「ねえ、知ってる?」  
 
 何時もながらの明るい様子、ファーレンハイトのムードメーカーのひそひそ話が、  
まさか戦竜隊の隊長の心を抉るドレッドノートより鋭い一撃になろうとは、誰が想像  
しただろう。  
 だが実際に、ディアナが切り出してきた「噂話」のせいで、ビュウの表情は明らか  
に、普段彼がたたえているものとは異なるものと化した。  
 
「ディアナ…それは、その。」  
「え?何?」  
 
 ビュウのことだから心配をしてしまったのだろう、と少し困ったように眉を寄せた  
ディアナは、しどろもどろと何かを言いかけたトゥルースの真意を読み取ることが出  
来なかった。良くも悪くも幼い純粋さを持つが故に、人を不意に傷つけてしまった事  
も。  
 肩を落として、静かに回れ右。外へ行こうとしたビュウを、ラッシュが心配げに呼  
び止めるものの、「一人にしてくれ」と振り返らず告げれば、最も付き合いの長い彼  
は、肩を掴むことなどする筈もなかった。  
 
「…ふーん、そうかぁ。そうなんだ…」  
 
 ラッシュは溜息を吐いて、トゥルースが精一杯遠まわし遠まわしにしている説明を  
耳に流していた。男女の性情や行為からはじめ、恋愛とその延長を限界まで美化して  
いる―――多少の知識があるのか、ディアナは頬を染めながらこくこくと頷いた。普  
通なら、直に聞けば、知識と結びつくのだろうが…ラッシュは検証するか、と思い立  
ったが、トゥルースに視線で咎められたので止めた。  
 
 ファーレンハイトの甲板の風は、何時もより強かった。  
 流れていく空、島々。眠っていたり、暴れていたり、じゃれていたりする竜たち…  
何も変わらぬ光景が其処にある。甘えていたくなる不変のもの。しかしふと周りを見  
てみれば、状況は目まぐるしく変わっていくのだ。戦況も。戦う相手も。仲間の考え  
方も―――愛する人の心さえ。  
   
「…憎めないのは、辛いな…」  
 
 ヨヨにも、パルパレオスにも、何も罪はないのだ。一人の感情を束縛しようなどと  
言う権利は自分にはなく、仕えるべき存在を、ただのクロスナイト風情が、お眼鏡に  
適わなかったというだけで彼女を責める、悪にするなどと、ただの身勝手な子供の愚  
行でしかない。 口約束、何も証のない一時の絆。いつの間にか解けていた糸。  
 何よりも…憎もうにも、二人とも、敬愛に値し、尊敬出来る仲間だからこそ。自分  
の気持ちを吐露することに踏み切れず、遠巻きに祝福することを選んでいるのだ。  
 自分では彼女を幸せにすることは出来るまい。パルパレオス程、自分は大人でも、  
強くも、寛大でもないのだ…嫉妬の炎に身を焦してしまっている自分とは。  
 
「こんなんじゃ駄目なのにな。あいつはどんどん大人になってるのに」  
 
 自分は成長していない。足踏みをしている故に、彼女の背を見守っているのではな  
いだろうか、そう思った。  
 唐突に、耳元で咆哮が聞こえ、ビュウは振り向いた。燃えるような真紅の毛を持つ  
竜…彼の相棒、サラマンダーが、一見して獰猛でも、優しく純粋な瞳で主人を見据え  
ていたのだ。 数度その目を瞬かせると、ビュウは苦笑して、その首を撫でつけてや  
った。  
 
「有難う」  
 
 心地よさげに喉を鳴らすサラマンダーに静かに声をかけると、ぽん、と撫でていた  
部位を叩き、近くに置いてあった袋を漁る。超雑食のドラゴンにも好みは存在し、彼  
は最も相棒が喜ぶエサを取り出した。  
 
「でもな、サラマンダー。俺もまだ、大人になれてないんだと思う。  
 昔に比べて強くなった力で、あいつを無理にでも組み伏せてしまえば…とか。  
 馬鹿なことばっかり考えるようになってしまったんだ」  
 
 嫌になる。そして、そのせいで、親友に気を遣わせてしまっている自分がもっと嫌  
だ。何が隊長だ…とんだ甘ったれだと。唇を噛んで、自責の念の痛みを噛み締める。  
 
 思うのだ。か弱い体を押さえつけ、無理に穢すことが自分には出来る。下卑た思考  
だ。支配欲と嫉妬に突き動かされるがまま、そうする。そういうことを夢想する等、  
昔から嫌ってきた「悪党」そのものではないか。瞼を閉じれば、そんな映像ばかりを  
見てしまう自分…愚かだ、と。ビュウは涙を堪え、静かに呟いた。  
 
「だから負けたのかもな」  
 
 声が震えたが、落ちた涙は一筋だけだった。  
 喉を下げ、見上げてきた相棒の瞳にうつった自分の面はとても間抜けだったが、こ  
いつの前では隠しても仕方ない。もう一度撫でて、エサを差し出した。  
 
「…だから、腕ごと食うなって昔から言ってるだろ」  
 
 慌てて口から飲まれた腕を引き抜きながら、咎めるような語調で相棒に告げる。し  
かし、何を思うたか、その咎を受けた主はギャア、と鳴くだけだった。  
 そんな何時もの、甘えたくなる光景の中だったからこそ、彼はおずおずと自分を見  
つめる視線には気づかなかったのだ。今は。  
 
 
 おかしい。それに気づいたのは、食事と湯浴みを済ませた後、あとは明日の準備を  
して眠るだけ―――、その時間だ。  
 食べている間は無かったが、湯を浴びてからどうも何処かから視線を感じる。最初  
はセンダックの何時ものストーキングだと思ったが、彼は既に執心したと見回りをし  
ていたグンソーから聞き及んだため、それはない。そして今、それは扉の前に居るの  
だ。ぴったりと。扉一枚隔てた向こうにその気配は在った。  
 覚えがある。しかし誰か、とふっと出てこない以上、親友達でも、頼りになる少し  
癖のある先達の武人でもあるまい。であれば、普段あまり関わりを持たない者だと考  
えるのが自然だ。 敵ならば、廊下に居るだけでバレバレなのだから。  
 
「………。」  
 
 もしもの事を考えて、一応刃のつぶれを確認する。エカテリーナあたりにざくっと  
いかれる可能性もなくはない。ホークの好みを正直に伝えたが、もし知らないところ  
でまかり間違っていたのならば、彼女ならやる。殺られる。   
 片手に剣。そして、静かに扉へ歩み寄った。足音をわざと遺せば、気配がざわつい  
たのが手に取るようにわかった。呼吸が乱れた為、存在がより確かに感じられる。  
 "誰だ"などとは言わない、扉を思い切り開け放ち、すぐさま踊りかかれるように力  
を抜いた―――…次の瞬間には、それより早く力が"抜けて"しまったのだが。  
 
「わっ!?」  
「…ディアナ!?」  
   
 内開きのドアだった為に、その気配にドアが激突することはなかった。だが、その  
音も開く勢いも、前振りを踏まえたとは言え十分唐突だったために、割と大きい身長  
差故見下ろす形で認めた少女―――ディアナの顔は、驚愕に焦り、目を点にしていた  
。心臓を普段の倍以上の速度でばくばく鳴らす彼女だが、ビュウにも驚きはあった。  
殆ど関わりのない…たまに「噂話」を聞くことがある程度の少女が、尋ねてくるなど  
ということは想像だにしていなかったのだ。  
 考えてみれば、今日へこんだ理由は彼女であるのだが、彼女の罪ではない。事実と  
発信源は別物なのだ。だから、そうまで印象に残っていない為、柔らかなひとときに  
豪勢な食事、心地よい湯浴みとあっては、記憶のかなたに吹き飛んでしまうのが妥当  
だろう。  
 

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