序章 「A Priest 〜結〜」
―――その日、私はあまり体調が優れなかった。
私たちの故郷―――カーナが帝国に滅ぼされてから、数週間が経った。
生き残った人たちは、忘れられた孤島のラグーンに身を寄せ、なんとか逃げ延びた。
…交戦の末、酷い負傷をした人が沢山いて、プリーストである私と友人のディアナは、三日三晩、彼らの手当てをし続けた。
そうして、全ての怪我人の回復が終わる頃には、案の定、今度は私が床に伏すことになったのだった。
「…ふぅ」
こくり、と、半身を起こしただけの格好で、いつもの常備薬を飲み下す。
…小さい頃からあまり体が強くない私は、こうして普段から薬を服用していないと、日々の生活すらままならないのである。
それでなくとも、今までの負傷者の看病で疲労が溜まっていたのだ。この調子ではあと一週間は一日の半分以上をベッドの上で過ごすことになりそうだ。
とはいえ、それ自体は、これまでも特別調子の悪いときはそんな感じで、別段珍しいことでもないし、無論、プリーストとしての役目である人の怪我の治療を重荷には思わない。
まあ、本当に、自分でもどうかと思うけれど。私の体というのは、生まれてこの方好調だったときの方が希少であるほど、この現状は呆れるくらい普段通りなのだった。
「ん…」
つ、と、窓の外から吹き込む風に空を眺めてみる。
少し、霧が出ているようだ。あのカーナ滅亡の日以来、まともに青い空を見た覚えがない。…私の目に、変なフィルターでも掛かっているのだろうか。
「………」
考えて、少しぞっとした。軽い冗談のつもりだったが、私の場合、少し笑えない。
何しろ、薬の量が量なので、いつ妙な副作用が発生するとも限らない。そうならないように調合・服用をしているつもりだが、「絶対」というのがないのが、薬というものの怖さである。
ポフン。適量は服用したので、再び枕に後頭部を預ける。
…思えば、ここに来てから、こんな風にゆっくりと物を考える時間はなかった。自覚するが早いか、色々な考えが私の脳裏をゆっくりと、巡り始める。
カーナが滅んだこと。ヨヨ様が攫われたこと。戦竜隊のドラゴンが散り散りになったこと。それに、―――。
「…あれ?」
何か、引っかかった。そういえば、先ほど目覚めてから、周囲に人の気配がない。道理で集中して思考できるわけだ。
他の人たちはともかく、いつも大声で騒いでいるマテライトや、負傷者の治療が終わったあとも元気で暇があればアナスタシア達と談笑しているディアナまでいないというのは、少し妙だ。
えっと。今日は、何か、あった、っけ?
私が必死に、眠りの彼方に追いやってしまった記憶を辿っているその時。
ガチャリッ
「あ、フレデリカ。起きてたんだ」
「ディアナ?」
寝室のドアが開き、件の友人が顔を覗かせる。短く整った金髪に、陽気な笑顔。うん、間違いない。
彼女はとことことベッドに歩み寄り、私と話すときの彼女の定位置―――お決まりの丸椅子に腰掛けた。
「おはよ、気分はどう?」
「うん、大丈夫。お薬も睡眠も十分とったし」
「ん、結構結構」
いつものやり取りを終え、先ほどの疑問を投げかけてみる。
「ねぇ、ディアナ」
「んう?」
「その…皆がいないようだけれど…今日は、何かあったっけ?」
何だか重要なことを忘れているような気がしたので、遠慮がちに、尋ねてみた。
「?」
きょとん、と、目を丸くするディアナがいた。…ああ、もしかして、私が思ってる以上に、大切なことだったんだろうか。
と、直後。
「…あちゃー…まずっ。そっか、フレデリカ、素で忘れてたのね」
顔を右手で覆い、目を伏せた。こうなると、ますます不安になってしまう。
「あの…ディアナ?」
「あんね、フレデリカ。今日は、ビュウ達がバラバラになったカーナのドラゴンを集めるために旅立つ日なの」
「………………あ」
すこーん、といういい音が聞こえてきそうなほど、私の引っかかりは気持ちよく外れた挙句、頭の中を何度も何度も跳ね返って脳震盪でも起こしそうな位の衝撃で目眩を覚えた。
「で、あたしたちはさっきまでその見送りに出てたんだけど。行ってからさ、あなたがいないことに気づいて呼びに行こうとしたんだけどね」
ゴーン、ゴーン、と大きなショックが頭の中を反芻する。ああ、私ってば、どうしてこんな大事なことを忘れてたのかしら!?
やっぱり昨日飲んだうにうじ入りの新薬の副作用!?お薬に絶対はない、ってさっき戒めたばっかりなのに早速…ああ、神様、天罰が下るのが少し早いのではありませんか?
ディアナが何やら事の詳細を説明しているように聞こえるが、今の私の頭には入っていってくれない。
「―――そしたらビュウが、無理に呼ばなくていい。多分フレデリカも、今の俺には会いたくないだろうから、なんて言い出すんだもん」
「―――――――――え?」
途端、頭の中が真っ白になる。さっきまでやかましいほど響いていた(脳内の)騒音も消え、彼女の言葉が驚くほどすんなりと理解できるようになる。
そうなった理由は簡単。ディアナが、彼の名を口にしたから。
「だからさ、ビュウとあなた、何かあったのかなーって。あんまりはっきりいうもんだから、フレデリカ、本当に彼に会いたくないんだと思ったんだけど。…そっかー、そうだったんだー。ごめんねー」
「あ、ううん、いいの。忘れてた私が悪いんだし。心配かけて、ごめん」
慌てて謝り返す。
…そういえば、「あの時」以来、私は治療で忙しいのと自身の体調の悪化とで、彼と会っていないのだった。それで彼は、ちょっとした勘違いをしてしまったのだろう。
でも、そうだった。彼は、立ち直ってくれたのだ。あの人がドラゴン集めの旅に出ることを決めた、と聞いた時は、本当に安心した。
両手を胸に当て、内心で喜ぶ。それを知ってか知らずか、ディアナは思い出したように、続きを口にした。
「あ、そうだ。ビュウから伝言があったんだっけ」
「…え?」
「『ごめん。それと、ありがとう』だって」
「!…」
キュッ。ちょっとだけ、胸が詰まった。
ずるいなぁ。そういうのは、その、直接いってほしかった。
「???なーに、フレデリカ。嬉しそうにしちゃって。ビュウと何かあったの?」
「え?あ、ん、何でもないの」
「ふーん、そっか、そーなんだ。…ね、ね、誰にも言わないから、おせーておせーてっ!」
「だ、だめだよ〜!」
しつこく食い下がるディアナ。
噂好きの彼女に知れたら、何をいわれるか分からない。…その、なんというか。こういうことはやっぱり、二人だけの秘密にしておいたほうが、いいと思うのです。いや、変な意味でなくて。
…ね、ビュウ。何年掛かるか分からない旅だけれど。必ず、帰って来てね。