩では、バハムートの気配に怯えてこのラグーンに近づいて来れなかったのは想像に難くない。  
おそらく鳩はとんぼ返りに帰ったことだろうが、それと入れ違いにルキア達はこちらへ向かってしまったのだろう。  
「まぁ、入れよ。俺の家はそこだから。」  
女性達には自分の住まいの方を指差しておいて、ビュウは地面に投げ出されたポールを立てかけると、傷のついてしまった茄子をいくつかもいだ。  
新たに聞こえて来た羽音に、既に暗くなった空を見上げれば、同胞の気配を嗅ぎ付けたサラマンダーがこちらに向かって翼を広げて飛んでくるシルエットがあった。  
それを見て、メロディアはまた明るい歓声をあげた。  
 
 台所からは、料理を作る女性達の楽しげなおしゃべりが聞こえてくる。  
ビュウひとりはテーブルにつき、ぼんやりと彼女らの背中を眺めていた。  
「人が来ると分かってれば、もう少し片付けておいたのに…」  
「あら、片付ける程物があるわけじゃないじゃない。私たちのほうでも、まあこんなものだろうとは思ってたわよ。」  
テーブルの配膳をしながら、ビュウの独り言に近い言葉にルキアはつっこんだ。  
ビュウはひとつ溜め息をつくと、今度は少し声を低めて言った。  
「何かあったのか?」  
「ちょっと…後で話すわ。彼女らが付いて来たのは私も予定外だったの。」  
同じく声を潜めて答えたルキアに対し、ビュウは一つうなずいた。  
 
「さあ、秋茄子のたっぷり入った豚肉入りシチューをお送りしまーす!」  
そう言って、ディアナは磨き込まれたテーブルの上にずっしりとしたシチュー鍋をでんと降ろした。  
「おっ、上手そうだな。」  
「ビュウ、タンパク質とってないでしょ?こんな無人のラグーンじゃあお肉も買えないだろうと思って、お肉をたっぷり買い込んで来たんだからー!」  
褒めて褒めて、とせがるメロディアは3年近く経っても相変わらずだ。  
少しは背も伸びたし肉付きも良くなったようだが…  
「本当はね、他の皆も来たがったのよ。でもドラゴンにはそんなに大人数乗れないから。  
私は早い者勝ちで、あとはどうしても来たい!って人だけ来ることになったのよ。ねぇ、フレデリカ?」  
「そ、そうですね。私も久しぶりに身体を動かせば少しは健康的になれるかな、と思ったものですから。」  
「そうじゃなくってぇ…もーこの子はー」  
 
他愛ない言葉を交わしつつも3人めいめいに席につく。  
簡単な祈りの言葉を捧げると(これはビュウが久しく怠っていた習慣なので少しまごついた)、あとは簡素だが新鮮な素材を使った家庭料理をはさんでの楽しいおしゃべりだった。  
戦争後の仲間達の身の振り方、最近国で起こった出来事、野菜のつくりかた…そこに暗い話は一切なかった。  
 最もこれは意識的に避けていた節がないでもない。  
メロディア辺りは本当に知らなかったのかもしれないが、オレロス解放後、その覇権を失ったベロスは衰退の一途を辿っている。  
カーナ王国から派遣された暫定政府が統治にあたっているが、その力は国を治めるに遠く及ばず、政府官邸の敷地外は殆ど無法地帯と化していると言っても良い。  
もとより何の特色も持たず、国家としての活路を他ラグーンの侵略に求めるしかなかったベロスである。  
しかも、オレロス解放後は、ベロス人というだけでどこのラグーンへ行ってもつま弾きにされてしまうのだ。  
自然、人心も荒み、各地で犯罪を犯すベロス人が後をたたなかった。  
今のところは組織的な犯行は見られず、各地で起こる犯罪も単発的な物だ。  
しかし国家としては、情報収集につとめ、組織的なテロリスト活動を行なう集団があれば、早急に対処しなくてはならない。  
またぞろ、グランベロス帝国の二弾、三弾が誕生しないともかぎらないのだ。  
おそらく、ルキアの本来の目的はここらへんの情報にありそうだ、とビュウは既に読んでいた。  
 
 ところで、ベロス関連の話題の他に、4人がビュウの前で敢えて話題に出さなかったことがもうひとつある。  
カーナ女王、ヨヨのことだ。  
ビュウがヨヨに失恋したらしいという話は当時の仲間内でも有名だった。  
もちろんなかには面白がって当人の前でそのことを話題にするものもあったが、彼女らはそれほどあけっぴろげにはなれなかった。  
そして、これはビュウの知らないことだったが、マテライトが語ってまわった「ヨヨ英雄譚」において、ビュウは「王女に恋するも報われなかった悲劇の男」として紹介されている。  
どちらかといえば、「報われなかった悲劇の英雄に恋された王女」を描写することがストーリーテラーの主な目的だったのだが。  
さて、周囲に語るだけならば今ほど人口に膾炙することもなかっただろう。  
しかし、「ヨヨが帝国から救い出され、帝国を倒し、神竜の怒りを鎮める」という一連のエピソードは、書籍の形をとり、世界各地で出版された。  
著者はもちろんマテライトである。  
当然、読む側からすると相当のバイアスがかかっていることは容易に想像できよう。  
実際、かつてビュウからヨヨを奪い、ヨヨのために帝国や神竜との戦いに全てを尽くした男の名前は本のわずか数行にしか登場しない。  
マテライトにしてみれば、悪く書かなかっただけマシ、ビュウに関しては登場回数が多いだけマシというところなのだろう。  
そのような内容ではあったが、グランベロス帝国を悪者としてわかりやすい勧善懲悪の形をとったこの書籍は、戦争の真相を求める一般大衆の間で熱狂的な人気を博した。  
ただし、実際に戦争に参加したことがあり、なおかつビュウに好意を寄せる彼女達にとっては、苦笑を誘うか鼻白むだけの代物に過ぎなかった。  
そのような不満もあって、マテライトやヨヨの名前をうっかり出すことは、ビュウのためにも彼女たち自身のためにも暗黙裏のタブーとなっていた。  
もちろん、その辺りの話は、ビュウの知るよしもないことである。  
そんなことはつゆ知らず、歓談のうちに食事は終わった。  
 

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