夜もだいぶ更けて。
ドラゴン達は、久しぶりの仲間との再会に興奮して、遅くまでその辺を飛び回っていたようだった。
今はさすがに遊び疲れた様子で、ぐっすりと眠っている。
ドラゴン用に藁を敷き詰めた小屋の中、ランタンを片手に、ビュウはドラゴン達の頭を一匹ずつなでてまわった。
ここにいるのは、サラマンダー、モルテン、パピー。
それに、今日ルキア達が乗ってきた、アイスドラゴン、サンダーホーク。
ツインヘッドはラッシュが連れて行ってしまった。
あちこち商売してまわるためには、機動力があって遠くへ飛ぶことができ、商品を狙って近づく悪い盗賊を炎で追い払うことのできるドラゴンは必需品なのだとか。
そういえば彼とは久しく連絡をとっていない。
夕食の席でも、彼の消息についての詳しい話は出なかった。
かつての友人が自分の消息を知らせてこないのは寂しいことではあったけれど、便りがないのは元気な証拠とも言うし、とビュウは前向きに考えることにしている。
小屋を出ると、彼はラグーンの北にある山の洞窟へと向かった。
小屋からのんびり歩いて30分ほど、ちょうど山を挟んで住処の反対側に位置するこの洞窟は、バハムートのねぐらとなっているのだ。
ビュウが洞窟の出口の辺りで立ち止まると、中からビュウの気配に答えるように大きな鼻息の音がひとつ聞こえた。
「こんばんは、ビュウ。」
「こんばんは、バハムート。起きていたのか?」
「ああ。今日は賑やかだな。」
「うん、ルキア達が…昔一緒に戦ってくれた皆が来てくれた…
っていうか、知ってるんだろう?」
「私を誰だと思っている。」
そう言って笑うように、また鼻息を大きく吐く。
その鼻息に吹かれて、ビュウの金色の前髪がぶわりと舞い上がった。
「ルキアは情報をもってきたんだと思う。その、多分あんまり良くはない知らせを。
これから聞くけど、あとで知らせるから。」
「あの娘はマハールの者だったか…もしかすると、マハールとダフィラの話だろうか。」
「そうなのか?」
「私の目はおまえよりも遠くを見渡せる。
数週間前、おまえとともにあの辺りを飛んでいたときだったな。
マハールとダフィラとの境にあるラグーンの辺りで飛行艇が数艇、ドラゴンが一編隊、飛んでいるのを見かけた。
何やら剣呑な様子だった。」
「どうして今まで話してくれなかったんだ。」
「話すほどのことでもないように思ったからだ。
飛行艇もドラゴンも、すでにマハールとダフィラ、それぞれへと帰る途中だった。
どちらも後方に警戒しつつ、ではあったが…
その後、そこで飛行艇やドラゴンを見たことはない。
無人のラグーンを挟んでの出来事だった。」
「へえ。」
「怒っているのではあるまいな。確かに話さなかったことは悪かった。
だが、あの娘がこれからする話が、そのことについてである保証もなかろう。」
「別に怒っちゃいないさ。うん、一応ルキアにそのことも聞いてみる。」
「そうか…」
しばらく沈黙が落ちた。
ビュウの携えた小さなランタンでは、洞窟のなかのバハムートの姿を照らし出すことはできない。
バハムートの声は洞窟内を反響して、すぐ側から聞こえてくるようでもあり、意外にずっと奥の方から聞こえてくるようでもある。
この洞窟の中は、ビュウも覗いたことはないのだ。
頼めば中の様子を見せてくれるのだろうが、いまだかつてそれを頼んだことはない。
人間のものよりもゆったりとした、深い呼吸の音が、静かに空気を震わせていた。
「いい娘達ではないか。」
唐突に沈黙が破られたうえ、ビュウの全く思いも寄らない方向から話題が浮上したため、ビュウは思わず目を丸くした。
「なんなんだ、急に。」
「私に人間の女の美醜はわからないが…
共に戦った仲間でもあったのだろう。おまえの苦しみも悲しみもよく知っているはずだ。」
「うん。」
ビュウは、まだ話の方向が見えず、ただ頷いた。
またひと呼吸分の沈黙があった。
その間、暗闇の向こうから、わずかに逡巡するような気配を感じた。
「おまえを慕っているのではないか?」
「なんだそりゃ。」
ビュウは思わず即答してしまった。
ワンテンポずれて、思い出したように吹き出した。
「バハムート。いきなり何を言い出すかと思えば…
それはもしかしてドラゴン流の冗談なのか?」
「違う。」
いささか憮然としたような声が帰ってきた。
「ごめん、バハムート。だけどお前にそんな話題は似合わないから。」
「…」
「違うよ。彼女達にとって俺はただの隊長だ。それも今じゃ違うけど。
確かに3年前は、苦しいこととか悲しいこととか全部一緒の戦場で経験したよ。
だけどこの3年間、彼女らには彼女らの生活があって、それは俺のとは違うものだった。
そんな彼女らに対して、そういう想像をするのは失礼すぎる。」
今の否定は少し強すぎたかな、とビュウは心配した。
また暗闇に沈黙が降りた。
今度の沈黙はいささか落ち着かないもので、ビュウはそろそろ小屋に帰りたくなった。
バハムートは溜め息をついた。
「おまえは人に好意を抱くことへ嫌悪感を感じている。」
「なんだそりゃ。」
「それはおまえを不幸にしてしまう。あの娘のことで…」
「嫌悪感なんてあるもんか。
大体好意を抱くことに嫌悪感を持っているなら、俺が今バハムートとこうして話していることはどうなるんだ。」
「そういう種類の好意の話をしているのではない。話をそらすな。」
「そらしてないって。それにメロディアはどうなるんだ。彼女なんて12歳だぞ。」
「それが?」
今度はバハムートが、言われた言葉の意味を図りかねて困惑する番だった。
「俺はロリコンじゃないってことだ。おやすみ、バハムート。」
長生きしすぎるドラゴンには、人間の歳の感覚は理解しにくいものなのだろう。
ロリコン…?と呟くバハムートの声を背にして、ビュウはさっさと歩き出した。
真っ黒い山を左手に、青黒い空を右手にして、ビュウは山裾にひらいた道を南へと進んだ。
歩きながらも、先ほどバハムートに言われたことになんとなく腹を立てていたが、その怒りを正しく扱おうとすると、彼自身の触れたくない内面に触れなくてはならなかった。
したがって、怒りの感情を正しく燃やすこともできず、そんな状態をもてあました末に、結局バハムートを空気の読めない奴だと思うことで落ち着いた。
歩き慣れた夜道を黙々と歩き続けていると、あっと言う間に家へとたどり着いた。
ビュウは息をひとつ吐いてから、自宅の玄関のドアノブに手をかけた。
その時だった。
背後から水の跳ねる音が聞こえてきた。
振り返ると、家のすぐそこにドラゴンの小屋がある。
その裏手に井戸があり、水音はそこから聞こえてくるようであった。
だれか水を汲んでいるのだろうか、明かりがいるのではないかと思い、ビュウはランタンを抱え直すとそちらへ歩き出した。
小屋の角を曲がると、そこにはメロディアとディアナがいた。
ただし全裸で。
タイミング良くというか悪くというか、ちょうど雲の切れ間に月が見えていた。
青白い光が二人の少女の裸体を照らし出し、闇を背にして二人の姿は、そこだけ白く切り抜かれたように眼底にくっきりと焼き付けられた。
一瞬、ビュウの思考は停止した。
ランタンを取り落とさなかっただけでも上出来だったと言える。
身体をこちらに向けて立っていたメロディアは、ビュウの姿をみとめた途端、
「ビュウ!」
と嬉しげに叫んだ。
おいおい、そこで嬉しそうにしてどうするんだ。
12歳といえば、少しは異性の目を気にする年頃だろうに。
今はその長い栗色の髪をたらしているが、その髪のかかった乳房はかすかな膨らみを見せている。
ほっそりとした、というよりは、依然子供独特のやせ型の体型をしている。
しかし、身体のうちのいくつかの箇所は、わずかではあるが、確かに女性とわかる曲線を描きつつあるのだ。
さすがに下は…まだのようだったが。
一方、メロディアの手前に背を向けて立っていたディアナは、メロディアの言葉を聞いた途端固まると、そのままビュウに背中を向けたまま前方へ、つまりビュウから遠ざかる方向に走った。
背を丸めて手で前を隠し、白い足底を見せながら小走りに走って、井戸の後ろに逃げ込むと身を小さく屈めた。
そして、井戸の後ろから顔を覗かせると、ネコが威嚇するように、眦をきゅっと上げて鼻に皺をくしゃっととよせる怒りの表情を見せて叫んだ。
「なに見てんのよ、このスケベ!しかもヨダレたらしてぼーっと見つめてさ!ロリコン!変態!」
あはは、ビュウ、ロリコンだあ〜とメロディアが意味も分からずに、ビュウを指差して笑う。
いや、素っ裸に仁王立ちでそれを言われても。
ビュウは2、3歩後ずさると、急いで小屋の角を曲がり、2人の姿が見えない死角に立った。
「すまない!わざとじゃないから!」
「こんな美少女の裸拝んどいて、わざとじゃないですまされるわけないでしょ!?慰謝料払え!ロリコン!」
「ロリコン!」
「違うって!暗いかなと思ったからランタンを渡しに来ただけで!大体水浴びしてるなんて思わないだろう!
あと、メロディアに変な言葉教えるな!」
「水くらい浴びるわよ!ドラゴンに乗るのって結構体力使うの!わかるでしょ?
水使ってる音でそれくらい読み取らない男ってサイテー」
「サイテー」
「ああもう…好きに言ってくれ…」
ふと横をみると、木を組んで作った小屋の壁の板と板との間から、騒ぎに起き出したのか、パピーが迷惑そうにこちらを眺めていた。
ビュウはこっそりと頭を下げて謝った。